古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
川越ツアー(1)〜「大丈夫」の愛ちゃん
- 2011/04/10 (Sun)
- 旅行・レジャー |
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母のお墓参りで所沢に出入りするようになってから、ずっと気になっていた場所がありました。
“小江戸”の名称で知られる「川越」です。
所沢へは新宿から西武新宿線に乗っていくのですが、終点が「本川越」なので、所沢で降りるたびに「このまま終点まで乗っていくと川越に出られるのかー。いつか墓参りのついでに川越に遊びに行ってみたいなー」と思っていました。
というと、埼玉在住の人には「どこがついでだよ。所沢と川越なんて全然近くないじゃん」とつっこまれるのですが、埼玉に行くことじたいがほとんどない私から見れば、所沢と川越は充分「同じエリア」なのです。
今回、その希望が実現し、晴れて川越デビューを飾りましたので、その報告を…。
川越在住の知り合いは何人かいたので、当日は誰かを呼び出そうと思っていたのですが、今回は3歳から川越にずっと住んでいるというテアトル・エコーの若手女優、愛ちゃんにつきあっていただくことになりました。
父と、従姉妹のASAちゃんと午前中に墓参りを済ませ、11時50分に本川越の駅に到着。
改札には……いたいた、愛ちゃん。
と思いきや、真剣に観光客向けのマップに見入っている。
だ、大丈夫かな。。。(^_^;)
だいたい地元の人って「観光する場所」という意識がないから、観光情報については意外にうといものなんですよね。
今回もいろいろ下調べしたけど、怒濤のように情報をくれたのは地元の人ではなく、川越によく遊びに行くという「観光客」でした。
ただ、土地勘というか、地理とか交通機関については地元の人は明るいだろうからと思ってついてきてもらったんですが、いきなり地図に見入ってるとは…。
まずはランチからスタート。
駅からちょっと歩いたところにある「ベニーノ」というイタリアンのお店に行くということはすでに伝えてあったので(OLやママたちでにぎわうというので一応席の予約もいれておいた)、すぐに案内してくれるのかと思ったら、愛ちゃんは地図を見たままじっと考え込んでいる。
「あの……大丈夫?」とついに口に出して聞いてしまったが、愛ちゃんは「大丈夫です」と答え、あんまり大丈夫じゃなさそうな足取りで歩き始めました。
「ベニーノ」は川越女子高校のすぐそばにあるんですが、愛ちゃんはここの高校出身。
学校の前の桜がきれいだというので、大通りではなく、学校前を通っていくことになりました。
ちょうどこの日は入学式だったようで、桜並木をバックに記念撮影をする父兄と生徒たちの姿で大賑わい。
幸せそうな光景に心がなごみました。
住宅地をてくてく歩くこと10分弱で「ベニーノ」に到着。
川越は本当にレトロな建物がいっぱい。
このレストランも国登録有形文化財の瀟洒な建物を使っています(以前は郵便局だったらしい)。
パスタ、ピッツァとも美味でした。
おなかがいっぱいになったところで観光に出発。
いったん川越市駅に戻り(川越には駅が3つあって、川越市駅は東武線系の駅。西武線系の本川越駅よりぐっとさびれている)、そこからタクシーで氷川神社に向かいました。
川越市内の見所は大きく分けて3エリアほどあるのですが、その3つが微妙に離れていて、全部歩いて回るのはちょっと大変(歩けないことはないけど)。
ということで、まずは駅から一番遠い氷川神社までタクシーを使うことにしました。
氷川神社は縁結びで有名な神社。
小さな神社ですが、なぜか鳥居だけがアンバランスに大きい(というか背が高い)。
大きい鳥居だけなら珍しくないかもしれないけど、木造でこんなに高いのは珍しいかも。
と思ったら、ガイドブックには「木造鳥居としては日本一の大きさ」と書いてありました。
「そっかー、日本一なのかー」と感心していたら、ASAちゃんが鳥居脇の説明書きを見て「ここには『日本一』じゃなくて『日本最大規模』のって書いてあるよ。ちょっと微妙な表現だよね」とつっこみ。
たしかに言い逃れができそうな表現ではある(笑)。
愛ちゃんは氷川神社もほぼ初めてのようで、「こんなところがあったんですねー」と観光客よりも物珍しそうに見学している。
「じつは私、今年厄年なんですよー」と愛ちゃん。
「そうなの?じゃあお祓いしたの?」と聞いたら「いえ。役者は厄よけをすると『役(やく)』がつかなくなるから祓っちゃいけないらしいんですー」という。
そうなのか〜!
芸能関係の人は縁起かつぐ人が多いとききますが、「厄」をこやしに「役」を作らないといけないわけですね。
境内は狭い中に「縁結び関連グッズ(イベント)」が密集しています。
お参りのあと、お守りをチェックしたけど、ほとんどが縁結び関係。
桜色のかわいいお守りがあったけど、ひらがなで「であいこい」と縫い付けられているのがちょっと身もふたもなさすぎて、こわくて手が出ませんでした。
ここには「縁結び玉」という限定品があって、まあ中身は境内の小石なんですが、巫女さんが毎朝拾い集めて、お祓いをして、羽根つきの羽根みたいにきれいにくるんだものを一日限定20体(お祓いをしたものはご神体なので「個」と言ってはいけないんですね)で無料領布しているんだそうです。
川越の人は意外に知らないのかもしれませんが、これをゲットするために遠くからわざわざ駅始発のバスに乗ってやってくる観光客も多いため、平日でも午後まで残っていることはまずないとか。
もちろんこの日も残ってませんでした。
ふと境内を見回すと、不思議なものが目に入りました。
水のないいけすに鯛がいっぱい!
ひとつには赤い鯛が、もうひとつにはピンクと白の鯛が入っています。
これを釣り竿で釣り上げると、鯛の中におみくじが入っているというしかけです。
赤い鯛は一般のおみくじで、「一年安鯛(泰)みくじ」。
そしてピンクと白の鯛は良縁祈願のおみくじで「あい鯛(たい)みくじ」。
よく見ると釣り竿にはえびがついてます。
まさに「えび」で「鯛」を釣る!
これはやるっきゃないでしょう!
ということで、さっそく一番かわいいピンクの鯛を狙って釣り竿を手にとりました。
「どうしよう。釣れなかったら…」と言ったら、ASAちゃんに「釣れるよ〜!動いてないんだから簡単だよ!」と笑われました。
ところが、いざ釣り竿を垂らしたとたん、ASAちゃんの顔色に変化が…。
「ちょっと待って。これ、意外と難しいかも…」
鯛についている紐がくたっとしているため、釣り針になかなかひっかからないのです。
ていうか、釣り糸で鯛を動かすことはできないので、たまたま紐がひっかかりやすい形になっている鯛しか選べないんですよね。
これ、ある意味動いてくれたほうがひっかけやすいかも。
ようやく釣り上げた鯛からおみくじを広げると……なんとASAちゃんと私はまったく同じ内容!
「これって……釣りやすい手近で済ませようとすると同じ結果になるってこと?」
いや、べつに内容が悪かったわけじゃないんですが、まったく同じっていうのがなんか……脱力(笑)。
隣では、一人で来ている若い女性が真剣な表情で釣り糸を垂らしている。
本当に気合いが入ってる人は一人で来るんだよなー。「動いてないんだから楽勝!」とか言ってる時点で終わってるよ、私たち。
気がつけば、あれ?愛ちゃんだけやってない。
「愛ちゃんもやろうよ〜」と誘ったら、ほにゃーっとした笑顔で「いえ、私は……大丈夫ですから〜」とかわされてしまいました。
「大丈夫」…って………もう少し他の言い方はないのか>愛ちゃん(笑)。
必要なくたってつきあいってものがあるだろう〜。
一応自分も参加して、釣り上げながらも心の中で「すいません。おばさんたちがやれっていうから断れなくてこうしてやっていますが、私にはすでにダーリンがいるので縁は必要ありません。私の分もこの人たちにまわしてあげてください」と神様にお願いするとかさ。
なんか「大丈夫」って言われたとたん、海の上で溺れてるような気分になったよ、私は。
氷川神社を出たあと、近くに流れる新河岸川で桜を見ました。
「きれいだね〜」と歓声をあげていたら、橋の上に三脚をたてて桜を撮っていたおじさんが、縁結び祈願をしていない愛ちゃんめがけていきなりナンパ。
「どっから来たの?」
愛ちゃん、ふにゃーっと笑って「地元です」と答えて会話がそれ以上進まなくなっていました(笑)。
“小江戸”の名称で知られる「川越」です。
所沢へは新宿から西武新宿線に乗っていくのですが、終点が「本川越」なので、所沢で降りるたびに「このまま終点まで乗っていくと川越に出られるのかー。いつか墓参りのついでに川越に遊びに行ってみたいなー」と思っていました。
というと、埼玉在住の人には「どこがついでだよ。所沢と川越なんて全然近くないじゃん」とつっこまれるのですが、埼玉に行くことじたいがほとんどない私から見れば、所沢と川越は充分「同じエリア」なのです。
今回、その希望が実現し、晴れて川越デビューを飾りましたので、その報告を…。
川越在住の知り合いは何人かいたので、当日は誰かを呼び出そうと思っていたのですが、今回は3歳から川越にずっと住んでいるというテアトル・エコーの若手女優、愛ちゃんにつきあっていただくことになりました。
父と、従姉妹のASAちゃんと午前中に墓参りを済ませ、11時50分に本川越の駅に到着。
改札には……いたいた、愛ちゃん。
と思いきや、真剣に観光客向けのマップに見入っている。
だ、大丈夫かな。。。(^_^;)
だいたい地元の人って「観光する場所」という意識がないから、観光情報については意外にうといものなんですよね。
今回もいろいろ下調べしたけど、怒濤のように情報をくれたのは地元の人ではなく、川越によく遊びに行くという「観光客」でした。
ただ、土地勘というか、地理とか交通機関については地元の人は明るいだろうからと思ってついてきてもらったんですが、いきなり地図に見入ってるとは…。
まずはランチからスタート。
駅からちょっと歩いたところにある「ベニーノ」というイタリアンのお店に行くということはすでに伝えてあったので(OLやママたちでにぎわうというので一応席の予約もいれておいた)、すぐに案内してくれるのかと思ったら、愛ちゃんは地図を見たままじっと考え込んでいる。
「あの……大丈夫?」とついに口に出して聞いてしまったが、愛ちゃんは「大丈夫です」と答え、あんまり大丈夫じゃなさそうな足取りで歩き始めました。
「ベニーノ」は川越女子高校のすぐそばにあるんですが、愛ちゃんはここの高校出身。
学校の前の桜がきれいだというので、大通りではなく、学校前を通っていくことになりました。
ちょうどこの日は入学式だったようで、桜並木をバックに記念撮影をする父兄と生徒たちの姿で大賑わい。
幸せそうな光景に心がなごみました。
住宅地をてくてく歩くこと10分弱で「ベニーノ」に到着。
川越は本当にレトロな建物がいっぱい。
このレストランも国登録有形文化財の瀟洒な建物を使っています(以前は郵便局だったらしい)。
パスタ、ピッツァとも美味でした。
おなかがいっぱいになったところで観光に出発。
いったん川越市駅に戻り(川越には駅が3つあって、川越市駅は東武線系の駅。西武線系の本川越駅よりぐっとさびれている)、そこからタクシーで氷川神社に向かいました。
川越市内の見所は大きく分けて3エリアほどあるのですが、その3つが微妙に離れていて、全部歩いて回るのはちょっと大変(歩けないことはないけど)。
ということで、まずは駅から一番遠い氷川神社までタクシーを使うことにしました。
氷川神社は縁結びで有名な神社。
小さな神社ですが、なぜか鳥居だけがアンバランスに大きい(というか背が高い)。
大きい鳥居だけなら珍しくないかもしれないけど、木造でこんなに高いのは珍しいかも。
と思ったら、ガイドブックには「木造鳥居としては日本一の大きさ」と書いてありました。
「そっかー、日本一なのかー」と感心していたら、ASAちゃんが鳥居脇の説明書きを見て「ここには『日本一』じゃなくて『日本最大規模』のって書いてあるよ。ちょっと微妙な表現だよね」とつっこみ。
たしかに言い逃れができそうな表現ではある(笑)。
愛ちゃんは氷川神社もほぼ初めてのようで、「こんなところがあったんですねー」と観光客よりも物珍しそうに見学している。
「じつは私、今年厄年なんですよー」と愛ちゃん。
「そうなの?じゃあお祓いしたの?」と聞いたら「いえ。役者は厄よけをすると『役(やく)』がつかなくなるから祓っちゃいけないらしいんですー」という。
そうなのか〜!
芸能関係の人は縁起かつぐ人が多いとききますが、「厄」をこやしに「役」を作らないといけないわけですね。
境内は狭い中に「縁結び関連グッズ(イベント)」が密集しています。
お参りのあと、お守りをチェックしたけど、ほとんどが縁結び関係。
桜色のかわいいお守りがあったけど、ひらがなで「であいこい」と縫い付けられているのがちょっと身もふたもなさすぎて、こわくて手が出ませんでした。
ここには「縁結び玉」という限定品があって、まあ中身は境内の小石なんですが、巫女さんが毎朝拾い集めて、お祓いをして、羽根つきの羽根みたいにきれいにくるんだものを一日限定20体(お祓いをしたものはご神体なので「個」と言ってはいけないんですね)で無料領布しているんだそうです。
川越の人は意外に知らないのかもしれませんが、これをゲットするために遠くからわざわざ駅始発のバスに乗ってやってくる観光客も多いため、平日でも午後まで残っていることはまずないとか。
もちろんこの日も残ってませんでした。
ふと境内を見回すと、不思議なものが目に入りました。
水のないいけすに鯛がいっぱい!
ひとつには赤い鯛が、もうひとつにはピンクと白の鯛が入っています。
これを釣り竿で釣り上げると、鯛の中におみくじが入っているというしかけです。
赤い鯛は一般のおみくじで、「一年安鯛(泰)みくじ」。
そしてピンクと白の鯛は良縁祈願のおみくじで「あい鯛(たい)みくじ」。
よく見ると釣り竿にはえびがついてます。
まさに「えび」で「鯛」を釣る!
これはやるっきゃないでしょう!
ということで、さっそく一番かわいいピンクの鯛を狙って釣り竿を手にとりました。
「どうしよう。釣れなかったら…」と言ったら、ASAちゃんに「釣れるよ〜!動いてないんだから簡単だよ!」と笑われました。
ところが、いざ釣り竿を垂らしたとたん、ASAちゃんの顔色に変化が…。
「ちょっと待って。これ、意外と難しいかも…」
鯛についている紐がくたっとしているため、釣り針になかなかひっかからないのです。
ていうか、釣り糸で鯛を動かすことはできないので、たまたま紐がひっかかりやすい形になっている鯛しか選べないんですよね。
これ、ある意味動いてくれたほうがひっかけやすいかも。
ようやく釣り上げた鯛からおみくじを広げると……なんとASAちゃんと私はまったく同じ内容!
「これって……釣りやすい手近で済ませようとすると同じ結果になるってこと?」
いや、べつに内容が悪かったわけじゃないんですが、まったく同じっていうのがなんか……脱力(笑)。
隣では、一人で来ている若い女性が真剣な表情で釣り糸を垂らしている。
本当に気合いが入ってる人は一人で来るんだよなー。「動いてないんだから楽勝!」とか言ってる時点で終わってるよ、私たち。
気がつけば、あれ?愛ちゃんだけやってない。
「愛ちゃんもやろうよ〜」と誘ったら、ほにゃーっとした笑顔で「いえ、私は……大丈夫ですから〜」とかわされてしまいました。
「大丈夫」…って………もう少し他の言い方はないのか>愛ちゃん(笑)。
必要なくたってつきあいってものがあるだろう〜。
一応自分も参加して、釣り上げながらも心の中で「すいません。おばさんたちがやれっていうから断れなくてこうしてやっていますが、私にはすでにダーリンがいるので縁は必要ありません。私の分もこの人たちにまわしてあげてください」と神様にお願いするとかさ。
なんか「大丈夫」って言われたとたん、海の上で溺れてるような気分になったよ、私は。
氷川神社を出たあと、近くに流れる新河岸川で桜を見ました。
「きれいだね〜」と歓声をあげていたら、橋の上に三脚をたてて桜を撮っていたおじさんが、縁結び祈願をしていない愛ちゃんめがけていきなりナンパ。
「どっから来たの?」
愛ちゃん、ふにゃーっと笑って「地元です」と答えて会話がそれ以上進まなくなっていました(笑)。
まだまだ続く川越ツアー。
続きは次回!
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「震災前」と「震災後」
- 2011/03/19 (Sat)
- その他 |
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気がつけばなんと半年間もブログを放置していました。
理由は2つあります。
ひとつは、10月から「より更新が簡単な」ツイッターを始めたため。
始めてみたらほとんどそちらで用が足りてしまい、ブログのほうはもともと長文中心で進めてきただけに、「これはわざわざブログで書くほどのことでもないかな。つぶやけばいいか」と思うことが多くなり、徐々に足が遠のいてしまいました。
以前の私なら長文をものともせずに書きまくっていたと思いますが、今は正直タイピングがだんだんつらくなってきています。
左手麻痺が進んで、2年前くらいから右手だけでタイピングしているのですが、その右手も最近は長時間打ってると重く感じるようになり、タイプミスも増えてきて、頭の中で思ったことを文字にするまでのタイムラグにストレスを感じるようになってきました。
その結果、「書けば長文になってしまう」ことが予想されるブログは敷居が高くなってきています。
それに加え、状況的に10月から今まで余裕がなかったこと。
10月〜12月は「目の手術」「その後の目の回復がなかなか進まなかったこと」「母の一周忌」「オーディオドラマライブ公演」と続いてまったく落ちつかず、年が明けてからはその疲れが噴き出して、体調がパッとしない日々が続いていました。
そこへきて今回の「震災」です。
3月11日に経験した「揺れ」は、今まで経験した中でもっとも深刻なものでしたが、それでも家の中がメチャクチャになったわけでもないし、ライフラインがやられたわけでもないし、品不足ながらも通常の生活が営めていますし、幸いなことに毎日勤めに出なければならない身の上でもありません。
本当にありがたいことです。
この今の境遇に感謝して、自分にできること(節電、買いだめに走らない、不急の外出はしない)を精一杯しようと思っています。
ただ……。
頭で理解していることと、体が感じていることは違います。
震災発生後1週間余り、毎日毎日悲惨な映像と不安を煽られる情報ばかりシャワーのように浴び続けるストレスは想像以上のものでした。
「自分は恵まれているのだ」「避難所の人たちの苦難を考えなければ」「なにかできることをしなければ」
そう思えば思うほど苦しくなり、体が動かなくなります。
この1週間、私はただ食べて寝ることしかできませんでした(確定申告の書類作成はしたけど)。
なにかしようとツイッターやブログを見回る。
そこには(デマやパニックももちろんありますが)、被災者を支援しようという人たちの「なんとかしなくちゃ」という熱い思いが溢れています。
最初は感動しました。
私にもなにかできないかと膨大な情報を消化しようとしましたが、それだけの気力体力が私にはありませんでした。
途中までいくと体からスルスルと力が抜けてしまい、起きているのもつらくなり、昼間から寝込んでしまうというていたらく。
夜もちゃんと寝ているのに、昼間も寝ないともたないんです。
「不眠不休で働いている現地の人がいるんだからこんなことでは…」と思ったそばからもう寝ているのです。
起きているときも何もする気力がなくて、寝ているのとたいして変わらない。
すべてが億劫。ささいな日常的行動でもすごくエネルギーを使う。
まるで電池がきれているような感じです。
はじめのうちは「こんなんじゃいけない」「どうしたんだ>自分」と罪悪感と焦燥感を感じましたが、そのうちに「もうしょうがない」「今は体の欲求に従い、何も考えず寝れるだけ寝よう」と開き直るようになりました。
昨日あたりから少しずつ持ち直してきたため、普通の生活に近づいてきたんですが、そんな折、ふとこんな記事が目にとまりました。
AC大量CMに苦情殺到…脅迫電話も
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110318-00000001-dal-ent
たしかにあの同じ内容の繰り返しには私もピリピリきていました。
抗議電話ときいて「そりゃあれだけしつこく流されたら文句いいたくなる人もいるだろう」とも思いました。
でも記事をよく読むと、抗議の内容は「(同じ内容ばかり流して)しつこい」という量の問題だけではなくて、「内容がそぐわない」という怒りもあるらしい。
そこで「?」となりました。
そんなに神経逆なでされるような内容あったっけ???
と思ってあらためて記事の続きを読んだら、どうも脳卒中の予防CMと、仁科亜季子母娘が「子宮がん・乳がんの検診」を訴えるCMのことらしい。
「こんな大変な時にがん検診なんか行けるか」というのが抗議の内容だそうです。
もちろん、このCMが作られたのは震災前です。
震災に遭って生きるか死ぬかという人たちに向けて作ったものではありません。
ちょっと考えれば誰でもわかることです。
べつに被災者に「がん検診行け」って言ってるわけじゃないんだから、それって単なる「言いがかりじゃ…」とACに同情しました。
でも被災している人たちにはそんな理屈は通じないのです。
頭ではなく、体が「不快だ」と反応してしまっているのですから。
では、なぜこのCMに反感を感じてしまうのでしょうか。
おちゃらけたお笑い番組に「こんな大変なときになんだ!」と腹を立てるのならいざしらず、このCMが勘に触るとは、ACも想定外だったのではないでしょうか。
子宮がんにかかった仁科さんじたいは「不幸」だったかもしれませんが、このCMはそれを乗り越えた仁科さんが「まだ不幸を知らない人たち」に向けて「自分の経験」を役立ててほしいと「検診」を勧めるというスタンスになっています。
平常時ならば、がんを他人事と思っている人たちが「自分より先に不幸を体験し、それを乗り越えた仁科さん」の言葉を素直に受け入れたかもしれません(あるいはスルーすることも)。
でも、今被災した人たちは、まさに未曾有の不幸のど真ん中に直面していて、「乗り越えられるかどうか」もさだかではないのです。
「私も乗り越えたから皆さんも乗り越えてね」的なメッセージは、たとえ意図とは違っても「自分の不幸と同列に語られた」ような上から目線に感じられ、なおかつ気力も失いかけているときに「不幸から目を背けてはダメ」と言われるのは倒れているところにむち打たれるような気分になるのかもしれません。
かく言う私も、ACの広告には、「怒り」までは感じないものの、かすかな違和感はおぼえていました。
言ってることはもっともだし、まじめだし、立派なことだし、常識的に考えて「不謹慎」でもなんでもないんだけど、どこか現実感がないというか、よその国の人がしゃべってるような距離感を感じたのです。
いっそのこと、うんとバカバカしいCMのほうが異次元で救いがあるのかもしれません。
なまじ真面目に「危機管理」について語っちゃってるから神経に触るのかもしれない。
つい1週間前までは普通だったことが、今は聞き流せなくなるーー。
大きな不幸が人におよぼす精神構造の瓦解は、ありったけの想像力を駆使しても埋めるのが困難だと感じました。
似たようなことを『美しい隣人』というドラマの最終回で思いました。
これが放送されたのは震災からわずか4日目のことでした。
24時間流れ続ける震災報道にダメージを受け、そろそろドラマ(フィクション)を見たいと思った人は少なからずいたことでしょう。
しかし、皮肉なことにこのドラマの結末には、さらに震災のことを考えずにはいられない暗示が含まれていました。
ドラマは、2人の5歳の子供が、同時期の同エリアで行方不明になるという事件から始まります。
半狂乱で探しまわる2人の母親。
一人の母親・絵里子(檀れい)の息子は無事保護されますが、もう一人の母親・沙希(仲間由紀恵)の息子は池で溺死という悲惨な結果に。
2人の母親に面識はありませんが、 沙希はTVを通して「よかった」と泣き崩れる絵里子の姿を見てしまいます。
1年後、沙希は絵里子の隣に引っ越してきて、感じのいい隣人を装いながらじわじわと彼女の周囲の人間関係を破壊していき、家も夫も子供も彼女から奪おうとします。
途中から沙希の自分に向けられる憎悪に気がつく絵里子ですが、なぜ自分がそこまで憎まれるのかさっぱりわからない。
結局、「よかった」の一言が暴走のスイッチになったことを最後に知るのですが、結末に曖昧な描写が多かったこともあって、ネット上では放送後から現在にいたるまでかなり激しい論争が繰り広げられています。
死んだかもしれないと思った我が子が生きていたとわかった瞬間、「よかった」と言って泣き崩れる母親を誰が責められるでしょうか。
常識的には絵里子に落ち度はないでしょう。
その言葉だけで「なんて無神経な女」「うちの息子は助かったあの子の代わりに死んだんだわ」「あの女の幸せの上に私の不幸がある。だからあの女が不幸になれば私は幸せになれる」と考えてしまう沙希の発想は普通ではありません。
ただ、ドラマとしては「絵里子はよくいるタイプの幸せで善良な主婦。沙希は外からはわかりにくいがある種の精神異常者。絵里子の不幸は事故に遭ったようなもので、彼女はなにも悪くない。普通の一言が見当違いの逆恨みの種になることがあるので皆さんも気をつけましょうね。A〜C〜♪」ということを伝えたかったわけではないでしょう。
狂気に陥った沙希と、常識的な絵里子。
2人は相容れない存在なのか。というとそうでもなかったりする。
むしろ、一歩間違えれば立場が入れ替わるかもしれないという危うい親和性さえ漂うドラマでした。
ネット上では、意外なほど「アンチ絵里子」が多かったりして、沙希に気持ちを寄せる意見が目立ったのが興味深かったです。
最終回が震災前に放送されていたら反応が違っていたのかどうか、それはわかりません。
でも「アンチ絵里子」と「アンチAC」はなんとなく似ているように感じるのです。
深い孤独を抱える「不幸」に対し、みんなが少しずつ敏感になってきているのかもしれないですね。
理由は2つあります。
ひとつは、10月から「より更新が簡単な」ツイッターを始めたため。
始めてみたらほとんどそちらで用が足りてしまい、ブログのほうはもともと長文中心で進めてきただけに、「これはわざわざブログで書くほどのことでもないかな。つぶやけばいいか」と思うことが多くなり、徐々に足が遠のいてしまいました。
以前の私なら長文をものともせずに書きまくっていたと思いますが、今は正直タイピングがだんだんつらくなってきています。
左手麻痺が進んで、2年前くらいから右手だけでタイピングしているのですが、その右手も最近は長時間打ってると重く感じるようになり、タイプミスも増えてきて、頭の中で思ったことを文字にするまでのタイムラグにストレスを感じるようになってきました。
その結果、「書けば長文になってしまう」ことが予想されるブログは敷居が高くなってきています。
それに加え、状況的に10月から今まで余裕がなかったこと。
10月〜12月は「目の手術」「その後の目の回復がなかなか進まなかったこと」「母の一周忌」「オーディオドラマライブ公演」と続いてまったく落ちつかず、年が明けてからはその疲れが噴き出して、体調がパッとしない日々が続いていました。
そこへきて今回の「震災」です。
3月11日に経験した「揺れ」は、今まで経験した中でもっとも深刻なものでしたが、それでも家の中がメチャクチャになったわけでもないし、ライフラインがやられたわけでもないし、品不足ながらも通常の生活が営めていますし、幸いなことに毎日勤めに出なければならない身の上でもありません。
本当にありがたいことです。
この今の境遇に感謝して、自分にできること(節電、買いだめに走らない、不急の外出はしない)を精一杯しようと思っています。
ただ……。
頭で理解していることと、体が感じていることは違います。
震災発生後1週間余り、毎日毎日悲惨な映像と不安を煽られる情報ばかりシャワーのように浴び続けるストレスは想像以上のものでした。
「自分は恵まれているのだ」「避難所の人たちの苦難を考えなければ」「なにかできることをしなければ」
そう思えば思うほど苦しくなり、体が動かなくなります。
この1週間、私はただ食べて寝ることしかできませんでした(確定申告の書類作成はしたけど)。
なにかしようとツイッターやブログを見回る。
そこには(デマやパニックももちろんありますが)、被災者を支援しようという人たちの「なんとかしなくちゃ」という熱い思いが溢れています。
最初は感動しました。
私にもなにかできないかと膨大な情報を消化しようとしましたが、それだけの気力体力が私にはありませんでした。
途中までいくと体からスルスルと力が抜けてしまい、起きているのもつらくなり、昼間から寝込んでしまうというていたらく。
夜もちゃんと寝ているのに、昼間も寝ないともたないんです。
「不眠不休で働いている現地の人がいるんだからこんなことでは…」と思ったそばからもう寝ているのです。
起きているときも何もする気力がなくて、寝ているのとたいして変わらない。
すべてが億劫。ささいな日常的行動でもすごくエネルギーを使う。
まるで電池がきれているような感じです。
はじめのうちは「こんなんじゃいけない」「どうしたんだ>自分」と罪悪感と焦燥感を感じましたが、そのうちに「もうしょうがない」「今は体の欲求に従い、何も考えず寝れるだけ寝よう」と開き直るようになりました。
昨日あたりから少しずつ持ち直してきたため、普通の生活に近づいてきたんですが、そんな折、ふとこんな記事が目にとまりました。
AC大量CMに苦情殺到…脅迫電話も
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110318-00000001-dal-ent
たしかにあの同じ内容の繰り返しには私もピリピリきていました。
抗議電話ときいて「そりゃあれだけしつこく流されたら文句いいたくなる人もいるだろう」とも思いました。
でも記事をよく読むと、抗議の内容は「(同じ内容ばかり流して)しつこい」という量の問題だけではなくて、「内容がそぐわない」という怒りもあるらしい。
そこで「?」となりました。
そんなに神経逆なでされるような内容あったっけ???
と思ってあらためて記事の続きを読んだら、どうも脳卒中の予防CMと、仁科亜季子母娘が「子宮がん・乳がんの検診」を訴えるCMのことらしい。
「こんな大変な時にがん検診なんか行けるか」というのが抗議の内容だそうです。
もちろん、このCMが作られたのは震災前です。
震災に遭って生きるか死ぬかという人たちに向けて作ったものではありません。
ちょっと考えれば誰でもわかることです。
べつに被災者に「がん検診行け」って言ってるわけじゃないんだから、それって単なる「言いがかりじゃ…」とACに同情しました。
でも被災している人たちにはそんな理屈は通じないのです。
頭ではなく、体が「不快だ」と反応してしまっているのですから。
では、なぜこのCMに反感を感じてしまうのでしょうか。
おちゃらけたお笑い番組に「こんな大変なときになんだ!」と腹を立てるのならいざしらず、このCMが勘に触るとは、ACも想定外だったのではないでしょうか。
子宮がんにかかった仁科さんじたいは「不幸」だったかもしれませんが、このCMはそれを乗り越えた仁科さんが「まだ不幸を知らない人たち」に向けて「自分の経験」を役立ててほしいと「検診」を勧めるというスタンスになっています。
平常時ならば、がんを他人事と思っている人たちが「自分より先に不幸を体験し、それを乗り越えた仁科さん」の言葉を素直に受け入れたかもしれません(あるいはスルーすることも)。
でも、今被災した人たちは、まさに未曾有の不幸のど真ん中に直面していて、「乗り越えられるかどうか」もさだかではないのです。
「私も乗り越えたから皆さんも乗り越えてね」的なメッセージは、たとえ意図とは違っても「自分の不幸と同列に語られた」ような上から目線に感じられ、なおかつ気力も失いかけているときに「不幸から目を背けてはダメ」と言われるのは倒れているところにむち打たれるような気分になるのかもしれません。
かく言う私も、ACの広告には、「怒り」までは感じないものの、かすかな違和感はおぼえていました。
言ってることはもっともだし、まじめだし、立派なことだし、常識的に考えて「不謹慎」でもなんでもないんだけど、どこか現実感がないというか、よその国の人がしゃべってるような距離感を感じたのです。
いっそのこと、うんとバカバカしいCMのほうが異次元で救いがあるのかもしれません。
なまじ真面目に「危機管理」について語っちゃってるから神経に触るのかもしれない。
つい1週間前までは普通だったことが、今は聞き流せなくなるーー。
大きな不幸が人におよぼす精神構造の瓦解は、ありったけの想像力を駆使しても埋めるのが困難だと感じました。
似たようなことを『美しい隣人』というドラマの最終回で思いました。
これが放送されたのは震災からわずか4日目のことでした。
24時間流れ続ける震災報道にダメージを受け、そろそろドラマ(フィクション)を見たいと思った人は少なからずいたことでしょう。
しかし、皮肉なことにこのドラマの結末には、さらに震災のことを考えずにはいられない暗示が含まれていました。
ドラマは、2人の5歳の子供が、同時期の同エリアで行方不明になるという事件から始まります。
半狂乱で探しまわる2人の母親。
一人の母親・絵里子(檀れい)の息子は無事保護されますが、もう一人の母親・沙希(仲間由紀恵)の息子は池で溺死という悲惨な結果に。
2人の母親に面識はありませんが、 沙希はTVを通して「よかった」と泣き崩れる絵里子の姿を見てしまいます。
1年後、沙希は絵里子の隣に引っ越してきて、感じのいい隣人を装いながらじわじわと彼女の周囲の人間関係を破壊していき、家も夫も子供も彼女から奪おうとします。
途中から沙希の自分に向けられる憎悪に気がつく絵里子ですが、なぜ自分がそこまで憎まれるのかさっぱりわからない。
結局、「よかった」の一言が暴走のスイッチになったことを最後に知るのですが、結末に曖昧な描写が多かったこともあって、ネット上では放送後から現在にいたるまでかなり激しい論争が繰り広げられています。
死んだかもしれないと思った我が子が生きていたとわかった瞬間、「よかった」と言って泣き崩れる母親を誰が責められるでしょうか。
常識的には絵里子に落ち度はないでしょう。
その言葉だけで「なんて無神経な女」「うちの息子は助かったあの子の代わりに死んだんだわ」「あの女の幸せの上に私の不幸がある。だからあの女が不幸になれば私は幸せになれる」と考えてしまう沙希の発想は普通ではありません。
ただ、ドラマとしては「絵里子はよくいるタイプの幸せで善良な主婦。沙希は外からはわかりにくいがある種の精神異常者。絵里子の不幸は事故に遭ったようなもので、彼女はなにも悪くない。普通の一言が見当違いの逆恨みの種になることがあるので皆さんも気をつけましょうね。A〜C〜♪」ということを伝えたかったわけではないでしょう。
狂気に陥った沙希と、常識的な絵里子。
2人は相容れない存在なのか。というとそうでもなかったりする。
むしろ、一歩間違えれば立場が入れ替わるかもしれないという危うい親和性さえ漂うドラマでした。
ネット上では、意外なほど「アンチ絵里子」が多かったりして、沙希に気持ちを寄せる意見が目立ったのが興味深かったです。
最終回が震災前に放送されていたら反応が違っていたのかどうか、それはわかりません。
でも「アンチ絵里子」と「アンチAC」はなんとなく似ているように感じるのです。
深い孤独を抱える「不幸」に対し、みんなが少しずつ敏感になってきているのかもしれないですね。
庭師の不養生
- 2010/09/20 (Mon)
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ロシア旅行の話が案の定滞ってます。すみません。
じつは、来月眼の手術をすることになりました。
ま!た!入院です。
まあね、今回の手術はいつかはやらなきゃいけないものだったので、しかたがないといえばしかたがないんですよ。
でも7月に1ヶ月近く入院してやっと出てきたのにチキショーって感じですよ、まったく。
手術内容は「眼内レンズ挿入」です。
23年前に白内障になって水晶体をとったんですが、当時は若すぎて(&レンズの歴史がまだ浅くて)レンズを入れることができませんでした。
その代わりにコンタクトとメガネの両方を使って矯正してきたんですが、手の麻痺が進んでコンタクトレンズを扱うのがだんだん難儀になってきました。
老人になって手元がおぼつかなくなったら再手術しようと思っていたのに、老人になる前にすでにおぼつかなくなるとは大誤算です。
眼の手術は想像を絶する恐怖で、23年前の手術も「巷で言われてることと全然違う!わたしゃだまされたよ!」という気分だったので、手術はできる限り延ばして、痛みの感覚もよくわかんなくなるくらいヨボヨボになったらしようと思っていましたが、年をとればとるほど体の負担も大きくなるし、このへんが年貢のおさめどきかもしれないと覚悟を決めました。
詳しい話は闘病ブログのほうをご覧ください。
どっちに書こうか迷ったけど、病気の話は病気でまとめちゃおうと思って向こうに書きました。
今後の経過も向こうに書く予定です。
それからもうひとつ追加情報を。
前にも告知しましたが、12/16〜19に行われるテアトル・エコーの「オーディオドラマライブ」に作品を提供しています(8/4の記事「オーディオドラマライブ」を参照のこと)。
詳細情報が出ましたので、一葉会のホームページにアップしました。
今後は一葉会のホームページに最新情報を更新していく予定ですので、チェックしたい方はこちらをご覧ください。
なんか「こちらをごらんください」ばかりで、ここはハブブログか?!とつっこまれそうですが……。
ここからが本題。
今日は、いつも庭の手入れをお願いしているガーデナーのTさんに来ていただき、夏の庭のお手入れをしました。
夏の庭……!!
植物の世話をしている方ならそれがどんなに苦しいものかおわかりになりますよね
毎年、あの「春の庭」という至福の日々のあとにやってくる地獄—それが「夏の庭」です。
夏を迎えるたび、春に生まれた狂おしいほどの「園芸熱」ははしかのように終わりを告げ、「もう……いい」という気分になります。
理由は単純明快。
「暑い」。
そして「蚊が多い」。
外に出られない理由はこの2つで充分です。
水やりは炎天下ではできないし、ちょっとでも日が陰ると蚊が大量発生する。
春は外で植物と延々と対話できるのが楽しかったのに、夏にはそんな余裕はみじんもありません。
上から下まで完全武装して、覚悟を決めると、海に潜る海女のように庭にダイブし、制限時間内にダーッと仕事を済ませて、家にダッシュで駆け込む。
植物の様子を窺うのも短期決戦です。
植物の訴えにいちいち耳を傾けていたらこっちが倒れてしまいます。
あー、はいはいはいはい、暑いのね!
って、3分診療の医者の気分です。
じゃあうちの中で楽しめる切り花にしよう…と思えば、これまた「夏の切り花は値段が高く、種類が少なく、日持ちがしない」という三重苦にぶちあたります。
今年は、例年にも増して「暑く」、それゆえ「蚊も元気」という悪条件でしたが、さらに追い打ちをかけるように「去年まで仕事を手伝ってくれた母がいない」「梅雨時に海外にでかけて庭を放置せざるをえなかった」「梅雨明後はケガのため、庭を放置せざるをえなかった」……と庭が荒れる要因はてんこもり。
周囲も「無理だよ。しょうがないよ。普通だって夏の庭は雑草だらけで大変なんだから。もう諦めて放置しちゃいなよ。枯れたっていいじゃん。春になったらまた出てくるよ。出てこなかったら買えばいいし」と労働意欲をそぐようなことばかり言います。
でも…というか、だからこそ、今年はいつも以上に「なんとかしたい」という危機的な気持ちが強くわきあがりました。
自分の手には負えないってわかってるんだけど、「私がしなければ誰がする?」という気持ちだけでやってたっていうか。
窓に張り付きながら「ああ!……あそこ……切りたい……摘みたい……抜きたい」ともだえ苦しむ日々。
これはもう理屈じゃないんですよね。
ちょっとでもきれいになれば自分が癒され、汚くなれば自分がすさむのですからどうしようもありません。
……で、できる範囲でやってはきたんですが、ついにTさんにお願いすることになりました。
もっと早くお願いしたかったのですが、あまりにも暑いと植え替えや植え付けなどは植物にも負担がかかるので、多少はピークをすぎてからのほうがいいのでは?と思ってこのタイミングになりました。
Tさんはまだすごく若い女性で、本当に植物が好きなんだなーという熱がひしひし伝わってくる方です。
そして…仕事が早い!
プロなんだから当たり前と言われそうですが、私が今まで見てきた植木職人は、ものすごくちんたら仕事しててそのわりにびっくりするほど料金が高かったので、Tさんのコストパフォーマンスは尋常じゃないです。
今日はなんと朝8時からぶっ通しで3時まで!
休みなく7時間も働いてくれました。
最初は半日という約束だったので、お昼で終わらなかったらそれはそれでしょうがないと思ってたんですけど、結局頼んだことはすべてやってくれて(絶対に無理だと思ってたのに…)、掃除もきれいにしていってくれました。
いやー、すごいです!
ジャングルのようだった雑草が魔法のように消えてなくなりました。
Tさんが通ったあとは草木も生えないって感じ(笑)。
古い土もすべて回転式のふるいにかけてふかふかの土にしてくれました(この回転作業はけっこうTさんのツボにはまったようです)。
あまりにもきれいになったので、感動して「さすがにきれいさのレベルが違いますね〜」と言ったら、「そうですか?よかったです。でもこれは仕事ですから。うちの庭なんて荒れ果てちゃってひどいですよ。全部枯れちゃいました。あははは」と返されました。
なるほど…。
「庭師の不養生」ってのもあるんだ。
最後には12月の公演のチケットまで買ってくれました。
どこまでコストパフォーマンスがいいんだ>Tさん。。。
写真は、この夏唯一元気に咲いていたアメリカンブルーです。
ただし、この子は早寝早起きで、午後になるとしぼんでしまいます。
この写真はTさんが来る前のもので、今はもっと全体的に刈り込まれています。
それから、夏といえばこの花。
ヒマワリです。
最近の品種は小顔で上品なものが多いですが、小顔すぎてひょろひょろしててバランスが悪い気が…。
イメージ的には観月ありさみたいな感じ(笑)。
じつは、来月眼の手術をすることになりました。
ま!た!入院です。
まあね、今回の手術はいつかはやらなきゃいけないものだったので、しかたがないといえばしかたがないんですよ。
でも7月に1ヶ月近く入院してやっと出てきたのにチキショーって感じですよ、まったく。
手術内容は「眼内レンズ挿入」です。
23年前に白内障になって水晶体をとったんですが、当時は若すぎて(&レンズの歴史がまだ浅くて)レンズを入れることができませんでした。
その代わりにコンタクトとメガネの両方を使って矯正してきたんですが、手の麻痺が進んでコンタクトレンズを扱うのがだんだん難儀になってきました。
老人になって手元がおぼつかなくなったら再手術しようと思っていたのに、老人になる前にすでにおぼつかなくなるとは大誤算です。
眼の手術は想像を絶する恐怖で、23年前の手術も「巷で言われてることと全然違う!わたしゃだまされたよ!」という気分だったので、手術はできる限り延ばして、痛みの感覚もよくわかんなくなるくらいヨボヨボになったらしようと思っていましたが、年をとればとるほど体の負担も大きくなるし、このへんが年貢のおさめどきかもしれないと覚悟を決めました。
詳しい話は闘病ブログのほうをご覧ください。
どっちに書こうか迷ったけど、病気の話は病気でまとめちゃおうと思って向こうに書きました。
今後の経過も向こうに書く予定です。
それからもうひとつ追加情報を。
前にも告知しましたが、12/16〜19に行われるテアトル・エコーの「オーディオドラマライブ」に作品を提供しています(8/4の記事「オーディオドラマライブ」を参照のこと)。
詳細情報が出ましたので、一葉会のホームページにアップしました。
今後は一葉会のホームページに最新情報を更新していく予定ですので、チェックしたい方はこちらをご覧ください。
なんか「こちらをごらんください」ばかりで、ここはハブブログか?!とつっこまれそうですが……。
ここからが本題。
今日は、いつも庭の手入れをお願いしているガーデナーのTさんに来ていただき、夏の庭のお手入れをしました。
夏の庭……!!
植物の世話をしている方ならそれがどんなに苦しいものかおわかりになりますよね

毎年、あの「春の庭」という至福の日々のあとにやってくる地獄—それが「夏の庭」です。
夏を迎えるたび、春に生まれた狂おしいほどの「園芸熱」ははしかのように終わりを告げ、「もう……いい」という気分になります。
理由は単純明快。
「暑い」。
そして「蚊が多い」。
外に出られない理由はこの2つで充分です。
水やりは炎天下ではできないし、ちょっとでも日が陰ると蚊が大量発生する。
春は外で植物と延々と対話できるのが楽しかったのに、夏にはそんな余裕はみじんもありません。
上から下まで完全武装して、覚悟を決めると、海に潜る海女のように庭にダイブし、制限時間内にダーッと仕事を済ませて、家にダッシュで駆け込む。
植物の様子を窺うのも短期決戦です。
植物の訴えにいちいち耳を傾けていたらこっちが倒れてしまいます。
あー、はいはいはいはい、暑いのね!
って、3分診療の医者の気分です。
じゃあうちの中で楽しめる切り花にしよう…と思えば、これまた「夏の切り花は値段が高く、種類が少なく、日持ちがしない」という三重苦にぶちあたります。
今年は、例年にも増して「暑く」、それゆえ「蚊も元気」という悪条件でしたが、さらに追い打ちをかけるように「去年まで仕事を手伝ってくれた母がいない」「梅雨時に海外にでかけて庭を放置せざるをえなかった」「梅雨明後はケガのため、庭を放置せざるをえなかった」……と庭が荒れる要因はてんこもり。
周囲も「無理だよ。しょうがないよ。普通だって夏の庭は雑草だらけで大変なんだから。もう諦めて放置しちゃいなよ。枯れたっていいじゃん。春になったらまた出てくるよ。出てこなかったら買えばいいし」と労働意欲をそぐようなことばかり言います。
でも…というか、だからこそ、今年はいつも以上に「なんとかしたい」という危機的な気持ちが強くわきあがりました。
自分の手には負えないってわかってるんだけど、「私がしなければ誰がする?」という気持ちだけでやってたっていうか。
窓に張り付きながら「ああ!……あそこ……切りたい……摘みたい……抜きたい」ともだえ苦しむ日々。
これはもう理屈じゃないんですよね。
ちょっとでもきれいになれば自分が癒され、汚くなれば自分がすさむのですからどうしようもありません。
……で、できる範囲でやってはきたんですが、ついにTさんにお願いすることになりました。
もっと早くお願いしたかったのですが、あまりにも暑いと植え替えや植え付けなどは植物にも負担がかかるので、多少はピークをすぎてからのほうがいいのでは?と思ってこのタイミングになりました。
Tさんはまだすごく若い女性で、本当に植物が好きなんだなーという熱がひしひし伝わってくる方です。
そして…仕事が早い!
プロなんだから当たり前と言われそうですが、私が今まで見てきた植木職人は、ものすごくちんたら仕事しててそのわりにびっくりするほど料金が高かったので、Tさんのコストパフォーマンスは尋常じゃないです。
今日はなんと朝8時からぶっ通しで3時まで!
休みなく7時間も働いてくれました。
最初は半日という約束だったので、お昼で終わらなかったらそれはそれでしょうがないと思ってたんですけど、結局頼んだことはすべてやってくれて(絶対に無理だと思ってたのに…)、掃除もきれいにしていってくれました。
いやー、すごいです!
ジャングルのようだった雑草が魔法のように消えてなくなりました。
Tさんが通ったあとは草木も生えないって感じ(笑)。
古い土もすべて回転式のふるいにかけてふかふかの土にしてくれました(この回転作業はけっこうTさんのツボにはまったようです)。
あまりにもきれいになったので、感動して「さすがにきれいさのレベルが違いますね〜」と言ったら、「そうですか?よかったです。でもこれは仕事ですから。うちの庭なんて荒れ果てちゃってひどいですよ。全部枯れちゃいました。あははは」と返されました。
なるほど…。
「庭師の不養生」ってのもあるんだ。
最後には12月の公演のチケットまで買ってくれました。
どこまでコストパフォーマンスがいいんだ>Tさん。。。
写真は、この夏唯一元気に咲いていたアメリカンブルーです。
ただし、この子は早寝早起きで、午後になるとしぼんでしまいます。
この写真はTさんが来る前のもので、今はもっと全体的に刈り込まれています。
それから、夏といえばこの花。
ヒマワリです。
最近の品種は小顔で上品なものが多いですが、小顔すぎてひょろひょろしててバランスが悪い気が…。
イメージ的には観月ありさみたいな感じ(笑)。