古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
ひばりの叔母と呼ばれる幸せ
美空ひばり母娘のドラマ「美空ひばり誕生物語─おでことおでこがぶつかって─」(5/29●TBS系)を見ました。
まず最初に。
「これはないだろ!」と思ったのが上戸彩の扱い。
いや、べつに私は上戸のファンではありませんが、もしファンなら「詐欺だ!」と暴動を起こすかもしれません。
番宣では、美空ひばり役を上戸が演じるということで、まあ実質は母役の泉ピン子が主役なんだろうなと思いつつも、上戸も泉と並ぶ主役の扱いだと誰もが思うようなアピールをしていたんです。
それなのに……。
蓋を開ければほとんどが美空ひばりが売れるまでの子供時代の話がメインで、ひばり役は延々と子役。
結局、上戸が登場したのは、2時間半のドラマのうち2時間をまわってから。
しかも、やったことといえば「おとうさん、今までごめんね」「おかあさん、今までありがとう。これからもずっと私のそばにいてね」と笑顔でしみじみと言って親をジーンとさせる場面だけ。
え…………これ……だけですか?
いや、そんな「いろいろあったね」と述懐する場面だけに出るって、それ年寄りの大物俳優ならわかるけど、人気絶頂の若手女優の使い方じゃないでしょ。
これは主演じゃなくて「友情出演」といったほうがいいのでは?
それともこれは単発ドラマじゃなくて、秋頃から上戸編が連ドラ化されるという壮大な計画があるのか?
謎です……。
次に気になったのは、キャストが見事に石井ふく子ファミリーで固められていたこと。
出るわ、出るわ、「渡鬼役者」が。
ひばりの母親役は五月(泉ピン子)だし、家で働いている青年は本間先生(植草克秀)だし、近所の肉屋のせきさんはタキさん(野村昭子)だし、劇場支配人はシュウちゃん(岡本信人)だし、ひばりの兄貴分の川田義男は宗方さん(井上順)だし、ひばりが通う学校の校長先生は勇(角野卓造)だし、おまけにタマコおばさん(森光子)まで登場する始末。
森光子といえば、森光子や淡島千景などの大物俳優には、意味もなく(あまり本筋には関係のない)見せ場や長ゼリフが用意されているというのも違和感ありました。
そういうのって商業演劇ならよくあることだけど(いわゆる儲け役というやつ。ちょっとだけ出てきて印象を残すように作る。この「ちょっとだけ」というところがミソです)、TVではあんまり見ませんよね。
それとも、これまた秋頃に明治座あたりで「美空ひばり誕生物語」を上演する計画でもあるんだろうか。
謎です……。
さて、肝心の内容ですが、一言でいってバランスが悪い感じ。
あまりにも子供の頃の話に偏りすぎです。
美空ひばりのドラマというと、わりと亡くなってすぐくらいに「岸本加世子=美空ひばり&樹木希林=お母さん」というフジカラーな組み合わせでオンエアされたことがありまして、それは美空ひばりが亡くなるところまでやっていたので、かなり濃かったです。
べつに有名人のドラマだからといって必ずしも死ぬまでを描かなくてはいけないとは思わないし、美空ひばりが一人前の歌手として認められるところまでで切るのもひとつの考え方だし、お母さんとの関係をメインに描くなら、お母さんが亡くなるところまでをドラマにする方法もありでしょう。
でもこのドラマ、2時間半もあるわりには、起伏が全然ないんですよ。
もちろん事件(エピソード)はあります。
ひばりを歌手にするために奔走するお母さんの姿とか、それに反対するお父さんの姿とか、周囲の人の励ましとか無理解とか、それを乗り越えていく2人…という基本路線ははっきりしている。
だけど、一番重要な母娘の関係の描き方がすごく表面的なんですよ。
「一卵性母娘」と呼ばれるほど仲がよかったと言われていますが、どんなに仲の良い母娘でも、いや仲の良い母娘であればなおさら、反発もあっただろうし、外部の介入でギクシャクすることもあったと思います。
まあ、普通に考えて、娘が母からの自立をはかろうとするようなエピソードは当然ありますよね。考え方の対立も一度もないってわけはないだろうし(もしそうならドラマにはなりません)、傷つけるような言葉を言って後悔してしまったこともあるでしょう。
そういう紆余曲折を経て、ひばりにとって母親が、また母親にとってひばりがどんな存在だったのかを確認するまでの話にしなければドラマとして盛り上がらないと思うんですよね。
今回のドラマに出てくる母娘は、終始一貫べったりとくっついていて、ひばりはすごく素直だし、お母さんもひばりのことしか考えていない。要するに2人で完結しちゃってるんですよ。
この2人の世界を壊すような外圧も、なくはないけど中途半端です(あっという間に解決しちゃうので)。
「お母さんも頑張りました」「ひばりも頑張りました」というだけで2時間半見せられてもドラマとしてはどうなんでしょうか。
ひばりが結婚したいと言い出すとか、そのへんからですよね。お母さんの思い通りにならなくなってくるのは。なのに、その前で話が終わっちゃってるから、「え。これからでしょ。ドラマが始まるのは」という不消化感が残ってしまうのだと思います。
美空ひばりが大歌手になったのは、私生活が決して幸せではなかったことも関係していると思うので、そこを描かずしてこの歌手の物語は語れないのではないでしょうか。
という物足りなさを残しつつも、ひとつだけ興味深い部分がありました。
それは、ひばりの世話や売り込みにかまけて残りの3人の子供や家の事がおろそかになりがちだった母・喜美枝を助けた妹(=ひばりの叔母)・静子(京野ことみ)の存在です。
静子は、若いうちから喜美枝の家に同居し、子供たちの世話に明け暮れているうちに婚期を逸してしまいます。
今までひばり関連の話でこういう叔母さんがいたということは聞いたことがありませんが、この設定はあるいはフィクションかもしれません。
たしかに、ひばりにつきっきりになる喜美枝に対して、正面から「他の子供たちのことも考えてあげてよ」と現実的な正論を言えるのは静子だけだし、歌手ひばりを誕生させるために影で犠牲になった家族として、マイナスの部分を背負っている静子は非常に重要な役回りです。
しかし、静子はその役回りにしばしば不満を唱えながらも、ついに憎からず思っている人からのプロポーズすら断り、「この家に残りたい」と宣言するのです。
その理由は、「私がいないとこの家は困るから」という建前的なものではなく、「私も美空ひばり誕生の物語に少しでもかかわりたいのかも……」というものでした。
このセリフは、表面的な描写の多いこのドラマの中で唯一実感として心に残りました。
というのも、江利チエミをモデルにした林真理子の小説「テネシーワルツ」にも同じような身内が登場するからです。
それはチエミの異父姉で、最初は平凡な主婦として暮らしているのですが、あるきっかけで自分がチエミの姉だと知った彼女は、チエミと姉妹対面を果たします。
それ以降、手伝いと称してチエミの家に入り浸るようになった彼女は、ついに夫や子供の家には帰らなくなってしまいます。
チエミは大歌手だったので、姉といっても彼女の扱いは使用人同然で、彼女は幾度となくプライドを傷つけられ、「こんなところ、誰がいるものか」とチエミへの憎しみをたぎらせるのですが(でもチエミには悪気がなく、彼女は姉を信頼しきっている)、そう言いつつ、華やかな世界の一端に加われるという誘惑には勝てず、ついにチエミの嫁ぎ先にまで居座ります。
静子のセリフをきいてこの姉を思い出しました。
静子を「ひばりの犠牲者」とみるのは簡単ですが、本当はもっと複雑な思いでそばにい続けたんでしょうね。
私としては、この静子をもっとフィーチャーしてほしかったのですが(そうすればドラマにさらに厚みが出たでしょう)、せっかくのおいしい役どころがあまり生かされることなく終わっていたのが残念でした。
ちなみに、今回のドラマの一番のつっこみどころは、中村雅俊演じるひばりパパでした。
ひばりとひばりママが地方巡業で留守のとき、ひばりの弟妹3人がいっぺんに肺炎にかかってしまうという事件が起こります。いっぺんにですよ。
あわてて喜美枝に電話する静子。
「お姉ちゃん。お願い。すぐに帰ってきて」
電話を受けた喜美枝は、動揺しながらも「私がひばりのそばを離れるわけにはいかない」と悩みます。
しかし、ひばりが「いつも私だけがお母さんを独占していて弟たちはかわいそう。私は一人で大丈夫だからすぐに帰ってあげて」とけなげに言ったもので、喜美枝も帰る決心を。
そこへ現れたのはひばりパパ。「おまえの仕事はひばりについてやることだろう。家のことは心配しなくていいから。子供たちは俺がみる」と啖呵をきります。
ずっとひばりを巡業に連れ出すことに反対していたはずのパパの温かい言葉に感動するひばり&ひばりママ。
いいシーンです。
ところがそのあと、枕を並べて肺炎の苦しさにあえいでいる子供3人の枕元に座り込んだひばりパパ、腕組みしたままなんと言ったと思います?
「子供たちも大きくなったものだな」
…………………はぁ?
いや、そんなこと言ってる場合じゃないって!
肺炎だよ、肺炎。
頼むよー、とうちゃん。ここ、しみじみするシーンじゃないから!
というわけで、最後に予言を。
京野ことみは、近い将来、石井&橋田ファミリー入りするのではないでしょうか。
舞台では、芸術座の「初蕾」でもすでにヒロインやってますしね。
「渡鬼レギュラー入り」も近いでしょう。
役どころは……そうですね。年格好から考えて、本間先生が勤める病院のナースで、長子があまりにも自由にさせすぎた本間先生と不倫疑惑が発覚。ていうのではどうでしょう。今回のドラマで植草にプロポーズされてたのはその伏線?
いや、作風からいって不倫が成就することはなさそうだし、そうだとするとこの役柄ではあっという間に出番がなくなるかな……。
皆さんのご希望は?
まず最初に。
「これはないだろ!」と思ったのが上戸彩の扱い。
いや、べつに私は上戸のファンではありませんが、もしファンなら「詐欺だ!」と暴動を起こすかもしれません。
番宣では、美空ひばり役を上戸が演じるということで、まあ実質は母役の泉ピン子が主役なんだろうなと思いつつも、上戸も泉と並ぶ主役の扱いだと誰もが思うようなアピールをしていたんです。
それなのに……。
蓋を開ければほとんどが美空ひばりが売れるまでの子供時代の話がメインで、ひばり役は延々と子役。
結局、上戸が登場したのは、2時間半のドラマのうち2時間をまわってから。
しかも、やったことといえば「おとうさん、今までごめんね」「おかあさん、今までありがとう。これからもずっと私のそばにいてね」と笑顔でしみじみと言って親をジーンとさせる場面だけ。
え…………これ……だけですか?
いや、そんな「いろいろあったね」と述懐する場面だけに出るって、それ年寄りの大物俳優ならわかるけど、人気絶頂の若手女優の使い方じゃないでしょ。
これは主演じゃなくて「友情出演」といったほうがいいのでは?
それともこれは単発ドラマじゃなくて、秋頃から上戸編が連ドラ化されるという壮大な計画があるのか?
謎です……。
次に気になったのは、キャストが見事に石井ふく子ファミリーで固められていたこと。
出るわ、出るわ、「渡鬼役者」が。
ひばりの母親役は五月(泉ピン子)だし、家で働いている青年は本間先生(植草克秀)だし、近所の肉屋のせきさんはタキさん(野村昭子)だし、劇場支配人はシュウちゃん(岡本信人)だし、ひばりの兄貴分の川田義男は宗方さん(井上順)だし、ひばりが通う学校の校長先生は勇(角野卓造)だし、おまけにタマコおばさん(森光子)まで登場する始末。
森光子といえば、森光子や淡島千景などの大物俳優には、意味もなく(あまり本筋には関係のない)見せ場や長ゼリフが用意されているというのも違和感ありました。
そういうのって商業演劇ならよくあることだけど(いわゆる儲け役というやつ。ちょっとだけ出てきて印象を残すように作る。この「ちょっとだけ」というところがミソです)、TVではあんまり見ませんよね。
それとも、これまた秋頃に明治座あたりで「美空ひばり誕生物語」を上演する計画でもあるんだろうか。
謎です……。
さて、肝心の内容ですが、一言でいってバランスが悪い感じ。
あまりにも子供の頃の話に偏りすぎです。
美空ひばりのドラマというと、わりと亡くなってすぐくらいに「岸本加世子=美空ひばり&樹木希林=お母さん」というフジカラーな組み合わせでオンエアされたことがありまして、それは美空ひばりが亡くなるところまでやっていたので、かなり濃かったです。
べつに有名人のドラマだからといって必ずしも死ぬまでを描かなくてはいけないとは思わないし、美空ひばりが一人前の歌手として認められるところまでで切るのもひとつの考え方だし、お母さんとの関係をメインに描くなら、お母さんが亡くなるところまでをドラマにする方法もありでしょう。
でもこのドラマ、2時間半もあるわりには、起伏が全然ないんですよ。
もちろん事件(エピソード)はあります。
ひばりを歌手にするために奔走するお母さんの姿とか、それに反対するお父さんの姿とか、周囲の人の励ましとか無理解とか、それを乗り越えていく2人…という基本路線ははっきりしている。
だけど、一番重要な母娘の関係の描き方がすごく表面的なんですよ。
「一卵性母娘」と呼ばれるほど仲がよかったと言われていますが、どんなに仲の良い母娘でも、いや仲の良い母娘であればなおさら、反発もあっただろうし、外部の介入でギクシャクすることもあったと思います。
まあ、普通に考えて、娘が母からの自立をはかろうとするようなエピソードは当然ありますよね。考え方の対立も一度もないってわけはないだろうし(もしそうならドラマにはなりません)、傷つけるような言葉を言って後悔してしまったこともあるでしょう。
そういう紆余曲折を経て、ひばりにとって母親が、また母親にとってひばりがどんな存在だったのかを確認するまでの話にしなければドラマとして盛り上がらないと思うんですよね。
今回のドラマに出てくる母娘は、終始一貫べったりとくっついていて、ひばりはすごく素直だし、お母さんもひばりのことしか考えていない。要するに2人で完結しちゃってるんですよ。
この2人の世界を壊すような外圧も、なくはないけど中途半端です(あっという間に解決しちゃうので)。
「お母さんも頑張りました」「ひばりも頑張りました」というだけで2時間半見せられてもドラマとしてはどうなんでしょうか。
ひばりが結婚したいと言い出すとか、そのへんからですよね。お母さんの思い通りにならなくなってくるのは。なのに、その前で話が終わっちゃってるから、「え。これからでしょ。ドラマが始まるのは」という不消化感が残ってしまうのだと思います。
美空ひばりが大歌手になったのは、私生活が決して幸せではなかったことも関係していると思うので、そこを描かずしてこの歌手の物語は語れないのではないでしょうか。
という物足りなさを残しつつも、ひとつだけ興味深い部分がありました。
それは、ひばりの世話や売り込みにかまけて残りの3人の子供や家の事がおろそかになりがちだった母・喜美枝を助けた妹(=ひばりの叔母)・静子(京野ことみ)の存在です。
静子は、若いうちから喜美枝の家に同居し、子供たちの世話に明け暮れているうちに婚期を逸してしまいます。
今までひばり関連の話でこういう叔母さんがいたということは聞いたことがありませんが、この設定はあるいはフィクションかもしれません。
たしかに、ひばりにつきっきりになる喜美枝に対して、正面から「他の子供たちのことも考えてあげてよ」と現実的な正論を言えるのは静子だけだし、歌手ひばりを誕生させるために影で犠牲になった家族として、マイナスの部分を背負っている静子は非常に重要な役回りです。
しかし、静子はその役回りにしばしば不満を唱えながらも、ついに憎からず思っている人からのプロポーズすら断り、「この家に残りたい」と宣言するのです。
その理由は、「私がいないとこの家は困るから」という建前的なものではなく、「私も美空ひばり誕生の物語に少しでもかかわりたいのかも……」というものでした。
このセリフは、表面的な描写の多いこのドラマの中で唯一実感として心に残りました。
というのも、江利チエミをモデルにした林真理子の小説「テネシーワルツ」にも同じような身内が登場するからです。
それはチエミの異父姉で、最初は平凡な主婦として暮らしているのですが、あるきっかけで自分がチエミの姉だと知った彼女は、チエミと姉妹対面を果たします。
それ以降、手伝いと称してチエミの家に入り浸るようになった彼女は、ついに夫や子供の家には帰らなくなってしまいます。
チエミは大歌手だったので、姉といっても彼女の扱いは使用人同然で、彼女は幾度となくプライドを傷つけられ、「こんなところ、誰がいるものか」とチエミへの憎しみをたぎらせるのですが(でもチエミには悪気がなく、彼女は姉を信頼しきっている)、そう言いつつ、華やかな世界の一端に加われるという誘惑には勝てず、ついにチエミの嫁ぎ先にまで居座ります。
静子のセリフをきいてこの姉を思い出しました。
静子を「ひばりの犠牲者」とみるのは簡単ですが、本当はもっと複雑な思いでそばにい続けたんでしょうね。
私としては、この静子をもっとフィーチャーしてほしかったのですが(そうすればドラマにさらに厚みが出たでしょう)、せっかくのおいしい役どころがあまり生かされることなく終わっていたのが残念でした。
ちなみに、今回のドラマの一番のつっこみどころは、中村雅俊演じるひばりパパでした。
ひばりとひばりママが地方巡業で留守のとき、ひばりの弟妹3人がいっぺんに肺炎にかかってしまうという事件が起こります。いっぺんにですよ。
あわてて喜美枝に電話する静子。
「お姉ちゃん。お願い。すぐに帰ってきて」
電話を受けた喜美枝は、動揺しながらも「私がひばりのそばを離れるわけにはいかない」と悩みます。
しかし、ひばりが「いつも私だけがお母さんを独占していて弟たちはかわいそう。私は一人で大丈夫だからすぐに帰ってあげて」とけなげに言ったもので、喜美枝も帰る決心を。
そこへ現れたのはひばりパパ。「おまえの仕事はひばりについてやることだろう。家のことは心配しなくていいから。子供たちは俺がみる」と啖呵をきります。
ずっとひばりを巡業に連れ出すことに反対していたはずのパパの温かい言葉に感動するひばり&ひばりママ。
いいシーンです。
ところがそのあと、枕を並べて肺炎の苦しさにあえいでいる子供3人の枕元に座り込んだひばりパパ、腕組みしたままなんと言ったと思います?
「子供たちも大きくなったものだな」
…………………はぁ?
いや、そんなこと言ってる場合じゃないって!
肺炎だよ、肺炎。
頼むよー、とうちゃん。ここ、しみじみするシーンじゃないから!
というわけで、最後に予言を。
京野ことみは、近い将来、石井&橋田ファミリー入りするのではないでしょうか。
舞台では、芸術座の「初蕾」でもすでにヒロインやってますしね。
「渡鬼レギュラー入り」も近いでしょう。
役どころは……そうですね。年格好から考えて、本間先生が勤める病院のナースで、長子があまりにも自由にさせすぎた本間先生と不倫疑惑が発覚。ていうのではどうでしょう。今回のドラマで植草にプロポーズされてたのはその伏線?
いや、作風からいって不倫が成就することはなさそうだし、そうだとするとこの役柄ではあっという間に出番がなくなるかな……。
皆さんのご希望は?
「テネシーワルツ」(本)
江利チエミをモデルにしたスター歌手と
その異父姉を巡る光と影の物語。
林真理子らしいビターな描写満載。
江利チエミをモデルにしたスター歌手と
その異父姉を巡る光と影の物語。
林真理子らしいビターな描写満載。
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
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数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
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