古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
心に残った“ベストプレイ5”(2005年度)
今年もあとわずかでフィナーレですね。
昨日、2005年最後の観劇を済ませたので、個人的に今年1年の観劇ランキングをしてみようと思います。
今年の観劇本数は58本(あくまでも作品数で、同じ公演に複数回行ったものはカウントしません)。
一般の人から観たら充分多いと思いますが、私のまわりでは100本とか平気で越えている人がいるので、特別多いとは思いません(といっても、100本越えるような人はひとつの作品をリピートするタイプが多いので、作品数としてはぐっと少なくなるかもしれませんが)。
自分的には今年はかなり抑えました(ちなみに去年は76本でした)。去年これだけ観てつくづく思ったんですけど、やっぱり月に4〜5本、多くて6本が適正ですね(あくまでも自分の場合、ですが)。
月8本を越えてくるとかなり苦行です。観るだけならともかく、観たものを自分なりに咀嚼して栄養にしたり、じっくり分析して勉強のこやしにしようとすると、そうそう数はこなせないです。といって、50本を下回るようだと少ないので、60本前後くらいがいいところかな、と。
で、さっそくですが、今年の「心に残ったベストプレイ5」を紹介します(括弧内は作者名。順位はなしです)。
「その河をこえて、五月」(平田オリザ・金明和)
《初台/新国立劇場小劇場》
「家族の写真」(ナジェージダ・プトゥーシキナ)
《六本木/俳優座劇場》
「歌わせたい男たち」(永井愛)
《両国/ベニサン・ピット/二兎社》
「パートタイマー・秋子」(永井愛)
《下北沢/本多劇場/青年座》
「セパレート・テーブルズ」(テレンス・ラティガン)
《新宿/スペース・ゼロ/自転車キンクリートSTORE》
去年もそうだったんですけど、結局振り返ってみると小さめの劇場で上演されるリーズナブル価格(5000円前後)のお芝居にお値打ちモノが多いようです。
本数観れば観るほど、大劇場芝居にはがっかりすることが多くなってきますね。
まあ、もっともホントに小劇場好きの人から見たら、こんなの充分中劇場レベルでしょうが(逆に東宝の人なんかは、700くらいの劇場でも「小劇場」という言い方をします)。
採算とるのは大変だろうけど、観るほうにしてみれば、やっぱり小さい小屋でうまい役者さんのお芝居をたっぷり楽しめるのが最高の贅沢のように思えます。
また、ベスト5の日本作家と外国人作家の比率は、昨年同様3:2で、国籍をみると、昨年はユージン・オニール(アメリカ)とアソル・フォガード(南アフリカ)、今年はナジェージダ・プトゥーシキナ(ロシア)とテレンス・ラティガン(イギリス)…とすべて分かれています。
で、5本全部について触れていると大変なので、代表して2本だけについてコメントします。
まず「家族の写真」。
これは、衝撃度からいったら今年観た中で一番かも。おそらく、他の4本に比べたら観た人もぐっと少ないのでは?
プトゥーシキナはロシアの女性作家で、現代ロシア演劇界においてかなり人気が高いときいて興味をもって行きました。「ロシアの戯曲っていうと、チェーホフとか古典のイメージが強いけど、現代の作品ってどんななんだろう」という興味だけで選んだので、どんなテイストの作品かとか、そういう予備知識はまったくなし。
これがすごいおもしろかった!
ストーリーはきわめてシンプルです。
トウの立ったいわゆるハイミスの娘と年老いた母親の2人暮らしの家。病気の母親は今にも死にそうで「わたしゃ、あんたが旦那を見つけて幸せになってくれないと死んでも死にきれないよ」とうめいている。
娘は母を安心させるため、たまたま部屋を間違えて尋ねてきた男を自分の恋人だと紹介する。歓喜する母親はすっかり元気になり、さらに「でも私の命はもう長くないからね。欲を言えば孫の顔も見たかった」と言い出す。困った娘は、今度は近所の若い娘に頼んで「娘の役」を演じてもらうという展開に…。
ニセモノを演じてほしいと依頼する疑似家族ものはよくある話ですが、なんの打ち合わせもなくたまたまやってきた他人を巻き込むというのはかなり強引な話です。しかも、男もなぜこんなにすんなり順応するのか?!
さらに「黙ってたけど、私、昔子供生んでたのよ」っていきなり20歳の子連れてきて信じるほうも信じるほうだっつの。
欧米の喜劇なら、このシチュエーションを利用してもっときわどい嘘を重ねたり、嘘がばれそうになる事件を次々に起こしたり、それをごまかすために嘘を嘘で塗り固めていったり…とどんどん話を複雑にしていくところですが、この作品は嘘に関してはそれほどスリルを求めていないようで、そういう意味では穴だらけ。
無理に笑いをとろうとするわけでもなく、終始まったりとしています。しゃれたセリフや気の利いた人物のリアクションが爆笑を誘うという感じではなく、むしろセリフは無骨だし、硬いし、いわゆる作家のサービス精神みたいなものがあまり感じられない。
じゃあおもしろくないのかっていうと、おもしろいんですよ。でもそのおもしろさを説明するのがすごく難しい。なんかおもしろいんだけど気持ち悪いの。
気持ち悪さの理由のひとつは、ジャンルがよくつかめないこと。いつもだったら見始めてすぐに「ああ。これはこういうジャンルのお話ね」ってつかめるものなんだけど、これは似たジャンルがありそうでないので最後までよくわかんなかったんですよね。
最初の出だしはろうそくの灯りだけだし、お母さんはホントに死にそうだし、陰鬱な雰囲気で「プロレタリア文学?」って感じだったんだけど(時代も現代というにはレトロな雰囲気)、途中からどんどんカラーが変わってきて、どこまでがまじめなのか、どこからがふざけてるのかわかんなくなって、で、望みの家族が増えるたびにお母さんはパワーアップしていって寿命がどんどん延びていくんで、「これって全部お母さんの『家族がほしい』という怨念が呼びよせたものなのでは?」という気になり、最終的に私の中では「家族ホラー」というカテゴライズができてしまいました。
おとぎ話、ファンタジーとも言えるけど、私はやっぱりこのエネルギーは「怨念」と名付けるのが一番しっくりくるような気がします。
西洋の怪談で「猿の手」という有名な話がありますが、あれに似たこわさがあります。夜に誰かが訪ねてくるというシチュエーションはたしかにこわいし、母娘が暮らしている部屋に空間が限定されているところも効果をあげています。
人物のバックグラウンドとか、あまり書きこまれていないし、話の展開は強引なのになんともいえない説得力があって、「情」に訴える系の作品ではないんだけど、「知」に訴える系でもなく、強いていえば「情以前の未整理な感覚」に訴えてくる感じかな。これは、演出する人や役者の演技によってかなり違った印象になりそうです。
もう1本は昨日観た今年ラストの「セパレート・テーブルズ」。
ラティガンというのは、イギリスではかなり人気の作家らしいのですが、日本ではあまりメジャーではなく、演劇玄人の間で「知る人ぞ知る」って感じでファンが多い作家なんだそうです。
特に作家(つまり同業者)からの評価が高いみたいで、作家って滅多に他の作家をほめないものなので、これは信用できるかなーと思って観にいきました。やっぱり予備知識なしで。
いやー。おもしろかった!
自転車キンクリートでは、今回「ラティガンまつり」と称して、全部で3本のラティガン作品を連続上演しているのですが、この「セパレート・テーブルズ」はトリを飾る1本。観終わってから「なぜ他の2本も観ておかなかったんだろう」と激しく後悔しました。
舞台は田舎の長期滞在型の小さなホテルで、おもにリタイアしたお年寄りが何年も住みついている(だからホテルというか、老人ホームのような感じ)。
一言でいうとそこに来る客のドラマなんだけど、前半と後半で別のエピソードが語られていて、2本立てのような趣になっているのがミソ(一応、前半と後半の間には数年間の時間経過があることになっており、登場人物には一部入れ替わりがあるが、通しで出ている人がほとんど)。
そのホテルの支配人というのがすごくかっこいい女性で、クールで強そうなんだけど人の痛みもわかる大人なんですよね。ホテル内でトラブルが起こるたびに彼女が出てきて対応するんだけどそれがいちいち「おいしいとこどり」で、この人主役で「女支配人ミス・クーパーシリーズ」をシリーズ化してほしいくらいです。また久世星佳がドンピシャのハマリ役で「待ってました」って感じ。
前半と後半のエピソードはどちらもいい話なんだけど、私のお気に入りは前半の「40代の元夫婦が8年ぶりにホテルで偶然に出会い(←正確にいうとほんとは偶然じゃないんだけど)、よりを戻すまでの駆け引き」を描いた話。
こう書くと単純なんだけど、逆に言うとこれだけの話で1時間半ももたせるというのは驚異的(休憩10分を含み、上演時間はなんと3時間20分におよぶ。予想外の長さに観る前は腰がひけたが、観たらまっったく長さを感じなかった)。
とにかくこの元夫婦(女は老いに怯えるトップモデルで、男は元政務次官で今はおちぶれた飲んだくれのジャーナリスト崩れ)の対決シーンの緊迫感がすごい!
結論から言うと、2人ともまだ相手を好きで好きでたまらないんだけど、いろいろな状況や資質がからみあって、一緒になるとすさまじい勢いで相手を傷つけてしまうという激烈な相性なんですね。
なので、よりを戻すといっても一筋縄ではいかないわけ。過去のうらみとか封印してきた思いとかが一気に吹き上げてきて、愛の告白なのか相手をメチャクチャに攻撃しているのか憎いのか愛しいのか自分でもわかんなくなってくるくらい感情が乱れてしまい、なかなか素直でナチュラルな自分になれない。このへんの血を噴くようなやりとりは息をのむほどドラマチックで、圧倒されました。
個人的にはイギリスの作家のほうが、アメリカの作家よりもメンタリティに近いものを感じて共感しやすい傾向があるんですが、ラティガンもかなり日本人の琴線に響くタイプだと思います。
仕掛けとしては、ストレートすぎるほどストレートで、コメディというわけでもないので、エンターテインメント性が薄く見えるのですが、人間の描き方があまりにもうまいので、ただ会話しているだけで充分のめりこめるんです。
凡庸な作家なら、こんなシチュエーションで2人が延々と会話するシーンを書いたら間違いなく退屈するし、30分ももたなくていろいろな余計な要素(どんでん返しとか他の人がからんでくるとか)をつけたすような気がする…。
というわけで、2005年のベストプレイ5本についてまとめてみました。
来年はどんな作品に出会えるでしょうか。
胸焼けしない程度に楽しみたいと思います。
昨日、2005年最後の観劇を済ませたので、個人的に今年1年の観劇ランキングをしてみようと思います。
今年の観劇本数は58本(あくまでも作品数で、同じ公演に複数回行ったものはカウントしません)。
一般の人から観たら充分多いと思いますが、私のまわりでは100本とか平気で越えている人がいるので、特別多いとは思いません(といっても、100本越えるような人はひとつの作品をリピートするタイプが多いので、作品数としてはぐっと少なくなるかもしれませんが)。
自分的には今年はかなり抑えました(ちなみに去年は76本でした)。去年これだけ観てつくづく思ったんですけど、やっぱり月に4〜5本、多くて6本が適正ですね(あくまでも自分の場合、ですが)。
月8本を越えてくるとかなり苦行です。観るだけならともかく、観たものを自分なりに咀嚼して栄養にしたり、じっくり分析して勉強のこやしにしようとすると、そうそう数はこなせないです。といって、50本を下回るようだと少ないので、60本前後くらいがいいところかな、と。
で、さっそくですが、今年の「心に残ったベストプレイ5」を紹介します(括弧内は作者名。順位はなしです)。
「その河をこえて、五月」(平田オリザ・金明和)
《初台/新国立劇場小劇場》
「家族の写真」(ナジェージダ・プトゥーシキナ)
《六本木/俳優座劇場》
「歌わせたい男たち」(永井愛)
《両国/ベニサン・ピット/二兎社》
「パートタイマー・秋子」(永井愛)
《下北沢/本多劇場/青年座》
「セパレート・テーブルズ」(テレンス・ラティガン)
《新宿/スペース・ゼロ/自転車キンクリートSTORE》
去年もそうだったんですけど、結局振り返ってみると小さめの劇場で上演されるリーズナブル価格(5000円前後)のお芝居にお値打ちモノが多いようです。
本数観れば観るほど、大劇場芝居にはがっかりすることが多くなってきますね。
まあ、もっともホントに小劇場好きの人から見たら、こんなの充分中劇場レベルでしょうが(逆に東宝の人なんかは、700くらいの劇場でも「小劇場」という言い方をします)。
採算とるのは大変だろうけど、観るほうにしてみれば、やっぱり小さい小屋でうまい役者さんのお芝居をたっぷり楽しめるのが最高の贅沢のように思えます。
また、ベスト5の日本作家と外国人作家の比率は、昨年同様3:2で、国籍をみると、昨年はユージン・オニール(アメリカ)とアソル・フォガード(南アフリカ)、今年はナジェージダ・プトゥーシキナ(ロシア)とテレンス・ラティガン(イギリス)…とすべて分かれています。
で、5本全部について触れていると大変なので、代表して2本だけについてコメントします。
まず「家族の写真」。
これは、衝撃度からいったら今年観た中で一番かも。おそらく、他の4本に比べたら観た人もぐっと少ないのでは?
プトゥーシキナはロシアの女性作家で、現代ロシア演劇界においてかなり人気が高いときいて興味をもって行きました。「ロシアの戯曲っていうと、チェーホフとか古典のイメージが強いけど、現代の作品ってどんななんだろう」という興味だけで選んだので、どんなテイストの作品かとか、そういう予備知識はまったくなし。
これがすごいおもしろかった!
ストーリーはきわめてシンプルです。
トウの立ったいわゆるハイミスの娘と年老いた母親の2人暮らしの家。病気の母親は今にも死にそうで「わたしゃ、あんたが旦那を見つけて幸せになってくれないと死んでも死にきれないよ」とうめいている。
娘は母を安心させるため、たまたま部屋を間違えて尋ねてきた男を自分の恋人だと紹介する。歓喜する母親はすっかり元気になり、さらに「でも私の命はもう長くないからね。欲を言えば孫の顔も見たかった」と言い出す。困った娘は、今度は近所の若い娘に頼んで「娘の役」を演じてもらうという展開に…。
ニセモノを演じてほしいと依頼する疑似家族ものはよくある話ですが、なんの打ち合わせもなくたまたまやってきた他人を巻き込むというのはかなり強引な話です。しかも、男もなぜこんなにすんなり順応するのか?!
さらに「黙ってたけど、私、昔子供生んでたのよ」っていきなり20歳の子連れてきて信じるほうも信じるほうだっつの。
欧米の喜劇なら、このシチュエーションを利用してもっときわどい嘘を重ねたり、嘘がばれそうになる事件を次々に起こしたり、それをごまかすために嘘を嘘で塗り固めていったり…とどんどん話を複雑にしていくところですが、この作品は嘘に関してはそれほどスリルを求めていないようで、そういう意味では穴だらけ。
無理に笑いをとろうとするわけでもなく、終始まったりとしています。しゃれたセリフや気の利いた人物のリアクションが爆笑を誘うという感じではなく、むしろセリフは無骨だし、硬いし、いわゆる作家のサービス精神みたいなものがあまり感じられない。
じゃあおもしろくないのかっていうと、おもしろいんですよ。でもそのおもしろさを説明するのがすごく難しい。なんかおもしろいんだけど気持ち悪いの。
気持ち悪さの理由のひとつは、ジャンルがよくつかめないこと。いつもだったら見始めてすぐに「ああ。これはこういうジャンルのお話ね」ってつかめるものなんだけど、これは似たジャンルがありそうでないので最後までよくわかんなかったんですよね。
最初の出だしはろうそくの灯りだけだし、お母さんはホントに死にそうだし、陰鬱な雰囲気で「プロレタリア文学?」って感じだったんだけど(時代も現代というにはレトロな雰囲気)、途中からどんどんカラーが変わってきて、どこまでがまじめなのか、どこからがふざけてるのかわかんなくなって、で、望みの家族が増えるたびにお母さんはパワーアップしていって寿命がどんどん延びていくんで、「これって全部お母さんの『家族がほしい』という怨念が呼びよせたものなのでは?」という気になり、最終的に私の中では「家族ホラー」というカテゴライズができてしまいました。
おとぎ話、ファンタジーとも言えるけど、私はやっぱりこのエネルギーは「怨念」と名付けるのが一番しっくりくるような気がします。
西洋の怪談で「猿の手」という有名な話がありますが、あれに似たこわさがあります。夜に誰かが訪ねてくるというシチュエーションはたしかにこわいし、母娘が暮らしている部屋に空間が限定されているところも効果をあげています。
人物のバックグラウンドとか、あまり書きこまれていないし、話の展開は強引なのになんともいえない説得力があって、「情」に訴える系の作品ではないんだけど、「知」に訴える系でもなく、強いていえば「情以前の未整理な感覚」に訴えてくる感じかな。これは、演出する人や役者の演技によってかなり違った印象になりそうです。
もう1本は昨日観た今年ラストの「セパレート・テーブルズ」。
ラティガンというのは、イギリスではかなり人気の作家らしいのですが、日本ではあまりメジャーではなく、演劇玄人の間で「知る人ぞ知る」って感じでファンが多い作家なんだそうです。
特に作家(つまり同業者)からの評価が高いみたいで、作家って滅多に他の作家をほめないものなので、これは信用できるかなーと思って観にいきました。やっぱり予備知識なしで。
いやー。おもしろかった!
自転車キンクリートでは、今回「ラティガンまつり」と称して、全部で3本のラティガン作品を連続上演しているのですが、この「セパレート・テーブルズ」はトリを飾る1本。観終わってから「なぜ他の2本も観ておかなかったんだろう」と激しく後悔しました。
舞台は田舎の長期滞在型の小さなホテルで、おもにリタイアしたお年寄りが何年も住みついている(だからホテルというか、老人ホームのような感じ)。
一言でいうとそこに来る客のドラマなんだけど、前半と後半で別のエピソードが語られていて、2本立てのような趣になっているのがミソ(一応、前半と後半の間には数年間の時間経過があることになっており、登場人物には一部入れ替わりがあるが、通しで出ている人がほとんど)。
そのホテルの支配人というのがすごくかっこいい女性で、クールで強そうなんだけど人の痛みもわかる大人なんですよね。ホテル内でトラブルが起こるたびに彼女が出てきて対応するんだけどそれがいちいち「おいしいとこどり」で、この人主役で「女支配人ミス・クーパーシリーズ」をシリーズ化してほしいくらいです。また久世星佳がドンピシャのハマリ役で「待ってました」って感じ。
前半と後半のエピソードはどちらもいい話なんだけど、私のお気に入りは前半の「40代の元夫婦が8年ぶりにホテルで偶然に出会い(←正確にいうとほんとは偶然じゃないんだけど)、よりを戻すまでの駆け引き」を描いた話。
こう書くと単純なんだけど、逆に言うとこれだけの話で1時間半ももたせるというのは驚異的(休憩10分を含み、上演時間はなんと3時間20分におよぶ。予想外の長さに観る前は腰がひけたが、観たらまっったく長さを感じなかった)。
とにかくこの元夫婦(女は老いに怯えるトップモデルで、男は元政務次官で今はおちぶれた飲んだくれのジャーナリスト崩れ)の対決シーンの緊迫感がすごい!
結論から言うと、2人ともまだ相手を好きで好きでたまらないんだけど、いろいろな状況や資質がからみあって、一緒になるとすさまじい勢いで相手を傷つけてしまうという激烈な相性なんですね。
なので、よりを戻すといっても一筋縄ではいかないわけ。過去のうらみとか封印してきた思いとかが一気に吹き上げてきて、愛の告白なのか相手をメチャクチャに攻撃しているのか憎いのか愛しいのか自分でもわかんなくなってくるくらい感情が乱れてしまい、なかなか素直でナチュラルな自分になれない。このへんの血を噴くようなやりとりは息をのむほどドラマチックで、圧倒されました。
個人的にはイギリスの作家のほうが、アメリカの作家よりもメンタリティに近いものを感じて共感しやすい傾向があるんですが、ラティガンもかなり日本人の琴線に響くタイプだと思います。
仕掛けとしては、ストレートすぎるほどストレートで、コメディというわけでもないので、エンターテインメント性が薄く見えるのですが、人間の描き方があまりにもうまいので、ただ会話しているだけで充分のめりこめるんです。
凡庸な作家なら、こんなシチュエーションで2人が延々と会話するシーンを書いたら間違いなく退屈するし、30分ももたなくていろいろな余計な要素(どんでん返しとか他の人がからんでくるとか)をつけたすような気がする…。
というわけで、2005年のベストプレイ5本についてまとめてみました。
来年はどんな作品に出会えるでしょうか。
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
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