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古伊万里★新伊万里

劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です

カテゴリー「その他」の記事一覧

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……で、あんた、誰?

 すっかり春らしい日和ですね。
 私の部屋の出窓からはお隣の庭が見下ろせるのですが、今年はアンズの花がよく咲いています。
 嬉しい借景です。



 ところで。
 レミゼ貧乏さんのブログで紹介されてた「ラブレター占い」なるものをやってみました。
 自分の名前を入力すると、いろいろな有名人からのラブレターが届くという占いサイトです。
 「誰」から届くかは「入力する名前次第」なので、たとえば「伊万里」だったら「伊万里」「いまり」「イマリ」「imari」と表記を変えていけば、その都度違う人からのラブレターが届くというわけ。

 文型はある程度パターン化してるんですが、固有名詞の部分がそれらしいアイテムに入れ替わることによりバリエーションを出しているところがミソ。これがうまくはまるとおもしろい。
 ラブレターをもらいたい相手は、「アニメの登場人物」から「ジャニタレ」から「戦国武将」まで、いろいろなジャンルから選ぶことができます。

 てことで、私もやってみました。
 本名の「×××」、ペンネームの「伊万里」、中高時代の呼び名「りた」で適当にやってみましたが、特に印象に残ったものをご報告。
 まずは<ミュージカル俳優編>から。

> ×××ちゃんへ
> ずいぶん前のことになるけど、覚えてるかな?
> 3年前くらいに付き合っていた浦井健治です。
> すごく短い期間だったから俺の事を恋人だって思ってなかったかもしれないけど…
> 俺は、恋人だったと思ってたんだ。
> すれ違いばかりで連絡をとらなくなってたのだけど、どうしても×××ちゃんに
> 言いたい事があるから、手紙を書きました。
> ゴメン。まず謝らせて。
> あの頃は自分勝手で・・・わがままで・・・たくさん迷惑をかけちゃったな。
> 自分勝手すぎる理由で別れようと言ったり…。
> 少しだけど大人になった今、本当に後悔してるんだ。
> 本当にごめん。
> そして今の俺は×××ちゃんの事を、どんなに忘れようとしても、あきらめよう
> としても、できないんだ。
> 今頃になって、自分にとって×××ちゃんがどれだけ大きな存在だったのかに気
> づいちゃって・・・。
> 今も変わらず…いや、あの頃よりも×××ちゃんのことが大好きです。
> 今は内野聖陽と付き合ってるって、芝清道に聞いた。
> もし俺の事が重荷になるようだったら、すぐにこの手紙を捨てて欲しい。
> そして忘れて欲しい。
> でも、もし、少しでも可能性があるなら…
> 3月21日18時にシアタークリエで待ってる、ずっと待ってるから。
> 浦井健治より

 おいおい、シアタークリエで待ち合わせって目立ちすぎだろ(笑)。
 そうか。私、内野さんと不倫中なんだ。
 一路を敵にまわすのか。こわそうだ。
 でね、驚いたのは次に「りた」で入力したらこれ(↓)が出たの。

> りたちゃんへ
> えっと・・・実は昨日、浦井健治から相談があって、どうしても伝えて欲しいっ
>て内容 なんだけどさ・・・。
> 浦井健治、りたちゃんの事が好きなんだって。
> それを伝えてって頼まれちゃってさ・・・。
> 以前にみんなでキャッツシアターに遊びに行ったじゃん?
> その時にりたちゃんと一緒に遊んでて、好きになっちゃったって言ってたよ。
> りたちゃんは・・・、浦井健治の事好き?
> えっと、その、言いにくいんだけどさ、俺・・・、浦井健治は友達だし、付き合
> いも長いんだけどさ、俺もりたちゃんの事が好きなんだ!
> いや・・・浦井健治のことなんてどうでもいい。
> 俺、りたちゃんと一緒にいたい、もう好きで好きでたまらないんだ!
> 俺の事、軽蔑したかな、当然だよね。
> でも俺がりたちゃんを好きだって気持ちは誰にも負けない。
> 覚えてるかな?
> まだ二人とも小さかったとき、二人で親に内緒でチケット売場に行って、「ライ
> オンキング」のぬいぐるみを買ってお互いにプレゼントしあったこと。
> 今でも俺の宝物なんだ。
> 3月21日の18時にチケット売場で宝物を持って待ってる。
> ずっと待ってるから・・・。
> 岡幸二郎

 全然関係ない名前で入れたのに、浦井くん話つながってるし!
 岡さんに告白されたショックよりもこっちのほうがショックだったよ(笑)。
 浦井くんにはなんの興味もないけど、なんか暗示にかかってファンになりそうだ。
 あと、悲しいけど、私の小さい頃には「ライオンキング」はまだやってませんでした。。。(←ちょっとムッとしてる?)

 で、次は<新撰組編>。

> 伊万里ちゃんへ
> なんで伊万里ちゃんは、俺の事を好きになってくれないんだろう?
> なんで伊万里ちゃんは、藤堂平助のギャグで笑ってるのだろう?
> もうやめて欲しい・・・。
> もっと俺と話をして欲しい、俺の事を見てほしいんだ。
> 確かに俺は自分勝手、伊万里ちゃんの事をあまり考えてないかもしれない。
> でも、いつも俺は応援してるんだよ。
> 伊万里ちゃんの事を一番に考えてるんだよ。
> 伊万里ちゃんに俺は映ってる?
> 藤堂平助、井上源三郎ばかり見てないでもっと俺を見て欲しいんだ!
> ムリだったら言って欲しい。
> そうしてくれたら諦めることができるから。
> じゃないと、伊万里ちゃんの事ばかり考えて、伊万里ちゃんの事ばかり見つめ
> ちゃって・・・
> もっともっと好きになってしまうから。
> 俺が会津藩邸に行った時、伊万里ちゃんの事ばかり考えて何も手に付かないのを
> 知ってる?
> 今度会う時は少しでも話がしたい。
> お願いだ・・・
> 原田左之助を好きになってください。

 3行目がツボにはまりました。たしかに平助のギャグってつまらなそう。
 最初に名乗らないこのパターンって、最後に誰の名前が出てくるのかすごい期待が高まるんですよ。途中で「平助じゃないんだな」「源さんの線もなしね」って徐々に範囲が狭まっていくのがスリリング。
 正直、オチは「左之助か。。。」って感じでしたが(笑)。
 山南さんからほしかったなー。
 今度、レミゼ貧乏さん方式で、目当ての名前が出るまで違う名前を入れ続けてみようかな。

 ちょっと目先を変えてお次は<ベルばら編>。

> りたちゃんへ
> 急にこんな手紙なんか渡しちゃってビックリしたよな。
> 実は初めて会ったあの日からずっと伝えたい気持ちがあるから、勇気を振り絞って
> 書くな!
> 初めてりたちゃんと出会ったベルサイユ宮殿での事、まだ覚えてる?
> 大事にしてたはずの「ヌーベル・エロイーズ」をうっかり落としちゃって困ってる
>俺を 見かけて、一緒に探すの手伝ってくれて、すごく嬉しかったんだ。
> あの時はさ、緊張しちゃって素っ気ないお礼しか言えなかったけど、あの時から
> 俺、りたちゃんの事が気になっちゃって・・・。
> りたちゃんがアンドレの事が好きだって事はジェローデルから聞いてて知って
> るけど、俺の気持ちをどうしても伝えておきたくて・・・。
> こんな俺だけど・・・付き合って欲しい!
> 無理なお願いかもしんないけど、もっともっと頑張って魅力的になるから。
> 3月21日の18時に森の中で待ってるから返事を聞かせて欲しい。
> オルレアン公より

 これは「最後、誰の名前が出てくるんだ」ってすごいいろいろ考えながら読んだけど、まったくノーマーク(笑)の名前が出てきてびっくりでした。
 オルレアン公の愛読書が「ヌーベル・エロイーズ」だなんて初耳だし、王弟なのに「勇気を振り絞って書くな!」ってそんな気さくな口調で話しかけてくれるなんてすてきすぎます。
 「もっともっと魅力的になったオルレアン公」って見てみたいものですね。

 次は<大相撲力士編>です。

> ×××ちゃんへ
> えっと・・・実は昨日、栃乃和歌清隆から相談があって、どうしても伝えて欲し
> いって内容なんだけどさ・・・。
> 栃乃和歌清隆、×××ちゃんの事が好きなんだって。
> それを伝えてって頼まれちゃってさ・・・。
> 以前にみんなで両国駅前に遊びに行ったじゃん?
> その時に×××ちゃんと一緒に遊んでて、好きになっちゃったって言ってたよ。
> ×××ちゃんは・・・、栃乃和歌清隆の事好き?
> えっと、その、言いにくいんだけどさ、俺・・・、栃乃和歌清隆は友達だし、
> 付き合いも長いんだけどさ、俺も×××ちゃんの事が好きなんだ!
> いや・・・栃乃和歌清隆のことなんてどうでもいい。
> 俺、×××ちゃんと一緒にいたい、もう好きで好きでたまらないんだ!
> 俺の事、軽蔑したかな、当然だよね。
> でも俺が×××ちゃんを好きだって気持ちは誰にも負けない。
> 覚えてるかな?
> まだ二人とも小さかったとき、二人で親に内緒で井筒部屋に行って、大銀杏を
> 買ってお互いにプレゼントしあったこと。
> 今でも俺の宝物なんだ。
> 3月21日の18時に井筒部屋で宝物を持って待ってる。
> ずっと待ってるから・・・。
> 武蔵丸光洋

 えーと……この人は「大銀杏」のことをなんだと思ってるんでしょう。
 買ってプレゼントするってわけわかんないんですけど。
 まあしょうがないか。外人だし。ってそういう問題か!

> 最愛なる×××ちゃんへ
> 会いたい。
> 今日会ったばかりなのにもう一度×××ちゃんに会って伝えたいことがある
> んだ・・・。
> 俺は×××ちゃんのこと・・・・・・
> どうしても言えなかった言葉、今度はちゃんと伝えたいんだ。
> ×××ちゃんと一緒に行った井筒部屋
> ×××ちゃんと一緒に行った尾車部屋
> ×××ちゃんと一緒に行った伊勢ノ海部屋
> そして・・・
> ×××ちゃんと一緒に買ったさがり
> ×××ちゃんと一緒に買った満員御礼の垂れ幕
> ×××ちゃんと一緒に買った徳俵
> 手をつないで一緒に歩きたい。
> もう一度、×××ちゃんの温もりを感じたいんだ・・・。
> 俺の未来には×××ちゃんが必要なんだ。
> お願いだ、栃東大裕と別れて俺と付き合ってくれ。
> 豪風旭

 ……あんた、誰?

 さて、3月21日の18時は、シアタークリエとチケット売場と森の中と井筒部屋の中のどれに行ったらいいでしょうか(個人的には森の中でオルレアン公と会うのが一番刺激的な選択のように思います)。

 レミゼ貧乏さん、楽しませてくれてありがとう。
 皆さんもお試しあれ!

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メモリーズ・オブ・品川

 今年最後の投稿です。
 何を書こうかと迷いましたが、タイトルの通り、品川のことを書いてしめくくろうと思います。
 すでにブログ上でもご報告しております通り、2月から8月まで、半年間限定でしたが、「家の建て替えのための仮住まい」という形で品川でマンション暮らしをしました。
 引っ越しをするのも初めてなら、マンション暮らしをするのも初めて。ということで、品川生活が始まったらいろいろと近況報告をしようと思っていたのに、なんだかんだと慌ただしくて、結局そのままになってしまいました。
 これを逃すともう書く機会を逸してしまいそうなので、今年最後のこの日、2007年の最大トピックとして、品川生活の思い出を画像とともにふりかえってみようと思います。

 品川からこちらに戻ってはや4ヶ月たちますが、なんかすでに「懐かしいなー」という気分です(もちろん、その間、乗り換えを除き、一度も品川に降りたことはないです)。
 私が仮住まいしていたのは、港南口エリアにあるマンションの最上階(14階)です。
 ざっくり言うと、港南口っていうのは海側、ちょっと前までは運河と倉庫しかなかったところですが、ご存じの通り、最近は再開発されて高層マンションや高層オフィスビルがどんどん建つようになってきました。
 駅構内も、古くからある高輪口(プリンスホテルとかあるほう)と、港南口とではまったく趣が違って、高輪口から見る品川駅はなんとなくのんびりとしてのどかな感じに見えるのに、港南口から見る品川駅は「ここはニューヨークか?!」っていうくらいおしゃれで洗練された雰囲気です(ニューヨーク行ったことないけど)。

 最初のうちはこの品川駅の巨大さに圧倒され、探検しようと構内をウロウロしてたんですが、とにかくあまりにも人が多いので疲れてしまい、やがてべつのエリアに足が向くようになりました。そのエリアとは……「天王洲アイル」です。
 住んでたマンションは、品川から海方向に向かって15分ほど歩いた場所にあったんですが、天王洲アイルまでもちょうどそのくらいの距離だということにまもなく気づいた私たち家族は、天王洲の運河によくお散歩に行くようになりました。
 今年の夏はかなり暑かったけど、海沿いのせいか、マンションの周辺は都内の他の場所よりも幾分涼しかったような気がします。
 特に夕方からのお散歩はとっても気持ちいい!(ちなみに両親は天王洲がたいそう気に入ってよくお散歩してましたが、杉並に戻ったら「散歩してもつまらん」とすっかり出不精になってます)
 中でもよく行ったのがこの店。「T.Y.Harbor Brewery」です。

 


 よく行ったといっても、友だちが遊びに来たときに案内するという程度ですが。
 倉庫を改造して造ったというカリフォルニア料理のレストランで、名前の通りブルワリー(醸造所)を兼ねているので地ビールが飲めます。
 元倉庫なので天井が高くて、ウエィティングエリアではそれこそちょっとしたニューヨーク気分が味わえます。ニューヨーク行ったことないけど(くどい!)、でも外国人客も多くて多国籍な雰囲気です。
 そして……なんといってもお勧めなのは運河に面したオープンエアのテラス席!
 昼も気持ちいいし、夜は夜で雰囲気最高!
 特に土曜は運河を周遊する屋形船が「ディズニーランドのアトラクションの乗り物か?!」っていうくらい数珠つなぎに目の前を運行していき、風情もアップします(まあ、屋形船が登場する時点でニューヨーク気分はふっとんでしまうのですが)。
 お料理も、カリフォルニア料理なのでボリュームありますが、おいしいです(シーザーサラダははずせません)。品川滞在中、何人かの友人知人をお連れしましたが、いずれも好評でした。
 品川最後の夜も家族でこの店で「最後の晩餐」を楽しみました。
 まあ、べつにこの世の果てってわけじゃないですし、杉並に移ったからといって行けなくなるわけではないのですが、やっぱりなかなかわざわざは行かないエリアですね。
 かなりの人気店なので行かれるときは必ず予約をしたほうがいいです(テラスに座りたいのならよけいに)。特に夏の人気はすごいので、夏以外が穴場かな。
 この店自体、よくTVのお店紹介などに登場しますが、周辺もドラマのロケによく使われるようです。この時期、ドラマを見ていて何度「あれ、この橋ってあそこじゃん!」という場面を目撃したことか…。

 思い出の2番目は「お台場」。
 ブログでも紹介しましたが、こっちに来るまで「お台場」って行ったことなかったし、それほど興味もなかったんですが、これまた思った以上にマンションから近かったので、「夕方に思い立って夕日を見にお台場へGO!」なんて贅沢なこともできました。
 で、初めて知ったんですが、お台場ってもっぱら混んでるのは昼間なんですね。
 夜になると「え?」っていうくらい人が少なくなってびっくり。
 下(↓)の夜景は、フジテレビの中にある中華屋さんから撮ったもの。
 客が………見渡す限り誰もいなくて、こんな夜景を独り占めでした。
 特にバカ高いわけじゃないんですけどね(さすがに個室と花火シーズンはぼられるようですが)。



 ちなみに、うちのマンションのリビングから乗り出すとかろうじてフジテレビの本社ビルが見えました。



 思い出の3番目は「花火」。
 ちょうど品川をひきあげる10日前くらいに「東京湾華火大会」があったのですが、幸運にもマンションから鑑賞することができました。
 うちの部屋は駅側だったので、海はほとんど見えなかったのですが、レインボーブリッジが正面にでかでかと見える部屋があって、そこから見させてもらいました。
 いやー、すごかった。ほんとVIP席でしたよ。こんな状況で花火見られるなんて経験、あとにも先にもないだろうな。
 しかし、この景色で反対側と家賃同じはないよね〜。



 思い出の4番目は、「マンションからの夜景」。
 なんか「夜」がらみの思い出ばかりですが(笑)、やっぱりマンションといえば夜景です。
 一戸建てに住んでいたときに比べて、空が見える割合が大きいので、天候の変化なども刻一刻と変わっていくのがわかって楽しかったですね。
 あと、高層だと外から見られる心配がないので、けっこう開放的でした。
 夜、電気を消してジャズをかけると雰囲気満点。これまた、杉並に戻ってからはパッタリ聴かなくなりました。電気を消したら寝るだけって感じで(笑)。

 


 以下は、私の部屋から見えた景色。
 部屋の広さは今の半分以下しかなかったけど、夜景はほんとにきれいでした(何度トライしても夜景はうまく撮れませんでしたが)。



 


 番外は品川駅構内で売っている「ずんだ生クリーム大福」。
 品川駅構内にはあらゆる種類のスウィーツが山ほど売られていて、非常に危険なゾーン(笑)だったのですが、私のお気に入りはこれ。



 ずんだは仙台の名産で、枝豆をすりつぶした餡。「ずんだ餅」が有名ですが、これはずんだを生クリームで包んだちょっと洋風風味の大福です。
 ずんだの成分は枝豆なので、ほんとは夏季限定の食べ物なのですが、最近は冷凍できるためか、この店も1年中売ってます。

 以上、品川の思い出の数々でした。
 なんか今思うと、「非日常」だったな、品川。
 長期休暇をとってリゾートマンションで生活してきた気分。荷物も少なくて身軽だったし。
 外食が多いのも、まわりを探索してまわるのも、リゾート気分だから自然にできたんで、杉並に戻ったら急にひきこもりっぽくなりました。ひきこもりが本来の現実ってことか。
 ともあれ、半年くらいだと物珍しさが勝ったまま終われるんで(多少不便なことがあっても)いい思い出しか残らないのかもしれないなー。

 新居で迎える初めての年末年始。
 これでようやく家の解体から始まった一連の行程が幕を閉じたような気がします。
 嵐のように大変な1年だったけど、なんとか無事に終わりました。
 皆様、どうぞ良いお年を!

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あのとき、私は若かった

 私が通っていた高校(中高一貫の非ミッション系の私立女子校)は、イベントに対して異様に執念を燃やすことで有名な学校です。
 特に年2回の最大イベント、「春の体育祭」と「秋の文化祭」にはまるまる1年分の精力を注ぎ、その直前は授業どこじゃないっていうくらい盛り上がり、終わったら終わったで燃え尽きちゃってやっぱり授業どこじゃないっていうふざけた生徒たちでした。 
 ……という話は、今までにも折りに触れてしてきたと思います。
 そのうち、「秋の文化祭」については、2006年10月2日の記事「衝撃の『レミゼ』文化祭公演」にたっぷり書きましたが、今日は「春の体育祭」について書こうと思います。

 うちの体育祭の大きな特徴──それは「学年対抗」というところにあります。
 最近は、みんなが手をつないで一斉にゴールするとか、順位は決めないとか、運動会でも「平等」を要求する変な風潮がありますが、その発想で言えばうちの体育祭は不平等きわまりないものです。
 だって、中1なんてつい2ヶ月前までは小学生だったんですよ。高3は来年には大学に入る年齢ですよ。勝負にならなくて当然でしょう。
 実際、集団で並んでるのを見ても、「大人」と「子供」くらいの体格差があります。
 「平等にするなら中1〜高3までの混合チームをつくって対抗させるべきじゃないの?」
 「これじゃ高3が必ず優勝して当たり前じゃない」
 と思いますよね。

 ところが、実際にやってみるとこれがそうでもないんですよ。
 まあ中1がビリなのはまず動かないにしても、その上は順位の入れ替わりがけっこうありますし、高1くらいになると上級生を抜いて優勝した学年も過去の歴史にはあります。
 身が軽いほうが有利な種目、持久力が要求される種目、経験とキャリアがものをいう種目、団結力が必要な種目…といろいろありますからね。体格がよければすべていけるってほど甘くはない。
 ちょうど相撲が体重別じゃないからおもしろいように、学年対抗戦ももまさかという逆転劇を生み出すおもしろさがあります。
 特に高2と高3の差は拮抗しており、逆転されることもしばしば。ひとつ下の学年が強豪だったりすると、結局一度も優勝できないまま卒業していかねばならない悲運の学年もでてきますが、そのトラウマは外部の人の想像をはるかに超えたものです。

 「そんな……たかが体育祭で優勝できなかったくらいで大げさな」
 と思いますよね?
 でも大げさじゃなく、「体育祭で優勝した」という事実は、その後の人生の困難を乗り越えるための支えになるくらいの重みがあるので、優勝経験がある学年は何十年たって集まってもその共通体験を反芻しては再び生きるパワーをもらえるし、優勝できなかった学年は、同窓会で集まっても「体育祭の話」はNGワードというくらい微妙な思いを抱えていくことになります(先生も、卒業生に会うときは「優勝した学年かどうか気を使って話す」と言ってました)。
 
 で、私たちの学年はどうだったのかというと……「高3で優勝しました」。
 そこだけ見ると「よかったね」という話なんですが、ここへくるまでは平坦な道のりではありませんでした。
 というのも、私たちは「万年5位」という不名誉な称号を与えられていた伝説の学年だったからです。
 まず、中1のときの成績は「6位」
 これはまあ誰もが通る道のりだったんで誰も傷つきませんでした。
 そして翌年の中2では「5位」
 これまた順当な順位なので、「このまま来年は4位、次は3位とのぼっていくんだろうなー」と漠然と思っていました。
 ところが、中3の順位は……やっぱり「5位」
 そう。ひとつ下の中2に抜かされちゃったのです。
 「あちゃー、参ったね、こりゃどうも」
 という感じでしたが、元来、よく言えば「のびのび」、悪く言えば「お気楽体質」だったうちの学年は、まだそれほどの危機感を感じていませんでした。
 が、高1で「5位」になったときはさすがに顔面蒼白になりました。
 いくらなんでも中2にまで負けるって……そりゃあないだろう。そんな学年、聞いたことないよ。

 こうなると、下の学年からもなめられるようになってきます。
 「あの学年は恐るるに足らず」と陰でみんなに言われているような気がしました(というか、実際に言われてました)。
 「年功序列なんて通じないんだ。勝つためには人よりも努力しなければいけないんだ」
 そんな当たり前のことに気づき、本気で努力し始めたのがこの年からでした。それまでだって決して努力していなかったわけではないのですが、それではまだまだ足りなかったということです。
 悔し泣きに暮れた苦い体育祭が終わり、その翌日から私たちは来年のリベンジに向けて具体的に動き始めました。その詳細については語りませんが、かなりシステマチックに計画をたてて、研究を重ね、練習を積んできました。
 その甲斐あって、高2では念願の「2位」を獲得。
 とにかく「学年相当の順位」を得ることがその年の目標だったので、このときは優勝した高3を心から祝福し、2位という成績に満足して終わりました。
 ここまできたら残る目標は「優勝して卒業する」──これしかありません。
 卒業するまでに優勝できるのはワンチャンス。泣いても笑っても次回だけです。
 下の学年は強豪揃いだったし、「優勝」はさらに高いハードルでしたが、結果的にはなんとか達成することができました。

 もうひとつ、うちの体育祭の呼びものに「応援合戦」がありました。
 これは昼休憩のあと、午後の部に入る前にやはり学年対抗で行うもので、まあ一言でいうとマスゲームみたいなものですが、このレベルはかなり高いです。
 中1は入ったばかりで何もわからないので、先生が内容を考え、教えられた通りにやるだけですが、中2以降はすべて自分たちで考え、1年かけて練習を繰り返していきます。
 私たちの時代でもこの時間帯はすごい数のギャラリーで溢れかえってましたが、今はさらに人気がヒートアップしているようで、5年前に見に行ったときは、空間という空間がすべてギャラリーで埋め尽くされていて、そのボルテージの高さに驚きました(父兄は早朝、生徒より早く学校へ行って、開門と同時に席取り争奪戦を始めるらしいです)。

 ここでさらにうちの特徴をいうと、入学と同時に「学年色」が与えられること。
 私たちは「紫」でしたが、その学年色は卒業するまでずっと私たちのもので、卒業するとその色は中1にまわります。
 たとえば、私たちが中1のとき、中2は白、中3は青、高1は赤、高2は黄、高3は緑でしたが、次の年は中1が緑になり、あとは繰り上がるという次第。
 おかしなもので、同じ色の学年にはわけもなく親近感がわくという現象があって(同じ学年色の学年と同じ時期に在学することはないわけですが)、卒業してもOGに会うと「何年卒業か?」よりもまず「何色?」と聞かれ、同じ色だと年齢に関係なく妙な同志愛を感じたりします。
 また、「紫のひとつ下は緑で、その下は黄色」というふうに、みんな色の並びが体にしみついているので、「何年卒業」と数字で言われるよりも「黄色」と言われたほうが「ああ、2コ下ね」とすぐにピンとくるという便利さもあります。

 この「学年色」はいわば学年のCIみたいなもので、いたるところで利用されますが(同期会の名称は学年色にちなむものにするとか、体育祭の応援にくる父兄や先生は必ず学年色を身につけるとか)、これがもっとも色濃く発揮されるのが体育祭の応援合戦です。
 忘れもしない中1の体育祭のとき。
 高3は緑の学年でした。
 その応援内容は、木の芽が生まれ、育ち、やがて大きな樹木になって実をつけるまでの過程をパネルの展開で表現したもので、幼心にそのスケールの大きさと迫力に驚嘆し、「高3ってすごい人たちなんだ」とボーッとしたのを覚えています。
 それ以来、「高3はどの学年よりも圧倒的にすばらしい応援をするもの」という刷り込みができあがり、それはそのまま、自分たちが高3になったときの応援への意気込みにつながっていきました。

 高3のとき、私たちは「今までにどこもやったことがない独創的なものをやろう」という構想のもと、「ケチャ」をとりいれた応援を計画しました。
 「パネル」や「ポンポン」を使った「視覚効果」に訴える応援はすでに散々出つくしていましたが、「声」を中心にした応援はまだないのではないか?と思ったからです。
 「ケチャ」は、今でこそ観光客向けのパフォーマンスとしてすっかり有名になってしまいましたが、当時そんなものを知っている人はほとんどいなかったと思います。
 そんなマイナーなものに目をつけ、応援用にアレンジした企画委員・執行委員の眼力と実行力には心底敬服します。

 当日の反響は今でもはっきり覚えています。
 当然ながら、自分たちが今どう見えているのか、やっている本人たちにはわかりません。
 だから、練習の間はいまいちどこがどうすごいのかよくわからないままやっているのですが(チェックできるのは前に出ている応援団の人だけ)、本番では山場になるとギャラリーからいっせいに「おおっ」という大きなどよめきが響いてきて、そのとき初めて「ああ、すごいことやってるんだ」という手応えを得て、快感と日差しの強さに頭がクラクラしたものです。
 「この応援を見て、中1の子たちはあの頃の私みたいに『すごいな』『あんなふうになりたいな』って思ってくれてるのかな…」
 緑の応援に度肝を抜かれたあのときが体育祭への「入学」の瞬間だとすれば、このときが「卒業」の瞬間だったのかもしれません。
 1年かけてつくりあげてきた応援はたった数分間で終わってしまいますが、その充実感は何十年たっても色あせることなく残っています。

 前振りがすごく長くなりましたが、本題はここから(ええかげんにせえ!とつっこまれそうですが)。
 さる12月1日のこと。
 母校でM先生の校長就任祝いが催されました。
 M先生は、中1から高3まで私たちの学年の担任を受け持っていた先生だったので、プチ同期会を兼ねた祝賀会が行われたのです。
 出席者は日頃M先生に連絡をとっている紫の仲間66名。
 正式な同期会ではないので、学年全部(360名余)に連絡したわけじゃないのですが、個人的な呼びかけだけでここまで集まるというのもすごい出席率です。

 で、当日のお楽しみとして、高3のときの体育祭フィルム上映会が行われました。
 DVDにおこしたものの、画質はかなり粗い状態。
 それでもみんなすさまじい盛り上がりで、紫の同級生が画面に映るたびに大騒ぎ。“27年前の■■ちゃん”が走り高跳びをクリアすればその場にいるかのように大喝采だし、“27年前の△△ちゃん”がリレーで独走すれば本気で拍手するし、先生は画面を見ながら「えー、このときはこのような陣形が主流でしたが、今の傾向は……」などとウンチク解説を加えるし、先生に限らず何か言いたい人はマイクを奪いあいながら「ああだった」「こうだった」と解説合戦になるし、「なんなんだ、このオリンピックのような盛り上がりは…」と大受けでした。

 そんな大騒ぎも、応援合戦のときばかりはやんで静かになりました。
 自分たちの応援をフィルムやビデオで見たのはこのときが初めてではありませんでしたが、久しぶりに見た応援は、近いようでなんだかとても遠いものに感じました。
 そうか。このときは自分たちの姿を見ることができなかったけど、今は見ることしかできないんだな……。
 そう思ったら、急にじわっと涙があふれ出てきました。
 似たようなシチュエーションのドラマを書いたことがあるけど、「ああ、ほんとにこういうときって涙が出るもんなんだ」と思いましたね。

 「すごい。すごいよ。あんたたちは……」
 中1のときに高3の応援を見たときとは違う意味で素直にそう思いました。
 決定的に違うのは、中1のときはこれを目指そうと思ったこと、今はここから離れていく自分を実感したことです。
 で、わかったのは「今」は自分には見えないってこと。「過去」や「未来」から眺めることはできても、「今」から「今」は見えない。
 そのすばらしさもその瞬間には本当の意味では理解できない。
 なんて残酷なんだろう。
 今はすでにこんなにいろいろなものを失っているのに。

 泣けたのはそれが一番の理由です。
 でも「うらやましい」「戻りたい」とは思いません。
 だって戻ってもやっぱりそのときの価値はそのときの自分にはわからないだろうから。
 「今」が見えないのが宿命なら、いつを生きても同じこと。
 だったら、どんなにつらくても、苦しくても、見えない部分にこそ希望と可能性があると信じたいです。
 暗闇の中、他の人がどんな思いでこの映像を見たのかわからないけど、きっとそれぞれの思いがあったんじゃないでしょうか。
 
 今回はシリアスになってしまいましたが(ブログはなるべく軽い話を書きたいんだけど)、ま、たまにはいいよね。人間だもの(←まだやってんのか←ほんとは好きなんじゃねえの)。

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プロフィール

HN:
伊万里
性別:
女性
職業:
劇作家・ライター
趣味:
旅行 骨董 庭仕事

著作



「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」

Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!

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