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古伊万里★新伊万里

劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です

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「ミシュラン」三日天下

 テアトル・エコー研修生による卒業公演の稽古がいよいよ今日からスタートしました。
 今後、稽古の様子や公演情報などは別ブログにてお知らせしていきますので、あと3ヶ月ちょっと、ご支援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
 新ブログのアドレスは以下の通りです。

 「テアトル・エコー研修生卒業公演応援ブログ」


 このページへは、右メニューのリンク欄からもとべます。
 あ、ちょっと待って!
 その前に、ここで皆様にお詫びと訂正があります。
 これを読まないままブログに行くと「え???」と思うかもしれません。

 そうなんです。
 「病院ミシュラン」はほんとにほんとにつくづく上演運のない作品みたいで。



 こんなお祝いまでいただいたのに(東山さん、ありがとう!)……結局諸事情により上演されるのはべつの作品になったんです。
 上演が決まったのは、5年前、名古屋で私のデビュー公演として上演された「マダム・ノアールの占い事件簿」「ファイティング・マザー」の2本です。

 なぜ「病院ミシュラン」が中止になったのかといいますと、まあ理由はいろいろあるんですが、やはり年齢からいっても男女比からいっても、今の研修生がやるのにはかなり無理があると私も演出も判断したからです。
 最初は新しく役を書き足すつもりでしたが、どうもそんな次元で済む話ではなくなってきて…。
 もともと「病院ミシュラン」は中年の男優がメインのお芝居。研修生は圧倒的に男優が少なく、しかもみんな役年齢の半分くらいの年齢の人ばかり。逆に女優は圧倒的に役の数が足りなくて、全員ダブルにしてもまだ3人足りないという状態。
 かといって、役の数を増やすためにもう1本べつの作品をつけるには「ミシュラン」は大作すぎるのです。

 その点、今回の2本ならば若い役の見せ場もわりと多くあるし、さわやか度からいっても卒業公演にふさわしい内容なのではないかと思った次第です。
 永井さんも「『ミシュラン』を上演することが悲願」という私の思いを知っているだけに、作品変更を言い出すのにかなり気を遣われたようで(笑)、おそるおそるといった感じでメールが送られてきたのですが、私は「他になにかいい作品ないかなあ」ともちかけられたときに、頭の中で薄ぼんやりとこの2本になるんじゃないかという予想はしていました。
 なので「この2本でいきたい」と言われたときは「ああ、やっぱり」という感じだったんですが…。
 でも今回はあくまでも研修生の卒業公演として成功させることが一番の目的なわけですから、合わない作品を無理やりやってもすべての人にとって不幸な結果を生み出してしまうだけです。
 というわけで、私もこの2本にして正解だと思います。

 とはいうものの、今までに何度も上演の話がもちあがってはいろいろな理由でつぶれていった「病院ミシュラン」は、ほんとにツチノコ(←古い)並に幻度が高いな〜と運のなさに驚いています。
 読んだ人から「これ今すぐ観たい!」「なんで上演されないの?」と言われるたびに「こっちが聞きたいよ!」と逆ギレしそうになってます。

 一方、「マダム・ノアールの占い事件簿」は、生まれて初めて書いた戯曲で、最初は30分ほどの小品でした。
 講評会では先生にメチャクチャ叩かれ、「こんなの芝居じゃない。TVだ」と言われたのは今でもトラウマ(?)になってるほどですが、これがなんと今回で上演3回目になるんですよ。
 短さが幸いしている部分もあるとは思いますが(2本立てのペアに使いやすい)、それでも賞をとったわけでもないこの作品が5年間で3回も上演されているのは、やはり強運といっていいと思います。
 もちろん、上演にあたってはその都度かなり手を加えましたし、今回も細かい部分で直しを重ねに重ねています(「ファイティング・マザー」も同様)。
 酷評した先生も、最初に上演されたときには喜んで観てくださってましたし、上演されるたびにそうやってグレードアップしていけるチャンスのある作品は幸せだなと思います。
 直しって、ただ机上でやってるだけでは限界があるんですよ。やっぱり形になった経験があって初めてわかることは多いですからね。

 だからこそ、「ミシュラン」も早く形になったものを観てみたいんですが……。
 ああ、いけない。愚痴モードになってきてしまいました。
 
 とにかく、演目は変更になってしまいましたが、卒業公演で作品が上演されること、東京デビューが果たされることには変わりはないので、一生懸命頑張ります。
 って、私が頑張る作業はもう終わったんだな。
 あとはサポーターにまわって研修生を盛り上げたいと思います。

 以上、めでたくもあり、めでたくもなしという微妙なお知らせでした。

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「山の巨人たち」を観ました

 昨日、新国立劇場で「山の巨人たち」というお芝居を観てきました。
 作家はピランデルロというイタリアのシチリア出身のノーベル賞作家。演出はラヴォーダン。新国立劇場芸術監督の鵜山さんが、「ピランデルロの演出なら彼しかいない!」とラブコールを送ってフランスから連れてきたという幻想的な演出を得意とする演出家さんです。

 ピランデルロ作品の特徴は、一言でいうと……わけわかんないこと(笑)。
 少なくともストーリーを理屈で追っていこうとすると狐につままれます。
 それでも無理やりストーリーらしきことを拾うと……。

 まず、場所は橋の上。
 橋といっても平らな橋ではなく、いわゆるアーチ型になった「たいこ橋」。
 客席から舞台奥に向かってどーんと巨大なたいこ橋がかけられているのを想像してください。つまり舞台上には平らな場所がほとんどないってこってす(かなりの傾斜で、どこに立ってももれなくこわいそうです)。

 橋といえば、能舞台でもお決まりの装置ですが、演劇的には「あの世」と「この世」、あるいは「現実」と「夢」、あるいは「過去」と「現在」など、異空間をつなぐもの。
 この作品も全体を通して異質なものが常に対立し、せめぎあう形で進んでいきます。

 橋の上には、なにやら浮世離れした人々(あの世とこの世の境目に存在する亡者?あるいは人里離れて身を隠している社会からの落伍者?)がうごめいていて、橋の下を見下ろして「なにかがこちらにむかってやってくる」と不安にかられている。
 橋の向こうから現れたのは女優である伯爵夫人イルセ(麻実れい)を中心とした10人ほどの役者集団。放浪の末たどりついたのか、全員がボロボロに疲れきっている。
 これを出迎えたのが浮き世離れ集団の頭であるコトローネ(平幹二朗)。彼は自分は魔術師だと名乗り、ここは「不運の館」と呼ばれていると説明する。

 イルセは「ある戯曲をどうしても上演したいのだが、どこでやっても観客が受け入れてくれない。どこかで上演させてもらえないか」というようなことを訴える。
 イルセは伯爵と結婚していったん女優をやめたが、ある詩人が彼女のために戯曲を書き、それがあまりにもすばらしかったので再び女優を始めた。
 詩人は彼女の愛を要求するが、イルセが拒んだために自殺してしまう。
 死んだ詩人の魂をもてあましながら、彼らはずっと旅を続けているという。

 コトローネは自分の館に役者たちを招き、彼らはそこで夢と現実が渾然一体となった不思議な体験をする(このあたり、人形を使ったりして幻想的な演出が発揮される)。
 コトローネは「観客も劇場も必要ない」と言うが、イルセはあくまでも「観客あっての芝居だ」と主張する。
 そんな彼女に「では明日、山の巨人と呼ばれる2家族の婚礼があるので、そこで芝居を上演してみてはどうか」と提案するコトローネ。

 じつは台本が書かれているのはここまで。
 これはピランデルロの遺作で、彼は作品が書き終わらないうちに亡くなってしまったのです。
 書かれなかった最終幕については、作者が息子に語ったという梗概が字幕で流されましたが、エンディングはけっこう残虐。
 山の巨人が登場する前にその配下の民衆たちが登場し、彼らの前で作品を上演しようとするも激しい拒絶に遭い、怒り狂った民衆によって伯爵夫人はなぶり殺しにされるというのがその結末です。
 結局、「山の巨人」は最後まで登場しません。

 以上、これだけ読むと具体的な話に見えますが、実際に観ると話がポンポンとんで横道にそれていくので、本筋を拾おうと思うとかなり疲れます。
 ちなみに今回一緒に観劇したのは、イタリア好きのRISAとフランス語翻訳家のマリコさん。
 RISAはもともとピランデルロのファンらしいのでいいとして、まったく予備知識なしで来たマリコさんはどうだったんだろうとちょっと心配に…。
 でも杞憂だったようです。終わったとたん、頬を紅潮させて「私、こういうのかなり好きかも〜♪」と喜んでいたのでホッとしました。
 誰にでもわかるたぐいの娯楽作ではないだけに、こういうのまったくうけつけない人ってのもかなりいると思うので。
 しかし、考えてみればマリコさんは「フランス脳」(笑)。ピランデルロは特にフランスで人気があるらしいので、好みとしてははずれてなかったのかも。とにかくお気に召したようで一安心。
 RISAいわく、「この作品はまだ全然わかりやすいほう。もっともっとわけわかんない作品もあるよ」とのこと。

 で、私はどうだったかというと……微妙。
 これよりもっと難解で観ているのがただただ苦痛という舞台も経験しているし、その点これは対立概念が比較的はっきり浮かび上がっている作品なので、特別難解だとか退屈だとかは思いませんでした。
 でもなんか生理的にすっきりしないんです。かゆいところに手が届かなくて気持ち悪いってうか。イメージとして伝わってくるものはあるんだけど、輪郭がボヤーッとして遠くに見えるっていうか、胸にささってくるものがない。変に気持ちが冷静になっちゃって、突き動かされるものがないんです。
 これはもう好みの問題なのでしかたがないですね。

 それよりもおもしろかったのは終演後に行われたシアタートーク。
 最近はどこの舞台でもシアタートークが大はやりですが、中でも新国立のシアタートークは群を抜いておもしろい。
 MCの堀尾アナの座持ちのうまさもさることながら、観客にコアな演劇ファンが多く、けっこうきわどい質問とかもバンバン出るのがスリリング。
 これもライブなので、修正や編集ができないという緊張感があります。

 今回は芸術監督の鵜山さんを筆頭に、麻実れい、手塚とおる、植本潤など総勢7名が出演。
 うわ〜、豪華〜!!な顔ぶれですが、ちょっと待て。トメの位置にあたる平さんがいない!なぜ??
 という会場の空気を事前に察した堀尾アナ、「平さんはお疲れとのことでお帰りに…」とエクスキューズ。したと思ったら手塚さんが横から「平さん、『僕が出るといろいろ聞かれるからやだ』とかいってさっき帰っていきましたよ」と暴露(笑)。

 たしかに今回のようにわかりにくい作品の場合、シアタートークなんかに出演しようものなら、観客から「あれはどういう意味なんだ」「どう解釈してやってたんだ」と嵐のように質問をされるだろうことは明らか。
 そりゃ逃げたくもなるわな。。。
 しかも堀尾アナは「知ったかぶり」をしないポリシーの持ち主なので、一般観客がわからないだろうと思われる部分は堂々と「あれはいったいどういう意味なんですか?」と正面からガシガシつっこんでくる。
 こういうときに逃げ隠れできないのがシアタートークのこわさ。
 本来なら演出家が出演してなんでも答えてくれるはずなのだが、ラヴォーダンはすでにフランスに帰っちゃったあとでして(笑)。

 観客が陥りやすい誤解の一つとして、「演じてる人は何もかも理解してやってるんだろう」というものがありますが、申し訳ないけど、それはないと思います。
 役者は素材ですから、演出家の要求に応じていろいろな引き出しをあけて見せてあげられればいい。
 それぞれが勝手に解釈して演じられても収拾がつかなくなるし、共同作業なので、やっぱり解釈の元締めは演出家だと思うんですよね。そこでコンセンサスをとらないとなにも動かない。だから、役者はむしろ必要に応じて白紙になれるくらいのタイプのほうがいいんじゃないかと思います。
 そんなわけで、今回のシアタートークは、会場から出た質問を堀尾アナが誰かに聞こうとすると、みんな一斉に目をそらして当たらないようにしてるのが見え見えで(笑)。
 自分のセリフの中にあった言葉について質問された某役者さんなんて、答えにつまって、追いつめられたあげくに「す、すいません!そこにそう書いてあったので何も考えずにただしゃべってました〜!」と懺悔してました。相撲とりかよ!正直な人だー。
 
 でもね、シアタートークに出て来た以上、「想定内の質問」ってのもあると思うんですよ。そのくらいはせめて考えてきてほしかったです。
 今回だったら「『山の巨人たち』は誰(何)を表してるのだと思いますか?」という質問。これはタイトルにもなっているくらいだし、全体のテーマにもかかわる部分ですよね。
 堀尾アナは全員に聞いてましたが、これすら“初めて考えました風”の人がいたのはいかがなものかと思いました。

 この答えには「正解」ってないと思うんです。
 この作品が書かれた時代には、「山の巨人たち」はファシズムの象徴だっていうのが一般的な解釈だったらしいですが、今はべつのものに置き換わってるかもしれません。
 「社会不安」とか「戦争の影」とかあげようと思えばいくらでもあがりますが、一見平和な時代の中でも「山の巨人たち」の存在を感じることはたくさんあると思います。
 ちなみに、出演者は「山の巨人たちは“お客様”」と答える人が多く、興味深かったです。
 もの言わぬ大きな存在の前で、何か手応えをつかもうと常に必死に戦っているという感じなんでしょうか。
 逆に「山の巨人たちは“この芝居を観ようとしないお客様”」という答えもあってなるほどそうきたかと思いました。

 私のイメージは、「山の巨人たち=ネット社会」ですね。
 「巨人」という言葉から「マス」を表していることは明らかで、同時に「最後まで登場しない」ということで、「顔の見えないこわさ」「匿名性」も感じられます。
 大きい存在がバンッとあるというよりは、なにか目に見えないものの集合体なんだろうなって気がします。
 しかもそのパーツパーツは自分が「巨人の一部」だということに無自覚だったりする。

 となると、コトローネたちは「私たちメール使えませ〜ん」「携帯もってませ〜ん」「回覧板は手書きでガリ版刷です〜」「地デジってなんですか〜?」みたいなIT難民かな。
 イルセたちは中途半端な難民で、コトローネたちの存在に安心しながらも「あんたたちと一緒にしないでよ!」とまだITの世界に色気も持っている。
 なぶり殺しは「炎上」。いやー、すごくよくわかりますね。

 おまけのエピソード。
 ラヴォーダンさんは、平さんにも平気でダメだしをするんだそうです。
 「日本人の演出家で平さんにダメだしできる人なんていないよね」
 「いても言うこときかないでしょ」
 「でも平さんはダメだしされたのが新鮮だったって言ってたよ」
 などなど、ひとしきりやりとりがあったあと、手塚さんが一言。
 「この前、楽屋の鏡に向かって平さんと並んで座ってたとき、ポツッと『…ボクって芝居下手なのかなぁ』って言ってましたよ」
 大爆笑!!!
 手塚さん、平さんがいないと思って話作ってないですか?

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秋ドラチェック<後編>

 まだ録画して見てないドラマも約1本あるんですが、待ってるといつになるのかわからないので秋ドラレビュー後編いきます。

「ギラギラ」

じつは一番楽しみにしていたドラマ数本のうちの1本がこれでした。
火曜10時フジの加齢臭枠でやってほしかったわ〜。
蔵之介がホストなんて似合わないし、全然ギラギラしてねぇ!
という素人の思い込みを逆手にとって楽しませてくれることを期待。
たしかにホステスだと生活のために水商売してる子持ちのホステスとかいそうだけど、生活のために水商売する子持ちの男ってあんまり聞かないので(元ホストならわかるけど)、その設定だけでやられました。
いっそのこと奥さんいなくてシングルファザーでホストっていうのもおもしろいかも。
奥さんが本当の事知ったときのリアクションを核にするつもりなんだろうけど、どうも家に帰ると奥さんがきちっと家にいて家事も子育てもやってくれちゃってるのがつまんないなー。
家では所帯染みた家事や子育てや近所づきあいに追われ、仕事場ではバリッとした王子様になって女性を癒す……というのが見たい。
奥さんいらね。ていうか死んだ設定じゃだめ?(←勝手に殺す)
死んだ奥さんとの約束をやぶって子供のためにホストに復帰する男の話。
で、なにも知らずに子煩悩パパの顔に惚れる女がいて、一方ホストの顔に惚れる女がいて…みたいな話。どう?
今のところ、設定を生かしきるほどのおもしろさはまだないんだけど(つまらなくはない程度)、今後の展開に期待です。
それにしてもこの店はガラの悪いホストばっかりだなあ。
いろいろなホストがいる、っていうならわかるけど、どのホストもまんべんなくガラ悪いし頭悪そうだし安っぽい。
私が客ならこんな雰囲気の悪い店ヤダ。

「流星の絆」

今期、巷で一番の期待を集めているのがこれ。
東野圭吾をクドカンが料理っていうところがセールスポイントなのはわかるんですが、そもそもクドカンって脚色にむいてるんでしょうか?
オリジナルでのびのび書いてナンボの人なんじゃね?
私は原作読んでないので、「原作はこうなのに全然違う!」的な主張はないですが(今読み始めましたがあまりの分厚さに萎えてます)、まっさらな目で見てもドラマ「流星の絆」には違和感があります。
過去と現在が混在しながら進んで行くのはまあいい。
重い過去を背負ってるからって日常まで鬱々してるわけじゃないっていうのもわかる。
それにしても現在の3人は背負ってるものが見えなさすぎだし、3人で詐欺をしている話もごく当たり前のように出てきたけどこれまた唐突。詐欺パートがあまりにもマンガチックなクドカンテイストで浮いていたので、これは妄想で現実じゃないのかとすら思ってしまいました。
3兄妹が世間の他人とどうつきあってるのかも見えないので(出てくるのは店長とかポストイット上司とか変な人ばっかりで普通のキャラが出てこない)、「みんな遺族遺族ってうるさい。いつまで遺族やってりゃいいんだ」とか愚痴られてもセリフで説明されてるだけとしか感じられない。
3兄妹のやりとりにクドカンらしさを見せるくらいにとどめて、原作の骨格がわかるように脚色してくださいとしか今のところは言えません。
なんだか見ていて非常に落ち着かないドラマです。

「ブラッディ・マンディ」

初回2時間ってお願いだからやめて。
ただでさえ1週目は全部チェックするのに青息吐息なんですから。
ウィルステロとか、生々しい題材でちょっと見てるのがつらい。
誰が味方で、誰が敵か…という部分で状況が刻々と変わっていくおもしろさはありますが、正直「若い人が見るドラマだなぁ」という感じ。
吉瀬美智子はこの1年で急成長しましたね。
といっても、「ライアーゲーム」といい「魔王」といい今回のドラマといい、若い子向けの漫画っぽいドラマに記号的に出てくるいい女キャラみたいな役どころばかりなので、大人のドラマにうまく方向転換できるでしょうか。

「スクラップ・ティーチャー」

学園ものは苦手。ジャニーズも興味なし。
でも脚本が水橋さんときいて少し期待してたんですが、早くも脚本家変わってるし!
水橋さん、最近途中で人に渡すパターン多いなあ。ちょっとがっかり。
上地は「貧乏太郎」と演技同じなんですけど。かけもちするなら演じ分けてよ〜。
加藤あいはやさぐれてていつもと雰囲気違っておもしろい。
あの謎の転校生3人組が、毎回胸のすくような活躍を見せる話なのかと思いきや、必ずしもそういうわけでもないし、何がやりたいのかよくわからない話。解決の仕方も、状況が身もふたもないわりにはぬるいし。
身もふたもないといえば、「ヘリコプターとんできたの。『コードブルー』みたいだったよ」とか「ひょっとしてあなたは貧乏太郎?」とか他局のドラマタイトルを平気でセリフに入れ込むのってどうなんだろう。

「Room of King」

大宮エリーが今買いの脚本家と聞いて見たんですが……うーん、これもなにがやりたいのかまだよくわからないです。深夜枠だからいいと言われればそうだけど。
キャストにはこだわりを感じます。
井川遥は新境地開拓で頑張ってます。
渡部篤郎はいつもと同じです。
あと杏ちゃんの髪型が気になります(笑)。

「SCANDAL」

期待してなかったわりに意外に気に入ってるのがこれ。「アラフォー」とか「四つの嘘」とか見てた人が見そうなドラマだけど、これはさらにミステリ風味が加味されてる感じ。
だいたい女複数でガールストークするドラマって同級生とかお互いをよく知ってる仲良し同士にすることが多いんだけど、これは知らない者同士で、なおかつひとつだけ接点があるという設定なのがおもしろい。
また4人女性を出すとなると、「シングル」をまぜるとか「水商売系」をまぜるとか境遇にデコボコを作ってバリエーションを出すことが多いんだけど、全員既婚者でしかも夫がすべて社会的地位のある人っていう設定にしたのもポイント。だからみんなミョーにプライド高い。
桃井かおりはいつもの演技なんですが、次にどんなリアクションするのか目が離せない吸引力があるので、存在感は相変わらず抜群です。
鈴木京香、長谷川京子、吹石一恵もそれぞれしどころが与えられていて、このへんはさすがに井上由美子ですね。
そしてなんといっても小日向さん。やっぱり締めてくれます!
小日向vs桃井のやりとりは、ドラマファンとしてそれだけで贅沢な気分になれます。
タイトルからドロドロしたテイストを感じ取って「日曜の夜にこんなもの見たくない」と思う人もいるかもしれませんが、意外にライトタッチです。
ドロドロがあってもちょっと距離おいて冷静に描いてるっていうか、どちらかというと「おかしさ」が漂う感じです。
どちらにしても、今期大人が楽しめそうなドラマはこれと「風のガーデン」(嫌いだけど)くらいかな。

 以上チェック終了。
 「夢をかなえるゾウ」は未見。
 「セレブと貧乏太郎」と「オー!マイ・ガール!!」は1話で挫折。既視感がありすぎて次回への興味がまったくわかず。

 ところで、「イノセント・ラヴ」の2回目を見てびっくりしました。
 1回目のときに「ハウスクリーニングで入ったうちのアルバム勝手に見てんじゃねえよ」とつっこんだんですが、そんなのは全然かわいい(?)過ちでした。2回目ではなんとクビになった堀北が勝手にゆずの家に侵入!
 さらに信じられないことに、それを目撃したゆずが、彼女に個人的にハウスクリーニングの依頼を頼むという仰天展開。
 ありえね〜!
 なにがイノセントだよ。家宅侵入は立派な犯罪じゃねえか。
 しかも。
 ゆずの家の一番奥の部屋には人工呼吸装置をつけた寝たきりの恋人がいて、その部屋には入るなと業者には言い渡されてるんですよ。
 じゃあゆずの留守中はいったい誰が面倒みてるの?
 入院させろよ!
 この前は医者が往診にきて「急変があったらいつでも連絡を」とか言ってたけど、急変もなにもこの人フツーに家空けてるし!
 そもそもゆずは教会のオルガンひいて下手な歌うたってるとこしか見てないけど、それでなんでこんな豪邸に住んで週1でハウスクリーニングとか頼む暮らしができるわけ?
 そして医者に「自発呼吸がほとんどできてない」と言われていた寝たきり恋人は、ゆずに無理矢理ピアノの横に座らされていた。人工呼吸装置はずしていいの?
 いいのなら、嫉妬に狂った成宮が人工呼吸装置をはずそうと悩んでる図は意味ないよね?
 なんかもうとにかくすべてがその場その場の思いつきで動かされている感じで、バカバカしすぎます。
 次に落ちるのは……これかな。

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プロフィール

HN:
伊万里
性別:
女性
職業:
劇作家・ライター
趣味:
旅行 骨董 庭仕事

著作



「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」

Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!

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