古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
カテゴリー「旅行・レジャー」の記事一覧
- 2024.04.25
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- 2010.08.14
ロシア紀行(序)〜読めない国ロシア
- 2008.07.21
家紋とハナショウブ
- 2008.05.14
左寄りの絵馬
ロシア紀行(序)〜読めない国ロシア
- 2010/08/14 (Sat)
- 旅行・レジャー |
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- ▲Top
ケガの記事にも書きましたが、6月後半に9日間のロシアツアーに行ってました。
帰国後、「ロシアどうだった?」と聞かれるたびに「話せば長くなりそうなんで、そのうちにブログにまとめてアップするよ」ともったいぶってきたんですが、もったいぶりすぎて気がつけばもう8月も後半。徐々に面倒になってきました。
記憶もどんどん薄れていきそうなので、このへんで旅行記ブログアップに着手します。
今は猛暑と森林火災で巷でも話題になることの多いロシアですが、旅行に行く前はあまり話題に上ることもなく、「今度ロシアに旅行するんだー」というたびに、「なんで?」と聞き返されていました。中には「他にもう行くとこなくなっちゃったの?」という人も。
そのくらい、観光するにはまだまだマイナーな国ということなんでしょうが、一方で何度もリピするくらいロシアにはまる人も多いと聞きます。
ガイドブックを探しても、ネットを見ても、他の国に比べて格段に情報量が少ない謎の国ロシア…。
いったいそこには、いったいどんな驚きが待っているのか?
行く前から期待はMAXでした。
最近は個人旅行とパッケージツアーの中間のようなツアーも数多くありますが、ロシアに限っては完全パッケージが無難な選択であると旅行経験者から勧められました(特にロシアが初めてならなおさら)。
ヨーロッパなどに比べると、この国はとにかくシステム的に個人では非常に旅行がしづらいのだそうです。
地下鉄はテロで警戒されているし、広いわりに駅の数が少ない。バスの路線はわかりにくい。タクシーはメーター制ではなく事前交渉制で料金体系が不透明。
なによりも、英語が日本以上に通じないし、文字も呪文並に読めない(ロシア語の表記はキリル文字)。
というわけで、最初からパッケージツアーを探したのですが、すごーく選択肢が少ないことにまずびっくりしました。
そもそもロシアを扱っている旅行会社自体が限られているのです。
内容も似たりよったりだし、競争相手が少ないせいなのか、値段も他の国のツアーに比べると明らかに高め。
そんな中で、最終的に選んだツアーの決め手となったのは、「エルミタージュだけで丸一日とっている」といううたい文句です。
ちなみに、他のツアーはだいたい半日の割り当てで、残りの半日はべつの場所を観光するスケジュールになっています。
美術館だけで半日とってくれるなら充分ではないかと思う人もいるかもしれませんが、エルミタージュはただの美術館ではありません。元は宮殿として使っていたものなので、建物そのものが美術品であり、絵はその一部といったほうが正確です。
その絵にしてもルーブルに匹敵する品揃えであり、単純計算で1枚1分、不眠不休で鑑賞し続けて全部見終えるまでに5年かかると言われています。
それ、見終わる前に身体こわして死ぬだろ!
不眠不休で見ないし!
…というつっこみはさておき、とにかくエルミタージュの規模はそのくらい半端ではないということです。
1日観光ならば、途中で昼休憩を挟めますが、半日では一気にまわらなければならない分、かなりしんどいでしょう。
それにエルミタージュだけならそれほど遅くならずに済むけれど、午後にべつの場所に移動するとなったらその分ホテルに戻る時間も遅くなりそうです。エルミタージュ見学の疲労を考えたら、その日はなるべく早く帰ってゆっくりと休みたい。体力に自信がない身にとっては、そのへんのペース配分は重要な問題になります。
そのツアーは、エルミタージュにゆったり時間を割く分、他のツアーより約1日分日数が多かったのですが、料金設定も許容範囲内だったし、ロシア旅行の実績もそこそこあったので、総合的に考え、そこに決めました。
というわけで、次回から旅行記スタートします!
ニュージーランド旅行記のときは、盛り込み過ぎて最初の2日だけで力尽きてしまいましたが、今度は何日目までいくかな(←いや、いくかなじゃなくて最後まで書け)。
帰国後、「ロシアどうだった?」と聞かれるたびに「話せば長くなりそうなんで、そのうちにブログにまとめてアップするよ」ともったいぶってきたんですが、もったいぶりすぎて気がつけばもう8月も後半。徐々に面倒になってきました。
記憶もどんどん薄れていきそうなので、このへんで旅行記ブログアップに着手します。
今は猛暑と森林火災で巷でも話題になることの多いロシアですが、旅行に行く前はあまり話題に上ることもなく、「今度ロシアに旅行するんだー」というたびに、「なんで?」と聞き返されていました。中には「他にもう行くとこなくなっちゃったの?」という人も。
そのくらい、観光するにはまだまだマイナーな国ということなんでしょうが、一方で何度もリピするくらいロシアにはまる人も多いと聞きます。
ガイドブックを探しても、ネットを見ても、他の国に比べて格段に情報量が少ない謎の国ロシア…。
いったいそこには、いったいどんな驚きが待っているのか?
行く前から期待はMAXでした。
最近は個人旅行とパッケージツアーの中間のようなツアーも数多くありますが、ロシアに限っては完全パッケージが無難な選択であると旅行経験者から勧められました(特にロシアが初めてならなおさら)。
ヨーロッパなどに比べると、この国はとにかくシステム的に個人では非常に旅行がしづらいのだそうです。
地下鉄はテロで警戒されているし、広いわりに駅の数が少ない。バスの路線はわかりにくい。タクシーはメーター制ではなく事前交渉制で料金体系が不透明。
なによりも、英語が日本以上に通じないし、文字も呪文並に読めない(ロシア語の表記はキリル文字)。
というわけで、最初からパッケージツアーを探したのですが、すごーく選択肢が少ないことにまずびっくりしました。
そもそもロシアを扱っている旅行会社自体が限られているのです。
内容も似たりよったりだし、競争相手が少ないせいなのか、値段も他の国のツアーに比べると明らかに高め。
そんな中で、最終的に選んだツアーの決め手となったのは、「エルミタージュだけで丸一日とっている」といううたい文句です。
ちなみに、他のツアーはだいたい半日の割り当てで、残りの半日はべつの場所を観光するスケジュールになっています。
美術館だけで半日とってくれるなら充分ではないかと思う人もいるかもしれませんが、エルミタージュはただの美術館ではありません。元は宮殿として使っていたものなので、建物そのものが美術品であり、絵はその一部といったほうが正確です。
その絵にしてもルーブルに匹敵する品揃えであり、単純計算で1枚1分、不眠不休で鑑賞し続けて全部見終えるまでに5年かかると言われています。
それ、見終わる前に身体こわして死ぬだろ!
不眠不休で見ないし!
…というつっこみはさておき、とにかくエルミタージュの規模はそのくらい半端ではないということです。
1日観光ならば、途中で昼休憩を挟めますが、半日では一気にまわらなければならない分、かなりしんどいでしょう。
それにエルミタージュだけならそれほど遅くならずに済むけれど、午後にべつの場所に移動するとなったらその分ホテルに戻る時間も遅くなりそうです。エルミタージュ見学の疲労を考えたら、その日はなるべく早く帰ってゆっくりと休みたい。体力に自信がない身にとっては、そのへんのペース配分は重要な問題になります。
そのツアーは、エルミタージュにゆったり時間を割く分、他のツアーより約1日分日数が多かったのですが、料金設定も許容範囲内だったし、ロシア旅行の実績もそこそこあったので、総合的に考え、そこに決めました。
というわけで、次回から旅行記スタートします!
ニュージーランド旅行記のときは、盛り込み過ぎて最初の2日だけで力尽きてしまいましたが、今度は何日目までいくかな(←いや、いくかなじゃなくて最後まで書け)。
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家紋とハナショウブ
- 2008/07/21 (Mon)
- 旅行・レジャー |
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俗に12月を「師走」と言いますが、私にとっては6月が「師走」でした。
6月、早すぎ!
なんでもう7月なんだ。
と思ったらもう7月も後半だし!
梅雨明けしてるし!
体調が悪かったこともあるんだと思いますが、なんだか恐ろしい勢いで月日が過ぎていきます。
久々の更新になりますが、3月29日に書いた「皇居東御苑ウォッチング」という記事の中で予告した通り、「ハナショウブ」を観に先月再び東御苑を訪ねてきたので、今日はそのときのことを書きます。
今回は、せっかくなので事前に「皇居参観」の申込みをし、午前中に皇居を見学、ランチをとってから午後に東御苑を訪れることにしました。
まずは皇居参観のお話から。
皇居といっても建物の内部を見られるわけではありません。
桔梗門からスタートし、宮内庁庁舎の前を通って宮殿東庭へ。そこから二重橋を渡り、Uターンして帰りは宮内庁庁舎の裏側の山下通りを通って元の場所に戻ってくるというコースで、職員に連れられてすべて徒歩で見学します。
最初に窓明館と呼ばれる休憩所に入り、簡単に皇居についての説明ビデオを見ます。
ここには「売店」があり、各種記念品を販売しているんですが、せっかくの機会なのでなにかひとつ記念品を……と思い、菊紋の入った万古焼のカップを購入しました(1000円也)。
菊紋は言うまでもなく皇室の家紋ですが、花弁が16ある「十六八重表菊」が正式なもの。このカップについている菊紋は数えてみると12しかありません。
バッタ品??ということではなくて(笑)、さすがに天皇家の御紋ともなると、むやみに印刷したり、不特定多数の一般庶民にばらまくわけにはいかないんですね。
特に「十六八重表菊」は天皇家がプライベートで使うものですから、使える方々は著しく限定されています。
というわけで、一般人が菊紋を使うときは、花弁の数を減らした(増やすのはまずいよね)ナンチャッテ菊紋を使うのが普通。
なにかの機会で天皇家からプレゼント(御下賜品)とかお土産などをいただくことがあったときには、「十六八重表菊」が燦然と輝く記念品を手にすることができるでしょう。
まあ1000円出せば誰でも買えるカップには「十六八重表菊」はつけられないってことです。
ところで、今回私はひとつ勉強してしまいました。
これはカップを買った売店でもらった領収書です。
宮内庁に生協があるんだ!ということではなくて(笑)、見てほしいのは印刷された紋です。
正直なところ、私は今まで家紋なんてまるで興味がなかったんで、「天皇家の家紋=菊の御紋」っていうくらいのアバウトな知識しかなかったんですが、ふとこのレシートを見て疑問が……。
これって巷でよく見かける「桐紋」だよね。天皇家と関係あるの?
で、調べてみたところ、おおありだということがわかりました。
じつは皇室では、菊紋の他にもうひとつサブとして使っている紋があって、それが「桐紋」なのだそうです。
菊紋がプライベート(内輪)で使う紋だとすると、この「桐紋」はオフィシャルな場で使う紋。
ちなみに「桐紋」にもいろいろありますが、皇室で使っている「桐紋」は花の数が左から「5・7・5」の順で並ぶ「五七桐(ごしちぎり)」。
これは「十六八重表菊」のように皇室限定の紋ではありませんが、一般的に普及しているのは「3・5・3」の順で並ぶ「五三桐(ごさんぎり)」のほうです。
それにしても、限定でないとはいうものの、「桐紋」はあまりにもポピュラーな紋。なぜそんな紋を皇室が?という疑問に思ったのですが、これは発想が逆でした。
「桐紋」は政治的な道具として使われてきたという経緯があり、天皇家では昔から政治的貢献度の高い武将などに「ご褒美」としてこの「桐紋」を与えたのだそうです。
なにしろ天皇家と同じ紋が使えるんですから与えられたほうも大喜びです。で、自分たちもそのまた家臣たちを手なずけるための餌として「桐紋」を使い、「桐紋」は乱発されすぎて徐々にありがたみがなくなってきたようです。
この「桐紋フィーバー」に終止符を打ったのは、皇居が江戸城と呼ばれていた頃の住人である「徳川家」でした。
天皇家は徳川家康にも「桐紋」を与えようとしたのですが、家康は「うちにはうちの家紋があるのでどうぞお気遣いなく」とこれを慇懃に断ったのだそうです。
というのも、家康は大の秀吉嫌い。秀吉もまた「桐紋」を与えられた一人なのですが、成り上がり者が有頂天になって「桐紋」を使いまくっていた姿に嫌悪感を覚えたのか、秀吉と同じ紋を使うなんてまっぴらと思ったのか、ネズミ講式に増えていった「桐紋」に価値を感じなくなったのか、とにかく家康は「桐紋」を拒否したのです。
断られた天皇家はそれがよほどショックだったんでしょうか、それ以来「桐紋攻撃」は行われなくなったようです。
結果的には、徳川家が使った「葵紋」は徳川家のイメージとしっかり結びつき、後世の人々へのコーポレート・アイデンティティとしては大成功しました。
もし家康が「天皇家がやるって言ってんだからやっぱ断れないよなあ」と申し出を受けてしまっていたら、今頃ドラマ「水戸黄門」では「桐紋の印籠」が映し出されていたはずです。
さて、ビデオ上映が終わって、いよいよ見学に出発です。
ここであらためてびっくりしたのが人の数!
200人以上という規模です(個人だけではなく、団体も入ってましたが)。
ほとんどが60〜70代の方々、あとは外国人観光客とおぼしき方々で、私たちは「若手」の部類に入るほう(笑)。
拡声器を手にした職員が「皆さん。恐れ入りますが4列に整列して私のあとをついてきてください。撮影ポイントでは止まって説明しますから、途中立ち止まって写真をとらないようにお願いします」と叫ぶ。
そりゃあ無理だ。。。
案の定、列は乱れまくりだし、外人は勝手に写真とりまくりだし……で、オリンピックのUSAの入場行進のような状態に。
それでも職員は最後まで「列を乱すな」と叫んでいました。
皇居内を歩いてまず驚いたのは、意外に車の往来が多いこと。
なんとなく緑に囲まれた静寂のオアシスみたいな場所を想像していたのですが、今回まわったのは宮殿の手前、いわば表まわりのパブリックゾーンで、皇居のほんの一部。この宮殿のさらに奥に10倍くらいの広さのいわゆる「吹上御苑」と呼ばれるプライベートゾーンがあるんですね。もちろん、ここは非公開です。
というわけで、今回まわったエリアは、皇居といってもほとんど表の風景の延長のような感じでした。
以下、撮影した画像にコメントをくわえながら見学コースを説明します。
またまた家紋ネタですが、石垣の一部に「丸に十字紋」が刻まれているのが見えますでしょうか?
これは「篤姫」視聴者にはおなじみの薩摩藩島津家の家紋です。
なにかでお城を再建することになったとき、石垣をの石を供出した藩が、石に自分とこの紋を彫ったというお話。
この石は薩摩からきたのですね。
燃料費値上がりの余波は皇居内にまで及んでいるのでしょうか?
江戸城の遺構としてはもっとも古いものである富士見櫓。
石垣の高さだけで14.5メートルあります。
手前で説明しているのがガイド中の職員。
後ろにある松、高そう。。。
昭和10年に建てられ、昭和27年から昭和44年までの間、一部が仮宮殿として使用されていました。
ちょうど職員らしき一団が建物に向かっています。
新年および天皇誕生日に一般参賀が行われる宮殿東庭。
皇室の方々が登場される例のバルコニーはここ。
もっと見上げるような高い位置にあるというイメージがあったのですが、意外に低い。
これじゃ後ろのほうの人は見えないかも。
緑の小山のように見えるのは巨大な刈り込みだときいてびっくり。
植木の中に入り込んで内側から刈り込むというんだけど想像できない。。。
宮殿を右手にみて東庭を横断すると、皇居でもっとも有名なスポットである「二重橋」に出ます。
意外にモダンなデザインなんですね。
この写真はいったん二重橋を渡って戻ってくるところ。
列を乱さないように見張ってる職員の姿が…。
橋の向こうに見える大きな建物は警視庁。
手すりの上に固定して撮ったらもっときれいに撮れたと思うのですが、これ以上手すりに近づくと職員から「注意」が発令されます。
賓客はこの角度から車で入っていきます。
豊明殿は宮殿の北側部分。
組閣が発表されたときの写真はこの場所で撮られます。
ここが一番「豊かな自然が残る皇居」のイメージに近い場所でした。
左手が宮内庁。
右手には広大な吹上御苑が広がりますが、もちろん樹木に覆われてここから先は見えません。
以上です。
参考までに全体図をアップしておきます。
これは皇居を空から見た航空写真です。
今回まわったコースは、赤で囲まれた宮殿付近。
黄色の囲み部分は東御苑。
青の囲みは警視庁。
緑の囲みは国会議事堂。
白矢印方向に東京駅があります。
こうしてみると、吹上御苑の部分は本当にひときわ緑が豊かなのがわかりますね。
こちらはパンフレットに載ってた案内図(クリック拡大して見てくださいね)。
赤い破線が見学コースです。
最初にビデオを見た窓明館が赤丸部分。
紫で囲まれた部分が宮内庁。
黄色で囲まれた部分が宮殿。
緑で囲まれた部分が二重橋。
最後に、東御苑の画像をご紹介しましょう。
これがハナショウブ園全景です。
見違えました!
3月に来たときは干からびた砂漠のようでしたが、今は水が張られていて、ハナショウブが競いあうように咲き誇っています。
参考までに、3月訪問時のブログに載せた「深窓の佳人」と「大神楽」が美しく変身した姿を公開しましょう。
ビフォー&アフターをお楽しみください。
おお〜〜!!
3月に行ったときは「なに、この枯れた株の群は」と思ってたのがこんなに見事に咲くなんて。。。
よく成長したね。うるうる。と親の気分でした。育ててないけど。
ハナショウブは思ったより大きくて迫力ありましたよ。
丈はざっと見た感じでは80〜100センチくらいありました。
もっとちみちみした群を想像していたのでちょっと圧倒されました。
この2つは竹のコーナー。
左が「金明竹」。右が「亀甲竹」。
見れば理由はわかりますね。
ここの前で友人とおしゃべりしてたら、突然知らないおっさんに「この竹はとっても珍しい竹なんだ。わかってんのか。おしゃべりなんてしてる場合じゃないよ。よく見なさい」と小学生のように諭されてしまいました。
いるんだよね。見ず知らずの人に突然ウンチクを傾けるこういうおっさんって。
しかたがないので「ほんとだー。亀の甲羅の模様だー」と珍しがりながら小学生のように写真を撮りました。
3月にはほとんど枯れ木だった東御苑ですが、今回は緑に溢れていました。
今はもうとても暑くて行く気がしませんが、また涼しくなったらお散歩しにいこうっと。
6月、早すぎ!
なんでもう7月なんだ。
と思ったらもう7月も後半だし!
梅雨明けしてるし!
体調が悪かったこともあるんだと思いますが、なんだか恐ろしい勢いで月日が過ぎていきます。
久々の更新になりますが、3月29日に書いた「皇居東御苑ウォッチング」という記事の中で予告した通り、「ハナショウブ」を観に先月再び東御苑を訪ねてきたので、今日はそのときのことを書きます。
今回は、せっかくなので事前に「皇居参観」の申込みをし、午前中に皇居を見学、ランチをとってから午後に東御苑を訪れることにしました。
まずは皇居参観のお話から。
皇居といっても建物の内部を見られるわけではありません。
桔梗門からスタートし、宮内庁庁舎の前を通って宮殿東庭へ。そこから二重橋を渡り、Uターンして帰りは宮内庁庁舎の裏側の山下通りを通って元の場所に戻ってくるというコースで、職員に連れられてすべて徒歩で見学します。
最初に窓明館と呼ばれる休憩所に入り、簡単に皇居についての説明ビデオを見ます。
ここには「売店」があり、各種記念品を販売しているんですが、せっかくの機会なのでなにかひとつ記念品を……と思い、菊紋の入った万古焼のカップを購入しました(1000円也)。
菊紋は言うまでもなく皇室の家紋ですが、花弁が16ある「十六八重表菊」が正式なもの。このカップについている菊紋は数えてみると12しかありません。
バッタ品??ということではなくて(笑)、さすがに天皇家の御紋ともなると、むやみに印刷したり、不特定多数の一般庶民にばらまくわけにはいかないんですね。
特に「十六八重表菊」は天皇家がプライベートで使うものですから、使える方々は著しく限定されています。
というわけで、一般人が菊紋を使うときは、花弁の数を減らした(増やすのはまずいよね)ナンチャッテ菊紋を使うのが普通。
なにかの機会で天皇家からプレゼント(御下賜品)とかお土産などをいただくことがあったときには、「十六八重表菊」が燦然と輝く記念品を手にすることができるでしょう。
まあ1000円出せば誰でも買えるカップには「十六八重表菊」はつけられないってことです。
ところで、今回私はひとつ勉強してしまいました。
これはカップを買った売店でもらった領収書です。
宮内庁に生協があるんだ!ということではなくて(笑)、見てほしいのは印刷された紋です。
正直なところ、私は今まで家紋なんてまるで興味がなかったんで、「天皇家の家紋=菊の御紋」っていうくらいのアバウトな知識しかなかったんですが、ふとこのレシートを見て疑問が……。
これって巷でよく見かける「桐紋」だよね。天皇家と関係あるの?
で、調べてみたところ、おおありだということがわかりました。
じつは皇室では、菊紋の他にもうひとつサブとして使っている紋があって、それが「桐紋」なのだそうです。
菊紋がプライベート(内輪)で使う紋だとすると、この「桐紋」はオフィシャルな場で使う紋。
ちなみに「桐紋」にもいろいろありますが、皇室で使っている「桐紋」は花の数が左から「5・7・5」の順で並ぶ「五七桐(ごしちぎり)」。
これは「十六八重表菊」のように皇室限定の紋ではありませんが、一般的に普及しているのは「3・5・3」の順で並ぶ「五三桐(ごさんぎり)」のほうです。
それにしても、限定でないとはいうものの、「桐紋」はあまりにもポピュラーな紋。なぜそんな紋を皇室が?という疑問に思ったのですが、これは発想が逆でした。
「桐紋」は政治的な道具として使われてきたという経緯があり、天皇家では昔から政治的貢献度の高い武将などに「ご褒美」としてこの「桐紋」を与えたのだそうです。
なにしろ天皇家と同じ紋が使えるんですから与えられたほうも大喜びです。で、自分たちもそのまた家臣たちを手なずけるための餌として「桐紋」を使い、「桐紋」は乱発されすぎて徐々にありがたみがなくなってきたようです。
この「桐紋フィーバー」に終止符を打ったのは、皇居が江戸城と呼ばれていた頃の住人である「徳川家」でした。
天皇家は徳川家康にも「桐紋」を与えようとしたのですが、家康は「うちにはうちの家紋があるのでどうぞお気遣いなく」とこれを慇懃に断ったのだそうです。
というのも、家康は大の秀吉嫌い。秀吉もまた「桐紋」を与えられた一人なのですが、成り上がり者が有頂天になって「桐紋」を使いまくっていた姿に嫌悪感を覚えたのか、秀吉と同じ紋を使うなんてまっぴらと思ったのか、ネズミ講式に増えていった「桐紋」に価値を感じなくなったのか、とにかく家康は「桐紋」を拒否したのです。
断られた天皇家はそれがよほどショックだったんでしょうか、それ以来「桐紋攻撃」は行われなくなったようです。
結果的には、徳川家が使った「葵紋」は徳川家のイメージとしっかり結びつき、後世の人々へのコーポレート・アイデンティティとしては大成功しました。
もし家康が「天皇家がやるって言ってんだからやっぱ断れないよなあ」と申し出を受けてしまっていたら、今頃ドラマ「水戸黄門」では「桐紋の印籠」が映し出されていたはずです。
さて、ビデオ上映が終わって、いよいよ見学に出発です。
ここであらためてびっくりしたのが人の数!
200人以上という規模です(個人だけではなく、団体も入ってましたが)。
ほとんどが60〜70代の方々、あとは外国人観光客とおぼしき方々で、私たちは「若手」の部類に入るほう(笑)。
拡声器を手にした職員が「皆さん。恐れ入りますが4列に整列して私のあとをついてきてください。撮影ポイントでは止まって説明しますから、途中立ち止まって写真をとらないようにお願いします」と叫ぶ。
そりゃあ無理だ。。。
案の定、列は乱れまくりだし、外人は勝手に写真とりまくりだし……で、オリンピックのUSAの入場行進のような状態に。
それでも職員は最後まで「列を乱すな」と叫んでいました。
皇居内を歩いてまず驚いたのは、意外に車の往来が多いこと。
なんとなく緑に囲まれた静寂のオアシスみたいな場所を想像していたのですが、今回まわったのは宮殿の手前、いわば表まわりのパブリックゾーンで、皇居のほんの一部。この宮殿のさらに奥に10倍くらいの広さのいわゆる「吹上御苑」と呼ばれるプライベートゾーンがあるんですね。もちろん、ここは非公開です。
というわけで、今回まわったエリアは、皇居といってもほとんど表の風景の延長のような感じでした。
以下、撮影した画像にコメントをくわえながら見学コースを説明します。
またまた家紋ネタですが、石垣の一部に「丸に十字紋」が刻まれているのが見えますでしょうか?
これは「篤姫」視聴者にはおなじみの薩摩藩島津家の家紋です。
なにかでお城を再建することになったとき、石垣をの石を供出した藩が、石に自分とこの紋を彫ったというお話。
この石は薩摩からきたのですね。
燃料費値上がりの余波は皇居内にまで及んでいるのでしょうか?
江戸城の遺構としてはもっとも古いものである富士見櫓。
石垣の高さだけで14.5メートルあります。
手前で説明しているのがガイド中の職員。
後ろにある松、高そう。。。
昭和10年に建てられ、昭和27年から昭和44年までの間、一部が仮宮殿として使用されていました。
ちょうど職員らしき一団が建物に向かっています。
新年および天皇誕生日に一般参賀が行われる宮殿東庭。
皇室の方々が登場される例のバルコニーはここ。
もっと見上げるような高い位置にあるというイメージがあったのですが、意外に低い。
これじゃ後ろのほうの人は見えないかも。
緑の小山のように見えるのは巨大な刈り込みだときいてびっくり。
植木の中に入り込んで内側から刈り込むというんだけど想像できない。。。
宮殿を右手にみて東庭を横断すると、皇居でもっとも有名なスポットである「二重橋」に出ます。
意外にモダンなデザインなんですね。
この写真はいったん二重橋を渡って戻ってくるところ。
列を乱さないように見張ってる職員の姿が…。
橋の向こうに見える大きな建物は警視庁。
手すりの上に固定して撮ったらもっときれいに撮れたと思うのですが、これ以上手すりに近づくと職員から「注意」が発令されます。
賓客はこの角度から車で入っていきます。
豊明殿は宮殿の北側部分。
組閣が発表されたときの写真はこの場所で撮られます。
ここが一番「豊かな自然が残る皇居」のイメージに近い場所でした。
左手が宮内庁。
右手には広大な吹上御苑が広がりますが、もちろん樹木に覆われてここから先は見えません。
以上です。
参考までに全体図をアップしておきます。
これは皇居を空から見た航空写真です。
今回まわったコースは、赤で囲まれた宮殿付近。
黄色の囲み部分は東御苑。
青の囲みは警視庁。
緑の囲みは国会議事堂。
白矢印方向に東京駅があります。
こうしてみると、吹上御苑の部分は本当にひときわ緑が豊かなのがわかりますね。
こちらはパンフレットに載ってた案内図(クリック拡大して見てくださいね)。
赤い破線が見学コースです。
最初にビデオを見た窓明館が赤丸部分。
紫で囲まれた部分が宮内庁。
黄色で囲まれた部分が宮殿。
緑で囲まれた部分が二重橋。
最後に、東御苑の画像をご紹介しましょう。
これがハナショウブ園全景です。
見違えました!
3月に来たときは干からびた砂漠のようでしたが、今は水が張られていて、ハナショウブが競いあうように咲き誇っています。
参考までに、3月訪問時のブログに載せた「深窓の佳人」と「大神楽」が美しく変身した姿を公開しましょう。
ビフォー&アフターをお楽しみください。
おお〜〜!!
3月に行ったときは「なに、この枯れた株の群は」と思ってたのがこんなに見事に咲くなんて。。。
よく成長したね。うるうる。と親の気分でした。育ててないけど。
ハナショウブは思ったより大きくて迫力ありましたよ。
丈はざっと見た感じでは80〜100センチくらいありました。
もっとちみちみした群を想像していたのでちょっと圧倒されました。
この2つは竹のコーナー。
左が「金明竹」。右が「亀甲竹」。
見れば理由はわかりますね。
ここの前で友人とおしゃべりしてたら、突然知らないおっさんに「この竹はとっても珍しい竹なんだ。わかってんのか。おしゃべりなんてしてる場合じゃないよ。よく見なさい」と小学生のように諭されてしまいました。
いるんだよね。見ず知らずの人に突然ウンチクを傾けるこういうおっさんって。
しかたがないので「ほんとだー。亀の甲羅の模様だー」と珍しがりながら小学生のように写真を撮りました。
3月にはほとんど枯れ木だった東御苑ですが、今回は緑に溢れていました。
今はもうとても暑くて行く気がしませんが、また涼しくなったらお散歩しにいこうっと。
左寄りの絵馬
- 2008/05/14 (Wed)
- 旅行・レジャー |
- TB() |
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- ▲Top
衝撃の“階段落ち”から半月。
まだ痛みは完全にはひいていませんが、一応鎮痛剤なしでしのげるようになってきました(最初のうちは1日に3回飲んでました)。
お尻の痛みはまあ日々緩和してきているんですが、あとになってねじった左腕のほうが痛くなってきました。もともと麻痺しているところへ、曲げたりひねったりするのが痛くなったもので、むくみがさらに悪化し、常にギプスをはめているような感覚に。こうなってみると、体のどこも痛くない状態ってなんて幸せなんだろうと実感します。
そんなわけで間が空いてしまいましたが、箱根の後編をお送りします。
2日目の箱根観光は桃源台からスタート。
海賊船で元箱根に出てまずは箱根神社参拝を。
前回の箱根旅行では激烈な天候異変に襲われて箱根神社の神様に拒否されたのですが(2006年6月8日の記事「厄落としの道のり遠し初夏の××」参照)、今回はとてもさわやかな良いお天気のなか、無事参拝を済ますことができました。
せっかくなので、お水とりもしたし、絵馬も奉納してきました。
「絵馬」といえばちょっと驚いたことがありました。
箱根神社には、絵馬の安置所(というんでしょうか)が本殿をはさんで左右2カ所あるんですが、風水の本には「箱根神社で絵馬を奉納するときは、本殿に向かって左側にかけたほうが運気の吸収率が高まる」とあったので、フツーに左側に直行したところ、愕然とするほど大量の絵馬がかかっているではありませんか。
まじでこんなにいっぱいかかってるところ見たことないですよ。もうパンパン。アリのはいでる隙もないほどてんこ盛り。重なりすぎて絵馬の角度が上向きになって上の段にかけられた絵馬とぶつかってるんですよ。すごくないですか?
そのときは「さすが箱根神社。こんなに参拝客がいるのね」としか思わなかったのですが、ふと右側を見たら………え???………というほどスカスカなんですよ。
もしかしてもしかして、これって、あの風水ブックの影響なのか??
だとしたらすごすぎです。
人の絵馬の中身は読んじゃいけないらしいので、しげしげと読んだわけではありませんが、心なしか右エリアの絵馬に比べ、左エリアの絵馬は願い事が具体的で真剣味に溢れている気がしました。
たとえば「家内安全」とか「家族が健康で幸せに暮らせますように」なんてお願い事を書く人は、ひらたく言うと現在が平穏で特に切実に困っていることがないんだと思うんですよ。
右エリアはそういう「一応書いてみました」的な感じの絵馬が多いんですが、左エリアはそれぞれすごく願い事が具体的で切羽詰まってる感じなんですよ。
右からは「のんびりオーラ」が、左からは「勝負オーラ」が漂ってくる、みたいな。
「崖っぷちの人=開運のために風水本を熟読=左にかけるという情報をゲット=意地でも左にかける」に対し、「現状にほぼ満足の人=風水本なんて必要ない=絵馬なんてどっちにかけてもいい=あれ、右が空いてる=右にかけようっと」……って感じでしょうか。
あまりに差があってちょっとこわかったです。
え? 私?
もっちろん、左にかけてきましたよ。当たり前じゃないですか。
もうギュウギュウ詰め込みました。ひとつの釘に絵馬はこれだけいっぱいかけられるのかという限界に挑戦した思いです(笑)。
さすがに他の人の絵馬を右に移動して左にまぎれこませることまではしませんでしたが(←当たり前)。なんか怨念がこもってて触るのもこわかったし。
でも案外神社の巫女さんが定期的に右に移動してたりして。「なんで左にばっかりかけるんだよ」とか思って。
風水の影響おそるべし、です。
参拝のあとは元箱根でランチをとって、再び海賊船で桃源台へ。
桃源台からはロープウェイに乗って大涌谷へ。
箱根といえば大涌谷というくらいメジャーなスポットですが、いつも通過するばかりで降りるのは今回が初めてです。
さすがにここは団体の観光客が多い。それも外国人(特に中国系)多数。
最初は、自然研究路を歩いて黒玉子を販売している玉子茶屋まで登っていこうかと思ったのですが、想像以上に空気が悪く、自然研究路の入口に「硫化水素ガス発生地域。ここから先は行かないほうがいい方」という注意看板があって、その中の条件に「ぜんそく」があったため、登るのは断念しました。
たしかにただ登るだけでもぜんそくもちにはしんどいのに、この空気では……。
玉子茶屋まで行こうと思ったのは「黒玉子」を買おうと思ったからですが、黒玉子は下でも売っていることがわかったので、あっさりあきらめました。
じゃあなんで有毒ガス吸いながらみんなわざわざ上まで登るのか。
それは玉子茶屋で黒玉子が作られているので、そこまでいけばできたてが食べられるから。らしい。
玉子はまず下から玉子専用のロープウェイに乗せられて玉子茶屋までトコトコと運ばれます。
こんなふうに。
で、玉子茶屋のそばにある硫黄泉につけて硫化鉄を発生させる→白い殻が真っ黒に→その後、さらに高温で蒸し上げて黒玉子の完成!
上にいくとできたてが食べられるっていうけどさー、下で買った黒玉子も充分あちちちって感じでかーなーりー熱いですよ。下でもさらに蒸し直してるのかなー。
その場では食べず、家に帰ってから食べましたが、巷で言われている通り、中身はフツーの固ゆで卵。「冷めると硫黄臭が強くなる」と聞きましたが、それも思ったほどではなかったです。
この黒玉子、1日600個もせっせと茹でられるとのこと。人気の秘密は、「1個食べたら7年寿命が延びる」というキャッチフレーズね。
外人観光客のためにちゃんと英文の説明も載ってました。
「KUROTAMAGO」って……訳してないじゃん。そのままじゃん。
「SUSHI」や「TENPURA」と同格の日本を代表する食べ物ってことなのか?
すげーな、黒玉子。
それにしても。下で受け取って食べるだけの人はいいけど、上で作ってる人は大変ですね。
硫化水素の毒ガス吸いながらゆで卵作ってるんだから。
体に悪そう。
もしかして上で茹でてる人の寿命を下にいる人たちが奪ってるんじゃないのか?という気すらしてきました。
下の売店前で「黒玉子キティ」を発見。
人気者同士のコラボですね。
うーん、でもちょっとビミョー。宇都宮の「餃子キティ」と同じくらい。
最後はケーブルカーで強羅へ出て、「強羅公園」をお散歩。
シャクナゲが最盛期でした。
強羅公園、お花がいっぱいでいいんですけど、ケーブルカーと同じ傾斜の上に作られているんで、高低差がすごい。アンチバリアフリーもいいとこです。高いほうの入口から入って降りていくようにしないと大変です。
もっとも悲惨なルートは「強羅」から行くコース。
強羅駅から強羅公園の入口までですでに半端じゃない坂道をのぼらねばなりません。で、ようやく入口に着いたと思ったら、公園の中も登りっぱなしですよ。
強羅公園って言われたら普通「強羅駅」が最寄り駅だと思っちゃいますが、全然最寄ってないから!
アクセス紹介で強羅駅をあげるのはちょっと反則だと思います。
以上、箱根旅行レポートでした。
まだ痛みは完全にはひいていませんが、一応鎮痛剤なしでしのげるようになってきました(最初のうちは1日に3回飲んでました)。
お尻の痛みはまあ日々緩和してきているんですが、あとになってねじった左腕のほうが痛くなってきました。もともと麻痺しているところへ、曲げたりひねったりするのが痛くなったもので、むくみがさらに悪化し、常にギプスをはめているような感覚に。こうなってみると、体のどこも痛くない状態ってなんて幸せなんだろうと実感します。
そんなわけで間が空いてしまいましたが、箱根の後編をお送りします。
2日目の箱根観光は桃源台からスタート。
海賊船で元箱根に出てまずは箱根神社参拝を。
前回の箱根旅行では激烈な天候異変に襲われて箱根神社の神様に拒否されたのですが(2006年6月8日の記事「厄落としの道のり遠し初夏の××」参照)、今回はとてもさわやかな良いお天気のなか、無事参拝を済ますことができました。
せっかくなので、お水とりもしたし、絵馬も奉納してきました。
「絵馬」といえばちょっと驚いたことがありました。
箱根神社には、絵馬の安置所(というんでしょうか)が本殿をはさんで左右2カ所あるんですが、風水の本には「箱根神社で絵馬を奉納するときは、本殿に向かって左側にかけたほうが運気の吸収率が高まる」とあったので、フツーに左側に直行したところ、愕然とするほど大量の絵馬がかかっているではありませんか。
まじでこんなにいっぱいかかってるところ見たことないですよ。もうパンパン。アリのはいでる隙もないほどてんこ盛り。重なりすぎて絵馬の角度が上向きになって上の段にかけられた絵馬とぶつかってるんですよ。すごくないですか?
そのときは「さすが箱根神社。こんなに参拝客がいるのね」としか思わなかったのですが、ふと右側を見たら………え???………というほどスカスカなんですよ。
もしかしてもしかして、これって、あの風水ブックの影響なのか??
だとしたらすごすぎです。
人の絵馬の中身は読んじゃいけないらしいので、しげしげと読んだわけではありませんが、心なしか右エリアの絵馬に比べ、左エリアの絵馬は願い事が具体的で真剣味に溢れている気がしました。
たとえば「家内安全」とか「家族が健康で幸せに暮らせますように」なんてお願い事を書く人は、ひらたく言うと現在が平穏で特に切実に困っていることがないんだと思うんですよ。
右エリアはそういう「一応書いてみました」的な感じの絵馬が多いんですが、左エリアはそれぞれすごく願い事が具体的で切羽詰まってる感じなんですよ。
右からは「のんびりオーラ」が、左からは「勝負オーラ」が漂ってくる、みたいな。
「崖っぷちの人=開運のために風水本を熟読=左にかけるという情報をゲット=意地でも左にかける」に対し、「現状にほぼ満足の人=風水本なんて必要ない=絵馬なんてどっちにかけてもいい=あれ、右が空いてる=右にかけようっと」……って感じでしょうか。
あまりに差があってちょっとこわかったです。
え? 私?
もっちろん、左にかけてきましたよ。当たり前じゃないですか。
もうギュウギュウ詰め込みました。ひとつの釘に絵馬はこれだけいっぱいかけられるのかという限界に挑戦した思いです(笑)。
さすがに他の人の絵馬を右に移動して左にまぎれこませることまではしませんでしたが(←当たり前)。なんか怨念がこもってて触るのもこわかったし。
でも案外神社の巫女さんが定期的に右に移動してたりして。「なんで左にばっかりかけるんだよ」とか思って。
風水の影響おそるべし、です。
参拝のあとは元箱根でランチをとって、再び海賊船で桃源台へ。
桃源台からはロープウェイに乗って大涌谷へ。
箱根といえば大涌谷というくらいメジャーなスポットですが、いつも通過するばかりで降りるのは今回が初めてです。
さすがにここは団体の観光客が多い。それも外国人(特に中国系)多数。
最初は、自然研究路を歩いて黒玉子を販売している玉子茶屋まで登っていこうかと思ったのですが、想像以上に空気が悪く、自然研究路の入口に「硫化水素ガス発生地域。ここから先は行かないほうがいい方」という注意看板があって、その中の条件に「ぜんそく」があったため、登るのは断念しました。
たしかにただ登るだけでもぜんそくもちにはしんどいのに、この空気では……。
玉子茶屋まで行こうと思ったのは「黒玉子」を買おうと思ったからですが、黒玉子は下でも売っていることがわかったので、あっさりあきらめました。
じゃあなんで有毒ガス吸いながらみんなわざわざ上まで登るのか。
それは玉子茶屋で黒玉子が作られているので、そこまでいけばできたてが食べられるから。らしい。
玉子はまず下から玉子専用のロープウェイに乗せられて玉子茶屋までトコトコと運ばれます。
こんなふうに。
で、玉子茶屋のそばにある硫黄泉につけて硫化鉄を発生させる→白い殻が真っ黒に→その後、さらに高温で蒸し上げて黒玉子の完成!
上にいくとできたてが食べられるっていうけどさー、下で買った黒玉子も充分あちちちって感じでかーなーりー熱いですよ。下でもさらに蒸し直してるのかなー。
その場では食べず、家に帰ってから食べましたが、巷で言われている通り、中身はフツーの固ゆで卵。「冷めると硫黄臭が強くなる」と聞きましたが、それも思ったほどではなかったです。
この黒玉子、1日600個もせっせと茹でられるとのこと。人気の秘密は、「1個食べたら7年寿命が延びる」というキャッチフレーズね。
外人観光客のためにちゃんと英文の説明も載ってました。
「KUROTAMAGO」って……訳してないじゃん。そのままじゃん。
「SUSHI」や「TENPURA」と同格の日本を代表する食べ物ってことなのか?
すげーな、黒玉子。
それにしても。下で受け取って食べるだけの人はいいけど、上で作ってる人は大変ですね。
硫化水素の毒ガス吸いながらゆで卵作ってるんだから。
体に悪そう。
もしかして上で茹でてる人の寿命を下にいる人たちが奪ってるんじゃないのか?という気すらしてきました。
下の売店前で「黒玉子キティ」を発見。
人気者同士のコラボですね。
うーん、でもちょっとビミョー。宇都宮の「餃子キティ」と同じくらい。
最後はケーブルカーで強羅へ出て、「強羅公園」をお散歩。
シャクナゲが最盛期でした。
強羅公園、お花がいっぱいでいいんですけど、ケーブルカーと同じ傾斜の上に作られているんで、高低差がすごい。アンチバリアフリーもいいとこです。高いほうの入口から入って降りていくようにしないと大変です。
もっとも悲惨なルートは「強羅」から行くコース。
強羅駅から強羅公園の入口までですでに半端じゃない坂道をのぼらねばなりません。で、ようやく入口に着いたと思ったら、公園の中も登りっぱなしですよ。
強羅公園って言われたら普通「強羅駅」が最寄り駅だと思っちゃいますが、全然最寄ってないから!
アクセス紹介で強羅駅をあげるのはちょっと反則だと思います。
以上、箱根旅行レポートでした。
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
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