古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
「震災前」と「震災後」
- 2011/03/19 (Sat)
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気がつけばなんと半年間もブログを放置していました。
理由は2つあります。
ひとつは、10月から「より更新が簡単な」ツイッターを始めたため。
始めてみたらほとんどそちらで用が足りてしまい、ブログのほうはもともと長文中心で進めてきただけに、「これはわざわざブログで書くほどのことでもないかな。つぶやけばいいか」と思うことが多くなり、徐々に足が遠のいてしまいました。
以前の私なら長文をものともせずに書きまくっていたと思いますが、今は正直タイピングがだんだんつらくなってきています。
左手麻痺が進んで、2年前くらいから右手だけでタイピングしているのですが、その右手も最近は長時間打ってると重く感じるようになり、タイプミスも増えてきて、頭の中で思ったことを文字にするまでのタイムラグにストレスを感じるようになってきました。
その結果、「書けば長文になってしまう」ことが予想されるブログは敷居が高くなってきています。
それに加え、状況的に10月から今まで余裕がなかったこと。
10月〜12月は「目の手術」「その後の目の回復がなかなか進まなかったこと」「母の一周忌」「オーディオドラマライブ公演」と続いてまったく落ちつかず、年が明けてからはその疲れが噴き出して、体調がパッとしない日々が続いていました。
そこへきて今回の「震災」です。
3月11日に経験した「揺れ」は、今まで経験した中でもっとも深刻なものでしたが、それでも家の中がメチャクチャになったわけでもないし、ライフラインがやられたわけでもないし、品不足ながらも通常の生活が営めていますし、幸いなことに毎日勤めに出なければならない身の上でもありません。
本当にありがたいことです。
この今の境遇に感謝して、自分にできること(節電、買いだめに走らない、不急の外出はしない)を精一杯しようと思っています。
ただ……。
頭で理解していることと、体が感じていることは違います。
震災発生後1週間余り、毎日毎日悲惨な映像と不安を煽られる情報ばかりシャワーのように浴び続けるストレスは想像以上のものでした。
「自分は恵まれているのだ」「避難所の人たちの苦難を考えなければ」「なにかできることをしなければ」
そう思えば思うほど苦しくなり、体が動かなくなります。
この1週間、私はただ食べて寝ることしかできませんでした(確定申告の書類作成はしたけど)。
なにかしようとツイッターやブログを見回る。
そこには(デマやパニックももちろんありますが)、被災者を支援しようという人たちの「なんとかしなくちゃ」という熱い思いが溢れています。
最初は感動しました。
私にもなにかできないかと膨大な情報を消化しようとしましたが、それだけの気力体力が私にはありませんでした。
途中までいくと体からスルスルと力が抜けてしまい、起きているのもつらくなり、昼間から寝込んでしまうというていたらく。
夜もちゃんと寝ているのに、昼間も寝ないともたないんです。
「不眠不休で働いている現地の人がいるんだからこんなことでは…」と思ったそばからもう寝ているのです。
起きているときも何もする気力がなくて、寝ているのとたいして変わらない。
すべてが億劫。ささいな日常的行動でもすごくエネルギーを使う。
まるで電池がきれているような感じです。
はじめのうちは「こんなんじゃいけない」「どうしたんだ>自分」と罪悪感と焦燥感を感じましたが、そのうちに「もうしょうがない」「今は体の欲求に従い、何も考えず寝れるだけ寝よう」と開き直るようになりました。
昨日あたりから少しずつ持ち直してきたため、普通の生活に近づいてきたんですが、そんな折、ふとこんな記事が目にとまりました。
AC大量CMに苦情殺到…脅迫電話も
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110318-00000001-dal-ent
たしかにあの同じ内容の繰り返しには私もピリピリきていました。
抗議電話ときいて「そりゃあれだけしつこく流されたら文句いいたくなる人もいるだろう」とも思いました。
でも記事をよく読むと、抗議の内容は「(同じ内容ばかり流して)しつこい」という量の問題だけではなくて、「内容がそぐわない」という怒りもあるらしい。
そこで「?」となりました。
そんなに神経逆なでされるような内容あったっけ???
と思ってあらためて記事の続きを読んだら、どうも脳卒中の予防CMと、仁科亜季子母娘が「子宮がん・乳がんの検診」を訴えるCMのことらしい。
「こんな大変な時にがん検診なんか行けるか」というのが抗議の内容だそうです。
もちろん、このCMが作られたのは震災前です。
震災に遭って生きるか死ぬかという人たちに向けて作ったものではありません。
ちょっと考えれば誰でもわかることです。
べつに被災者に「がん検診行け」って言ってるわけじゃないんだから、それって単なる「言いがかりじゃ…」とACに同情しました。
でも被災している人たちにはそんな理屈は通じないのです。
頭ではなく、体が「不快だ」と反応してしまっているのですから。
では、なぜこのCMに反感を感じてしまうのでしょうか。
おちゃらけたお笑い番組に「こんな大変なときになんだ!」と腹を立てるのならいざしらず、このCMが勘に触るとは、ACも想定外だったのではないでしょうか。
子宮がんにかかった仁科さんじたいは「不幸」だったかもしれませんが、このCMはそれを乗り越えた仁科さんが「まだ不幸を知らない人たち」に向けて「自分の経験」を役立ててほしいと「検診」を勧めるというスタンスになっています。
平常時ならば、がんを他人事と思っている人たちが「自分より先に不幸を体験し、それを乗り越えた仁科さん」の言葉を素直に受け入れたかもしれません(あるいはスルーすることも)。
でも、今被災した人たちは、まさに未曾有の不幸のど真ん中に直面していて、「乗り越えられるかどうか」もさだかではないのです。
「私も乗り越えたから皆さんも乗り越えてね」的なメッセージは、たとえ意図とは違っても「自分の不幸と同列に語られた」ような上から目線に感じられ、なおかつ気力も失いかけているときに「不幸から目を背けてはダメ」と言われるのは倒れているところにむち打たれるような気分になるのかもしれません。
かく言う私も、ACの広告には、「怒り」までは感じないものの、かすかな違和感はおぼえていました。
言ってることはもっともだし、まじめだし、立派なことだし、常識的に考えて「不謹慎」でもなんでもないんだけど、どこか現実感がないというか、よその国の人がしゃべってるような距離感を感じたのです。
いっそのこと、うんとバカバカしいCMのほうが異次元で救いがあるのかもしれません。
なまじ真面目に「危機管理」について語っちゃってるから神経に触るのかもしれない。
つい1週間前までは普通だったことが、今は聞き流せなくなるーー。
大きな不幸が人におよぼす精神構造の瓦解は、ありったけの想像力を駆使しても埋めるのが困難だと感じました。
似たようなことを『美しい隣人』というドラマの最終回で思いました。
これが放送されたのは震災からわずか4日目のことでした。
24時間流れ続ける震災報道にダメージを受け、そろそろドラマ(フィクション)を見たいと思った人は少なからずいたことでしょう。
しかし、皮肉なことにこのドラマの結末には、さらに震災のことを考えずにはいられない暗示が含まれていました。
ドラマは、2人の5歳の子供が、同時期の同エリアで行方不明になるという事件から始まります。
半狂乱で探しまわる2人の母親。
一人の母親・絵里子(檀れい)の息子は無事保護されますが、もう一人の母親・沙希(仲間由紀恵)の息子は池で溺死という悲惨な結果に。
2人の母親に面識はありませんが、 沙希はTVを通して「よかった」と泣き崩れる絵里子の姿を見てしまいます。
1年後、沙希は絵里子の隣に引っ越してきて、感じのいい隣人を装いながらじわじわと彼女の周囲の人間関係を破壊していき、家も夫も子供も彼女から奪おうとします。
途中から沙希の自分に向けられる憎悪に気がつく絵里子ですが、なぜ自分がそこまで憎まれるのかさっぱりわからない。
結局、「よかった」の一言が暴走のスイッチになったことを最後に知るのですが、結末に曖昧な描写が多かったこともあって、ネット上では放送後から現在にいたるまでかなり激しい論争が繰り広げられています。
死んだかもしれないと思った我が子が生きていたとわかった瞬間、「よかった」と言って泣き崩れる母親を誰が責められるでしょうか。
常識的には絵里子に落ち度はないでしょう。
その言葉だけで「なんて無神経な女」「うちの息子は助かったあの子の代わりに死んだんだわ」「あの女の幸せの上に私の不幸がある。だからあの女が不幸になれば私は幸せになれる」と考えてしまう沙希の発想は普通ではありません。
ただ、ドラマとしては「絵里子はよくいるタイプの幸せで善良な主婦。沙希は外からはわかりにくいがある種の精神異常者。絵里子の不幸は事故に遭ったようなもので、彼女はなにも悪くない。普通の一言が見当違いの逆恨みの種になることがあるので皆さんも気をつけましょうね。A〜C〜♪」ということを伝えたかったわけではないでしょう。
狂気に陥った沙希と、常識的な絵里子。
2人は相容れない存在なのか。というとそうでもなかったりする。
むしろ、一歩間違えれば立場が入れ替わるかもしれないという危うい親和性さえ漂うドラマでした。
ネット上では、意外なほど「アンチ絵里子」が多かったりして、沙希に気持ちを寄せる意見が目立ったのが興味深かったです。
最終回が震災前に放送されていたら反応が違っていたのかどうか、それはわかりません。
でも「アンチ絵里子」と「アンチAC」はなんとなく似ているように感じるのです。
深い孤独を抱える「不幸」に対し、みんなが少しずつ敏感になってきているのかもしれないですね。
理由は2つあります。
ひとつは、10月から「より更新が簡単な」ツイッターを始めたため。
始めてみたらほとんどそちらで用が足りてしまい、ブログのほうはもともと長文中心で進めてきただけに、「これはわざわざブログで書くほどのことでもないかな。つぶやけばいいか」と思うことが多くなり、徐々に足が遠のいてしまいました。
以前の私なら長文をものともせずに書きまくっていたと思いますが、今は正直タイピングがだんだんつらくなってきています。
左手麻痺が進んで、2年前くらいから右手だけでタイピングしているのですが、その右手も最近は長時間打ってると重く感じるようになり、タイプミスも増えてきて、頭の中で思ったことを文字にするまでのタイムラグにストレスを感じるようになってきました。
その結果、「書けば長文になってしまう」ことが予想されるブログは敷居が高くなってきています。
それに加え、状況的に10月から今まで余裕がなかったこと。
10月〜12月は「目の手術」「その後の目の回復がなかなか進まなかったこと」「母の一周忌」「オーディオドラマライブ公演」と続いてまったく落ちつかず、年が明けてからはその疲れが噴き出して、体調がパッとしない日々が続いていました。
そこへきて今回の「震災」です。
3月11日に経験した「揺れ」は、今まで経験した中でもっとも深刻なものでしたが、それでも家の中がメチャクチャになったわけでもないし、ライフラインがやられたわけでもないし、品不足ながらも通常の生活が営めていますし、幸いなことに毎日勤めに出なければならない身の上でもありません。
本当にありがたいことです。
この今の境遇に感謝して、自分にできること(節電、買いだめに走らない、不急の外出はしない)を精一杯しようと思っています。
ただ……。
頭で理解していることと、体が感じていることは違います。
震災発生後1週間余り、毎日毎日悲惨な映像と不安を煽られる情報ばかりシャワーのように浴び続けるストレスは想像以上のものでした。
「自分は恵まれているのだ」「避難所の人たちの苦難を考えなければ」「なにかできることをしなければ」
そう思えば思うほど苦しくなり、体が動かなくなります。
この1週間、私はただ食べて寝ることしかできませんでした(確定申告の書類作成はしたけど)。
なにかしようとツイッターやブログを見回る。
そこには(デマやパニックももちろんありますが)、被災者を支援しようという人たちの「なんとかしなくちゃ」という熱い思いが溢れています。
最初は感動しました。
私にもなにかできないかと膨大な情報を消化しようとしましたが、それだけの気力体力が私にはありませんでした。
途中までいくと体からスルスルと力が抜けてしまい、起きているのもつらくなり、昼間から寝込んでしまうというていたらく。
夜もちゃんと寝ているのに、昼間も寝ないともたないんです。
「不眠不休で働いている現地の人がいるんだからこんなことでは…」と思ったそばからもう寝ているのです。
起きているときも何もする気力がなくて、寝ているのとたいして変わらない。
すべてが億劫。ささいな日常的行動でもすごくエネルギーを使う。
まるで電池がきれているような感じです。
はじめのうちは「こんなんじゃいけない」「どうしたんだ>自分」と罪悪感と焦燥感を感じましたが、そのうちに「もうしょうがない」「今は体の欲求に従い、何も考えず寝れるだけ寝よう」と開き直るようになりました。
昨日あたりから少しずつ持ち直してきたため、普通の生活に近づいてきたんですが、そんな折、ふとこんな記事が目にとまりました。
AC大量CMに苦情殺到…脅迫電話も
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110318-00000001-dal-ent
たしかにあの同じ内容の繰り返しには私もピリピリきていました。
抗議電話ときいて「そりゃあれだけしつこく流されたら文句いいたくなる人もいるだろう」とも思いました。
でも記事をよく読むと、抗議の内容は「(同じ内容ばかり流して)しつこい」という量の問題だけではなくて、「内容がそぐわない」という怒りもあるらしい。
そこで「?」となりました。
そんなに神経逆なでされるような内容あったっけ???
と思ってあらためて記事の続きを読んだら、どうも脳卒中の予防CMと、仁科亜季子母娘が「子宮がん・乳がんの検診」を訴えるCMのことらしい。
「こんな大変な時にがん検診なんか行けるか」というのが抗議の内容だそうです。
もちろん、このCMが作られたのは震災前です。
震災に遭って生きるか死ぬかという人たちに向けて作ったものではありません。
ちょっと考えれば誰でもわかることです。
べつに被災者に「がん検診行け」って言ってるわけじゃないんだから、それって単なる「言いがかりじゃ…」とACに同情しました。
でも被災している人たちにはそんな理屈は通じないのです。
頭ではなく、体が「不快だ」と反応してしまっているのですから。
では、なぜこのCMに反感を感じてしまうのでしょうか。
おちゃらけたお笑い番組に「こんな大変なときになんだ!」と腹を立てるのならいざしらず、このCMが勘に触るとは、ACも想定外だったのではないでしょうか。
子宮がんにかかった仁科さんじたいは「不幸」だったかもしれませんが、このCMはそれを乗り越えた仁科さんが「まだ不幸を知らない人たち」に向けて「自分の経験」を役立ててほしいと「検診」を勧めるというスタンスになっています。
平常時ならば、がんを他人事と思っている人たちが「自分より先に不幸を体験し、それを乗り越えた仁科さん」の言葉を素直に受け入れたかもしれません(あるいはスルーすることも)。
でも、今被災した人たちは、まさに未曾有の不幸のど真ん中に直面していて、「乗り越えられるかどうか」もさだかではないのです。
「私も乗り越えたから皆さんも乗り越えてね」的なメッセージは、たとえ意図とは違っても「自分の不幸と同列に語られた」ような上から目線に感じられ、なおかつ気力も失いかけているときに「不幸から目を背けてはダメ」と言われるのは倒れているところにむち打たれるような気分になるのかもしれません。
かく言う私も、ACの広告には、「怒り」までは感じないものの、かすかな違和感はおぼえていました。
言ってることはもっともだし、まじめだし、立派なことだし、常識的に考えて「不謹慎」でもなんでもないんだけど、どこか現実感がないというか、よその国の人がしゃべってるような距離感を感じたのです。
いっそのこと、うんとバカバカしいCMのほうが異次元で救いがあるのかもしれません。
なまじ真面目に「危機管理」について語っちゃってるから神経に触るのかもしれない。
つい1週間前までは普通だったことが、今は聞き流せなくなるーー。
大きな不幸が人におよぼす精神構造の瓦解は、ありったけの想像力を駆使しても埋めるのが困難だと感じました。
似たようなことを『美しい隣人』というドラマの最終回で思いました。
これが放送されたのは震災からわずか4日目のことでした。
24時間流れ続ける震災報道にダメージを受け、そろそろドラマ(フィクション)を見たいと思った人は少なからずいたことでしょう。
しかし、皮肉なことにこのドラマの結末には、さらに震災のことを考えずにはいられない暗示が含まれていました。
ドラマは、2人の5歳の子供が、同時期の同エリアで行方不明になるという事件から始まります。
半狂乱で探しまわる2人の母親。
一人の母親・絵里子(檀れい)の息子は無事保護されますが、もう一人の母親・沙希(仲間由紀恵)の息子は池で溺死という悲惨な結果に。
2人の母親に面識はありませんが、 沙希はTVを通して「よかった」と泣き崩れる絵里子の姿を見てしまいます。
1年後、沙希は絵里子の隣に引っ越してきて、感じのいい隣人を装いながらじわじわと彼女の周囲の人間関係を破壊していき、家も夫も子供も彼女から奪おうとします。
途中から沙希の自分に向けられる憎悪に気がつく絵里子ですが、なぜ自分がそこまで憎まれるのかさっぱりわからない。
結局、「よかった」の一言が暴走のスイッチになったことを最後に知るのですが、結末に曖昧な描写が多かったこともあって、ネット上では放送後から現在にいたるまでかなり激しい論争が繰り広げられています。
死んだかもしれないと思った我が子が生きていたとわかった瞬間、「よかった」と言って泣き崩れる母親を誰が責められるでしょうか。
常識的には絵里子に落ち度はないでしょう。
その言葉だけで「なんて無神経な女」「うちの息子は助かったあの子の代わりに死んだんだわ」「あの女の幸せの上に私の不幸がある。だからあの女が不幸になれば私は幸せになれる」と考えてしまう沙希の発想は普通ではありません。
ただ、ドラマとしては「絵里子はよくいるタイプの幸せで善良な主婦。沙希は外からはわかりにくいがある種の精神異常者。絵里子の不幸は事故に遭ったようなもので、彼女はなにも悪くない。普通の一言が見当違いの逆恨みの種になることがあるので皆さんも気をつけましょうね。A〜C〜♪」ということを伝えたかったわけではないでしょう。
狂気に陥った沙希と、常識的な絵里子。
2人は相容れない存在なのか。というとそうでもなかったりする。
むしろ、一歩間違えれば立場が入れ替わるかもしれないという危うい親和性さえ漂うドラマでした。
ネット上では、意外なほど「アンチ絵里子」が多かったりして、沙希に気持ちを寄せる意見が目立ったのが興味深かったです。
最終回が震災前に放送されていたら反応が違っていたのかどうか、それはわかりません。
でも「アンチ絵里子」と「アンチAC」はなんとなく似ているように感じるのです。
深い孤独を抱える「不幸」に対し、みんなが少しずつ敏感になってきているのかもしれないですね。
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
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