古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
カテゴリー「その他」の記事一覧
- 2025.04.19
[PR]
- 2007.08.30
引っ越しホラー
- 2007.08.11
新居での初笑い
- 2007.04.14
エイッエイッエイッ!
引っ越しホラー
………終わりました。引っ越し。
誰だよ、18日から一気に涼しくなるなんてガセネタ流したやつは
。
ええ、たしかに18日だけは涼しかったですよ。
でもそのあとは35度36度は当たり前!ってくらいの猛暑続き。
お陰様で、しっかり「真夏の引っ越し」の醍醐味を堪能させていただきました。
以下、今回の引っ越しで遭遇した「誤算」の数々をご報告いたします。
<誤算その1>
正直言って、私は今回の引っ越しを甘く見ていました。
実際、仮住まいの荷物は必要最小限のものしか持ってきていないので、荷造りは前回とは比較にならないくらい楽でした(台所はギリギリまで使ううえ、モノが増えやすいエリアなのでそれなりに大変でしたが)。
そのこともあり、私の脳内では「コレ(仮住まいの荷物)だけで半年間やってきたんだから、当座はコレだけあればやっていけるってことだよね。要するに、引っ越したらとりあえずはコレだけを開いて、保管分の荷物は無理せずあとでゆっくり開けばいいんだよ」という計画ができあがっていました。
が、それは所詮脳内のイメージでしかなかったのです。
今回の引っ越しは2日にわたって行われました。
まず、19日の午後に品川のマンションを引き払い、荷物を引っ越し会社に預かってもらう(その日はホテルに宿泊)。
翌朝一番でその荷物を杉並の新居に運んでもらい、その後、多摩のコンテナに預けてある荷物をとりにいき、運んでもらう。
と、このような段取りだったわけですが、例のごとく一連の作業はあっという間に終わってしまい、気がつけば各部屋に段ボールの山がうずたかく築かれていました。
そこではたと気づいたのです。
「仮住まいから持ってきた荷物は………どこ?
」
そうなんです。
考えてみりゃ当然なんですが、仮住まいの荷物→コンテナの荷物という順で運び込まれたため、先に運ばれた仮住まいの荷物は一番奥の一番下にいっちゃってるんですね。
つまり、重要な荷物はとりだしにくい位置に潜り込み、すぐに開けられる場所にはどうでもいい荷物ばかりが並んでいるわけ。
「しまった……仮住まい荷物とコンテナ荷物は違う場所に分けて積んでもらうんだった」と思ったときにはもう後の祭り。。。
その後の苦難は……ご想像にお任せします。
「あれは……このへんで見たはず。ほら、当たった!」という神経衰弱の世界が日夜繰り広げられたのは言うまでもありません。
さらに!
半年たってるんでなんとなくコンテナに何をどのくらい預けたのかを忘れかけてたんですが、あらためて運びこまれてみたらその量は想像を遙かに越える量で、気絶しそうになりました。
「あんた、誰?」っていう身に覚えのない荷物もいっぱいあって、「よしよし、よく無事で戻ってきたね」という慈しみの気持ちよりも、「ほんとにあんた、うちの出身か?」と言いたくなるようなどうでもいいものがいっぱい。
記憶では、半年前、1ヶ月間にわたり、死にたくなるほどいっぱいモノを捨てたはずなのに、なんでこういうことになってるんでしょう。
まさか、捨てたはずのものが荷物にまじって戻ってきているとか?(おお、この話、ホラーで使えそう…)
また前回、“引っ越しの達人”から「段ボールの番号と内容物の詳細は必ずノートに書き留めておくこと。あとで追跡調査するときに役立つので」とアドバイスされ、最初の頃はそれを守っていたのですが、最後に梱包助っ人業者が入ったあとはそんなことしてる余裕もなく、助っ人は助っ人で各自バラバラのやり方で表記していったので(一応、原則ルールを説明はしたんですが、7人も入るともはや完璧な指導は無理です)、あとから見ると「なんじゃこりゃ」な段ボールがいっぱいあって、これには困り果てましたね。
自分の荷物じゃないから、そして最終的にはなんとも名付けようのないファジーなものが残されるから、内容物の表記に苦慮したのはわかるんですよ。
わかるんだけど、「日用品」って書かれてもなあ……それ言うなら全部日用品なんですけど。
「虫メガネ他」とか書かれてても、「この段ボールには虫メガネよりも重要なものは入ってないのか?!」と言いたくなりますよね。
一番受けたのが、「火ばちのようなもの」という表記(笑)。
まだ開けてないんですが、何が出てくるのかすごい楽しみです。
誤算の「数々」と言いつつ、疲れたので一つ目で唐突に終わります。
長期間ネットから離れていたので、無理せず徐々にリハビリしていかないと。
2つ目以降の誤算はまた次の機会に!

誰だよ、18日から一気に涼しくなるなんてガセネタ流したやつは

ええ、たしかに18日だけは涼しかったですよ。
でもそのあとは35度36度は当たり前!ってくらいの猛暑続き。
お陰様で、しっかり「真夏の引っ越し」の醍醐味を堪能させていただきました。
以下、今回の引っ越しで遭遇した「誤算」の数々をご報告いたします。
<誤算その1>
正直言って、私は今回の引っ越しを甘く見ていました。
実際、仮住まいの荷物は必要最小限のものしか持ってきていないので、荷造りは前回とは比較にならないくらい楽でした(台所はギリギリまで使ううえ、モノが増えやすいエリアなのでそれなりに大変でしたが)。
そのこともあり、私の脳内では「コレ(仮住まいの荷物)だけで半年間やってきたんだから、当座はコレだけあればやっていけるってことだよね。要するに、引っ越したらとりあえずはコレだけを開いて、保管分の荷物は無理せずあとでゆっくり開けばいいんだよ」という計画ができあがっていました。
が、それは所詮脳内のイメージでしかなかったのです。
今回の引っ越しは2日にわたって行われました。
まず、19日の午後に品川のマンションを引き払い、荷物を引っ越し会社に預かってもらう(その日はホテルに宿泊)。
翌朝一番でその荷物を杉並の新居に運んでもらい、その後、多摩のコンテナに預けてある荷物をとりにいき、運んでもらう。
と、このような段取りだったわけですが、例のごとく一連の作業はあっという間に終わってしまい、気がつけば各部屋に段ボールの山がうずたかく築かれていました。
そこではたと気づいたのです。
「仮住まいから持ってきた荷物は………どこ?

そうなんです。
考えてみりゃ当然なんですが、仮住まいの荷物→コンテナの荷物という順で運び込まれたため、先に運ばれた仮住まいの荷物は一番奥の一番下にいっちゃってるんですね。
つまり、重要な荷物はとりだしにくい位置に潜り込み、すぐに開けられる場所にはどうでもいい荷物ばかりが並んでいるわけ。
「しまった……仮住まい荷物とコンテナ荷物は違う場所に分けて積んでもらうんだった」と思ったときにはもう後の祭り。。。
その後の苦難は……ご想像にお任せします。
「あれは……このへんで見たはず。ほら、当たった!」という神経衰弱の世界が日夜繰り広げられたのは言うまでもありません。
さらに!
半年たってるんでなんとなくコンテナに何をどのくらい預けたのかを忘れかけてたんですが、あらためて運びこまれてみたらその量は想像を遙かに越える量で、気絶しそうになりました。
「あんた、誰?」っていう身に覚えのない荷物もいっぱいあって、「よしよし、よく無事で戻ってきたね」という慈しみの気持ちよりも、「ほんとにあんた、うちの出身か?」と言いたくなるようなどうでもいいものがいっぱい。
記憶では、半年前、1ヶ月間にわたり、死にたくなるほどいっぱいモノを捨てたはずなのに、なんでこういうことになってるんでしょう。
まさか、捨てたはずのものが荷物にまじって戻ってきているとか?(おお、この話、ホラーで使えそう…)
また前回、“引っ越しの達人”から「段ボールの番号と内容物の詳細は必ずノートに書き留めておくこと。あとで追跡調査するときに役立つので」とアドバイスされ、最初の頃はそれを守っていたのですが、最後に梱包助っ人業者が入ったあとはそんなことしてる余裕もなく、助っ人は助っ人で各自バラバラのやり方で表記していったので(一応、原則ルールを説明はしたんですが、7人も入るともはや完璧な指導は無理です)、あとから見ると「なんじゃこりゃ」な段ボールがいっぱいあって、これには困り果てましたね。
自分の荷物じゃないから、そして最終的にはなんとも名付けようのないファジーなものが残されるから、内容物の表記に苦慮したのはわかるんですよ。
わかるんだけど、「日用品」って書かれてもなあ……それ言うなら全部日用品なんですけど。
「虫メガネ他」とか書かれてても、「この段ボールには虫メガネよりも重要なものは入ってないのか?!」と言いたくなりますよね。
一番受けたのが、「火ばちのようなもの」という表記(笑)。
まだ開けてないんですが、何が出てくるのかすごい楽しみです。

誤算の「数々」と言いつつ、疲れたので一つ目で唐突に終わります。
長期間ネットから離れていたので、無理せず徐々にリハビリしていかないと。
2つ目以降の誤算はまた次の機会に!
PR
新居での初笑い
電車の中吊り広告の「朝青龍、タミル夫人を殴りつけた!」という見出しが目に入った瞬間、脳内で「朝青龍、タミフルで大暴れ」という文章に変換され、「そうかー、朝青龍、問題行動はタミフル服用が原因だったんだ〜
」と納得してしまった私は相当暑さで頭がいかれています。
地鎮祭以降、家の建て替え話は頓挫していましたが、本日、無事に新居の引き渡しが行われました。
というと、みんなに「えー、もう“品川ライフ”終わりなの?」「もう戻るんだ、早いね〜」と言われるんですが、自分でも早いと思うので、他人はもっと「もう?」って感じでしょうね。
正直、最初の3ヶ月は比較的ゆっくり過ぎていったんですが、後半の3ヶ月、特に梅雨入りしてからの2ヶ月は本当にあっという間でした。
一葉会の準備に追われてたこともあるんでしょうが。
で、「引き渡し」の話ですが。
私も今回初めて知ったんですけど、「引き渡し」というのは業者から注文主に家の所有権が渡る記念日というか、そういう権利譲渡上の日付のことで、この日をもって注文主は自由に家に出入りし、自由にモノを運び入れ、自由に人を招き入れることができる(同時に業者は自由に出入りができない)ようになります。
「引き渡し前」に家に何かあればそれはすべて業者の責任になる代わりに、注文主も勝手に出入りはできないし、本1冊といえども家の中に置いてはいけない決まりになっています。
おもしろかったのは、その儀式というか、「引き渡し」の瞬間です。
なにをもって「引き渡し」の瞬間とするか……というと、それは「鍵」なんですね。
これまた私はアバウトに「鍵をもらって『これ以降これで自由に出入りしていいよ』と言われる」くらいに考えていたんですが、それでは今まで工事で出入りしていた業者も同じように自由に出入りできることになってしまいます。
それが「できないようになっていること」を証明するために、以下のような儀式が行われます。
まず、「コンストラクション・キー」といって、「工事中に出入りする際に業者が使っていた鍵」を渡され、それで玄関の鍵の開閉ができることを確認します。
次に「これからうちが使う正式な鍵」を渡され、それを差し込んで施錠できることを確認。このときに自動的に錠の仕組みが変化し、前の「コンストラクション・キー」は使えなくなります。
最後に「コンストラクション・キー」をもう一度差し込み、「使えなくなったこと」を確認して終了。
なるほど〜、こうなってるのか〜。と感心しました。
業者の人たちが帰って家族だけになった瞬間、初めて「自分たちの家なんだ〜」という実感がわきあがり、感無量に(今までは常に業者の人たちに見せてもらうという形だったので、なんとなくこっちのほうがお客みたいな気分でした)。
契約してから1年。
決して若くはないメンツで我ながらよくここまでやったと思います。
迷いに迷って決めた「あの素材」「その色」「このデザイン」のひとつひとつにまつわる思い出が走馬燈のように脳裏をかけめぐり……ってちょっと大げさですが。
今はまだ入れ物だけですが、これからどういうふうに住み、使っていくかで家も「人」のように成長し、「キャラクター」を備えていくんでしょうね。
ところで、新しい家といえば当然「最新の設備」が楽しみのひとつですよね。
築37年の家から移ってきた家族にとっては、なにもかもが「浦島状態」。
「なにこれ?」「なにこれ?」「なんなの、これは〜!!??」……という連続です。
中でも驚いたのがインターフォン。
訪ねてきた人の画像が写るのはまあ当然として、訪問者の顔が画像フォルダに記録されていくという機能にはびっくり。
電話と同じなんですが、「留守」というモードにしておくと、留守中に訪ねてきた人の顔が記録されて、誰が来たのかあとでまとめて確認できるようになってるんですよ。
最初はそれがよくわからなくて、「どうやって使うのかな、これ」みたいなノリでガチャガチャとボタンを押してたら、突然見知らぬおっさん(工事関係らしい)の画像がぬッと表示されて「え?……だだだだだれ、この人」と狼狽。
そうこうしているうちに、営業のGさん(女性)が「私、インターフォン通話のテストしてきますから、中で写るかどうか見ててください」と言って表に出ていき、通じることを確認。
ところが、戻ってきてボタンを押したら、そのGさんの静止画像がバッと表示され、Gさん「え、なんで私が写ってんの? いつ写ったの?」とかなりうろたえながら必死に「画像削除ボタン」を探してあわあわすることしきり。
さらにそのあと打ち合わせに訪ねてきたカーテン業者の女性の顔も知らない間に記録されていて……。
どうやらこれって、訪問客がインターフォンを押した瞬間にシャッターが切れるようになってるみたいなんです(留守設定にしたときのみ)。
でも、訪問客は、押した瞬間に自分の顔が撮影されてるなんて夢にも思っていないんで、どの人もひどく無防備な顔をしている(笑)。
そのうえ、今日はメチャメチャ暑かったんで、カーテン業者の女性にいたっては「あぢ〜!!!」とうめいている「速水いまいち」のような表情で写っていて、申し訳ないんですけど爆笑しました。
名誉のために削除しようとしたものの、削除画面にまでなかなかいきつかず、結局我が家のインターフォンにはいまだに「速水いまいち」が残存しています(笑)。
こんなこと書いちゃうと、皆さん遊びにきてくれなくなっちゃいそうですが、普段は解除できると思いますのでご安心を。
写真をとられるのがお好きな方は、事前にお申し出くだされば留守設定にしておきますので、見合い写真に使うなり、ブログに載せるなり好きに使ってください。

地鎮祭以降、家の建て替え話は頓挫していましたが、本日、無事に新居の引き渡しが行われました。
というと、みんなに「えー、もう“品川ライフ”終わりなの?」「もう戻るんだ、早いね〜」と言われるんですが、自分でも早いと思うので、他人はもっと「もう?」って感じでしょうね。
正直、最初の3ヶ月は比較的ゆっくり過ぎていったんですが、後半の3ヶ月、特に梅雨入りしてからの2ヶ月は本当にあっという間でした。
一葉会の準備に追われてたこともあるんでしょうが。
で、「引き渡し」の話ですが。
私も今回初めて知ったんですけど、「引き渡し」というのは業者から注文主に家の所有権が渡る記念日というか、そういう権利譲渡上の日付のことで、この日をもって注文主は自由に家に出入りし、自由にモノを運び入れ、自由に人を招き入れることができる(同時に業者は自由に出入りができない)ようになります。
「引き渡し前」に家に何かあればそれはすべて業者の責任になる代わりに、注文主も勝手に出入りはできないし、本1冊といえども家の中に置いてはいけない決まりになっています。
おもしろかったのは、その儀式というか、「引き渡し」の瞬間です。
なにをもって「引き渡し」の瞬間とするか……というと、それは「鍵」なんですね。
これまた私はアバウトに「鍵をもらって『これ以降これで自由に出入りしていいよ』と言われる」くらいに考えていたんですが、それでは今まで工事で出入りしていた業者も同じように自由に出入りできることになってしまいます。
それが「できないようになっていること」を証明するために、以下のような儀式が行われます。
まず、「コンストラクション・キー」といって、「工事中に出入りする際に業者が使っていた鍵」を渡され、それで玄関の鍵の開閉ができることを確認します。
次に「これからうちが使う正式な鍵」を渡され、それを差し込んで施錠できることを確認。このときに自動的に錠の仕組みが変化し、前の「コンストラクション・キー」は使えなくなります。
最後に「コンストラクション・キー」をもう一度差し込み、「使えなくなったこと」を確認して終了。
なるほど〜、こうなってるのか〜。と感心しました。
業者の人たちが帰って家族だけになった瞬間、初めて「自分たちの家なんだ〜」という実感がわきあがり、感無量に(今までは常に業者の人たちに見せてもらうという形だったので、なんとなくこっちのほうがお客みたいな気分でした)。
契約してから1年。
決して若くはないメンツで我ながらよくここまでやったと思います。
迷いに迷って決めた「あの素材」「その色」「このデザイン」のひとつひとつにまつわる思い出が走馬燈のように脳裏をかけめぐり……ってちょっと大げさですが。
今はまだ入れ物だけですが、これからどういうふうに住み、使っていくかで家も「人」のように成長し、「キャラクター」を備えていくんでしょうね。
ところで、新しい家といえば当然「最新の設備」が楽しみのひとつですよね。
築37年の家から移ってきた家族にとっては、なにもかもが「浦島状態」。
「なにこれ?」「なにこれ?」「なんなの、これは〜!!??」……という連続です。
中でも驚いたのがインターフォン。
訪ねてきた人の画像が写るのはまあ当然として、訪問者の顔が画像フォルダに記録されていくという機能にはびっくり。
電話と同じなんですが、「留守」というモードにしておくと、留守中に訪ねてきた人の顔が記録されて、誰が来たのかあとでまとめて確認できるようになってるんですよ。
最初はそれがよくわからなくて、「どうやって使うのかな、これ」みたいなノリでガチャガチャとボタンを押してたら、突然見知らぬおっさん(工事関係らしい)の画像がぬッと表示されて「え?……だだだだだれ、この人」と狼狽。
そうこうしているうちに、営業のGさん(女性)が「私、インターフォン通話のテストしてきますから、中で写るかどうか見ててください」と言って表に出ていき、通じることを確認。
ところが、戻ってきてボタンを押したら、そのGさんの静止画像がバッと表示され、Gさん「え、なんで私が写ってんの? いつ写ったの?」とかなりうろたえながら必死に「画像削除ボタン」を探してあわあわすることしきり。
さらにそのあと打ち合わせに訪ねてきたカーテン業者の女性の顔も知らない間に記録されていて……。
どうやらこれって、訪問客がインターフォンを押した瞬間にシャッターが切れるようになってるみたいなんです(留守設定にしたときのみ)。
でも、訪問客は、押した瞬間に自分の顔が撮影されてるなんて夢にも思っていないんで、どの人もひどく無防備な顔をしている(笑)。
そのうえ、今日はメチャメチャ暑かったんで、カーテン業者の女性にいたっては「あぢ〜!!!」とうめいている「速水いまいち」のような表情で写っていて、申し訳ないんですけど爆笑しました。
名誉のために削除しようとしたものの、削除画面にまでなかなかいきつかず、結局我が家のインターフォンにはいまだに「速水いまいち」が残存しています(笑)。
こんなこと書いちゃうと、皆さん遊びにきてくれなくなっちゃいそうですが、普段は解除できると思いますのでご安心を。
写真をとられるのがお好きな方は、事前にお申し出くだされば留守設定にしておきますので、見合い写真に使うなり、ブログに載せるなり好きに使ってください。
エイッエイッエイッ!
しばらく「家の建て替えネタ」が途切れたのでそちらに戻ります。
仮住まいへの引っ越しが終わり(2月23日)、解体工事に入ったところ(2月26日)で終わってたんですよね。
解体工事は3月7日に終了し、その後しばらくは敷地調査が行われました。
そして関東で桜の開花宣言が行われた翌日の春分の日(3月21日)、「地鎮祭」がとりおこなわれたので今日はその話を…。
「地鎮祭」とは、これから新しい家を建てるときに、その土地の神様に工事の安全を祈願する神道の儀式です。
と一般的には考えられていますが、じつはそれだけでなく、神道では「日本の土地は本来神様が所有しているもの」という考えがあるので、「この土地をお借りして家を建てさせていただきます」と神様にお願いする儀式という意味あいもあるらしいです。
まず最初に、この「地鎮祭」をいつにするかが大騒動でした。
というのも、例によって「風水」の問題があるからです。
風水ライターの友人によると、「家を新しく建てるときに、もっとも重要なのは地鎮祭の日とそこに住み始める日」とのこと。
それプラス「仮住まいへ引っ越す日」というのもあり、まあこれは上記の2つほど吉日にこだわることはないようなのですが、それでも「悪い日」は避けたいところ。
友人に出してもらった候補日を見ながら、ああでもない、こうでもないと議論した結果、2月23日に引っ越して、3月21日に地鎮祭というスケジュールに落ち着きました。
が、この3月21日、じつは「仏滅」だったんです。
一般的には、「吉日にこだわる」といえば「大安」とか「仏滅」とかいったいわゆる「六曜」を考慮しますよね。
それでいくと「地鎮祭を『仏滅』にやっていいのか?」と気にする人も出てくると思います。
ハウスメーカーの方からも「『仏滅』ですけどいいんですか?」と確認の電話がかかってきました。
そう言われると気になってしまうのが人情で、母も「わざわざ『仏滅』にしなくても…」と言い出しました。
でも、風水は「仏滅」とはまったく関係ないし、そもそも「六曜」ってどこから出てきたの?と調べてみると、もともとは「月火水木…」といった曜日の割り当てと同じ類のもので、それを吉凶や運勢と結びつけたのは後世のこじつけという説が有力。
「仏滅」とあっても仏教とは関係ないし、もちろん神道ともキリスト教とも関係ないという。要するに宗教的裏付けはないんですね。
まあ、民間信仰のひとつではあるんでしょうが。
となると、「地鎮祭」は神道の儀式なんだし、神道と関係ない「六曜」にこだわっても意味がないということになります。
そもそも、民間信仰としても「六曜」に今ひとつ説得力がないのは、「吉日」や「凶日」がすべての人にとって共通だということ。「吉日」も「凶日」も人によって異なるほうが自然だと思うんですけどね。
以上のような理由で、「べつに仏滅でもいいじゃん」という結論に落ち着き、21日に地鎮祭をとりおこなうことになったのでした。
3月中旬はずっと冬に逆戻りしたような寒さが続いていたのですが、この日はよく晴れていかにも春らしいうららかな陽気でした。
我が家を訪ねるのは、引越以来1ヶ月ぶりでしたが、家は跡形もなくなり、裏の倉庫だけがポツンと取り残されていました。
地鎮祭は午後1時からでしたが、12時半にはすでに宮司さんが祭場をセッティングし終えて、スタンバイしていました。
この日の出席者は、両親と私と弟、隣りに住んでいる伯父夫婦、ハウスメーカーの営業Gさん、設計士のIさん、そして現場監督のMさんの9名。
最初に、宮司さんより、さらしでできた白の陣羽織のようなものを着用するように言われました(「おみ衣」といって儀式のときに身につけるものだそうです)。
次に、式次第について一通りの説明があったあと、いよいよ式がスタート。
式は以下の要領で進みました。
1.修祓の儀(しゅばつのぎ)
宮司さんがお供え物と祭具、参列者を祓い浄めます。
バサッ……バサッ……。
2.降神の儀(こうじんのぎ)
土の神様(3人いらっしゃるそうです)を神籬(ひもろぎ=祭場中央にしつらえた神様のお降りになる場所)にお呼びします。
このとき、宮司さんが祭壇上にある酒の入った瓶子の蓋をはずし、それが神様ご降臨の合図となります。
3.献饌の儀(けんせんのぎ)
お呼びした神様に「米」「酒」「海の幸」「山の幸」などの供物を献上します。
この供物については施主が用意するように言われることもあるようですが、今回はすべて神社のほうで用意してくださいました(その他、ハウスメーカーさんから一升瓶が1本)。
4.祝詞奏上(のりとそうじょう)
宮司さんが工事の安全と立派な家が建つことを神様に祈願します。
結婚式や葬式でもいつも思うんですが、神道の祝詞って仏教のお経と違って妙にわかりやすいですよね。「このたび、×××(住所)の●●●(建て主)が▲▲▲(ハウスメーカー)に依頼して新しく家を建てますので、トラブルなくうまくいきますようにひとつよろしく」みたいなことを節をつけて奏上しているわけですが、式の厳かさと身近な固有名詞のミスマッチがなんともこそばゆいです。
5.四方祓の儀(しほうばらいのぎ)
さあ、このへんからいよいよ参加形式になってきます。
宮司さんが切麻(きりぬき)と呼ばれる紙吹雪のようなものを家の敷地にあたるエリア(ひもでマーキングしてある)の四隅に撒いて祓い浄め、そのあとをついていった参列者が、順番に御神酒を四隅に流します。
6.地鎮の儀(とこしずめのぎ)
これが地鎮祭の中でクライマックスとなるシーンです。
というか、地鎮祭=これというくらい有名なパフォーマンスでしょう。
敷地のちょうど中央あたりには、「忌砂(いみすな)」と呼ばれる小さな砂山があらかじめ作られています。これはそこの土地そのものを象徴するシンボルですが、ここに初めて鎌・鍬・鋤を入れるという儀式がこれです。
忌砂には草(榊?)が差し込まれていますが、まず最初に「草刈初(くさかりぞめ)」といって木製の儀式用「鎌」で草を刈り取る仕草をします。
これは通常設計者が行います。
次に「穿初(うがちぞめ)」といって、これまた儀式用の「鍬」で忌砂を崩していきます。
これは参列者が順番に行います。
最後に、施工者(今回は工事監督のMさんがやりました)が儀式用の「鋤」で崩した忌砂を平らにならしておしまい。
独特なのは、これらのパフォーマンスを行うときには、計3回「エイッ、エイッ、エイッ」と必ず声に出しながらやらなくてはいけないということ。
こーれーはーかなり恥ずかしいですよ。
いい大人がダミーの鍬ふりかざして「エイッ」って……。ほんとにそんなことするのか?
と思ってたら、トップバッターの設計者Iさんが登場。
さすがに地鎮祭慣れしている感じで、動きに無駄がありません。
Iさんは普段から物静かで落ち着いた方なので、「エイッ」なんて奇声を発するイメージがどうしても浮かばなかったのですが、直前までいつものように落ち着きはらっていたIさん、鎌を手にするや急に鋭い声で「エイッエイッエイッ」と叫び、また何事もなかったようにいつものIさんとなって戻ってきました。
ひー。やっぱり叫んでるよ〜。
キャラ変わってるし。
次に出ていった父はIさんのパフォーマンスに動揺したのか、鍬を入れる順番を間違えたうえ、「エイッ」の声も自信なさげ。
対照的に、次に登場した母は余裕たっぷり。ベルカント唱法で鍛えた発声で無駄に大音量の「エイッエイッエイッ」を披露。
宮司さんに「皆さんもお母さんみたいに元気よくお願いします」と言われて得意そうに戻ってきました。
最後に鋤入れをしたMさんも「鬼退治?」というくらいの大きな声で、結局この日神様に声が届いたのは、Iさん、Mさん、母の3人だけかも…。
7.鎮物埋納の儀(しずめものまいのうのぎ)
これも興味深いパフォーマンスでした。土地の神様にお供えするもの(中身は不明)を詰めた鎮物という小さな磁器の箱があるのですが、それを宮司さんが気合いもろとも忌砂の中に突き刺すんです。
安倍晴明みたいでかっこいい〜。
この箱は工事担当者に渡され、工事の際に中央に埋められるそうです。
8.玉串奉奠(たまぐしほうてん)
仏式の儀式で行う「お焼香」にあたるもの。
玉串とは、榊の小枝に紙垂(しで)をつけたもの。
一人ひとり宮司さんから玉串を渡され、それを二礼二拍手して神様にお供えするのですが、難しいのはこの玉串の向きです。
まず、玉串を渡されたとき、葉の部分が左手に、枝の部分が右手にきます。
これをお供えするときには枝の部分を神様に向けて置くのですが、玉串を右回転させて向きを変えるのが正しいやり方なんだそうです。
でもやってみるとわかるけど、左回転すれば45度で枝は神様のほうに向くんですよ。右回転させると45度プラス180度で225度回転させなきゃいけない。はっきりいって不自然な動きです。
慣れればなんてことないんでしょうけど、玉串奉奠なんて滅多にする機会ないし。この日も「右回り右回り」と念じながらも結局左回りで回転させてしまいました。
9.撤饌の儀(てっせんのぎ)
お供物を下げます。
10.昇神の儀(しょうしんのぎ)
神様にお帰りいただきます。
「降神の儀」と同様、瓶子の蓋を戻すのが神様がお帰りになった合図です。
これで一通りの儀式は終了です。
あとは神饌撤下(しんせんてっか)といって神様のお下がりを皆でいただきます。その場では瓶子に入った御神酒を一口ずついただきました。
その他のお供え物は、カボチャ、なす、キャベツ、ピーマン、大根など。これらはお持ち帰りできましたが、干ししいたけ、昆布などの乾き物は撤収。日持ちするものは使い回されるんだろうか。。。
さらに家内安全のお札も。これは本来は新居の屋根裏に据え付けるらしいですが、ツーバイフォーだと在来工法とはできあがりが違うので、普通に部屋の中に置いてくださいと言われました(南向きか東向きで)。
以上、地鎮祭レポートでした。
そうそう頻繁に立ち会えるイベントではないので、物珍しいことばかりで、かなり満喫してしまいました。
このあとすぐに基礎工事に入りましたが、4月末にはそれも終わるようです。
忙しくてなかなか見にいけないのですが(品川にきてからは西側にいく用事がめっきり減ってしまって…)、基礎工事が終わるあたりから「みどころ」も増えるようなので、今後はなるべく足を運びたいと思っています。
仮住まいへの引っ越しが終わり(2月23日)、解体工事に入ったところ(2月26日)で終わってたんですよね。
解体工事は3月7日に終了し、その後しばらくは敷地調査が行われました。
そして関東で桜の開花宣言が行われた翌日の春分の日(3月21日)、「地鎮祭」がとりおこなわれたので今日はその話を…。
「地鎮祭」とは、これから新しい家を建てるときに、その土地の神様に工事の安全を祈願する神道の儀式です。
と一般的には考えられていますが、じつはそれだけでなく、神道では「日本の土地は本来神様が所有しているもの」という考えがあるので、「この土地をお借りして家を建てさせていただきます」と神様にお願いする儀式という意味あいもあるらしいです。
まず最初に、この「地鎮祭」をいつにするかが大騒動でした。
というのも、例によって「風水」の問題があるからです。
風水ライターの友人によると、「家を新しく建てるときに、もっとも重要なのは地鎮祭の日とそこに住み始める日」とのこと。
それプラス「仮住まいへ引っ越す日」というのもあり、まあこれは上記の2つほど吉日にこだわることはないようなのですが、それでも「悪い日」は避けたいところ。
友人に出してもらった候補日を見ながら、ああでもない、こうでもないと議論した結果、2月23日に引っ越して、3月21日に地鎮祭というスケジュールに落ち着きました。
が、この3月21日、じつは「仏滅」だったんです。
一般的には、「吉日にこだわる」といえば「大安」とか「仏滅」とかいったいわゆる「六曜」を考慮しますよね。
それでいくと「地鎮祭を『仏滅』にやっていいのか?」と気にする人も出てくると思います。
ハウスメーカーの方からも「『仏滅』ですけどいいんですか?」と確認の電話がかかってきました。
そう言われると気になってしまうのが人情で、母も「わざわざ『仏滅』にしなくても…」と言い出しました。
でも、風水は「仏滅」とはまったく関係ないし、そもそも「六曜」ってどこから出てきたの?と調べてみると、もともとは「月火水木…」といった曜日の割り当てと同じ類のもので、それを吉凶や運勢と結びつけたのは後世のこじつけという説が有力。
「仏滅」とあっても仏教とは関係ないし、もちろん神道ともキリスト教とも関係ないという。要するに宗教的裏付けはないんですね。
まあ、民間信仰のひとつではあるんでしょうが。
となると、「地鎮祭」は神道の儀式なんだし、神道と関係ない「六曜」にこだわっても意味がないということになります。
そもそも、民間信仰としても「六曜」に今ひとつ説得力がないのは、「吉日」や「凶日」がすべての人にとって共通だということ。「吉日」も「凶日」も人によって異なるほうが自然だと思うんですけどね。
以上のような理由で、「べつに仏滅でもいいじゃん」という結論に落ち着き、21日に地鎮祭をとりおこなうことになったのでした。
3月中旬はずっと冬に逆戻りしたような寒さが続いていたのですが、この日はよく晴れていかにも春らしいうららかな陽気でした。
我が家を訪ねるのは、引越以来1ヶ月ぶりでしたが、家は跡形もなくなり、裏の倉庫だけがポツンと取り残されていました。
地鎮祭は午後1時からでしたが、12時半にはすでに宮司さんが祭場をセッティングし終えて、スタンバイしていました。
この日の出席者は、両親と私と弟、隣りに住んでいる伯父夫婦、ハウスメーカーの営業Gさん、設計士のIさん、そして現場監督のMさんの9名。
最初に、宮司さんより、さらしでできた白の陣羽織のようなものを着用するように言われました(「おみ衣」といって儀式のときに身につけるものだそうです)。
次に、式次第について一通りの説明があったあと、いよいよ式がスタート。
式は以下の要領で進みました。
1.修祓の儀(しゅばつのぎ)
宮司さんがお供え物と祭具、参列者を祓い浄めます。
バサッ……バサッ……。
2.降神の儀(こうじんのぎ)
土の神様(3人いらっしゃるそうです)を神籬(ひもろぎ=祭場中央にしつらえた神様のお降りになる場所)にお呼びします。
このとき、宮司さんが祭壇上にある酒の入った瓶子の蓋をはずし、それが神様ご降臨の合図となります。
3.献饌の儀(けんせんのぎ)
お呼びした神様に「米」「酒」「海の幸」「山の幸」などの供物を献上します。
この供物については施主が用意するように言われることもあるようですが、今回はすべて神社のほうで用意してくださいました(その他、ハウスメーカーさんから一升瓶が1本)。
4.祝詞奏上(のりとそうじょう)
宮司さんが工事の安全と立派な家が建つことを神様に祈願します。
結婚式や葬式でもいつも思うんですが、神道の祝詞って仏教のお経と違って妙にわかりやすいですよね。「このたび、×××(住所)の●●●(建て主)が▲▲▲(ハウスメーカー)に依頼して新しく家を建てますので、トラブルなくうまくいきますようにひとつよろしく」みたいなことを節をつけて奏上しているわけですが、式の厳かさと身近な固有名詞のミスマッチがなんともこそばゆいです。
5.四方祓の儀(しほうばらいのぎ)
さあ、このへんからいよいよ参加形式になってきます。
宮司さんが切麻(きりぬき)と呼ばれる紙吹雪のようなものを家の敷地にあたるエリア(ひもでマーキングしてある)の四隅に撒いて祓い浄め、そのあとをついていった参列者が、順番に御神酒を四隅に流します。
6.地鎮の儀(とこしずめのぎ)
これが地鎮祭の中でクライマックスとなるシーンです。
というか、地鎮祭=これというくらい有名なパフォーマンスでしょう。
敷地のちょうど中央あたりには、「忌砂(いみすな)」と呼ばれる小さな砂山があらかじめ作られています。これはそこの土地そのものを象徴するシンボルですが、ここに初めて鎌・鍬・鋤を入れるという儀式がこれです。
忌砂には草(榊?)が差し込まれていますが、まず最初に「草刈初(くさかりぞめ)」といって木製の儀式用「鎌」で草を刈り取る仕草をします。
これは通常設計者が行います。
次に「穿初(うがちぞめ)」といって、これまた儀式用の「鍬」で忌砂を崩していきます。
これは参列者が順番に行います。
最後に、施工者(今回は工事監督のMさんがやりました)が儀式用の「鋤」で崩した忌砂を平らにならしておしまい。
独特なのは、これらのパフォーマンスを行うときには、計3回「エイッ、エイッ、エイッ」と必ず声に出しながらやらなくてはいけないということ。
こーれーはーかなり恥ずかしいですよ。
いい大人がダミーの鍬ふりかざして「エイッ」って……。ほんとにそんなことするのか?
と思ってたら、トップバッターの設計者Iさんが登場。
さすがに地鎮祭慣れしている感じで、動きに無駄がありません。
Iさんは普段から物静かで落ち着いた方なので、「エイッ」なんて奇声を発するイメージがどうしても浮かばなかったのですが、直前までいつものように落ち着きはらっていたIさん、鎌を手にするや急に鋭い声で「エイッエイッエイッ」と叫び、また何事もなかったようにいつものIさんとなって戻ってきました。
ひー。やっぱり叫んでるよ〜。

次に出ていった父はIさんのパフォーマンスに動揺したのか、鍬を入れる順番を間違えたうえ、「エイッ」の声も自信なさげ。
対照的に、次に登場した母は余裕たっぷり。ベルカント唱法で鍛えた発声で無駄に大音量の「エイッエイッエイッ」を披露。
宮司さんに「皆さんもお母さんみたいに元気よくお願いします」と言われて得意そうに戻ってきました。
最後に鋤入れをしたMさんも「鬼退治?」というくらいの大きな声で、結局この日神様に声が届いたのは、Iさん、Mさん、母の3人だけかも…。
7.鎮物埋納の儀(しずめものまいのうのぎ)
これも興味深いパフォーマンスでした。土地の神様にお供えするもの(中身は不明)を詰めた鎮物という小さな磁器の箱があるのですが、それを宮司さんが気合いもろとも忌砂の中に突き刺すんです。
安倍晴明みたいでかっこいい〜。

この箱は工事担当者に渡され、工事の際に中央に埋められるそうです。
8.玉串奉奠(たまぐしほうてん)
仏式の儀式で行う「お焼香」にあたるもの。
玉串とは、榊の小枝に紙垂(しで)をつけたもの。
一人ひとり宮司さんから玉串を渡され、それを二礼二拍手して神様にお供えするのですが、難しいのはこの玉串の向きです。
まず、玉串を渡されたとき、葉の部分が左手に、枝の部分が右手にきます。
これをお供えするときには枝の部分を神様に向けて置くのですが、玉串を右回転させて向きを変えるのが正しいやり方なんだそうです。
でもやってみるとわかるけど、左回転すれば45度で枝は神様のほうに向くんですよ。右回転させると45度プラス180度で225度回転させなきゃいけない。はっきりいって不自然な動きです。
慣れればなんてことないんでしょうけど、玉串奉奠なんて滅多にする機会ないし。この日も「右回り右回り」と念じながらも結局左回りで回転させてしまいました。
9.撤饌の儀(てっせんのぎ)
お供物を下げます。
10.昇神の儀(しょうしんのぎ)
神様にお帰りいただきます。
「降神の儀」と同様、瓶子の蓋を戻すのが神様がお帰りになった合図です。
これで一通りの儀式は終了です。
あとは神饌撤下(しんせんてっか)といって神様のお下がりを皆でいただきます。その場では瓶子に入った御神酒を一口ずついただきました。

その他のお供え物は、カボチャ、なす、キャベツ、ピーマン、大根など。これらはお持ち帰りできましたが、干ししいたけ、昆布などの乾き物は撤収。日持ちするものは使い回されるんだろうか。。。
さらに家内安全のお札も。これは本来は新居の屋根裏に据え付けるらしいですが、ツーバイフォーだと在来工法とはできあがりが違うので、普通に部屋の中に置いてくださいと言われました(南向きか東向きで)。
以上、地鎮祭レポートでした。
そうそう頻繁に立ち会えるイベントではないので、物珍しいことばかりで、かなり満喫してしまいました。
このあとすぐに基礎工事に入りましたが、4月末にはそれも終わるようです。
忙しくてなかなか見にいけないのですが(品川にきてからは西側にいく用事がめっきり減ってしまって…)、基礎工事が終わるあたりから「みどころ」も増えるようなので、今後はなるべく足を運びたいと思っています。
カウンタ
カレンダー
プロフィール
最新記事
(02/28)
(11/19)
(08/28)
(07/23)
(02/03)
最新コメント
(04/23)
(08/29)
(08/28)
(08/28)
(07/24)
(07/24)
(07/24)
(07/24)
(05/27)
(05/26)
カテゴリー
著作
「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
最古記事
(01/01)
(01/01)
(01/02)
(01/03)
(01/05)