古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
家紋とハナショウブ
- 2008/07/21 (Mon)
- 旅行・レジャー |
- TB() |
- Edit |
- ▲Top
俗に12月を「師走」と言いますが、私にとっては6月が「師走」でした。
6月、早すぎ!
なんでもう7月なんだ。
と思ったらもう7月も後半だし!
梅雨明けしてるし!
体調が悪かったこともあるんだと思いますが、なんだか恐ろしい勢いで月日が過ぎていきます。
久々の更新になりますが、3月29日に書いた「皇居東御苑ウォッチング」という記事の中で予告した通り、「ハナショウブ」を観に先月再び東御苑を訪ねてきたので、今日はそのときのことを書きます。
今回は、せっかくなので事前に「皇居参観」の申込みをし、午前中に皇居を見学、ランチをとってから午後に東御苑を訪れることにしました。
まずは皇居参観のお話から。
皇居といっても建物の内部を見られるわけではありません。
桔梗門からスタートし、宮内庁庁舎の前を通って宮殿東庭へ。そこから二重橋を渡り、Uターンして帰りは宮内庁庁舎の裏側の山下通りを通って元の場所に戻ってくるというコースで、職員に連れられてすべて徒歩で見学します。
最初に窓明館と呼ばれる休憩所に入り、簡単に皇居についての説明ビデオを見ます。
ここには「売店」があり、各種記念品を販売しているんですが、せっかくの機会なのでなにかひとつ記念品を……と思い、菊紋の入った万古焼のカップを購入しました(1000円也)。
菊紋は言うまでもなく皇室の家紋ですが、花弁が16ある「十六八重表菊」が正式なもの。このカップについている菊紋は数えてみると12しかありません。
バッタ品??ということではなくて(笑)、さすがに天皇家の御紋ともなると、むやみに印刷したり、不特定多数の一般庶民にばらまくわけにはいかないんですね。
特に「十六八重表菊」は天皇家がプライベートで使うものですから、使える方々は著しく限定されています。
というわけで、一般人が菊紋を使うときは、花弁の数を減らした(増やすのはまずいよね)ナンチャッテ菊紋を使うのが普通。
なにかの機会で天皇家からプレゼント(御下賜品)とかお土産などをいただくことがあったときには、「十六八重表菊」が燦然と輝く記念品を手にすることができるでしょう。
まあ1000円出せば誰でも買えるカップには「十六八重表菊」はつけられないってことです。
ところで、今回私はひとつ勉強してしまいました。
これはカップを買った売店でもらった領収書です。
宮内庁に生協があるんだ!ということではなくて(笑)、見てほしいのは印刷された紋です。
正直なところ、私は今まで家紋なんてまるで興味がなかったんで、「天皇家の家紋=菊の御紋」っていうくらいのアバウトな知識しかなかったんですが、ふとこのレシートを見て疑問が……。
これって巷でよく見かける「桐紋」だよね。天皇家と関係あるの?
で、調べてみたところ、おおありだということがわかりました。
じつは皇室では、菊紋の他にもうひとつサブとして使っている紋があって、それが「桐紋」なのだそうです。
菊紋がプライベート(内輪)で使う紋だとすると、この「桐紋」はオフィシャルな場で使う紋。
ちなみに「桐紋」にもいろいろありますが、皇室で使っている「桐紋」は花の数が左から「5・7・5」の順で並ぶ「五七桐(ごしちぎり)」。
これは「十六八重表菊」のように皇室限定の紋ではありませんが、一般的に普及しているのは「3・5・3」の順で並ぶ「五三桐(ごさんぎり)」のほうです。
それにしても、限定でないとはいうものの、「桐紋」はあまりにもポピュラーな紋。なぜそんな紋を皇室が?という疑問に思ったのですが、これは発想が逆でした。
「桐紋」は政治的な道具として使われてきたという経緯があり、天皇家では昔から政治的貢献度の高い武将などに「ご褒美」としてこの「桐紋」を与えたのだそうです。
なにしろ天皇家と同じ紋が使えるんですから与えられたほうも大喜びです。で、自分たちもそのまた家臣たちを手なずけるための餌として「桐紋」を使い、「桐紋」は乱発されすぎて徐々にありがたみがなくなってきたようです。
この「桐紋フィーバー」に終止符を打ったのは、皇居が江戸城と呼ばれていた頃の住人である「徳川家」でした。
天皇家は徳川家康にも「桐紋」を与えようとしたのですが、家康は「うちにはうちの家紋があるのでどうぞお気遣いなく」とこれを慇懃に断ったのだそうです。
というのも、家康は大の秀吉嫌い。秀吉もまた「桐紋」を与えられた一人なのですが、成り上がり者が有頂天になって「桐紋」を使いまくっていた姿に嫌悪感を覚えたのか、秀吉と同じ紋を使うなんてまっぴらと思ったのか、ネズミ講式に増えていった「桐紋」に価値を感じなくなったのか、とにかく家康は「桐紋」を拒否したのです。
断られた天皇家はそれがよほどショックだったんでしょうか、それ以来「桐紋攻撃」は行われなくなったようです。
結果的には、徳川家が使った「葵紋」は徳川家のイメージとしっかり結びつき、後世の人々へのコーポレート・アイデンティティとしては大成功しました。
もし家康が「天皇家がやるって言ってんだからやっぱ断れないよなあ」と申し出を受けてしまっていたら、今頃ドラマ「水戸黄門」では「桐紋の印籠」が映し出されていたはずです。
さて、ビデオ上映が終わって、いよいよ見学に出発です。
ここであらためてびっくりしたのが人の数!
200人以上という規模です(個人だけではなく、団体も入ってましたが)。
ほとんどが60〜70代の方々、あとは外国人観光客とおぼしき方々で、私たちは「若手」の部類に入るほう(笑)。
拡声器を手にした職員が「皆さん。恐れ入りますが4列に整列して私のあとをついてきてください。撮影ポイントでは止まって説明しますから、途中立ち止まって写真をとらないようにお願いします」と叫ぶ。
そりゃあ無理だ。。。
案の定、列は乱れまくりだし、外人は勝手に写真とりまくりだし……で、オリンピックのUSAの入場行進のような状態に。
それでも職員は最後まで「列を乱すな」と叫んでいました。
皇居内を歩いてまず驚いたのは、意外に車の往来が多いこと。
なんとなく緑に囲まれた静寂のオアシスみたいな場所を想像していたのですが、今回まわったのは宮殿の手前、いわば表まわりのパブリックゾーンで、皇居のほんの一部。この宮殿のさらに奥に10倍くらいの広さのいわゆる「吹上御苑」と呼ばれるプライベートゾーンがあるんですね。もちろん、ここは非公開です。
というわけで、今回まわったエリアは、皇居といってもほとんど表の風景の延長のような感じでした。
以下、撮影した画像にコメントをくわえながら見学コースを説明します。
またまた家紋ネタですが、石垣の一部に「丸に十字紋」が刻まれているのが見えますでしょうか?
これは「篤姫」視聴者にはおなじみの薩摩藩島津家の家紋です。
なにかでお城を再建することになったとき、石垣をの石を供出した藩が、石に自分とこの紋を彫ったというお話。
この石は薩摩からきたのですね。
燃料費値上がりの余波は皇居内にまで及んでいるのでしょうか?
江戸城の遺構としてはもっとも古いものである富士見櫓。
石垣の高さだけで14.5メートルあります。
手前で説明しているのがガイド中の職員。
後ろにある松、高そう。。。
昭和10年に建てられ、昭和27年から昭和44年までの間、一部が仮宮殿として使用されていました。
ちょうど職員らしき一団が建物に向かっています。
新年および天皇誕生日に一般参賀が行われる宮殿東庭。
皇室の方々が登場される例のバルコニーはここ。
もっと見上げるような高い位置にあるというイメージがあったのですが、意外に低い。
これじゃ後ろのほうの人は見えないかも。
緑の小山のように見えるのは巨大な刈り込みだときいてびっくり。
植木の中に入り込んで内側から刈り込むというんだけど想像できない。。。
宮殿を右手にみて東庭を横断すると、皇居でもっとも有名なスポットである「二重橋」に出ます。
意外にモダンなデザインなんですね。
この写真はいったん二重橋を渡って戻ってくるところ。
列を乱さないように見張ってる職員の姿が…。
橋の向こうに見える大きな建物は警視庁。
手すりの上に固定して撮ったらもっときれいに撮れたと思うのですが、これ以上手すりに近づくと職員から「注意」が発令されます。
賓客はこの角度から車で入っていきます。
豊明殿は宮殿の北側部分。
組閣が発表されたときの写真はこの場所で撮られます。
ここが一番「豊かな自然が残る皇居」のイメージに近い場所でした。
左手が宮内庁。
右手には広大な吹上御苑が広がりますが、もちろん樹木に覆われてここから先は見えません。
以上です。
参考までに全体図をアップしておきます。
これは皇居を空から見た航空写真です。
今回まわったコースは、赤で囲まれた宮殿付近。
黄色の囲み部分は東御苑。
青の囲みは警視庁。
緑の囲みは国会議事堂。
白矢印方向に東京駅があります。
こうしてみると、吹上御苑の部分は本当にひときわ緑が豊かなのがわかりますね。
こちらはパンフレットに載ってた案内図(クリック拡大して見てくださいね)。
赤い破線が見学コースです。
最初にビデオを見た窓明館が赤丸部分。
紫で囲まれた部分が宮内庁。
黄色で囲まれた部分が宮殿。
緑で囲まれた部分が二重橋。
最後に、東御苑の画像をご紹介しましょう。
これがハナショウブ園全景です。
見違えました!
3月に来たときは干からびた砂漠のようでしたが、今は水が張られていて、ハナショウブが競いあうように咲き誇っています。
参考までに、3月訪問時のブログに載せた「深窓の佳人」と「大神楽」が美しく変身した姿を公開しましょう。
ビフォー&アフターをお楽しみください。
おお〜〜!!
3月に行ったときは「なに、この枯れた株の群は」と思ってたのがこんなに見事に咲くなんて。。。
よく成長したね。うるうる。と親の気分でした。育ててないけど。
ハナショウブは思ったより大きくて迫力ありましたよ。
丈はざっと見た感じでは80〜100センチくらいありました。
もっとちみちみした群を想像していたのでちょっと圧倒されました。
この2つは竹のコーナー。
左が「金明竹」。右が「亀甲竹」。
見れば理由はわかりますね。
ここの前で友人とおしゃべりしてたら、突然知らないおっさんに「この竹はとっても珍しい竹なんだ。わかってんのか。おしゃべりなんてしてる場合じゃないよ。よく見なさい」と小学生のように諭されてしまいました。
いるんだよね。見ず知らずの人に突然ウンチクを傾けるこういうおっさんって。
しかたがないので「ほんとだー。亀の甲羅の模様だー」と珍しがりながら小学生のように写真を撮りました。
3月にはほとんど枯れ木だった東御苑ですが、今回は緑に溢れていました。
今はもうとても暑くて行く気がしませんが、また涼しくなったらお散歩しにいこうっと。
6月、早すぎ!
なんでもう7月なんだ。
と思ったらもう7月も後半だし!
梅雨明けしてるし!
体調が悪かったこともあるんだと思いますが、なんだか恐ろしい勢いで月日が過ぎていきます。
久々の更新になりますが、3月29日に書いた「皇居東御苑ウォッチング」という記事の中で予告した通り、「ハナショウブ」を観に先月再び東御苑を訪ねてきたので、今日はそのときのことを書きます。
今回は、せっかくなので事前に「皇居参観」の申込みをし、午前中に皇居を見学、ランチをとってから午後に東御苑を訪れることにしました。
まずは皇居参観のお話から。
皇居といっても建物の内部を見られるわけではありません。
桔梗門からスタートし、宮内庁庁舎の前を通って宮殿東庭へ。そこから二重橋を渡り、Uターンして帰りは宮内庁庁舎の裏側の山下通りを通って元の場所に戻ってくるというコースで、職員に連れられてすべて徒歩で見学します。
最初に窓明館と呼ばれる休憩所に入り、簡単に皇居についての説明ビデオを見ます。
ここには「売店」があり、各種記念品を販売しているんですが、せっかくの機会なのでなにかひとつ記念品を……と思い、菊紋の入った万古焼のカップを購入しました(1000円也)。
菊紋は言うまでもなく皇室の家紋ですが、花弁が16ある「十六八重表菊」が正式なもの。このカップについている菊紋は数えてみると12しかありません。
バッタ品??ということではなくて(笑)、さすがに天皇家の御紋ともなると、むやみに印刷したり、不特定多数の一般庶民にばらまくわけにはいかないんですね。
特に「十六八重表菊」は天皇家がプライベートで使うものですから、使える方々は著しく限定されています。
というわけで、一般人が菊紋を使うときは、花弁の数を減らした(増やすのはまずいよね)ナンチャッテ菊紋を使うのが普通。
なにかの機会で天皇家からプレゼント(御下賜品)とかお土産などをいただくことがあったときには、「十六八重表菊」が燦然と輝く記念品を手にすることができるでしょう。
まあ1000円出せば誰でも買えるカップには「十六八重表菊」はつけられないってことです。
ところで、今回私はひとつ勉強してしまいました。
これはカップを買った売店でもらった領収書です。
宮内庁に生協があるんだ!ということではなくて(笑)、見てほしいのは印刷された紋です。
正直なところ、私は今まで家紋なんてまるで興味がなかったんで、「天皇家の家紋=菊の御紋」っていうくらいのアバウトな知識しかなかったんですが、ふとこのレシートを見て疑問が……。
これって巷でよく見かける「桐紋」だよね。天皇家と関係あるの?
で、調べてみたところ、おおありだということがわかりました。
じつは皇室では、菊紋の他にもうひとつサブとして使っている紋があって、それが「桐紋」なのだそうです。
菊紋がプライベート(内輪)で使う紋だとすると、この「桐紋」はオフィシャルな場で使う紋。
ちなみに「桐紋」にもいろいろありますが、皇室で使っている「桐紋」は花の数が左から「5・7・5」の順で並ぶ「五七桐(ごしちぎり)」。
これは「十六八重表菊」のように皇室限定の紋ではありませんが、一般的に普及しているのは「3・5・3」の順で並ぶ「五三桐(ごさんぎり)」のほうです。
それにしても、限定でないとはいうものの、「桐紋」はあまりにもポピュラーな紋。なぜそんな紋を皇室が?という疑問に思ったのですが、これは発想が逆でした。
「桐紋」は政治的な道具として使われてきたという経緯があり、天皇家では昔から政治的貢献度の高い武将などに「ご褒美」としてこの「桐紋」を与えたのだそうです。
なにしろ天皇家と同じ紋が使えるんですから与えられたほうも大喜びです。で、自分たちもそのまた家臣たちを手なずけるための餌として「桐紋」を使い、「桐紋」は乱発されすぎて徐々にありがたみがなくなってきたようです。
この「桐紋フィーバー」に終止符を打ったのは、皇居が江戸城と呼ばれていた頃の住人である「徳川家」でした。
天皇家は徳川家康にも「桐紋」を与えようとしたのですが、家康は「うちにはうちの家紋があるのでどうぞお気遣いなく」とこれを慇懃に断ったのだそうです。
というのも、家康は大の秀吉嫌い。秀吉もまた「桐紋」を与えられた一人なのですが、成り上がり者が有頂天になって「桐紋」を使いまくっていた姿に嫌悪感を覚えたのか、秀吉と同じ紋を使うなんてまっぴらと思ったのか、ネズミ講式に増えていった「桐紋」に価値を感じなくなったのか、とにかく家康は「桐紋」を拒否したのです。
断られた天皇家はそれがよほどショックだったんでしょうか、それ以来「桐紋攻撃」は行われなくなったようです。
結果的には、徳川家が使った「葵紋」は徳川家のイメージとしっかり結びつき、後世の人々へのコーポレート・アイデンティティとしては大成功しました。
もし家康が「天皇家がやるって言ってんだからやっぱ断れないよなあ」と申し出を受けてしまっていたら、今頃ドラマ「水戸黄門」では「桐紋の印籠」が映し出されていたはずです。
さて、ビデオ上映が終わって、いよいよ見学に出発です。
ここであらためてびっくりしたのが人の数!
200人以上という規模です(個人だけではなく、団体も入ってましたが)。
ほとんどが60〜70代の方々、あとは外国人観光客とおぼしき方々で、私たちは「若手」の部類に入るほう(笑)。
拡声器を手にした職員が「皆さん。恐れ入りますが4列に整列して私のあとをついてきてください。撮影ポイントでは止まって説明しますから、途中立ち止まって写真をとらないようにお願いします」と叫ぶ。
そりゃあ無理だ。。。
案の定、列は乱れまくりだし、外人は勝手に写真とりまくりだし……で、オリンピックのUSAの入場行進のような状態に。
それでも職員は最後まで「列を乱すな」と叫んでいました。
皇居内を歩いてまず驚いたのは、意外に車の往来が多いこと。
なんとなく緑に囲まれた静寂のオアシスみたいな場所を想像していたのですが、今回まわったのは宮殿の手前、いわば表まわりのパブリックゾーンで、皇居のほんの一部。この宮殿のさらに奥に10倍くらいの広さのいわゆる「吹上御苑」と呼ばれるプライベートゾーンがあるんですね。もちろん、ここは非公開です。
というわけで、今回まわったエリアは、皇居といってもほとんど表の風景の延長のような感じでした。
以下、撮影した画像にコメントをくわえながら見学コースを説明します。
またまた家紋ネタですが、石垣の一部に「丸に十字紋」が刻まれているのが見えますでしょうか?
これは「篤姫」視聴者にはおなじみの薩摩藩島津家の家紋です。
なにかでお城を再建することになったとき、石垣をの石を供出した藩が、石に自分とこの紋を彫ったというお話。
この石は薩摩からきたのですね。
燃料費値上がりの余波は皇居内にまで及んでいるのでしょうか?
江戸城の遺構としてはもっとも古いものである富士見櫓。
石垣の高さだけで14.5メートルあります。
手前で説明しているのがガイド中の職員。
後ろにある松、高そう。。。
昭和10年に建てられ、昭和27年から昭和44年までの間、一部が仮宮殿として使用されていました。
ちょうど職員らしき一団が建物に向かっています。
新年および天皇誕生日に一般参賀が行われる宮殿東庭。
皇室の方々が登場される例のバルコニーはここ。
もっと見上げるような高い位置にあるというイメージがあったのですが、意外に低い。
これじゃ後ろのほうの人は見えないかも。
緑の小山のように見えるのは巨大な刈り込みだときいてびっくり。
植木の中に入り込んで内側から刈り込むというんだけど想像できない。。。
宮殿を右手にみて東庭を横断すると、皇居でもっとも有名なスポットである「二重橋」に出ます。
意外にモダンなデザインなんですね。
この写真はいったん二重橋を渡って戻ってくるところ。
列を乱さないように見張ってる職員の姿が…。
橋の向こうに見える大きな建物は警視庁。
手すりの上に固定して撮ったらもっときれいに撮れたと思うのですが、これ以上手すりに近づくと職員から「注意」が発令されます。
賓客はこの角度から車で入っていきます。
豊明殿は宮殿の北側部分。
組閣が発表されたときの写真はこの場所で撮られます。
ここが一番「豊かな自然が残る皇居」のイメージに近い場所でした。
左手が宮内庁。
右手には広大な吹上御苑が広がりますが、もちろん樹木に覆われてここから先は見えません。
以上です。
参考までに全体図をアップしておきます。
これは皇居を空から見た航空写真です。
今回まわったコースは、赤で囲まれた宮殿付近。
黄色の囲み部分は東御苑。
青の囲みは警視庁。
緑の囲みは国会議事堂。
白矢印方向に東京駅があります。
こうしてみると、吹上御苑の部分は本当にひときわ緑が豊かなのがわかりますね。
こちらはパンフレットに載ってた案内図(クリック拡大して見てくださいね)。
赤い破線が見学コースです。
最初にビデオを見た窓明館が赤丸部分。
紫で囲まれた部分が宮内庁。
黄色で囲まれた部分が宮殿。
緑で囲まれた部分が二重橋。
最後に、東御苑の画像をご紹介しましょう。
これがハナショウブ園全景です。
見違えました!
3月に来たときは干からびた砂漠のようでしたが、今は水が張られていて、ハナショウブが競いあうように咲き誇っています。
参考までに、3月訪問時のブログに載せた「深窓の佳人」と「大神楽」が美しく変身した姿を公開しましょう。
ビフォー&アフターをお楽しみください。
おお〜〜!!
3月に行ったときは「なに、この枯れた株の群は」と思ってたのがこんなに見事に咲くなんて。。。
よく成長したね。うるうる。と親の気分でした。育ててないけど。
ハナショウブは思ったより大きくて迫力ありましたよ。
丈はざっと見た感じでは80〜100センチくらいありました。
もっとちみちみした群を想像していたのでちょっと圧倒されました。
この2つは竹のコーナー。
左が「金明竹」。右が「亀甲竹」。
見れば理由はわかりますね。
ここの前で友人とおしゃべりしてたら、突然知らないおっさんに「この竹はとっても珍しい竹なんだ。わかってんのか。おしゃべりなんてしてる場合じゃないよ。よく見なさい」と小学生のように諭されてしまいました。
いるんだよね。見ず知らずの人に突然ウンチクを傾けるこういうおっさんって。
しかたがないので「ほんとだー。亀の甲羅の模様だー」と珍しがりながら小学生のように写真を撮りました。
3月にはほとんど枯れ木だった東御苑ですが、今回は緑に溢れていました。
今はもうとても暑くて行く気がしませんが、また涼しくなったらお散歩しにいこうっと。
PR
この記事へのトラックバック
トラックバックURL
カウンタ
カレンダー
プロフィール
最新記事
(02/28)
(11/19)
(08/28)
(07/23)
(02/03)
最新コメント
(04/23)
(08/29)
(08/28)
(08/28)
(07/24)
(07/24)
(07/24)
(07/24)
(05/27)
(05/26)
カテゴリー
著作
「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
最古記事
(01/01)
(01/01)
(01/02)
(01/03)
(01/05)