古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
カテゴリー「旅行・レジャー」の記事一覧
- 2025.06.07
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- 2006.10.18
「江戸東京たてもの園」でキツネにバカされた話
- 2006.07.29
恐怖のミッキー
- 2006.07.23
オリエント急行、流れ流れて東の果てへ…
「江戸東京たてもの園」でキツネにバカされた話
この前の日曜日、「江戸東京たてもの園」に行ってきました。
「江戸東京たてもの園」とは……まあ、一言でいうと都内にある「明治村」みたいなところ。両国にある「江戸東京博物館」の分館として、平成5年、小金井市に誕生しました(「江戸東京」の「たてもの」とは名乗っていますが、ほとんどが昭和初期くらいのたてもの。明治・大正期のものもちらほらあるけど、江戸のたてものはあまりないです)。
前から一度行きたいと思っていたんですが、小金井っていうのが行ったことないエリアのせいかちょっと敷居が高くて、ぐずぐず迷ってたら劇作仲間のM田さんにタイミングよく「あ、そこ。私も行きたいと思ってたの。行こう、行こう」と言われ、さらにやはり劇作仲間のレミゼ貧乏さんも加わることになって一気に企画が現実化したという次第。
「たてもの園」のHPに掲載されているアクセス地図によると、「たてもの園」はJR中央線武蔵小金井駅と東小金井駅のちょうど中間くらいに位置するらしい。つまりどちらの駅からでもバスに乗っていけるわけですが、武蔵小金井から乗るバスのほうが近くに下車できるみたいなので、武蔵小金井から行くことに。
当日。11時に武蔵小金井駅で待ち合わせた私たちは、「秋晴れ」に恵まれたことを喜びつつ、意気揚々と「たてもの園」へ向けて出発!
……といくはずが、スタート早々とんでもない事態に。
まず、予想と大きく違ったのは「標識」の少なさ。
とにかく武蔵小金井の駅に降り立てば、改札を出た瞬間から「たてもの園へようこそ!」「たてもの園方面」「たてもの園はこちらのバス停から
」「たてもの園までバスで×分」などなど、いやでもどっちへ行けばいいかがわかるような道しるべがわんさか溢れているに違いないと信じて疑わなかったのですが、これがまっっっったくないんですよ。
事前にアクセス地図をプリントしてきたからいいようなものの、「駅につけばなんとかなる」と思って来た人は「ほんとにこの駅でよかったんだっけ?」と思うかもしれません。
というわけで、「これ、ちょっと不親切すぎない?」と駅にダメだしをしつつ、プリント持ってきてよかったー!とアクセス地図を開いたのですが、この地図がまたビミョーに不親切。
2番・3番乗り場から出ているバスと4番乗り場から出ているバスがあって、4番から出ているバスのほうが近くまで行くということはわかったんですけど、降りる停留所名とそこから徒歩何分と書いてあるだけで、肝心の「どこ行きのバスに乗るのか」「バスに何分くらい乗るのか」が書かれていない。これって情報半分しかないですよね。
しかもその4番乗り場がなかなか見つからない。普通、バス乗り場の案内図くらいロータリーの目立つところにあるだろう!
しかたなく、バス案内所のおばさんに「4番乗り場はどこに?」と聞いたのですが、教えられた場所は思ったより駅から離れている。。。
「こんなとこ、言われなきゃわかんないよねー」とさらにダメだしをしながら4番乗り場に向かったところ、バスが今まさに出発しようとしているところで、あわてて乗り込む私たち。
が………行けども行けども「江戸東京たてもの園前」という停留所のアナウンスは聞こえてこない。停留所にとまるたびに「次か?……その次か?」と期待したが、いっこうに出てくる様子なし。
おかしい……何分かかるかわかんないけど、いくらなんでも駅からこんなに遠いってことがあるだろうか?
停留所名を確認しようにも、バスの中には路線図も……ない。
運転手さんに聞いたほうがいいだろうか?
と思い始めた頃、「次は終点、東小金井駅」というアナウンスが!
う……そ……。
隣の駅まで来ちゃったよ……。
「どこ行き」のバスに乗るとも書いてなかったため、4番乗り場に来るバスならどれでもいいのかと思ったが甘かったようだ。
呆然としたまま、東小金井駅で降ろされた私たちは、あまりの出来事に脱力し、笑ってしまう。
しかたがないので、今来た道をひきかえすことになりましたが、もはやこのアクセス地図は信用できない。やっぱり現地の人に聞こう。そうだ。最初からそうすべきだったんだ。と反省。
おお、折しもあそこに交番が!……ってことで、今さらですが、今度はおまわりさんに「たてもの園にはどう行ったらいいのか」を聞くという無難な行動をとることにしました。
しかし!
なんとこのおまわりさん、「たてもの園」を知らないみたいなんだよね。
「何それ?」って感じで地図をガサゴソ開いて探している。
………もういいです。自力で行きます。
今度こそ!の思いを胸に秘め、再びバスに乗る私たち。
降りる駅はわかっていましたが、念には念を入れて運転手さんにも確認をとりました。
お陰で停留所には降りることが……できました。とりあえずは。
でもね、降りてもやっぱりな〜んの表示もないんだ、これが。
降りてまず右へ行けばいいのか、左に行けばいいのか、戻ればいいのか、進めばいいのか、その方向の目安すら……ない。
地図を見てもなんか停留所の位置が微妙に違う気もするし。
とにかく勘を頼りに歩き始めました。
しばらくすると電柱にようやく「たてもの園」という文字の広告が出てくるようになったのですが、この広告がまた……わかりにくいんだ!
普通、電柱の広告なら「この先曲がる」とか「この先まっすぐ500m」とかでしょう。
なのに、「手前、左折」とかすごくまぎらわしい指示で、ますます混乱しそうなんですよ。矢印の向きも「結局どっちなんだよ!」とつっこみたくなるくらい変な方向むいててるし。
ここまでくると、なんか私たちを「たてもの園」に行かせないように、着かせないようにというなにものかの力が働いているようにしか思えません。
「いつになったら着くんだろう……」
「なんで私たち、さっきから同じようなところ行ったりきたりしてるんだろうね」
「なんかさ、キツネとかにバカされてる感じしない?」
誰かがそう言い出したとたん、急にこの説が妙な説得力をもってきました。
小金井公園に入ると、どうやらその日はお祭りみたいで、屋台がいっぱい!
この公園内のどこかにあることはわかっていたので、最後にもう一度道を聞こうということになり、分かれ道のところに立っていた警備のおじさんらしき人に「たてもの園はどっちですか?」と聞いてみました。
右手を指さし「
あっち」と答えるおじさん。
ところが、納得して右に行こうとした次の瞬間、急にべつのおじさんが現れて左手を指さし「
こっちだよ」と訂正するではないですか!
そのタイミングがあまりにも絶妙だったので腰砕けになる私たち。
これで「キツネにバカされてる説」はいよいよ真実味を帯びてきました。
老若男女で賑わう屋台の群の中を歩きながらも、「これもじつはキツネが見せてる幻覚かも……皆枯葉で買い物してるんだ、きっと…」と疑心暗鬼に。
長旅の末、ついにたどり着いた「たてもの園」のエントランスを前にしても「これが本当にそうか?……じつはキツネの祠だったりしないか?」とやっぱり疑心暗鬼に。
そしてきわめつけは!
広場の仮設舞台から流れてきた子供向けショーの音楽。
♪キツネもタヌキも出ておいで〜
……
これフィクションじゃないです。マジです。
この時点で、駅で待ち合わせしてから1時間たってました。。。
ちなみに、武蔵小金井駅から「たてもの園」までは、バスで5分だという話をあとから聞きました。
「たてもの園」じたいは変に観光地化されてなくて(←ものは言いようだ)とてもまったりと楽しめたんですが、ここまでの話がインパクト強すぎてここから先の話はもういいやって感じです、正直なところ。
なのでここでおしまい。
今となっては、東小金井駅の交番のおまわりさんもキツネだったと確信しています。
あと、最初に乗ったバスも絶対キツネバス。あんな路線、じつはないんだよ、きっと。
4番乗り場にナビゲートしてくれた案内所のおばさんもキツネ決定ですね。間違いない。
電柱の広告ももちろんキツネ。あんなわかりにくい広告あるわけないもん。
一緒に行ったレミゼ貧乏さんのブログにもレポートが載ってますので、皆さん見にいってくださいね。
「江戸東京たてもの園」とは……まあ、一言でいうと都内にある「明治村」みたいなところ。両国にある「江戸東京博物館」の分館として、平成5年、小金井市に誕生しました(「江戸東京」の「たてもの」とは名乗っていますが、ほとんどが昭和初期くらいのたてもの。明治・大正期のものもちらほらあるけど、江戸のたてものはあまりないです)。
前から一度行きたいと思っていたんですが、小金井っていうのが行ったことないエリアのせいかちょっと敷居が高くて、ぐずぐず迷ってたら劇作仲間のM田さんにタイミングよく「あ、そこ。私も行きたいと思ってたの。行こう、行こう」と言われ、さらにやはり劇作仲間のレミゼ貧乏さんも加わることになって一気に企画が現実化したという次第。
「たてもの園」のHPに掲載されているアクセス地図によると、「たてもの園」はJR中央線武蔵小金井駅と東小金井駅のちょうど中間くらいに位置するらしい。つまりどちらの駅からでもバスに乗っていけるわけですが、武蔵小金井から乗るバスのほうが近くに下車できるみたいなので、武蔵小金井から行くことに。
当日。11時に武蔵小金井駅で待ち合わせた私たちは、「秋晴れ」に恵まれたことを喜びつつ、意気揚々と「たてもの園」へ向けて出発!

……といくはずが、スタート早々とんでもない事態に。
まず、予想と大きく違ったのは「標識」の少なさ。
とにかく武蔵小金井の駅に降り立てば、改札を出た瞬間から「たてもの園へようこそ!」「たてもの園方面」「たてもの園はこちらのバス停から

事前にアクセス地図をプリントしてきたからいいようなものの、「駅につけばなんとかなる」と思って来た人は「ほんとにこの駅でよかったんだっけ?」と思うかもしれません。
というわけで、「これ、ちょっと不親切すぎない?」と駅にダメだしをしつつ、プリント持ってきてよかったー!とアクセス地図を開いたのですが、この地図がまたビミョーに不親切。
2番・3番乗り場から出ているバスと4番乗り場から出ているバスがあって、4番から出ているバスのほうが近くまで行くということはわかったんですけど、降りる停留所名とそこから徒歩何分と書いてあるだけで、肝心の「どこ行きのバスに乗るのか」「バスに何分くらい乗るのか」が書かれていない。これって情報半分しかないですよね。
しかもその4番乗り場がなかなか見つからない。普通、バス乗り場の案内図くらいロータリーの目立つところにあるだろう!
しかたなく、バス案内所のおばさんに「4番乗り場はどこに?」と聞いたのですが、教えられた場所は思ったより駅から離れている。。。
「こんなとこ、言われなきゃわかんないよねー」とさらにダメだしをしながら4番乗り場に向かったところ、バスが今まさに出発しようとしているところで、あわてて乗り込む私たち。
が………行けども行けども「江戸東京たてもの園前」という停留所のアナウンスは聞こえてこない。停留所にとまるたびに「次か?……その次か?」と期待したが、いっこうに出てくる様子なし。
おかしい……何分かかるかわかんないけど、いくらなんでも駅からこんなに遠いってことがあるだろうか?
停留所名を確認しようにも、バスの中には路線図も……ない。
運転手さんに聞いたほうがいいだろうか?
と思い始めた頃、「次は終点、東小金井駅」というアナウンスが!
う……そ……。

隣の駅まで来ちゃったよ……。
「どこ行き」のバスに乗るとも書いてなかったため、4番乗り場に来るバスならどれでもいいのかと思ったが甘かったようだ。
呆然としたまま、東小金井駅で降ろされた私たちは、あまりの出来事に脱力し、笑ってしまう。
しかたがないので、今来た道をひきかえすことになりましたが、もはやこのアクセス地図は信用できない。やっぱり現地の人に聞こう。そうだ。最初からそうすべきだったんだ。と反省。
おお、折しもあそこに交番が!……ってことで、今さらですが、今度はおまわりさんに「たてもの園にはどう行ったらいいのか」を聞くという無難な行動をとることにしました。
しかし!
なんとこのおまわりさん、「たてもの園」を知らないみたいなんだよね。
「何それ?」って感じで地図をガサゴソ開いて探している。
………もういいです。自力で行きます。

今度こそ!の思いを胸に秘め、再びバスに乗る私たち。
降りる駅はわかっていましたが、念には念を入れて運転手さんにも確認をとりました。
お陰で停留所には降りることが……できました。とりあえずは。
でもね、降りてもやっぱりな〜んの表示もないんだ、これが。
降りてまず右へ行けばいいのか、左に行けばいいのか、戻ればいいのか、進めばいいのか、その方向の目安すら……ない。

地図を見てもなんか停留所の位置が微妙に違う気もするし。
とにかく勘を頼りに歩き始めました。
しばらくすると電柱にようやく「たてもの園」という文字の広告が出てくるようになったのですが、この広告がまた……わかりにくいんだ!
普通、電柱の広告なら「この先曲がる」とか「この先まっすぐ500m」とかでしょう。
なのに、「手前、左折」とかすごくまぎらわしい指示で、ますます混乱しそうなんですよ。矢印の向きも「結局どっちなんだよ!」とつっこみたくなるくらい変な方向むいててるし。
ここまでくると、なんか私たちを「たてもの園」に行かせないように、着かせないようにというなにものかの力が働いているようにしか思えません。



誰かがそう言い出したとたん、急にこの説が妙な説得力をもってきました。
小金井公園に入ると、どうやらその日はお祭りみたいで、屋台がいっぱい!
この公園内のどこかにあることはわかっていたので、最後にもう一度道を聞こうということになり、分かれ道のところに立っていた警備のおじさんらしき人に「たてもの園はどっちですか?」と聞いてみました。
右手を指さし「

ところが、納得して右に行こうとした次の瞬間、急にべつのおじさんが現れて左手を指さし「

そのタイミングがあまりにも絶妙だったので腰砕けになる私たち。

これで「キツネにバカされてる説」はいよいよ真実味を帯びてきました。
老若男女で賑わう屋台の群の中を歩きながらも、「これもじつはキツネが見せてる幻覚かも……皆枯葉で買い物してるんだ、きっと…」と疑心暗鬼に。

長旅の末、ついにたどり着いた「たてもの園」のエントランスを前にしても「これが本当にそうか?……じつはキツネの祠だったりしないか?」とやっぱり疑心暗鬼に。

そしてきわめつけは!
広場の仮設舞台から流れてきた子供向けショーの音楽。
♪キツネもタヌキも出ておいで〜
……

この時点で、駅で待ち合わせしてから1時間たってました。。。
ちなみに、武蔵小金井駅から「たてもの園」までは、バスで5分だという話をあとから聞きました。
「たてもの園」じたいは変に観光地化されてなくて(←ものは言いようだ)とてもまったりと楽しめたんですが、ここまでの話がインパクト強すぎてここから先の話はもういいやって感じです、正直なところ。
なのでここでおしまい。
今となっては、東小金井駅の交番のおまわりさんもキツネだったと確信しています。
あと、最初に乗ったバスも絶対キツネバス。あんな路線、じつはないんだよ、きっと。

4番乗り場にナビゲートしてくれた案内所のおばさんもキツネ決定ですね。間違いない。
電柱の広告ももちろんキツネ。あんなわかりにくい広告あるわけないもん。
一緒に行ったレミゼ貧乏さんのブログにもレポートが載ってますので、皆さん見にいってくださいね。
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恐怖のミッキー
古い話になりますけど、梅雨入り直後くらいにTDSに行ってきました。
なんだかんだでTDSもすでに5回目。
プレビューで懲りて「もうこれで行かなくてもいいや」と弱音吐いた割にはよく行ってますね。
で、5回目にして初めて生ミッキー&ミニーに遭遇いたしました。
場所はアメリカンウォーターフロントエリア。
ごくフツーに街角を散歩していたミッキー、あっという間に携帯やデジカメもった人々に取り囲まれました。
お約束通り、手を振ったり、首をかしげたり、愛嬌を振りまいていたミッキーですが、「いやーん、かわい〜!」と騒いでるのはおとなばっかり。
ふと見ると、4歳くらいの男の子がミッキーを見て固まっているではありませんか。
それに気がついたミッキーが男の子に手を振りながら近づこうとすると、ビクッとしてそのままあとずさり。
どうやら男の子はでかでかミッキーに怯えている様子です。
男の子が逃げたことでちょっといたずら心が芽生えたのか、わざと男の子を追いかけ回すミッキー。
べそをかきながら逃げまどう男の子(その手にはなぜかミッキーのキャラクターグッズが握りしめられていたのが笑えるんですが)。
しかも一気に逃げるのではなく、ダーッと逃げて一定の距離をとると、柱の隅からじっとミッキーの様子を伺う。
ミッキーも離れた場所からしばらく男の子の様子を伺う。
また走り出すミッキー。
泣きながら逃げる男の子。
その繰り返し。
男の子の移動に伴い、ミッキーも移動し、ミッキーの移動に伴い、携帯やデジカメを持ったその他大勢もゾロゾロと移動。
という奇妙な光景が繰り広げられました。
おとなとしては「ミッキーに追いかけられるなんてずるい」という羨望もまじったまなざしで追いかけていたようですが。

「どうしたのかな〜。何泣いてんのかな〜。僕、ミッキーだよ!」

ダーーーーーーーーーーッ!
「あ、逃げたっっっ!!」

「待って〜!」
バコバコバコバコ(←足音が意外に大きい)
「いいなぁ〜〜〜」(byギャラリー)
で、この光景を見てるうちに、遠い昔を思い出しました。
昔、木馬座っていう子供向けの人気人形劇団があったんですが、ちょうどこの男の子くらいのときに、木馬座の舞台に連れていってもらったことがあるんですよ。
普段はTVで見ていたんですが、初めて生を見ることができるとあって、私は鼻血が出そうなほど興奮していました。
場所は忘れたけど、都内のどこか大きな劇場でした。
開演のかなり前から席にスタンバッた私は、人形劇の人形が出てくるのを今か今かと待っていました。
「まだかな、まだかな」と何回も聞く私に、親もいいかげんウンザリした表情。
そしていよいよ開演。
幕が開き、よく覚えてないけど、なんかの動物の着ぐるみが板付きで登場し、歌をうたい始めました。
ところがその瞬間、私はミッキーに遭遇した男の子と同じ状態になってしまったのです。
親の話によると、私はその人形を見たとたん大声で泣き出し、結局外へ連れ出す羽目になったらしい。
もちろん、二度と客席復帰はなりませんでした。
「せっかく連れてってやったのに」と今でもそのときのことを非難されるのですが、私がおぼえているのは「恐怖」だけです。
幕が開いたときに出てきた着ぐるみの大きさは、幼い私の想像をはるかに超えたものでした。
普段、TVの画面内で把握している動物のキャラクターはもっとずっと小さかったため、その感覚のまま舞台を観にいった私は、頭の中で10分の1くらいのものをシミュレーションしていたのです。
そのギャップはかなりの衝撃で、私の中では木馬座の着ぐるみはバケモノ以外のなにものでもありませんでした。
ミッキーにおびえる男の子を見て、おとなは「バカだなあ」って感じで誰もが笑いましたが(私も含めて)、多分あの男の子にしてみたら笑い事じゃなく、本気でこわかったんだと思います。
さらにその日は、アリエルのショーで最初から最後まで泣き続けた子供も見かけました。
アリエルのショーには、途中「こわい魔女」が登場するところがあって、そこはたしかに子供にはこわいかなと思ったんですが、その子は魔女が登場するずっと前から泣いていました。
ただ機嫌が悪くてぐずっていたわけじゃなく、明らかにショーが始まったとたんこわがって泣き出したのです。
それで気づきました。
こういうファンタジー系の着ぐるみやらキャラクターやらって、じつは楽しんでるのはおとなのほうなんじゃないかって。
おとなは、でかい着ぐるみが出てきても、幻想的な演出が繰り広げられても、それが「本物」だと思う人は誰もいません。
すべてつくりもので、フィクションだと承知しているからこそ、純粋に一時の夢を楽しむことができるのです。
でも子供は違うんですよね。
現実とフィクションの区別がつかない。
いきなりお芝居が始まっても、境界線がわからないから、目の前に出てきた「見たことがないモノ」をまるごと現実としてうけとめてしまう。
「悪役がこわい」とかそういう次元じゃなく、正義の味方であろうとお姫様であろうと、現実にいないものという点では異形のバケモノなんです。
特におとなと等身大か、着ぐるみをきてそれ以上の大きさになったモノは、子供から見るとかなり巨大なものですから、そういう恐怖も侮れません。
今まで「こういうの子供が喜ぶんだろうな」と漠然と思っていましたが、必ずしもそうではないことを自分の記憶の裏付けとともに思い出し、ちょっと新鮮でした。
とすると、子供はいくつくらいからフィクションをフィクションとして楽しめるようになるんでしょうね。
作り物を本物だと思えなくなることは、一見知恵の悲しみのようですが、本当の想像力はむしろそこから育っていくのではないでしょうか。
もしそうならば、想像力は無限。年には関係なく育てていけるものなのかもしれません。
なんだかんだでTDSもすでに5回目。
プレビューで懲りて「もうこれで行かなくてもいいや」と弱音吐いた割にはよく行ってますね。
で、5回目にして初めて生ミッキー&ミニーに遭遇いたしました。
場所はアメリカンウォーターフロントエリア。
ごくフツーに街角を散歩していたミッキー、あっという間に携帯やデジカメもった人々に取り囲まれました。
お約束通り、手を振ったり、首をかしげたり、愛嬌を振りまいていたミッキーですが、「いやーん、かわい〜!」と騒いでるのはおとなばっかり。
ふと見ると、4歳くらいの男の子がミッキーを見て固まっているではありませんか。
それに気がついたミッキーが男の子に手を振りながら近づこうとすると、ビクッとしてそのままあとずさり。
どうやら男の子はでかでかミッキーに怯えている様子です。
男の子が逃げたことでちょっといたずら心が芽生えたのか、わざと男の子を追いかけ回すミッキー。
べそをかきながら逃げまどう男の子(その手にはなぜかミッキーのキャラクターグッズが握りしめられていたのが笑えるんですが)。
しかも一気に逃げるのではなく、ダーッと逃げて一定の距離をとると、柱の隅からじっとミッキーの様子を伺う。
ミッキーも離れた場所からしばらく男の子の様子を伺う。
また走り出すミッキー。
泣きながら逃げる男の子。
その繰り返し。
男の子の移動に伴い、ミッキーも移動し、ミッキーの移動に伴い、携帯やデジカメを持ったその他大勢もゾロゾロと移動。
という奇妙な光景が繰り広げられました。
おとなとしては「ミッキーに追いかけられるなんてずるい」という羨望もまじったまなざしで追いかけていたようですが。
「あ、逃げたっっっ!!」
バコバコバコバコ(←足音が意外に大きい)
「いいなぁ〜〜〜」(byギャラリー)
で、この光景を見てるうちに、遠い昔を思い出しました。
昔、木馬座っていう子供向けの人気人形劇団があったんですが、ちょうどこの男の子くらいのときに、木馬座の舞台に連れていってもらったことがあるんですよ。
普段はTVで見ていたんですが、初めて生を見ることができるとあって、私は鼻血が出そうなほど興奮していました。
場所は忘れたけど、都内のどこか大きな劇場でした。
開演のかなり前から席にスタンバッた私は、人形劇の人形が出てくるのを今か今かと待っていました。
「まだかな、まだかな」と何回も聞く私に、親もいいかげんウンザリした表情。
そしていよいよ開演。
幕が開き、よく覚えてないけど、なんかの動物の着ぐるみが板付きで登場し、歌をうたい始めました。
ところがその瞬間、私はミッキーに遭遇した男の子と同じ状態になってしまったのです。
親の話によると、私はその人形を見たとたん大声で泣き出し、結局外へ連れ出す羽目になったらしい。
もちろん、二度と客席復帰はなりませんでした。
「せっかく連れてってやったのに」と今でもそのときのことを非難されるのですが、私がおぼえているのは「恐怖」だけです。
幕が開いたときに出てきた着ぐるみの大きさは、幼い私の想像をはるかに超えたものでした。
普段、TVの画面内で把握している動物のキャラクターはもっとずっと小さかったため、その感覚のまま舞台を観にいった私は、頭の中で10分の1くらいのものをシミュレーションしていたのです。
そのギャップはかなりの衝撃で、私の中では木馬座の着ぐるみはバケモノ以外のなにものでもありませんでした。
ミッキーにおびえる男の子を見て、おとなは「バカだなあ」って感じで誰もが笑いましたが(私も含めて)、多分あの男の子にしてみたら笑い事じゃなく、本気でこわかったんだと思います。
さらにその日は、アリエルのショーで最初から最後まで泣き続けた子供も見かけました。
アリエルのショーには、途中「こわい魔女」が登場するところがあって、そこはたしかに子供にはこわいかなと思ったんですが、その子は魔女が登場するずっと前から泣いていました。
ただ機嫌が悪くてぐずっていたわけじゃなく、明らかにショーが始まったとたんこわがって泣き出したのです。
それで気づきました。
こういうファンタジー系の着ぐるみやらキャラクターやらって、じつは楽しんでるのはおとなのほうなんじゃないかって。
おとなは、でかい着ぐるみが出てきても、幻想的な演出が繰り広げられても、それが「本物」だと思う人は誰もいません。
すべてつくりもので、フィクションだと承知しているからこそ、純粋に一時の夢を楽しむことができるのです。
でも子供は違うんですよね。
現実とフィクションの区別がつかない。
いきなりお芝居が始まっても、境界線がわからないから、目の前に出てきた「見たことがないモノ」をまるごと現実としてうけとめてしまう。
「悪役がこわい」とかそういう次元じゃなく、正義の味方であろうとお姫様であろうと、現実にいないものという点では異形のバケモノなんです。
特におとなと等身大か、着ぐるみをきてそれ以上の大きさになったモノは、子供から見るとかなり巨大なものですから、そういう恐怖も侮れません。
今まで「こういうの子供が喜ぶんだろうな」と漠然と思っていましたが、必ずしもそうではないことを自分の記憶の裏付けとともに思い出し、ちょっと新鮮でした。
とすると、子供はいくつくらいからフィクションをフィクションとして楽しめるようになるんでしょうね。
作り物を本物だと思えなくなることは、一見知恵の悲しみのようですが、本当の想像力はむしろそこから育っていくのではないでしょうか。
もしそうならば、想像力は無限。年には関係なく育てていけるものなのかもしれません。
オリエント急行、流れ流れて東の果てへ…
また間があいてしまいました。
箱根で訪れた2つ目の施設は、昨年の3月にオープンした「箱根ラリック美術館」です。
ラリックもアール・デコも大大大好きなので、箱根にラリックのコレクションがあるときいてここは絶対に行くぞと心に決めていました。
ラリックは、アール・ヌーヴォー期からアール・デコ期にかけて活躍したフランスのデザイナー(1860〜1945)。繊細なガラス工芸品を作るアーティストとして有名ですが、最初は宝飾デザイナーでした。と同時に建築デザインも幅広く手がけています。
アール・ヌーヴォーの申し子といえばガレやミュシャ。ジャポニズムの影響があったり、どことなく退廃的なムードを漂わせた作品が思い浮かびます。
一方、アール・デコは機能的かつ合理的なデザインで、幾何学模様をうまく使い、もっとメタリックな感じです。
ラリックがおもしろいのは、活躍時期が両方にまたがっていること。ガレみたいなものを作っているときもあるし、「これぞアール・デコ!」っていう作品を作っているときもあって、非常に幅が広いのです。
この美術館では、おもに宝飾デザインを手がけたアクセサリーが展示の中心になっています。私は今までどちらかというとガラス工芸品を鑑賞する機会が多かったので、なかなか興味深かったです。
どれも本当にため息が出るほどの繊細さであるばかりでなく、ファンタジーというんでしょうか、別世界に連れていってくれるような吸引力があって、さすがはカリスマデザイナーだなとうっとりしました。
が、この美術館、それで終わってないところが本当にすごいところ。
一番の目玉はこの他にあるんです。
なにかというと、
なんとあの
オリエント急行
に乗ることができるんです。
オリエント急行といえば、すぐに思い出されるのがアガサ・クリスティーの名作「オリエント急行の殺人」(または「オリエント急行殺人事件」)。
そう。ヨーロッパを横断するあの豪華国際寝台列車です。
以下、オリエント急行の歴史を簡単にご説明しますと…。
オリエント急行が最初に運転されたのは1883年のこと。走行区間はパリ⇔コンスタンチノープル(今のイスタンブール)。
内装・食事・サービス、どれをとっても超一流で、さながら「走る高級ホテル」。当時の社交界にとってオリエント急行は憧れの存在でした。
その後、走行区間が増えたり、走行時間が短縮されたりといろいろあってどんどん発展してきますが、第2次世界大戦でほとんどの車両を失い、1960年代以降は普通の列車と変わらない位置づけとなり、1977年にはついに廃止されることに。
しかし、歴史あるオリエント急行がなくなってしまうことを惜しむ声は多く、1980年代半ばには国際夜行特急として復活します(現在はパリ⇔ウィーンを運行)。
ただ、これが本当の意味でのオリエント急行の復活と言えるのかどうかというとちょっと微妙。というのも、世界中の人々にとって、オリエント急行はあくまでも「豪華な車両で優雅な旅を楽しむ列車」であり、ただ移動すればいいというわけではないからです。復活したオリエント急行は車両も新しくなり、当時の面影はほとんどありません。
そこで出てきたのが「古き良きオリエント急行を復元して走らせよう」という動きです。
中でも一番早く動きを見せたのはスイスの旅行会社インターフルーク社です。
1976年、オークションに売りに出された戦前の古い車両を買いとった同社は、昔のままのオリエント急行を復元し、「ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行」(NIOE)として運行を開始しました。
これはチャーター運行が基本で、お呼びがかかればそこへ運んでいって走らせるという「出前方式」をとっていました。日本でも、1988年にフジテレビが開局30周年記念イベントとしてオリエント急行を運ばせて国内で走らせたことがあります(当時の苦労話や裏話についてはこのページの「オリエント急行ストーリー」に詳しく載っています)。
しかし、豪華列車の維持には莫大なお金がかかるらしく、その後インターフルーク社は経営難に陥り、多くの車両を売りに出す羽目になりました。
そう。そのうちのひとつを買い取ったのが、ここ箱根ラリック美術館というわけです。
「ラリック」と「オリエント急行」になんの関係が?と思われる方もいるかもしれませんが、前述したように幅広い仕事を手がけていたラリックは、オリエント急行の内装も行っていたのです。
箱根ラリック美術館にあるのはサロンカーと呼ばれるお茶するための車両で、ラリックによるガラスパネルを見ることができます。
それもただ中に入って見るのではなく、実際にサロンカーの客席に座り、お茶とお菓子をいただきながらの鑑賞です。
内部見学には別料金(2,100円)が必要で、10:00〜16:00の毎正時から45分間が見学時間になります。
正直、最初は「2,100円は高い!」と思いましたが、本物のオリエント急行に乗れるチャンスなんてなかなかあるものじゃないですし、何よりもこのときに出たコーヒーとお菓子がなかなかおいしい。あんまりおいしかったので、コーヒー豆はあとで買って帰ったほどです。
コーヒーはポットにゆうに3杯半は入ってましたね。「こんなにいらねえからもっと安くしろ」という人もいるかもしれませんが、さすがにオリエント急行の車両の中でそんなビンボくさいことを考えるのはいかがなものかって感じなので、ありがたく3杯半飲んでお腹がガバガバになりました(その行為がすでにビンボくさいっつーの)。
ちなみに、この日は他に乗客(?)はいなくて、貸切状態。途中、係の人が内部の説明にきましたが、あとはまったりと過ごしました。
走ってない列車の車両に乗ってるのって、考えようによっては非常に間抜けではありますが、かといってわざとらしく音楽とか流れてきてももっと寒い気がするので、そこは想像力で「私は貴族。ここはパリ」とか思いこみ、コーヒーを流し込むしかないのでしょう。
ただ、窓の外の景色がちょっとねぇ……ちょうど美術館の裏門の方向にあたるんですが、豆腐屋だったかクリーニング屋だったかなんだか忘れたけど、すごく現実に戻ってしまうような光景が視界に入ってきてかなり興ざめでした。樹木を生い茂らせて視界を防ぐとか、なんらかの対応を望みます。
そてにしても、驚くのは、この美術館のオーナーが「個人」だということ。
つまり、ラリックのコレクションもオリエント急行も私財で購入したということです。
いったいどんな金持ちなんだ。日本人にも富豪っているんですね。
車両の中に入る前に、「オリエント急行をどうやってここまで運んできたか」という軽いドキュメンタリーのような映像を見せてもらったんですが、横浜の港から入り、巨大なトレーラーに乗せられて箱根の急坂をのぼっていくオリエント急行の姿に圧倒されました。
もちろん、こんな大きいもの、建物に簡単に出し入れできませんから、まず「美術館建設予定地」の片隅に車両を設置し、それから車両を格納するための建物を外側に作ったそうです。
いや、もう考えられないスケールですわ。順番からいうと「オリエント急行買っちゃったから、保管場所作ろう」っていうノリで美術館作った感じ。さらに、「保管場所作ったついでにたまっちゃったラリックコレクションも飾っておくか」って感じか。おそらく、このオーナーにとっては、この美術館は趣味のための倉庫なんでしょう。
皆さんも箱根にお越しの際はぜひオリエント急行で「アガサ・クリスティごっこ」をしていってください。



箱根で訪れた2つ目の施設は、昨年の3月にオープンした「箱根ラリック美術館」です。
ラリックもアール・デコも大大大好きなので、箱根にラリックのコレクションがあるときいてここは絶対に行くぞと心に決めていました。
ラリックは、アール・ヌーヴォー期からアール・デコ期にかけて活躍したフランスのデザイナー(1860〜1945)。繊細なガラス工芸品を作るアーティストとして有名ですが、最初は宝飾デザイナーでした。と同時に建築デザインも幅広く手がけています。
アール・ヌーヴォーの申し子といえばガレやミュシャ。ジャポニズムの影響があったり、どことなく退廃的なムードを漂わせた作品が思い浮かびます。
一方、アール・デコは機能的かつ合理的なデザインで、幾何学模様をうまく使い、もっとメタリックな感じです。
ラリックがおもしろいのは、活躍時期が両方にまたがっていること。ガレみたいなものを作っているときもあるし、「これぞアール・デコ!」っていう作品を作っているときもあって、非常に幅が広いのです。
この美術館では、おもに宝飾デザインを手がけたアクセサリーが展示の中心になっています。私は今までどちらかというとガラス工芸品を鑑賞する機会が多かったので、なかなか興味深かったです。
どれも本当にため息が出るほどの繊細さであるばかりでなく、ファンタジーというんでしょうか、別世界に連れていってくれるような吸引力があって、さすがはカリスマデザイナーだなとうっとりしました。
が、この美術館、それで終わってないところが本当にすごいところ。
一番の目玉はこの他にあるんです。
なにかというと、
なんとあの
オリエント急行
に乗ることができるんです。
オリエント急行といえば、すぐに思い出されるのがアガサ・クリスティーの名作「オリエント急行の殺人」(または「オリエント急行殺人事件」)。
そう。ヨーロッパを横断するあの豪華国際寝台列車です。
以下、オリエント急行の歴史を簡単にご説明しますと…。
オリエント急行が最初に運転されたのは1883年のこと。走行区間はパリ⇔コンスタンチノープル(今のイスタンブール)。
内装・食事・サービス、どれをとっても超一流で、さながら「走る高級ホテル」。当時の社交界にとってオリエント急行は憧れの存在でした。
その後、走行区間が増えたり、走行時間が短縮されたりといろいろあってどんどん発展してきますが、第2次世界大戦でほとんどの車両を失い、1960年代以降は普通の列車と変わらない位置づけとなり、1977年にはついに廃止されることに。
しかし、歴史あるオリエント急行がなくなってしまうことを惜しむ声は多く、1980年代半ばには国際夜行特急として復活します(現在はパリ⇔ウィーンを運行)。
ただ、これが本当の意味でのオリエント急行の復活と言えるのかどうかというとちょっと微妙。というのも、世界中の人々にとって、オリエント急行はあくまでも「豪華な車両で優雅な旅を楽しむ列車」であり、ただ移動すればいいというわけではないからです。復活したオリエント急行は車両も新しくなり、当時の面影はほとんどありません。
そこで出てきたのが「古き良きオリエント急行を復元して走らせよう」という動きです。
中でも一番早く動きを見せたのはスイスの旅行会社インターフルーク社です。
1976年、オークションに売りに出された戦前の古い車両を買いとった同社は、昔のままのオリエント急行を復元し、「ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行」(NIOE)として運行を開始しました。
これはチャーター運行が基本で、お呼びがかかればそこへ運んでいって走らせるという「出前方式」をとっていました。日本でも、1988年にフジテレビが開局30周年記念イベントとしてオリエント急行を運ばせて国内で走らせたことがあります(当時の苦労話や裏話についてはこのページの「オリエント急行ストーリー」に詳しく載っています)。
しかし、豪華列車の維持には莫大なお金がかかるらしく、その後インターフルーク社は経営難に陥り、多くの車両を売りに出す羽目になりました。
そう。そのうちのひとつを買い取ったのが、ここ箱根ラリック美術館というわけです。
「ラリック」と「オリエント急行」になんの関係が?と思われる方もいるかもしれませんが、前述したように幅広い仕事を手がけていたラリックは、オリエント急行の内装も行っていたのです。
箱根ラリック美術館にあるのはサロンカーと呼ばれるお茶するための車両で、ラリックによるガラスパネルを見ることができます。
それもただ中に入って見るのではなく、実際にサロンカーの客席に座り、お茶とお菓子をいただきながらの鑑賞です。
内部見学には別料金(2,100円)が必要で、10:00〜16:00の毎正時から45分間が見学時間になります。
正直、最初は「2,100円は高い!」と思いましたが、本物のオリエント急行に乗れるチャンスなんてなかなかあるものじゃないですし、何よりもこのときに出たコーヒーとお菓子がなかなかおいしい。あんまりおいしかったので、コーヒー豆はあとで買って帰ったほどです。
コーヒーはポットにゆうに3杯半は入ってましたね。「こんなにいらねえからもっと安くしろ」という人もいるかもしれませんが、さすがにオリエント急行の車両の中でそんなビンボくさいことを考えるのはいかがなものかって感じなので、ありがたく3杯半飲んでお腹がガバガバになりました(その行為がすでにビンボくさいっつーの)。
ちなみに、この日は他に乗客(?)はいなくて、貸切状態。途中、係の人が内部の説明にきましたが、あとはまったりと過ごしました。
走ってない列車の車両に乗ってるのって、考えようによっては非常に間抜けではありますが、かといってわざとらしく音楽とか流れてきてももっと寒い気がするので、そこは想像力で「私は貴族。ここはパリ」とか思いこみ、コーヒーを流し込むしかないのでしょう。
ただ、窓の外の景色がちょっとねぇ……ちょうど美術館の裏門の方向にあたるんですが、豆腐屋だったかクリーニング屋だったかなんだか忘れたけど、すごく現実に戻ってしまうような光景が視界に入ってきてかなり興ざめでした。樹木を生い茂らせて視界を防ぐとか、なんらかの対応を望みます。
そてにしても、驚くのは、この美術館のオーナーが「個人」だということ。
つまり、ラリックのコレクションもオリエント急行も私財で購入したということです。
いったいどんな金持ちなんだ。日本人にも富豪っているんですね。
車両の中に入る前に、「オリエント急行をどうやってここまで運んできたか」という軽いドキュメンタリーのような映像を見せてもらったんですが、横浜の港から入り、巨大なトレーラーに乗せられて箱根の急坂をのぼっていくオリエント急行の姿に圧倒されました。
もちろん、こんな大きいもの、建物に簡単に出し入れできませんから、まず「美術館建設予定地」の片隅に車両を設置し、それから車両を格納するための建物を外側に作ったそうです。
いや、もう考えられないスケールですわ。順番からいうと「オリエント急行買っちゃったから、保管場所作ろう」っていうノリで美術館作った感じ。さらに、「保管場所作ったついでにたまっちゃったラリックコレクションも飾っておくか」って感じか。おそらく、このオーナーにとっては、この美術館は趣味のための倉庫なんでしょう。
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
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