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古伊万里★新伊万里

劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です

カテゴリー「舞台」の記事一覧

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バレエ界の大竹しのぶを発見!

 皆様ご存じの通り、貧乏のくせに観劇に高いお金を払い続けている私。
 「エンゲル係数」ならぬ「観劇係数」というものがあるなら、かなりいい線(いいのか?)いくことは間違いないと思います。
 そんな私だからこそ、これ以上罪を重ねないためにも、「演劇」や「ミュージカル」に抵触しそうなエンターテインメントにはできるだけ近づかないように自制してきました。
 たとえば、歌舞伎、能・狂言、文楽、オペラなどのような、通い出したら財布に穴が開いてる状態になりそうなもの。それ単独でも大変そうなのに、これプラス演劇となったらどんな恐ろしいことになるのか…。
 バレエもその要注意項目の一つだったのですが、なにかのきっかけで急に「バレエを観てみたい」と言い出した母のせい(あえて人のせいにします)で、Kバレエカンパニーの「白鳥の湖」を観にいくことになってしまいました。

注)Kバレエカンパニー
…英国のロイヤルバレエ団で史上最年少プリンシパルとなった熊川哲也が、1998年に団をやめて作った自前のバレエ団。踊り手としてだけではなく、興行師的な部分から、演出や振付や若手育成まで、トータルにかかわっている。


 結果は……まんまとしてやられました。
 バレエを観たのはもちろん初めてではありませし、「白鳥の湖」もナマやTVで何回か観たことがあったのですが、Kバレエは、今まで観てきたバレエ(おもに海外の由緒ある伝統的なバレエ団の来日公演)とはすべてが違っていました。
 一言でいうと“限りなく芝居に近いパフォーマンス”といったところでしょうか。
 「白鳥の湖」じたい超有名な話だし、どういうふうにやろうと話がわかりにくいということはないんですが、Kバレエの演出は特にドラマとしての自然な感情の流れをわかりやすく見せることに力を入れているように思えました(たとえば、ラブシーンはよりラブシーンらしく、嘆きのシーンはより嘆きらしく、迷いのシーンはより迷いらしく…など)。
 これに比べると、極端な話、今まで観てきたバレエは、音楽に合わせて記号としての踊りを見せていただけで、あまり感情移入する余地がなかったという印象が強いのです。
 もっともそんなに数多くのバレエを観たわけではないので、たまたま今まで観たものがそういうものだったのかもしれませんし、時代の流れとして最近はどこもこういうバレエが増えてきたのかもしれませんが…。

 ただ、確実に言えることは、他のバレエ公演とは客層が明らかに違ったということです。
 一般的にバレエファンというのは、バレエを習っている人(いた人)とか、バレリーナを目指す人などが多く、意外に他のジャンルのファンとはまじらないものなんですが、Kバレエに関しては他ジャンルのファン(演劇ファンやミュージカルファンなど、とにかくライブのパフォーマンスが好きな人)がかなりの率で混入してきているようで、そのことからもなにかKバレエだけがもつ敷居の低さみたいなものを感じさせます。
 演劇業界でいうと「劇団四季」みたいな位置づけなのかもしれない。
 歌舞伎でいうと「猿之助のスーパー歌舞伎」とか、宝塚でいえば「宙組」とか。
 もちろん、看板である熊川哲也の知名度や人気が一番大きいのでしょうが、それだけで人気が続くほど甘くはないでしょう。チケット代だってお安くないし。
 ライブ慣れしている演劇・ミュージカルファンは、いろいろなものを観て目が肥えているし、本当にいいと思ったものには高いお金も払うので、彼らを継続的にひきつけられるということは真にパフォーマンスとして価値が高いということです。
 わかりやすさや敷居の低さばかりを強調してしまいましたが、当然のことながらレベルの高さにも圧倒されました。これは素人目でも充分わかります。
 技術力、表現力だけでなく、全体的に若々しさや勢いみたいなものも感じたし、いい意味でスポーツを観ているような爽快感がありました。

 スポーツといえば、噂の熊川哲也の跳躍力には度肝を抜かれました(他の男性舞踊手と比べればその高さの差は歴然)。
 高く跳ぶだけならまだしも、

 あの滞空時間の長さはなに?

 納得できません。
 絶対ピアノ線で吊られてるはず。と、思わずトリックを暴きたくなったほどです(笑)。
 お客も明らかにそれが目当てと見えて、熊川が高く跳ぶたびに「うぉ〜」というなんともいえないどよめきと拍手が同時に起こります。

 それが最高潮に達したのは、3幕。
 ここの最大の見せ場として、黒鳥(オディール)のグラン・フェッテがあることは超有名ですよね。
 王子を誘惑するオディールが、その悪魔的な魅力を表現するため、片脚を上げたまま軸足だけで連続32回転するシーンです。
 しかもただ廻るだけではなく、「ダブル」といって、1回廻るところを2回廻るという変則的テクニックがあり(縄跳びの二重跳びみたいなものね)、32回転の中で何回「ダブル」を入れられるかによって、グラン・フェッテの難易度があがっていきます。
 この日オディールをやった松岡梨絵も、何度かこの「ダブル」を入れてきました(すいません。圧倒されてしまって何回入れたのか正確に覚えていません)。
 当然、観客は大興奮。勝ち誇ったような笑みを浮かべながらいつまでも廻り続けるオディールに拍手のボルテージはガンガン上がります。ここまではまあどの「白鳥の湖」でも観られるシーンです。

 しかしさらに驚いたのはこのあと。
 オディールが廻り終えてポーズを決めたあと、間髪を入れず、その後ろから王子@熊川が回転を引き継ぐように廻りながら前へ出てきて、同じグラン・フェッテを続け(これはさすがに32回は廻りませんが)、最後の回転で「これでもか!」とばかりに「トリプル」を決めたのです。

 もうムチャクチャかっこいい!! 

 なんという心憎い演出。
 ていうか、こんな振付あったっけ…。
 オディールのグラン・フェッテのあとに王子が見せ場をさらうシーンなんて初めて観た気がするんですが。
 今回の「白鳥の湖」は基本的には今までの振付と同じで、ところどころ熊川自身が振りを付け直しているらしいので、王子の部分は自分で足したのかな…。
 「最後に勝つのはこの俺さ〜♪」(by「エリザベート」の“最後のダンス”)
 って感じで、いかにも俺様的イメージの熊川にふさわしいパフォーマンスですが、オディールの悪魔的な誘惑に完全に落ちてしまった王子の姿の表現としてこれはすごくわかりやすい一瞬だったと思います。

 と、熊川のすばらしさをほめたたえたあとで。
 じつは本当に度肝を抜かれたものは他にあります。
 それは主役のオデットを踊ったヴィヴィアナ・デュランテです。
 ヴィヴィアナがどのくらいすごいキャリアの持ち主かなんてことはまったく知らずに観劇した私ですが、このオデットには文字通り仰天しました。
 「うまい」とか「きれい」とか「表現力がある」とか、そんな通りいっぺんの言葉ではとても語りきれません。
 とにかくすさまじいオーラを放っていて、とてもこれが生身の人間であるとは信じられない。物語の中だけに生きている想像上の生き物という感じ。私が観てきた中で、ここまで生身感のないパフォーマーは花総まりについで2人目かも(笑)。
 が、すごいのはそれだけじゃありません。小柄で華奢で顔なんて握り拳くらしかなくて、ルックス的には“妖精”って感じなんですが、そのイノセントな雰囲気と、存在そのものから漂うおどろおどろしい妖気のミスマッチがただ者ではない感じなのです。一言でいうと「妖精の顔をした妖怪」って感じでしょうか。
 たまたま今度の役が人間じゃないもの(白鳥)という特殊な役だったからなおさらその「妖怪」的な部分が生きたのでしょうが、ほんとに白鳥にしか見えないんですよ。
 このなりきり具合、「うまい」を通り越して「こわい」です。ここまでいくと女優魂というより巫女を観てるようで…。

 で、あまりの存在感にフラフラになり、帰ってから思わずネットで検索しまくってしまったのですが、まずわかったのは彼女は熊川の元恋人で、6歳年上だということ。ローマに生まれ、22歳でロイヤルバレエ団のプリンシパルになったということ。卓越した表現力・演技力とカリスマ性で他の追随を許さない世界的なプリマだということ。
 さらに、つい最近組織ともめてロイヤルバレエ団をやめさせられることになったこと、熊川とは恋人を卒業したあとも仕事上のパートナーとして強い絆で結ばれ、Kバレエの公演には頻繁にゲスト出演していることなどもわかりました。
 その他、素顔のエピソードも含めて彼女に関するコメントをガーッと読んでみましたが、そこから浮かび上がってくるイメージに、どうも「私、こういう人知ってる。なんかにダブる気がする」という既視感があり、気になってずーっと考えてたのですが、ようやくわかりました。
 北島マヤ(笑)……じゃなくて、

 大竹しのぶです。

 普段の天然っぷりといい、舞台にあがったとたん誰にもとめられない勢いで役にのめりこんでいく常軌を逸した集中力といい、「そこまでやらなくても」というところまでやってしまう妄想力といい、鬼気迫る役や男を惑わす女性の役をやらせたらこわいくらいハマるところといい、「私、あまりこういうタイプは好きじゃないの」という客が観ても説得されてしまうカリスマといい、いちいちぴったり。

 一方、熊川哲也についての評価は「いくつになっても生意気」「俺様」「何を演じてもノリが軽い」というものが多いのですが、こういうタイプと大竹しのぶタイプが相性がいいというのはわかるような、わからないような…。
 ここで熊川のイメージも「どこかで観たような」という既視感があると思って考えてみたのですがわかりました。
 山口祐一郎でした(笑)。
 たしかにこれみよがしに高く跳ぶ熊川と、これきけがしに美声を響かせる山口にはかなり共通するものを感じます。
 へそまがりな客が、「なーにがクマテツだよ。高く跳ぶからってそれがなんだっつーのよ」とか言いながら観に行っても、目の前であの跳躍を観せられたらやっぱり「うほぉ〜」とわけのわかんないため息を皆と一緒についてしまう、みたいな感じ、アンチ祐一郎にも似たような現象が見られますので。

 というわけで、バレエの世界、予想以上におもしろそうで困っています。
 やばい……お願い……誰か止めて……。


「白鳥の湖」(DVD)
2003年に発売された初演収録版DVD。

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対面式「キッチン」

 最近、観る芝居が貧乏くさいと言われているので(笑)、たまにはブルジョワな芝居にも行かないと!とシアターコクーンに「KITCHEN」を観にいってビンボーの垢を落としてきました。

 舞台の中央にはかなりリアルにレストランの厨房を再現。その厨房を挟むように客席が対面式になっています(舞台を挟んで向こう側にもこちら側と同じように客席が作られている)。
 蜷川演出は最近この方式が多く、「対面式か搬入口見せるかしか興味ないんか!」とひそかにつっこむ私…。

 最初は暗い無人の厨房に、1人、また1人と従業員が集まってきます。人が入って初めて息をし始める「キッチン」。ランチタイムを前に賄いで腹ごしらえをする従業員たち。やがてお客が入り始め、大量のオーダーが入り、厨房はさながら戦場のような狂乱状態になる……。

 とにかく、登場する役者の数がメチャクチャ多くてびっくり。最後のカーテンコールで数えたら35人いました。しかも、はっきりとキャラだちしてるのが数人であとはアンサンブルっていうわけじゃなく、群像劇っぽく作られていての35人なのでかなり多く感じました。
 群像劇が悪いわけじゃないんだけど、その中でももう少しメインとなる人物を絞って掘り下げてくれないと、観客としてはちょっと観ているのがつらいです。終始大勢の人が出たり入ったりを繰り返す雑然とした空気を出したいのはわかるんだけど、それだけでは演劇として成立しないと思うし。
 いろいろな国籍のコックがいて、いろいろな言語がとびかうキッチンという設定はおもしろいと思いますが、はっきり言えば設定だけっていう感じ。人種問題がちょこっと出てくるけど、それもスパイス程度で日本人にはピンときませんでした。

 もちろん、演出に関しては「さすが蜷川!」と思いましたよ。
 1幕の終わり、ランチタイムに入って徐々に戦場のようになっていく厨房の描写はものすごい迫力で(しかしランチタイム2000人の客っていったいどんなレストランだ?! そんな大量の客をさばくならランチメニューしか出さないようにして、いちいちヒラメとかローストチキンとかオーダーとるなよ!と思ってしまったんですが)、この迫力を出すにはこの人数が必要というのはわからなくもない。役者1人ひとりの精密な動きが織りなすアンサンブルは蜷川ならではのダイナミックさで、ここだけでも見応え充分。が、ここだけかな、みどころは(笑)。

 どの人間関係も大味すぎて、ストレートプレイとしては物足りないかなー。
 むしろミュージカルだったらもっと虚構性が出せたのでは?と思いました。
 というのも、調理器具のガチャガチャいう音に邪魔されてセリフがききづらかったり、誰がどういう状況でしゃべっているのかわかりづらかったりすることが多くて、リアルに厨房を再現したことが仇となって肝心の中身が伝わりにくくなっている気がしたので。
 ミュージカルなら、厨房のアクロバティックな動きをダンスに近い形で消化しつつ、メインの人物だけにピンをあててそれぞれの心情を歌で語らせることも可能だし、オーダーが殺到するところなんかも、ミュージカル仕立てにしたら繰り返しがエスカレートしていく感じがおもしろく作れそうな気がする。
 もっともそうなるとまったくべつの作品になってしまい、作者の意図とは離れてしまうのかもしれませんが、観客の立場からするとそのほうが観てみたいなーと思いました。
 
 成宮寛貴は、「お気に召すまま」でもそうだったけど、滑舌悪すぎ。
 特に今回のように怒鳴るセリフが多いと、まったく何を言っているのかわかりません。しかもお腹から声が出ていないので、常に声がつぶれてしまっているんですよね(「お気に召すまま」のときは、女役なのに声がつぶれてしまっていて悲惨な状況でした)。
 今回も対面式の向こう側の客席通路までいって芝居されるともう声が聞こえなくて、これは芝居がどうこういう以前の問題じゃないかと思いました。
 杉田かおるは、なんか冷静すぎるっていうか、さっぱりしすぎで、若い男に溺れるようには見えないかな。もうちょっと崩れた魅力があってもいいのでは?と思いますが、日本人はあまり得意じゃないキャラなのかもしれません。
 蜷川芝居の常連である高橋洋は唯一安心して見ていられました。
 セリフも明瞭だったし、長ゼリフの聞かせ方も心得てるし、何よりも調理のマイムが滑らか。他の人は「マイムだな」とすぐにわかるんだけど、高橋だけは一瞬本当に食材を扱っているように見えたほどうまかったです。

 結局、蜷川はこの作品の「演出」に興味をもったんだろうなー。そうとしか思えない。だってこれ、他の演出家がやったら絶対に失敗しそうだもの。まあ、こんなお金かけた舞台、蜷川でなきゃできないってこともあるけど。
 もはや蜷川は「自分でなきゃできない演出が要求される演出難易度の高い芝居」にしか興味がないのかも……。


「キッチン」(DVD)
2005年の公演を収録したDVD。
演出は蜷川幸雄。
出演は成宮寛貴、杉田かおる、高橋洋他。

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狭い空間に密集する人々

 燐光群の「屋根裏」に行ってきました。
 燐光群は、坂手洋二という劇作家&演出家が率いる劇団で、いわゆる小劇場芝居をやる劇団です。坂手洋二のお芝居を観るのは、新国立劇場の「2人の女兵士の物語」に続いて2回目で、燐光群のお芝居を観るのは初めてなので、その特徴を一言で語るのは難しいのですが、最近の小劇場群の中ではアングラくさい匂いがあるほうではないでしょうか。
 といっても、笑いもあるし、会話も難解というほどではないし、描写も具体的だし、かつてのアングラほどおどろおどろしかったり湿っぽい匂いがあるわけではありません。そこは21世紀の劇団だけあってライトな味です。

 じつは私はあんまりこの手のお芝居には興味がなく、「2人の女兵士の物語」も正直ちょっときつかったので、今回も観ようというモチベーションは比較的薄かったのですが、読売演劇大賞の演出部門で賞をとったというのに興味をもって行ってきました。

 梅ヶ丘BOX(燐光群の本拠地)は、ギチギチに詰めて60人くらいしか入らない穴蔵のような劇場で、今まで観た中で最小かも。
 でも、今回の話は「狭い空間にひきこもる現代人の歪んだ心理」みたいなものがテーマだったので、空間的にはこの狭さがすごくぴったりで、たしかにこれ以上大きい空間でこの芝居をやったら間抜けだなと思いました。
 観終わった印象は、一言でいって「演劇的」。
 最小限のモノで観客の想像力をどんどん刺激していくテクニックの数々に演劇ならではのおもしろさを堪能しました。

 まず、明転すると、舞台の真ん中に「組立式の屋根裏キット」の内部がポッと浮かびあがります。
 屋根裏と言っても持ち運びができるものなので、まあいってみれば「箱」です。
 天井部分が傾斜しているところが「屋根裏風」な以外は「屋根裏」と呼べる要素はじつはひとつもありません。
 この屋根裏の客席側の壁の部分だけをオープンにして、芝居はもっぱらこの箱の中だけで進んでいきます(照明はあくまでも屋根裏の内部にしかあたらなくて、それ以外には暗幕が張ってあるので、屋根裏はまさしく暗闇の中空に浮いているように見える)。
 屋根裏自体は最初から最後まで動かないので、この物理的な制約の中でいかに目先の変化をつけるのかが演出の腕の見せどころとなります。

 屋根裏の中には一人の中年男が座っています(屋根裏の内部は、人は座るか寝るかしかできない大きさとなっている)。
 以後、この屋根裏を舞台にさまざまな人が繰り広げるさまざまなドラマがオムニバス風に大量に重なっていくのですが、うまいのはその“屋根裏の中”という小さな切り取られた空間の使い方です。

 最初は外界から遮断された箱に見えるのですが、やがて正面の扉(人一人がかろうじて潜り込めるくらいの大きさ)が開閉して人が出入りするようになり、次は天井にも出入口があることがわかり、水平の出入りだけでなく垂直の移動も加わります。
 さらに左右には窓がついていて外を眺めることもできることがわかり、この箱が意外に外界と接触する部分が多いことがわかってくるのです。
 箱の中に入ってくる人の数も、最初こそ「1人でも窮屈」に見えるのが、2人入って芝居するばかりか、中で激しく動きまわったり、3人4人と入る人数が増えてくるようになるにつれ、だんだんと狭さに感覚が慣れてくるというか、屋根裏が全宇宙に見えてきて、この切り取られた狭い空間の中ですべてが行われることが当然にように感じられてきます。

 だから、初めて役者が屋根裏の外で芝居を始めたとき(キャスターが組立式屋根裏の急速な流行についてのニュースを読み上げる場面)、ただそれだけのことなのに観ている側はギョッとします(実際この場面で後ろのおばちゃんは声に出して「あー、びっくりしたー」と言っていた)。
 この効果は大変スリリングでした。大袈裟に言えば、私たちも知らず知らずのうちにこの切り取られた空間に全宇宙を見て、それ以外を「無」とみなすようになっていたということなんですね。同じ大きさの人間なのに、屋根裏の中に入ると小さく見え、外にたつと大きく見えるのも不思議。
 そして最後には、屋根裏の周囲の暗幕が取り払われ、屋根裏を作っている工場が出現するのですが、ここでは屋根裏が工場という世界を構成する要素の一部でしかなくなります。
 屋根裏自体は最初から最後まで位置を変えないのに、周囲の効果でいかようにも定義づけてしまうというところがいかにも制約を逆手にとった小劇場演劇らしい。

 オムニバスっぽく繰り広げられる一つひとつのエピソードも、空間同様切り取り方が見事でした。
 まさに先日T宝の授業でやった読み合わせ課題くらいのボリュームの話(10分程度)ばかりなのですが、「短い話を書くときは、無理に起承転結をつけようとしなくていい。人間が描けているほうが大事。そうすれば起承転結は演じられる人間によって自然についてくる」と役者さんに言われたアドバイスを思い出し、なるほどと思う部分がありました。
 たとえば、いじめから不登校になり、屋根裏にひきこもったまま出てこなくなった少女のもとを訪ねる女教師の話。
 下手な人が書くと、教師がなにかいい話をして少女の心を開き、学校に行かせる気にするまでとかを書いてしまうところですが、ここでは途中で教師が「私だっていじめられてるのよ」と逆ギレし、職場でも教室でも自分が浮いていることに苦しんでいると告白。ここで立場が逆転し、2人の関係性が動きます。
 2人芝居は関係性が固定してしまうとどんどん退屈するので、このあたりの切り替えはうまいですね。
 そして最後のオチですが、ヒステリーが極限にまできた女教師に対し、なすすべのなくなった少女は、「先生。いいもの見せてあげる」といって部屋の電気を消し、お手製のプラネタリウムを披露します。
 目の前に広がる星空を見て教師は落ち着きを取り戻し、最後に暗闇から2人の「さそり座はどれだかわかる?」「あ、あれじゃない?」というようなボソボソした会話が聞こえてきておしまい。
 うーん。これは「やられた」と思いましたね。2人の問題はなんにも解決していないのに、ちゃんとカタルシスがあるし、お客も納得してしまう。そして2人の人間性も関係性も伝わってくる。
 初心者はどうしても理屈でオチをつけようとして、起承転結に合わせて人物を動かしてしまいがちですが、これはまったく逆。
 しかも「狭い空間」から「無限の広がりを感じさせる星空」へ、一瞬にして空間を切り替えることによって得られる解放感の効果も絶大で、これまたライブの演劇にしかできない試みだなと思いました。

 エピソードには、他にも「新潟の少女監禁事件」を思わせるエピソードや、今はやりの「ニート」など、「ひきこもる人」をキーワードにしたいろいろなシチュエーションが次々に出現し、飽きさせません。
 ただ、一つひとつはおもしろいのですが、さすがに2時間10分休憩なしで続けられるのはきつい。正直、最後の30分は無理やりすべてをまとめようとして急に哲学的になり、ちぐはぐな印象を受けました。
 まとめなくていいから、潔く断片的なオムニバスだけでまとめちゃったほうが斬新な演出も生きてよかったのではないでしょうか。そうすれば30分は短縮できたと思います。

 また、一つひとつのドラマは関係ないようでいて微妙にリンクしているのですが、その「微妙にリンク」という部分がじつはちょっと観る側にとっては厄介でした。
 というのも、全部で13人の役者がいろいろなシチュエーションのいろいろな人物を演じるわけですが、場面ごとに違う役として出てくるわけではなく、前に出てきた役の続きとして同じ役を演じることもあるため、「これは前に演じた役と同じ役という設定? それともまったく関係ない新たな役として出ているの?」といちいち考えてしまい、話に入り込むまでにいまひとつひっかかりを感じてしまうのです。
 見た目をすごくわかりやすく変えてくるわけではないので、そのへんの区別は非常に難しい。キーワードになるセリフがあればはっきりわかるんだけど、それが出るまでは変に深読みしちゃったりして、その深読みが逆に邪魔になることがありました。
 どちらかというと意味を深読みするよりは、五感に訴えてくる感覚を重視する作品だと思うので、深読みの隙を与えるのは損だと思います。

 以上、なんだかんだ言いつつけっこう楽しんだのですが、ひとつとっても謎だったのは客層です。
 若い人が多いのかと思いきや、意外にもおばちゃんが多いんですよ。それも大劇場に出没するようなおばさまではなく、地元のおばちゃんって感じの普段着のおばちゃんが。
 どう見てもアングラっぽいこの芝居の、いったいどこにひきつけられてこの人たちはやってきたのか……。
 失礼ながらおばちゃん好みのイケメンがいるとも思えないんですけど。
 演劇界の七不思議です(←そこまで謎なのか?)。
 どなたか理由をご存じの方は教えてください。

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プロフィール

HN:
伊万里
性別:
女性
職業:
劇作家・ライター
趣味:
旅行 骨董 庭仕事

著作



「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」

Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!

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