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古伊万里★新伊万里

劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です

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心に残った“ベストプレイ5”(2007年度)

 今年も残すところわずか。
 昨年のようなジルベスター状態にならない今のうちに、恒例の「心に残った“ベストプレイ5”」を発表します。
 ……といっても、今年は家の建て替えや旗揚げ公演などでいっぱいいっぱいだったため、観劇数が非常に少ないんですよ。数えてみたら44本しかない。昨年は67本、一昨年は58本、その前が76本なので、まあ例年の半分とは言わないまでも、3分の2くらいしか観てないですね。
 しかも内訳をみると短編とかリーディングとか、1回で数本こなしているものもけっこうあるんで、感覚としてはもっと少ない感じです。
 そんな中で印象に残った5本をあげると…(44本の中にはオペラやミュージカルも入ってますが、選出はストレートプレイに限定します)。

 「ヒステリア」(T.ジョンソン)
     《三軒茶屋/シアタートラム》
 「コンフィダント・絆」(三谷幸喜)
     《渋谷/パルコ劇場》
 「CLEAN SKINS」(シャン・カーン)
     《初台/新国立劇場小劇場》
 「片づけたい女たち」(永井愛)
     《三軒茶屋/シアタートラム》
 「恐れを知らぬ川上音二郎一座」(三谷幸喜)
     《日比谷/シアタークリエ》

 この5本でしょうか。
 強いていうと「CLEAN SKINS」は他の4本に比べると納得できない点が多かったんですが、題材はおもしろかったんで入れてみました。なにせ本数少ないんで。
 たしかにあの限定された空間&人数(母と息子とイスラム教に改宗して突然戻ってきた娘の3人)で2時間緊張感を持続させるのはすごいと思うし、「クリスチャンの白人がいきなりイスラム教徒に改宗」という設定はかなりインパクトあって、最初はその部分の「なぜ?」という謎でひっぱられましたが、理由を知ったらちょっと腰砕け。
 というのも、「失踪した父が、じつは白人ではなくトルコ人だったということを知ってしまったから」というのは、イスラム教徒に改宗する理由としては合理的すぎて「なーんだ」という感じが否めないから。
 ほんとにまっっったくみじんもイスラムとは関係なかった家族の一人がイスラムに改宗するドラマのほうが私は観たかったな。
 途中、「あんたイスラムイスラムいうけど、女はみんな差別されてて、男は自爆テロにはしる、くらいの知識しかないんでしょ、どうせ」みたいなことをお姉さんが弟に言うんですが、私はまさに「その程度の知識」しかない人間だったんで、このあとに「なぜイスラム教なのか」「キリスト教では救われなかったけど、イスラム教で救われた理由はなんなのか」「知られざるイスラムの姿」などが帰ってきたお姉さんの口から明かされるのを楽しみに待ってたんですが、結局そういう具体的な宗教話はなにも出てこないまま「お父さん」の話に移ってっちゃったので「あれれ? そういう話じゃなかったんだ」という感じでした。前振りだけかい!って。
 そもそもアラブ系との混血だったら見た目からすでにまわりの人とは違うんじゃないかと。誰かにそういうようなことを指摘されたことはないんだろうか。友達とかさ。お母さんも、白人の背の高い見知らぬおっさんの写真を子供たちに見せて「これがあなたたちのお父さんよ」と思わせてきたってそれはちょっと無理あると思わなかったのか?
 せめてアラブ系寄りの白人とか、せいぜい北村一輝程度の顔写真を選んで見せておけばよかったのにね(北村一輝じゃもう充分疑惑の対象か←北村ネタ好きだね>自分)。

 残り4本はどれもとてもおもしろかったです。
 中でも三谷幸喜の作品は2本とも新作書き下ろしで、2本ともこのレベルって相当すごいことだと思います(永井愛の作品は再演です)。
 特に「コンフィダント・絆」は、個人的にかなり完成度の高い話だと思いました(ただ、完璧に宛書きなので、このメンツの役者でなければ成り立たないだろうなとは思うのですが)。
 「画家」なんておよそ演劇になりにくい題材だと思うのに、作品(絵)そのものを見せるのではなく、おのおのの創作スタイルや個人的性癖などを通してどういうアーティストなのかをビビッドに伝えてみせるという手腕は見事です。
 ゴッホとゴーギャンのコンビなんて、もうなまじのお笑いコンビより笑いましたよ。ある程度画家についての情報やエピソードを知っている人がみるとさらに楽しめます。
 この「知ってる人が観るとさらに楽しい」という知的な部分でくすぐる三谷作風が「鼻につく」と敬遠する人がいることもたしかなんですが、「恐れを知らぬ〜」のほうは、もう少し大衆性を強調し、商業演劇という間口の広さを十二分に意識した作りになっていました(親切に説明しすぎて長尺化してたけど)。

 「コンフィダント・絆」も「恐れを知らぬ〜」も言ってみれば芸術・芸能関係の有名人が出てくる話です。
 前者では、芸術家ならではのしょうもなさや矮小さやせこさといったサガを愛すべき形で描いていて、こういうテーマは三谷さん大好きなんですよね(そして実際にこういうテーマだと筆が冴える)。
 これをそのまま後者におきかえると、「役者に目覚めてしまった自分の本能と、舞台にあがることをよく思わない夫の間で葛藤する貞奴」「貞奴の天性の舞台人としての才能を認めながらも、同業としてどうしようもなく嫉妬してしまう音二郎」というあたりを集中的に描いていたと思うんです。
 でも、今回は、新劇場のこけら落としで、なおかつ旧芸術座ファン(年輩客)も意識しないと……という前提があったためか、あえてそういう要素はつっこまずにさらっと通過し、「劇中劇」を通して「虚」と「実」のせめぎあいをダイナミックに描くというアプローチをとっていたのが印象的でした。
 まず、わかりやすさと演劇らしさを重視し、なおかつ物語の構造やエピソードが今の演劇界や演じている役者自身とも重なるという点で演劇好きにもアピールする奥行きをも備えていた点がすごいなと思いました。

 最初は主役の2人がユースケ・サンタマリアと常盤貴子ときいて、演劇好きは「そんな舞台経験の少ない役者をもってくるなんて。いかにも一般受け狙ってる感じ」と不安を拭えなかったようですが、これまたよく考えられていて、芸の見せ場は脇の達者な人が担い、2人は真ん中にいるだけで輝くように書かれているんですね。
 というか、むしろ経験が乏しいのに勢いだけでつっぱしる感じが、明治時代にアメリカ巡業を押し切ってしまった音二郎&貞奴の無謀なエネルギーと重なっていい効果を出していました。
 特に常盤貴子は、「初めて舞台にあがったので技術はないが、なにをしても人の目をひきつける天賦の華やかさがある」という設定の役なので、ごく自然にはまって見えました。
 あと、「座長の稽古嫌いは有名だからな」というセリフに笑った(ユースケは自他共に認める稽古嫌いなので)。

 他にも、三谷作品では山南さんのイメージが強い堺雅人が、衣装が足りなくて新撰組の羽織を着て出てくるあたりも「ファンサービス心得てるな」と思ったし、「受ければいいんだ」というユースケと、「人に見せるからにはそれなりの内容がなきゃだめだ」という堺雅人の対立場面など、TVと舞台の対立にもダブって見えたし(特に「お客が入らなきゃ中身がよくてもしょうがない」というセリフには商業演劇の大命題が凝縮されてるようでつきささりました)、新劇出身の今井朋彦が、「シェイクスピアならハムレットのほうがいい」とこうるさく注文をつけるプライドの高い役者を演じてるのもおもしろかった。
 「いろんなジャンルの人がまじってて統一感がない」という批判もきいたけど、商業演劇がこれから生きていくためにはまずそういう「節操」を捨てなきゃいけないのかもしれません。
 音二郎一座の奮闘が、演劇界全体の縮図にも見えるという、おもしろいだけでなく、演劇業界人にとっては考えさせられることも多い1本だったと思います。

 「ヒステリア」については、HPの「鑑定法」で語ってますので、興味ある方はそちらへお越しください。
 以上です。
 さて。来年はどんな作品に出会えるでしょうか。

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「ライト・イン・ザ・ピアッツァ」観たけど…

 「ライト・イン・ザ・ピアッツァ」というブロードウェイミュージカルを観てきました。
 2005年度のトニー賞6部門を受賞したという作品で、「すごく感動的」という前評判をあちこちで聞いていたので、かなり期待して行きました。

 正直に書きます。
 私には期待はずれでした。
 歌も(難曲なのはわかるけど)「もうちょっとしっかり歌ってよ」と思いましたし、なによりも脚本が……納得できないことだらけで気持ちがどんどんひいていきました。

 舞台は、1953年のフィレンツェ。
 アメリカ人の母娘が観光旅行を楽しんでいる。
 娘のクララ(新妻聖子)は、現地のイタリア人の男の子ファブリツィオ(小西遼生)と出会い、2人は一目で恋に落ちる。
 ファブリツィオはなんとかクララを誘おうとするが、そのたびに母のマーガレット(島田歌穂)が邪魔をする。
 それでも母はクララを説得することができず、2人はファブリツィオの家へ。
 ファブリツィオの両親、兄夫婦は、母娘を歓迎。クララとファブリツィオを結婚させようという話がトントン拍子に進む。
 マーガレットは何回も「クララについての重大な秘密」を家族にうち明けようとするが、どうしても言い出せず、悩み、葛藤する。
 とうとうクララを連れてフィレンツェを出るという強硬手段に出るマーガレットだが、クララの強い意志を感じ、彼女を手元から飛び立たせることを決意する。

 簡単に言うとこんなストーリーです。
 このストーリーだけではよくわからないと思うのですが、要するにクララには精神的な障害があるんですね(あまりに無邪気なので10代に見えるがじつは26歳)。
 でもそれはパッと見てすぐにわかるものではなく、特にファブリツィオ一家は外国人なので、細かいニュアンスもよくわからないという設定です。

 精神障害という新たな設定はあるものの、基本的な設定は映画の「旅情」を思わせます。
 アメリカ人のハイミス(←死語!)とイタリア人の中年男(じつは妻子もち)がヴェネツィアで出会って恋に落ちるというもので、不器用な大人の恋って感じが見事に描き出されている秀作でした。くちなしの花など、小道具の使い方もしゃれていて、結局別れが待っていて泣けるんだけど後味が凛としてさわやかで、主人公2人の魅力の描き方も秀逸で、じつにすばらしい映画でした。
 しかし、今回は設定が似ているだけに、「『旅情』よりもさらに障害が大きい設定なのに描き方は薄っぺらいな」という印象が否めませんでした。
 これがあちこちで「深い」「感動的」と絶賛されるのが私にはどうしてもわかりません。
 
 疑問その1。
 クララの「障害」っていうのが結局どういう障害なのかわからない。
 「12歳のとき、ポニーと遊んでいて頭を蹴られて大怪我をした」「以来、心の成長が止まってしまっている」という程度の情報しかないので、クララがどの程度「普通でない」のかがわからないんですよね。
 前提としてそこがはっきりしないと、マーガレットの心配にも共感しにくい。ひらたく言うと、「本当はそれほどひどいものではないが、娘を神経質に心配するあまりに過保護になりすぎている母親の話」ととらえたらいいのか、本当に自立させるのがかなり困難な病状なのかが判断できない。できないと最後のマーガレットの決断の重さ(=無謀さ)もどう受け止めていいのかわからないし。
 医者のコメントとか、ある程度客観的な視点が入っていればそれがよすがになるんだけど、終始母親の視点でしか書かれてなくて、しかも情報が断片的なので、そのへんがイライラさせられるんでずよ。
 「12歳でとまってる」というのも微妙。3歳とか5歳とかならともかく、12歳ってけっこうすでに人格も固まってるし、理解力だってあるし、そういう意味では充分大人ですよね。
 最初は「性的な視線に対して無防備」という意味なのかなと思ったんだけど、だとしたら「男の子に声をかけられると、次にどうなるのか想像できずにホイホイついていってしまう→その気があると判断した相手が男として迫ってくるとびっくりしてパニックになる」というような展開があるのかなと思いますよね。
 でも、ラブシーンではむしろクララのほうが積極的だったりしたので、そこも「???」でした。
 クララの成長を見せるためにも、たとえば「最初は何を見ても怯えていて、自分から行動しようとしない状態」だったのが、ファブリツィオと出会ってから見違えるように積極的になったとか、もっとわかりやすい変化を出してほしいのですが、見ていてあまり変化しているように見えなかったため、マーガレットが急に考えを変える根拠も希薄に感じられました。

 疑問その2。
 とにかく展開が遅すぎます。
 そしてなによりも「ファブリツィオ一家にクララの病気のことを話さないまま結婚させてしまうマーガレット」に非常に疑問を感じました。
 だってそこが一番ドラマのキモでしょう。
 相手が病気のことを知ってどんな反応をするのか。
 一度は諦めるかもしれない。
 応援してくれる人、反対する人、それぞれの立場で葛藤が生まれ、クララもつらい思いをするかもしれない。
 でもそれを乗り越えて2人が結ばれる強さを見せたとき、初めてマーガレットも「娘から卒業」でき、クララもファブリツィオも精神的に真の成長を遂げることができるのではないでしょうか。
 そこを描かないなら、「障害をもつヒロイン」なんて設定を使わないでほしいです。
 2幕構成なら、少なくとも1幕の終わりくらいでクララの病気のことが明るみに出てしまい、2人のピンチ!という事件をつくり、2幕で2人がどうやってそれを乗り越えていくのかを描くべきでしょう。
 なのに結局最後までマーガレットが一人で悶々と悩み、迷い、観客にむかってこぼしているだけで、誰も病気に気づかずに終わってしまうというのはいかがなものでしょうか。
 あげくのはての結論が「障害があるからとか本当はたいしたことじゃないのかもしれない」って……いや、たいした問題ですよ、ファブリツィオ一家にとっては。
 言ったうえでの波乱を乗り越えたうえでそういうこと言うならともかく、真実を話し、クララを理解してもらおうという努力をしないままそんなこと言われても。
 
 べつにマーガレットがうち明けなくてもいいと思うんですよ。母親としては、できれば言いたくないことだろうし、言えない気持ちはよくわかるから。
 でも、ファブリツィオ一家が誰も気づかないのは不自然です。
 実際、何度もクララが「え?」と思うような行動をとる場面がありましたからね(一番顕著だったのは、兄嫁がふざけてファブリツィオにキスしたとき、いきなりキレて攻撃的になった事件)。
 そういうときに、家族の中で「おかしいかも」と思う人と、「いや、おかしくない」という人と反応が分かれるくらいの描写はあってもいいと思うんですが、常に全員が同じ反応で、誰も「おかしい」と思わないのが疑問。
 ファブリツィオ一家の誰かが気がついて忠告するとか、マーガレットに問いただすとか、なんかそのくらいのアクションはあってもいいんじゃないですかね。

 疑問その3。
 ファブリツィオ一家の力関係というか、どういう一家なのかがいまひとつよく伝わってきませんでした。
 そもそも、町でちょっとかわいい外国人観光客を息子がナンパして家に連れてきたからって、すぐに「結婚させましょう」なんていう親がいるか?
 そういうところがなんかうそくさいというか、ひいちゃうとこなんですよ。
 しかもお父さん、クララが26歳(ファブリツィオより6歳年上)ということがわかったとたん、いきなり不機嫌になって教会出ていっちゃうんですよ(式のリハーサルの途中で)。
 そんなことで「許せん」なんて頑固親父っぷりを発揮するくらいなら、その前にもっと相手のことをチェックする余裕をもてよと言いたい。
 逆にそのエピソードで「決してリベラルな親じゃないんだ」ということがわかるため、「じゃあなんで1回会っただけの行きずりの外国人との結婚を簡単に許すんだ」ってところが疑問になるわけです。
 クララとファブリツィオのカップルに対し、ファブリツィオの両親、クララの両親、ファブリツィオの兄夫婦、と3組のカップル(夫婦)が出てきますが、3組出すからには3通りの夫婦の形を見せ、それぞれのアプローチで若い2人の結婚になにかを問いかけるようにしてほしいところですが、「兄夫婦は兄の浮気癖のために夫婦仲がうまくいってない」「クララの両親はクララのことで夫婦仲が冷えているらしい」くらいの情報しかないので、どの夫婦関係もあまりドラマ展開に生かされていないのが惜しい。

 疑問その4。
 クララとファブリツィオのが恋に落ちるきっかけですけど、もうちょっとなんとかなんないですかね。
 ドラマだし、一目惚れっていうのはあってもいいと思うけど、風でとんでしまった帽子を拾っただけでもうラブラブになるのってちょっと能がなさすぎでは?
 旅先なんだからいくらでも出会いのきっかけは作れそうなのに(観光客が困っているときに現地の人が助けてあげるなんてパターンは山ほどあるだろうに)。
 ファブリツィオが毎日女の子に声かけまくっているようなキャラならそれはそれでいいけど(で、毎回同じ手をつかってるとかね)、どう見てもそういうキャラじゃない、ある意味イタリア男らしからぬ奥手キャラなんで、よけいに違和感を感じました。
 また、ファブリツィオがクララのどこにそんなに夢中になるのか、そこも描いてくれないと短期間で「結婚」にまでいくのはちょっとどうだろうと思います。
 たとえば、ファブリツィオは父の経営する店で見習いをしていて、厳しくしつけられていたが、自分に自信がない、もしくは「自分にはこんなことむいてないんじゃないか」と悩んでいたが、クララに出会って自信を取り戻したとか、なんでもいいんですが、2人の距離が縮まるようなエピソードがなにかほしいですね。

 以上、気になった点、不満な点をあげてみました。
 ミュージカルにしては等身大のお話で心理劇的要素が強い作品なので、そこが「超大作ミュージカル」に食傷気味の観客に受けたのかもしれませんが、なまじ芝居の要素が多いだけに「芝居として気になる点」が目立ってしまったのかもしれません。
 それでも、終演後はスタンディングオベーションだらけだったので、皆さんの満足度は高かったんでしょうか(もっとも最近はなんでもかんでもスタンディングする傾向があってこれもどうかと思いますが)。
 千秋楽だったためか、客席には業界関係者が多く、加賀まりこさんを見かけましたが、あまりお気に召さなかったようで、同行者の若い男性に「ふーん。これに感動するんだ。ピュアなんだね」とさめた口調で語っておられました(笑)。

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あのとき、私は若かった

 私が通っていた高校(中高一貫の非ミッション系の私立女子校)は、イベントに対して異様に執念を燃やすことで有名な学校です。
 特に年2回の最大イベント、「春の体育祭」と「秋の文化祭」にはまるまる1年分の精力を注ぎ、その直前は授業どこじゃないっていうくらい盛り上がり、終わったら終わったで燃え尽きちゃってやっぱり授業どこじゃないっていうふざけた生徒たちでした。 
 ……という話は、今までにも折りに触れてしてきたと思います。
 そのうち、「秋の文化祭」については、2006年10月2日の記事「衝撃の『レミゼ』文化祭公演」にたっぷり書きましたが、今日は「春の体育祭」について書こうと思います。

 うちの体育祭の大きな特徴──それは「学年対抗」というところにあります。
 最近は、みんなが手をつないで一斉にゴールするとか、順位は決めないとか、運動会でも「平等」を要求する変な風潮がありますが、その発想で言えばうちの体育祭は不平等きわまりないものです。
 だって、中1なんてつい2ヶ月前までは小学生だったんですよ。高3は来年には大学に入る年齢ですよ。勝負にならなくて当然でしょう。
 実際、集団で並んでるのを見ても、「大人」と「子供」くらいの体格差があります。
 「平等にするなら中1〜高3までの混合チームをつくって対抗させるべきじゃないの?」
 「これじゃ高3が必ず優勝して当たり前じゃない」
 と思いますよね。

 ところが、実際にやってみるとこれがそうでもないんですよ。
 まあ中1がビリなのはまず動かないにしても、その上は順位の入れ替わりがけっこうありますし、高1くらいになると上級生を抜いて優勝した学年も過去の歴史にはあります。
 身が軽いほうが有利な種目、持久力が要求される種目、経験とキャリアがものをいう種目、団結力が必要な種目…といろいろありますからね。体格がよければすべていけるってほど甘くはない。
 ちょうど相撲が体重別じゃないからおもしろいように、学年対抗戦ももまさかという逆転劇を生み出すおもしろさがあります。
 特に高2と高3の差は拮抗しており、逆転されることもしばしば。ひとつ下の学年が強豪だったりすると、結局一度も優勝できないまま卒業していかねばならない悲運の学年もでてきますが、そのトラウマは外部の人の想像をはるかに超えたものです。

 「そんな……たかが体育祭で優勝できなかったくらいで大げさな」
 と思いますよね?
 でも大げさじゃなく、「体育祭で優勝した」という事実は、その後の人生の困難を乗り越えるための支えになるくらいの重みがあるので、優勝経験がある学年は何十年たって集まってもその共通体験を反芻しては再び生きるパワーをもらえるし、優勝できなかった学年は、同窓会で集まっても「体育祭の話」はNGワードというくらい微妙な思いを抱えていくことになります(先生も、卒業生に会うときは「優勝した学年かどうか気を使って話す」と言ってました)。
 
 で、私たちの学年はどうだったのかというと……「高3で優勝しました」。
 そこだけ見ると「よかったね」という話なんですが、ここへくるまでは平坦な道のりではありませんでした。
 というのも、私たちは「万年5位」という不名誉な称号を与えられていた伝説の学年だったからです。
 まず、中1のときの成績は「6位」
 これはまあ誰もが通る道のりだったんで誰も傷つきませんでした。
 そして翌年の中2では「5位」
 これまた順当な順位なので、「このまま来年は4位、次は3位とのぼっていくんだろうなー」と漠然と思っていました。
 ところが、中3の順位は……やっぱり「5位」
 そう。ひとつ下の中2に抜かされちゃったのです。
 「あちゃー、参ったね、こりゃどうも」
 という感じでしたが、元来、よく言えば「のびのび」、悪く言えば「お気楽体質」だったうちの学年は、まだそれほどの危機感を感じていませんでした。
 が、高1で「5位」になったときはさすがに顔面蒼白になりました。
 いくらなんでも中2にまで負けるって……そりゃあないだろう。そんな学年、聞いたことないよ。

 こうなると、下の学年からもなめられるようになってきます。
 「あの学年は恐るるに足らず」と陰でみんなに言われているような気がしました(というか、実際に言われてました)。
 「年功序列なんて通じないんだ。勝つためには人よりも努力しなければいけないんだ」
 そんな当たり前のことに気づき、本気で努力し始めたのがこの年からでした。それまでだって決して努力していなかったわけではないのですが、それではまだまだ足りなかったということです。
 悔し泣きに暮れた苦い体育祭が終わり、その翌日から私たちは来年のリベンジに向けて具体的に動き始めました。その詳細については語りませんが、かなりシステマチックに計画をたてて、研究を重ね、練習を積んできました。
 その甲斐あって、高2では念願の「2位」を獲得。
 とにかく「学年相当の順位」を得ることがその年の目標だったので、このときは優勝した高3を心から祝福し、2位という成績に満足して終わりました。
 ここまできたら残る目標は「優勝して卒業する」──これしかありません。
 卒業するまでに優勝できるのはワンチャンス。泣いても笑っても次回だけです。
 下の学年は強豪揃いだったし、「優勝」はさらに高いハードルでしたが、結果的にはなんとか達成することができました。

 もうひとつ、うちの体育祭の呼びものに「応援合戦」がありました。
 これは昼休憩のあと、午後の部に入る前にやはり学年対抗で行うもので、まあ一言でいうとマスゲームみたいなものですが、このレベルはかなり高いです。
 中1は入ったばかりで何もわからないので、先生が内容を考え、教えられた通りにやるだけですが、中2以降はすべて自分たちで考え、1年かけて練習を繰り返していきます。
 私たちの時代でもこの時間帯はすごい数のギャラリーで溢れかえってましたが、今はさらに人気がヒートアップしているようで、5年前に見に行ったときは、空間という空間がすべてギャラリーで埋め尽くされていて、そのボルテージの高さに驚きました(父兄は早朝、生徒より早く学校へ行って、開門と同時に席取り争奪戦を始めるらしいです)。

 ここでさらにうちの特徴をいうと、入学と同時に「学年色」が与えられること。
 私たちは「紫」でしたが、その学年色は卒業するまでずっと私たちのもので、卒業するとその色は中1にまわります。
 たとえば、私たちが中1のとき、中2は白、中3は青、高1は赤、高2は黄、高3は緑でしたが、次の年は中1が緑になり、あとは繰り上がるという次第。
 おかしなもので、同じ色の学年にはわけもなく親近感がわくという現象があって(同じ学年色の学年と同じ時期に在学することはないわけですが)、卒業してもOGに会うと「何年卒業か?」よりもまず「何色?」と聞かれ、同じ色だと年齢に関係なく妙な同志愛を感じたりします。
 また、「紫のひとつ下は緑で、その下は黄色」というふうに、みんな色の並びが体にしみついているので、「何年卒業」と数字で言われるよりも「黄色」と言われたほうが「ああ、2コ下ね」とすぐにピンとくるという便利さもあります。

 この「学年色」はいわば学年のCIみたいなもので、いたるところで利用されますが(同期会の名称は学年色にちなむものにするとか、体育祭の応援にくる父兄や先生は必ず学年色を身につけるとか)、これがもっとも色濃く発揮されるのが体育祭の応援合戦です。
 忘れもしない中1の体育祭のとき。
 高3は緑の学年でした。
 その応援内容は、木の芽が生まれ、育ち、やがて大きな樹木になって実をつけるまでの過程をパネルの展開で表現したもので、幼心にそのスケールの大きさと迫力に驚嘆し、「高3ってすごい人たちなんだ」とボーッとしたのを覚えています。
 それ以来、「高3はどの学年よりも圧倒的にすばらしい応援をするもの」という刷り込みができあがり、それはそのまま、自分たちが高3になったときの応援への意気込みにつながっていきました。

 高3のとき、私たちは「今までにどこもやったことがない独創的なものをやろう」という構想のもと、「ケチャ」をとりいれた応援を計画しました。
 「パネル」や「ポンポン」を使った「視覚効果」に訴える応援はすでに散々出つくしていましたが、「声」を中心にした応援はまだないのではないか?と思ったからです。
 「ケチャ」は、今でこそ観光客向けのパフォーマンスとしてすっかり有名になってしまいましたが、当時そんなものを知っている人はほとんどいなかったと思います。
 そんなマイナーなものに目をつけ、応援用にアレンジした企画委員・執行委員の眼力と実行力には心底敬服します。

 当日の反響は今でもはっきり覚えています。
 当然ながら、自分たちが今どう見えているのか、やっている本人たちにはわかりません。
 だから、練習の間はいまいちどこがどうすごいのかよくわからないままやっているのですが(チェックできるのは前に出ている応援団の人だけ)、本番では山場になるとギャラリーからいっせいに「おおっ」という大きなどよめきが響いてきて、そのとき初めて「ああ、すごいことやってるんだ」という手応えを得て、快感と日差しの強さに頭がクラクラしたものです。
 「この応援を見て、中1の子たちはあの頃の私みたいに『すごいな』『あんなふうになりたいな』って思ってくれてるのかな…」
 緑の応援に度肝を抜かれたあのときが体育祭への「入学」の瞬間だとすれば、このときが「卒業」の瞬間だったのかもしれません。
 1年かけてつくりあげてきた応援はたった数分間で終わってしまいますが、その充実感は何十年たっても色あせることなく残っています。

 前振りがすごく長くなりましたが、本題はここから(ええかげんにせえ!とつっこまれそうですが)。
 さる12月1日のこと。
 母校でM先生の校長就任祝いが催されました。
 M先生は、中1から高3まで私たちの学年の担任を受け持っていた先生だったので、プチ同期会を兼ねた祝賀会が行われたのです。
 出席者は日頃M先生に連絡をとっている紫の仲間66名。
 正式な同期会ではないので、学年全部(360名余)に連絡したわけじゃないのですが、個人的な呼びかけだけでここまで集まるというのもすごい出席率です。

 で、当日のお楽しみとして、高3のときの体育祭フィルム上映会が行われました。
 DVDにおこしたものの、画質はかなり粗い状態。
 それでもみんなすさまじい盛り上がりで、紫の同級生が画面に映るたびに大騒ぎ。“27年前の■■ちゃん”が走り高跳びをクリアすればその場にいるかのように大喝采だし、“27年前の△△ちゃん”がリレーで独走すれば本気で拍手するし、先生は画面を見ながら「えー、このときはこのような陣形が主流でしたが、今の傾向は……」などとウンチク解説を加えるし、先生に限らず何か言いたい人はマイクを奪いあいながら「ああだった」「こうだった」と解説合戦になるし、「なんなんだ、このオリンピックのような盛り上がりは…」と大受けでした。

 そんな大騒ぎも、応援合戦のときばかりはやんで静かになりました。
 自分たちの応援をフィルムやビデオで見たのはこのときが初めてではありませんでしたが、久しぶりに見た応援は、近いようでなんだかとても遠いものに感じました。
 そうか。このときは自分たちの姿を見ることができなかったけど、今は見ることしかできないんだな……。
 そう思ったら、急にじわっと涙があふれ出てきました。
 似たようなシチュエーションのドラマを書いたことがあるけど、「ああ、ほんとにこういうときって涙が出るもんなんだ」と思いましたね。

 「すごい。すごいよ。あんたたちは……」
 中1のときに高3の応援を見たときとは違う意味で素直にそう思いました。
 決定的に違うのは、中1のときはこれを目指そうと思ったこと、今はここから離れていく自分を実感したことです。
 で、わかったのは「今」は自分には見えないってこと。「過去」や「未来」から眺めることはできても、「今」から「今」は見えない。
 そのすばらしさもその瞬間には本当の意味では理解できない。
 なんて残酷なんだろう。
 今はすでにこんなにいろいろなものを失っているのに。

 泣けたのはそれが一番の理由です。
 でも「うらやましい」「戻りたい」とは思いません。
 だって戻ってもやっぱりそのときの価値はそのときの自分にはわからないだろうから。
 「今」が見えないのが宿命なら、いつを生きても同じこと。
 だったら、どんなにつらくても、苦しくても、見えない部分にこそ希望と可能性があると信じたいです。
 暗闇の中、他の人がどんな思いでこの映像を見たのかわからないけど、きっとそれぞれの思いがあったんじゃないでしょうか。
 
 今回はシリアスになってしまいましたが(ブログはなるべく軽い話を書きたいんだけど)、ま、たまにはいいよね。人間だもの(←まだやってんのか←ほんとは好きなんじゃねえの)。

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プロフィール

HN:
伊万里
性別:
女性
職業:
劇作家・ライター
趣味:
旅行 骨董 庭仕事

著作



「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」

Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!

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