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古伊万里★新伊万里

劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です

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“黒染め”適齢期

 終わりました〜!
 リーディング公演の執筆がなんとか終わってホッとしてます。
 終わるまではなんとなく気分的によけいなことには何も手をつけたくない気分だったのですが、ようやく解放されたので、まずは髪を切りにいきました。
 で、初めて「黒染め」にチャレンジしました。

 私は髪質が重たいので、ずっと明るめに見えるようカラーを入れてたんですが、最近は白髪が出てきたせいであまり明るくできなくなり(明るい色にすると白髪だけ違う色になって目立つ)、しかたなくやや抑えたカラーにしてました。
 そんなときに「最近、黒染めはやってますよー」という話を美容師さんに聞き、「いつかやってみたい」と興味をもった次第。

 「黒染め」っていうと「何もしない状態とどう違うんだ」と思われるかもしれませんが、日本人の自然の状態の黒髪ってじつは真っ黒ではなく、多少赤味がかってるんですよ。「黒染め」は「青」とかいろいろな色を足してその「赤味」を消し、ほんとの真っ黒を作り出すんだそうです。
 数値でいうと自然の黒髪が3〜4(数値が少ないほど黒い)くらいで、1だとほんとにカラスの濡れ羽色って感じに。ただ、ここまで黒くすると今度は「また明るくしたい」と思ったときに大変らしいので、まあ最初だし2.5くらいにしてもらいました。
 さらに。湿度の多い梅雨どきは髪がもわっとふくらみやすいため、軽くストレートパーマもかけてみました。
 結果は……ほんとだ、黒い!!!!

 なんというか人工的な「黒」です。
 一番わかるのは光をあてたとき。太陽光でも人工光でもいいんですが、自然の黒髪だと多少赤っぽく光るじゃないですか。「黒染め」をした髪は光をあてても真っ黒。光をすべて吸収してしまうような感じです。
 ストパーでボリュームがおさえられ、なおかつ色が真っ黒になったため、頭がきゅっとひきしまった感じがします(茶色は膨張色なんでどうしても大きめに見えます)。
 真っ黒は「重い」とずっと思ってきましたが、シルエットによっては意外にそうでもないですね。けっこう涼しげです。あと肌も多少白く見えて顔立ちも浮き立って見えるかも。

 ただ、茶髪から「黒染め」は差が出るからやりがいがあるけど、自然な黒髪から「黒染め」はたいして差が出るわけじゃないんで、高いお金払ってやる価値あるかっていうと微妙。
 実際、私も「黒染め」したからって「あ、『黒染め』したの?」とかまわりに気づいてもらえるわけじゃないし。
 なんといっても明るくするほうが目立つのはたしかなんで、染めがいがないといえばないですね。
 この先ずっとこれでいくかどうかはわかりませんが、ただひとつ言えるのは「黒染め」は白髪が増えすぎたらできないなっていうのと(生え際の白が目立ってしまうので)、やっぱり顔の老け具合もねぇ……顔が老けてるのに髪だけ真っ黒ってなんかアンバランスでおかしかったりするじゃないですか。
 そう考えるといつまでできるんだろうとちょっと弱気になったりするんですが(笑)。
 美容師さんは「もうそろそろやめたほうがいいと思いますよ」なんて言ってくれないと思うので、引き際は自分で判断しないとねー。
 皆さん、私が茶髪に戻ったら「あ、ひいたな」と思ってください。

 リーディング公演については、7月に入ったら一葉会のホームページを作り、詳細はおいおいそちらにアップしていく予定です。

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戦後に咲いた悲しい徒花──「宝塚BOYS」

 宝塚歌劇団が女性だけの集団であることは誰でも知っている常識ですが、この宝塚に「男子部」があったことを知っている人はどのくらいいるでしょうか?
 今、ルテアトル銀座で、宝塚の舞台に立つことを夢見た男たちの青春を描いた「宝塚BOYS」という舞台を上演しています。
 かつて「もし日本に陪審員制度があったら?」というフィクションをベースにして「12人の優しい日本人」(三谷幸喜作で舞台・映画になりました)が作られたように、これも「もし宝塚に男子部があったら?」というフィクションで作られたドラマなのでは?と思った人も多いのではないかと思います。
 が、これはれっきとした史実なんです。しかも意外に知られていない……。

 かくいう私は、戦後のある一時期(昭和20年〜29年)、宝塚に「男子部」が存在していたという事実は知っていました。
 生徒やファンから猛反発を食らい、結局一度も大劇場の舞台に立つことなく解散させられた……という話も知っていました。
 でも、宝塚は「女だけ」という点に存在意義があると思っているので(ファンなら誰でもそうでしょう)、「そんなの駄目に決まってんじゃん」という感想しかもてず、そのときは「消された男たちの気持ち」に思いがいたることはありませんでした。
 そんなわけで、今回その「消された男」の側にたったドラマが作られたときいて、ちょっと……いや、正直かなり興味をそそられました。
 なるほど。“男に入り込まれる側”にしか立って見てなかったけど、向こうには向こうの言い分なり思いなりがあるだろう。
 それはぜひ見てみたいものだ……と。
 同様に感じたヅカファンはかなり多かったのか、チケットの売れ行きは好調だったようで、なかなか入手困難でした。
 で、ようやく観てきたので感想を公開します。

 うーーん。
 非常に「残念」なお芝居でした。
 題材はとってもおいしいのに、いや、おいしいからこそなのか、題材に頼りすぎてる気がしました。
 言いたいことはいろいろあるんですが、まずポイントとして押さえておかなくちゃならないことは3つあると思うんです。

 「歌劇団(小林一三代表)は、なぜ男子を入れようとしたのか」
 「男たちはなぜ宝塚に入ってきたのか」
 「なぜ歌劇団は男を最終的に閉め出したのか」

 1番目に関しては、小林一三氏自身に「女だけでは表現の幅が狭まる。ステップアップのために男も入れて普通の劇団に転身し、さらにグレードをあげていこう」という考えがあったことが知られており、そういう意味では小林氏は「今はたまたま女だけでやっているが、必ずしも『女だけ』という形にはこだわっていなかった」といえます(少なくとも当時は)。
 が、「宝塚は女だけで作り上げるこの世のどこにもない世界。男が入ったらそれはもう宝塚ではなくなってしまう」という認識がすでに生徒とファンの間に根深く浸透しており、それは歌劇団が思う以上に強く育っていたようです。
 結局、経営者の判断として「男子部」を作ってはみたが、生徒たちやファンの反発には抗いきれず解散にするしかなかった……というのが真相なのではないでしょうか。
 そこまではわかるんですが、わからないのが2番目なんですよ。
 観る前もわかんなかったし、観ても結局よくわかんなかった。

 彼らは宝塚でいったい何をしようとしたんでしょうか。
 男役がやっているポジションを狙ったのか。
 まさか「女が男をやれるなら俺たちが娘役やってもいいよな」と思ったわけじゃないですよね。
 もし男役のポジを狙ったとしたら、当然最初のうちは「本物の男」と「男役」が混在する状況になりますよね。
 それ、どう考えても無理がありませんか?
 そのへんの処理は小林先生はどう考えていらっしゃったのかわかりませんが、男役が出るなら全部男役にする。本物の男を使うなら男役は廃止する。どっちかにしなきゃ世界観じたいが崩れてしまいますよね。
 だとすれば、これは単に「男だって頑張ってんだから仲間に入れてやりなよ。かわいそうじゃん」という問題ではなく、「男役」にとってみたら「自分たちが生き残るのか、本物の男にのっとられるか」という死活問題だったと思うんです。
 そこの視点が抜けていると、この「男子部」問題は見当違いの「人情話」になってしまうんじゃないでしょうか。

 もうひとつ気になったのは、彼らの志望動機は必ずしも「宝塚でなきゃいけない」わけではなかったんじゃないかということ。
 今では男が歌ったり踊ったりしたいと思えば、その選択肢はいくらでもありますから、なにもわざわざ男子禁制の宝塚に入らなくたっていいわけで、その感覚でいくと「なぜわざわざ宝塚なの?」という疑問をもってしまいますが、当時(男子部が設立されたのは終戦後わずか4ヶ月)は歌ったり踊ったりする場所じたいが著しく限られているわけで、彼らは「わざわざ宝塚を選んだ」というよりも、「歌ったり踊ったりしたいと思ったときに選べた選択肢が宝塚しかなかった」のかもしれません。
 そのへんの時代的状況ももう少し書き込んでくれないと「なぜあえて宝塚なのか」という部分が今の観客にはピンとこないんじゃないでしょうか。

 もちろん、宝塚の舞台そのものがとにかく大好きで、純粋にあの舞台にたちたい、ああいうことを自分もやりたいと思って入ってきた人もいるでしょうが、「べつに宝塚でなくてもいいんだけどとりあえず歌いたい(踊りたい)」という人もいるだろうし、「歌やダンスの経験はないし、宝塚も観たことないけど、戦争の暗い抑圧から解放されたんだから正反対の華やかなことにチャレンジしてみたい」という人もいたかもしれない。あるいは単に「女の子がいっぱいいるところに入りたい」人もいたかもしれないし、「食糧難のこの時代に食べる心配しなくてもいいし、給料ももらえる」ことが魅力で入った人もいるかもしれない。
 そういうそれぞれのスタンスというか事情がどれだけ鮮やかに描き出されているかでこのドラマのおもしろさが決まると思うのですが、残念ながらそこがいまひとつ不明確な印象を受けました。
 いや、一応7人がそれぞれ少しずつ身の上話をしたりして説明はされるんですが、説明だけで終わってしまい、そのバラバラな動機がどのように反発しあい、刺激しあってひとつにまとまっていくか…という過程があまり見えてこないんですね。
 いろいろ説明しているわりには似たりよったりに見えてしまうというか。

 ひとつには、隔離された男たちの視点だけで物語が進んでいく…という形に限界があるのかもしれません。
 7人のBOYSの他に出てくるのは、「元宝塚の生徒で、今は掃除婦兼賄い婦のおばちゃん」と「男子部担当になった歌劇団職員」の2人だけ(女子生徒は登場せず、廊下の向こうから時々歌声が聞こえてくるのみ)。
 この2人を「外からの目」としてうまく使わないと、非常に狭い閉じられた範囲でのやりとりになってしまう危険があるんですが、残念ながらそういうきらいは否めませんでした。
 おばちゃんも職員も、それぞれ夢をかなえられなかったという苦い思い出をもっており、いわばBOYSの理解者となりうる存在として描かれているんですが、そのわりには終始BOYSとのかかわりが淡泊というか、「遠くからそっと見守る系」あるいは「あまりガッツリかかわらず距離をおく系」という接し方なので、あまり葛藤が生まれないんですよね。
 理解者になりうるということは、同時に近親憎悪が生まれる可能性もあるということで、「かつての自分を見ているようだ」というシチュエーションは、ポジティブにしろネガティブにしろもっと強い感情を生み出すはず。そこがちょっとぬるいのがもったいないなーと思いました。

 たとえば、職員じゃなくて指導者にしたらどうなんでしょうか。
 職員の池田は、いつもスケジュールとか業務連絡を伝えにくるだけで、どっちかというと「庶務担当」って感じなので、あまりぶつかりようがないんですね。常にやる気がなさそうだし。
 そうじゃなくて、「フラガール」みたいに「かつては花形だったが、今はある事情から歌劇団にうとまれて男子部の指導に左遷された元生徒」って感じの設定にするとか。
 そうすると、その人は明らかに男子が入ることに反対で、「おまえら、宝塚をなめてんじゃねえぞ」って感じでイジメ(笑)に入るんだけど、BOYSたちがあまりにもピュアなんで、だんだん感情移入してきて「あんたたちは私が守る!」って感じでBOYSのために奔走する…とかいう展開もありになるじゃないですか。そうすればそこにはおのずと激しい葛藤と対立が生まれ、観るほうももっとワクワクすると思います。

 あと、女子生徒をあえて出さないというのは「声はすれども姿は見えず」ってことで、BOYSとの距離感(住む世界が最後まで違うという)を出すのには効果的な処理なのかもしれませんが、それなら逆にBOYSが娑婆に捨ててきた人たちというのを出して、彼らが外の世界でどのくらい排斥されているか(あるいは追いつめられているか)を表現すれば、もう少し話に変化が出たのではないでしょうか。そのほうが説明だけの身の上話よりわかりやすいし、訪問じたいで事件もつくりやすい。
 たとえば、一番浮き世離れした「一匹オオカミ」的イメージの星野にじつはすっごい所帯じみた奥さんがいて、「ちょっとあんた。冗談じゃないわよ。なにがダンスよ。子供5人どうするつもりよ」とおしかけてくるとか(笑)。
 3時間近くやってて、外から面会人が訪ねてくるシーンが1回もないっていうのがなんか物足りないんですよねー。

 全体的に「葛藤」が単調すぎるというか、終始「俺たち、いつになったら舞台に立てるんだ。これじゃ飼い殺しじゃないか」というぼやきしかないので、「同じことばっかり言ってるな」という印象で3時間がとても長く感じられました。
 最後のレビューシーン(幻想)では、「本物のBOYSがこのシーンを観たらどういう気持ちになるだろう」と思ってそっちに思いを馳せてジーンとしてしまいましたが、ドラマとしては泣けませんでした。
 戦争の話もけっこう出てくるんですが、登場人物の感覚があまりにも現代っぽくて戦争の影(復員直後で仲間もいっぱい見送っている)が感じられないため、セリフだけで言われてもあまり重みが伝わってこないというのも気になりました。なんか皆さん、他人事みたいに軽くしゃべってるんでちょっとキモかった。。。

 原作は、元宝塚番だった新聞記者が根気強くBOYSを探し出して取材したというルポルタージュ。
 こっちは泣けるのかな。
 いや、泣けなくてもいいんだけど、泣こうと思って行って肩透かしだったんで今ちょっと欲求不満気味で………。

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日光江戸村の余命

 鬼怒川観光の話です。
 1日目は、「龍王峡」という渓谷を歩きました。
 前回訪問時にも行ったんですが(そのときは紅葉し始めでした)、すごくいいところだったので、今回は新緑の龍王峡を楽しみにきました。
 一応、虹見橋からむささび橋までを往復するのが最短の遊歩道コース(約1時間)なので、そこを歩いてみました。
 距離はたいしたことないし、アップダウンもそれほどないんですが、問題は足場が非常に悪いこと。特に虹見橋→むささび橋間はかなり道が悪くて足がガクガクになります。
 でも景色は本当に気持ちよくて最高でした。



龍王峡の新緑。
緑のグラデーションがきれいです。



虹見橋から見える「虹見の滝」。
ほんとに見事に虹が見えました。


 2日目は、本来ならば「鬼怒川ライン下り」→「日光猿軍団」というコースでいこうと思ってたんですが、例の尻餅事件でお尻がかなり痛かったため、泣く泣くライン下りは断念。プラン全体を変更し、「日光江戸村」に行くことになりました。
 ここは今回が初来訪になります。
 平日ということもあって、村内はガラガラでした。
 空いてるのは嬉しいけど、ここはディズニーみたいに並ぶようなたぐいのアトラクションがあるわけではないし(あるのは劇場タイプのイベントのみ)、まあもうちょっと混んでてもいいかなって気はしました(贅沢なやつ)。
 なんかねー、江戸の町をウロウロするというのがひとつの楽しみなわけで、ある程度賑わってないと雰囲気が出ないんですよ。ゴーストタウンみたいな感じで。
 ところどころで大道芸をやってたりするんですが、それも人が集まってないと気の毒すぎてねぇ……。
 入ってすぐに、南京玉すだれをやっている人がいて、呼ばれたので見させていただきましたが、他の観客は遠足とおぼしき小学生が数名のみ。
 小学生には南京玉すだれの口上もなじみがないようで「何語しゃべってんのかわかんない」と反応はきわめて薄し。
 手拍子もまばらですだれは途中でひっかかるしで見ていていたたまれない気分になってきちゃいました。
 終わったあとはさりげなく「お気持ち」を入れるように促されましたが、小学生がそんなもの払うわけはなく、妙におっさんくさい小学生が一人、「金もってねえけどおもしろかったよ」と玉すだれのおっさんを励ましつつ去っていきました。
 しかたがないので「お気持ち」はこちらが負担しました。

 入り口で配られた上演スケジュールをもとに、まず最初は「柳生武芸帳外伝」という野外ライブを見学。
 これはまあ一言でいえば立ち回りを見せるパフォーマンスで、筋はほとんどないに等しいです。
 その後、すぐそばにあった「地獄堂」の中へ。
 「江戸時代の人々が考える死生観を展示しているのか」とまじめに考えて中に入ったら、単なるお化け屋敷もどき。
 しかしこわかったのはお化けでも地獄でもなく、暗すぎて足下が見えないこと。
 進路が全然わかんねーよ!
 時々、脅しのように薄暗い中に鏡が置かれ、自分の姿がボワーッと浮かび上がったりするんですが、そんなもんがあるせいでますますどっちが道でどっちが壁なのかわからん。
 だんだん腹がたってきて「どっちだよ」「わかんねーよ」「見えねーんだよ」と怒りながら進むようになりましたが(地回りのヤクザか?)、相手はテープから流れてくる音声なのでもちろん進路を教えてはくれませんでした。

 次に「吉良上野之介邸」へ。
 中から「意外におもしろかったな!」と言いながらまたもやさっきのおっさんくさい小学生が出てくるのを発見。
 おまえ……グループの盛り上げ役かよ。
 この吉良邸、中で「忠臣蔵」の展示でもやってるのかと思いきや、中は人形館でした。
 関ヶ原の戦いに始まり、江戸幕府が終焉するまでの300年間の中で起こった大きな事件の場面を人形で再現し、説明をテープで流すという内容。
 まあコンセプトはいいんですけどね、なんかここもお化け屋敷くさいというか、場面がいちいち血なまぐさいんですよ。
 半数くらいの場面が誰かが殺されてたり死にかけてたりという血まみれシーンで。
 人形じたいが薄気味悪いので、あんまり気持ちよくなかったです。
 吉良邸の向かいは「小伝馬町牢屋敷」。ここも人形展示らしいですが、牢屋敷+人形という組み合わせですでに路線が見えてしまい、遠慮しました。もうおなかいっぱいです。

 その次は伝統劇場両国座で40分ほどの江戸人情芝居を観ました。
 清水次郎長の子分が親分の使いで東海道を旅するというロードムービー。
 まあ「お江戸でござる」みたいな感じ?
 ただ、あそこまできっちりと作りこまれてるわけではなくて、脚本はかなり雑だし、出演者の演技も微妙。
 一応、コメディ風につくってはあるんですが、それにしてはテンポがのんびりしすぎていてちょっとこれじゃ笑えないなあという感じ。

 ここでランチタイム。
 ほとんど選択肢はないので、とりあえずそのへんの茶店でラーメンを食べました。
 そのうちに「花魁道中」が始まるというアナウンスがあったので、それを観に外へ。
 花魁道中についての解説アナウンスを聞きながら道中を見学。



花魁道中。
一般人が花魁の姿を拝めるのはこのときだけだったらしい。



花魁道中の歩き方はちょっと独特。
足を一歩ずつ円を描くようにしながら踏みだし、体を左右に揺らして歩く。
列全体が船の上に乗っているように揺れて見せるのがコツだそうです。



花魁の履き物といえば「ぽっくり」。
これ履いて髪結い上げたらみんなしずちゃんみたいに見えるんだろうなあ。



さすがに自力で歩くのは難しいのか、支えになる人が横についています。
なんか怪我人が支えられながらかろうじて歩いてるみたいなんですけど。



江戸の扮装をした茶髪のカップル。
扮装料金はもちろん別です(町娘・新撰組隊士などいろいろバージョンあり)。
カップルはまだいいんだけど、赤ちゃん抱いたお母さんがお姫様の格好するのは…微妙。


 そのあとは「北町奉行所」で遠山の金さんのお芝居(40分)を観ました。
 お白州のまわりが桟敷席になっていて、お白州の上(つまりここだけが野外になる)でお芝居が繰り広げられるというちょっとおもしろい趣向。
 これは江戸村の中でも人気演目らしく、役者はさっきよりかなりコメディ慣れしているし、アドリブもいっぱい入っていて客席受けはよかったです。ちょっとTVっぽいノリでしたが。
 特に悪玉が一番おいしい役(笑いがとれる役)になっているところがミソ。
 また、途中でそのおいしい悪玉役が本編とは関係ないトークを展開するところがあるんですが、「皆さん、まわりの方にもぜひ観にくるよう宣伝してくださいねー。江戸村なんていつでも行けるなんて思ってると……(ニッと笑い)ある日なくなっちゃってるかもしれませんよ〜」……ってそれ笑えないから!
 その悪玉さんによれば、GW直後はお客4人というときもあったそうで(しかもその4人は子供を含む1家族…)、「今日は平日なのにこんなにいっぱいお客さんが来てくれて嬉しいです〜」としきりに感動してました。

 そのあとは「大忍者劇場」で35分の忍者ライブを。
 ここはけっこう劇場設備ちゃんとしてましたね。内容は忍者の立ち回り中心でちょっと新感線の影響受けてるかなーという感じ。
 最後は「日本伝統文化劇場」で25分の花魁ショーを。
 これがですねー、じつは一番おもしろかったんですよ。といっても話がおもしろいとかじゃなく、企画の勝利といいますか…。
 まず最初に太鼓持ちが出てきて前説を始めます。
 当時の遊郭がどんなに華やかだったか。
 その中でも花魁と呼ばれる太夫を呼べるのはお金も教養もある一握りのセレブだったということ。
 そのセレブは「お大尽」と呼ばれたこと。
 そこまで説明したところで、「今日はこのお大尽役をお客さんのどなたかにやっていただきたいと思います」と宣言。
 こう言われてすぐに「はい」と立候補する勇気のある人が毎回いるとは思えないんですが、そこはうまいことのせて引っぱり出すのが太鼓持ちの仕事。
 この日はなんかの団体ツアーが入ってて、その中で「Kさん」という声があがり、お大尽役にはこのKさんという推定65歳ほどの男性が選出されました。
 このKさんが………うけた(笑)。
 ストーリーとしては、このお大尽がなじみにしている太夫に「あなた、他の店でもべつの太夫を呼んだでしょ。私というものがありながらキィーッ、くやし〜!」と焼き餅を焼かれ、「それは誤解だよ」とお大尽が言い、機嫌を直した太夫が踊りを踊っておしまいという「それだけかい!」というたわいのない内容なんですが、ヅラをかぶったKさんが登場しただけで団体さんは大爆笑。太夫がKさんに向かって恨み言を言うくだりではもうみんな泣きくずれんばかりに笑ってました。
 そんな突然引っぱり出されて台詞はどうするんだと思うかもしれませんが、そこは太鼓持ちが代弁するという形でうまく進め、支障がないように作られていました。
 とはいうものの、いきなり舞台に上げられたら普通はもっと緊張して挙動不審になると思うのですが、Kさんはまったく顔色が変わらず、終始茫洋とかまえておられたのに感服しました。もうほんと、前世がお大尽だったんじゃないかっていうくらい似合ってましたね。
 パンフを見たら、このお大尽役を外国人がやっている写真が載っていて、なるほどこりゃ外国人観光客にはたまらない体験だろうなーと思いました。

 以上、ざっとですが、江戸村の感想でした。
 印象をまとめると、ターゲットをどこに設定しているのかがいまいち不明瞭なのが中途半端な気がしました。
 一口に江戸と言ってもいろいろな側面があるし、人によって江戸習熟度も違う。早い話が子供向けにするか大人向けにするかでも見せ方は違ってくると思うんですよ。
 文化的なお勉強をしようと思うにはちょっと…というかかなり物足りないし、かといって遊び場としてもいまいち。
 ファミリーできてもカップルできても女性同士できても老人会できても子供の遠足できても修学旅行できても微妙だと思います。
 4500円というディズニーランド並の入場料をとっていながら中身はどこもチープな印象。
 おまけに劇場に入るたびに懐紙のようなものを渡され、出し物が気に入ったらおひねりを包んで舞台に投げろと言われるんですよ。
 もちろん強制ではないのでしなくてもいいんですが、あまり誰も投げないとなんとなく投げなきゃいけないような雰囲気になるのも窮屈だし、「お遊びですから」と言うわりには本気に感じられたりするし(笑)。
 まあ、機械仕掛けの施設に頼るのではなく、あくまでも生身の人間を使ってお客を楽しませようとする心意気はいいと思うんですが、4500円のうえにおひねりを要求されるのはちょっと荷が重いかも……。
 でもそれなりに楽しみましたよ。
 皆さんも行ってみてください、江戸村。なくならないうちに(笑)。

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プロフィール

HN:
伊万里
性別:
女性
職業:
劇作家・ライター
趣味:
旅行 骨董 庭仕事

著作



「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」

Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!

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