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古伊万里★新伊万里

劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です

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母が夢に出てきた日

 またまた長らくのご無沙汰でした。
 このブログに来られる方は、もうすでにほとんどの方がご存知かと思いますが、11月に母が亡くなりました。
 11月、12月は本当に毎日が悪夢のようで、「なにこれ」「これがほんとに現実?」「こんなことってほんとにあるの?!」という崖っぷちの日々でした。
 今まで生きてきて、かなりいろいろなことがあったけど、今回は最大級でした。
 ずっと生きた心地がしなかったし、今もまだ半分は夢の中にいる感じです。

 広い野原に一本道があって、私はずっとその道を歩いていました。
 それが突然、道だけ残って野原が消えちゃったんです。
 道はそのままなんだけど、あとは断崖絶壁になってしまった。
 そんな気分です。
 下を見るとクラクラしそうなので、足下だけを見てようやく歩いてる状態なんですが、もしかしたら最初からここは断崖絶壁で、今までは野原のビジョンが幻のように見えていただけだったのかも。
 いや、断崖のほうが幻なのか。それとも両方幻で道だけが本物なのか?

 親しい身内が亡くなった人の話を聞くと、「すぐには夢に出てこない」といいます。
 出てくるまでの期間はまちまちですが、出てくるようになると一段階立ち直れるともいいます。
 たしかに祖父母が亡くなったとき、私は比較的すぐに、それも頻繁に夢に出てきたのに対し、母は「いつまでたっても出てこない」と言っていました。
 それだけダメージの強さに差があったのでしょう。
 ある人は「3週間たってようやく亡くなった父が夢の中に出てきた。父は一生懸命私の背中を押していた。前を向かなきゃいけないってことなんだと思った」といっていました。
 そうか。
 そうやって亡くなった家族は夢でメッセージを送ってくれるのか、と思い、私も夢に母が出てくる日を待ち続けました。

 最初の1ヶ月はまったく出てこなかったのですが、1ヶ月すぎたところで初めてはっきりと母が夢に登場しました。
 でもそれは元気な母ではありませんでした。
 内容ははっきり憶えていないのですが、出てきたのは入院中の母で、「治療のために首を切り落さなければいけない」という問題について本人と話をしていました。
 「そうか。首を切るのか。あとでつなげばいいんだろうけどそれは大変だな。どうしよう。でも治療するしかないよね」みたいなことを話していたような気がします。
 初めて出てきた夢が「首切り」って……。

 その2日後くらい(つい昨日くらいですが)にまた出てきましたが、やっぱり入院中の母でした。
 入院中の母のことはできれば忘れてしまいたい記憶なんですが、どうして夢にまで出てくるんでしょうか。
 元気なときの姿で出てきてもらうわけにはいかないんでしょうか。
 でも、元気な姿を見て、目が覚めて現実を再び受け入れるのも精神的にきつい気が…。

 そうこうしているうちに今年も終わりです。
 葬儀後の後処理は年を越して続くので、節目を感じる余裕もないのですが、やっぱり母が夢に出てきた日が私にとっての節目であり、年越しなのかな…。
 時間がすぎていくのが残酷に感じられます。
 喪失感を癒してくれるのが「時間」だとわかっていても。

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交通事故に遭いました

 長らくのご無沙汰でした。
 このブログに来られる方は、もうすでにほとんどの方が「ご無沙汰」の理由をご存知かと思いますが、7月に「乳がん」を告知されました。

 このことについては、私自身過去にいろいろな病歴があって、普通の「乳がん患者」と同じように治療ができないという事情があるので、別ブログを別HNでたちあげ、そちらで詳細に経過をアップしています。
 その結果、自然にこちらでの更新が滞るようになってしまいました。この3ヶ月というもの、来る日も来る日も病気にエネルギーを注ぐ毎日だったので。
 もちろん、お芝居もとんとご無沙汰です。

 今日は、久々に病気以外のネタがあったのでこちらで書きます。
 といっても決して明るいネタではないんですが。

 病気はかなりの経歴をもっている私ですが、事故や怪我についてはあまり経験がありませんでした。
 が、昨日、40代後半にして、ついに出会いました。

 自転車事故。

 その昔、私の母も祖母もこれで大けがを負ったので、自転車事故のこわさはよく知っていました。
 車道も歩道もコウモリのようにすり抜けて行く(車側にも歩行者側にも入れる)自転車は、動きが読めないだけに非常に危険です。
 が、夕べ遭った事故はそんな次元を超えていました。

 時刻は夜の11時半。
 私は帰宅途上で、「あと5分足らずで家に到着」という川沿いの道を歩いていました。
 川沿いの道は灯りが少なく、人通りも少ない。
 今考えるとなぜ昨日に限ってそんな道を歩いていたのかわかりません。
 いつもなら、明るい時刻は川沿いの道、夜遅くなったら大通り沿いの道、というように分けて進路をとっていました。
 なのに、昨日は気がついたら川沿いの道を進んでいたのです。
 母の事故のときもそうですが、事故に遭うときって「魔が差す」っていうか、なんか無意識にいつもと違うことをしていることが多いんですよね。

 私は道の端を歩いていたんですが、突然、ほんとに「え?!」というほど突然、自転車が真っ正面から猛スピードで激突してきました。
 薄暗闇で、無灯火なので、直前まで気配がなく、まったくの不意打ちでした。
 私は身体ごと吹っ飛び、後ろのアパートの壁に思いっきり後頭部を打ち付けました。
 ただ、不幸中の幸いだったのは、壁際に何台か自転車が駐輪していたので、自転車の中につっこむ形になり、壁に直接激突という形ではなかったということです。

 私はなにが起こったのか理解できず、しばらくは混乱状態でした。
 自転車に乗っていたのは大学生くらいの若い男で(でも暗くて顔がよく見えない)、自転車からおりて私のそばで「大丈夫ですか」「大丈夫ですか」と何百回も繰り返し続けました。
 咄嗟に感じたのは「この人、飲んでるな」ってことでした。
 かすかに酒臭いし、行動や言動がどことなく緩慢な感じでした。
 一生懸命身体を起こそうとするんですが、その人の身体もあまりしっかりしていない感じで、「気持ち悪い。近づくな。触るな」ともがきましたが、自力で立ち上がるのも簡単にはできない状態で、混乱のあまり過呼吸になってきました。
 若い男はますます動転して「大丈夫ですか」を繰り返し、私のほうもどうしていいかわからず、完全に思考がストップしてしまいました。

 これまた「この日に限って」人通りがいつもにも増して少なく、一回ビジネスマン風の人が通ったんですが、あっという間に通り過ぎてしまいました。
 こういうとき、普通なら加害者が救急車を呼ぶとかするんでしょうが、その男はただオロオロと「大丈夫ですか」という言葉をオウムのように繰り返すだけでなにもアクションを起こそうとしない。
 大声をあげる余裕もなかったし、他人に助けを呼ぶ余裕もない。
 携帯で家族や警察に電話する事も考えたけど、家族は(これまたよりによって)滅多にない不在だったし、どちらにしろすぐにかけつけることはできないだろうと思いました。
 昼間で、まわりに人通りもあって、という状況ならいくらでも選択肢はあったと思うのですが、薄暗くて、人がいなくて、自分は動けなくて、目の前には酔っぱらっているらしい若い男がいて…という状況は、はっきり言ってかなりの恐怖でした。

 とにかく人のいるところに一刻も早く移動したくて、私は必死に立ち上がりました。
 立ってみたら、痛いのはぶつけられた左膝だけで、頭はなんとかしっかりしているようでした。
 できればあと少しで自宅なので家に帰りたかったけど、さすがに興奮のあまり普通に歩くことができませんでした。
  男はいよいよオロオロしながら「家まで送りますけど」と言うので、「けっこうです。それより連絡先を教えてください」とフラフラしながらやっとの思いで言ったのですが、「え…れん…らく先って…えと…いや、そんなちゃんとしたものはなくて…」とボソボソ言いながら狼狽している。

 男をあらためて見ると、こんなに涼しいのに薄っぺらいTシャツ1枚で、いかにも貧しそうな風情(人の事は言えないけど)。
 「これは連絡先をきいたところで、治療費はおろか、タクシー代も出せそうにないな」
 打ち付けられた頭でぼんやりと考えていたら、今度は「病院、行きますか? 近くにあるけど」と言ってきました。
 ここでまたフラフラしながら考えました。
 「近くの病院ってK病院のことか。普通の状態だったらなんてことない距離だけど、この状態であそこまで歩けるだろうか。頭打ってるから一応検査したほうがいいんだろうけど、でもあの病院、脳外科ないんだよな…」
 混乱してるんだけど、妙に細かいことばかり頭に浮かんでくるのが不思議でした。

 迷った末、私は一番近くにある交番(歩いて数分)まで行きたいと言いました。
 交番にさえたどりつけば、なんとかしてくれる…。
 とにかく頼れる人がいて、灯りのあるところに早く行きたかったのです。
 男は、「わかりました。交番でもどこでも行きますよ」と言い、自分の自転車を川沿いに停めると、私と一緒に交番にむかって歩き始めました。
 途中、「荷物、持ちますから」と重いリュックも持ってくれました。
 そのままひったくられたら…ということも考えなかったわけではないですが、そのときは本当に「できることはなんでもしますから」という姿勢が伝わってきたので、黙って預けました。

 ところがです。
 暗闇に交番の灯りが浮かび上がり、あと数十メートルというところまできたとき、突然男がピタッと歩みをとめて、私の行く手を遮るように前にまわりこみ、私の顔を見て「怪我、してますか? どこか腫れてたりしますか?」と言ったのです。
 「なに言ってるんですか。どういう意味ですか。頭打ってるんですよ」と言いながら前へ進もうとすると、さらにそれを阻みながら「いや、してないですよね。どこも腫れたりしてないですよね。怪我してないじゃないですか。だったら俺、行きませんよ。行くことないですよ」と冷静な声で繰り返し、抵抗し始めたのです。

 「サタンがついた」とクリスチャンはよく言いますが、この瞬間、私は「これがそうか!」と確信しました。
 今までと声色もまったく違うし、声は冷静なのに行動はまったく冷静じゃない。見ていて背筋がぞっとしました。
 交番の灯りが、彼の中で「このまま行ったら危ない」というスイッチを作動させたのでしょう。
 一方、私は、交番の灯りが見えたとたんに落ち着きを取り戻し、気力がよみがえってきました。
 「逃げるんですか」
 その問いに対し、彼はサタンの声ではっきりと「はい」と返事しました。
 身震いするほど暗い声でした。

 交番はすぐそこなので、お巡りさんを呼ぶために騒ぐことも考えましたが、そこの交番はいつも夜間はパトロール中で無人のことが多いのを知っていた私は、「灯りがついているからといって油断はできない」と判断しました。
 こんなところで争っても、相手が逃げ出すのは簡単なことだし、この状態で相手を追いかけるのは不可能。それに、下手に刺激して逆ギレされたらかえって危険です。
 私は渾身の力をふりしぼってリュックを相手から奪い返し、「もういいです! 一人で行きますから!」と叫び、最後に「寝覚めが悪いですよ」と捨てゼリフを吐いて足をひきずりながら交番に向かいました。
 男は、キリストに「行け」と命令されたユダのように、一目散に逃げていきました。

 交番は思ったとおり「無人」でした。
 受話器をとるとすぐに杉並警察署に通じるようになっている電話が置いてあり、まずは受話器をとって「事故に遭った」という状況を話しました。
 それから警察と救急車が到着するまでの長かったこと。
 そこにはデスクだけで椅子もなかったので、地べたにうずくまりながらひたすら助けを待ちました。
 15分ほどで、近所に住んでいた弟と、パトカーがほぼ同時に到着。
 さらに救急車と事故警察が到着し、事情徴収を受けました。

 相手の顔と自転車の特徴を教えろと何回も聞かれましたが、とにかくほとんどが薄暗がりの中だったので、自転車に関しては「音の感じからして、それほど頑丈なものではないごく普通のママチャリレベル」としか言えませんでした。
 男については、年齢が20代前半くらいで、身長が170センチ程度。やせ形で白っぽい半袖のTシャツにあまり黒っぽくないパンツ、ゆるくパーマのかかった長めの黒髪で、目が一重で離れていたこと、くらいしか覚えてない(強いていえば中村俊輔のようなタイプ)。

 事情徴収のあと、救急車に乗って20分ほど離れた外科病院へ(脳外科と整形外科のある一番近くの病院はそこだったので)。
 脳のCT と膝の外傷は問題なしということで、そのまま帰宅しましたが、脳の障害は時間がたってから出ることがあるので、当分油断はできません。
 また、頭を打っているということは、当然頸椎にも衝撃がきているということだから、後遺症としてはそっちも心配です。

 乳がんというだけでも重い荷物なのに、いったいどこまで荷物が増えるのか。。。
 自分も自転車事故で大けがを負ったことのある母は、「頭を打った」と聞いて半狂乱で、落ち着くまでが大変でした。
 私もまだショックがさめやらないです。

 それにしても、乳がんと言われてから3ヶ月、生活も節制して夜の外出なんて滅多にしてなくて、こんなに帰宅が遅くなったのは2回目くらいなのに…。
 川沿いの道なんていつもは歩かないのに…。
 あとから「どうしてこんなことしたの?」とか「こうすればよかったのに」とか言うのは簡単ですが、実際誰もが常に完璧な行動をしているわけではありません。

 人間である限り、事故に遭う可能性は誰にでもある。
 そしてひとたび遭ってしまったら、その先は瞬時の判断で運命が変わってしまう。
 ある意味、判断の余裕がある病気よりももっとこわいと思いました。

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10年間に1枚しか売れなかった理由

 「炎の人」を観ました。
 昔の日本人作家による戯曲で名作と呼ばれるものはなるべく観ておきたいので。
 「炎の人」はゴッホの生涯を描いた民藝の代表作(作者は三好十郎)で、今まで滝沢修、大滝秀治などが主役を演じてきました。
 今回は市村正親がゴッホ役に挑戦(ちなみに、彼は滝沢修の舞台を観て役者を志したそうです)。

 ネット上ではなかなか評判が良いようですが、私はやや期待はずれでした。
 前にもちょっと書きましたけど、評伝劇(実在の人物の話)ってほんとに難しい。当たりは滅多にありません。
 一番つまらないのは、「エピソードをそのまままぞる」タイプの作品。
 劇にされるくらいの人物ですから、劇的なエピソードには事欠かないのですが、その「事実の強さ」に作者が負けて安易に頼ってしまってるパターンが多く、作品としては「知識を得ただけ」にとどまるレベルがほとんど。
 それでも観客には有名人の生涯に対する野次馬的な好奇心はあるので、そういう面ではそこそこ満足できる。
 でもドラマとしては予想の範囲内なんですよねー。観客が本当に観たいのは、ドキュメンタリーには絶対出てこないフィクションの部分のおもしろさなわけですから。

 「炎の人」は、そういった「表面をなぞっただけ」の作品群とは一線を画していて、作者の思い入れが目一杯作品から溢れ出ています。そりゃあもううっとうしいくらい(笑)。
 作者がゴッホの何にひかれたのか、なぜこの作品を書こうと思ったのかがビンビン伝わってきます。
 それは評伝劇には欠かせないもので、すばらしいことだと思うのですが、作品としてそればかりが目立ってるというのがどうにもこうにも気になりました。

 ゴッホがどういう苦悩を抱えているのかはわかった。
 純粋でしつこいのもよーくわかった。
 でも語り過ぎだし、主張しすぎ。ついでにナレーションも多すぎです。
 しかもゴッホの左がかったプロレタリアっぽい部分が妙に強調されているような…。まあ民藝の依頼で書かれた作品だからしかたないのかもしれないけど。
 とにかく作者があまりにもてらいなくゴッホに同化しまくりなのが私にはついていけませんでした。

 きわめつけはエピローグ。
 いきなり作者の分身が現れてゴッホの魂に向かって熱い詩を捧げちゃうんですよ。
 「生前にあなたの絵を1枚も買わなかった人たちを私は憎む!」とかいうような。
 正直、ひきました。
 そんな作者の思いをそのままストレートにぶつけられても。。。
 そして締めのセリフが「きけ、今、あなたに拍手を送る」みたいなセリフですよ。
 そりゃあそれが締めのセリフなら拍手せざるを得ないですよね。
 でも観客の拍手をあらかじめ仕込みとして利用するようなやり方にはちょっと反発を感じました。
 いくらなんでもおしつけがましすぎでしょう。

 これについては、「三好十郎の作品は、私小説ならぬ私戯曲だ」とプログラムに書いてあって、激しく同意しました。
 それを肯定するのかどうかには賛否両論あるでしょうが、個人的には「私小説はOKだけど私戯曲は勘弁してほしい」です。
 文字だけの世界と、他人の肉体を通して再現される世界とでは生々しさが圧倒的に違います。ひとりよがりの世界をナマで見せられるくらい苦痛なことはありません。
 「炎の人」はそれなりにうまくできていたし、「苦痛」とは思わなかったけど、やはりもうちょっと他の人物の視点がほしいなと思いました。

 天才の苦悩を描こうと思ったら、次元の違う人物の視点から描くのは常套手段です。
 モーツァルトにはサリエリ。
 エリザベートにはトート。
 ジーザスにはユダ。
 エビータにはチェ・ゲバラ。
 成功している評伝劇はだいたいこのパターンです。
 天才は特別な存在ですから、そのまま書かれても「ああ、特別なんだな」で終わってしまいます。
 決して肯定するだけではない、第三者の視点を通して描かれることによって、初めてドラマの人物として血肉が通うようになるのではないでしょうか。

 そういう意味では、ゴッホにはゴーギャンが不可欠。
 2人の対立シーンは、このお芝居の中でもっとも緊迫感溢れるシーンですが、3時間という長尺の中でそのシーンはごくわずかです。
 1幕はパリのシーンで終わり、2人の共同生活が始まるアルルのシーンは2幕から。
 でも1幕だけで1時間40分もあるんですよ。これはちょっと長すぎる。
 私はアルルでの2人の生活をもっと詳細に観たかったし、そこだけを切り取って書いてほしいくらいでした。
 実際、ゴッホの絵が精彩を放ち始めたのはアルル以後ですからね。
 それまでの彼の人生を描きたかったのもわかりますが、しつこいようだけど1時間40分は長い。
 どこかの時代に焦点をしぼってくれないと、かえって平板な印象を受けてしまいます。

 もう一人、ゴッホの才能を支え続けた弟のテオも興味深い存在です。
 彼は凡人代表としていい狂言まわしになってくれると思います。
 さらに言えば、今回の舞台には登場しないけど、テオの奥さんっていうのも興味あるな。
 テオは身内だからしょうがないとしても、奥さんからみたらなんでこんな薄気味悪い義兄の面倒をここまでみなきゃいけないの?っていう葛藤がてんこもりだったと思うんですよね。
 この奥さんが言いそうなセリフ、1秒間で10個くらい浮かびます(笑)。
 だってテオったら、生まれた子供にまでゴッホの名前つけちゃったんですよ。どんだけ兄ちゃん好きなんだよ。
 奥さんにしてみたら「やめてよ、縁起でもない。この子までニート画家になったらどうしてくれるのよ」っていう気分でしょう。

 それにしてもです。
 ゴッホは10年間絵を描き続け、およそ1000点の作品を残しているのですが、生前に売れたのはたった1枚(それもテオが買った)だったとのこと。
 これってすごくないですか?
 10年間で1枚ですよ。
 この話をきくとみんな「気の毒に。当時の人にはゴッホの才能がわからなかったんだね」と言いますが、そんな次元じゃないでしょう、これは。
 だってどんなに才能なくたって、こんなに頑張って描き続けてたら、親戚なり友達なりが数枚くらいは義理で買ってあげてもいいじゃないですか。
 どうせそんな高い値段じゃ売らないんだろうし。
 なのに1枚だけって、これはっきり言って「うまい・下手」という問題以前に「嫌われてる」ってことでしょう。「人間」がじゃないですよ。「絵」がです。

 下手でも、毒にも薬にもならないような絵なら義理で買ってあげることもできただろうけど、ゴッホの絵は「義理」でも買って家に飾るのはいやな絵だったんじゃないでしょうか。
 たしかにゴッホの絵はすごいし、人の感情を動かす特別なものがありますが、そういう絵は美術館で観るからいいんであって、家のリビングとか寝室とかに飾る気にはちょっとなれません。
 気が滅入るというか、念がうつりそうというか、疲れて帰ってきたときに迎えられたい絵ではないですよね。

 人類すべての罪を背負って十字架にかかったのがキリストだとしたら、きっと人類すべてが目を背けたい人生の「澱」のようなものをキャンバスに塗り込めてきたのがゴッホだったのではないでしょうか。
 だとしたら誰も買おうとしなかったのはわからないではありません。
 今や投機対象になっているゴッホの絵ですが、やはりゴッホの絵に値段をつけるのには違和感があります。
 ゴッホの絵はもはや魂のこもった生き物であり、売買できるようなものではないと思うのですがどうでしょう。

 話は変わりますが、7月からまた新しいクールのドラマが始まりつつあります。
 いつもこの時期になると「今回はどれがお勧め?」と聞かれるんですが、さすがに観る前から推薦はできません。
 ただ、毎回スタート直前になると、番宣などを見ながら各ドラマへの期待度をコメントつきでまとめて編集部にメールすることになっていますので、もし参考までに見てみたいという方はメールしますのでご連絡下さい。

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プロフィール

HN:
伊万里
性別:
女性
職業:
劇作家・ライター
趣味:
旅行 骨董 庭仕事

著作



「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」

Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!

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