古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
10年間に1枚しか売れなかった理由
- 2009/07/07 (Tue)
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「炎の人」を観ました。
昔の日本人作家による戯曲で名作と呼ばれるものはなるべく観ておきたいので。
「炎の人」はゴッホの生涯を描いた民藝の代表作(作者は三好十郎)で、今まで滝沢修、大滝秀治などが主役を演じてきました。
今回は市村正親がゴッホ役に挑戦(ちなみに、彼は滝沢修の舞台を観て役者を志したそうです)。
ネット上ではなかなか評判が良いようですが、私はやや期待はずれでした。
前にもちょっと書きましたけど、評伝劇(実在の人物の話)ってほんとに難しい。当たりは滅多にありません。
一番つまらないのは、「エピソードをそのまままぞる」タイプの作品。
劇にされるくらいの人物ですから、劇的なエピソードには事欠かないのですが、その「事実の強さ」に作者が負けて安易に頼ってしまってるパターンが多く、作品としては「知識を得ただけ」にとどまるレベルがほとんど。
それでも観客には有名人の生涯に対する野次馬的な好奇心はあるので、そういう面ではそこそこ満足できる。
でもドラマとしては予想の範囲内なんですよねー。観客が本当に観たいのは、ドキュメンタリーには絶対出てこないフィクションの部分のおもしろさなわけですから。
「炎の人」は、そういった「表面をなぞっただけ」の作品群とは一線を画していて、作者の思い入れが目一杯作品から溢れ出ています。そりゃあもううっとうしいくらい(笑)。
作者がゴッホの何にひかれたのか、なぜこの作品を書こうと思ったのかがビンビン伝わってきます。
それは評伝劇には欠かせないもので、すばらしいことだと思うのですが、作品としてそればかりが目立ってるというのがどうにもこうにも気になりました。
ゴッホがどういう苦悩を抱えているのかはわかった。
純粋でしつこいのもよーくわかった。
でも語り過ぎだし、主張しすぎ。ついでにナレーションも多すぎです。
しかもゴッホの左がかったプロレタリアっぽい部分が妙に強調されているような…。まあ民藝の依頼で書かれた作品だからしかたないのかもしれないけど。
とにかく作者があまりにもてらいなくゴッホに同化しまくりなのが私にはついていけませんでした。
きわめつけはエピローグ。
いきなり作者の分身が現れてゴッホの魂に向かって熱い詩を捧げちゃうんですよ。
「生前にあなたの絵を1枚も買わなかった人たちを私は憎む!」とかいうような。
正直、ひきました。
そんな作者の思いをそのままストレートにぶつけられても。。。
そして締めのセリフが「きけ、今、あなたに拍手を送る」みたいなセリフですよ。
そりゃあそれが締めのセリフなら拍手せざるを得ないですよね。
でも観客の拍手をあらかじめ仕込みとして利用するようなやり方にはちょっと反発を感じました。
いくらなんでもおしつけがましすぎでしょう。
これについては、「三好十郎の作品は、私小説ならぬ私戯曲だ」とプログラムに書いてあって、激しく同意しました。
それを肯定するのかどうかには賛否両論あるでしょうが、個人的には「私小説はOKだけど私戯曲は勘弁してほしい」です。
文字だけの世界と、他人の肉体を通して再現される世界とでは生々しさが圧倒的に違います。ひとりよがりの世界をナマで見せられるくらい苦痛なことはありません。
「炎の人」はそれなりにうまくできていたし、「苦痛」とは思わなかったけど、やはりもうちょっと他の人物の視点がほしいなと思いました。
天才の苦悩を描こうと思ったら、次元の違う人物の視点から描くのは常套手段です。
モーツァルトにはサリエリ。
エリザベートにはトート。
ジーザスにはユダ。
エビータにはチェ・ゲバラ。
成功している評伝劇はだいたいこのパターンです。
天才は特別な存在ですから、そのまま書かれても「ああ、特別なんだな」で終わってしまいます。
決して肯定するだけではない、第三者の視点を通して描かれることによって、初めてドラマの人物として血肉が通うようになるのではないでしょうか。
そういう意味では、ゴッホにはゴーギャンが不可欠。
2人の対立シーンは、このお芝居の中でもっとも緊迫感溢れるシーンですが、3時間という長尺の中でそのシーンはごくわずかです。
1幕はパリのシーンで終わり、2人の共同生活が始まるアルルのシーンは2幕から。
でも1幕だけで1時間40分もあるんですよ。これはちょっと長すぎる。
私はアルルでの2人の生活をもっと詳細に観たかったし、そこだけを切り取って書いてほしいくらいでした。
実際、ゴッホの絵が精彩を放ち始めたのはアルル以後ですからね。
それまでの彼の人生を描きたかったのもわかりますが、しつこいようだけど1時間40分は長い。
どこかの時代に焦点をしぼってくれないと、かえって平板な印象を受けてしまいます。
もう一人、ゴッホの才能を支え続けた弟のテオも興味深い存在です。
彼は凡人代表としていい狂言まわしになってくれると思います。
さらに言えば、今回の舞台には登場しないけど、テオの奥さんっていうのも興味あるな。
テオは身内だからしょうがないとしても、奥さんからみたらなんでこんな薄気味悪い義兄の面倒をここまでみなきゃいけないの?っていう葛藤がてんこもりだったと思うんですよね。
この奥さんが言いそうなセリフ、1秒間で10個くらい浮かびます(笑)。
だってテオったら、生まれた子供にまでゴッホの名前つけちゃったんですよ。どんだけ兄ちゃん好きなんだよ。
奥さんにしてみたら「やめてよ、縁起でもない。この子までニート画家になったらどうしてくれるのよ」っていう気分でしょう。
それにしてもです。
ゴッホは10年間絵を描き続け、およそ1000点の作品を残しているのですが、生前に売れたのはたった1枚(それもテオが買った)だったとのこと。
これってすごくないですか?
10年間で1枚ですよ。
この話をきくとみんな「気の毒に。当時の人にはゴッホの才能がわからなかったんだね」と言いますが、そんな次元じゃないでしょう、これは。
だってどんなに才能なくたって、こんなに頑張って描き続けてたら、親戚なり友達なりが数枚くらいは義理で買ってあげてもいいじゃないですか。
どうせそんな高い値段じゃ売らないんだろうし。
なのに1枚だけって、これはっきり言って「うまい・下手」という問題以前に「嫌われてる」ってことでしょう。「人間」がじゃないですよ。「絵」がです。
下手でも、毒にも薬にもならないような絵なら義理で買ってあげることもできただろうけど、ゴッホの絵は「義理」でも買って家に飾るのはいやな絵だったんじゃないでしょうか。
たしかにゴッホの絵はすごいし、人の感情を動かす特別なものがありますが、そういう絵は美術館で観るからいいんであって、家のリビングとか寝室とかに飾る気にはちょっとなれません。
気が滅入るというか、念がうつりそうというか、疲れて帰ってきたときに迎えられたい絵ではないですよね。
人類すべての罪を背負って十字架にかかったのがキリストだとしたら、きっと人類すべてが目を背けたい人生の「澱」のようなものをキャンバスに塗り込めてきたのがゴッホだったのではないでしょうか。
だとしたら誰も買おうとしなかったのはわからないではありません。
今や投機対象になっているゴッホの絵ですが、やはりゴッホの絵に値段をつけるのには違和感があります。
ゴッホの絵はもはや魂のこもった生き物であり、売買できるようなものではないと思うのですがどうでしょう。
話は変わりますが、7月からまた新しいクールのドラマが始まりつつあります。
いつもこの時期になると「今回はどれがお勧め?」と聞かれるんですが、さすがに観る前から推薦はできません。
ただ、毎回スタート直前になると、番宣などを見ながら各ドラマへの期待度をコメントつきでまとめて編集部にメールすることになっていますので、もし参考までに見てみたいという方はメールしますのでご連絡下さい。
昔の日本人作家による戯曲で名作と呼ばれるものはなるべく観ておきたいので。
「炎の人」はゴッホの生涯を描いた民藝の代表作(作者は三好十郎)で、今まで滝沢修、大滝秀治などが主役を演じてきました。
今回は市村正親がゴッホ役に挑戦(ちなみに、彼は滝沢修の舞台を観て役者を志したそうです)。
ネット上ではなかなか評判が良いようですが、私はやや期待はずれでした。
前にもちょっと書きましたけど、評伝劇(実在の人物の話)ってほんとに難しい。当たりは滅多にありません。
一番つまらないのは、「エピソードをそのまままぞる」タイプの作品。
劇にされるくらいの人物ですから、劇的なエピソードには事欠かないのですが、その「事実の強さ」に作者が負けて安易に頼ってしまってるパターンが多く、作品としては「知識を得ただけ」にとどまるレベルがほとんど。
それでも観客には有名人の生涯に対する野次馬的な好奇心はあるので、そういう面ではそこそこ満足できる。
でもドラマとしては予想の範囲内なんですよねー。観客が本当に観たいのは、ドキュメンタリーには絶対出てこないフィクションの部分のおもしろさなわけですから。
「炎の人」は、そういった「表面をなぞっただけ」の作品群とは一線を画していて、作者の思い入れが目一杯作品から溢れ出ています。そりゃあもううっとうしいくらい(笑)。
作者がゴッホの何にひかれたのか、なぜこの作品を書こうと思ったのかがビンビン伝わってきます。
それは評伝劇には欠かせないもので、すばらしいことだと思うのですが、作品としてそればかりが目立ってるというのがどうにもこうにも気になりました。
ゴッホがどういう苦悩を抱えているのかはわかった。
純粋でしつこいのもよーくわかった。
でも語り過ぎだし、主張しすぎ。ついでにナレーションも多すぎです。
しかもゴッホの左がかったプロレタリアっぽい部分が妙に強調されているような…。まあ民藝の依頼で書かれた作品だからしかたないのかもしれないけど。
とにかく作者があまりにもてらいなくゴッホに同化しまくりなのが私にはついていけませんでした。
きわめつけはエピローグ。
いきなり作者の分身が現れてゴッホの魂に向かって熱い詩を捧げちゃうんですよ。
「生前にあなたの絵を1枚も買わなかった人たちを私は憎む!」とかいうような。
正直、ひきました。
そんな作者の思いをそのままストレートにぶつけられても。。。
そして締めのセリフが「きけ、今、あなたに拍手を送る」みたいなセリフですよ。
そりゃあそれが締めのセリフなら拍手せざるを得ないですよね。
でも観客の拍手をあらかじめ仕込みとして利用するようなやり方にはちょっと反発を感じました。
いくらなんでもおしつけがましすぎでしょう。
これについては、「三好十郎の作品は、私小説ならぬ私戯曲だ」とプログラムに書いてあって、激しく同意しました。
それを肯定するのかどうかには賛否両論あるでしょうが、個人的には「私小説はOKだけど私戯曲は勘弁してほしい」です。
文字だけの世界と、他人の肉体を通して再現される世界とでは生々しさが圧倒的に違います。ひとりよがりの世界をナマで見せられるくらい苦痛なことはありません。
「炎の人」はそれなりにうまくできていたし、「苦痛」とは思わなかったけど、やはりもうちょっと他の人物の視点がほしいなと思いました。
天才の苦悩を描こうと思ったら、次元の違う人物の視点から描くのは常套手段です。
モーツァルトにはサリエリ。
エリザベートにはトート。
ジーザスにはユダ。
エビータにはチェ・ゲバラ。
成功している評伝劇はだいたいこのパターンです。
天才は特別な存在ですから、そのまま書かれても「ああ、特別なんだな」で終わってしまいます。
決して肯定するだけではない、第三者の視点を通して描かれることによって、初めてドラマの人物として血肉が通うようになるのではないでしょうか。
そういう意味では、ゴッホにはゴーギャンが不可欠。
2人の対立シーンは、このお芝居の中でもっとも緊迫感溢れるシーンですが、3時間という長尺の中でそのシーンはごくわずかです。
1幕はパリのシーンで終わり、2人の共同生活が始まるアルルのシーンは2幕から。
でも1幕だけで1時間40分もあるんですよ。これはちょっと長すぎる。
私はアルルでの2人の生活をもっと詳細に観たかったし、そこだけを切り取って書いてほしいくらいでした。
実際、ゴッホの絵が精彩を放ち始めたのはアルル以後ですからね。
それまでの彼の人生を描きたかったのもわかりますが、しつこいようだけど1時間40分は長い。
どこかの時代に焦点をしぼってくれないと、かえって平板な印象を受けてしまいます。
もう一人、ゴッホの才能を支え続けた弟のテオも興味深い存在です。
彼は凡人代表としていい狂言まわしになってくれると思います。
さらに言えば、今回の舞台には登場しないけど、テオの奥さんっていうのも興味あるな。
テオは身内だからしょうがないとしても、奥さんからみたらなんでこんな薄気味悪い義兄の面倒をここまでみなきゃいけないの?っていう葛藤がてんこもりだったと思うんですよね。
この奥さんが言いそうなセリフ、1秒間で10個くらい浮かびます(笑)。
だってテオったら、生まれた子供にまでゴッホの名前つけちゃったんですよ。どんだけ兄ちゃん好きなんだよ。
奥さんにしてみたら「やめてよ、縁起でもない。この子までニート画家になったらどうしてくれるのよ」っていう気分でしょう。
それにしてもです。
ゴッホは10年間絵を描き続け、およそ1000点の作品を残しているのですが、生前に売れたのはたった1枚(それもテオが買った)だったとのこと。
これってすごくないですか?
10年間で1枚ですよ。
この話をきくとみんな「気の毒に。当時の人にはゴッホの才能がわからなかったんだね」と言いますが、そんな次元じゃないでしょう、これは。
だってどんなに才能なくたって、こんなに頑張って描き続けてたら、親戚なり友達なりが数枚くらいは義理で買ってあげてもいいじゃないですか。
どうせそんな高い値段じゃ売らないんだろうし。
なのに1枚だけって、これはっきり言って「うまい・下手」という問題以前に「嫌われてる」ってことでしょう。「人間」がじゃないですよ。「絵」がです。
下手でも、毒にも薬にもならないような絵なら義理で買ってあげることもできただろうけど、ゴッホの絵は「義理」でも買って家に飾るのはいやな絵だったんじゃないでしょうか。
たしかにゴッホの絵はすごいし、人の感情を動かす特別なものがありますが、そういう絵は美術館で観るからいいんであって、家のリビングとか寝室とかに飾る気にはちょっとなれません。
気が滅入るというか、念がうつりそうというか、疲れて帰ってきたときに迎えられたい絵ではないですよね。
人類すべての罪を背負って十字架にかかったのがキリストだとしたら、きっと人類すべてが目を背けたい人生の「澱」のようなものをキャンバスに塗り込めてきたのがゴッホだったのではないでしょうか。
だとしたら誰も買おうとしなかったのはわからないではありません。
今や投機対象になっているゴッホの絵ですが、やはりゴッホの絵に値段をつけるのには違和感があります。
ゴッホの絵はもはや魂のこもった生き物であり、売買できるようなものではないと思うのですがどうでしょう。
話は変わりますが、7月からまた新しいクールのドラマが始まりつつあります。
いつもこの時期になると「今回はどれがお勧め?」と聞かれるんですが、さすがに観る前から推薦はできません。
ただ、毎回スタート直前になると、番宣などを見ながら各ドラマへの期待度をコメントつきでまとめて編集部にメールすることになっていますので、もし参考までに見てみたいという方はメールしますのでご連絡下さい。
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
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