古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
送って、そして迎える
- 2012/07/23 (Mon)
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梅雨のさなかの7月11日、弟夫婦に女の子が生まれました。
昨年、弟の結婚で義妹ができ、さらに今年は姪ができて、ここへきて一気に家族構成が変動していることに驚いています。
まあ、私が生まれたときの祖母の年齢が今の私の年齢だったことを考えれば、この年までまったく変動しなかったほうがどうかと思うんですが。
父も、喜寿を迎える年になって初孫ができるとは夢にも思わなかったようで、今まで「子供」に全然縁がなかった我が家にとって「赤ちゃん登場」は未知の世界でした。
女の子だということはもう随分前からわかっていたのですが、なぜか診断がつく前から私には女の子だというイメージしかありませんでした。
女の子だったらいいなーとか、そういう好みの問題ではなく、女の子であることはすでに決まっているという確信があったのです。
こういうとオカルトっぽいですが、まだ胎児の時代から、夢の中にも何度か登場したし、自分の名前のメッセージも送られてきました。
漢字一文字なんですが、それも「女の子だったらこの名前がいいかなー」という好みではなく、最初からその文字がバーンと焼き付けられたというか…。
普段、字を読んでいるときも、その漢字が目に入るとドキッとするんですよ。
まあ、結局名前は弟が考えてつけたので、その名前は日の目をみることはなかったんですが、すごくはっきりしたイメージだったのでいまだにちょっと気になっています。
それだけならまだ一笑に付されるレベルの話だと思いますが、不思議な話はそのあとも続きます。
火曜日から陣痛が始まった義妹は、水曜日の早朝に病院に入りました。
朝8時半の時点で弟から「現在、子宮口4センチ。初産だし、順調にいって夕方頃になりそう」というメールがあったので、「今日は11時から1時までヘルパーさんが来るから、ヘルパーさんが帰ったらお昼食べてー、それから病院にかけつけるかな」とのんびり考えていました。
ところが、そこからの展開が予想外に早く、10時前には「もう破水した。昼過ぎには生まれるみたい」という続報が。
あわてて事業所に電話したらたまたまその日に来るヘルパーさんが出てくれて、事情を話したら「じゃあ開始時間を早めて今からすぐに行きますよ」と言ってくれました。
ヘルパーさんがうちに着いたのはそれから30分後。
お風呂入って掃除して布団干して洗濯して終わるのが12時半。
すぐにかけつければ間に合うかな。
…と思いきや、さらに展開が早まり、11時に「さっき分娩室に入った」という弟からのメールが…。
ぎゃー、間に合わねーよーーー!!!!
と動揺する私にヘルパーさんが「あとは私やっておくから行っていいわよ」と言ってくれて(本当は利用者不在で作業したらいけないんだけど父も残ってるしまあいいかってことで)、とりあえずお風呂だけ介助してもらって髪の毛乾かして着替えて家を出て、タクシーに飛び乗りました。
で、病院に到着したのが11時45分。
さすがにまだ生まれてないだろうと思ったら、5分ほど前に生まれたときいてびっくり。
しかし、もろもろ含めて結果的に生まれた直後に立ち会えたというのも奇跡的なタイミングではありました。
生まれたばかりの赤ちゃんを生で見るのはもちろん初めての経験。
月並みだけど、第一印象は「なんて……小さい……」でした。
まるで精巧なミニチュア細工のよう。
泣き声もかぼそく、弱々しく、世の中にこれほど壊れそうなものがあるのかという驚き。
が、同時に、生まれたての新生児にはたしかに侵しがたい神聖なオーラがありました。
普段はさらさらと流れていく時間が、ここでだけは息をとめて立ち止まっていくような…。
不意に「この感覚、なにかに似てる。べつの場面で経験したことがある」と思いました。
で、思い出しました。
それは3年前に経験した母の臨終の場面でした。
弱って声を発する力もすでになくなった母の姿と、まだ泣き声が声にならない赤ちゃんの姿がかぶりました。
あのときも時間がとまったようなはりつめた静寂に包まれていて、そこにいる人は誰も立ち入れない「結界」のようなものを感じました。
違った意味で、臨終の床の母にも侵しがたいオーラがありました。
もしかしたら、赤ちゃんも人の手に抱かれ、なじむようになるとこのオーラは消えてしまうのかもしれません。
人は一人で生まれ、一人で死んでいきます。
その両方の場面に続けて立ち会い、あらためて思いました。
最初の瞬間と最後の瞬間だけは誰も共有できないんだ。
まわりの人はその場に立ち会い、証人になることしかできない。
この世に生まれてくる命を寿ぎ、この世から消えていく命に敬意をはらう。
シンプルだけど最終的にそれしかできることがないのだ。
誕生と死の間は複雑でいろいろなものの影響を受けるけど、最初と最後は本当に、本当にシンプルなんだよね。
それにしてもこんな時間に生まれるなんて珍しい赤ちゃんだなー。
赤ちゃんってだいたい明け方に生まれるよね。
11時半っていきなり朝寝坊きわまりないな。
……とそこでまたはたと気づきました。
あれ??
このセリフ、どこかで聞いたことがある。
…そうだ。私だ。
私もこのくらいの時間に生まれて母から何度もそう言われたんだった。
姪が生まれた時間は……11時38分か。
え……なんか私もかなり近い気が……。
気になってあとで自分の母子手帳を調べてみました。
思わず声をあげそうになりました。

やっぱり私にメッセージくれてたの、気のせいじゃなかったよね。
ちなみに、誕生日こそ違いますが、私も生まれた曜日は水曜日でした。
昨年、弟の結婚で義妹ができ、さらに今年は姪ができて、ここへきて一気に家族構成が変動していることに驚いています。
まあ、私が生まれたときの祖母の年齢が今の私の年齢だったことを考えれば、この年までまったく変動しなかったほうがどうかと思うんですが。
父も、喜寿を迎える年になって初孫ができるとは夢にも思わなかったようで、今まで「子供」に全然縁がなかった我が家にとって「赤ちゃん登場」は未知の世界でした。
女の子だということはもう随分前からわかっていたのですが、なぜか診断がつく前から私には女の子だというイメージしかありませんでした。
女の子だったらいいなーとか、そういう好みの問題ではなく、女の子であることはすでに決まっているという確信があったのです。
こういうとオカルトっぽいですが、まだ胎児の時代から、夢の中にも何度か登場したし、自分の名前のメッセージも送られてきました。
漢字一文字なんですが、それも「女の子だったらこの名前がいいかなー」という好みではなく、最初からその文字がバーンと焼き付けられたというか…。
普段、字を読んでいるときも、その漢字が目に入るとドキッとするんですよ。
まあ、結局名前は弟が考えてつけたので、その名前は日の目をみることはなかったんですが、すごくはっきりしたイメージだったのでいまだにちょっと気になっています。
それだけならまだ一笑に付されるレベルの話だと思いますが、不思議な話はそのあとも続きます。
火曜日から陣痛が始まった義妹は、水曜日の早朝に病院に入りました。
朝8時半の時点で弟から「現在、子宮口4センチ。初産だし、順調にいって夕方頃になりそう」というメールがあったので、「今日は11時から1時までヘルパーさんが来るから、ヘルパーさんが帰ったらお昼食べてー、それから病院にかけつけるかな」とのんびり考えていました。
ところが、そこからの展開が予想外に早く、10時前には「もう破水した。昼過ぎには生まれるみたい」という続報が。
あわてて事業所に電話したらたまたまその日に来るヘルパーさんが出てくれて、事情を話したら「じゃあ開始時間を早めて今からすぐに行きますよ」と言ってくれました。
ヘルパーさんがうちに着いたのはそれから30分後。
お風呂入って掃除して布団干して洗濯して終わるのが12時半。
すぐにかけつければ間に合うかな。
…と思いきや、さらに展開が早まり、11時に「さっき分娩室に入った」という弟からのメールが…。
ぎゃー、間に合わねーよーーー!!!!
と動揺する私にヘルパーさんが「あとは私やっておくから行っていいわよ」と言ってくれて(本当は利用者不在で作業したらいけないんだけど父も残ってるしまあいいかってことで)、とりあえずお風呂だけ介助してもらって髪の毛乾かして着替えて家を出て、タクシーに飛び乗りました。
で、病院に到着したのが11時45分。
さすがにまだ生まれてないだろうと思ったら、5分ほど前に生まれたときいてびっくり。
しかし、もろもろ含めて結果的に生まれた直後に立ち会えたというのも奇跡的なタイミングではありました。
生まれたばかりの赤ちゃんを生で見るのはもちろん初めての経験。
月並みだけど、第一印象は「なんて……小さい……」でした。
まるで精巧なミニチュア細工のよう。
泣き声もかぼそく、弱々しく、世の中にこれほど壊れそうなものがあるのかという驚き。
が、同時に、生まれたての新生児にはたしかに侵しがたい神聖なオーラがありました。
普段はさらさらと流れていく時間が、ここでだけは息をとめて立ち止まっていくような…。
不意に「この感覚、なにかに似てる。べつの場面で経験したことがある」と思いました。
で、思い出しました。
それは3年前に経験した母の臨終の場面でした。
弱って声を発する力もすでになくなった母の姿と、まだ泣き声が声にならない赤ちゃんの姿がかぶりました。
あのときも時間がとまったようなはりつめた静寂に包まれていて、そこにいる人は誰も立ち入れない「結界」のようなものを感じました。
違った意味で、臨終の床の母にも侵しがたいオーラがありました。
もしかしたら、赤ちゃんも人の手に抱かれ、なじむようになるとこのオーラは消えてしまうのかもしれません。
人は一人で生まれ、一人で死んでいきます。
その両方の場面に続けて立ち会い、あらためて思いました。
最初の瞬間と最後の瞬間だけは誰も共有できないんだ。
まわりの人はその場に立ち会い、証人になることしかできない。
この世に生まれてくる命を寿ぎ、この世から消えていく命に敬意をはらう。
シンプルだけど最終的にそれしかできることがないのだ。
誕生と死の間は複雑でいろいろなものの影響を受けるけど、最初と最後は本当に、本当にシンプルなんだよね。
それにしてもこんな時間に生まれるなんて珍しい赤ちゃんだなー。
赤ちゃんってだいたい明け方に生まれるよね。
11時半っていきなり朝寝坊きわまりないな。
……とそこでまたはたと気づきました。
あれ??
このセリフ、どこかで聞いたことがある。
…そうだ。私だ。
私もこのくらいの時間に生まれて母から何度もそう言われたんだった。
姪が生まれた時間は……11時38分か。
え……なんか私もかなり近い気が……。
気になってあとで自分の母子手帳を調べてみました。
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ちなみに、誕生日こそ違いますが、私も生まれた曜日は水曜日でした。
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
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