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古伊万里★新伊万里

劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です

カテゴリー「舞台」の記事一覧

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10年間に1枚しか売れなかった理由

 「炎の人」を観ました。
 昔の日本人作家による戯曲で名作と呼ばれるものはなるべく観ておきたいので。
 「炎の人」はゴッホの生涯を描いた民藝の代表作(作者は三好十郎)で、今まで滝沢修、大滝秀治などが主役を演じてきました。
 今回は市村正親がゴッホ役に挑戦(ちなみに、彼は滝沢修の舞台を観て役者を志したそうです)。

 ネット上ではなかなか評判が良いようですが、私はやや期待はずれでした。
 前にもちょっと書きましたけど、評伝劇(実在の人物の話)ってほんとに難しい。当たりは滅多にありません。
 一番つまらないのは、「エピソードをそのまままぞる」タイプの作品。
 劇にされるくらいの人物ですから、劇的なエピソードには事欠かないのですが、その「事実の強さ」に作者が負けて安易に頼ってしまってるパターンが多く、作品としては「知識を得ただけ」にとどまるレベルがほとんど。
 それでも観客には有名人の生涯に対する野次馬的な好奇心はあるので、そういう面ではそこそこ満足できる。
 でもドラマとしては予想の範囲内なんですよねー。観客が本当に観たいのは、ドキュメンタリーには絶対出てこないフィクションの部分のおもしろさなわけですから。

 「炎の人」は、そういった「表面をなぞっただけ」の作品群とは一線を画していて、作者の思い入れが目一杯作品から溢れ出ています。そりゃあもううっとうしいくらい(笑)。
 作者がゴッホの何にひかれたのか、なぜこの作品を書こうと思ったのかがビンビン伝わってきます。
 それは評伝劇には欠かせないもので、すばらしいことだと思うのですが、作品としてそればかりが目立ってるというのがどうにもこうにも気になりました。

 ゴッホがどういう苦悩を抱えているのかはわかった。
 純粋でしつこいのもよーくわかった。
 でも語り過ぎだし、主張しすぎ。ついでにナレーションも多すぎです。
 しかもゴッホの左がかったプロレタリアっぽい部分が妙に強調されているような…。まあ民藝の依頼で書かれた作品だからしかたないのかもしれないけど。
 とにかく作者があまりにもてらいなくゴッホに同化しまくりなのが私にはついていけませんでした。

 きわめつけはエピローグ。
 いきなり作者の分身が現れてゴッホの魂に向かって熱い詩を捧げちゃうんですよ。
 「生前にあなたの絵を1枚も買わなかった人たちを私は憎む!」とかいうような。
 正直、ひきました。
 そんな作者の思いをそのままストレートにぶつけられても。。。
 そして締めのセリフが「きけ、今、あなたに拍手を送る」みたいなセリフですよ。
 そりゃあそれが締めのセリフなら拍手せざるを得ないですよね。
 でも観客の拍手をあらかじめ仕込みとして利用するようなやり方にはちょっと反発を感じました。
 いくらなんでもおしつけがましすぎでしょう。

 これについては、「三好十郎の作品は、私小説ならぬ私戯曲だ」とプログラムに書いてあって、激しく同意しました。
 それを肯定するのかどうかには賛否両論あるでしょうが、個人的には「私小説はOKだけど私戯曲は勘弁してほしい」です。
 文字だけの世界と、他人の肉体を通して再現される世界とでは生々しさが圧倒的に違います。ひとりよがりの世界をナマで見せられるくらい苦痛なことはありません。
 「炎の人」はそれなりにうまくできていたし、「苦痛」とは思わなかったけど、やはりもうちょっと他の人物の視点がほしいなと思いました。

 天才の苦悩を描こうと思ったら、次元の違う人物の視点から描くのは常套手段です。
 モーツァルトにはサリエリ。
 エリザベートにはトート。
 ジーザスにはユダ。
 エビータにはチェ・ゲバラ。
 成功している評伝劇はだいたいこのパターンです。
 天才は特別な存在ですから、そのまま書かれても「ああ、特別なんだな」で終わってしまいます。
 決して肯定するだけではない、第三者の視点を通して描かれることによって、初めてドラマの人物として血肉が通うようになるのではないでしょうか。

 そういう意味では、ゴッホにはゴーギャンが不可欠。
 2人の対立シーンは、このお芝居の中でもっとも緊迫感溢れるシーンですが、3時間という長尺の中でそのシーンはごくわずかです。
 1幕はパリのシーンで終わり、2人の共同生活が始まるアルルのシーンは2幕から。
 でも1幕だけで1時間40分もあるんですよ。これはちょっと長すぎる。
 私はアルルでの2人の生活をもっと詳細に観たかったし、そこだけを切り取って書いてほしいくらいでした。
 実際、ゴッホの絵が精彩を放ち始めたのはアルル以後ですからね。
 それまでの彼の人生を描きたかったのもわかりますが、しつこいようだけど1時間40分は長い。
 どこかの時代に焦点をしぼってくれないと、かえって平板な印象を受けてしまいます。

 もう一人、ゴッホの才能を支え続けた弟のテオも興味深い存在です。
 彼は凡人代表としていい狂言まわしになってくれると思います。
 さらに言えば、今回の舞台には登場しないけど、テオの奥さんっていうのも興味あるな。
 テオは身内だからしょうがないとしても、奥さんからみたらなんでこんな薄気味悪い義兄の面倒をここまでみなきゃいけないの?っていう葛藤がてんこもりだったと思うんですよね。
 この奥さんが言いそうなセリフ、1秒間で10個くらい浮かびます(笑)。
 だってテオったら、生まれた子供にまでゴッホの名前つけちゃったんですよ。どんだけ兄ちゃん好きなんだよ。
 奥さんにしてみたら「やめてよ、縁起でもない。この子までニート画家になったらどうしてくれるのよ」っていう気分でしょう。

 それにしてもです。
 ゴッホは10年間絵を描き続け、およそ1000点の作品を残しているのですが、生前に売れたのはたった1枚(それもテオが買った)だったとのこと。
 これってすごくないですか?
 10年間で1枚ですよ。
 この話をきくとみんな「気の毒に。当時の人にはゴッホの才能がわからなかったんだね」と言いますが、そんな次元じゃないでしょう、これは。
 だってどんなに才能なくたって、こんなに頑張って描き続けてたら、親戚なり友達なりが数枚くらいは義理で買ってあげてもいいじゃないですか。
 どうせそんな高い値段じゃ売らないんだろうし。
 なのに1枚だけって、これはっきり言って「うまい・下手」という問題以前に「嫌われてる」ってことでしょう。「人間」がじゃないですよ。「絵」がです。

 下手でも、毒にも薬にもならないような絵なら義理で買ってあげることもできただろうけど、ゴッホの絵は「義理」でも買って家に飾るのはいやな絵だったんじゃないでしょうか。
 たしかにゴッホの絵はすごいし、人の感情を動かす特別なものがありますが、そういう絵は美術館で観るからいいんであって、家のリビングとか寝室とかに飾る気にはちょっとなれません。
 気が滅入るというか、念がうつりそうというか、疲れて帰ってきたときに迎えられたい絵ではないですよね。

 人類すべての罪を背負って十字架にかかったのがキリストだとしたら、きっと人類すべてが目を背けたい人生の「澱」のようなものをキャンバスに塗り込めてきたのがゴッホだったのではないでしょうか。
 だとしたら誰も買おうとしなかったのはわからないではありません。
 今や投機対象になっているゴッホの絵ですが、やはりゴッホの絵に値段をつけるのには違和感があります。
 ゴッホの絵はもはや魂のこもった生き物であり、売買できるようなものではないと思うのですがどうでしょう。

 話は変わりますが、7月からまた新しいクールのドラマが始まりつつあります。
 いつもこの時期になると「今回はどれがお勧め?」と聞かれるんですが、さすがに観る前から推薦はできません。
 ただ、毎回スタート直前になると、番宣などを見ながら各ドラマへの期待度をコメントつきでまとめて編集部にメールすることになっていますので、もし参考までに見てみたいという方はメールしますのでご連絡下さい。

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夏至前夜の夢物語

 梅雨に入ってから、いよいよ本格的に花や野菜に虫がつくようになりました。
 ルッコラとかベビーリーフなんて油断するとすぐに穴だらけになるんで、どっちが早く食べるか虫との競争みたいな毎日です。
 「もうちょっと大きくなってから」なんて思ってるとその翌日にやられてたりして悔しさ倍増。
 株の売買よりタイミングはかるのが難しいです。
 あんまり食べられ続けると、「いつもおいしいご飯をありがとう!」と虫から感謝されてる賄いのおばさんになったような気分でむかつきます。

 さて、今日は久々に観劇のお話を。
 先日、知人の岡本舞さんが演出する無名塾の稽古場公演「令嬢と召使」を観てきました。
 「令嬢と召使」の原作は「令嬢ジュリー」というストリンドベリの戯曲で、つい最近、純名りさ×貴水博之という組み合わせで上演されました。
 じつは私、これを観るつもりだったんですが、他の公演のチケットとりに追われてグズグズしているうちに完売(ToT)
 まさか売り切れることはあるまいと高をくくっていただけに、手に入らないとなるとよけいに未練が残り、「どっかでもう一度やらないかなー」と虫のいいことを言っていたら舞さんから「今度『令嬢と召使』をやるんです」というご案内が!
 言霊って本当にあるのかも(^o^)

 舞さんは無名塾の3期生ですが、この作品にはなみなみならぬ思い入れがあるようです。
 というのも、今から15年ほど前、舞さんが女優としての最大転換期に出会ったのが、今回の作品の原作である「令嬢ジュリー」だったから。 
 そのときは、タイトルロールのジュリー役を舞さんが、召使のジャン役を仲代達矢さんが演じました。
 つまり今回は、かつて自分の演じた役(作品)を演出するわけです。
 おお、月影千草みたいだ。かっこええ。
 と外野は無責任に思うのですが、ご本人は相当プレッシャーだったようで、チケットに添えられた案内状には「やせそうです…」と書かれてました。

 で、観た感想ですが、いろいろな意味で刺激的な公演でした。
 まずびっくりしたのは稽古場の立派さ!
 無名塾の公演を観るのは今回が初めてなので、もちろん稽古場(仲代さんのご自宅も兼ねています)に行くのも初めてです。 
 二子玉川駅からタクシーに乗って緑の多いお屋敷街に入り込み、無名坂と呼ばれる急坂を一気に上ると、いきなりヨーロッパの修道院のような瀟洒なレンガ作りの建物が…!
 中に入ると、ちょっとした小劇場くらいにはなりそうな広さの稽古場。
 2階まで吹き抜けになっているため、天井が高く、照明も劇場並みに吊り込めるようになっています。
 広いだけでなく、窓があって表の緑や自然光もとりこめるようになっているのがまた贅沢。
 壁には歴代の上演作品のポスターがずらりと並んでいて、ここに刻まれてきた歴史の重みを感じさせてくれます。
 並べられた椅子の数はせいぜい60くらい。
 客席以外はすべて舞台として使われており、他の部屋からの出入りだけでなく、2階のバルコニー部分から上り下りしたり、壁際に雑多に並んだ小道具や衣装を自由に使ったり、はては床下収納スペースから小道具をとりだしたり…と、水平方向にも垂直方向にもフルにスペースを使っていたのがおもしろかったです。
 「この稽古場はこんなふうな作りになってるんだ〜」と作品とはまったく関係ない部分でも感心したりして(笑)。

 ここで話の内容をちょっと説明。
 ストリンドベリはスウェーデンの作家なので、場所は北欧という設定。
 伯爵令嬢のジュリーは気位が高く、超わがままでサディスティックなお嬢様。
 彼女はフェミニストの母親から「男に屈服しないこと」を要求され、男並みの教育を受け、すっかり男嫌いになってしまうが、その一方で無理矢理のぼらされた高い場所に孤独と不安と息苦しさを感じている。
 召使のジャンは上昇志向の強い野心家だが、ご主人様の伯爵(ジュリーの父)の前に出るとどうしても卑屈な自分から抜け出すことができない。
 物語の冒頭。ジュリーは「高い塔の上からどこまでも落ちて行く夢」を見る。
 そしてジャンは「太陽の光を目指し、どこまでも木を登っていく夢」を見る。
 2人の夢は未完に終わり、そこから物語が始まる。
 夏至祭の夜、たわむれにジャンを誘惑しようとするジュリー。
 ジャンはジュリーの命令には逆らえず、彼女のわがままに翻弄される。
 ところが、ふとしたはずみで肉体関係を結んでしまったことで、2人の立場は逆転する。
 高みからひきずりおろされたジュリーはジャンの愛と命令を乞い、ジャンはジュリーの心をいたぶり、支配する。
 身分という現実に縛られたこの場所から逃げだそうとする2人だが、伯爵が帰ってくる馬車の音が聞こえてきたとたん、ジャンは現実に戻ってしまい…。

 すごくわかりやすく翻訳しちゃうと「令嬢ジュリー」はそんな感じの話です。
 今回の笹部博司版「令嬢と召使」は、内容としてはほとんど原作のままなのですが、違うのは令嬢と召使に名前がないこと。最初に男優と女優が登場して夢の話をし、その延長で芝居ごっこのような感じで「令嬢ジュリー」の話を演じ始め、最後はまた現実の役者に戻るという入れ子構造になっていること。原作には2人の他にジャンの婚約者の召使女や村人なども登場するが、「令嬢と召使」では役者は2人しか登場せず、召使女は令嬢と同じ女優が演じること。大きく異なるのはこんなところでしょうか。
 以上の相違点はネットに載っているデータから類推したもので、「令嬢ジュリー」のほうもちゃんと観たうえでの比較ではないのですが、今回観た限りでは「うーん。わざわざ改変する意味あったのかなー?」というのが正直な感想。

 役者が出てきてある役を演じることで、現実とフィクションの力関係が逆転してしまう…という図式はよくありがちな構造ですが、今回の場合、その構造が浮いているように感じました。
 だってわざわざそんな前置き入れなくたって、すべての芝居はそういう要素を持ってるわけじゃないですか。役者が役を演じるってことはそもそもそういうことでしょ?
 だったら、まずは役者2人が素っぽい感じで登場し、儀式のようにその場で衣装を着けて小道具を持つ…という始まりから入る程度でも充分その意図は伝わると思うんですが。
 なまじ現代の男と女の風景から入って意味ありげなセリフや動きを見せられると、「この2人はどういう関係なんだろう」「どういう設定でしゃべってるんだろう」といったよけいなことに意識がいってしまい、本編の世界に没入する妨げになっちゃうんですよ。

 本編には多分に「寓話」的な要素が入ってると思いましたが、それでも「身分差」が絶対的な障害として実感できないと、そこに提示される苦悩も抽象的にしか実感できないと思うんですよね。
 今回は稽古場公演ということで、装置もないし、衣装もシンプルだし、それはよく言えば普遍的な話にできるんだけど、逆に言えば「時代性を感じにくい」とも言えるわけで、現代人の目から見ると「そこまで大袈裟に悩むことか?」と思う部分がなくもない。
 そう思ってしまうのはきっと2人が現代的に見えてしまうからであり、それは役者のせいというよりは脚本の構造のせいじゃないかと思ったのです。
 「芝居ごっこ」からスタートしている以上、本編も「現代人のお遊び(退屈しのぎ)」みたいに見えてしまうというか…。

 時々2人が「素」に戻って「もうやめようよ」「いやよ。まだ続けるわ」みたいなセリフをかわすところがあるんですが(ここは脚色部分だと思われ)、これがまたよけいに「この2人、どんな事情があってこんな芝居ごっこやってるの?」と現代パートのほうに関心がいってしまう逆効果をかもしだしていて、結局「本編を通して現代の2人の葛藤を想像する」という本末転倒な結果になってしまってるんです。
 「それはそれでいいじゃん」という考え方もあるかもしれませんが、そういう作品として観るには現代パートの情報があまりにも少ないので、やっぱり落ち着かない気分になるんですよね。
 ラーメンをおかずにご飯食べたみたいな。
 いや、それが好きな人がいるにしてもですよ。

 令嬢と召使女を1人の役者で演じるというのも、もともとの原作がそのように書かれているわけではないはずなので、その2役が会話する場面とかが出てきちゃうんですよ。
 そのときは女優が落語のように一人で会話を処理するんですが、これまた落ち着かない。
 2人の対立は重要な場面なだけに、普通に2人の女優で観たかったと思いました。

 じつは、最初はストリンドベリがどこの国の人なのか知らずに観ていたんですが、観ていてなんとなく「イプセンに似てるなー」と思ったんです。
 そしたら、同じ北欧の作家(イプセンはノルウェー)で、実際ストリンドベリはかなりイプセンをライバル視していたらしいことがあとで判明。
 イプセンの代表作「人形の家」は、「女が無知だとどういう悲劇が起きるか」という啓蒙的な話でしたが、「令嬢ジュリー」は「女が知恵をつけすぎるとどういう悲劇が起きるか」という「人形の家」を裏から見たようなお話。いわば「裏イプセン」ですね。ライバル視という言葉に納得です。
 ストリンドベリは何回も結婚に失敗して数々の修羅場をくぐり抜けてきたらしいですが、そのせいなのかなんなのか、「ストリンドベリの作品は女性への憎悪に満ちみちている」と評する人もいます。
 なるほど、たしかにジュリーの描写は女から見るとムッとする部分があるかも(笑)。

 演じる2人は無名塾の若手俳優(若手といっても30代ですが)。
 びっくりしたのは召使役の男優さん(川村進)が超イケメンだったこと。イケメンには興味の薄い私の目をも釘付けにするほどのオーラを放ってました。
 写真を見る限りでは涼しげな目元の二枚目(無名塾は濃い顔の人が多いのでこういう顔は珍しい)という印象しかないのですが、ナマで見ると表情にすごく力があって、身のこなしにも色気があります。身長も190近くあってモデル並みのプロポーション!
 ただ、あまりにもオーラがありすぎて、前半の召使の卑屈さがあまり感じられなかったのが残念。最初からなんかふてぶてしいというか、腹に一物ありそうで、後半の逆転が思ったほど衝撃的じゃなかったんですよね。

 一方、令嬢役の女優さん(渡部晶子)はわりと童顔系のぽちゃっとした顔立ちで、かわいらしいんだけどちょっと令嬢というには違和感が……(ご本人もパンフに書いておられましたが)。
 金持ちの娘くらいには見えるけど、高貴な身分というには…うーーん。
 2役で「地に足のついた召使女」も演じていたのですが、こちらはピッタリ。
 失礼ながら、同行の友人とは「『令嬢と召使』っていうよりは『王子と召使』っていう感じだよね」と話してました(笑)。

 でもお2人とも終始緊張感漂う熱いお芝居を見せてくれて、濃密な時間を楽しむことができました。
 こういう芝居観ると、やっぱり向こうの人は「肉食」だよなーと実感しますね。
 そのエネルギーに感化されたのか、エネルギーを奪われたのかはわかりませんが、終演後は鈴木光司似のこだわりマスターがいるビストロで豚肉と仔牛肉を貪り食い、さらに電車の中でも羊の話をして帰りました。
 翌日は体重が1キロ増えてたので、奪われたエネルギーのもとはとったようです。

 余談ですが、物語の設定が「夏至祭の夜」となっていますが、これはスウェーデンではかなり重要なイベントらしいです(ある意味、クリスマス以上かも)。
 日本では「夏至」と言っても「一年で一番日が長い日」くらいの認識しかないし、特別な思い入れはないけれど、一年を通して太陽を拝める時間が少ない北欧では「一年で一番長く太陽の恵みを受けられる日」である夏至は特別な日。
 シェイクスピアの「夏の夜の夢」も最初は「真夏〜」と誤訳されてましたが、原語の「midsummer」は「夏至」のことで、やはり「夏至祭の夜」の出来事を描いたものです。
 北欧では、白夜となる夏至祭には、太陽の光を愛おしむように一晩中外でどんちゃん騒ぎをするそうです(気候的にはけっこうまだ夜は寒いと思うのですが)。
 太陽のパワーがマックスになる夏至の日だからこそ、こういう非日常の不思議な逆転劇を引き起こすエネルギーが生まれるのだと作者は考えたのでしょうか。
 そういえば、このお芝居を観た日はくしくも夏至前日でした。

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心に残った“ベストプレイ5”(2008年度)

 今年も残すところあと1日となりました。
 というわけで、恒例の「心に残った“ベストプレイ5”」を発表したいと思います。

 イベント続きで忙しかった昨年に続き、今年も観劇本数は少なめでした(特に前半は)。もっとも今年は忙しいというより、精神的に疲弊していて観劇する元気がなかったというほうが正確なんですが…。
 数えてみたら年間観劇数は44本でした。これはくしくも昨年と同じ数になります。自分にとっては60本くらいがベストの本数かなと思っているので、やっぱりこれだとちょっと少なめかなー。
 それではさっそく印象に残った5本をあげてみましょう(観劇順)。

 「罠」(R.トマ)
   《池袋/サンシャイン劇場》
 「赤シャツ」(マキノノゾミ)
   《新宿/紀伊國屋ホール》
 「空の定義」(青木豪)
   《六本木/俳優座劇場》
 「ラヴ・レターズ」(A.R.ガーニー)
   《京橋/ルテアトル銀座》
 「愛と青春の宝塚」(大石静)
   《新宿/新宿コマ劇場》

 44本をざーっと見渡してみると、今年は比較的「大はずれ」は少なかったような気がします。ないとは決して言いませんが…。
 ただ、観終わったあとはそこそこ「おもしろい」と感じた作品は多くても、時間が経つと薄れてしまうというか、いや、薄れてもいいんだけど、「印象に残った」までいかないというか、ひらたく言うと選ぶ決め手に欠ける作品が多かったのは事実です。

 「罠」の作者トマは、フランスの作家で、いわゆるサスペンス・推理もののジャンルでの大御所です。
 今年は「罠」と「フレディ」という2本のトマ作品を観たのですが、圧倒的に「罠」のほうが完成度高かったです。
 ミステリなので中身には触れませんが、すごくよくできた話で、だまされる醍醐味を存分に味わえます。この手のジャンルでは教科書的作品といってもいいでしょう。
 ただし、役者の出来にはばらつきがあり、もうちょっと頑張ってほしかった人もいました。かみかみ率が異様に高かったのも残念。

 「赤シャツ」は、マキノノゾミが、その昔青年座のために書き下ろした作品。
 「フユヒコ」「MOTHER」と合わせて3部作として連続上演されていましたが、私は「赤シャツ」が一番よかった。
 「フユヒコ」は寺田寅彦、「MOTHER」は与謝野鉄幹・晶子夫妻……と、いずれも実在の人物がモデルですが、「赤シャツ」は「坊ちゃん」の中の脇役を主役に据えるという、いわば漱石の作品を換骨奪胎して作り上げたもの。これが書かれた当時はまだこの言葉はメジャーではなかったと思いますが、今はやりの「スピンオフ(外伝)」です。
 元ネタがあるんだから楽だろうと思われる人もいるかもしれませんが、それは逆です。自分で作ったものの外伝を作るのならともかく、他人の作品、それもムチャクチャ著名な文豪の代表作に手をつけるんですから、これは相当な覚悟が必要です。元ネタが有名であればあるほどそれにひきずられてしまう危険は大きいですし、実際、既存の有名作品を下敷きにするのは非常に難しいのです。
 でも、この「赤シャツ」では、“赤シャツ”と呼ばれた作中の男に対する作者の思い入れや愛情がビンビンに伝わってきたので、その一点ですべてを乗り越えられたように思います。
 原作は“坊ちゃん”と呼ばれた男の一人称で書かれているので、作中の人物はもれなく、ちょっとKYな“坊ちゃんフィルタ”を通して描かれていますが、そのフィルタをとりはずしてくれるのがこの「赤シャツ」です。
 原作のストーリーをなぞりながら、原作とはまったく違う部分が描かれるこの作品には“坊ちゃん”が1回も登場しません。“坊ちゃん”のむこうみずな行動のために迷惑をかけられまくっている周囲の人々が、「“坊ちゃん先生”にも困ったものだ」とこぼすときに話題の中に登場するのみ。
 言ってみれば、これは“坊ちゃん”が知らないところで進行している裏ストーリーなのです。
 たしかに現代人の目から見たら“赤シャツ”が一番共感しやすいと思うし、“坊ちゃん”とか現実にいたらチョー迷惑かも……と思いました。
 他にも“マドンナ”が邪なストーカーだったり、“赤シャツ”が“うらなり”を敬愛してたり、などなど、楽しめる要素が満載。そして最後には“坊ちゃん”にズタボロにボコられた“赤シャツ”にほのかな幸せが待っていて……とラストもいい感じでした。
 マキノ作品は形を作ろう作ろうとする傾向があって、後半はグダグダに流れるケースが多いのですが、「赤シャツ」は「気持ち」がしっかり描けていた結果、「形」もきれいにまとまったという良い例だと思いました。

 「空の定義」は、ちょっと前半テンポ遅いなと思うところもなくはなかったんだけど、そしてやや頭で作られてる感じがあったことも否めないんだけど、終盤はぐいぐいひきつけたし、伏線もきれいに拾われていたし、言いたいことも伝わってきたし、よくできた作品だと思いました。
 今、「現代」の「日本」で生きる「等身大」の人々のリアルなドラマをオリジナルで作るのって非常に難しいです。
 時代を変えたり、SFっぽくしたり、非日常的な事件(殺人とか病気とか)を入れ込まないとドラマが作れないような傾向にある中、「今生きている普通の人たち」に起きるドラマを正面からしっかり描いている点に好感をもちました。

 「ラヴ・レターズ」はリーディングなのでちょっと例外っぽいんですが、多分これが今年一番ひきつけられた作品なのであげてみました。
 詳細はホームページに書いたレビューをご覧ください。

 最後の「愛と青春の宝塚」は、以前お正月のTVドラマで放送された作品を、同じ作者(大石静)が舞台化したもので、戦時中のタカラジェンヌの青春群像を描いた作品。
 大石静は現在TVメインで活躍していますが、元々は永井愛とともに二兎社を主宰していた作家だけあって、舞台のツボも心得ています。
 両方観たけど、舞台のほうが断然いい。
 まあ、出演者がまったく違うんでいちがいに比較はできないけど…。
 ものすごくベタな展開だし、涙腺攻撃をこれでもかとしてくるあざとさも満載ですが、久々に「商業演劇」らしい舞台を観た気分になりました。いい意味で小劇場っぽい小細工がないのもよかった。これだけ大きな劇場でやるなら、やっぱりここまで直球でやってほしいなと思いましたね。
 そしてなによりも出演者を宝塚OGで固めた効果は大きかった。
 正直、TVで同じ役をやった女優たちは見るにしのびなかったです。申し訳ないけど。
 頑張ってるのはわかるんだけど、宝塚スターは一朝一夕にできあがるものではないので、いくらそれらしく作っても違和感だけが募っていき、似て非なるものを見せられている気持ち悪さがどうしても拭えなくて。
 芸の部分でもそうなんですが、それだけではありません。
 宝塚の生徒というのは集団になったときにものすごいエネルギーとオーラを発散して、それが見る人の心を打つんですが、そのパッションがTV版ではまったく感じられなかった。「いかに華やかに見せるか」「いかにスターらしくふるまえるか(歌えるか、踊れるか)」という「形」だけで精一杯って感じで。
 舞台版では、みんなそんなものはとっくに身に付いているので無理しなくてもクリアできてたし、むしろ純粋で真摯なエネルギーだけがストレートに前面におしだされていて、そこに泣きました。ある意味泥くさいエネルギーなんですが、何千人という規模の大きい空間を埋めるためのキャリアを積んでいる彼女たちならではの仕事だと思いました。
 ただ、意外に華やかな部分は少ない(戦時中の話なので)ので、ヴィジュアル面での見せ場はもうひとつ物足りない感じはしました。

 以上です。
 ちなみに、毎回高水準のオリジナルを出してくる三谷幸喜の新作「グッドナイト スリイプタイト」は、期待通り楽しめたんですが、よくも悪くも期待以上ではなかったです。
 やっぱり2人芝居ってのは難しいですね。今回は上演時間2時間といつもより短めでしたが、それでも最後の方は長く感じられました。結末がわかっているものだし、その過程にもすごいサスペンスや秘密があるわけじゃなく、語られるのは最初から最後まで2人の個人的な問題だけなので、時間の行き来が頻繁にあるという趣向はあるものの、少しずつだれてくるのは否めませんでした。個人的には「コンフィダント・絆」や「恐れを知らない川上音二郎一座」のほうが三谷らしいエネルギーが感じられて好きだったなー。
 とはいえ、他の作家が同じような話を書いたらもっと退屈するとは思うので、そのへんはさすが三谷という感じですが…。
 あと戸田さんの役が決まってきちゃって、既視感があるのが損してるなあと。もっといろいろできる人なのにもったいない。
 ……てなわけで今回三谷作品は入れませんでした。

 来年も心躍る舞台に出会えますように!
 皆様も良いお年をお迎え下さい。

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プロフィール

HN:
伊万里
性別:
女性
職業:
劇作家・ライター
趣味:
旅行 骨董 庭仕事

著作



「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」

Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!

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