古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
カテゴリー「医療・健康」の記事一覧
- 2025.04.05
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- 2008.04.04
カウンセリングの本ができあがりました
- 2008.01.11
初カウンセリング体験
- 2006.04.05
初めての胃カメラ体験
カウンセリングの本ができあがりました
- 2008/04/04 (Fri)
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満開は過ぎたものの、東京の桜は今しばらく楽しめそうですね。
家の北側にある公園の桜です。
手前の派手な花はハナモモ。実をつけない観賞用のモモです。
さて。
本日は出版の宣伝です。
1月にブログにアップした「初カウンセリング体験」でお話した本がようやくできあがりました。
本の著者は、「電話カウンセリングで悩み相談を行う会社」を経営している社長さんです。
どうやってビジネスとして成り立っているかというと、「おたくの社員とその家族のメンタルヘルスケアを請け負います」という看板を掲げ、企業と契約するんですね。
そうすると、その企業の社員とその家族は、24時間電話でそこのカウンセリングが受けられるようになるという仕組み。
最近は、会社の中にそういった相談窓口があるところも多いようですが、どうしても「社内」だと「会社の人にバレるんじゃないか」という心配がつきまといます。
その点、外の組織なら、そして顔が見えない電話ならぐっと気が楽になるというわけ。
「そこまで会社が面倒みる必要あるのか?!」
と思われる方もいるでしょう。
私もそう思いました。自分が会社に所属してないのでなおさら。
でも、話を聞いていると、思った以上に今の社会にはこういうニーズがあるようなのです。
具体的には、「うまくストレスを発散できない」→「悩みをためこんでいるうちにうつ状態になる」→「うつ病にまで進行するが自分では病気だという自覚がない」→「ある日衝動的に自殺(衝動的な自殺はうつ病の典型的症状)」という経過をたどるケースが多いのですが、自殺までいく人は一部にしても、この中途段階にいる人は相当数いるようです。
「うつ病は心の風邪」
などと言われ、以前よりポピュラー感が出てきている「うつ病」ですが、決して軽く見ていい病気ではないんですね。
風邪をこじらせて死ぬ人はそんなにいないと思いますが、うつをこじらせて死ぬ人は少なくないのです。
社員がうつ病で自殺なんてことになれば労災で訴えられることも珍しくないし、自殺までいかなくても、うつ状態になれば作業効率は大幅に落ちますから、企業としても「社員のメンタルヘルスは健康診断と同じくらい重視しなければいけない」という危機感をもたざるをえない。そんな企業にとって、メンタルヘルスケアをアウトソーシングできるというのは魅力的な話でしょう。
実際の相談内容は、ほとんどが病気以前の「誰にでもよくある悩み事」のようですが、この段階でカウンセラーがうまく話を受け止めてガス抜きをすれば、それだけでかなりの「うつ病予防効果」があるそうです。
本書は、その会社に所属する大勢のカウンセラーさんに「実際にどんな相談を受け、どんな対応をしているのか」を取材し、話をまとめたものです。
自分に似たケースを見つけて役に立つこともあるかもしれないし、周囲の家族・友人・同僚にうつっぽい人がいて「心配なんだけどどう接したらいいのかわからない」という人へのヒントになるかもしれません。
「うつ病」の本ではないので、「うつ」について詳しく書かれているわけではないのですが、通して読むと「うつになりやすい現代社会」は浮かび上がってくると思います。
私自身、取材していて「へぇ〜」とか「なるほど!」とか「なにそれ!」とか「うそでしょ?」とか、いろいろな発見がありましたし、「取材を通して自分を知る」という経験もしました。
じつは、「カウンセリング初体験」でもちょっと書きましたが、私もちょうど取材中にいろいろなことが重なって具合が悪くなり、自分で「うつ」を疑って病院へ行ったんですね。
そんなこと、ここでわざわざ言わなくてもいいんですが、「うつ」が認知されてきたとはいえ、実際は具合が悪くなっても「病院へは行きたくない」「自分がうつだとは認めたくない」「うつで治療していることを他人に知られると弱い人間だと思われそう」と思う人がまだまだ多数派だと思います。
でも、「うつ状態になった」「こういう症状が出た」「治療したらこうなった」という情報をもっとオープンにすれば、「うつ」に対する偏見やタブーもなくなるし、早期発見できる人も増えるはずです。
取材を通してそのことを強く感じたので、あえて書きます。
「うつ」に気づくのはなかなか難しいです。
悩みやストレスは誰にでもあるし、落ち込むことも誰にでもあるので、どこからが「治療が必要な状態なのか」をみきわめるのが非常に困難なんですね。
一般的にはその状態が長期化して自力ではどうしようもない状態になったら「うつを疑え」と言われています。
また、「うつ」はただ落ち込むだけではなく、「身体症状」を伴うのですが、その「身体症状」というのが、「肩凝り」とか「頭痛」とか「食欲不振」とか「不眠」とか、「疲れがたまれば誰でも出るようなよくある症状」ばかりなので、それが「うつのせい」だとは気がつきにくいケースが多いのです。
じゃあどうやって気づいたらいいのか。
これはもう自分にしかわからない感覚なので、あくまでも自分の経験で説明するしかないんですが、私の場合はまず食欲不振から始まりました。
去年の9月頃だったかな。
とにかく食べ物がおいしくない。
味がしないんです。
「おいしそう」とか「これが食べたい」という欲求がわかないので、唾液も出にくくなって、ものを飲み込むときに喉がつまるような感じがします。
無理に食べてましたが、体重はじわじわ落ちていきました。
もちろん健康的な痩せ方ではなく、筋力から落ちていく感じで、体に力が入りません。
ただ、このときは家の建て替えと一葉会の公演準備で忙しさが重なってストレスのピークだったので、食欲不振も「ストレスのため。公演が終われば戻る」と思っていました。
ところが、公演が終わっても食欲は戻らず、疲労も1ヶ月たっても回復しません。
それに加えて公演後に猛烈な落ち込み状態が襲ってきました。
今、うつの本を読むと「うつに陥るときの認知の歪みのパターン」にことごとくはまっているのですが、とにかく自分の考えがどうやってもネガティブなほうにしか働かないんですね。
自分でわざわざ一番苦しい考えを選んでしまうんです。
人に何かを言われるたびに過敏に反応してしまい、べつに悪口を言われたわけではなくても「非難されている」ように感じたり、「本当はこう思ってる」などと悪いほうに解釈していつまでもそのことでいやな気分をひきずったります。
頭では「相手はそんな意味で言ってるわけじゃない。受け止める私がそう思いこんでるだけだ」と言い聞かせようとするんですが、頭で思っても気分はコントロールできないんですよ。
そのうちに、人と会って話すのもしんどくなってきました。
あいづちを打つエネルギーがないんです。
普段はあいづちを打つのにエネルギーが必要だなんて考えたこともありませんでしたが、こうなってみて初めて「人の話を聞くってなんてエネルギーがいることなんだろう」と実感しました。
メールや電話で事務連絡をしたりアポをとったりするといったささいな行動も、普段なら一気に10個くらいこなして当たり前だったのに、1個1個がすごく重く感じられました。
さらに年が明けてからは、いよいよはっきりとした身体症状が現れるようになりました。
「疲れる」んです。
それもちょっとやそっとの「疲れ」ではありません。
生まれてからこのかた味わったことのないようなすさまじい「疲労感」です。
なんと言えばいいのか、「地面にずんずんめりこんでいくような感じ」で、起きていられないんです。
特に昼間がひどくて、1回は昼寝をしないといられない(べつに睡眠が足りてないわけじゃないのに)。日が沈む頃になるとようやく起きて作業ができるようになるんですが、翌日になるとまた同じことの繰り返しです。
外出するときは、緊張感のため、なんとかもちこたえるんですが、家にいる日はその反動がどっと出て使い物にならなくなります。
これはさすがに変だと思い、カウンセラーさんに相談したのがちょうどこの頃です。
カウンセラーさんには「心療内科」の受診を勧められ、1月半ばにこの本の締切をあげたところで紹介されたクリニックを受診しました。
最初は「原因が比較的はっきりしている」ということで、抗不安剤(いわゆる精神安定剤)を1週間飲んだのですが、それは「前よりは落ち着いたかな?」という程度で特にめざましい変化があったわけではありませんでした。
1週間後の受診でそう伝えると、今度は抗うつ剤が処方されました。
これはうつ状態に陥る原因とされる「脳内の神経伝達物質不足」を補う作用があるとのこと。昔は副作用のきつい薬も多かったようですが、今では新しい薬がどんどん開発され、副作用も出にくくなっているそうです。
抗うつ剤の効果が出るまでの時間は人によって違うけれど、一般的には2〜3週間かかると言われ、なおかつ最初に出されたのが規定量の4分の1という少量だったため、正直なところそんなにすぐに効くとは思っていませんでした。
ところが!
これは本当に自分でも信じられないんですが、驚愕するほどはっきりした変化が現れたんです。
忘れもしません。服用後2日目のことです。
突然、今まで全身を覆っていた慢性的な疲労感が霧が晴れるように抜け、猛然と「体を動かしたくなる衝動」にかられたんです。
で、何をしたかというと、「部屋の片づけ」。
昨日までは目に入るだけで疲労感が増していた段ボールの山を無性に制覇したくなり、その日1日で次から次へと段ボールを空にしていきました。
自分でも「いくらなんでもこれはおかしい」と思いました。
だっていくら働いても疲れないんですよ。
ヒロポン飲んだときってこんな感じなのか?と思いました(笑)。
夜中になっても「まだまだやれそう」な気分でしたが、さすがに「これ以上やったら翌日反動がくる」と理性が危機感を感じ、作業は途中できりあげました。
ここまで極端な変化はこの日限りで、以降はわりと普通の状態に落ち着きましたが、結論からいうと「薬は効きました」。
効き目が出るのが早すぎるような気もしましたが、私はべつのところで漢方も飲んでいて、そちらにも「抗うつ作用」のある成分が多少入っているらしいので、相乗効果で効き目がアップしたのかもしれません。
疲れのほうは、このあと「いつもに比べて無理をするとそのあとの休みの日にどっと疲れて1日寝てしまう」という状態が何回かありましたが、ドクターの説明によれば、それは回復期に見られる特徴なので、「疲れを感じたら即休む」を繰り返しなさいとのこと。そのうちに無理してももつようになりますと言われました。
それはまさにその通りで、今はほとんど以前と同じくらいの状態に戻りました。
症状が回復しても、薬はある程度の期間、飲み続けないと再発しやすいということで、当分服薬は続けますが、我慢できないような副作用もなかったし、私にとっては合っていた薬だったのかもしれません(人によっては合う薬にあたるまで何回も種類を変えたりすることもあるそうです)。
もちろん、薬を飲んでいるだけではなく、休養も意識的にとっているし、自分が今どういう状態にあるのか細かく意識できるようにもなりました。
で、あらためて思うのは、この感覚って「美術館で絵を見るようなものだなあ」と。
うつ状態のときは、絵を至近距離で見ているような感覚で、今はちょっと離れた場所から絵を見ているような感じ。
絵を鑑賞するときは、距離をとらないと全体像が見えません。
でもうつ状態のときはその「距離をとること」ができないんですよね。
自分の「絵を見る位置」が変だとは気づいても、その位置から離れるのは自力ではできない。そして絵の全体が見えないから不安が募る。
離れてみれば「なんだ、こんな絵か」と思うんですが、それだけのことが「できない」。
「距離をとる」というのはイコール「心の余裕」ってことなんだろうなと思います。
以上が私のうつ体験です。
それまでは「エネルギッシュでアクティブで前向きな人はうつにはならない」と思っていましたが、それは違うと今ならわかります。
条件が重なれば誰でも「うつ」にはなります。
強いていえば、「エネルギッシュな人」は、
「自分を向上させようという意欲が強いだけに、うまくいかなかったときのダメージが大きいこと」
「自分はうつになるようなタイプではないと思いこみがちである」
この2点のために、むしろうつが悪化するリスクは高いと思います。
これを読んで「自分、ちょっとやばいかも…」と思ったら、素人判断はせず、病院を訪ねることをお勧めします。
自分を楽にできるのは結局最終的には自分しかいません。
というわけで、自分の話が多くなってしまいましたが、もし興味をもたれた方は、ぜひぜひ本書をお買い求めください。本の情報はここ。
書店では「心理学」系ではなく「自己啓発」系に分類されてるようですが、それほど部数が出回っているわけではないので、みつけるのは難しいかも。
もし私に直接会う機会のある方は、お申し付けください。直販いたします。
家の北側にある公園の桜です。
手前の派手な花はハナモモ。実をつけない観賞用のモモです。
さて。
本日は出版の宣伝です。
1月にブログにアップした「初カウンセリング体験」でお話した本がようやくできあがりました。
本の著者は、「電話カウンセリングで悩み相談を行う会社」を経営している社長さんです。
どうやってビジネスとして成り立っているかというと、「おたくの社員とその家族のメンタルヘルスケアを請け負います」という看板を掲げ、企業と契約するんですね。
そうすると、その企業の社員とその家族は、24時間電話でそこのカウンセリングが受けられるようになるという仕組み。
最近は、会社の中にそういった相談窓口があるところも多いようですが、どうしても「社内」だと「会社の人にバレるんじゃないか」という心配がつきまといます。
その点、外の組織なら、そして顔が見えない電話ならぐっと気が楽になるというわけ。
「そこまで会社が面倒みる必要あるのか?!」
と思われる方もいるでしょう。
私もそう思いました。自分が会社に所属してないのでなおさら。
でも、話を聞いていると、思った以上に今の社会にはこういうニーズがあるようなのです。
具体的には、「うまくストレスを発散できない」→「悩みをためこんでいるうちにうつ状態になる」→「うつ病にまで進行するが自分では病気だという自覚がない」→「ある日衝動的に自殺(衝動的な自殺はうつ病の典型的症状)」という経過をたどるケースが多いのですが、自殺までいく人は一部にしても、この中途段階にいる人は相当数いるようです。
「うつ病は心の風邪」
などと言われ、以前よりポピュラー感が出てきている「うつ病」ですが、決して軽く見ていい病気ではないんですね。
風邪をこじらせて死ぬ人はそんなにいないと思いますが、うつをこじらせて死ぬ人は少なくないのです。
社員がうつ病で自殺なんてことになれば労災で訴えられることも珍しくないし、自殺までいかなくても、うつ状態になれば作業効率は大幅に落ちますから、企業としても「社員のメンタルヘルスは健康診断と同じくらい重視しなければいけない」という危機感をもたざるをえない。そんな企業にとって、メンタルヘルスケアをアウトソーシングできるというのは魅力的な話でしょう。
実際の相談内容は、ほとんどが病気以前の「誰にでもよくある悩み事」のようですが、この段階でカウンセラーがうまく話を受け止めてガス抜きをすれば、それだけでかなりの「うつ病予防効果」があるそうです。
本書は、その会社に所属する大勢のカウンセラーさんに「実際にどんな相談を受け、どんな対応をしているのか」を取材し、話をまとめたものです。
自分に似たケースを見つけて役に立つこともあるかもしれないし、周囲の家族・友人・同僚にうつっぽい人がいて「心配なんだけどどう接したらいいのかわからない」という人へのヒントになるかもしれません。
「うつ病」の本ではないので、「うつ」について詳しく書かれているわけではないのですが、通して読むと「うつになりやすい現代社会」は浮かび上がってくると思います。
私自身、取材していて「へぇ〜」とか「なるほど!」とか「なにそれ!」とか「うそでしょ?」とか、いろいろな発見がありましたし、「取材を通して自分を知る」という経験もしました。
じつは、「カウンセリング初体験」でもちょっと書きましたが、私もちょうど取材中にいろいろなことが重なって具合が悪くなり、自分で「うつ」を疑って病院へ行ったんですね。
そんなこと、ここでわざわざ言わなくてもいいんですが、「うつ」が認知されてきたとはいえ、実際は具合が悪くなっても「病院へは行きたくない」「自分がうつだとは認めたくない」「うつで治療していることを他人に知られると弱い人間だと思われそう」と思う人がまだまだ多数派だと思います。
でも、「うつ状態になった」「こういう症状が出た」「治療したらこうなった」という情報をもっとオープンにすれば、「うつ」に対する偏見やタブーもなくなるし、早期発見できる人も増えるはずです。
取材を通してそのことを強く感じたので、あえて書きます。
「うつ」に気づくのはなかなか難しいです。
悩みやストレスは誰にでもあるし、落ち込むことも誰にでもあるので、どこからが「治療が必要な状態なのか」をみきわめるのが非常に困難なんですね。
一般的にはその状態が長期化して自力ではどうしようもない状態になったら「うつを疑え」と言われています。
また、「うつ」はただ落ち込むだけではなく、「身体症状」を伴うのですが、その「身体症状」というのが、「肩凝り」とか「頭痛」とか「食欲不振」とか「不眠」とか、「疲れがたまれば誰でも出るようなよくある症状」ばかりなので、それが「うつのせい」だとは気がつきにくいケースが多いのです。
じゃあどうやって気づいたらいいのか。
これはもう自分にしかわからない感覚なので、あくまでも自分の経験で説明するしかないんですが、私の場合はまず食欲不振から始まりました。
去年の9月頃だったかな。
とにかく食べ物がおいしくない。
味がしないんです。
「おいしそう」とか「これが食べたい」という欲求がわかないので、唾液も出にくくなって、ものを飲み込むときに喉がつまるような感じがします。
無理に食べてましたが、体重はじわじわ落ちていきました。
もちろん健康的な痩せ方ではなく、筋力から落ちていく感じで、体に力が入りません。
ただ、このときは家の建て替えと一葉会の公演準備で忙しさが重なってストレスのピークだったので、食欲不振も「ストレスのため。公演が終われば戻る」と思っていました。
ところが、公演が終わっても食欲は戻らず、疲労も1ヶ月たっても回復しません。
それに加えて公演後に猛烈な落ち込み状態が襲ってきました。
今、うつの本を読むと「うつに陥るときの認知の歪みのパターン」にことごとくはまっているのですが、とにかく自分の考えがどうやってもネガティブなほうにしか働かないんですね。
自分でわざわざ一番苦しい考えを選んでしまうんです。
人に何かを言われるたびに過敏に反応してしまい、べつに悪口を言われたわけではなくても「非難されている」ように感じたり、「本当はこう思ってる」などと悪いほうに解釈していつまでもそのことでいやな気分をひきずったります。
頭では「相手はそんな意味で言ってるわけじゃない。受け止める私がそう思いこんでるだけだ」と言い聞かせようとするんですが、頭で思っても気分はコントロールできないんですよ。
そのうちに、人と会って話すのもしんどくなってきました。
あいづちを打つエネルギーがないんです。
普段はあいづちを打つのにエネルギーが必要だなんて考えたこともありませんでしたが、こうなってみて初めて「人の話を聞くってなんてエネルギーがいることなんだろう」と実感しました。
メールや電話で事務連絡をしたりアポをとったりするといったささいな行動も、普段なら一気に10個くらいこなして当たり前だったのに、1個1個がすごく重く感じられました。
さらに年が明けてからは、いよいよはっきりとした身体症状が現れるようになりました。
「疲れる」んです。
それもちょっとやそっとの「疲れ」ではありません。
生まれてからこのかた味わったことのないようなすさまじい「疲労感」です。
なんと言えばいいのか、「地面にずんずんめりこんでいくような感じ」で、起きていられないんです。
特に昼間がひどくて、1回は昼寝をしないといられない(べつに睡眠が足りてないわけじゃないのに)。日が沈む頃になるとようやく起きて作業ができるようになるんですが、翌日になるとまた同じことの繰り返しです。
外出するときは、緊張感のため、なんとかもちこたえるんですが、家にいる日はその反動がどっと出て使い物にならなくなります。
これはさすがに変だと思い、カウンセラーさんに相談したのがちょうどこの頃です。
カウンセラーさんには「心療内科」の受診を勧められ、1月半ばにこの本の締切をあげたところで紹介されたクリニックを受診しました。
最初は「原因が比較的はっきりしている」ということで、抗不安剤(いわゆる精神安定剤)を1週間飲んだのですが、それは「前よりは落ち着いたかな?」という程度で特にめざましい変化があったわけではありませんでした。
1週間後の受診でそう伝えると、今度は抗うつ剤が処方されました。
これはうつ状態に陥る原因とされる「脳内の神経伝達物質不足」を補う作用があるとのこと。昔は副作用のきつい薬も多かったようですが、今では新しい薬がどんどん開発され、副作用も出にくくなっているそうです。
抗うつ剤の効果が出るまでの時間は人によって違うけれど、一般的には2〜3週間かかると言われ、なおかつ最初に出されたのが規定量の4分の1という少量だったため、正直なところそんなにすぐに効くとは思っていませんでした。
ところが!
これは本当に自分でも信じられないんですが、驚愕するほどはっきりした変化が現れたんです。
忘れもしません。服用後2日目のことです。
突然、今まで全身を覆っていた慢性的な疲労感が霧が晴れるように抜け、猛然と「体を動かしたくなる衝動」にかられたんです。
で、何をしたかというと、「部屋の片づけ」。
昨日までは目に入るだけで疲労感が増していた段ボールの山を無性に制覇したくなり、その日1日で次から次へと段ボールを空にしていきました。
自分でも「いくらなんでもこれはおかしい」と思いました。
だっていくら働いても疲れないんですよ。
ヒロポン飲んだときってこんな感じなのか?と思いました(笑)。
夜中になっても「まだまだやれそう」な気分でしたが、さすがに「これ以上やったら翌日反動がくる」と理性が危機感を感じ、作業は途中できりあげました。
ここまで極端な変化はこの日限りで、以降はわりと普通の状態に落ち着きましたが、結論からいうと「薬は効きました」。
効き目が出るのが早すぎるような気もしましたが、私はべつのところで漢方も飲んでいて、そちらにも「抗うつ作用」のある成分が多少入っているらしいので、相乗効果で効き目がアップしたのかもしれません。
疲れのほうは、このあと「いつもに比べて無理をするとそのあとの休みの日にどっと疲れて1日寝てしまう」という状態が何回かありましたが、ドクターの説明によれば、それは回復期に見られる特徴なので、「疲れを感じたら即休む」を繰り返しなさいとのこと。そのうちに無理してももつようになりますと言われました。
それはまさにその通りで、今はほとんど以前と同じくらいの状態に戻りました。
症状が回復しても、薬はある程度の期間、飲み続けないと再発しやすいということで、当分服薬は続けますが、我慢できないような副作用もなかったし、私にとっては合っていた薬だったのかもしれません(人によっては合う薬にあたるまで何回も種類を変えたりすることもあるそうです)。
もちろん、薬を飲んでいるだけではなく、休養も意識的にとっているし、自分が今どういう状態にあるのか細かく意識できるようにもなりました。
で、あらためて思うのは、この感覚って「美術館で絵を見るようなものだなあ」と。
うつ状態のときは、絵を至近距離で見ているような感覚で、今はちょっと離れた場所から絵を見ているような感じ。
絵を鑑賞するときは、距離をとらないと全体像が見えません。
でもうつ状態のときはその「距離をとること」ができないんですよね。
自分の「絵を見る位置」が変だとは気づいても、その位置から離れるのは自力ではできない。そして絵の全体が見えないから不安が募る。
離れてみれば「なんだ、こんな絵か」と思うんですが、それだけのことが「できない」。
「距離をとる」というのはイコール「心の余裕」ってことなんだろうなと思います。
以上が私のうつ体験です。
それまでは「エネルギッシュでアクティブで前向きな人はうつにはならない」と思っていましたが、それは違うと今ならわかります。
条件が重なれば誰でも「うつ」にはなります。
強いていえば、「エネルギッシュな人」は、
「自分を向上させようという意欲が強いだけに、うまくいかなかったときのダメージが大きいこと」
「自分はうつになるようなタイプではないと思いこみがちである」
この2点のために、むしろうつが悪化するリスクは高いと思います。
これを読んで「自分、ちょっとやばいかも…」と思ったら、素人判断はせず、病院を訪ねることをお勧めします。
自分を楽にできるのは結局最終的には自分しかいません。
というわけで、自分の話が多くなってしまいましたが、もし興味をもたれた方は、ぜひぜひ本書をお買い求めください。本の情報はここ。
書店では「心理学」系ではなく「自己啓発」系に分類されてるようですが、それほど部数が出回っているわけではないので、みつけるのは難しいかも。
もし私に直接会う機会のある方は、お申し付けください。直販いたします。
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初カウンセリング体験
- 2008/01/11 (Fri)
- 医療・健康 |
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秋頃から、新書の取材のため、複数のカウンセラーの話を何回も聞いています。
おもに「うつ状態」にある人からかかってくる電話に対応する産業カウンセラーの方々です。
最初、仕事がきたときは、「ふーん、うつって今増えてるらしいし、企業も社員のメンタルヘルスにこんなに神経を遣う世の中なんだ」という程度の関心でした。
ところが、話をきいているうちに、だんだん「こりゃあ他人事じゃないよ」という気分になってきました。
なんか、マジで聞けば聞くほど自分があてはまるような気がして…。
というと、「そりゃ『家庭の医学』とか読むと、そこにのってる病気がことごとく自分にあてはまってるような暗示にかかっちゃうのと同じだよ」と言われるかもしれませんが、私の場合、身におぼえがないわけじゃなく、なってもおかしくない出来事をあきらかにずっと抱えているので、そう簡単に「気のせい」とは思えないのです。
しかも「うつ」の初期症状はどれも「よくある不定愁訴」ばかりなので、気づくのにもけっこう知識がいるらしい。
カウンセラーの人の話で印象に残ったのは、「うつは『こころの病気』じゃなくて『からだの病気』と考えるべき。『こころの病気』などという表現をするからえたいのしれない病気だと思われたり、こころの弱い人がなるなんて誤解を招くんです」という話。
なるほど。血液検査で数値に出るというわけではないので、「からだの病気」とは認知されにくいかもしれないけど、たしかに“脳の神経伝達物質が不足して起こる状態”という因果関係もはっきりしているわけだし、身体症状をともなう以上、それはりっぱな「からだの病気」といえますよね。
で、「なんか、私、やばいかも〜」と担当編集のSさんに「あてはまる部分」を話したら、「俺も昔薬飲んでたことあるけど、その精神状態は自分のときとそっくりだ。危ないよ」と言われてしまい、ますます心配になり、思い切ってカウンセラーの方に相談してみたんですよ。
そしたら、一番ベテランのカウンセラーの方が、最後の取材が終わったあとに時間をとって話をきいてくださったんですね。
正直、向こうはやりにくかったと思います。
だって、取材の中でカウンセリングの方法とか、「こういうときにはこうする」みたいなノウハウ的なことをこっちは散々その人から聞いちゃってるんだもん。
たとえば、カウンセラーの基本として、「相手の感情に巻き込まれたらNG」ってのがあるんですね。
相手の話に情を動かしすぎると一緒に不安定になってしまうので、必ず距離を保たなきゃいけない。
といって「突き放された」と思われてもいけないので、あくまでも「寄り添う」というスタンスでひたすら話をきき、理解するようにつとめる。
その後、近すぎて自分自身では見えなくなってしまっている事柄を、ひとつひとつ分類し、整理し、何が一番自分にとって望ましい形なのかを気づかせる手伝いをする。
「こうしなさい」とアドバイスをするのは押しつけになるのでダメ。
自分の経験値で話を評価するのもダメ。
説教は論外。
簡単にいうとそんな感じなんですが、たしかに話をきいてもらったとき、「一般的な他人が話を聴くときの聴き方とはまったく違う」ということを体感し、「取材で話していた内容の実践編」を見せられているような気分でした。
なにがどう違うのかって、説明するのは難しいんですが、時々さしはさまれる「そんなに長い間苦しんでたのね」「それは腹がたって当然ね」「つらかったね」といった“声かけ”がビミョーに不自然で……。といったら失礼なんですが、こういうセリフって一般の聴き手はなかなかさらっと口にできないじゃないですか。言うほうも言われるほうもこっぱずかしいっていうか。
でもカウンセラーさんは(この方独自のやり方なのかもしれませんが)、すごーく簡単にするするこういうセリフが出てくるんですよ。もう5分に1回は必ずこういう合いの手を入れるって決めてるみたいに、口をついて出てくる。その自然さが逆に不自然に感じたのかもしれません。
また、よく見ていると「相手の話に溺れすぎないように、距離を意識的にとったうえで、適度に感情を込めている」というのがはっきりわかるんです。
たとえば、普通だったら相手が絶句してしまうような重いことを言っても、逆にすっごくどうでもいい軽いことを言っても常に「中立的な同じテンション」で反応する。一言でいえば絶対に動じないの。
これってすごいことですよ。普通、重いことを言われれば「重いな」という顔をしちゃうし、軽いことを言われれば「軽いな」という顔をしちゃうのが人間じゃないですか。
でもそれはすでに「重い」「軽い」という判断を聴き手がしちゃってるってことなんですよね。
カウンセラーはそういう評価もしちゃいけないんだな、と話しててあらためて思いました。
で、結局、話の内容としては、ほんとに「静かに聴く」っていうのが基本で、特にすごいハッとさせられることを言われるわけでもなく、こちらとしても警戒心が解けないまま緊張してしゃべっているので「話してスッキリ!」というほどはっきりしたカタルシスが得られたわけでもなく、終わったときは正直「こんなものか…」と思ったんですよ。
ところが!
ここから先が重要な部分なんですが、カウンセリング受けてから家に帰るまでの間に、あきらかに変化があったんです。
ほんとに不思議なんですけど、最後の取材の数日前くらいからものすごく体調が悪くなって、風邪のような具体的な症状があるわけじゃないのに、とにかく体全体がつらくてつらくて起きているだけでしんどいくらいだったのに(正直なところ、取材している間もかなりギリギリの状態でした)、カウンセリングを受けたあと、気がついたらその症状がスッと消えてたんですよね。
と、同時に、体のどこかでずっと感じていた重い荷物の感覚が「あ、荷物減ってる」と実感できるくらい軽くなったんです。
よく「肩の荷をおろす」とか「気が重い」とかいう表現をしますが、「ああ、これ、比喩じゃなくてほんとにそのままだ」と思いました。
「こんなものか」と頭では思ってたけど、実際、からだの方は素直に反応してたのかもしれません。
というような話を今日、行きつけの鍼灸師さんに言ったら「そりゃそうですよ。こう言ったらなんですけど、唐沢さん、自分の体に鈍感すぎます。初めてここきたとき、『こんなにひどい状態なのになんで平気なんだろう』って思いましたもん。体は正直なんですから、もっと耳を傾けないとダメですよ」と言われました。
いや、私、体はいたわってるほうなんですけどね。でも、そういう意味じゃないみたい。
脳主導じゃなく、たまには体主導になってみなさいっていう意味なんだと思います。
うつかどうかの診断はドクターでないとできないですし、1回のカウンセリングでどうにかなるものではないと思いますが、とりあえず、初めてのカウンセリング体験はなかなか神秘的でした。
おもに「うつ状態」にある人からかかってくる電話に対応する産業カウンセラーの方々です。
最初、仕事がきたときは、「ふーん、うつって今増えてるらしいし、企業も社員のメンタルヘルスにこんなに神経を遣う世の中なんだ」という程度の関心でした。
ところが、話をきいているうちに、だんだん「こりゃあ他人事じゃないよ」という気分になってきました。
なんか、マジで聞けば聞くほど自分があてはまるような気がして…。
というと、「そりゃ『家庭の医学』とか読むと、そこにのってる病気がことごとく自分にあてはまってるような暗示にかかっちゃうのと同じだよ」と言われるかもしれませんが、私の場合、身におぼえがないわけじゃなく、なってもおかしくない出来事をあきらかにずっと抱えているので、そう簡単に「気のせい」とは思えないのです。
しかも「うつ」の初期症状はどれも「よくある不定愁訴」ばかりなので、気づくのにもけっこう知識がいるらしい。
カウンセラーの人の話で印象に残ったのは、「うつは『こころの病気』じゃなくて『からだの病気』と考えるべき。『こころの病気』などという表現をするからえたいのしれない病気だと思われたり、こころの弱い人がなるなんて誤解を招くんです」という話。
なるほど。血液検査で数値に出るというわけではないので、「からだの病気」とは認知されにくいかもしれないけど、たしかに“脳の神経伝達物質が不足して起こる状態”という因果関係もはっきりしているわけだし、身体症状をともなう以上、それはりっぱな「からだの病気」といえますよね。
で、「なんか、私、やばいかも〜」と担当編集のSさんに「あてはまる部分」を話したら、「俺も昔薬飲んでたことあるけど、その精神状態は自分のときとそっくりだ。危ないよ」と言われてしまい、ますます心配になり、思い切ってカウンセラーの方に相談してみたんですよ。
そしたら、一番ベテランのカウンセラーの方が、最後の取材が終わったあとに時間をとって話をきいてくださったんですね。
正直、向こうはやりにくかったと思います。
だって、取材の中でカウンセリングの方法とか、「こういうときにはこうする」みたいなノウハウ的なことをこっちは散々その人から聞いちゃってるんだもん。
たとえば、カウンセラーの基本として、「相手の感情に巻き込まれたらNG」ってのがあるんですね。
相手の話に情を動かしすぎると一緒に不安定になってしまうので、必ず距離を保たなきゃいけない。
といって「突き放された」と思われてもいけないので、あくまでも「寄り添う」というスタンスでひたすら話をきき、理解するようにつとめる。
その後、近すぎて自分自身では見えなくなってしまっている事柄を、ひとつひとつ分類し、整理し、何が一番自分にとって望ましい形なのかを気づかせる手伝いをする。
「こうしなさい」とアドバイスをするのは押しつけになるのでダメ。
自分の経験値で話を評価するのもダメ。
説教は論外。
簡単にいうとそんな感じなんですが、たしかに話をきいてもらったとき、「一般的な他人が話を聴くときの聴き方とはまったく違う」ということを体感し、「取材で話していた内容の実践編」を見せられているような気分でした。
なにがどう違うのかって、説明するのは難しいんですが、時々さしはさまれる「そんなに長い間苦しんでたのね」「それは腹がたって当然ね」「つらかったね」といった“声かけ”がビミョーに不自然で……。といったら失礼なんですが、こういうセリフって一般の聴き手はなかなかさらっと口にできないじゃないですか。言うほうも言われるほうもこっぱずかしいっていうか。
でもカウンセラーさんは(この方独自のやり方なのかもしれませんが)、すごーく簡単にするするこういうセリフが出てくるんですよ。もう5分に1回は必ずこういう合いの手を入れるって決めてるみたいに、口をついて出てくる。その自然さが逆に不自然に感じたのかもしれません。
また、よく見ていると「相手の話に溺れすぎないように、距離を意識的にとったうえで、適度に感情を込めている」というのがはっきりわかるんです。
たとえば、普通だったら相手が絶句してしまうような重いことを言っても、逆にすっごくどうでもいい軽いことを言っても常に「中立的な同じテンション」で反応する。一言でいえば絶対に動じないの。
これってすごいことですよ。普通、重いことを言われれば「重いな」という顔をしちゃうし、軽いことを言われれば「軽いな」という顔をしちゃうのが人間じゃないですか。
でもそれはすでに「重い」「軽い」という判断を聴き手がしちゃってるってことなんですよね。
カウンセラーはそういう評価もしちゃいけないんだな、と話しててあらためて思いました。
で、結局、話の内容としては、ほんとに「静かに聴く」っていうのが基本で、特にすごいハッとさせられることを言われるわけでもなく、こちらとしても警戒心が解けないまま緊張してしゃべっているので「話してスッキリ!」というほどはっきりしたカタルシスが得られたわけでもなく、終わったときは正直「こんなものか…」と思ったんですよ。
ところが!
ここから先が重要な部分なんですが、カウンセリング受けてから家に帰るまでの間に、あきらかに変化があったんです。
ほんとに不思議なんですけど、最後の取材の数日前くらいからものすごく体調が悪くなって、風邪のような具体的な症状があるわけじゃないのに、とにかく体全体がつらくてつらくて起きているだけでしんどいくらいだったのに(正直なところ、取材している間もかなりギリギリの状態でした)、カウンセリングを受けたあと、気がついたらその症状がスッと消えてたんですよね。
と、同時に、体のどこかでずっと感じていた重い荷物の感覚が「あ、荷物減ってる」と実感できるくらい軽くなったんです。
よく「肩の荷をおろす」とか「気が重い」とかいう表現をしますが、「ああ、これ、比喩じゃなくてほんとにそのままだ」と思いました。
「こんなものか」と頭では思ってたけど、実際、からだの方は素直に反応してたのかもしれません。
というような話を今日、行きつけの鍼灸師さんに言ったら「そりゃそうですよ。こう言ったらなんですけど、唐沢さん、自分の体に鈍感すぎます。初めてここきたとき、『こんなにひどい状態なのになんで平気なんだろう』って思いましたもん。体は正直なんですから、もっと耳を傾けないとダメですよ」と言われました。
いや、私、体はいたわってるほうなんですけどね。でも、そういう意味じゃないみたい。
脳主導じゃなく、たまには体主導になってみなさいっていう意味なんだと思います。
うつかどうかの診断はドクターでないとできないですし、1回のカウンセリングでどうにかなるものではないと思いますが、とりあえず、初めてのカウンセリング体験はなかなか神秘的でした。
初めての胃カメラ体験
この1週間は私にとってまことにいやーーーな、いやーーーーな時間でした。
その重石も一昨日のお昼で終わりました。
し・あ・わ・せ〜!
私と同じ体験をすれば、皆様もこのような幸福感を味わえること間違いなしです。
方法は簡単。
胃カメラの検査を入れればいいのです。
え。やだ?……まあ、そう言わずに。騙されたと思って。いや、ほんとに騙されたよ、わたしゃ。
私を知る多くの知人は「伊万里さんはいつでも食欲があって健啖家で胃腸も丈夫そうだねー」と言います。
たしかに若い頃はそうでした。若い頃はね。
「胃が具合悪いってどんなふうなの?」と真顔で問うて胃弱の人の怒りを買ったこともしばしばでした。
そんな私も寄る年波には勝てず、中年になってからは人並みに胃の具合が悪くなることが多くなりました。
最初は典型的な「夏バテ」で、暑くなると食欲が失せ、常に胃が重く動かない感じに。そのうちに暑くなくても「ストレスをいつも以上に受けたり忙しかったりする」だけでも同じような症状に見舞われるようになりました。
もっとも、これはずっと続くわけではなく、たいがいしばらくすると元通り復活してしまうので、それほど気にしてはいませんでした。
たまにバリウム飲んだりもしましたが、結果はいつも異常なしで、消化を助ける胃薬を出してもらえばよくなるくらいのレベルでしたし。
が、1ヶ月くらい前から、さらにいやな症状が出てきました。
夜寝ているときにすごーくムカムカするんです。痛みはないんだけど、胃が熱く感じられて、胃酸が出まくってる感じ。その気分の悪さといったらないんですよ。
これってもしかして……潰瘍…?!
急に心配になってきた私は、思い切って両親もかかっている胃腸クリニックに行ってきました。
じつは来週からちょっと海外に行くもので、なにか薬がないと不安だなーと思って。
「とりあえず薬もらっておいて、帰ったら検査してもらおう」
そんな甘い考えで受診したところ、即座に「内視鏡」のハンコをぺたんと押され、「すぐに予約を入れなさい」というではないですか。
正直、バリウムは覚悟してたけど、いきなり内視鏡がくるとは思わず、5歩くらい後ずさりしてしまいました。
「レ、レントゲンじゃないんですか?」
「いや、内視鏡で見ないと診断つかないから。内視鏡、やったことありますか?」
「いえ」
「じゃあよけいやってください。1回やっておけばいいから。何回もやる必要はないけど、1回はやっておいたほうがいいですよ」
「えー……でも薬は…?」
「診断つかないうちから薬は出せませんよ。見当はずれのもの出してもしょうがないし」
「あのー、これから旅行に行くんで、検査はそのあとででも…」
「それならよけいにすぐに検査してスッキリしてから行ってください。診断つけて適切な薬をもらってから旅行に行ったほうが安心でしょう」
いや、ご意見いちいちごもっともなんですけど。
私も他人が同じ立場ならこの先生と同じこと言ったと思います。
でも旅行前のあわただしいときにそんなヘビーなイベント入れるのはどうしても気が進まないし、ありていに言うと胃カメラだけは飲みたくなかった……。
私、喉に何かを突っ込まれるのって異常に苦手なんですよ。
ルゴール塗られるのも耐えられないくらい。
さらに20年ほど前に受けた全身麻酔の手術のとき、麻酔も鎮静剤もなにもないシラフの状態で鼻から胃までビニールチューブをつっこまれた地獄の体験がトラウマとなり、ますます胃カメラに対する恐怖が募っていまして…。
というと、「そんなの誰だっていやだよ」「喉に管つっこまれるのが平気な人なんていないよ」と反論されるかもしれませんが、それは違います。
他人の経験談を聞いても、胃カメラに対する感受性は非常に個人差があります。「胃カメラだけは死んでもいや。あんなもん、人間の飲むもんじゃねぇ」という激しい抵抗を示す人から、「そんなにいやでもない。バリウムのほうがいや」という人までいろいろです。
しかも前者のタイプは疑り深いのか、麻酔もあまり効かないタイプが多く、よりいっそう苦しみが増すのに対し、後者のタイプは往々にして麻酔もチョー効きやすい。いや、麻酔が効かないから嫌いになるのかもしれませんが…。
ちなみに、私の父は前者で、母は後者です。
2人の胃カメラ体験談を聞くと、「ホントに同じ検査を受けたのか?」と疑わしくなるくらい感受性に差があって、何を参考にしたらいいのかわからなくなってきます。
そもそも父がその胃腸クリニックに通うようになったのは、その病院が「胃カメラに鎮静剤を使う方法」をとっているためでした。
一般的に胃カメラは、のどの局所麻酔だけで行うやり方のほうがまだまだ多数派だと思いますが、とにかく胃カメラが苦手な父はこれにどうしても耐えられず、潰瘍をもっているにもかかわらず「もう(検査は)やらない」と言いだし、家族を困らせていました。
ところが知人の情報で「鎮静剤で意識をもうろうとさせた状態で胃カメラを飲む」というやり方を知り、試してみたところかなり楽だったらしく、以来素直に検査を受けるようになったのです。
一方、母は「鎮静剤なんていらない。噴霧の局所麻酔だけで充分。なまじ麻酔が効きすぎると終わったあといつまでも違和感が残っていや」と、「鎮静剤つき検査」を「大袈裟」とでも言いたげ。
私は当然「父派」なので、母の意見など参考にはしません。
だいたい「口を開けて何か噴霧されたなと思った次の瞬間、気がついたらもうカメラが胃の中に入ってた」なんて、そんな迂闊な人間の言うこと、誰が信じられるでしょうか?
気がつけよ! 内臓にカメラ入れられたんだからさ。しかも鎮静剤もなしにですよ。文明人とは思えません。人としてどうなの?と言いたいですね、私は。
前置きが長くなりました。
とにかくそういうわけで、「あの胃カメラ嫌いの父が受けられる検査なんだから、鎮静剤ありならいいか」と納得し、観念して検査の予約を入れたのが1週間前でした。
いやもうこの1週間は寝ても覚めても検査のことが頭から離れず…というのは大袈裟ですが、1日に5回くらいはふっと検査のことを思い出し「あー、やだ」「やだやだ」と老人のようにぼやきまくり、最後は家族に「うるさい」と怒られました。
なんかこんなにやだやだ言ってると、健康な胃を持った人間でもそのストレスで潰瘍のひとつやふたつできそうな気がします。
しかも、「検査の予約を入れると症状がよくなってしまう」という“唐沢の法則”通り、今回も検査が決まってから急に食欲が出てきてすっかり胃の不調は回復してしまったんですよ。
こうなるとますます「やだやだ節」も盛り上がろうというものです。
自分を納得させるため、さまざまな解釈を加えたりもしました。
「まあでも1回くらいやっておくなら今がいい機会かも」とか、「たしかに旅行中具合が悪くなるのはいやだし」とか、「本当に胃の具合が最悪になってから胃カメラ飲むのはもっとつらいかも。回復したくらいの状態のほうがいいか」とか、もっとせこいところでは「健康診断だと保険がきかなくて高くつくけど、具合が悪いときなら保険がきくからお得かも」とか(笑)。
そうこうしているうちに検査当日を迎えました。
「8時45分から」とかなり朝早かったので、朝に弱い私は二重に緊張し、朝4時に1回目が覚めてしまったくらいです(また寝たけど)。
クリニックに着いたのは8時30分。なんかこんなに早く着くとはりきってるみたいに思われてやだなと思いつつ(←思わないよ)検査票を提出。
検査着に着替えて、先に超音波検査を受けてから待合室へ。
胃カメラの検査って実際はそんなに時間かからないんで、何人か順番待ちしてて、次々に呼ばれていくんですね。
まず、その待ってる時間がいやでした。
こういうときに廊下にまで響くような声で苦悶のうめき声を発する人っているじゃないですか。勘弁してほしいです。待ってる側の身にもなってください。あんたはもう終わるからいいけどこっちはこれからやるんだからさ。
幸い、入ってすぐの部屋は簡単に検査の説明をするスペースで、実際に検査をするのはさらに奥のスペースになっており、今回はそういう心配はありませんでした。
呼ばれたのはかれこれ9時半すぎだったでしょうか。
「内視鏡は初めてですか?」といった質問から始まり、「のみこむときに違和感があると思いますが、入ってしまえばけっこう平気ですので、余裕があればモニターを見てみてください」という説明や「検査中は唾を飲み込まないでティッシュの上にそのまま垂れ流してください」という注意などを受けました。
と同時に「胃をきれいにする薬」と称するコップ1杯の「薄いカルピス」みたいなものを飲まされましたが、緊張のあまり味は覚えていません。
ここで私がもっとも心配していた重大なお願いをしました。
「あのー、じつは私、呆然とするほど血管が出ないんです。鎮静剤を打つのって静脈からですよね。なにとぞ、一番うまい看護師さんに入れていただきたいんですが」
前々から何回も自慢(?)していますが、私の血管の出なさ加減はかなりのものです。
「血管出ない選手権」があれば、日本一とまではいかないまでも東京地区代表くらいにはなれる自信があります。
普通の人にとっては「採血」なんてなんてことない医療行為でしょうが、私にとっては冗談でなく命がけです。
この血管のせいで、入院中は病棟中のナースから嫌われたこともあります。血管が出ないと検査も治療も人の何倍も時間がかかるため、しまいには「ごめんなさい。こんな嫌われ者の血管をもった私が悪いんです」と卑屈になってしまったほどです。
何回も刺されるのは本当につらいので、採血時には必ず「私は特別血管が出ないので一番うまい人にお願いします」とカムアウトするんですが、だいたいどのナースもたかをくくって「大丈夫、大丈夫」と聞く耳を持ちません。
で、刺そうとして初めて「しまった」と思うらしいのですが、ナースにもメンツがあるため、なかなか他の人に交替してはくれません。何回か失敗して青あざだらけになって初めて「一番うまい人」に替わってくれるのですが、私にしてみれば「だからあんたが最初からやってよ!」という感じです。
じつは1週間前に検査の予約を入れたとき、「肝炎に感染していないかどうかをチェックするための血液検査」と称して採血されたのですが、そのときもまさにこのパターンでした。
最初のナースはとれないくせに2回も貴重な血管をつぶし、しかも指の関節に近い超痛いところをぐりぐりこねくりまわし、「痛い」と散々騒いでいるのに、「痛い?」「痛い?」と聞きながら絶対に抜いてくれない。この人絶対Sだと思いました。で、入ったかっていうと結局入んないの。
その後、交替したナースはかなり自信があるらしく、痛くないところから一発でとってくれました。すかさず私は名札を見ましたね。そしてお願いしましたよ。
「あなたの腕はすばらしい。ついては1週間後に内視鏡の検査があるので、鎮静剤を注射するときはぜひあなたにお願いしたい」と。
でも1週間後のシフトはわからないらしく、「いたらやるけど、いないかも。でも他の人でもとれますよ。大丈夫、カルテに血管のある場所書いておきますから」とすげーいいかげんな答え。宝探しじゃないんだから、そんなの見て誰でも入るんなら苦労はねぇ!
話戻って。
検査当日、やはりその「採血名人ナース」は不在でした。くそ。プレッシャー感じて逃げたのか。
で、登場したのは「採血がかなりうまい」とされている師長さん。
この1週間、私が思い描いていた最悪のシナリオは、「血管さがしを甘く見て、のどに麻酔をしてから血管を探し始める→思いの他、血管さがしに手間取る→『このままでは胃カメラ飲むときに喉の麻酔がきれてしまう』という恐怖にかられるが、のどの麻酔が効いていて声が出ないので訴えることができない」というものでした。経験者談によると、ここでは喉の麻酔をしてから鎮静剤を打つとのことでしたので。が、師長さんは最初に鎮静剤注射から着手したのでまずは一安心。
わりと自信ありげに出てきた師長さんですが、案の定私の腕を見たとたん厳しい表情に…。ただでさえ出にくいところにもってきて、「朝起き抜け」「食事抜き」というバッドコンディションでいつも以上に事態は深刻でした。
「ない…………どこにもない………」
いや、あるよ。なきゃ生きてないって。
まずは1週間前に成功した「痛くない場所」に刺したものの、やっぱりそこは「幻の血管」だったようでした。
次にSのナースが「痛い?」「痛い?」とこねくりまわした関節のそばに刺そうとするので、「そこ、この間失敗しました」と忠告したところ、真剣な表情で「やめてください。こっちも緊張してるんです。プレッシャーかけないで」。
いや……そんなこと言われても、私だって無駄に刺されたくないし。
だいたい、胃カメラを飲むという最高にいやな仕事を直前に控えた緊張感マックスのこのときに、なぜこんな余計な苦痛を延々と味わわなきゃいけないんだよ。
関節のそばに刺した針は、一応入ったんですけど、非常に不安定な場所で、どうしても薬が入っていかなくて断念。入った場所を固定する人と、注射器をひく人と、2人がかりで頑張ったけどダメでした。
ますます焦りの色を深めていく師長さんを前にして、私の中にさらに最悪のシナリオが浮かび上がってきました。
それは「どうしても血管が出ないので、鎮静剤注射を諦め、鎮静剤なしで胃カメラを飲まされる」というシナリオです。
ひ〜〜!!お代官さま。それだけは勘弁してくだせぇ〜!!
必死の祈りが通じたのか、3回目はようやく成功。手首の内側からというこれまた非常に痛いところでしたが、比較的すんなり入ったので苦痛は一瞬でした。

2回目の採血箇所。

3回目の採血箇所。ここは成功。
鎮静剤が静脈を流れて5秒くらいで頭がふーーーっとぼやけてきました。
そのあとの記憶はじつに不思議なものでした。
結論から言うと、思ったより全然苦しかったんです。もちろん、モニター見る余裕なんてまったくなし。
「飲み込むときはちょっと苦しいけど、入ってしまえば楽になる」というのは大嘘。たしかにのどの部分は通過後は少しは楽になるけど、今度は内臓のほうが痛苦しくなるんです。昔に比べてかなり管が細くなったとはいえ、固いものが通過するのはやっぱりずーーーっと違和感がありました。そうですね。10のうちなんとか一息つける感じだったのが1.7くらいで8.3はもがいてたって感じでしょうか。
途中何度も「はい。落ち着いて!」「呼吸整えましょう」「力抜いて」と声をかけられましたが、もがくのは私の意志ではなく、身体が勝手に反応するのでどうしようもないんですよ。「べつにあわててないんだけど…」と冷静になっている自分もどこかにいるのが不思議でした。
「唾飲み込むとよけいに苦しくなるから飲み込まないで」というのも、私は飲み込んでるつもりないんだけど、生理的な機能として反射的に飲み込んじゃうんですよ。唾液だけ外に出せば飲み込まないで済むってもんじゃないんですね。
ここまで読んだ人は、「そんなにはっきり憶えているなら鎮静剤の意味なんてないじゃん」と思うかもしれませんが、そうでもないんですね、これが。
説明が難しいんですが、鎮静剤って理性の部分が鈍るんですよ。
「痛い」とか「苦しい」とか「こういう言葉を言われた」とか、そういう事実のひとつひとつは認識できるし、憶えてるんですが、それがバラバラに存在していて、ひとつに統合されないと言ったらいいのかな。断片で存在しているだけで「意味」をもたないと言ったらいいのかな。そういう状態になると、動物的な反射反応だけが残るんですよ。
たとえば「次にこれがこうくるとこう感じるだろうな」という未来予測は、断片を統合し、分析し、想像する力を使わないとできない。そうやって予測するからこそ、事前によけいな恐怖が生まれ、緊張が高まり、苦痛が何倍にもふくらむわけです。
鎮静剤でそういう機能を鈍くすることによって、純粋に肉体的な苦痛だけを残すことができるのはたしかです。少なくとも「恐怖」は確実に薄まりますよね。
だから、そのときの不快な苦痛はたしかに憶えているんだけど、あとから振り返ると現実味がないっていうか、夢の中の出来事のようにも思えるんですよね。その瞬間、自分の理性がその状況をどう判断したかっていう記憶がないので。
わかってもらえるでしょうか、この感じ。
検査じたいはほんの数分で終了し、思った以上に短い印象でした。
入れる瞬間と抜く瞬間はあんまりはっきり憶えてません。経過が苦しかったことだけが残ってて。もっとつっこんで考えると、のどに噴霧麻酔をかけた瞬間も憶えてないし、マウスピースをくわえた瞬間の記憶もない。あらためて考えるとそういう細かいところは全部抜け落ちてるんです。とにかく「苦しい」というアバウトな生理的反応だけが強く残ってるんですよね。
終わったあとは、支えられて近くのベッドまで移動し、「ここで20分くらい休んでください」と言われました。
「唾液はここに出してください」とティッシュボックスを置いていかれ、たしかにあとからあとから大量に唾液が出てきたんですが、それが妙に白濁してねばっこいんです。
そのときはまだ「物事を論理的に考える頭脳」が半分麻痺していたので、そのことも不思議に思わず、ただ機械的に唾液を出していたのですが、今考えるとこれは検査前に飲んだカルピスもどきが逆流していたのかもしれない。
父は、「休んでください」と言われた次の瞬間に意識を失い、眠りこけたと言っていましたが、私は全然眠れませんでした。喉の麻酔もすぐにきれてしまい、あっという間に普通の状態に戻ってしまいました。
そう考えると、私の鎮静剤ってたいして効いてなかったのかも…という気もしてきて、終わってから急に腹立ってきました。胃カメラ飲むよりずっと長い時間かけて鎮静剤注射したのに、なんの苦労もなく注射できた人よりも効きが悪いとは何事だよ。
という不満を抱えつつも、とにかく無事終わったことにホッとしました。
昨日、結果を聞きにいきましたが、「異常なし」とのこと。潰瘍も逆流性食道炎の痕跡もありませんでした。
胃の中の写真も見せてもらいましたが、自分でいうのもなんですが思った以上にきれいなピンク色をしていて、ドクターにも「粘膜もきれいな状態ですよ」とほめられました。
ただ、小さなポリープはいくつかあったようですが、「心配するにおよばず」とのことでした。
薬もいらないみたいな感じでしたが、旅行のこともあるので、一応気休め程度の粘膜保護の胃薬をもらいました。
「時々食欲がなくなって胃が動かなくなるんですが」という訴えに関しては「気のせい。そういうふうに感じているだけで胃はちゃんと動いている」というわけのわからない答えが返ってきて却下されました。
まあ、とにかくなんでもなくてよかったよ。
これで心おきなく旅立てます。
皆さん、応援してくれてありがとう(←誰もしてないよ)。
その重石も一昨日のお昼で終わりました。
し・あ・わ・せ〜!
私と同じ体験をすれば、皆様もこのような幸福感を味わえること間違いなしです。
方法は簡単。
胃カメラの検査を入れればいいのです。
え。やだ?……まあ、そう言わずに。騙されたと思って。いや、ほんとに騙されたよ、わたしゃ。
私を知る多くの知人は「伊万里さんはいつでも食欲があって健啖家で胃腸も丈夫そうだねー」と言います。
たしかに若い頃はそうでした。若い頃はね。
「胃が具合悪いってどんなふうなの?」と真顔で問うて胃弱の人の怒りを買ったこともしばしばでした。
そんな私も寄る年波には勝てず、中年になってからは人並みに胃の具合が悪くなることが多くなりました。
最初は典型的な「夏バテ」で、暑くなると食欲が失せ、常に胃が重く動かない感じに。そのうちに暑くなくても「ストレスをいつも以上に受けたり忙しかったりする」だけでも同じような症状に見舞われるようになりました。
もっとも、これはずっと続くわけではなく、たいがいしばらくすると元通り復活してしまうので、それほど気にしてはいませんでした。
たまにバリウム飲んだりもしましたが、結果はいつも異常なしで、消化を助ける胃薬を出してもらえばよくなるくらいのレベルでしたし。
が、1ヶ月くらい前から、さらにいやな症状が出てきました。
夜寝ているときにすごーくムカムカするんです。痛みはないんだけど、胃が熱く感じられて、胃酸が出まくってる感じ。その気分の悪さといったらないんですよ。
これってもしかして……潰瘍…?!
急に心配になってきた私は、思い切って両親もかかっている胃腸クリニックに行ってきました。
じつは来週からちょっと海外に行くもので、なにか薬がないと不安だなーと思って。
「とりあえず薬もらっておいて、帰ったら検査してもらおう」
そんな甘い考えで受診したところ、即座に「内視鏡」のハンコをぺたんと押され、「すぐに予約を入れなさい」というではないですか。
正直、バリウムは覚悟してたけど、いきなり内視鏡がくるとは思わず、5歩くらい後ずさりしてしまいました。
「レ、レントゲンじゃないんですか?」
「いや、内視鏡で見ないと診断つかないから。内視鏡、やったことありますか?」
「いえ」
「じゃあよけいやってください。1回やっておけばいいから。何回もやる必要はないけど、1回はやっておいたほうがいいですよ」
「えー……でも薬は…?」
「診断つかないうちから薬は出せませんよ。見当はずれのもの出してもしょうがないし」
「あのー、これから旅行に行くんで、検査はそのあとででも…」
「それならよけいにすぐに検査してスッキリしてから行ってください。診断つけて適切な薬をもらってから旅行に行ったほうが安心でしょう」
いや、ご意見いちいちごもっともなんですけど。
私も他人が同じ立場ならこの先生と同じこと言ったと思います。
でも旅行前のあわただしいときにそんなヘビーなイベント入れるのはどうしても気が進まないし、ありていに言うと胃カメラだけは飲みたくなかった……。
私、喉に何かを突っ込まれるのって異常に苦手なんですよ。
ルゴール塗られるのも耐えられないくらい。
さらに20年ほど前に受けた全身麻酔の手術のとき、麻酔も鎮静剤もなにもないシラフの状態で鼻から胃までビニールチューブをつっこまれた地獄の体験がトラウマとなり、ますます胃カメラに対する恐怖が募っていまして…。
というと、「そんなの誰だっていやだよ」「喉に管つっこまれるのが平気な人なんていないよ」と反論されるかもしれませんが、それは違います。
他人の経験談を聞いても、胃カメラに対する感受性は非常に個人差があります。「胃カメラだけは死んでもいや。あんなもん、人間の飲むもんじゃねぇ」という激しい抵抗を示す人から、「そんなにいやでもない。バリウムのほうがいや」という人までいろいろです。
しかも前者のタイプは疑り深いのか、麻酔もあまり効かないタイプが多く、よりいっそう苦しみが増すのに対し、後者のタイプは往々にして麻酔もチョー効きやすい。いや、麻酔が効かないから嫌いになるのかもしれませんが…。
ちなみに、私の父は前者で、母は後者です。
2人の胃カメラ体験談を聞くと、「ホントに同じ検査を受けたのか?」と疑わしくなるくらい感受性に差があって、何を参考にしたらいいのかわからなくなってきます。
そもそも父がその胃腸クリニックに通うようになったのは、その病院が「胃カメラに鎮静剤を使う方法」をとっているためでした。
一般的に胃カメラは、のどの局所麻酔だけで行うやり方のほうがまだまだ多数派だと思いますが、とにかく胃カメラが苦手な父はこれにどうしても耐えられず、潰瘍をもっているにもかかわらず「もう(検査は)やらない」と言いだし、家族を困らせていました。
ところが知人の情報で「鎮静剤で意識をもうろうとさせた状態で胃カメラを飲む」というやり方を知り、試してみたところかなり楽だったらしく、以来素直に検査を受けるようになったのです。
一方、母は「鎮静剤なんていらない。噴霧の局所麻酔だけで充分。なまじ麻酔が効きすぎると終わったあといつまでも違和感が残っていや」と、「鎮静剤つき検査」を「大袈裟」とでも言いたげ。
私は当然「父派」なので、母の意見など参考にはしません。
だいたい「口を開けて何か噴霧されたなと思った次の瞬間、気がついたらもうカメラが胃の中に入ってた」なんて、そんな迂闊な人間の言うこと、誰が信じられるでしょうか?
気がつけよ! 内臓にカメラ入れられたんだからさ。しかも鎮静剤もなしにですよ。文明人とは思えません。人としてどうなの?と言いたいですね、私は。
前置きが長くなりました。
とにかくそういうわけで、「あの胃カメラ嫌いの父が受けられる検査なんだから、鎮静剤ありならいいか」と納得し、観念して検査の予約を入れたのが1週間前でした。
いやもうこの1週間は寝ても覚めても検査のことが頭から離れず…というのは大袈裟ですが、1日に5回くらいはふっと検査のことを思い出し「あー、やだ」「やだやだ」と老人のようにぼやきまくり、最後は家族に「うるさい」と怒られました。
なんかこんなにやだやだ言ってると、健康な胃を持った人間でもそのストレスで潰瘍のひとつやふたつできそうな気がします。
しかも、「検査の予約を入れると症状がよくなってしまう」という“唐沢の法則”通り、今回も検査が決まってから急に食欲が出てきてすっかり胃の不調は回復してしまったんですよ。
こうなるとますます「やだやだ節」も盛り上がろうというものです。
自分を納得させるため、さまざまな解釈を加えたりもしました。
「まあでも1回くらいやっておくなら今がいい機会かも」とか、「たしかに旅行中具合が悪くなるのはいやだし」とか、「本当に胃の具合が最悪になってから胃カメラ飲むのはもっとつらいかも。回復したくらいの状態のほうがいいか」とか、もっとせこいところでは「健康診断だと保険がきかなくて高くつくけど、具合が悪いときなら保険がきくからお得かも」とか(笑)。
そうこうしているうちに検査当日を迎えました。
「8時45分から」とかなり朝早かったので、朝に弱い私は二重に緊張し、朝4時に1回目が覚めてしまったくらいです(また寝たけど)。
クリニックに着いたのは8時30分。なんかこんなに早く着くとはりきってるみたいに思われてやだなと思いつつ(←思わないよ)検査票を提出。
検査着に着替えて、先に超音波検査を受けてから待合室へ。
胃カメラの検査って実際はそんなに時間かからないんで、何人か順番待ちしてて、次々に呼ばれていくんですね。
まず、その待ってる時間がいやでした。
こういうときに廊下にまで響くような声で苦悶のうめき声を発する人っているじゃないですか。勘弁してほしいです。待ってる側の身にもなってください。あんたはもう終わるからいいけどこっちはこれからやるんだからさ。
幸い、入ってすぐの部屋は簡単に検査の説明をするスペースで、実際に検査をするのはさらに奥のスペースになっており、今回はそういう心配はありませんでした。
呼ばれたのはかれこれ9時半すぎだったでしょうか。
「内視鏡は初めてですか?」といった質問から始まり、「のみこむときに違和感があると思いますが、入ってしまえばけっこう平気ですので、余裕があればモニターを見てみてください」という説明や「検査中は唾を飲み込まないでティッシュの上にそのまま垂れ流してください」という注意などを受けました。
と同時に「胃をきれいにする薬」と称するコップ1杯の「薄いカルピス」みたいなものを飲まされましたが、緊張のあまり味は覚えていません。
ここで私がもっとも心配していた重大なお願いをしました。
「あのー、じつは私、呆然とするほど血管が出ないんです。鎮静剤を打つのって静脈からですよね。なにとぞ、一番うまい看護師さんに入れていただきたいんですが」
前々から何回も自慢(?)していますが、私の血管の出なさ加減はかなりのものです。
「血管出ない選手権」があれば、日本一とまではいかないまでも東京地区代表くらいにはなれる自信があります。
普通の人にとっては「採血」なんてなんてことない医療行為でしょうが、私にとっては冗談でなく命がけです。
この血管のせいで、入院中は病棟中のナースから嫌われたこともあります。血管が出ないと検査も治療も人の何倍も時間がかかるため、しまいには「ごめんなさい。こんな嫌われ者の血管をもった私が悪いんです」と卑屈になってしまったほどです。
何回も刺されるのは本当につらいので、採血時には必ず「私は特別血管が出ないので一番うまい人にお願いします」とカムアウトするんですが、だいたいどのナースもたかをくくって「大丈夫、大丈夫」と聞く耳を持ちません。
で、刺そうとして初めて「しまった」と思うらしいのですが、ナースにもメンツがあるため、なかなか他の人に交替してはくれません。何回か失敗して青あざだらけになって初めて「一番うまい人」に替わってくれるのですが、私にしてみれば「だからあんたが最初からやってよ!」という感じです。
じつは1週間前に検査の予約を入れたとき、「肝炎に感染していないかどうかをチェックするための血液検査」と称して採血されたのですが、そのときもまさにこのパターンでした。
最初のナースはとれないくせに2回も貴重な血管をつぶし、しかも指の関節に近い超痛いところをぐりぐりこねくりまわし、「痛い」と散々騒いでいるのに、「痛い?」「痛い?」と聞きながら絶対に抜いてくれない。この人絶対Sだと思いました。で、入ったかっていうと結局入んないの。
その後、交替したナースはかなり自信があるらしく、痛くないところから一発でとってくれました。すかさず私は名札を見ましたね。そしてお願いしましたよ。
「あなたの腕はすばらしい。ついては1週間後に内視鏡の検査があるので、鎮静剤を注射するときはぜひあなたにお願いしたい」と。
でも1週間後のシフトはわからないらしく、「いたらやるけど、いないかも。でも他の人でもとれますよ。大丈夫、カルテに血管のある場所書いておきますから」とすげーいいかげんな答え。宝探しじゃないんだから、そんなの見て誰でも入るんなら苦労はねぇ!
話戻って。
検査当日、やはりその「採血名人ナース」は不在でした。くそ。プレッシャー感じて逃げたのか。
で、登場したのは「採血がかなりうまい」とされている師長さん。
この1週間、私が思い描いていた最悪のシナリオは、「血管さがしを甘く見て、のどに麻酔をしてから血管を探し始める→思いの他、血管さがしに手間取る→『このままでは胃カメラ飲むときに喉の麻酔がきれてしまう』という恐怖にかられるが、のどの麻酔が効いていて声が出ないので訴えることができない」というものでした。経験者談によると、ここでは喉の麻酔をしてから鎮静剤を打つとのことでしたので。が、師長さんは最初に鎮静剤注射から着手したのでまずは一安心。
わりと自信ありげに出てきた師長さんですが、案の定私の腕を見たとたん厳しい表情に…。ただでさえ出にくいところにもってきて、「朝起き抜け」「食事抜き」というバッドコンディションでいつも以上に事態は深刻でした。
「ない…………どこにもない………」
いや、あるよ。なきゃ生きてないって。
まずは1週間前に成功した「痛くない場所」に刺したものの、やっぱりそこは「幻の血管」だったようでした。
次にSのナースが「痛い?」「痛い?」とこねくりまわした関節のそばに刺そうとするので、「そこ、この間失敗しました」と忠告したところ、真剣な表情で「やめてください。こっちも緊張してるんです。プレッシャーかけないで」。
いや……そんなこと言われても、私だって無駄に刺されたくないし。
だいたい、胃カメラを飲むという最高にいやな仕事を直前に控えた緊張感マックスのこのときに、なぜこんな余計な苦痛を延々と味わわなきゃいけないんだよ。
関節のそばに刺した針は、一応入ったんですけど、非常に不安定な場所で、どうしても薬が入っていかなくて断念。入った場所を固定する人と、注射器をひく人と、2人がかりで頑張ったけどダメでした。
ますます焦りの色を深めていく師長さんを前にして、私の中にさらに最悪のシナリオが浮かび上がってきました。
それは「どうしても血管が出ないので、鎮静剤注射を諦め、鎮静剤なしで胃カメラを飲まされる」というシナリオです。
ひ〜〜!!お代官さま。それだけは勘弁してくだせぇ〜!!
必死の祈りが通じたのか、3回目はようやく成功。手首の内側からというこれまた非常に痛いところでしたが、比較的すんなり入ったので苦痛は一瞬でした。
2回目の採血箇所。
3回目の採血箇所。ここは成功。
鎮静剤が静脈を流れて5秒くらいで頭がふーーーっとぼやけてきました。
そのあとの記憶はじつに不思議なものでした。
結論から言うと、思ったより全然苦しかったんです。もちろん、モニター見る余裕なんてまったくなし。
「飲み込むときはちょっと苦しいけど、入ってしまえば楽になる」というのは大嘘。たしかにのどの部分は通過後は少しは楽になるけど、今度は内臓のほうが痛苦しくなるんです。昔に比べてかなり管が細くなったとはいえ、固いものが通過するのはやっぱりずーーーっと違和感がありました。そうですね。10のうちなんとか一息つける感じだったのが1.7くらいで8.3はもがいてたって感じでしょうか。
途中何度も「はい。落ち着いて!」「呼吸整えましょう」「力抜いて」と声をかけられましたが、もがくのは私の意志ではなく、身体が勝手に反応するのでどうしようもないんですよ。「べつにあわててないんだけど…」と冷静になっている自分もどこかにいるのが不思議でした。
「唾飲み込むとよけいに苦しくなるから飲み込まないで」というのも、私は飲み込んでるつもりないんだけど、生理的な機能として反射的に飲み込んじゃうんですよ。唾液だけ外に出せば飲み込まないで済むってもんじゃないんですね。
ここまで読んだ人は、「そんなにはっきり憶えているなら鎮静剤の意味なんてないじゃん」と思うかもしれませんが、そうでもないんですね、これが。
説明が難しいんですが、鎮静剤って理性の部分が鈍るんですよ。
「痛い」とか「苦しい」とか「こういう言葉を言われた」とか、そういう事実のひとつひとつは認識できるし、憶えてるんですが、それがバラバラに存在していて、ひとつに統合されないと言ったらいいのかな。断片で存在しているだけで「意味」をもたないと言ったらいいのかな。そういう状態になると、動物的な反射反応だけが残るんですよ。
たとえば「次にこれがこうくるとこう感じるだろうな」という未来予測は、断片を統合し、分析し、想像する力を使わないとできない。そうやって予測するからこそ、事前によけいな恐怖が生まれ、緊張が高まり、苦痛が何倍にもふくらむわけです。
鎮静剤でそういう機能を鈍くすることによって、純粋に肉体的な苦痛だけを残すことができるのはたしかです。少なくとも「恐怖」は確実に薄まりますよね。
だから、そのときの不快な苦痛はたしかに憶えているんだけど、あとから振り返ると現実味がないっていうか、夢の中の出来事のようにも思えるんですよね。その瞬間、自分の理性がその状況をどう判断したかっていう記憶がないので。
わかってもらえるでしょうか、この感じ。
検査じたいはほんの数分で終了し、思った以上に短い印象でした。
入れる瞬間と抜く瞬間はあんまりはっきり憶えてません。経過が苦しかったことだけが残ってて。もっとつっこんで考えると、のどに噴霧麻酔をかけた瞬間も憶えてないし、マウスピースをくわえた瞬間の記憶もない。あらためて考えるとそういう細かいところは全部抜け落ちてるんです。とにかく「苦しい」というアバウトな生理的反応だけが強く残ってるんですよね。
終わったあとは、支えられて近くのベッドまで移動し、「ここで20分くらい休んでください」と言われました。
「唾液はここに出してください」とティッシュボックスを置いていかれ、たしかにあとからあとから大量に唾液が出てきたんですが、それが妙に白濁してねばっこいんです。
そのときはまだ「物事を論理的に考える頭脳」が半分麻痺していたので、そのことも不思議に思わず、ただ機械的に唾液を出していたのですが、今考えるとこれは検査前に飲んだカルピスもどきが逆流していたのかもしれない。
父は、「休んでください」と言われた次の瞬間に意識を失い、眠りこけたと言っていましたが、私は全然眠れませんでした。喉の麻酔もすぐにきれてしまい、あっという間に普通の状態に戻ってしまいました。
そう考えると、私の鎮静剤ってたいして効いてなかったのかも…という気もしてきて、終わってから急に腹立ってきました。胃カメラ飲むよりずっと長い時間かけて鎮静剤注射したのに、なんの苦労もなく注射できた人よりも効きが悪いとは何事だよ。
という不満を抱えつつも、とにかく無事終わったことにホッとしました。
昨日、結果を聞きにいきましたが、「異常なし」とのこと。潰瘍も逆流性食道炎の痕跡もありませんでした。
胃の中の写真も見せてもらいましたが、自分でいうのもなんですが思った以上にきれいなピンク色をしていて、ドクターにも「粘膜もきれいな状態ですよ」とほめられました。
ただ、小さなポリープはいくつかあったようですが、「心配するにおよばず」とのことでした。
薬もいらないみたいな感じでしたが、旅行のこともあるので、一応気休め程度の粘膜保護の胃薬をもらいました。
「時々食欲がなくなって胃が動かなくなるんですが」という訴えに関しては「気のせい。そういうふうに感じているだけで胃はちゃんと動いている」というわけのわからない答えが返ってきて却下されました。
まあ、とにかくなんでもなくてよかったよ。
これで心おきなく旅立てます。
皆さん、応援してくれてありがとう(←誰もしてないよ)。
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
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