古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
サイトリニューアルと春の公演告知
- 2012/02/03 (Fri)
- 劇作家修業 |
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秋の公演が終わった疲れもとれないうちにもう春の公演の準備です。
その告知に合わせて、このたび自分のWEBサイトを大々的にリニューアルすることにしました。
節分の翌日(新しい年の始まり)にオープンする予定でしたが、数時間早くアップロードが済んでしまいましたのでお知らせします。
「唐沢伊万里 official web site」
自分のサイトを作ったのはネットを始めた1999年の夏至の日ですから、今から13年前のこと。
作成ソフトを買ってきて一から自分で作り「唐沢伊万里のデジタルテキスト見本市」というタイトルのサイトをたちあげました。
パソコンを買って、メールを始めたのが5月ですから、それから1ヶ月でサイトまで作ったのは我ながら「あっぱれ」だったと思います。
最初は、「エッセイ」やら「舞台レビュー」やら「友達との対談」やら「旅行記」やらいろいろな記事をアップしてたんですが、当時の作成ソフトですから更新もなかなか面倒。
記事が少ないうちはまだよかったんだけど、記事が増えるにつれて構造もだんだん複雑になっていって、ますます億劫に。
そうこうしているうちにブログとかツイッターとか簡単に更新できるものが登場してきて、身辺雑記的なことはそっちで充分間に合うようになり、サイトはすっかり存在意義をなくしてしまいました。
これではもったいない!
……ということで、思い切って作成ソフトを新しいものに買い変え、サイトの内容もまた一から作り直すことにしました。
13年前はまだ劇作の仕事もしていなかったし、サイトといっても個人の趣味的な色合いが強かったのですが、少しずつ作品も上演されるようになったし、サイトも広報宣伝的役割に大きくシフトしていったほうがよいのかもしれないという判断からです。
いやー、新しいソフトすごいです。
私はMACユーザーなのでソフトといっても選択肢はほぼ2つに限られ、当然値段の安い手軽なほうを選んだんですが、それでもびっくりするくらい機能が充実していて、昔より全然使いやすい!
至れり尽くせりとはまさにこのこと\(^o^)/
そんなわけで、まずは春の公演告知をバーーンッと出しました。
今回は書き下ろしではなく、7年前に名古屋で初演されたものの再演なのですが、時間がかなりたっているため、大幅に直しを入れました。
自分的にはかなりブラッシュアップされたと思っています。
秋の公演では専用ブログを作って稽古や本番の模様をアップしたりしたんですが、一人で続けるのはやっぱりかなり大変だったので、今度の公演はfacebookのイベントページを使って楽をすることにしました(^_^;)
アップツーデートな情報についてはこちらをご覧ください。
『ハーフムーン』イベントページ
今回は出演者も若手が多いので、彼らにも参加してもらってなるべく頻繁に更新できれば…と思っています。
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世界一せつないヒーロー
- 2011/12/31 (Sat)
- TV(ドラマ) |
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ドラマ評の連載が終わってしまってから、めっきりドラマを見なくなりました。
見切るまでの時間がどんどん早くなり、1クール最後まで見通すのはせいぜい2〜3本(前は7〜8本は完走してました)。
完走するのはそれなりに興味をそそられたからですが、おもしろかったからといってレビューを書きたくなるかというとそういうわけでもなく、気がつけばずっとドラマの話は書いていません。
そんな中、久々にレビューを書きたいと思えるドラマがあったので、2011年最後の記事は終わったばかりのこのドラマについて書こうと思います。
秋クールの中で私が一番好きだったドラマ……それは40%を記録した『家政婦のミタ』でもなく、お金のかかった『南極大陸』でもなく、『妖怪人間ベム』でした。
ご存知の通り、原作は40年以上前に放送されていた子供向けアニメです。
子供向けといっても決してかわいらしいタッチではなく、絵柄といい、ストーリーといい、人によってはトラウマになるような怪奇趣味満載な内容でした。
海外アニメではないのに、舞台設定は無国籍な感じですし、キャラの顔立ちもバタくさいし、なんとも風変わりな作品でした。
私は当時、小学校にあがったばかりくらいの年齢だったので、話の内容は正直あまりよく憶えていませんし、主題歌中の「早く人間になりたい!」というセリフが流行していたことが印象に残っている程度です。
なので、これから書くレビューはあくまでもまっさらな目で見た実写版『妖怪人間ベム』についてであり、アニメとの比較などはできませんのでご了承ください。
このドラマの基本は、今まで数えきれないほど作られてきた「正義が悪をこらしめるヒーロー」系譜のお話です。
普段は人間(に近い)容貌をしているが、悪をこらしめるときには異形の姿に変身し、超人的な力を発揮する……という「変身もの」の要素とセットになっているのもお約束のパターンです。
にもかかわらず、他の類似ストーリーとは一線を画す斬新な設定がこのドラマにはいくつもあるのです。
ベム(亀梨和也)、ベラ(杏)、ベロ(鈴木福)の3人は、「人間になりきれなかった人造人間の未完成品」としてこの世に生を受けました。
「早く人間になりたい!」というセリフは、「完全体」になりたいという叫びであり、人間への強い憧れを表す求愛の言葉でもあります。
人間になる方法が必ずあるはずと信じ、時代を超えて放浪の旅を続けるベムたちですが、彼らにはとてもつらい秘密がありました。
それは「感情が激すると妖怪の姿に変わってしまうこと」です。
ここが一つ目のポイントです。
普通、「ヒーローの変身もの」は「悪を倒すための特殊能力」を発揮するために、「意図的」に変身しますが、彼らは「はからずも」変身してしまう。
人間になりたい彼らにとって「変身」はできればしたくない不本意なもの。特に人間が見ている前では。
なぜなら、その恐ろしい姿ゆえ、変身後は無条件で人間に拒否られてしまうからです。
助けた相手に感謝されるどころか、手のひらを返したように罵られ石を投げられるという残酷な運命。
体の傷は一瞬で治癒してしまう彼らですが、裏切られるたびに味わう心の痛みは澱のようにたまっていきす。
でも人間が大好きな彼らは、困っている人間を助けずにいられない。
助ける→嫌われる→逃げる
この繰り返しです。
また、「変身」のきっかけは「感情が激したとき」なので、「悪への怒り」だけでなく、「裏切られた悲しみ」「受け入れてもらえたときの喜び」すら「変身」の衝動につながってしまいます。
心置きなく変身できる場所は限られており、彼らは常に「変身」の衝動と戦い、自らの感情をストイックに抑えようとします。
そういう意味では、「自分の意志で動くと周囲の人間が不幸になる」という呪縛から感情を封印した『家政婦のミタ』の三田さんと妖怪人間はとても似ています。
二つ目のポイントは、「人間を助けるために闘うその相手もまた人間である」ということ。
目の前にいる敵は、地球征服を企む巨大な秘密組織でもなく、ましてや同族の妖怪でもなく、さっきまで自分に優しく接してくれたごくありふれた人間たちです。
人間には、きっかけさえあれば簡単に悪にころび他人を傷つける「弱さ」があるということに気づく彼らですが、それでも人間になりたいという望みは断ちがたく、人間を愛するがゆえに道を踏み外す人間への「人間なのになぜ!」という怒りもいっそう増していきます。
以上の二点の理由から、相手を倒したあとに元の姿に戻る彼らの姿には毎回なんともいえない寂寥感が漂います。
悪をこらしめればこらしめるほど募っていく悲しみ、空しさ、やるせなさ。
これほどカタルシスのない後味の悪いヒーローがこれまでいたでしょうか?
最後に彼らは「人間を守るため」に「人間になれるチャンス」を永久に失う選択をします。
この選択は充分予測できるものだったし、妖怪人間である自分を受け入れてくれた初めての人間との別れがラストにくることも、終わってみれば「それしかないよな」と納得できる終わり方でした。
ただ、終わってからずっと消えなかったのは「彼らはなぜそこまでして人間になりたかったんだろう」という疑問でした。
人間でなくても受け入れてくれる人に出会えた。
自分を守ろうとしてくれた人に出会えた。
それだけじゃダメなのか…と。
そこで、ハッと気づいたのです。
「早く人間になりたい!」という言葉は、「人間」こそが完成形であり、人間未満の彼らは不完全であるという意味に一見思えますが、それは違うのかもしれないと。
そういうふうにミスリードしてるけどそれは逆で、純度の高いイノセントな存在である彼らこそが人間本来の姿であるというメッセージがそこにあるのではないかと。
彼らは疑似家族のように3人だけで放浪し、どこへ行っても居場所がみつけられません。
「人間になる」ということはコミュ二ティーに所属するということですが、それは不純で理不尽な要素にまみれていくということを意味します。
環境に支配され、力関係ができて、そこから邪な心が芽生える。
「性善説」を体現したかのような彼らの存在は、人間にとって「本来こうありたかった」と思わせてくれる存在なのではないでしょうか。
人間に近づきたいと願いつつ、寸止め状態をキープしながら永遠に葛藤し続ける道を選ぶってそういうことですよね。
最初は「人間になれなかったかわいそうな半端な存在」として描かれるのかと思って見始めたのですが、最後まで見たらすっかり視点が変わってしまいました。
それだけではありません。
妖怪人間の葛藤にここまで感情移入してしまうのは、彼らに現実世界に生きる自分たちのメタファも見いだせるからだと思います。
変身後の醜い姿は、誰もが持っている一番「ピュア」な部分。
そのピュアさはむきだしにすれば人を傷つけるかもしれない。
目の前にいる愛しい人が眉をひそめて去っていってしまうかもしれない。
孤立無援になってしまうかもしれない。
だから絶対に出してはいけない。
出さなければとりあえず安泰に生きていけるのだから。
それでも、出さずにはいられないときがある。
出さなければならないときがある。
たとえ孤独になっても…。
大きなものを失っても…。
そういう気持ちが「うーん、わかるよ。わかる」という人ならば、彼らの変身シーンは涙なしで見られないはずです。
彼らはずっと変身し続ける道を選びました。
「(変身)しないで」「人間になってください」と望む大切な人の声をふりきって。
人間に同化するのではなく、「私たちを拒絶しますか?」というリトマス試験紙であり続ける道を選んだ妖怪人間。
人間は心してその選択を受け入れなければならないでしょう。
話の内容もすばらしかったですが、「詩情」という言葉がぴったりな美しい世界観を作り上げたキャスト・スタッフの健闘にも拍手です。
あと数時間で今年も終わりです。
来年もレビューが書きたくなるドラマに出会えることを祈って…。
見切るまでの時間がどんどん早くなり、1クール最後まで見通すのはせいぜい2〜3本(前は7〜8本は完走してました)。
完走するのはそれなりに興味をそそられたからですが、おもしろかったからといってレビューを書きたくなるかというとそういうわけでもなく、気がつけばずっとドラマの話は書いていません。
そんな中、久々にレビューを書きたいと思えるドラマがあったので、2011年最後の記事は終わったばかりのこのドラマについて書こうと思います。
秋クールの中で私が一番好きだったドラマ……それは40%を記録した『家政婦のミタ』でもなく、お金のかかった『南極大陸』でもなく、『妖怪人間ベム』でした。
ご存知の通り、原作は40年以上前に放送されていた子供向けアニメです。
子供向けといっても決してかわいらしいタッチではなく、絵柄といい、ストーリーといい、人によってはトラウマになるような怪奇趣味満載な内容でした。
海外アニメではないのに、舞台設定は無国籍な感じですし、キャラの顔立ちもバタくさいし、なんとも風変わりな作品でした。
私は当時、小学校にあがったばかりくらいの年齢だったので、話の内容は正直あまりよく憶えていませんし、主題歌中の「早く人間になりたい!」というセリフが流行していたことが印象に残っている程度です。
なので、これから書くレビューはあくまでもまっさらな目で見た実写版『妖怪人間ベム』についてであり、アニメとの比較などはできませんのでご了承ください。
このドラマの基本は、今まで数えきれないほど作られてきた「正義が悪をこらしめるヒーロー」系譜のお話です。
普段は人間(に近い)容貌をしているが、悪をこらしめるときには異形の姿に変身し、超人的な力を発揮する……という「変身もの」の要素とセットになっているのもお約束のパターンです。
にもかかわらず、他の類似ストーリーとは一線を画す斬新な設定がこのドラマにはいくつもあるのです。
ベム(亀梨和也)、ベラ(杏)、ベロ(鈴木福)の3人は、「人間になりきれなかった人造人間の未完成品」としてこの世に生を受けました。
「早く人間になりたい!」というセリフは、「完全体」になりたいという叫びであり、人間への強い憧れを表す求愛の言葉でもあります。
人間になる方法が必ずあるはずと信じ、時代を超えて放浪の旅を続けるベムたちですが、彼らにはとてもつらい秘密がありました。
それは「感情が激すると妖怪の姿に変わってしまうこと」です。
ここが一つ目のポイントです。
普通、「ヒーローの変身もの」は「悪を倒すための特殊能力」を発揮するために、「意図的」に変身しますが、彼らは「はからずも」変身してしまう。
人間になりたい彼らにとって「変身」はできればしたくない不本意なもの。特に人間が見ている前では。
なぜなら、その恐ろしい姿ゆえ、変身後は無条件で人間に拒否られてしまうからです。
助けた相手に感謝されるどころか、手のひらを返したように罵られ石を投げられるという残酷な運命。
体の傷は一瞬で治癒してしまう彼らですが、裏切られるたびに味わう心の痛みは澱のようにたまっていきす。
でも人間が大好きな彼らは、困っている人間を助けずにいられない。
助ける→嫌われる→逃げる
この繰り返しです。
また、「変身」のきっかけは「感情が激したとき」なので、「悪への怒り」だけでなく、「裏切られた悲しみ」「受け入れてもらえたときの喜び」すら「変身」の衝動につながってしまいます。
心置きなく変身できる場所は限られており、彼らは常に「変身」の衝動と戦い、自らの感情をストイックに抑えようとします。
そういう意味では、「自分の意志で動くと周囲の人間が不幸になる」という呪縛から感情を封印した『家政婦のミタ』の三田さんと妖怪人間はとても似ています。
二つ目のポイントは、「人間を助けるために闘うその相手もまた人間である」ということ。
目の前にいる敵は、地球征服を企む巨大な秘密組織でもなく、ましてや同族の妖怪でもなく、さっきまで自分に優しく接してくれたごくありふれた人間たちです。
人間には、きっかけさえあれば簡単に悪にころび他人を傷つける「弱さ」があるということに気づく彼らですが、それでも人間になりたいという望みは断ちがたく、人間を愛するがゆえに道を踏み外す人間への「人間なのになぜ!」という怒りもいっそう増していきます。
以上の二点の理由から、相手を倒したあとに元の姿に戻る彼らの姿には毎回なんともいえない寂寥感が漂います。
悪をこらしめればこらしめるほど募っていく悲しみ、空しさ、やるせなさ。
これほどカタルシスのない後味の悪いヒーローがこれまでいたでしょうか?
最後に彼らは「人間を守るため」に「人間になれるチャンス」を永久に失う選択をします。
この選択は充分予測できるものだったし、妖怪人間である自分を受け入れてくれた初めての人間との別れがラストにくることも、終わってみれば「それしかないよな」と納得できる終わり方でした。
ただ、終わってからずっと消えなかったのは「彼らはなぜそこまでして人間になりたかったんだろう」という疑問でした。
人間でなくても受け入れてくれる人に出会えた。
自分を守ろうとしてくれた人に出会えた。
それだけじゃダメなのか…と。
そこで、ハッと気づいたのです。
「早く人間になりたい!」という言葉は、「人間」こそが完成形であり、人間未満の彼らは不完全であるという意味に一見思えますが、それは違うのかもしれないと。
そういうふうにミスリードしてるけどそれは逆で、純度の高いイノセントな存在である彼らこそが人間本来の姿であるというメッセージがそこにあるのではないかと。
彼らは疑似家族のように3人だけで放浪し、どこへ行っても居場所がみつけられません。
「人間になる」ということはコミュ二ティーに所属するということですが、それは不純で理不尽な要素にまみれていくということを意味します。
環境に支配され、力関係ができて、そこから邪な心が芽生える。
「性善説」を体現したかのような彼らの存在は、人間にとって「本来こうありたかった」と思わせてくれる存在なのではないでしょうか。
人間に近づきたいと願いつつ、寸止め状態をキープしながら永遠に葛藤し続ける道を選ぶってそういうことですよね。
最初は「人間になれなかったかわいそうな半端な存在」として描かれるのかと思って見始めたのですが、最後まで見たらすっかり視点が変わってしまいました。
それだけではありません。
妖怪人間の葛藤にここまで感情移入してしまうのは、彼らに現実世界に生きる自分たちのメタファも見いだせるからだと思います。
変身後の醜い姿は、誰もが持っている一番「ピュア」な部分。
そのピュアさはむきだしにすれば人を傷つけるかもしれない。
目の前にいる愛しい人が眉をひそめて去っていってしまうかもしれない。
孤立無援になってしまうかもしれない。
だから絶対に出してはいけない。
出さなければとりあえず安泰に生きていけるのだから。
それでも、出さずにはいられないときがある。
出さなければならないときがある。
たとえ孤独になっても…。
大きなものを失っても…。
そういう気持ちが「うーん、わかるよ。わかる」という人ならば、彼らの変身シーンは涙なしで見られないはずです。
彼らはずっと変身し続ける道を選びました。
「(変身)しないで」「人間になってください」と望む大切な人の声をふりきって。
人間に同化するのではなく、「私たちを拒絶しますか?」というリトマス試験紙であり続ける道を選んだ妖怪人間。
人間は心してその選択を受け入れなければならないでしょう。
話の内容もすばらしかったですが、「詩情」という言葉がぴったりな美しい世界観を作り上げたキャスト・スタッフの健闘にも拍手です。
あと数時間で今年も終わりです。
来年もレビューが書きたくなるドラマに出会えることを祈って…。
月島もんじゃ初体験!
- 2011/12/26 (Mon)
- 食・料理 |
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クリスマスも終わって今年も残りわずかとなった今日、「公演祝い」ということで、友人に連れられて月島でもんじゃ焼きを食べてきました。
「もん吉」さんというお店です。
もんじゃ焼きは初体験。
「どんな味なんだろう」という興味はありましたが、正直あまり期待はしていませんでした。
というのも、私のまわりでは「もんじゃ」に対する評価は低めだったので。
まあ「まずい」「嫌い」という積極的な意見ではないにしても、「特においしいものではない」「わざわざ食べに行くほどのものではない」という感じ。
ただ、その友人は食べることにかけてはけっこう情熱的なタイプ(笑)で、日頃からかなりいろいろなものを食べ歩いているので、彼女が食べさせたいというのならおいしいんだろうなとは思っていました。
はたしてその結果は……。
いや、おいしかったです!マジで。
お好み焼きも食べて、それも普通においしかったんですが、すべて食べ終わってみたら、もんじゃのほうが好きかも…と思っている自分がいてびっくりしました。
以下、もんじゃのメイキング画像(魚介類メインの「もん吉スペシャル」)をご紹介…。
まず、鉄板に油を広げ、タネから「具」だけをとりだして焼きます。
お好み焼き(いわゆる大阪風の)だと、具と生地が一体になってゴロッとかたまった状態になったものを一気に焼きますが、もんじゃ焼きは小麦粉の量が少なくてスープに具が入ってるみたいな感じ。
その中から具だけをすくいとって焼く。
このとき、へらを両手に持って上から叩き付けるようにキャベツを細かく刻んでいくのがポイント。
これでキャベツの甘みがいっそうひきたつのだそうです。
あちこちのテーブルからもうもうとたちのぼる湯気とカンカンカンカンカカカカッッッという鋭い音のコラボが……。
その手さばきに目が釘付けです。
そして具を集めてドーナツ状に盛ります。
これが噂の土手かーーー!
すごい早さでできあがっていきます。
これは、土手の真ん中で魚介類を刻んでいるところ。
残った汁状の生地(お好み焼きにはない仕様として、生地の時点ですでにウースターソースが入って味がついている)を半分ほど土手の真ん中の空洞にジャッと流し込みます。
勢いで汁が飛び散り、返り汁(?)を浴びることもあり。
なにからなにまでワイルドです。
生地がふつふつと煮えて土手にしみこんできたところで、残り半分も投入。
ここで完成?と思いきや、せっかくこまこまと形を整えて作った土手を威勢良く壊し、最後はうやむやな感じに鉄板一面に広げます。
完成したら「はがし」と呼ばれるもんじゃ用のへらで食べます。
…と、この写真のように、私もへらで下からすくって食べたんですが、じつはこの食べ方はNGだと帰ってからネットで知りました。
へらは上からおさえつけて、くっついてきた破片を口に運ぶんだそうです。
どっちにしろあまり食べやすくはないですね。
アンチもんじゃ派の意見をきくと、「食わず嫌い」が圧倒的に多い。
特に関西の人は「お好み焼き」が文化として根付いているので、もんじゃの「生焼け感」が生理的に受け付けないといいます。
うーん、まあ質感がねー、見るからにおいしそうというものではないからね。気持ちはわかるよ。
でも、食べてみたら「これはお好み焼きとは別ものだわ」と即座に納得しました。
材料はほぼ同じなのに別ものというのもおかしな話ですが、なんというかコンセプトが違うんですよね。
「お好み焼き」はご飯になるが、「もんじゃ」はおやつ・軽食。
という意見もよく聞きます。
たしかに「お好み焼き」は腹持ちがいいし、それに比べると「もんじゃ」は食べた気がしないというのはわからなくはない。
また、お箸で食べるのではなく、オモチャのようなへらでチミチミ少しずつ口に運ぶのがみみっちくていや。
という意見もよく聞きます。
まあ、それもわかります。
食べてる行為じたいが食事っぽくないというか…。
でも、一見ネガティブにとらえられがちなこれらの特徴が、「もんじゃ」の魅力なのかも…と食べながら思いました。
年とともに食が細くなってきたこともあり、「お好み焼き」は重すぎる。
その点、「もんじゃ」は粉の量が少ないため、何種類も食べられる。
食べ終わったあとにもたれることもない。
また、「お好み焼き」は完成した瞬間からどんどん味が落ちていくので、一気に食べなければならないのに対し、「もんじゃ」はどこが完成というラインが曖昧で、ダラダラと少しずつ食べられるので、友達としゃべりながら食べるのに非常に適している。
鍋とかお好み焼きとか、タイミングをずっと気にしてなければいけない食事は、しゃべりに集中できない部分があります。
おしゃべりにも食事にも適度にエネルギー配分ができるのは女子会としてはポイント高しですね。
なので、チミチミ食べられるのがここでは逆にメリットになります。
焼けてんだか焼けてないんだか、固まってんだか固まってないんだか、何を目指しているのか、どこへいこうとしているのか、すべてが判然としない食べ物ですが、そのはっきりしない感じがなんともいえずなごみました。
作る過程はアグレッシブなのに、しあがりは「ゆるい」というミスマッチが拍子抜けするような、ホッとするような…。
一回食べただけでここまで語っていいのか?とも思いますが、周囲の意見をきく限りでは、店によっても味に差があるようですし、店の人が作ってくれたほうがおいしいという差もあるように感じます。
「もん吉」さんは数ある月島もんじゃの店の中でも人気店で、混んでるし、ゆっくりできる雰囲気ではないし、みかけによらずお値段も高いのですが、もんじゃヘビーイーターというわけでなければこれでもいいのかも。
毎年年末には友達と月島でゆるーく「年忘れもんじゃ」っていうのもいいなあ。
「もん吉」さんというお店です。
もんじゃ焼きは初体験。
「どんな味なんだろう」という興味はありましたが、正直あまり期待はしていませんでした。
というのも、私のまわりでは「もんじゃ」に対する評価は低めだったので。
まあ「まずい」「嫌い」という積極的な意見ではないにしても、「特においしいものではない」「わざわざ食べに行くほどのものではない」という感じ。
ただ、その友人は食べることにかけてはけっこう情熱的なタイプ(笑)で、日頃からかなりいろいろなものを食べ歩いているので、彼女が食べさせたいというのならおいしいんだろうなとは思っていました。
はたしてその結果は……。
いや、おいしかったです!マジで。
お好み焼きも食べて、それも普通においしかったんですが、すべて食べ終わってみたら、もんじゃのほうが好きかも…と思っている自分がいてびっくりしました。
以下、もんじゃのメイキング画像(魚介類メインの「もん吉スペシャル」)をご紹介…。
まず、鉄板に油を広げ、タネから「具」だけをとりだして焼きます。
お好み焼き(いわゆる大阪風の)だと、具と生地が一体になってゴロッとかたまった状態になったものを一気に焼きますが、もんじゃ焼きは小麦粉の量が少なくてスープに具が入ってるみたいな感じ。
その中から具だけをすくいとって焼く。
このとき、へらを両手に持って上から叩き付けるようにキャベツを細かく刻んでいくのがポイント。
これでキャベツの甘みがいっそうひきたつのだそうです。
あちこちのテーブルからもうもうとたちのぼる湯気とカンカンカンカンカカカカッッッという鋭い音のコラボが……。
その手さばきに目が釘付けです。
そして具を集めてドーナツ状に盛ります。
これが噂の土手かーーー!
すごい早さでできあがっていきます。
これは、土手の真ん中で魚介類を刻んでいるところ。
残った汁状の生地(お好み焼きにはない仕様として、生地の時点ですでにウースターソースが入って味がついている)を半分ほど土手の真ん中の空洞にジャッと流し込みます。
勢いで汁が飛び散り、返り汁(?)を浴びることもあり。
なにからなにまでワイルドです。
生地がふつふつと煮えて土手にしみこんできたところで、残り半分も投入。
ここで完成?と思いきや、せっかくこまこまと形を整えて作った土手を威勢良く壊し、最後はうやむやな感じに鉄板一面に広げます。
完成したら「はがし」と呼ばれるもんじゃ用のへらで食べます。
…と、この写真のように、私もへらで下からすくって食べたんですが、じつはこの食べ方はNGだと帰ってからネットで知りました。
へらは上からおさえつけて、くっついてきた破片を口に運ぶんだそうです。
どっちにしろあまり食べやすくはないですね。
アンチもんじゃ派の意見をきくと、「食わず嫌い」が圧倒的に多い。
特に関西の人は「お好み焼き」が文化として根付いているので、もんじゃの「生焼け感」が生理的に受け付けないといいます。
うーん、まあ質感がねー、見るからにおいしそうというものではないからね。気持ちはわかるよ。
でも、食べてみたら「これはお好み焼きとは別ものだわ」と即座に納得しました。
材料はほぼ同じなのに別ものというのもおかしな話ですが、なんというかコンセプトが違うんですよね。
「お好み焼き」はご飯になるが、「もんじゃ」はおやつ・軽食。
という意見もよく聞きます。
たしかに「お好み焼き」は腹持ちがいいし、それに比べると「もんじゃ」は食べた気がしないというのはわからなくはない。
また、お箸で食べるのではなく、オモチャのようなへらでチミチミ少しずつ口に運ぶのがみみっちくていや。
という意見もよく聞きます。
まあ、それもわかります。
食べてる行為じたいが食事っぽくないというか…。
でも、一見ネガティブにとらえられがちなこれらの特徴が、「もんじゃ」の魅力なのかも…と食べながら思いました。
年とともに食が細くなってきたこともあり、「お好み焼き」は重すぎる。
その点、「もんじゃ」は粉の量が少ないため、何種類も食べられる。
食べ終わったあとにもたれることもない。
また、「お好み焼き」は完成した瞬間からどんどん味が落ちていくので、一気に食べなければならないのに対し、「もんじゃ」はどこが完成というラインが曖昧で、ダラダラと少しずつ食べられるので、友達としゃべりながら食べるのに非常に適している。
鍋とかお好み焼きとか、タイミングをずっと気にしてなければいけない食事は、しゃべりに集中できない部分があります。
おしゃべりにも食事にも適度にエネルギー配分ができるのは女子会としてはポイント高しですね。
なので、チミチミ食べられるのがここでは逆にメリットになります。
焼けてんだか焼けてないんだか、固まってんだか固まってないんだか、何を目指しているのか、どこへいこうとしているのか、すべてが判然としない食べ物ですが、そのはっきりしない感じがなんともいえずなごみました。
作る過程はアグレッシブなのに、しあがりは「ゆるい」というミスマッチが拍子抜けするような、ホッとするような…。
一回食べただけでここまで語っていいのか?とも思いますが、周囲の意見をきく限りでは、店によっても味に差があるようですし、店の人が作ってくれたほうがおいしいという差もあるように感じます。
「もん吉」さんは数ある月島もんじゃの店の中でも人気店で、混んでるし、ゆっくりできる雰囲気ではないし、みかけによらずお値段も高いのですが、もんじゃヘビーイーターというわけでなければこれでもいいのかも。
毎年年末には友達と月島でゆるーく「年忘れもんじゃ」っていうのもいいなあ。
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著作
「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
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