古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
カテゴリー「旅行・レジャー」の記事一覧
- 2025.04.18
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- 2011.04.10
川越ツアー(1)〜「大丈夫」の愛ちゃん
- 2010.08.22
ロシア紀行(2)〜町の名前に歴史あり
- 2010.08.17
ロシア紀行(1)〜ロシアンマナーの洗礼
川越ツアー(1)〜「大丈夫」の愛ちゃん
- 2011/04/10 (Sun)
- 旅行・レジャー |
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- ▲Top
母のお墓参りで所沢に出入りするようになってから、ずっと気になっていた場所がありました。
“小江戸”の名称で知られる「川越」です。
所沢へは新宿から西武新宿線に乗っていくのですが、終点が「本川越」なので、所沢で降りるたびに「このまま終点まで乗っていくと川越に出られるのかー。いつか墓参りのついでに川越に遊びに行ってみたいなー」と思っていました。
というと、埼玉在住の人には「どこがついでだよ。所沢と川越なんて全然近くないじゃん」とつっこまれるのですが、埼玉に行くことじたいがほとんどない私から見れば、所沢と川越は充分「同じエリア」なのです。
今回、その希望が実現し、晴れて川越デビューを飾りましたので、その報告を…。
川越在住の知り合いは何人かいたので、当日は誰かを呼び出そうと思っていたのですが、今回は3歳から川越にずっと住んでいるというテアトル・エコーの若手女優、愛ちゃんにつきあっていただくことになりました。
父と、従姉妹のASAちゃんと午前中に墓参りを済ませ、11時50分に本川越の駅に到着。
改札には……いたいた、愛ちゃん。
と思いきや、真剣に観光客向けのマップに見入っている。
だ、大丈夫かな。。。(^_^;)
だいたい地元の人って「観光する場所」という意識がないから、観光情報については意外にうといものなんですよね。
今回もいろいろ下調べしたけど、怒濤のように情報をくれたのは地元の人ではなく、川越によく遊びに行くという「観光客」でした。
ただ、土地勘というか、地理とか交通機関については地元の人は明るいだろうからと思ってついてきてもらったんですが、いきなり地図に見入ってるとは…。
まずはランチからスタート。
駅からちょっと歩いたところにある「ベニーノ」というイタリアンのお店に行くということはすでに伝えてあったので(OLやママたちでにぎわうというので一応席の予約もいれておいた)、すぐに案内してくれるのかと思ったら、愛ちゃんは地図を見たままじっと考え込んでいる。
「あの……大丈夫?」とついに口に出して聞いてしまったが、愛ちゃんは「大丈夫です」と答え、あんまり大丈夫じゃなさそうな足取りで歩き始めました。
「ベニーノ」は川越女子高校のすぐそばにあるんですが、愛ちゃんはここの高校出身。
学校の前の桜がきれいだというので、大通りではなく、学校前を通っていくことになりました。
ちょうどこの日は入学式だったようで、桜並木をバックに記念撮影をする父兄と生徒たちの姿で大賑わい。
幸せそうな光景に心がなごみました。
住宅地をてくてく歩くこと10分弱で「ベニーノ」に到着。
川越は本当にレトロな建物がいっぱい。
このレストランも国登録有形文化財の瀟洒な建物を使っています(以前は郵便局だったらしい)。
パスタ、ピッツァとも美味でした。
おなかがいっぱいになったところで観光に出発。
いったん川越市駅に戻り(川越には駅が3つあって、川越市駅は東武線系の駅。西武線系の本川越駅よりぐっとさびれている)、そこからタクシーで氷川神社に向かいました。
川越市内の見所は大きく分けて3エリアほどあるのですが、その3つが微妙に離れていて、全部歩いて回るのはちょっと大変(歩けないことはないけど)。
ということで、まずは駅から一番遠い氷川神社までタクシーを使うことにしました。
氷川神社は縁結びで有名な神社。
小さな神社ですが、なぜか鳥居だけがアンバランスに大きい(というか背が高い)。
大きい鳥居だけなら珍しくないかもしれないけど、木造でこんなに高いのは珍しいかも。
と思ったら、ガイドブックには「木造鳥居としては日本一の大きさ」と書いてありました。
「そっかー、日本一なのかー」と感心していたら、ASAちゃんが鳥居脇の説明書きを見て「ここには『日本一』じゃなくて『日本最大規模』のって書いてあるよ。ちょっと微妙な表現だよね」とつっこみ。
たしかに言い逃れができそうな表現ではある(笑)。
愛ちゃんは氷川神社もほぼ初めてのようで、「こんなところがあったんですねー」と観光客よりも物珍しそうに見学している。
「じつは私、今年厄年なんですよー」と愛ちゃん。
「そうなの?じゃあお祓いしたの?」と聞いたら「いえ。役者は厄よけをすると『役(やく)』がつかなくなるから祓っちゃいけないらしいんですー」という。
そうなのか〜!
芸能関係の人は縁起かつぐ人が多いとききますが、「厄」をこやしに「役」を作らないといけないわけですね。
境内は狭い中に「縁結び関連グッズ(イベント)」が密集しています。
お参りのあと、お守りをチェックしたけど、ほとんどが縁結び関係。
桜色のかわいいお守りがあったけど、ひらがなで「であいこい」と縫い付けられているのがちょっと身もふたもなさすぎて、こわくて手が出ませんでした。
ここには「縁結び玉」という限定品があって、まあ中身は境内の小石なんですが、巫女さんが毎朝拾い集めて、お祓いをして、羽根つきの羽根みたいにきれいにくるんだものを一日限定20体(お祓いをしたものはご神体なので「個」と言ってはいけないんですね)で無料領布しているんだそうです。
川越の人は意外に知らないのかもしれませんが、これをゲットするために遠くからわざわざ駅始発のバスに乗ってやってくる観光客も多いため、平日でも午後まで残っていることはまずないとか。
もちろんこの日も残ってませんでした。
ふと境内を見回すと、不思議なものが目に入りました。
水のないいけすに鯛がいっぱい!
ひとつには赤い鯛が、もうひとつにはピンクと白の鯛が入っています。
これを釣り竿で釣り上げると、鯛の中におみくじが入っているというしかけです。
赤い鯛は一般のおみくじで、「一年安鯛(泰)みくじ」。
そしてピンクと白の鯛は良縁祈願のおみくじで「あい鯛(たい)みくじ」。
よく見ると釣り竿にはえびがついてます。
まさに「えび」で「鯛」を釣る!
これはやるっきゃないでしょう!
ということで、さっそく一番かわいいピンクの鯛を狙って釣り竿を手にとりました。
「どうしよう。釣れなかったら…」と言ったら、ASAちゃんに「釣れるよ〜!動いてないんだから簡単だよ!」と笑われました。
ところが、いざ釣り竿を垂らしたとたん、ASAちゃんの顔色に変化が…。
「ちょっと待って。これ、意外と難しいかも…」
鯛についている紐がくたっとしているため、釣り針になかなかひっかからないのです。
ていうか、釣り糸で鯛を動かすことはできないので、たまたま紐がひっかかりやすい形になっている鯛しか選べないんですよね。
これ、ある意味動いてくれたほうがひっかけやすいかも。
ようやく釣り上げた鯛からおみくじを広げると……なんとASAちゃんと私はまったく同じ内容!
「これって……釣りやすい手近で済ませようとすると同じ結果になるってこと?」
いや、べつに内容が悪かったわけじゃないんですが、まったく同じっていうのがなんか……脱力(笑)。
隣では、一人で来ている若い女性が真剣な表情で釣り糸を垂らしている。
本当に気合いが入ってる人は一人で来るんだよなー。「動いてないんだから楽勝!」とか言ってる時点で終わってるよ、私たち。
気がつけば、あれ?愛ちゃんだけやってない。
「愛ちゃんもやろうよ〜」と誘ったら、ほにゃーっとした笑顔で「いえ、私は……大丈夫ですから〜」とかわされてしまいました。
「大丈夫」…って………もう少し他の言い方はないのか>愛ちゃん(笑)。
必要なくたってつきあいってものがあるだろう〜。
一応自分も参加して、釣り上げながらも心の中で「すいません。おばさんたちがやれっていうから断れなくてこうしてやっていますが、私にはすでにダーリンがいるので縁は必要ありません。私の分もこの人たちにまわしてあげてください」と神様にお願いするとかさ。
なんか「大丈夫」って言われたとたん、海の上で溺れてるような気分になったよ、私は。
氷川神社を出たあと、近くに流れる新河岸川で桜を見ました。
「きれいだね〜」と歓声をあげていたら、橋の上に三脚をたてて桜を撮っていたおじさんが、縁結び祈願をしていない愛ちゃんめがけていきなりナンパ。
「どっから来たの?」
愛ちゃん、ふにゃーっと笑って「地元です」と答えて会話がそれ以上進まなくなっていました(笑)。
“小江戸”の名称で知られる「川越」です。
所沢へは新宿から西武新宿線に乗っていくのですが、終点が「本川越」なので、所沢で降りるたびに「このまま終点まで乗っていくと川越に出られるのかー。いつか墓参りのついでに川越に遊びに行ってみたいなー」と思っていました。
というと、埼玉在住の人には「どこがついでだよ。所沢と川越なんて全然近くないじゃん」とつっこまれるのですが、埼玉に行くことじたいがほとんどない私から見れば、所沢と川越は充分「同じエリア」なのです。
今回、その希望が実現し、晴れて川越デビューを飾りましたので、その報告を…。
川越在住の知り合いは何人かいたので、当日は誰かを呼び出そうと思っていたのですが、今回は3歳から川越にずっと住んでいるというテアトル・エコーの若手女優、愛ちゃんにつきあっていただくことになりました。
父と、従姉妹のASAちゃんと午前中に墓参りを済ませ、11時50分に本川越の駅に到着。
改札には……いたいた、愛ちゃん。
と思いきや、真剣に観光客向けのマップに見入っている。
だ、大丈夫かな。。。(^_^;)
だいたい地元の人って「観光する場所」という意識がないから、観光情報については意外にうといものなんですよね。
今回もいろいろ下調べしたけど、怒濤のように情報をくれたのは地元の人ではなく、川越によく遊びに行くという「観光客」でした。
ただ、土地勘というか、地理とか交通機関については地元の人は明るいだろうからと思ってついてきてもらったんですが、いきなり地図に見入ってるとは…。
まずはランチからスタート。
駅からちょっと歩いたところにある「ベニーノ」というイタリアンのお店に行くということはすでに伝えてあったので(OLやママたちでにぎわうというので一応席の予約もいれておいた)、すぐに案内してくれるのかと思ったら、愛ちゃんは地図を見たままじっと考え込んでいる。
「あの……大丈夫?」とついに口に出して聞いてしまったが、愛ちゃんは「大丈夫です」と答え、あんまり大丈夫じゃなさそうな足取りで歩き始めました。
「ベニーノ」は川越女子高校のすぐそばにあるんですが、愛ちゃんはここの高校出身。
学校の前の桜がきれいだというので、大通りではなく、学校前を通っていくことになりました。
ちょうどこの日は入学式だったようで、桜並木をバックに記念撮影をする父兄と生徒たちの姿で大賑わい。
幸せそうな光景に心がなごみました。
住宅地をてくてく歩くこと10分弱で「ベニーノ」に到着。
川越は本当にレトロな建物がいっぱい。
このレストランも国登録有形文化財の瀟洒な建物を使っています(以前は郵便局だったらしい)。
パスタ、ピッツァとも美味でした。
おなかがいっぱいになったところで観光に出発。
いったん川越市駅に戻り(川越には駅が3つあって、川越市駅は東武線系の駅。西武線系の本川越駅よりぐっとさびれている)、そこからタクシーで氷川神社に向かいました。
川越市内の見所は大きく分けて3エリアほどあるのですが、その3つが微妙に離れていて、全部歩いて回るのはちょっと大変(歩けないことはないけど)。
ということで、まずは駅から一番遠い氷川神社までタクシーを使うことにしました。
氷川神社は縁結びで有名な神社。
小さな神社ですが、なぜか鳥居だけがアンバランスに大きい(というか背が高い)。
大きい鳥居だけなら珍しくないかもしれないけど、木造でこんなに高いのは珍しいかも。
と思ったら、ガイドブックには「木造鳥居としては日本一の大きさ」と書いてありました。
「そっかー、日本一なのかー」と感心していたら、ASAちゃんが鳥居脇の説明書きを見て「ここには『日本一』じゃなくて『日本最大規模』のって書いてあるよ。ちょっと微妙な表現だよね」とつっこみ。
たしかに言い逃れができそうな表現ではある(笑)。
愛ちゃんは氷川神社もほぼ初めてのようで、「こんなところがあったんですねー」と観光客よりも物珍しそうに見学している。
「じつは私、今年厄年なんですよー」と愛ちゃん。
「そうなの?じゃあお祓いしたの?」と聞いたら「いえ。役者は厄よけをすると『役(やく)』がつかなくなるから祓っちゃいけないらしいんですー」という。
そうなのか〜!
芸能関係の人は縁起かつぐ人が多いとききますが、「厄」をこやしに「役」を作らないといけないわけですね。
境内は狭い中に「縁結び関連グッズ(イベント)」が密集しています。
お参りのあと、お守りをチェックしたけど、ほとんどが縁結び関係。
桜色のかわいいお守りがあったけど、ひらがなで「であいこい」と縫い付けられているのがちょっと身もふたもなさすぎて、こわくて手が出ませんでした。
ここには「縁結び玉」という限定品があって、まあ中身は境内の小石なんですが、巫女さんが毎朝拾い集めて、お祓いをして、羽根つきの羽根みたいにきれいにくるんだものを一日限定20体(お祓いをしたものはご神体なので「個」と言ってはいけないんですね)で無料領布しているんだそうです。
川越の人は意外に知らないのかもしれませんが、これをゲットするために遠くからわざわざ駅始発のバスに乗ってやってくる観光客も多いため、平日でも午後まで残っていることはまずないとか。
もちろんこの日も残ってませんでした。
ふと境内を見回すと、不思議なものが目に入りました。
水のないいけすに鯛がいっぱい!
ひとつには赤い鯛が、もうひとつにはピンクと白の鯛が入っています。
これを釣り竿で釣り上げると、鯛の中におみくじが入っているというしかけです。
赤い鯛は一般のおみくじで、「一年安鯛(泰)みくじ」。
そしてピンクと白の鯛は良縁祈願のおみくじで「あい鯛(たい)みくじ」。
よく見ると釣り竿にはえびがついてます。
まさに「えび」で「鯛」を釣る!
これはやるっきゃないでしょう!
ということで、さっそく一番かわいいピンクの鯛を狙って釣り竿を手にとりました。
「どうしよう。釣れなかったら…」と言ったら、ASAちゃんに「釣れるよ〜!動いてないんだから簡単だよ!」と笑われました。
ところが、いざ釣り竿を垂らしたとたん、ASAちゃんの顔色に変化が…。
「ちょっと待って。これ、意外と難しいかも…」
鯛についている紐がくたっとしているため、釣り針になかなかひっかからないのです。
ていうか、釣り糸で鯛を動かすことはできないので、たまたま紐がひっかかりやすい形になっている鯛しか選べないんですよね。
これ、ある意味動いてくれたほうがひっかけやすいかも。
ようやく釣り上げた鯛からおみくじを広げると……なんとASAちゃんと私はまったく同じ内容!
「これって……釣りやすい手近で済ませようとすると同じ結果になるってこと?」
いや、べつに内容が悪かったわけじゃないんですが、まったく同じっていうのがなんか……脱力(笑)。
隣では、一人で来ている若い女性が真剣な表情で釣り糸を垂らしている。
本当に気合いが入ってる人は一人で来るんだよなー。「動いてないんだから楽勝!」とか言ってる時点で終わってるよ、私たち。
気がつけば、あれ?愛ちゃんだけやってない。
「愛ちゃんもやろうよ〜」と誘ったら、ほにゃーっとした笑顔で「いえ、私は……大丈夫ですから〜」とかわされてしまいました。
「大丈夫」…って………もう少し他の言い方はないのか>愛ちゃん(笑)。
必要なくたってつきあいってものがあるだろう〜。
一応自分も参加して、釣り上げながらも心の中で「すいません。おばさんたちがやれっていうから断れなくてこうしてやっていますが、私にはすでにダーリンがいるので縁は必要ありません。私の分もこの人たちにまわしてあげてください」と神様にお願いするとかさ。
なんか「大丈夫」って言われたとたん、海の上で溺れてるような気分になったよ、私は。
氷川神社を出たあと、近くに流れる新河岸川で桜を見ました。
「きれいだね〜」と歓声をあげていたら、橋の上に三脚をたてて桜を撮っていたおじさんが、縁結び祈願をしていない愛ちゃんめがけていきなりナンパ。
「どっから来たの?」
愛ちゃん、ふにゃーっと笑って「地元です」と答えて会話がそれ以上進まなくなっていました(笑)。
まだまだ続く川越ツアー。
続きは次回!
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ロシア紀行(2)〜町の名前に歴史あり
- 2010/08/22 (Sun)
- 旅行・レジャー |
- TB() |
- Edit |
- ▲Top
旅行2日目(6/22)。
夕べは寝る前からすでに胃がムカムカしていたので、この日は無事に起きられるのか不安だったが、一晩寝たら意外に元気に。
朝食はアメリカンスタイルのビュッフェで、特に目新しいものはなかったが、すごくおいしいと思ったのはヨーグルトと蜂蜜。
素朴でクセがなくてなおかつ濃厚。乳製品はさすがに質が高い。
ホテル内は空調が効いているので外の気温がまったくわからず、最初は半袖のシャツに薄手のジャケットを着ていたが、試しにちょっと外に出てみたら思いのほか空気が冷たくてびっくり。さらに、今にも雨が降りだしそうな空。
あわてて長袖のサマーセーターと厚いほうのジャケットに着替えた。
ふとリュックを見て「!?」となる。
リュックの底のポケットのチャックが……開いてる!!!
↓↓↓↓こんな感じ。
これは……空港で……開けられたとしか思えない。
なぜなら、こんなとこにチャックがあったなんて今まで自分も知らなかったので(^_^;)
もちろん、なんにも入ってなかったので問題はないんだけど、一応背中側のチャックだし、こんなとこ開けられるなんて……こえ〜。
薄いスペースだから中身を抜きやすいんだろうか。
ツアコンMさんが「空港はスリが多いから気を抜かないでください」と連呼してたので、ずっと気を張ってたつもりだったんだけど。
なんか悔しいわ。
9時半。ホテル前からバスに乗りこみ、観光の中心地である旧市街に出発。
空港と旧市街の間はバスで40分くらいの距離。ホテルはそのちょうど中間くらいに位置する。
昨日、空港からホテルまでの景色が「戦時中みたいな古さ」だと言ったが、ホテルから先は別世界だった。
ガイドブックで見るような、いわゆる「ロシアの皇帝が住む都」らしい建物がどんどん増えてきて、あっという間に戦時中から18世紀にタイムスリップ。
年代的にはさらに古くなったはずなのだが、モノクロからカラーになったように明るく感じられる。
サンクトペテルブルクがロシアの首都だったのは、ロマノフ王朝のピョートル大帝からロマノフ最後の皇帝であるニコライ二世(ロシアのラストエンペラー)の時代まで。
期間にすると、ちょうど18世紀〜19世紀の200年間くらいがその時期にあたる。
1918年、革命が起こってソビエト連邦となってからは首都がモスクワに移るわけだが、サンクトペテルブルクの前の首都がやっぱりモスクワだったということは初めて知った。
だからモスクワにも古いものはたくさんあるはずなのだが、ソ連時代に壊され、新しく立て替えられてしまった(いわゆるスターリン様式と言われる画一的な建築)。
一方、サンクトペテルブルクは、宮殿のあった中心エリアはそのまま保存され、どんなに不便でもお金がかかっても建物の外観を変えることは許されず、住人は中だけを改装しながら住み続けているという。
空港の近くは中心からは慣れているがゆえに新しい建物が建っていたというわけ。
サンクトペテルブルクという町を一言で言えば「プチヨーロッパ」だ。
17世紀までは、ヨーロッパから見たらロシアは「文化のない未開の地」だったわけで、それに対して「うちだってその気になればできるんだよ!」という気概を持ってピョートル大帝が新しく人工的に作った都がサンクトペテルブルクなのだ。
「人工的に作った」と書くのは簡単だが、運河の上に町を作るのは相当過酷な道のりだったらしい。
サンクトペテルブルクはしばしば「北のヴェネツィア」とたとえられるが、ヴェネツィアもあの姿になるまで試練の連続だったのは有名な話だ。
サンクトペテルブルクの意味は「聖ペテロの町」。
ペテロをロシア語にすればピョートルなので、ピョートル的には「同じ名前の聖人ってよくね?」というノリでつけたのだろう。
さらにこの町の名前がドイツ語っぽいことに注目。
ここにも「ヨーロッパ風」を目指す心意気が表れている。
しかし、第一次世界大戦でドイツと戦争状態になるとそんなことは言っていられなくなり、「敵国の言葉を使うなんてけしからん!」ってことで1914年、一時的に「ペトログラード(ピョートルの町)」というロシア語読みに改称。
さらに革命後、首都がモスクワに移ると、「ピョートルの名前がついていること」も気に入らなくなったのか、今度は「レニングラード(レーニンの町)」という名前に改称。
さらにさらに、今度はソ連も崩壊すると、「レーニンの名前がついていること」も気に入らなくなったようで、住民投票でもとの「サンクトペテルブルク」という旧姓に逆戻り。
住民投票ってところが興味深い。結局、首都だったロマノフ朝時代がこの町の一番の栄光だったという思いがあるんでしょうね。
サンクトペテルブルクの名前の話だけで長くなっちゃったので今日はここまで。
次こそ観光に入ります。
夕べは寝る前からすでに胃がムカムカしていたので、この日は無事に起きられるのか不安だったが、一晩寝たら意外に元気に。
朝食はアメリカンスタイルのビュッフェで、特に目新しいものはなかったが、すごくおいしいと思ったのはヨーグルトと蜂蜜。
素朴でクセがなくてなおかつ濃厚。乳製品はさすがに質が高い。
ホテル内は空調が効いているので外の気温がまったくわからず、最初は半袖のシャツに薄手のジャケットを着ていたが、試しにちょっと外に出てみたら思いのほか空気が冷たくてびっくり。さらに、今にも雨が降りだしそうな空。
あわてて長袖のサマーセーターと厚いほうのジャケットに着替えた。
ふとリュックを見て「!?」となる。
リュックの底のポケットのチャックが……開いてる!!!
↓↓↓↓こんな感じ。
これは……空港で……開けられたとしか思えない。
なぜなら、こんなとこにチャックがあったなんて今まで自分も知らなかったので(^_^;)
もちろん、なんにも入ってなかったので問題はないんだけど、一応背中側のチャックだし、こんなとこ開けられるなんて……こえ〜。
薄いスペースだから中身を抜きやすいんだろうか。
ツアコンMさんが「空港はスリが多いから気を抜かないでください」と連呼してたので、ずっと気を張ってたつもりだったんだけど。
なんか悔しいわ。
9時半。ホテル前からバスに乗りこみ、観光の中心地である旧市街に出発。
空港と旧市街の間はバスで40分くらいの距離。ホテルはそのちょうど中間くらいに位置する。
昨日、空港からホテルまでの景色が「戦時中みたいな古さ」だと言ったが、ホテルから先は別世界だった。
ガイドブックで見るような、いわゆる「ロシアの皇帝が住む都」らしい建物がどんどん増えてきて、あっという間に戦時中から18世紀にタイムスリップ。
年代的にはさらに古くなったはずなのだが、モノクロからカラーになったように明るく感じられる。
サンクトペテルブルクがロシアの首都だったのは、ロマノフ王朝のピョートル大帝からロマノフ最後の皇帝であるニコライ二世(ロシアのラストエンペラー)の時代まで。
期間にすると、ちょうど18世紀〜19世紀の200年間くらいがその時期にあたる。
1918年、革命が起こってソビエト連邦となってからは首都がモスクワに移るわけだが、サンクトペテルブルクの前の首都がやっぱりモスクワだったということは初めて知った。
だからモスクワにも古いものはたくさんあるはずなのだが、ソ連時代に壊され、新しく立て替えられてしまった(いわゆるスターリン様式と言われる画一的な建築)。
一方、サンクトペテルブルクは、宮殿のあった中心エリアはそのまま保存され、どんなに不便でもお金がかかっても建物の外観を変えることは許されず、住人は中だけを改装しながら住み続けているという。
空港の近くは中心からは慣れているがゆえに新しい建物が建っていたというわけ。
サンクトペテルブルクという町を一言で言えば「プチヨーロッパ」だ。
17世紀までは、ヨーロッパから見たらロシアは「文化のない未開の地」だったわけで、それに対して「うちだってその気になればできるんだよ!」という気概を持ってピョートル大帝が新しく人工的に作った都がサンクトペテルブルクなのだ。
「人工的に作った」と書くのは簡単だが、運河の上に町を作るのは相当過酷な道のりだったらしい。
サンクトペテルブルクはしばしば「北のヴェネツィア」とたとえられるが、ヴェネツィアもあの姿になるまで試練の連続だったのは有名な話だ。
サンクトペテルブルクの意味は「聖ペテロの町」。
ペテロをロシア語にすればピョートルなので、ピョートル的には「同じ名前の聖人ってよくね?」というノリでつけたのだろう。
さらにこの町の名前がドイツ語っぽいことに注目。
ここにも「ヨーロッパ風」を目指す心意気が表れている。
しかし、第一次世界大戦でドイツと戦争状態になるとそんなことは言っていられなくなり、「敵国の言葉を使うなんてけしからん!」ってことで1914年、一時的に「ペトログラード(ピョートルの町)」というロシア語読みに改称。
さらに革命後、首都がモスクワに移ると、「ピョートルの名前がついていること」も気に入らなくなったのか、今度は「レニングラード(レーニンの町)」という名前に改称。
さらにさらに、今度はソ連も崩壊すると、「レーニンの名前がついていること」も気に入らなくなったようで、住民投票でもとの「サンクトペテルブルク」という旧姓に逆戻り。
住民投票ってところが興味深い。結局、首都だったロマノフ朝時代がこの町の一番の栄光だったという思いがあるんでしょうね。
サンクトペテルブルクの名前の話だけで長くなっちゃったので今日はここまで。
次こそ観光に入ります。
ロシア紀行(1)〜ロシアンマナーの洗礼
- 2010/08/17 (Tue)
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ロシアは旅行に適している季節が限られている。
中には「冬が一番ロシアらしさが味わえる」などと言う人もいるが、普通に観光に適した季節といえば6〜8月が王道だろう。日本の感覚だと9月もまだ夏の一部だが、ロシアでは9月になると一気に「観光にはもう寒い季節」になってしまうらしい。
中でもツーリストに一番人気なのは「白夜」が体験できる6月だ。
ヨーロッパ北部でも、この時期には夜の9時や10時になっても表が明るいという体験ができるが、一晩中明るい白夜を体験できるのはある程度以上緯度の高い場所だけだ。
「一晩中明るい」というのがいったいどういう状態なのか、今回の旅行ではぜひ体験してみたいと思った。
出発前に困ったのは「洋服」だった。
本来ならば、6月は寒くも暑くもない旅行に最適なシーズンということになっているが、事前に天候をチェックしてみるとかなり変動が激しい、
もともとモスクワよりも緯度が高くて涼しいとされているサンクトペテルブルクでは、最高気温が15〜25度程度、最低気温は10度をきることもあるというが、モスクワは紫外線が強くて日中は30度くらいまで上がることもあるという。
10度から30度???
それ、全部持ってかなきゃダメじゃん!
前日まで悩みに悩み、絞るに絞れず、結局グラデーションのようにすべての気候に対応する服を押し込み、早くもトランクはパンパンになった。
さて出発当日。
朝の8時半に成田に集合する。
私の同行者は父、叔母、従姉妹の3人。ツアー全体の人数は25人だった。
顔ぶれを見ての第一印象は「年齢層たかっっ」。一人だけ若い女性がいたが(お母さんらしき人と一緒)、それ以外は全員50〜70代という感じだ。やっぱり「行きつくしてしまった人たち」なんだろうか…。
添乗員のMさんは、ちょっと「ほっしゃん。」に似た感じの、やたらに声の大きな人だった。
10時55分に成田を出発。モスクワまでの飛行時間は約10時間だ。
リンパ浮腫持ちにとって飛行機は苦行だが、今回のモスクワ便はラッキーなことに席がかなりガラガラだったので、予想以上に楽に過ごすことができた。
「よーし、思いっきりリラックスするぞ〜」とスッピンでマスクしてあぐらかいて池田理代子の「女帝エカテリーナ」を読みふけっていたら、急に「あのー、すみません」とCAに声をかけられた。
なに?私なにかした?リラックスしすぎた?とあわてて姿勢を立て直したら、「伊万里さんですよね?」と一言。
よくよく顔を見たら、なんと高校時代の同級生のkuriちゃんだった!
もちろん卒業以来だから30年ぶりだ。
在学中、特に親しかったわけではないが、CAになったという話は聞いていたので、名前と顔が一致するのに時間はかからなかった。
30年ぶりの雲の上での再会…。
いきなり劇的な展開だった。
モスクワに到着したのがだいたい午後の4時頃。
ここですぐにホテルに直行して休めれば楽だったのだが、大変なのはこのあとだった。
1日目の宿泊はサンクトペテルブルクなので、ここで国内線に乗り換え、さらに1時間半移動しなければならない。その乗り継ぎになんと4時間もかかるのだ。
初めて行程表を見たとき、正直「4時間って……いくらなんでも時間ありすぎだろ。どうやってつぶせばいいんだよ。とりあえず免税店チェックしてお土産品の価格相場をリサーチしておくか」などと考えていたのだが、モスクワでの飛行機乗り継ぎはそんな甘いものではなかった。
まず最初の関門は入国審査。
すごい……人の数がハンパない。
Mさんが汗だくになりながら大声で叫ぶ。
「皆さん、ロシアには『並ぶ』という習慣はありません。空いてるところにどんどん入って進んでください!」
た、たしかに誰も並んでないけど…空いてるところっていっても、人の入れるスペースすべてにアメーバのように人が広がっている状態なので、全然前に進まない。
あとどのくらいとか、あと何番目とかこれじゃまったくわかんないじゃん。なんかものすごく精神衛生上ダメージの大きいシチュエーションなんですけど。
前には全然進まないのに、後ろには到着した便から流れてきた人たちがどんどん押し寄せてくるので、暑いし、狭いしで酸欠起こしそうだった。閉所恐怖症の人だったら耐えられないかも。
気の遠くなるほど待って(1時間くらいは待ったと思う)、ようやく「次は私」というところまできたそのときだ。どこから湧いてきたのか、赤ん坊連れの夫婦がさっと現れて、当然のように「ここから前に行っちゃ駄目ライン」を無造作に踏み越えて審査中の人の後ろにぴったりくっつき、そのまま割り込んでしまった。
さすがにこれは注意……って、えーーー、注意なしですか??
こんなのってありかよ!!
ロシア入りして初めてのカルチャーショックでした。
こんなに時間がかかるんだから、一人ひとりものすごく念入りにチェックして、質問とかもいっぱいしてるんだろうかと思いきや、実際はこっちの顔なんてほとんど見てないし、だるそうな表情で前を向いたまま隣の審査官とボソボソおしゃべりしてて、「これで遅いのかよ……」とまたまたショック。
「今日、ご飯なに食べる?」
「今晩のドラマ録画するの忘れちゃった。あとでDVDに焼いてくれる?」
とかしゃべってんじゃねえぞ、オラ!
ICチップなんだからもっとサクサク処理しろよ!
とにかく、いっぱい人がたまってるから手際よくやろうなんて気は毛頭ないらしいマイペースのロシア人でした。
審査が終わると預かり荷物のピックアップ。
次は荷物検査なので、機内から液体(飲み物)を持ち出した人は、ここでスーツケースに入れるか、飲み干すか廃棄するかしなければいけない。
荷物ピックアップが終わってトイレと両替を済ませると、そのまま団体態勢を崩さないまま国内線に移動。
遠い……めちゃめちゃ遠いよ……。
取り出したばかりのトランクを再び預けてチェックイン。続いて荷物検査が行われる。
ここでまたMさんから説明が。
「ここの検査は成田の10倍は厳しいですので皆さん覚悟してください。上着を脱いで帽子とベルトをはずして裸足になってください。脱いだものはすべてトレーの上に出してください。そのままスキャニングエリアに入って両手をあげてください」
アメリカなどではすでにこのくらいの検査はしているらしいが、私はここまでやるのは初めてだったのでちょっとびっくり。
気になったのは、靴を脱いだあと、足が汚れないようにビニールのシューズカバーのようなものが用意されていたこと。
どう見ても使い回してるよね、これ……。
1.5秒考えたあと、裸足のままを選択しました。
一見、厳格なチェックのようだが、実際は同じ「うっかり入れてしまったもの」であっても、ひっかかってとりあげられる人もいれば、スルーの人もありで、10倍厳しいというわりにはけっこう杜撰だなという印象を受けた。
荷物検査を終えて、搭乗口前まで移動したところでようやく自由行動となったが、その時点ですでに残り時間は1時間ちょっとしかなかった。
まさか4時間のうち3時間も団体で動くとは思わなかったので、自由行動と言われても、もう身も心も疲労困憊だった。
ロシアと日本の時差は5時間。日本時間ではすでに夜中近いが、ここではまだ夜の7時だ。しかも外は真昼のようにバリバリ明るい。
この日食べた食事は、成田EXの中で食べた朝食、機内で食べた昼食と軽食の3回で、最後の食事時間は午後3時頃だった。
今日の食事はもうこれで終わりらしいので(国内線では飲み物しか出ない)、なにかお腹に入れるなら今が最後のチャンスだ。
通常より昼間が5時間も長いのだからおなかも空いているはずだが、疲労のため、とても食事をするパワーがない。
とりあえず、目の前にあるカフェに入る。
他のツアー客もほとんど同じ店に入った。近くに手頃な店が他にないのだから、自由行動といってもとる行動は限られている。
私たちはフレッシュジュースとカプチーノを頼んだが、他のツアー客はトルティーヤとか頼んでる。
すげー。
サバイバル戦にすでに遅れをとった感じ…。

旅行一枚目の写真は空港のカフェで。
読めそうでさっぱり読めないキリル文字を見ると
「ロシアに来た!」という気分がわいてくる。
文字は読めないけど、メニューにジュースの材料の写真が
載ってたので内容はわかった。
このナプキンの飾り方、どこにいってもこの形でした。
カフェを出て、最後に空港のトイレに入ったが、フォーク並びをしていたら、ごく自然に列を無視して直接トイレのドアをチェックしようとする人が…。あまりにもナチュラルな行動だったので、思わず並んでるほうが間違っているような気になってしまった。
午後8時10分。
S7エアラインという国内線に乗ってサンクトペテルブルクへ。
このあたりからもう胃がムカムカして気持ち悪くなってきた。S7の座席は身動きできないほど狭く、ほこりっぽく、客室乗務員の態度も横柄だった。
着陸までまだ30分以上あるのに、「窓を開けろ」とか「リクライニングあげろ」とか妙にうるさい。そのくせ、着陸時に思いっきり大声で携帯通話しまくっているロシア人にはなにも注意なし。
どこまでフリーダムなんだよ、ロシア人。
ただ、このエアライン、エマージェンシーの案内イラストがものすごくインパクトあって、それだけが楽しめた。
持って帰りたいと思ったほどだが、「持ち出し不可」と書かれていたので、写真に撮ってきた。
しょっぱなからこんなものを何枚も撮っていいんだろうか。

なんなんだ。このタコのようなイラストは…。
最後のコマでは魚と一緒に浮かんでなごんでるし。
緊急という雰囲気ゼロで笑った。

はずんでるし!
楽しそうだし!

酸素マスクがソフトクリームに見える。
隅にある時計表示がコマごとにちゃんと進んでいるところにこだわりが…。

柔軟体操にしか見えない…。
21時40分、サンクトペテルブルク着。
モスクワは晴れててけっこう暑かったけど、サンクトペテルブルクは雨模様で、避暑地のようなひんやりとした空気だった(もちろん、まだまだ日の沈む気配はない)。サンクトペテルブルクはとても雨の多い都市で、一年のほとんどは雨なのだという。
空港は……ちっちゃくて、古くて、薄暗くて、正直「汚い」。雨ということもあって、なんとも陰鬱な印象を受けた。
ホテルに向かうバスの車窓から見える建物も、決してきれいとはいえない。古いといっても中途半端な古さで、戦時中にタイムスリップしたような雰囲気だった。
20分ほど走ったところで、今までの景色とは不似合いな近代的なホテルが唐突に現れる。
今日から4泊するホテルだ。
アメリカ系列のホテルなので、ここだけまたタイムスリップしたような雰囲気だ。
Mさんがチェックインする間、ロビーのソファでぐったりと待っていたが、ふとロビー奥にカラフルなマトリョーシカが並んでいる売店があるのを発見!
おお、夢にまで見たナママトリョーシカだ〜〜!
一瞬、疲労も忘れて立ち上がり、店の前へ。
ドアは閉まっているが、店内は灯りがついている。
これって開いてるのかなー、閉まってるのかなー。と覗いていたら、他の客もなんとなく入りたそうな顔をして集まってきた。
その瞬間、店内にいた若い女の店員が血相を変えて飛んできて、内側から「closed」という札をバンッと叩きつけて奥へ消えてしまった。
いや、たしかにもう閉まってても無理はない時間なんだけど、そこまでこわい顔で拒絶しなくても……。
部屋にたどりついたのは午後11時近くだった。
さすがにおなかが空いたので、日本から持ってきたミニカップうどんを食べた。
……五臓六腑にしみわたる味だった。
長い一日だった(ρ_-)oZZzz....
ロシア人の数々の超絶マナーを思い出しつつ、眠りにつく。
明日からはいよいよサンクトペテルブルク観光スタートだ。
中には「冬が一番ロシアらしさが味わえる」などと言う人もいるが、普通に観光に適した季節といえば6〜8月が王道だろう。日本の感覚だと9月もまだ夏の一部だが、ロシアでは9月になると一気に「観光にはもう寒い季節」になってしまうらしい。
中でもツーリストに一番人気なのは「白夜」が体験できる6月だ。
ヨーロッパ北部でも、この時期には夜の9時や10時になっても表が明るいという体験ができるが、一晩中明るい白夜を体験できるのはある程度以上緯度の高い場所だけだ。
「一晩中明るい」というのがいったいどういう状態なのか、今回の旅行ではぜひ体験してみたいと思った。
出発前に困ったのは「洋服」だった。
本来ならば、6月は寒くも暑くもない旅行に最適なシーズンということになっているが、事前に天候をチェックしてみるとかなり変動が激しい、
もともとモスクワよりも緯度が高くて涼しいとされているサンクトペテルブルクでは、最高気温が15〜25度程度、最低気温は10度をきることもあるというが、モスクワは紫外線が強くて日中は30度くらいまで上がることもあるという。
10度から30度???
それ、全部持ってかなきゃダメじゃん!
前日まで悩みに悩み、絞るに絞れず、結局グラデーションのようにすべての気候に対応する服を押し込み、早くもトランクはパンパンになった。
さて出発当日。
朝の8時半に成田に集合する。
私の同行者は父、叔母、従姉妹の3人。ツアー全体の人数は25人だった。
顔ぶれを見ての第一印象は「年齢層たかっっ」。一人だけ若い女性がいたが(お母さんらしき人と一緒)、それ以外は全員50〜70代という感じだ。やっぱり「行きつくしてしまった人たち」なんだろうか…。
添乗員のMさんは、ちょっと「ほっしゃん。」に似た感じの、やたらに声の大きな人だった。
10時55分に成田を出発。モスクワまでの飛行時間は約10時間だ。
リンパ浮腫持ちにとって飛行機は苦行だが、今回のモスクワ便はラッキーなことに席がかなりガラガラだったので、予想以上に楽に過ごすことができた。
「よーし、思いっきりリラックスするぞ〜」とスッピンでマスクしてあぐらかいて池田理代子の「女帝エカテリーナ」を読みふけっていたら、急に「あのー、すみません」とCAに声をかけられた。
なに?私なにかした?リラックスしすぎた?とあわてて姿勢を立て直したら、「伊万里さんですよね?」と一言。
よくよく顔を見たら、なんと高校時代の同級生のkuriちゃんだった!
もちろん卒業以来だから30年ぶりだ。
在学中、特に親しかったわけではないが、CAになったという話は聞いていたので、名前と顔が一致するのに時間はかからなかった。
30年ぶりの雲の上での再会…。
いきなり劇的な展開だった。
モスクワに到着したのがだいたい午後の4時頃。
ここですぐにホテルに直行して休めれば楽だったのだが、大変なのはこのあとだった。
1日目の宿泊はサンクトペテルブルクなので、ここで国内線に乗り換え、さらに1時間半移動しなければならない。その乗り継ぎになんと4時間もかかるのだ。
初めて行程表を見たとき、正直「4時間って……いくらなんでも時間ありすぎだろ。どうやってつぶせばいいんだよ。とりあえず免税店チェックしてお土産品の価格相場をリサーチしておくか」などと考えていたのだが、モスクワでの飛行機乗り継ぎはそんな甘いものではなかった。
まず最初の関門は入国審査。
すごい……人の数がハンパない。
Mさんが汗だくになりながら大声で叫ぶ。
「皆さん、ロシアには『並ぶ』という習慣はありません。空いてるところにどんどん入って進んでください!」
た、たしかに誰も並んでないけど…空いてるところっていっても、人の入れるスペースすべてにアメーバのように人が広がっている状態なので、全然前に進まない。
あとどのくらいとか、あと何番目とかこれじゃまったくわかんないじゃん。なんかものすごく精神衛生上ダメージの大きいシチュエーションなんですけど。
前には全然進まないのに、後ろには到着した便から流れてきた人たちがどんどん押し寄せてくるので、暑いし、狭いしで酸欠起こしそうだった。閉所恐怖症の人だったら耐えられないかも。
気の遠くなるほど待って(1時間くらいは待ったと思う)、ようやく「次は私」というところまできたそのときだ。どこから湧いてきたのか、赤ん坊連れの夫婦がさっと現れて、当然のように「ここから前に行っちゃ駄目ライン」を無造作に踏み越えて審査中の人の後ろにぴったりくっつき、そのまま割り込んでしまった。
さすがにこれは注意……って、えーーー、注意なしですか??
こんなのってありかよ!!
ロシア入りして初めてのカルチャーショックでした。
こんなに時間がかかるんだから、一人ひとりものすごく念入りにチェックして、質問とかもいっぱいしてるんだろうかと思いきや、実際はこっちの顔なんてほとんど見てないし、だるそうな表情で前を向いたまま隣の審査官とボソボソおしゃべりしてて、「これで遅いのかよ……」とまたまたショック。
「今日、ご飯なに食べる?」
「今晩のドラマ録画するの忘れちゃった。あとでDVDに焼いてくれる?」
とかしゃべってんじゃねえぞ、オラ!
ICチップなんだからもっとサクサク処理しろよ!
とにかく、いっぱい人がたまってるから手際よくやろうなんて気は毛頭ないらしいマイペースのロシア人でした。
審査が終わると預かり荷物のピックアップ。
次は荷物検査なので、機内から液体(飲み物)を持ち出した人は、ここでスーツケースに入れるか、飲み干すか廃棄するかしなければいけない。
荷物ピックアップが終わってトイレと両替を済ませると、そのまま団体態勢を崩さないまま国内線に移動。
遠い……めちゃめちゃ遠いよ……。
取り出したばかりのトランクを再び預けてチェックイン。続いて荷物検査が行われる。
ここでまたMさんから説明が。
「ここの検査は成田の10倍は厳しいですので皆さん覚悟してください。上着を脱いで帽子とベルトをはずして裸足になってください。脱いだものはすべてトレーの上に出してください。そのままスキャニングエリアに入って両手をあげてください」
アメリカなどではすでにこのくらいの検査はしているらしいが、私はここまでやるのは初めてだったのでちょっとびっくり。
気になったのは、靴を脱いだあと、足が汚れないようにビニールのシューズカバーのようなものが用意されていたこと。
どう見ても使い回してるよね、これ……。
1.5秒考えたあと、裸足のままを選択しました。
一見、厳格なチェックのようだが、実際は同じ「うっかり入れてしまったもの」であっても、ひっかかってとりあげられる人もいれば、スルーの人もありで、10倍厳しいというわりにはけっこう杜撰だなという印象を受けた。
荷物検査を終えて、搭乗口前まで移動したところでようやく自由行動となったが、その時点ですでに残り時間は1時間ちょっとしかなかった。
まさか4時間のうち3時間も団体で動くとは思わなかったので、自由行動と言われても、もう身も心も疲労困憊だった。
ロシアと日本の時差は5時間。日本時間ではすでに夜中近いが、ここではまだ夜の7時だ。しかも外は真昼のようにバリバリ明るい。
この日食べた食事は、成田EXの中で食べた朝食、機内で食べた昼食と軽食の3回で、最後の食事時間は午後3時頃だった。
今日の食事はもうこれで終わりらしいので(国内線では飲み物しか出ない)、なにかお腹に入れるなら今が最後のチャンスだ。
通常より昼間が5時間も長いのだからおなかも空いているはずだが、疲労のため、とても食事をするパワーがない。
とりあえず、目の前にあるカフェに入る。
他のツアー客もほとんど同じ店に入った。近くに手頃な店が他にないのだから、自由行動といってもとる行動は限られている。
私たちはフレッシュジュースとカプチーノを頼んだが、他のツアー客はトルティーヤとか頼んでる。
すげー。
サバイバル戦にすでに遅れをとった感じ…。
旅行一枚目の写真は空港のカフェで。
読めそうでさっぱり読めないキリル文字を見ると
「ロシアに来た!」という気分がわいてくる。
文字は読めないけど、メニューにジュースの材料の写真が
載ってたので内容はわかった。
このナプキンの飾り方、どこにいってもこの形でした。
カフェを出て、最後に空港のトイレに入ったが、フォーク並びをしていたら、ごく自然に列を無視して直接トイレのドアをチェックしようとする人が…。あまりにもナチュラルな行動だったので、思わず並んでるほうが間違っているような気になってしまった。
午後8時10分。
S7エアラインという国内線に乗ってサンクトペテルブルクへ。
このあたりからもう胃がムカムカして気持ち悪くなってきた。S7の座席は身動きできないほど狭く、ほこりっぽく、客室乗務員の態度も横柄だった。
着陸までまだ30分以上あるのに、「窓を開けろ」とか「リクライニングあげろ」とか妙にうるさい。そのくせ、着陸時に思いっきり大声で携帯通話しまくっているロシア人にはなにも注意なし。
どこまでフリーダムなんだよ、ロシア人。
ただ、このエアライン、エマージェンシーの案内イラストがものすごくインパクトあって、それだけが楽しめた。
持って帰りたいと思ったほどだが、「持ち出し不可」と書かれていたので、写真に撮ってきた。
しょっぱなからこんなものを何枚も撮っていいんだろうか。
なんなんだ。このタコのようなイラストは…。
最後のコマでは魚と一緒に浮かんでなごんでるし。
緊急という雰囲気ゼロで笑った。
はずんでるし!
楽しそうだし!
酸素マスクがソフトクリームに見える。
隅にある時計表示がコマごとにちゃんと進んでいるところにこだわりが…。
柔軟体操にしか見えない…。
21時40分、サンクトペテルブルク着。
モスクワは晴れててけっこう暑かったけど、サンクトペテルブルクは雨模様で、避暑地のようなひんやりとした空気だった(もちろん、まだまだ日の沈む気配はない)。サンクトペテルブルクはとても雨の多い都市で、一年のほとんどは雨なのだという。
空港は……ちっちゃくて、古くて、薄暗くて、正直「汚い」。雨ということもあって、なんとも陰鬱な印象を受けた。
ホテルに向かうバスの車窓から見える建物も、決してきれいとはいえない。古いといっても中途半端な古さで、戦時中にタイムスリップしたような雰囲気だった。
20分ほど走ったところで、今までの景色とは不似合いな近代的なホテルが唐突に現れる。
今日から4泊するホテルだ。
アメリカ系列のホテルなので、ここだけまたタイムスリップしたような雰囲気だ。
Mさんがチェックインする間、ロビーのソファでぐったりと待っていたが、ふとロビー奥にカラフルなマトリョーシカが並んでいる売店があるのを発見!
おお、夢にまで見たナママトリョーシカだ〜〜!
一瞬、疲労も忘れて立ち上がり、店の前へ。
ドアは閉まっているが、店内は灯りがついている。
これって開いてるのかなー、閉まってるのかなー。と覗いていたら、他の客もなんとなく入りたそうな顔をして集まってきた。
その瞬間、店内にいた若い女の店員が血相を変えて飛んできて、内側から「closed」という札をバンッと叩きつけて奥へ消えてしまった。
いや、たしかにもう閉まってても無理はない時間なんだけど、そこまでこわい顔で拒絶しなくても……。
部屋にたどりついたのは午後11時近くだった。
さすがにおなかが空いたので、日本から持ってきたミニカップうどんを食べた。
……五臓六腑にしみわたる味だった。
長い一日だった(ρ_-)oZZzz....
ロシア人の数々の超絶マナーを思い出しつつ、眠りにつく。
明日からはいよいよサンクトペテルブルク観光スタートだ。