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古伊万里★新伊万里

劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です

カテゴリー「舞台」の記事一覧

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心に残った“ベストプレイ5”(2006年度)

 今年1年の観劇ランキングをしようしようと思っているうちに時間が流れ、気がつけばあとわすかで今年が終わってしまう時間に!
 というわけで、明けてしまわないうちにさくっとやってしまおうと思います。

 今年の観劇本数(数少ないオペラやバレエも含めます)は67本。去年が58本、一昨年が76本だからちょうど去年と一昨年の中間値といったところですね。
 さて、今年の「心に残ったベストプレイ5」は以下の通りです(括弧内は作者名。順位はなしです)。

 「ガラスの動物園」(テネシー・ウィリアムズ)
     《初台/新国立劇場小劇場》
 「忠臣蔵」(平田オリザ)
     《駒場東大前/こまばアゴラ劇場/青年団+文学座》
 「詩人の恋」(ジョン・マランス)
     《下北沢/本多劇場/加藤健一事務所》
 「戸惑いの日曜日」(三谷幸喜)
     《池袋/サンシャイン劇場/東京ヴォードヴィルショー》
 「夜の来訪者」(J・B・プリーストリィ、八木柊一郎)
     《六本木/俳優座劇場》

 ベスト5の日本作家と外国人作家の比率は、昨年3:2だったのが2:3に。といっても、「夜の来訪者」はもとが翻訳もので、その話を日本の作家が日本の話に置き換えているので、これを日本人作家とみなせば3:2ですね。
 国籍はテネシー・ウィリアムズとジョン・マランスがアメリカ、プリーストリィがイギリスです。

 正直なところ、今年は去年のプトゥーシキナとかラティガンみたいに「おぉっ」と衝撃を受けたものはありません。
 見た本数は去年より多いけど、「おもしろい」と思ったものは少なく、レベルが低かったといってもいいです。
 上記の5本にしたって新作&初演は1つもないです。
 「詩人の恋」は前にも観ているので良い作品であることはわかっていたし、「夜の来訪者」にしても元ネタの「インスペクター・コールズ」を観たことがあるのでどういう内容かは知っていました。「ガラスの動物園」は観たことはないけど戯曲は読んでいたのでこれまた内容は知っていたし。
 まあ、そういう意味で、予備知識がなくて純粋にびっくりしたのは「忠臣蔵」くらいでしょうか。

 「忠臣蔵」は四七士にちなんで47分で終わるという短編ですが、平田オリザらしさ炸裂のおもしろさ。
 無名の赤穂の侍たちが、部室にたむろする高校生のように、お城の一角でウダウダおしゃべりをしていると、「江戸で殿が刃傷事件を起こしたらしいよ」というニュースが飛び込んでくる。
 それを受けた侍たちが「討ち入りしよう」とか「デモンストレーションで切腹しよう」とかいろいろ討論するんですが、その討論の様子がメチャクチャおかしいの。
 こういうやついるいるって感じで。
 短編でもこんなにおもしろいものが作れるんだなーと思って、今年は他にも意識して短編をいくつか観ました。
 やっぱり短編になるとより作家の地力の差が出るような気がします。
 余談ですが、「忠臣蔵」で大石役をやっていた文学座の外山誠二さんがメチャメチャいい味を出していて、注目していたら「夜の来訪者」ではまったく違う雰囲気で出てきてびっくりしました。
 くしくも5本のうち2本にも出ているなんて縁があるのかも。

 簡単ですがこのへんで。
 昨年のベスト5を観たい方はこちらでどうぞ。

 今年も1年ご訪問ありがとうございました。
 来年もよろしくお願いします。
 うほー、ギリギリセーフ。

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「アラブ・イスラエル・クックブック」を観ました


 ちょっと不思議なタイトルにひかれて「アラブ・イスラエル・クックブック」というお芝居を観てきました(11/3〜12●新宿THEATER/TOPS)。
 上演劇団は古城十忍が主宰する一跡二跳。ここはたいていは古城さんのオリジナルをやっているんですが、今回は結成20年で初めて「翻訳戯曲」に挑戦したとのこと。

 翻訳戯曲といえばアメリカやイギリスを中心とした欧米の作品が浮かんできますが、この作品は珍しい中東のお話です。
 といっても、作家のロビン・ソーンズはイギリス人。
 テロリズムをテーマにした作品を書いていたロビンさんに「アラブ・イスラエル紛争が続く地域に暮らしている市井の人々の姿を題材にした作品を書いてほしい」とアラブ人とユダヤ人2人組の演出家からオーダーがあったのが2003年のこと。
 その直後にイラク戦争が勃発しましたが、ロビンさんは「イスラエルを訪問するのに安全な時期などない」と言って現地入りし、取材旅行を続け、そこで出会った42人のアラブ人&ユダヤ人へのインタビューをもとにしてこの作品をつくりあげたそうです。 

 日常生活の中に突然起こる自爆テロの恐怖。一見、なごやかにレストランで食事を楽しんでいるようにみえるが、内心は人が出入りするたびに「あの乳母車の中には本当に赤ん坊が入ってるの?」「あの太った男は本当に太ってるの?」と疑心暗鬼になってビクビクしている人々。食料品を買いに行くのも、仕事に出かけるのも「死」と隣り合わせという危うい日々。
 「それでも私は日常生活を続けていく。レストランに行って食事をする。こわくてたまらないけど、もし行かなくなったらそれはテロリストを勝利させることになるから。私たちにできることはいつもと同じ日常生活を勇気をもって続けていくことなの」
 と最後の場面近くで語るユダヤ人女性の言葉がこの作品を貫くテーマです。

 「日常生活を送る」というのは、じつは「人間が正気を保つために最も効果的な作業」です。
 「死」と常に直面させられている状況下で「正気を保つ」ためには、「慣れ親しんだ日常」を淡々と積み重ねていくことが一番。というかそれしかない。
 「日常を積み重ねる」という意味をそんなに深く考えない(考えたとしても「退屈」とか「単調」とか「抜け出したい」とかネガティブな意味にまわりがちな)人間にとって、この重さはなかなか実感できにくいことかもしれません。

 でも、これに似た感覚はなんとなくわからなくはないです。
 私にとってもっとも「非日常」だったのは病気だったときですが、自分の身体が危機的状況に陥ったとき、その恐怖と苦痛から一番確実に自分の精神を救ってくれたのは「書くこと」でした。
 「書く」といっても、感情を記すのではなく、数字中心の日記のような淡々とした記録です。日常の繰り返しとか習慣をできるだけ律儀に継続させるのです。「今はそれどころじゃないよ!」というときほど、そういうことに気持ちを集中させるのです。
 そうすると不思議なことに気持ちがしっかりしてくるというか、「どう考えてももうダメ」というパニック状態を客観的に眺められるようになるんですね。
 べつに突然「前向きになれる」とか「パワーがみなぎってくる」というわけではないんですが、客観的になれるというだけで、じつはもう八割方その状況を克服しているも同然なのです。

 話を戻します。
 それで、この作品の中では、「正気を保つための日常的な行動」として、「食事」が大きな象徴になっています(シェフの帽子を銃弾が貫通しているというチラシの絵はそういう意味だと思います)。
 登場する42人の人物(ギリシャ正教徒のアラブ人学生、アメリカからイスラエルに移住してきたユダヤ人の未亡人、ユダヤ人のゲイカップル、など)は、インタビューに答えながら自分たちの日常生活(何を勉強しているか、どんな仕事をしているか、どんな交友関係をもっているか、そして何を食べているか)について淡々と語っていきますが、中でも食べ物についてはかなり詳細に語られます。語られるだけではなく、舞台上で実際に料理もされます。
 THEATER/TOPSはかなり小さい劇場なので、料理の匂いはアッという間に客席にまで充満します(よく消防法の許可がおりたなー)。その匂いがなんともいえずエキゾチックでスパイシーで、なんというか明らかに「日本じゃない匂い」なんです。
 演劇が映像と大きく違うところ。それは「観る」のではなく「ダイレクトに体験する」ことだと私は思っていますが、たしかに嗅覚に訴えるというのは映像にはできない斬新な試みです。
 こういう「インタビューシーン」をつないで見せるドキュメンタリー調の演劇ってじつはあんまり好きじゃないんですが(客席に向かって語るシーンばかりで、役者同士のからみが見られないため、単調になりがちなんですよね)、今回は料理を作るという趣向が臨場感を盛り上げ、話に統一感をもたせていたと思います。

 幕間の休憩時間には、実際にフムスと呼ばれるユダヤ人が頻繁に食するというおつまみ(ひよこ豆とゴマペーストと塩水をすりつぶしてペースト状にし、クラッカーの上にのせたもの)が客席に配られ、まるで物産展の試食状態でした(笑)。
 味は……豆というかツナみたいな味でした。ゴマペーストのためかけっこうコクがあり、オニオンっぽい味もしました。

 料理をするシーンは何回か出てくるんですが、一番時間をかけて作られたのは「クサ・マハシ・ウ・ワラク・ダワーリー」という伝統的なアラブ料理です。
 日本語に訳すと「ズッキーニの詰め物とブドウの葉の詰め物チキン添え」
 アラブ人の司祭の妻を演じる長山藍子が、開演と同時に登場して作り始め、最後はできあがったその料理をお皿に盛りわけ、インタビュアー(つまり客席)に向かって「どうぞ」と差し出すところですべての芝居が終わります。
 もちろん、延々とその料理風景をメインに見せているわけではなく、舞台上には2つのキッチンがあって、いろいろな人が登場するたびにそのキッチンはアラブ人のキッチンになったりユダヤ人のキッチンになったり、レストランのキッチンになったりするわけですが、べつの人の話が舞台上で進行している間も、その詰め物料理は舞台の片隅で常に調理が進められていました。まあ、最後の1時間は煮込んでるだけなんだけど。
 レシピもプログラムに載っていました。

1)牛ヒレ肉のミンチと米、スパイス、塩、マーガリン
  をまぜて詰め物の中身を作る。
2)ズッキーニの実をりんごの芯抜きでくりぬき、詰め物
  を詰めていく。
3)軽く茹でたブドウの葉に詰め物をのせて包む。
4)大きな鍋の底にトマトのスライスを敷き詰める。
5)ブドウの葉の詰め物→ズッキーニの詰め物→ブドウの
  葉の詰め物→レモンジュースに漬け込んだチキン→ト
  マトのスライス→残ったブドウの葉という順で重ねて
  いき、最後に耐熱皿で重石をする。
6)耐熱皿に届くところまで水を注ぎ、あとは45分ほど
  煮込む。

 できればこれも味見してみたかったけど、それは無理でした(笑)。
 食べたければ自分で作るしかなさそうです。
 しかしブドウの葉って……食べられるのかな。
 代用するとしたら何がいいんだろう??

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「書く女」の究極のリサイクル構造

 もうすぐカウンタが「1並び(11111)」だわ。踏んだ人には何か記念品をお出ししようかしら…と思っていたら自分が踏みました。ありがちな結末。次は「2並び(22222)」ね。よし。今度も踏むぞ(←踏むなよ)。

 永井愛の「書く女」を観てきました。
 寺島しのぶが樋口一葉を演じています。
 樋口一葉について、皆さんはどのくらい具体的なイメージがあるでしょうか?

 「5000円札の人」
 「『たけくらべ』の人」
 「若くして貧乏なまま死んだ不幸そうな人」

 そんなところでしょうか。
 樋口一葉をドラマ化した舞台としては、なんといっても井上ひさしの「頭痛肩凝り樋口一葉」が有名です。
 井上作品に出てくる一葉は、主役なんだけどわりと影が薄くて、「常に死の世界にひかれている内向的な女性」というキャラでした(その分、周囲の女性がタフでエネルギッシュに描かれています)。
 ところが、今回の「書く女」に出てくる一葉はイメージがまったく違う!
 一言でいって「したたか」。そして「へこたれない」。
 
 「書く」という行為は、外から見れば「静かな行為」です。
 これが「歌う女」や「踊る女」を書いた話だったら、「彼女がどんなふうに悩みながら表現したか」を舞台上でアクティブに視覚化することができますが、「書く女」ではそうはいきません。所詮、「書くこと」は目には見えない創造活動だからです。
 しかし、永井愛はその問題を「一葉の現実と妄想を一続きのものとして舞台上に繰り広げる」ことによってクリアしました。
 現実世界の出来事があり、それがなにかのひきがねとなって作家の創作世界につながっていくとき、その間には作家自身にしかわからない「現実とも妄想ともつかない曖昧な世界」が存在します。永井愛はそこを同じ“書く女”のとしての立場から想像し、観客に仮想体験させてくれたわけです。
 だから「書く女」に登場する一葉は、作家でありながら非常にアクティブです。
 観客としては、一葉の頭の中身を覗いている気分になれるので、ある意味、彼女の感情の起伏をともに体感し、彼女と一緒に作品を生みだしているような気分にすらなれます。
 なんかもう“樋口一葉アトラクション”って感じ?
 ただ、そこまで濃厚に実感できたのは、もしかしたら観ている自分もまた「書く女」だったからなのかもしれません。というのも、私はけっこうおもしろいと思ったんですが、周囲の評判はそれほどでもなかったので。

 私が少々意外に感じたのは、「一葉がサロンの女王様状態」だったという描写です。
 なんか一葉って、女所帯で戸主としての責任を背負わされて苦労し通しだったし、年中生活苦にあえいでいるような地味〜でさびしい女のイメージがあったので、「おほほほ。次に私とダンスを踊るのはどなたかしら?」みたいなイメージとはほど遠かったんですよね(←サロンの意味をはきちがえてるね、あんた)。
 実際、一葉は「美人説」もあり(写真を見る限りでは、「ハッとするほどの美人」というタイプではないが、「知的な魅力のあるキリッとしたお姉さん」という感じ)、文壇の男性には随分もてたらしい。しかも年下男に。
 年下っていったって、一葉は死んだのが24だから、それより年下って……子供じゃん!うち帰って勉強しなよって感じですが、当時の年齢は今で言うとプラス10歳くらいの大人っぽさがあったんでしょう。
 とにかく、“一葉お姉さまもてもて状態”はなかなか新鮮だったのですが(また一葉の年下男あしらいが堂に入っている!)、そんな有象無象(←失礼)にちやほやされてるだけで終わる一葉様ではありません。
 「書く女」には、一葉に大きな影響を与えた男が2人登場します。

 1人は前半に出てくる半井桃水。最初に小説の指導を請うたという新聞小説作家です。
 桃水は、明治の男にしては珍しいフェミ男くんタイプです。まったく威張ったところがないし、優しいし、二枚目だし、料理も上手。しかもヒューマニストでもあり、純粋な「いい人」キャラです。
 一葉と桃水は明らかにひかれあっているし、「雪の夜のお泊まり事件疑惑」もあって、かなりいい線いっていたらしい。
 双方とも独身だし、今ならなんの問題もなさそうですが、問題は2人とも家を継がなくてはならない身の上だということ。戸主の女は婿をとらない限りは結婚できないので、2人が結ばれることはありません。
 桃水の前での一葉はじつにかわいらしく、まさに「恋する乙女」。でも、本当に恋に溺れているのではなく、悲劇的な状況(忍ぶ恋)を積極的に作って恋する自分に酔っているようにも見えます。もちろん、その陶酔感がそのまま小説の肥やしになっていることは言うまでもありません。

 もう1人の男は後半に出てくる斎藤緑雨。一葉の作品をこきおろす評論家です。
 この緑雨は、桃水とは対照的なキャラで、「ものを書く男のタイプ」というのがあるとして、その白い面が出ると桃水になり、黒い面が出ると緑雨になるという感じ。
 森鴎外、幸田露伴など、名だたる作家が一葉を激賞する中、緑雨だけは批判的な評を載せるのですが、じつはそれは彼特有の「愛情表現」。
 いきなり一葉の家に押し掛け、「あなたのこの作品のこの人物の行動について、鴎外はこれこれこういうふうに言っているが私の見解は違う。これこれこういうことなのではないか? どうだ。私のほうが正しいだろう」と迫る緑雨。
 フツーに見れば「うざっ。自分が一番ものがよくわかってるって言いたいのね。一人で勝手に自慢してろよ。てゆーか急に来るな。帰れ、ボケ!」とむかつくところでしょうが、よーく聞くとそうではないんですね。
 彼の言葉の真意は「世界中であなたを一番理解しているのは私だ」なんです。つまり、愛の告白なんですよ。わかりにくいですけど。
 緑雨は、自分が一葉の作品をどれだけ深く理解しているかを綿々と述べ立てた上で、「あなたはまだ本当に書くべきことを書いていない。すでにそれをみつけているのに表に出すのをためらっている。あなたがそれを書くまでは、私は涙をのんであなたをこきおろし続ける」と宣言。
 これを男女の愛といってしまっていいのかどうかは難しいところですが、一葉が女性でなかったら彼がここまでムキになったかどうかは疑問なので、そのへんはいろいろな思いがいりまじっているのでしょう。ちなみに緑雨は一葉の死後、彼女の日記刊行のために奔走したり、一葉の母親の葬式代を肩代わりするなど、変わらぬ忠誠(笑)を貫いたといいます。
 この緑雨を前にした一葉はといえば、桃水の前での「恋する乙女モード」とはうってかわって「挑戦的な態度」になります。ていうか「挑発」かな。なんかふてぶてしいんですよ。見えない刃物で斬り合うような緊迫感を楽しんでいる、みたいな。
 で、何を言っても一葉が動じないので、その態度に興奮してますます緑雨の言葉の毒に磨きがかかっていく。
 ここでの一葉の顔もやっぱり緑雨の期待に合わせてつくりあげた仮面であり、このやりとりもまた晩年の小説の肥やしとなっていくのです。

 こうしてみると、「書く女」の一葉は、非常に相手のニーズをくみ取るのがうまい女だという印象を受けます。
 人間観察をする代償として、相手の望む顔を見せる。そしてまんまと相手の本質をひきずりだす。それを小説の肥やしにする。そしてできた小説を今度は自分の肥やしにしてますます輝いていく。
 「書く女」には皆、少なからずこういった「リサイクル構造」が備わっているように思えます。
 ほら。あなたのまわりにもいませんか?
 こういう女。

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プロフィール

HN:
伊万里
性別:
女性
職業:
劇作家・ライター
趣味:
旅行 骨董 庭仕事

著作



「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」

Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!

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