古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
初カウンセリング体験
- 2008/01/11 (Fri)
- 医療・健康 |
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秋頃から、新書の取材のため、複数のカウンセラーの話を何回も聞いています。
おもに「うつ状態」にある人からかかってくる電話に対応する産業カウンセラーの方々です。
最初、仕事がきたときは、「ふーん、うつって今増えてるらしいし、企業も社員のメンタルヘルスにこんなに神経を遣う世の中なんだ」という程度の関心でした。
ところが、話をきいているうちに、だんだん「こりゃあ他人事じゃないよ」という気分になってきました。
なんか、マジで聞けば聞くほど自分があてはまるような気がして…。
というと、「そりゃ『家庭の医学』とか読むと、そこにのってる病気がことごとく自分にあてはまってるような暗示にかかっちゃうのと同じだよ」と言われるかもしれませんが、私の場合、身におぼえがないわけじゃなく、なってもおかしくない出来事をあきらかにずっと抱えているので、そう簡単に「気のせい」とは思えないのです。
しかも「うつ」の初期症状はどれも「よくある不定愁訴」ばかりなので、気づくのにもけっこう知識がいるらしい。
カウンセラーの人の話で印象に残ったのは、「うつは『こころの病気』じゃなくて『からだの病気』と考えるべき。『こころの病気』などという表現をするからえたいのしれない病気だと思われたり、こころの弱い人がなるなんて誤解を招くんです」という話。
なるほど。血液検査で数値に出るというわけではないので、「からだの病気」とは認知されにくいかもしれないけど、たしかに“脳の神経伝達物質が不足して起こる状態”という因果関係もはっきりしているわけだし、身体症状をともなう以上、それはりっぱな「からだの病気」といえますよね。
で、「なんか、私、やばいかも〜」と担当編集のSさんに「あてはまる部分」を話したら、「俺も昔薬飲んでたことあるけど、その精神状態は自分のときとそっくりだ。危ないよ」と言われてしまい、ますます心配になり、思い切ってカウンセラーの方に相談してみたんですよ。
そしたら、一番ベテランのカウンセラーの方が、最後の取材が終わったあとに時間をとって話をきいてくださったんですね。
正直、向こうはやりにくかったと思います。
だって、取材の中でカウンセリングの方法とか、「こういうときにはこうする」みたいなノウハウ的なことをこっちは散々その人から聞いちゃってるんだもん。
たとえば、カウンセラーの基本として、「相手の感情に巻き込まれたらNG」ってのがあるんですね。
相手の話に情を動かしすぎると一緒に不安定になってしまうので、必ず距離を保たなきゃいけない。
といって「突き放された」と思われてもいけないので、あくまでも「寄り添う」というスタンスでひたすら話をきき、理解するようにつとめる。
その後、近すぎて自分自身では見えなくなってしまっている事柄を、ひとつひとつ分類し、整理し、何が一番自分にとって望ましい形なのかを気づかせる手伝いをする。
「こうしなさい」とアドバイスをするのは押しつけになるのでダメ。
自分の経験値で話を評価するのもダメ。
説教は論外。
簡単にいうとそんな感じなんですが、たしかに話をきいてもらったとき、「一般的な他人が話を聴くときの聴き方とはまったく違う」ということを体感し、「取材で話していた内容の実践編」を見せられているような気分でした。
なにがどう違うのかって、説明するのは難しいんですが、時々さしはさまれる「そんなに長い間苦しんでたのね」「それは腹がたって当然ね」「つらかったね」といった“声かけ”がビミョーに不自然で……。といったら失礼なんですが、こういうセリフって一般の聴き手はなかなかさらっと口にできないじゃないですか。言うほうも言われるほうもこっぱずかしいっていうか。
でもカウンセラーさんは(この方独自のやり方なのかもしれませんが)、すごーく簡単にするするこういうセリフが出てくるんですよ。もう5分に1回は必ずこういう合いの手を入れるって決めてるみたいに、口をついて出てくる。その自然さが逆に不自然に感じたのかもしれません。
また、よく見ていると「相手の話に溺れすぎないように、距離を意識的にとったうえで、適度に感情を込めている」というのがはっきりわかるんです。
たとえば、普通だったら相手が絶句してしまうような重いことを言っても、逆にすっごくどうでもいい軽いことを言っても常に「中立的な同じテンション」で反応する。一言でいえば絶対に動じないの。
これってすごいことですよ。普通、重いことを言われれば「重いな」という顔をしちゃうし、軽いことを言われれば「軽いな」という顔をしちゃうのが人間じゃないですか。
でもそれはすでに「重い」「軽い」という判断を聴き手がしちゃってるってことなんですよね。
カウンセラーはそういう評価もしちゃいけないんだな、と話しててあらためて思いました。
で、結局、話の内容としては、ほんとに「静かに聴く」っていうのが基本で、特にすごいハッとさせられることを言われるわけでもなく、こちらとしても警戒心が解けないまま緊張してしゃべっているので「話してスッキリ!」というほどはっきりしたカタルシスが得られたわけでもなく、終わったときは正直「こんなものか…」と思ったんですよ。
ところが!
ここから先が重要な部分なんですが、カウンセリング受けてから家に帰るまでの間に、あきらかに変化があったんです。
ほんとに不思議なんですけど、最後の取材の数日前くらいからものすごく体調が悪くなって、風邪のような具体的な症状があるわけじゃないのに、とにかく体全体がつらくてつらくて起きているだけでしんどいくらいだったのに(正直なところ、取材している間もかなりギリギリの状態でした)、カウンセリングを受けたあと、気がついたらその症状がスッと消えてたんですよね。
と、同時に、体のどこかでずっと感じていた重い荷物の感覚が「あ、荷物減ってる」と実感できるくらい軽くなったんです。
よく「肩の荷をおろす」とか「気が重い」とかいう表現をしますが、「ああ、これ、比喩じゃなくてほんとにそのままだ」と思いました。
「こんなものか」と頭では思ってたけど、実際、からだの方は素直に反応してたのかもしれません。
というような話を今日、行きつけの鍼灸師さんに言ったら「そりゃそうですよ。こう言ったらなんですけど、唐沢さん、自分の体に鈍感すぎます。初めてここきたとき、『こんなにひどい状態なのになんで平気なんだろう』って思いましたもん。体は正直なんですから、もっと耳を傾けないとダメですよ」と言われました。
いや、私、体はいたわってるほうなんですけどね。でも、そういう意味じゃないみたい。
脳主導じゃなく、たまには体主導になってみなさいっていう意味なんだと思います。
うつかどうかの診断はドクターでないとできないですし、1回のカウンセリングでどうにかなるものではないと思いますが、とりあえず、初めてのカウンセリング体験はなかなか神秘的でした。
おもに「うつ状態」にある人からかかってくる電話に対応する産業カウンセラーの方々です。
最初、仕事がきたときは、「ふーん、うつって今増えてるらしいし、企業も社員のメンタルヘルスにこんなに神経を遣う世の中なんだ」という程度の関心でした。
ところが、話をきいているうちに、だんだん「こりゃあ他人事じゃないよ」という気分になってきました。
なんか、マジで聞けば聞くほど自分があてはまるような気がして…。
というと、「そりゃ『家庭の医学』とか読むと、そこにのってる病気がことごとく自分にあてはまってるような暗示にかかっちゃうのと同じだよ」と言われるかもしれませんが、私の場合、身におぼえがないわけじゃなく、なってもおかしくない出来事をあきらかにずっと抱えているので、そう簡単に「気のせい」とは思えないのです。
しかも「うつ」の初期症状はどれも「よくある不定愁訴」ばかりなので、気づくのにもけっこう知識がいるらしい。
カウンセラーの人の話で印象に残ったのは、「うつは『こころの病気』じゃなくて『からだの病気』と考えるべき。『こころの病気』などという表現をするからえたいのしれない病気だと思われたり、こころの弱い人がなるなんて誤解を招くんです」という話。
なるほど。血液検査で数値に出るというわけではないので、「からだの病気」とは認知されにくいかもしれないけど、たしかに“脳の神経伝達物質が不足して起こる状態”という因果関係もはっきりしているわけだし、身体症状をともなう以上、それはりっぱな「からだの病気」といえますよね。
で、「なんか、私、やばいかも〜」と担当編集のSさんに「あてはまる部分」を話したら、「俺も昔薬飲んでたことあるけど、その精神状態は自分のときとそっくりだ。危ないよ」と言われてしまい、ますます心配になり、思い切ってカウンセラーの方に相談してみたんですよ。
そしたら、一番ベテランのカウンセラーの方が、最後の取材が終わったあとに時間をとって話をきいてくださったんですね。
正直、向こうはやりにくかったと思います。
だって、取材の中でカウンセリングの方法とか、「こういうときにはこうする」みたいなノウハウ的なことをこっちは散々その人から聞いちゃってるんだもん。
たとえば、カウンセラーの基本として、「相手の感情に巻き込まれたらNG」ってのがあるんですね。
相手の話に情を動かしすぎると一緒に不安定になってしまうので、必ず距離を保たなきゃいけない。
といって「突き放された」と思われてもいけないので、あくまでも「寄り添う」というスタンスでひたすら話をきき、理解するようにつとめる。
その後、近すぎて自分自身では見えなくなってしまっている事柄を、ひとつひとつ分類し、整理し、何が一番自分にとって望ましい形なのかを気づかせる手伝いをする。
「こうしなさい」とアドバイスをするのは押しつけになるのでダメ。
自分の経験値で話を評価するのもダメ。
説教は論外。
簡単にいうとそんな感じなんですが、たしかに話をきいてもらったとき、「一般的な他人が話を聴くときの聴き方とはまったく違う」ということを体感し、「取材で話していた内容の実践編」を見せられているような気分でした。
なにがどう違うのかって、説明するのは難しいんですが、時々さしはさまれる「そんなに長い間苦しんでたのね」「それは腹がたって当然ね」「つらかったね」といった“声かけ”がビミョーに不自然で……。といったら失礼なんですが、こういうセリフって一般の聴き手はなかなかさらっと口にできないじゃないですか。言うほうも言われるほうもこっぱずかしいっていうか。
でもカウンセラーさんは(この方独自のやり方なのかもしれませんが)、すごーく簡単にするするこういうセリフが出てくるんですよ。もう5分に1回は必ずこういう合いの手を入れるって決めてるみたいに、口をついて出てくる。その自然さが逆に不自然に感じたのかもしれません。
また、よく見ていると「相手の話に溺れすぎないように、距離を意識的にとったうえで、適度に感情を込めている」というのがはっきりわかるんです。
たとえば、普通だったら相手が絶句してしまうような重いことを言っても、逆にすっごくどうでもいい軽いことを言っても常に「中立的な同じテンション」で反応する。一言でいえば絶対に動じないの。
これってすごいことですよ。普通、重いことを言われれば「重いな」という顔をしちゃうし、軽いことを言われれば「軽いな」という顔をしちゃうのが人間じゃないですか。
でもそれはすでに「重い」「軽い」という判断を聴き手がしちゃってるってことなんですよね。
カウンセラーはそういう評価もしちゃいけないんだな、と話しててあらためて思いました。
で、結局、話の内容としては、ほんとに「静かに聴く」っていうのが基本で、特にすごいハッとさせられることを言われるわけでもなく、こちらとしても警戒心が解けないまま緊張してしゃべっているので「話してスッキリ!」というほどはっきりしたカタルシスが得られたわけでもなく、終わったときは正直「こんなものか…」と思ったんですよ。
ところが!
ここから先が重要な部分なんですが、カウンセリング受けてから家に帰るまでの間に、あきらかに変化があったんです。
ほんとに不思議なんですけど、最後の取材の数日前くらいからものすごく体調が悪くなって、風邪のような具体的な症状があるわけじゃないのに、とにかく体全体がつらくてつらくて起きているだけでしんどいくらいだったのに(正直なところ、取材している間もかなりギリギリの状態でした)、カウンセリングを受けたあと、気がついたらその症状がスッと消えてたんですよね。
と、同時に、体のどこかでずっと感じていた重い荷物の感覚が「あ、荷物減ってる」と実感できるくらい軽くなったんです。
よく「肩の荷をおろす」とか「気が重い」とかいう表現をしますが、「ああ、これ、比喩じゃなくてほんとにそのままだ」と思いました。
「こんなものか」と頭では思ってたけど、実際、からだの方は素直に反応してたのかもしれません。
というような話を今日、行きつけの鍼灸師さんに言ったら「そりゃそうですよ。こう言ったらなんですけど、唐沢さん、自分の体に鈍感すぎます。初めてここきたとき、『こんなにひどい状態なのになんで平気なんだろう』って思いましたもん。体は正直なんですから、もっと耳を傾けないとダメですよ」と言われました。
いや、私、体はいたわってるほうなんですけどね。でも、そういう意味じゃないみたい。
脳主導じゃなく、たまには体主導になってみなさいっていう意味なんだと思います。
うつかどうかの診断はドクターでないとできないですし、1回のカウンセリングでどうにかなるものではないと思いますが、とりあえず、初めてのカウンセリング体験はなかなか神秘的でした。
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
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