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古伊万里★新伊万里

劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です

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「赤い疑惑」リメイクを見て

 百恵&友和主演ドラマの金字塔と言われる大映ドラマ「赤い疑惑」(以下、「赤い運命」「赤い絆」「赤い衝撃」など数々の“赤シリーズ”と呼ばれるドラマが生まれました。ちなみに「赤」とは「血のつながり」を意味し、親兄弟が錯綜する展開がひとつの定番でした)が30年ぶりにリメイクされたのを見ました。
 本来は連ドラでしたが、今回は2時間×3週で放送されました。
 山口百恵演じる大島幸子は石原さとみ。
 三浦友和演じる相良光夫は藤原竜也。
 宇津井健演じる幸子のお父さん(じつは伯父)は陣内孝則。
 八千草薫(後半からは渡辺美佐子)演じるお母さん(じつは他人)は田中好子。
 松村達雄演じるおじいちゃんは北村総一郎。
 岸恵子演じるパリの叔母さま(じつは生みの母)は高橋惠子。
 長門裕之演じる相良教授(じつは父親)は内藤剛志。

 たしかに石原さとみ、山口百恵に似てますね。
 特にポスターの写真はメイクや表情も似せて撮っているためか、びっくりするほど似ている。
 もともと古くさい(昭和チックな)顔だちなので、そういう意味でははまっているかも(上戸彩も百恵に似ているとよく言われるそうですが、こっちはもう少し年とってあか抜けた頃の顔に似てるかな。共通点はボッテリした厚い唇!)。

 ただ………どうなんでしょう、演技のほうは。
 山口百恵は本職歌手だから、べつにものすごい演技力とかいらないと思うんですよ。存在自体がすでにスーパースターだったし。
 でも石原さとみは一応女優なわけだし……うーん、けっこう見ていてつらいものがあったんですけど。あのかすれ声も、ハスキーというよりは変声期?って感じだし。
 それよりなにより愕然としたのは「歌」です。
 しつこいようだけど、山口百恵は歌手なのでいいんですよ。サービスショットとしてギターに合わせて歌うシーンがあるのは。
 でも石原さとみは…………正直、凍りました。
 「義経」の静御前が舞っているところでも「こ…この音程は……」とギョッとしましたが、こちらはまあ歌といっても邦楽ですし、一般人が歌うような曲じゃないのでまだ「もともとこういう歌なのかな」と納得できなくもありませんでした(←無理のある解釈)。
 だけど今回はねー、こちとら百恵が同じ歌うたってんのを聞いてんだよ。
 それなのに……それなのに……。
 ♪わす〜れな〜ぐさを〜、あなたに〜、あなたに〜
 って、

 お願い〜〜〜、やめてぇ〜〜〜!!!

 音程が気になって全然悲しい気分になんてなれねーよ。
 ていうか、変なところでブレス入れないでくれ。気持ち悪いから。
 べつにすごくうまく歌えなくてもいいんですよ。歌手じゃないから(←しつこい)。 
 でもこれはちょっと……痛い。痛すぎる。
 正直、白血病という設定よりも歌のほうが痛々しかったです、私は。
 本人もつらかったと思いますよ。私が石原さとみの家族ならいたたまれずに音声消して見てたと思います。
 どうして歌を入れなきゃいけなかったんでしょう。幸子が歌う必然性ってドラマの中にほとんどないし。
 山口百恵だったから入れたんでしょ。それならカットしてあげればいいのに。

 歌にこだわりすぎたので先に進みます。
 オリジナル版の演技にクリソツだったのは、陣内孝則と北村総一郎。
 これはかなりもとの演技に洗脳されてるなー。
 言い回しとか、泣きの入れ方とかチョー似てるんだもん。
 でもまあ、当時の大映ドラマの雰囲気をまるごと伝えるという意味では、演技もオリジナルをコピーしたほうが間違いないし、そのミョーな演技がかえってドラマの世界観にハマッていたんじゃないでしょうか。
 むしろ「あえてオリジナル版は見なかった」という藤原竜也や、中途半端に普通の演技をしていた内藤剛志は浮いていましたね。
 というか、リアルに演技すればするほど脚本の納得できないところが目立って恥ずかしくなってくるんですわ。
 陣内、目ェむきすぎだよ!(笑)と思いつつも、あの劇伴(30年たっても憶えている自分がいやだった)に負けないためにはこのくらいの顔筋力と暑苦しさが必要だよなーと納得しました。

 ま、役者の話はこんなところで。
 話したかったのは内容のほうです。
 最初、リメイクと聞いててっきり現代に置き換えるのかと思ったら、昭和52年の設定のままなんですね。
 たしかに「今どき、白血病なんて不治の病じゃない」という事実をはじめとして、現代に置き換えると無理のある設定はいっぱい出てくるので、「いっそこのままの時代でいこう」ということになったのかもしれませんが、それって今もう一度リメイクする必要があるんでしょうか。
 この当時の大映ドラマの雰囲気を「なつかし〜」と言いながら楽しみたいのなら昔のドラマを再放送すればいいんじゃないの?
 その当時は「その時代に生きる人」としての視点でああいうドラマを作ったからドラマに新鮮さやパワーがあったのであって、現代のキャスト&スタッフが同じものをなぞって作ってもそこには「懐古趣味」しか生じないんじゃないでしょうか。

 たとえば、韓国ドラマが大映ドラマに似ているというのはよく指摘されることですよね。個人的には「記憶喪失」とか「じつは兄妹」とかいうアイテムの使い方が似ているだけで皆が言うほど似てるとは思わないんですけど(あんな感情的なナレーションないし)、まあ百歩譲って「冬ソナ」などの韓国ドラマが大映ドラマを研究して作られたものだとしても、あれは現代に通用するドラマとしてきちんと作り直されてるじゃないですか。彷彿とさせるテイストがあっても、最終的には現代のドラマになってるんですよね。だからあれほどヒットしたんだと思うのです。好き嫌いはともかくとして。
 現代でリメイクする意味ってそういうことじゃないの?
 題材がいくら古き良き時代を描いたものでも、どこかに現代に生きる人たちの心を揺さぶるような「今の視点」がないとわざわざ作り直す意味ってないと思うんですけど。

 皆さん、「大映ドラマは突っ込んでみるからあれでいいんだよ」とおっしゃいますが、過去のドラマを「このころの大映ドラマってこうなんだよねー」と突っ込みながら見るのと、今のドラマを「大映ってこうなんだよねー」と突っ込んで見るのとでは意味が全然違います。
 今のドラマは、今のドラマとして見ますよ。
 オリジナルの「赤シリーズ」を知らない人にとってはそんなこと関係ないもん。
 ……と考えて、冷静に今回のドラマを見てみると、やっぱり「これはないだろう」という部分がどう贔屓目にみても多すぎるとあらためて思いました。

 まず、「不治の病で余命わずか」「好きな人が異母兄妹」というのが「赤い疑惑」を貫く2大障害なわけですが、この障害の使い方があまりにも雑。
 普通、こういう衝撃の事実を知ったときに人間はこういうリアクションをするだろうという部分がどれもこれも類型すぎてリアリティがないんです。
 ひらたく言うと、障害の設定が大きいわりには、それによって起こるドラマが凡庸。
 ちょっと考えればもっともっと細かいドラマがたくさんひきおこされると思うんだけど、一番単純な反応しか描かれないんですよね。
 だから障害が大袈裟なわりには、それほど悲壮感が伝わってこないんだと思います。
 障害には秘密がつきもので、秘密をうまく使うことによってドラマのサスペンスは何倍にもふくらみます。
 でも、見てると皆、秘密簡単にもらしすぎ!
 「言いたいけど言えない」という気持ちをずっとひっぱって苦しむとか、「本心を心に秘めてわざと逆のことを言う」とか、「好きだから意地悪を言ってしまう」とか、人間なら誰でもそのくらいのひねりはあるだろうに、「本当のことを言えと言われるとすぐに本当のことを言ってしまう」し、「本心そのまましゃべる」し、「好きな人には好きだと叫ぶ」……っていちいちそのまますぎだよ。
 もちろん、ひっぱってる秘密もあるんですが、秘密ってのはばれる瞬間が最大のドラマであり、その瞬間のお互いの駆け引きをどう描くかが作者の腕の見せどころでしょう。
 「秘密を隠しきれなくなる」→「ばれる」→「衝撃をうけて感情のぶつかりあいがある」→「でもあるきっかけでそれを乗り越える」という流れは同じでも、そのきっかけやエピソードの作り方でドラマに感情移入できるかどうかが決まるわけです。
 なのに、それがあまりにも工夫なさすぎなんですよ。

 べつに複雑な仕掛けをしろとか、しゃれたエピソードを作れとか、そんなことを言ってるわけじゃないんです。
 例をあげたほうがわかりやすいかな。
 たとえば…。
 病名を隠されていた幸子が、自分の本当の病名に感づいてしまい、「皆、私に嘘ばかりつく」と荒れまくるシーンがあります。
 幸子の母は、「もうこれ以上はごまかせない。私が幸子に本当の病名を言います」と決意して幸子のところへ行くが、幸子の顔を見るとどうしても本当のことが言えず、やっぱり嘘の病名を言ってしまい、ますます幸子を傷つける。
 「やっぱり私は本当の母親じゃないから」と無意識に感じていたコンプレックスが噴き出し、激しく自己嫌悪に陥った母は、いきなりお遍路さんの恰好をして秩父の札所をまわりにいく。
 そこまではいいんです。問題はそのあと。
 母親が告知に失敗したため、今度は父親が幸子に病名を告げる。
 案の定、生きる希望をなくして泣きわめく幸子。
 どうしたらいいのかわからず途方に暮れる父。
 そこへ巡礼から帰ってくる母。
 ……が、なんとこのとき、母はこともあろうにお遍路さんの恰好そのままで帰ってくるのです。
 で、さらにその恰好のまま幸子の部屋へ。
 幸子は「お母さん……その恰好は……」と驚き、次の瞬間「私のためにこんなことまで……ごめんなさい、お母さん。私、生きるわ。病気になんて負けない」とあッという間に自己完結して立ち直ってしまう。

 どうなんでしょう。これ。
 そもそも、こういうこと(願掛けとか巡礼とか)って人に知られないようにやるものじゃないの?
 母親が自分のために巡礼に行ったことを知って幸子が感動して立ち直るという運びにするにしても、そのことは誰かべつの人の口から知られるようにすべきではないですか?
 たとえば、何も知らない幸子が、「私がこんなに苦しんでるときにお母さんは暢気に旅行になんて行って!」と非難するんだけど、母はじっと耐えて本当の行く先を言わない。
 でも、どこかから母が巡礼に行ったことがわかり(わかんないけど家の中からお札がみつかるとか)、そこで初めて母の思いの深さを知って「お母さん、ごめんなさい」と泣き崩れるとか…。
 そんなさー、これみよがしにお遍路ルックで「幸子、見なさい。私の姿を」みたいに登場されても困りますって。これじゃせっかくの美談も台無しです。

 これはほんの一例ですが、一事が万事そういう調子で、障害が多いようでいて、ストーリーの流れていく方向が一方向しかなくて、すべて答えが最初からひとつしかない感じなんですよね。思わぬ方向から邪魔が入るとかじゃなく、すべて想定範囲内。
 べつにものすごい悪役とか、ものすごい意地悪をする人とか出さなくても、その人を思うがゆえにその人の障害になるとかいうことだってあると思うんです。
 たとえば幸子と光夫がつきあうことにしても、家族全員が同じ意見っていうのはどうなんでしょう。家族全員幸子のことを思っているという点は同じなのに、「だからこうすべきだ」という「こうすべき」の部分が家族によって違うってことは当然あるんじゃないでしょうか。そういうものがまったくないまま全員が常に一致したまま6時間たってしまったのにはかなり違和感を感じました。

 それから、障害の大きさのわりに、そのレスポンス(波紋)が小さいというのは、最大の秘密「自分の親が本当の親じゃなかった」という部分でも感じました。
 陣内に対しては、「お父さんじゃないんだ」と訴える場面があり、数分後には「でもやっぱりお父さん」とか泣きながら抱きついて一件落着になってしまうんですが、この問題は当然「育ての母親」「生みの母親」「本当の父親」それぞれとの対決なしには語れないはず(母親2人に対しては特に)。
 なのに、母親との1対1の場面はいっさいなく、次の場面では「2人のお母さん、ありがとう」の一言でくくられておしまいになっている。2人の母にしたって幸子がいつ真実を知ったのか知りたいだろうし、真実を知ったときに自分から言いたい言葉もあっただろうに、出番なしかよ!とちょっとびっくりしました。
 母子の名乗りなんて、ここで泣かせなくていつ泣かせるんだよというくらい重要な見せ場だと思うんだけど、あっさり通過。幸子はいわば不倫の子供なわけで、そのことを知ったショックというのはないんでしょうか。本当の両親に対する思いというのは不自然なほど描かれていなかったのが意外でした。
 本来、陣内夫婦が自分の本当の親ではないと知ることと、本当の親が叔母と相良教授だと知ることは別の問題なので、これをいっぺんに知ってしまうのはネタバレとしてはもったいないような気がします(だからリアクションが描ききれなくなってしまうのでしょう)。
 まず前者の秘密がわかり、そのショックを乗り越えたところで今度は本当の親がわかるとか、母親が叔母だということはわかったけどその相手が誰なのかはなかなかわからないとか、もっと小出しにしたほうがその都度リアクションを書き込めていいんじゃないんでしょうかね。

 以下、その他でひっかかったことを少々。
その1)
陣内は放射線科医という設定だけど、幸子が手術するたびに手術室に入ってますよね。百歩譲って手術のチームには加わってないけど娘の手術なので見学に入ったのだとしても、外科医らしき人が全然見あたらないんですけど。他に出てくる医者って同じく放射線科医の相良教授と血液内科医の国広富之(役名忘れた)、それにぺえぺえの医大生の光夫しかいないんだよね。
いないといえば、あんなに長く入退院を繰り返しているのに、看護師が1回も姿を現さないのが不思議。なじみの看護師の1人くらいできてもよさそうだが。

その2)
最初に病名が出るとき「幸子は白血病……つまり血液のガンだ」と陣内が言うんですが、医者同士の会話でわざわざそんな言い換えするのかな。
もちろん、当時はまだなじみの薄い病名なんで視聴者がわかるように言い換えたんだとは思いますけど、この1回だけじゃなく、このあと「白血病」という名称がセリフに出るたびに必ずこの通訳をしてみせるのはさすがに滑稽だと思いました。
「幸子は白血病です」
「なに……白血病といったら……血液のガンじゃないか」
「そうです。白血病……血液のガンです」
「そんな……あの幸子が白血病……つまり血液のガンだというのか」
いや、いくらなんでもここまでくどくはないけど(笑)、でもこれに近い会話は随所にありました。
すべての人が「白血病、つまり血液のガン」と連呼しているので、最後は「もうこれだけ言い続けてるんだから皆いいかげんに学習しようよ」と辟易してきました。

その3)
幸子は高校3年生ですよね。3年になってからはほとんど入院生活で学校に行ってないにしても、友達が1回も登場しないというのは不自然じゃないでしょうか。
実際に親友を出すとかじゃなくても、千羽鶴が届くとか、お見舞いのカードが届くとか、なんかもう少し存在を匂わせてもいいんじゃないですかね。

その4)
パリのおばさまを沖縄のおばさまに変更したのはなぜ?
単に予算の関係?
私は「蘭をつくっているおばさま」という手の込んだ設定に変えたことで、その設定を生かした展開が新しく作られたのかと思ったんですが、普通に沖縄ロケがあった以外は特に関係なし。
幸子が亡くなったあと、悲しみを乗り越えて新しく開発した蘭の花に「サチコ」と名付けるとか、よくわかんないけど、その蘭の花でチャリティーをやって、収益金を白血病撲滅のための基金にするとか、そのくらいのオチはほしかったですね。

 細かい部分での疑問は挙げたらキリがないんでこのへんで。
 最後に。これはドラマのセオリーとは関係ないんだけど、倫理観や価値観みたいな部分で、現代人とかなりズレを感じる部分もありました。
 その当時は誰もが賛同する常識として言ってたんだろうけど、今見ると「その考えはおかしい」と言いたくなるような時代錯誤的な発言も目立ち……。
 新しく作り直すのなら、そういう部分にこそメスを入れるべきだったのでは?
 本当に感動できる部分はそういうところとはべつの部分にあると思いますが…。


「赤い疑惑<2005年版>」(DVD)
30年ぶりにリメイクされた「赤い疑惑」。
出演は石原さとみ、藤原竜也、高橋恵子、陣内孝則他。



「赤い疑惑<1975年版>」(DVD)
元祖の「赤い疑惑」。
出演は山口百恵、三浦友和、岸恵子、宇津井健他。



「赤い疑惑」(本)
ノベライズ版。

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ひばりの叔母と呼ばれる幸せ

 美空ひばり母娘のドラマ「美空ひばり誕生物語─おでことおでこがぶつかって─」(5/29●TBS系)を見ました。

 まず最初に。
 「これはないだろ!」と思ったのが上戸彩の扱い。
 いや、べつに私は上戸のファンではありませんが、もしファンなら「詐欺だ!」と暴動を起こすかもしれません。
 番宣では、美空ひばり役を上戸が演じるということで、まあ実質は母役の泉ピン子が主役なんだろうなと思いつつも、上戸も泉と並ぶ主役の扱いだと誰もが思うようなアピールをしていたんです。
 それなのに……。
 蓋を開ければほとんどが美空ひばりが売れるまでの子供時代の話がメインで、ひばり役は延々と子役。
 結局、上戸が登場したのは、2時間半のドラマのうち2時間をまわってから。
 しかも、やったことといえば「おとうさん、今までごめんね」「おかあさん、今までありがとう。これからもずっと私のそばにいてね」と笑顔でしみじみと言って親をジーンとさせる場面だけ。
 え…………これ……だけですか?

 いや、そんな「いろいろあったね」と述懐する場面だけに出るって、それ年寄りの大物俳優ならわかるけど、人気絶頂の若手女優の使い方じゃないでしょ。
 これは主演じゃなくて「友情出演」といったほうがいいのでは?
 それともこれは単発ドラマじゃなくて、秋頃から上戸編が連ドラ化されるという壮大な計画があるのか?
 謎です……。

 次に気になったのは、キャストが見事に石井ふく子ファミリーで固められていたこと。
 出るわ、出るわ、「渡鬼役者」が。
 ひばりの母親役は五月(泉ピン子)だし、家で働いている青年は本間先生(植草克秀)だし、近所の肉屋のせきさんはタキさん(野村昭子)だし、劇場支配人はシュウちゃん(岡本信人)だし、ひばりの兄貴分の川田義男は宗方さん(井上順)だし、ひばりが通う学校の校長先生は勇(角野卓造)だし、おまけにタマコおばさん(森光子)まで登場する始末。

 森光子といえば、森光子や淡島千景などの大物俳優には、意味もなく(あまり本筋には関係のない)見せ場や長ゼリフが用意されているというのも違和感ありました。
 そういうのって商業演劇ならよくあることだけど(いわゆる儲け役というやつ。ちょっとだけ出てきて印象を残すように作る。この「ちょっとだけ」というところがミソです)、TVではあんまり見ませんよね。
 それとも、これまた秋頃に明治座あたりで「美空ひばり誕生物語」を上演する計画でもあるんだろうか。
 謎です……。

 さて、肝心の内容ですが、一言でいってバランスが悪い感じ。
 あまりにも子供の頃の話に偏りすぎです。
 美空ひばりのドラマというと、わりと亡くなってすぐくらいに「岸本加世子=美空ひばり&樹木希林=お母さん」というフジカラーな組み合わせでオンエアされたことがありまして、それは美空ひばりが亡くなるところまでやっていたので、かなり濃かったです。
 べつに有名人のドラマだからといって必ずしも死ぬまでを描かなくてはいけないとは思わないし、美空ひばりが一人前の歌手として認められるところまでで切るのもひとつの考え方だし、お母さんとの関係をメインに描くなら、お母さんが亡くなるところまでをドラマにする方法もありでしょう。
 でもこのドラマ、2時間半もあるわりには、起伏が全然ないんですよ。

 もちろん事件(エピソード)はあります。
 ひばりを歌手にするために奔走するお母さんの姿とか、それに反対するお父さんの姿とか、周囲の人の励ましとか無理解とか、それを乗り越えていく2人…という基本路線ははっきりしている。
 だけど、一番重要な母娘の関係の描き方がすごく表面的なんですよ。
 「一卵性母娘」と呼ばれるほど仲がよかったと言われていますが、どんなに仲の良い母娘でも、いや仲の良い母娘であればなおさら、反発もあっただろうし、外部の介入でギクシャクすることもあったと思います。
 まあ、普通に考えて、娘が母からの自立をはかろうとするようなエピソードは当然ありますよね。考え方の対立も一度もないってわけはないだろうし(もしそうならドラマにはなりません)、傷つけるような言葉を言って後悔してしまったこともあるでしょう。
 そういう紆余曲折を経て、ひばりにとって母親が、また母親にとってひばりがどんな存在だったのかを確認するまでの話にしなければドラマとして盛り上がらないと思うんですよね。

 今回のドラマに出てくる母娘は、終始一貫べったりとくっついていて、ひばりはすごく素直だし、お母さんもひばりのことしか考えていない。要するに2人で完結しちゃってるんですよ。
 この2人の世界を壊すような外圧も、なくはないけど中途半端です(あっという間に解決しちゃうので)。
 「お母さんも頑張りました」「ひばりも頑張りました」というだけで2時間半見せられてもドラマとしてはどうなんでしょうか。
 ひばりが結婚したいと言い出すとか、そのへんからですよね。お母さんの思い通りにならなくなってくるのは。なのに、その前で話が終わっちゃってるから、「え。これからでしょ。ドラマが始まるのは」という不消化感が残ってしまうのだと思います。
 美空ひばりが大歌手になったのは、私生活が決して幸せではなかったことも関係していると思うので、そこを描かずしてこの歌手の物語は語れないのではないでしょうか。

 という物足りなさを残しつつも、ひとつだけ興味深い部分がありました。
 それは、ひばりの世話や売り込みにかまけて残りの3人の子供や家の事がおろそかになりがちだった母・喜美枝を助けた妹(=ひばりの叔母)・静子(京野ことみ)の存在です。
 静子は、若いうちから喜美枝の家に同居し、子供たちの世話に明け暮れているうちに婚期を逸してしまいます。
 今までひばり関連の話でこういう叔母さんがいたということは聞いたことがありませんが、この設定はあるいはフィクションかもしれません。
 たしかに、ひばりにつきっきりになる喜美枝に対して、正面から「他の子供たちのことも考えてあげてよ」と現実的な正論を言えるのは静子だけだし、歌手ひばりを誕生させるために影で犠牲になった家族として、マイナスの部分を背負っている静子は非常に重要な役回りです。
 しかし、静子はその役回りにしばしば不満を唱えながらも、ついに憎からず思っている人からのプロポーズすら断り、「この家に残りたい」と宣言するのです。
 その理由は、「私がいないとこの家は困るから」という建前的なものではなく、「私も美空ひばり誕生の物語に少しでもかかわりたいのかも……」というものでした。

 このセリフは、表面的な描写の多いこのドラマの中で唯一実感として心に残りました。
 というのも、江利チエミをモデルにした林真理子の小説「テネシーワルツ」にも同じような身内が登場するからです。
 それはチエミの異父姉で、最初は平凡な主婦として暮らしているのですが、あるきっかけで自分がチエミの姉だと知った彼女は、チエミと姉妹対面を果たします。
 それ以降、手伝いと称してチエミの家に入り浸るようになった彼女は、ついに夫や子供の家には帰らなくなってしまいます。
 チエミは大歌手だったので、姉といっても彼女の扱いは使用人同然で、彼女は幾度となくプライドを傷つけられ、「こんなところ、誰がいるものか」とチエミへの憎しみをたぎらせるのですが(でもチエミには悪気がなく、彼女は姉を信頼しきっている)、そう言いつつ、華やかな世界の一端に加われるという誘惑には勝てず、ついにチエミの嫁ぎ先にまで居座ります。
 静子のセリフをきいてこの姉を思い出しました。
 静子を「ひばりの犠牲者」とみるのは簡単ですが、本当はもっと複雑な思いでそばにい続けたんでしょうね。
 私としては、この静子をもっとフィーチャーしてほしかったのですが(そうすればドラマにさらに厚みが出たでしょう)、せっかくのおいしい役どころがあまり生かされることなく終わっていたのが残念でした。

 ちなみに、今回のドラマの一番のつっこみどころは、中村雅俊演じるひばりパパでした。
 ひばりとひばりママが地方巡業で留守のとき、ひばりの弟妹3人がいっぺんに肺炎にかかってしまうという事件が起こります。いっぺんにですよ。
 あわてて喜美枝に電話する静子。
 「お姉ちゃん。お願い。すぐに帰ってきて」
 電話を受けた喜美枝は、動揺しながらも「私がひばりのそばを離れるわけにはいかない」と悩みます。
 しかし、ひばりが「いつも私だけがお母さんを独占していて弟たちはかわいそう。私は一人で大丈夫だからすぐに帰ってあげて」とけなげに言ったもので、喜美枝も帰る決心を。
 そこへ現れたのはひばりパパ。「おまえの仕事はひばりについてやることだろう。家のことは心配しなくていいから。子供たちは俺がみる」と啖呵をきります。
 ずっとひばりを巡業に連れ出すことに反対していたはずのパパの温かい言葉に感動するひばり&ひばりママ。
 いいシーンです。

 ところがそのあと、枕を並べて肺炎の苦しさにあえいでいる子供3人の枕元に座り込んだひばりパパ、腕組みしたままなんと言ったと思います?

 「子供たちも大きくなったものだな」

 …………………はぁ?

 いや、そんなこと言ってる場合じゃないって!

 肺炎だよ、肺炎。
 頼むよー、とうちゃん。ここ、しみじみするシーンじゃないから!
 
 というわけで、最後に予言を。
 京野ことみは、近い将来、石井&橋田ファミリー入りするのではないでしょうか。
 舞台では、芸術座の「初蕾」でもすでにヒロインやってますしね。
 「渡鬼レギュラー入り」も近いでしょう。
 役どころは……そうですね。年格好から考えて、本間先生が勤める病院のナースで、長子があまりにも自由にさせすぎた本間先生と不倫疑惑が発覚。ていうのではどうでしょう。今回のドラマで植草にプロポーズされてたのはその伏線?
 いや、作風からいって不倫が成就することはなさそうだし、そうだとするとこの役柄ではあっという間に出番がなくなるかな……。
 皆さんのご希望は?


「テネシーワルツ」(本)
江利チエミをモデルにしたスター歌手と
その異父姉を巡る光と影の物語。
林真理子らしいビターな描写満載。

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「大化改新」を見ました(今頃…)

 春クールの連ドラがスタートしかかっているので、ためてある録画を今のうちに消化しておかないと…と思い、遅ればせながら正月ドラマの「大化改新」を観ました。

 古代史もののドラマは考証も難しいし、風俗の再現も難しいし、天皇の問題もからむしで、面倒な問題が多いためか、あまりお目にかかりません。
 昨年、やはりお正月にオンエアされた「聖徳太子」が好評だったので、その第2弾ということでやったのだと思いますが(脚本はいずれも池端俊策)、視聴率的にはいまひとつだったみたいですね。
 ネットで感想拾ってみても、今回は内容的に不満足の人が多かったようで。 

 なので、私もそれほど期待せずに観たのですが、予想したよりもずっとよかったです。
 たしかに巷で言われているように描写不足はあったと思います。
 入鹿がなぜあんなに冷酷な政治家に変わってしまったのか。
 鎌足はなぜ幼なじみの入鹿を暗殺することを決意したのか。
 まあ、皆さんが「描き込み不足」と感じられる部分はこのあたりでしょう。
 もっと基本的な不足部分を言わせてもらえば、鎌足が中大兄と組んで入鹿を暗殺しようと企ててからそれが成就するまでが駆け足すぎで、「あれよ、あれよ」という間に終わってしまうのでそこに無理を感じました。
 最初のほうに時間をかけすぎたのかもしれませんが、それにしても「政治にはまったく興味がなさげで、しかもいったん田舎にひきこもって朝廷にはなんのコネもなくなったかのように見える鎌足」が、朝廷の頂点に君臨する入鹿を暗殺する計画を成功させるには、かなりの紆余曲折があったはず(しかも途中で計画を入鹿に見抜かれてるのに)。
 そのへんの苦労というか、大変なところを描いてくれないと、クライマックスの大化改新が非常に薄っぺらなものに見えてしまう残念さがあります。

 あと、中大兄皇子は皇子という身分を隠して南渕講安という唐から渡ってきた医師の助手のようなことをしているんですが(というふうにしか見えないんですが)、鎌足は死際の講安の言葉「生きてここを出て中大兄皇子を訪ねなさい。あなたがなすべきことがわかるでしょう」を受けて飛鳥を訪ね、そこであの有名な蹴鞠のシーン(蹴鞠で中大兄皇子の靴が脱げてしまい、鎌足がそれを拾って差し出したのが馴れ初め)につながっていきます。
 じつは中大兄皇子だと知らずに、すでに講安を通じて2人は気の合う同志だった……という設定はフィクションならではの大変おもしろいシチュエーションだと思うのですが、ならば「あなたが皇子だったのか?!」というネタバレの瞬間のドラマも視聴者としてはぜひ観たいところ。ところが、なぜかこのへんすっとばしまくりなんですよ。鎌足は皇子だということを薄々知っていたから驚かなかったのかもしれませんが、だったら「知っていましたよ」ということを皇子に伝えるシーンがあってもいいのでは?
 オチがないとせっかくの設定も生きないし、なんとなく見逃してしまう人も多くてもったいないと思います。

 その他、「もうちょっとここを書いてくれないと」というところは多々あったのですが、それでも全体を見終えてそれほどそれが気にならず、けっこう入れ込んで観ることができたのは、この作品に「ロマン」の香りを感じたからだと思います。
 たしかにこの時代の政治事情はもっと複雑だと思うし、それにしては鎌足や中大兄や入鹿の書き方は甘いと思うし、古代史好きにとっては「こんなんじゃないんだよ!」という不満が多いのはわからないでもない。
 でもそれは歴史ドラマの宿命というもので、歴史好きが満足するドラマは必ずしもドラマ好きを満足させないんですよね。
 大河ドラマなら、「歴史に対する新しい解釈や切り込み」があってもいいし、それを描き込むだけの時間的余裕もあるでしょう。登場人物もどんどん増やせると思います。
 でも3時間かそこらで完結した話にするには、もっとミクロで語らなければ処理しきれないし、無理やり処理してもストーリーを説明するだけになってしまう危険があります。
 そういう意味では、歴史的背景に切り込みすぎず、鎌足と入鹿の2人の人間関係にしぼった展開にしたのは正解だと思うし、さらにいえば、(これはどこかのブログにも書いてあったのですが)2人の関係に友情以上ホモ未満のような匂いをもたせたところが心憎い本だなと思いました。
 一見、与志古(鎌足の妻)を巡る三角関係を描いているようでいて、じつは鎌足と入鹿の関係が絶対的なものなんですよね。このへん、宝塚好きな人にはとってもよくわかると思うんですが、宝塚でも、一番人気があるのは男役&娘役コンビの正統的ラブよりも、一見三角関係に見えて実はトップ男役&二番手男役の友情以上ホモ未満の美しい愛憎渦巻く関係が濃厚に描かれているドラマだったりします。
 女から見れば、同性がないがしろにされているとも見えるこんな構図がなぜ人気なのか、分析してみるといろいろおもしろそうですが、今回はやめておきます。
 とにかく、「大化改新」は以上のような美学がわかる人には感情移入しやすいドラマであり、わからない人には「不足面」ばかりが目につくドラマだったでしょう。

 キャストについては皆さん健闘されていたと思いますけど、こういうコスチュームものは似合う人と似合わない人の明暗を分けるなーと(笑)。
 その点、少女マンガの主人公並のルックスとプロポーションをもつ小栗旬はずば抜けて似合っていて、「もうあんた今後はコスチュームものだけやってちょーだい」と声をかけたくなったほど。これぞ「萌え!」って感じです。
 中大兄皇子の役はぴったり。小栗くんは「若き改革者」のイメージが似合う。星座でいうと水瓶座、みたいな。
 「ハムレット」で彼にフォーティンブラスをあてた蜷川幸雄はたしかに鋭い。
 
 来年は中大兄&大海人&額田女王の三角関係ドラマでしょうか>NHK。
 大河で古代史やってほしい気もするけど、予算的に難しいでしょうから、せめて毎年お正月ドラマで楽しませてください。


「大化改新」(DVD)
2005年のお正月にNHKで放送された
スペシャルドラマを収録したDVD。
脚本は池端俊策。
出演は岡田准一、木村佳乃、渡部篤郎他。

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プロフィール

HN:
伊万里
性別:
女性
職業:
劇作家・ライター
趣味:
旅行 骨董 庭仕事

著作



「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」

Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!

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