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古伊万里★新伊万里

劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です

カテゴリー「劇作家修業」の記事一覧

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新緑の季節に…「一葉会」始動!

 新緑のまぶしい季節になりましたね。
 今日は、この場を借りて(いや、べつに借りなくてもいいのか。自分のブログだし)皆様にひとつご報告をさせていただきます。

 えー、皆さん。まずお手元に手帳をご用意ください。
 次に11月のページを開き、4日の日曜日に赤丸をつけてください。
 この日に戯曲科の卒業生2名と共同で「リーディング公演」を行います。

 リーディング公演については、すでに「リーディング公演って…」(2006年9月25日の記事)とか「『病院ミシュラン』リーディング公演」(2006年1月26日の記事)などで散々話題にしてきましたが、じつは1年くらい前から「自分たちの作品をリーディング形式で発表してみたい」という企画は温めていたんです。

 新人作家の作品を上演してもらうのは非常に険しい道のりで、私もあと一歩のところでチャンスが逃げていくという経験を何度もしてきました。
 コンクールに通っても上演はしてくれないというケースも珍しくなく、そうなるとなんのコネもない作家はどうすりゃいいんだって感じです。
 いくら一生懸命書いても、読んだ人にほめられても、形にならなければ意味がないのが脚本というもの。もっといえば内容はどうあれ、上演したもの勝ちという世界でもあります。

 「なんかもうさー、自分たちで上演しちゃったほうが早くね?」

 という気分が濃厚になってきたある日のこと、同じような境遇の仲間に声をかけてみたところ、2人がのってくれて一気にプロジェクトがたちあがることになりました。
 とはいうものの、公演の製作に関してはド素人の私たち、最初から通常の形態で公演をうつのは無謀なので、「最初は確実に形にできるところからってことでまずはリーディング公演をやってみようよ」ということに。

 すでに散々書いた話ですが、リーディング公演っていうと、「ほんとは普通の形で上演したいところなんだけど、お金も時間も人手もないのでリーディング形式にしてみました」といった消極的な形で行われるものが多いじゃないですか。
 まあ消極的っていうのは言い過ぎにしても、プロモーション的役割っていうか、「まずはリーディングするから聞いてみて、もし気に入ったら通常の形で上演してくださいね」っていうような、それじたいが目的なのではなく、あくまでも「通常上演されることを前提とした作品を紹介する」という形で行われることが多いと思うんです。
 でもせっかくやるからにはそれじゃつまらないじゃないですか。
 そうじゃなくて、あえてリーディングでなきゃできない、リーディングならではという作品を提供したいなと思いまして、今回は3人でそれぞれ「リーディング公演のための」書き下ろしを書くことになりました。

 と、そこまではよかったんですが、「じゃあどういう話がリーディング向きなのか」「リーディングで(動きなどを)どこまで表現していいのか」と言われると、正直なところはっきり「こうだ」と言えない自分たちがいて、企画段階で方向性を決定するのにかなり難航しました。
 最初は「参考になるかもしれない」と3人であちこちのリーディング公演を観てまわったりもしたんですが、リーディング公演の捉え方はほんとに人それぞれで、観れば観るほど「こうあらねばならない」という定義が遠のいていくような気がしました。「こうあらねばならない」というのがないからこそ「どうやるか」を決めるのが難しいというか…。

 そうこうしているうちにあっという間に1年が過ぎてしまい、さすがに「いつまでも話し合ってても埒があかないぞ、これは」という雰囲気になり、「とにかく先に会場をおさえよう」ということになりました。
 ところが、これが考えていたよりも厳しい戦いで。。。
 資金面を抑えようとするとどうしても「公共施設」狙いになってしまうのですが、同じこと考えてる人は当然いっぱいいますから、条件のいいところはそれなりに競争率も激しいわけです。
 そういうところはキャンセルもきかないようになっているから、複数押さえて片方をキャンセルということもむやみにできないし、1回抽選のチャンスを逃すと次はまた1ヶ月待たなきゃいけない。
 ってことで、いろいろと駆け引きが必要になりましたが、奮闘の甲斐あって当初考えていた「希望」に限りなく近い場所と日程を押さえることができました。

 ゲットした会場は、「中目黒GTプラザホール」という目黒区の公共施設で、劇場ではなく多目的ホールといった感じの平土間のスペースです。
 リーディングにはちょうどいい感じで、アクセスも抜群(中目黒駅のすぐ隣り)です。
 今の時点ではっきりと発表できるのは、「11月4日(日)の昼公演」ということと、場所が「中目黒GTプラザホール」ということ、3作品を3人の役者で演じるということだけですが、詳細が決まりましたら、その都度このブログなり、HPなりで進行状況を発表していきますのでどうぞお楽しみに。

 そうそう。最後に私たちの団体名もこの場を借りて(←だから借りなくていいって)発表させていただきます。

 「一葉会」

 そのココロは……はい、その通り。
 樋口一葉→書く女→「書く女」の会というつながりです。
 ちょうど団体名を検討している時期に永井愛さんの「書く女」を3人で観たので、この名前を採用しました。
 書き手主体のプロデュース公演ってなかなかないので(書き手主宰の劇団ならあるけど)、今後も「書く女」の立場として、この活動は頑張って続けていけたらと思っています。
 
 というわけで、とりいそぎ、日程と会場と組織名称のお知らせのみ、させていただきました。

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「妄想アミーゴ」

 こちらのコメント欄にもしばしば登場するレミゼ貧乏さんのブログで「青春アミーゴ」についてとりあげられていました。
 そう。2005年の最大のヒット曲にして、人気ドラマ「野ブタをプロデュース。」の主題歌だったあの「青春アミーゴ」です(亀梨と山Pがドラマの登場人物の名前でユニットを組んで歌った)。
 その「青春アミーゴ」の歌詞、というかそこに描かれているシチュエーションの一部がレミゼ貧乏さんのお気に召さなかったらしく、「レミゼ貧乏版・青春アミーゴ」を作ってみました…というのがブログの内容です。
 詳細はレミゼ貧乏さんのブログをご覧ください。

 じつは私も「青春アミーゴ」は気になっていた曲でした。
 なんというか、歌詞に書かれた世界が日常なのか非日常なのか判然としないのが気持ち悪い、いや、いい意味でですよ。まあ、ひらたく言うとキャッチーだったんですね。
 だって「シー」とか「アミーゴ」とかイタリア語連発してるわりには、伝わってくる雰囲気は「コンビニにたむろしてる高校生同士の小競り合い」みたいなしょぼい感じだし。いったいどんなシチュエーションなんだよって思いませんでしたか?皆さん。
 「例のやつら」って誰よ。マフィア?
 「地元じゃ負け知らず」の地元ってどこ? シチリア島?
 …などなどつっこみどころが満載(笑)。
 
 という話はさておき。
 レミゼ貧乏さんが気に入らなかったのは「助けてくれ。例のやつらに追われてるんだ」という部分。
 レミゼ貧乏さんが好きな「男同士の熱い友情」の美学からいくと、このようなシチュエーションの場合、「助けてくれ」と道連れを望むのではなく、逆に「外に出るな」と相手を遠ざけるはずだというのです。自分はもうダメだけどせめておまえは逃げのびろと。でも、電話をうけたほうはかけてきたほうの危機を察して飛び出していく。しかし時すでに遅く、相棒は死にかけている。来てくれたことを喜びながらもそれを素直に表に出せず、憎まれ口をきいてしまう相棒。その気持ちは痛いほどわかるのに、やっぱり憎まれ口で答えてしまうもう一人。そんな感じにしてほしいのだと。

 「なるほどー」と思いましたね。
 たしかに言われてみれば「助けて」はないよなと私も思います。
 「私ならこうする!」という「レミゼ貧乏版・青春アミーゴ」も興味深く読みました。
 私は講座でレミゼ貧乏さんの作品を何本か拝読しているので、彼女の好みはよく知っています。なので「レミゼ貧乏さんらしさ」にニンマリといたしました。
 ただ、「おまえ、絶対家出るなよ」「絶対こっち来るなよ」と連発するのはかえって「これは来てくれってことだよ」という作者の意図を強調することになると思うので、もし私だったらそのセリフは入れないかなーと思います。
 じゃあどうするのか?
 ここから私の妄想にもスイッチが入りました。

 もし自分がやられてるところに相棒が来たのを見るという状況だったら「こっちに来るな」「あいつは関係ない」とか叫ぶかもしれないけど、これは「その場にはいない相棒」に電話をかけるという状況なんですよね。
 となるとどうなんだろう。
 うーん。私なら「追われてる状態(=これからやられるところ)」ではなく、「すでにやられて死にかけた状態」で電話させるかな。
 そういう状況で相棒に電話するとしたら、そのときはもはや「こっちに来るな」といった相手の立場に立つような冷静なことは言わないかもしれないですね。
 ほんとに「ああ、自分はもうこのまま死んでいくんだな」と思うところまできたら、もっと純粋に「相棒の声が聞きたい」「相棒の腕の中で死にたい」というある意味「自分の中の欲求」に忠実になるんじゃないでしょうか。

 たとえば、B(死んでいく方)は、その日A(助けにいく方)と会う約束をしていた。
 Aの何かの晴れ舞台(結婚式とか)を祝いにいくとかでもいい。
 その途中で「例のやつら」にやられてしまう。
 それでもBは血みどろになりながらも花束をもって教会へかけつけようとする。
 でも教会の外で力つきる(このへん「白夜行」のトップシーンの影響受けてるかも)。
 ガーデンパーティーで幸せそうにしているAを離れたところから見てホッとするB。
 そして携帯に電話を入れる。

 A「(電話に出て)なんだよ。おまえ、今どこだよ。もうすぐ披露宴終わっちゃうよ」
 B「悪い……今日……行けなくなっちゃったよ」
 A「行けないって……おまえ、どっからかけてんだよ」
 B「電車が……ジコっちまってよ」
 A「電車?」
 B「ああ……一面……血の海……」

   と、身体から流れる大量の血を眺めるB。

 A「(Bの様子が変だと思い)おい…どこだよ。おまえ、どこにいるんだよ」
 B「血がさぁ……」
 A「え?」
 B「血って…あったかいのな……(薄く笑う)」
 A「(やられたのかという不吉な予感)B……おまえ……」
 B「(唐突に)●●は××だっておまえ言ってただろ」
 A「(戸惑って)……?」
 B「あんとき俺、そんなはずない、●●なら★★だろって言い張ったけどさぁ……考えてみたら××も悪くないかもしれないよなぁ…。うん。おまえらしくていいよ」

   いつもは絶対に妥協しないBが素直なことに
   言いようのない不安を募らせるA。


 A「なに言ってんだよ。『だからおまえはダメなんだよ。そういう甘さが相手をつけいらせるんだ』ってしょっちゅうえらそうに説教してたくせに」

   と、しゃべりながら、夢中でBの姿を探しまわるA。
   そして携帯をもったまま死にかけているBを発見。
   Bに駆け寄るA。


 B「なんだ……みつかっちゃったか……へへ…かっこわりぃ、俺」
 A「どうしたんだよ、この傷。あいつらか?…あいつらなのか?」
 B「(花を渡し)おめでとう……A。遅刻して悪かったな」
 A「なんだよ。おまえ、今までしょっちゅう遅刻して、謝ったことなんて1回もなかったじゃねえか。こんなときに謝ってんじゃねーよ」
 B「はは……そうか。そうだな」
 A「だいたいおまえ、あんな弱気なこと言うな。あんなこと言われたら……俺が変だと思って探し回ることくらいわかんねえのかよ。こんな…こんなのおまえらしくないよ。かっこよく一人でくたばれねえのかよ」
 B「そうだな……意外にかっこわるかったみたいだ…俺」
 A「B……」
 B「おまえに探してもらいたかった……かも」
 A「……(涙でぐっとつまる)」
 B「でもさ…」
 A「?」
 B「(耳元で)やっぱり●●は★★だろ」

   ここで幸せそうな顔で絶命するA。

 レミゼ貧乏さんが「くさいのが好き」とおっしゃっていたので、私も気持ちくさめにまとめてみました。
 私の好みは、「相手のために」という男気と、「やっぱり甘えたい」という弱さがいい感じにブレンドされた状態ですね。
 ポイントとしては、「昔の対立」とか、「今まで素直に認められなかった相手のこと」をネタに使うってことかな。そのネタがこの場に関係ないものであればあるほど2人の世界が立体的にたちあがってくるような気がします。
 ●●★★××は適宜工夫して皆さんの好きな言葉で埋めてください(←おまえは歌丸師匠か?)。

 こんなとこでいかがでしょう>レミゼ貧乏さん
 皆さんの「妄想アミーゴ」はどんなパターンかな。

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「病院ミシュラン」リーディング公演

 この前の日曜日、テアトル・エコーの稽古場において、「病院ミシュラン」のリーディング公演が行われました。

 「病院ミシュラン」は、エコーが毎年行っている創作戯曲募集の佳作に入った作品ですが(2004年秋に受賞)、1年以上放置されていたので、もう上演はないのかなと諦めかけていた頃、演出部の平野さんから「リーディング公演をやる」という連絡を受けました。
 以下、すでに何回も聞いた話かもしれませんが、初耳な方のためにもう一度説明します。

 まず、エコーの賞には入選と佳作がありますが、入選はほとんど出ません(この30年でたしか2回程度。2004年度も入選はありませんでした)。佳作は6回程度出ていますが、入選も佳作も該当者なしという年のほうが多いようです。入選は受賞後の上演が約束されていますが、佳作はされていません。
 「ミシュラン」の場合は、かなり前から「上演」の話が動いていたのですが、いろいろな事情があってなかなか決定まで進みませんでした。
 そういう状況でのお知らせだったので、「よっしゃぁ〜〜!!」という感じでした。

 リーディング公演とは、いわゆる「読み合わせ」と呼ばれる状態を観客に披露することで、欧米などではかなり盛んに行われているようです。
 ひとつの舞台をつくりあげるには大変な人手や時間やお金や労力が必要ですが、リーディング公演なら1日スケジュールを合わせるだけで比較的手軽に行うことができます。
 衣装や装置も必要ないのでコストもかかりません。
 一口にリーディングといっても、台本を持って簡単な動きをつけてイメージをふくらませるといったレベルから、本当に「読むだけ」のリーディングまで、いろいろなレベルがありますが、どういう形にせよ、よけいな装飾がない分、台本の力がストレートに伝わってくるので、本の力を値踏みするために行われることが多いようです。
 たとえば、最近で言うと、永井愛がロンドンのブッシュシアターで「時の物置」のリーディング公演を催してもらい、それが大好評だった結果、ブッシュシアターから書き下ろしの依頼があった…なんて話もありました(結局書き下ろした作品は、テーマが先方の意に添わなかったということで、話が頓挫してしまったようですが。ちなみに、その作品は、昨年度の日本のおもだった演劇賞をいくつもとっている「歌わせたい男たち」です)。
 そんなわけで、リーディング公演は、上演を決定する前に行われる試演会みたいな意味合いもあるので、役者さんも緊張するでしょうが、作者もかなり緊張でした。

 「病院ミシュラン」は、テアトル・エコーにあてて書いたものなので、私が書いた作品の中ではけっこう珍しいタイプの作品だと思います。
 いわゆるシチュエーション・コメディというやつで、一言でいうと誤解が誤解を呼ぶドタバタコメディです。
 情がからむところはいっさいなく、どちらかというと「ここにコレを投入するとこうなる」みたいな化学反応だけで話を進めていくタイプの数学的なコメディですね。
 お手本としたのはレイ・クーニー。日本だと三谷幸喜が近いでしょうか。
 私も日頃よく舞台を観ますが、こういうタイプの台本は意外に少ないかも。前半だけならあるかもしれないけど、だいたい後半になると人情話に落ち着くパターンが圧倒的に多い。たとえ前半に誤解の応酬でスピーディーに展開させていっても、最後は誤解が解けてまったり余韻を残すような締めになるのが常。じつは余韻を残さない終わらせ方、誤解を解かせない終わらせ方のほうが数段難しいので、今回も何回も「人情」を投入したい誘惑にかられました。

 テアトル・エコーは喜劇専門集団ですが、どちらかというと「人情喜劇」チックなものよりはこういう瞬発力勝負みたいなタイプのコメディのほうがお好みのようです。
 普段、声優をしていらっしゃる方が多いせいか、エコーの役者さんは声質が日本人的でない人が多いというか、湿っぽくないんですよ。だから翻訳ものをやっても違和感がない。声だけ聞いてると「洋画劇場」の世界なので。
 今回は、現代の日本人の話ではあるんですけど、わりと「現実」と「虚構」の間のギリギリをいく設定なので、そういう意味では変にリアルにならないエコーの役者さんのお芝居はすごく合ってると思います。
 多分、この話はリアルに演じるやいなや、観客が冷静になって「こんなことねえよ」とかつっこみを始めるんじゃないかって気がする……。

 「病院ミシュラン」のストーリーは、病室の中だけで展開されます。
 病院の評価をするために、覆面調査員が入院患者の中に潜入するんですが、その調査員が誰なのかわからず、病院側は戦々恐々としている。そんな状況下で、誤解が複雑にからみあって喜劇が繰り広げられていきます。
 けっこうこれ読んだ人は「ほんとにこんなものあるの?」とか聞いてくるんですが、もちろんフィクションです。
 ただ、「ミシュラン」を書いてから3年たった今、時代は確実にこの本に書かれているフィクションの世界に近づいてきています。
 これには自分でもびっくりしているんですが。

 私が唯一他人様に自慢できる(!)「豊富な入院経験」を目一杯生かして書いた渾身の作品──それが「病院ミシュラン」です(周囲には「ほんとにころんでもタダで起きない人だよね」とほめられました)。
 ちょっとでも病院にかかわったことのある方なら、皆さん絶対に「そうそうそうそう」と思いあたることがあるはずです。。

 前置き長くなりましたが、そんなこんなで待ち望んだ公演がようやく行われました。
 いやー、おもしろかったです!
 月並みですが、目で読む言葉と、役者が話す言葉を聞くのはこんなにも違うんだなといろいろ勉強になりました。
 コメディって書いてるときは全然楽しくなくてつらいばっかりなんですが(悲劇のほうが精神的に楽だし、カタルシスがあります)、笑いのリアクションがあって初めて報われました。
 お客は、劇団員の一部と、私がお連れした知りあい10数人だけでしたが、生の反応がその場で返ってくることで、ようやく「ミシュラン」が命を吹き込まれた気がしました。長い間、仮死状態だったけど(笑)。
 この先、上演が決まるかどうかはエコー次第ですが、胎児状態の「ミシュラン」をぜひ誕生させてやってほしいです。



右端が今回の企画コーディネーターの平野さん。
その隣りが先輩ナース・桜井役の近藤さん、看護師長・片岡役の高橋さん、
主人公の患者・連城役の川本さん、新米ナース・桐野役のきっかわさん。




右から川本さん、きっかわさん、糖尿病患者・河合役の山崎さん、
院長・村雨役の上間さん、連城の妻・美鈴役の石津さん。
すいません。あと4人いるんですが、写ってませんでした。
藤原さん、山下さん、小宮さん、多田野さん、ごめんなさい!




右から山崎さん、上間さん、石津さん。
望遠にしたら手ブレしちゃってアップの写真はこれ以外は失敗しました。

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プロフィール

HN:
伊万里
性別:
女性
職業:
劇作家・ライター
趣味:
旅行 骨董 庭仕事

著作



「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」

Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!

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