古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
夏至前夜の夢物語
- 2009/06/28 (Sun)
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梅雨に入ってから、いよいよ本格的に花や野菜に虫がつくようになりました。
ルッコラとかベビーリーフなんて油断するとすぐに穴だらけになるんで、どっちが早く食べるか虫との競争みたいな毎日です。
「もうちょっと大きくなってから」なんて思ってるとその翌日にやられてたりして悔しさ倍増。
株の売買よりタイミングはかるのが難しいです。
あんまり食べられ続けると、「いつもおいしいご飯をありがとう!」と虫から感謝されてる賄いのおばさんになったような気分でむかつきます。
さて、今日は久々に観劇のお話を。
先日、知人の岡本舞さんが演出する無名塾の稽古場公演「令嬢と召使」を観てきました。
「令嬢と召使」の原作は「令嬢ジュリー」というストリンドベリの戯曲で、つい最近、純名りさ×貴水博之という組み合わせで上演されました。
じつは私、これを観るつもりだったんですが、他の公演のチケットとりに追われてグズグズしているうちに完売(ToT)
まさか売り切れることはあるまいと高をくくっていただけに、手に入らないとなるとよけいに未練が残り、「どっかでもう一度やらないかなー」と虫のいいことを言っていたら舞さんから「今度『令嬢と召使』をやるんです」というご案内が!
言霊って本当にあるのかも(^o^)
舞さんは無名塾の3期生ですが、この作品にはなみなみならぬ思い入れがあるようです。
というのも、今から15年ほど前、舞さんが女優としての最大転換期に出会ったのが、今回の作品の原作である「令嬢ジュリー」だったから。
そのときは、タイトルロールのジュリー役を舞さんが、召使のジャン役を仲代達矢さんが演じました。
つまり今回は、かつて自分の演じた役(作品)を演出するわけです。
おお、月影千草みたいだ。かっこええ。
と外野は無責任に思うのですが、ご本人は相当プレッシャーだったようで、チケットに添えられた案内状には「やせそうです…」と書かれてました。
で、観た感想ですが、いろいろな意味で刺激的な公演でした。
まずびっくりしたのは稽古場の立派さ!
無名塾の公演を観るのは今回が初めてなので、もちろん稽古場(仲代さんのご自宅も兼ねています)に行くのも初めてです。
二子玉川駅からタクシーに乗って緑の多いお屋敷街に入り込み、無名坂と呼ばれる急坂を一気に上ると、いきなりヨーロッパの修道院のような瀟洒なレンガ作りの建物が…!
中に入ると、ちょっとした小劇場くらいにはなりそうな広さの稽古場。
2階まで吹き抜けになっているため、天井が高く、照明も劇場並みに吊り込めるようになっています。
広いだけでなく、窓があって表の緑や自然光もとりこめるようになっているのがまた贅沢。
壁には歴代の上演作品のポスターがずらりと並んでいて、ここに刻まれてきた歴史の重みを感じさせてくれます。
並べられた椅子の数はせいぜい60くらい。
客席以外はすべて舞台として使われており、他の部屋からの出入りだけでなく、2階のバルコニー部分から上り下りしたり、壁際に雑多に並んだ小道具や衣装を自由に使ったり、はては床下収納スペースから小道具をとりだしたり…と、水平方向にも垂直方向にもフルにスペースを使っていたのがおもしろかったです。
「この稽古場はこんなふうな作りになってるんだ〜」と作品とはまったく関係ない部分でも感心したりして(笑)。
ここで話の内容をちょっと説明。
ストリンドベリはスウェーデンの作家なので、場所は北欧という設定。
伯爵令嬢のジュリーは気位が高く、超わがままでサディスティックなお嬢様。
彼女はフェミニストの母親から「男に屈服しないこと」を要求され、男並みの教育を受け、すっかり男嫌いになってしまうが、その一方で無理矢理のぼらされた高い場所に孤独と不安と息苦しさを感じている。
召使のジャンは上昇志向の強い野心家だが、ご主人様の伯爵(ジュリーの父)の前に出るとどうしても卑屈な自分から抜け出すことができない。
物語の冒頭。ジュリーは「高い塔の上からどこまでも落ちて行く夢」を見る。
そしてジャンは「太陽の光を目指し、どこまでも木を登っていく夢」を見る。
2人の夢は未完に終わり、そこから物語が始まる。
夏至祭の夜、たわむれにジャンを誘惑しようとするジュリー。
ジャンはジュリーの命令には逆らえず、彼女のわがままに翻弄される。
ところが、ふとしたはずみで肉体関係を結んでしまったことで、2人の立場は逆転する。
高みからひきずりおろされたジュリーはジャンの愛と命令を乞い、ジャンはジュリーの心をいたぶり、支配する。
身分という現実に縛られたこの場所から逃げだそうとする2人だが、伯爵が帰ってくる馬車の音が聞こえてきたとたん、ジャンは現実に戻ってしまい…。
すごくわかりやすく翻訳しちゃうと「令嬢ジュリー」はそんな感じの話です。
今回の笹部博司版「令嬢と召使」は、内容としてはほとんど原作のままなのですが、違うのは令嬢と召使に名前がないこと。最初に男優と女優が登場して夢の話をし、その延長で芝居ごっこのような感じで「令嬢ジュリー」の話を演じ始め、最後はまた現実の役者に戻るという入れ子構造になっていること。原作には2人の他にジャンの婚約者の召使女や村人なども登場するが、「令嬢と召使」では役者は2人しか登場せず、召使女は令嬢と同じ女優が演じること。大きく異なるのはこんなところでしょうか。
以上の相違点はネットに載っているデータから類推したもので、「令嬢ジュリー」のほうもちゃんと観たうえでの比較ではないのですが、今回観た限りでは「うーん。わざわざ改変する意味あったのかなー?」というのが正直な感想。
役者が出てきてある役を演じることで、現実とフィクションの力関係が逆転してしまう…という図式はよくありがちな構造ですが、今回の場合、その構造が浮いているように感じました。
だってわざわざそんな前置き入れなくたって、すべての芝居はそういう要素を持ってるわけじゃないですか。役者が役を演じるってことはそもそもそういうことでしょ?
だったら、まずは役者2人が素っぽい感じで登場し、儀式のようにその場で衣装を着けて小道具を持つ…という始まりから入る程度でも充分その意図は伝わると思うんですが。
なまじ現代の男と女の風景から入って意味ありげなセリフや動きを見せられると、「この2人はどういう関係なんだろう」「どういう設定でしゃべってるんだろう」といったよけいなことに意識がいってしまい、本編の世界に没入する妨げになっちゃうんですよ。
本編には多分に「寓話」的な要素が入ってると思いましたが、それでも「身分差」が絶対的な障害として実感できないと、そこに提示される苦悩も抽象的にしか実感できないと思うんですよね。
今回は稽古場公演ということで、装置もないし、衣装もシンプルだし、それはよく言えば普遍的な話にできるんだけど、逆に言えば「時代性を感じにくい」とも言えるわけで、現代人の目から見ると「そこまで大袈裟に悩むことか?」と思う部分がなくもない。
そう思ってしまうのはきっと2人が現代的に見えてしまうからであり、それは役者のせいというよりは脚本の構造のせいじゃないかと思ったのです。
「芝居ごっこ」からスタートしている以上、本編も「現代人のお遊び(退屈しのぎ)」みたいに見えてしまうというか…。
時々2人が「素」に戻って「もうやめようよ」「いやよ。まだ続けるわ」みたいなセリフをかわすところがあるんですが(ここは脚色部分だと思われ)、これがまたよけいに「この2人、どんな事情があってこんな芝居ごっこやってるの?」と現代パートのほうに関心がいってしまう逆効果をかもしだしていて、結局「本編を通して現代の2人の葛藤を想像する」という本末転倒な結果になってしまってるんです。
「それはそれでいいじゃん」という考え方もあるかもしれませんが、そういう作品として観るには現代パートの情報があまりにも少ないので、やっぱり落ち着かない気分になるんですよね。
ラーメンをおかずにご飯食べたみたいな。
いや、それが好きな人がいるにしてもですよ。
令嬢と召使女を1人の役者で演じるというのも、もともとの原作がそのように書かれているわけではないはずなので、その2役が会話する場面とかが出てきちゃうんですよ。
そのときは女優が落語のように一人で会話を処理するんですが、これまた落ち着かない。
2人の対立は重要な場面なだけに、普通に2人の女優で観たかったと思いました。
じつは、最初はストリンドベリがどこの国の人なのか知らずに観ていたんですが、観ていてなんとなく「イプセンに似てるなー」と思ったんです。
そしたら、同じ北欧の作家(イプセンはノルウェー)で、実際ストリンドベリはかなりイプセンをライバル視していたらしいことがあとで判明。
イプセンの代表作「人形の家」は、「女が無知だとどういう悲劇が起きるか」という啓蒙的な話でしたが、「令嬢ジュリー」は「女が知恵をつけすぎるとどういう悲劇が起きるか」という「人形の家」を裏から見たようなお話。いわば「裏イプセン」ですね。ライバル視という言葉に納得です。
ストリンドベリは何回も結婚に失敗して数々の修羅場をくぐり抜けてきたらしいですが、そのせいなのかなんなのか、「ストリンドベリの作品は女性への憎悪に満ちみちている」と評する人もいます。
なるほど、たしかにジュリーの描写は女から見るとムッとする部分があるかも(笑)。
演じる2人は無名塾の若手俳優(若手といっても30代ですが)。
びっくりしたのは召使役の男優さん(川村進)が超イケメンだったこと。イケメンには興味の薄い私の目をも釘付けにするほどのオーラを放ってました。
写真を見る限りでは涼しげな目元の二枚目(無名塾は濃い顔の人が多いのでこういう顔は珍しい)という印象しかないのですが、ナマで見ると表情にすごく力があって、身のこなしにも色気があります。身長も190近くあってモデル並みのプロポーション!
ただ、あまりにもオーラがありすぎて、前半の召使の卑屈さがあまり感じられなかったのが残念。最初からなんかふてぶてしいというか、腹に一物ありそうで、後半の逆転が思ったほど衝撃的じゃなかったんですよね。
一方、令嬢役の女優さん(渡部晶子)はわりと童顔系のぽちゃっとした顔立ちで、かわいらしいんだけどちょっと令嬢というには違和感が……(ご本人もパンフに書いておられましたが)。
金持ちの娘くらいには見えるけど、高貴な身分というには…うーーん。
2役で「地に足のついた召使女」も演じていたのですが、こちらはピッタリ。
失礼ながら、同行の友人とは「『令嬢と召使』っていうよりは『王子と召使』っていう感じだよね」と話してました(笑)。
でもお2人とも終始緊張感漂う熱いお芝居を見せてくれて、濃密な時間を楽しむことができました。
こういう芝居観ると、やっぱり向こうの人は「肉食」だよなーと実感しますね。
そのエネルギーに感化されたのか、エネルギーを奪われたのかはわかりませんが、終演後は鈴木光司似のこだわりマスターがいるビストロで豚肉と仔牛肉を貪り食い、さらに電車の中でも羊の話をして帰りました。
翌日は体重が1キロ増えてたので、奪われたエネルギーのもとはとったようです。
余談ですが、物語の設定が「夏至祭の夜」となっていますが、これはスウェーデンではかなり重要なイベントらしいです(ある意味、クリスマス以上かも)。
日本では「夏至」と言っても「一年で一番日が長い日」くらいの認識しかないし、特別な思い入れはないけれど、一年を通して太陽を拝める時間が少ない北欧では「一年で一番長く太陽の恵みを受けられる日」である夏至は特別な日。
シェイクスピアの「夏の夜の夢」も最初は「真夏〜」と誤訳されてましたが、原語の「midsummer」は「夏至」のことで、やはり「夏至祭の夜」の出来事を描いたものです。
北欧では、白夜となる夏至祭には、太陽の光を愛おしむように一晩中外でどんちゃん騒ぎをするそうです(気候的にはけっこうまだ夜は寒いと思うのですが)。
太陽のパワーがマックスになる夏至の日だからこそ、こういう非日常の不思議な逆転劇を引き起こすエネルギーが生まれるのだと作者は考えたのでしょうか。
そういえば、このお芝居を観た日はくしくも夏至前日でした。
ルッコラとかベビーリーフなんて油断するとすぐに穴だらけになるんで、どっちが早く食べるか虫との競争みたいな毎日です。
「もうちょっと大きくなってから」なんて思ってるとその翌日にやられてたりして悔しさ倍増。
株の売買よりタイミングはかるのが難しいです。
あんまり食べられ続けると、「いつもおいしいご飯をありがとう!」と虫から感謝されてる賄いのおばさんになったような気分でむかつきます。
さて、今日は久々に観劇のお話を。
先日、知人の岡本舞さんが演出する無名塾の稽古場公演「令嬢と召使」を観てきました。
「令嬢と召使」の原作は「令嬢ジュリー」というストリンドベリの戯曲で、つい最近、純名りさ×貴水博之という組み合わせで上演されました。
じつは私、これを観るつもりだったんですが、他の公演のチケットとりに追われてグズグズしているうちに完売(ToT)
まさか売り切れることはあるまいと高をくくっていただけに、手に入らないとなるとよけいに未練が残り、「どっかでもう一度やらないかなー」と虫のいいことを言っていたら舞さんから「今度『令嬢と召使』をやるんです」というご案内が!
言霊って本当にあるのかも(^o^)
舞さんは無名塾の3期生ですが、この作品にはなみなみならぬ思い入れがあるようです。
というのも、今から15年ほど前、舞さんが女優としての最大転換期に出会ったのが、今回の作品の原作である「令嬢ジュリー」だったから。
そのときは、タイトルロールのジュリー役を舞さんが、召使のジャン役を仲代達矢さんが演じました。
つまり今回は、かつて自分の演じた役(作品)を演出するわけです。
おお、月影千草みたいだ。かっこええ。
と外野は無責任に思うのですが、ご本人は相当プレッシャーだったようで、チケットに添えられた案内状には「やせそうです…」と書かれてました。
で、観た感想ですが、いろいろな意味で刺激的な公演でした。
まずびっくりしたのは稽古場の立派さ!
無名塾の公演を観るのは今回が初めてなので、もちろん稽古場(仲代さんのご自宅も兼ねています)に行くのも初めてです。
二子玉川駅からタクシーに乗って緑の多いお屋敷街に入り込み、無名坂と呼ばれる急坂を一気に上ると、いきなりヨーロッパの修道院のような瀟洒なレンガ作りの建物が…!
中に入ると、ちょっとした小劇場くらいにはなりそうな広さの稽古場。
2階まで吹き抜けになっているため、天井が高く、照明も劇場並みに吊り込めるようになっています。
広いだけでなく、窓があって表の緑や自然光もとりこめるようになっているのがまた贅沢。
壁には歴代の上演作品のポスターがずらりと並んでいて、ここに刻まれてきた歴史の重みを感じさせてくれます。
並べられた椅子の数はせいぜい60くらい。
客席以外はすべて舞台として使われており、他の部屋からの出入りだけでなく、2階のバルコニー部分から上り下りしたり、壁際に雑多に並んだ小道具や衣装を自由に使ったり、はては床下収納スペースから小道具をとりだしたり…と、水平方向にも垂直方向にもフルにスペースを使っていたのがおもしろかったです。
「この稽古場はこんなふうな作りになってるんだ〜」と作品とはまったく関係ない部分でも感心したりして(笑)。
ここで話の内容をちょっと説明。
ストリンドベリはスウェーデンの作家なので、場所は北欧という設定。
伯爵令嬢のジュリーは気位が高く、超わがままでサディスティックなお嬢様。
彼女はフェミニストの母親から「男に屈服しないこと」を要求され、男並みの教育を受け、すっかり男嫌いになってしまうが、その一方で無理矢理のぼらされた高い場所に孤独と不安と息苦しさを感じている。
召使のジャンは上昇志向の強い野心家だが、ご主人様の伯爵(ジュリーの父)の前に出るとどうしても卑屈な自分から抜け出すことができない。
物語の冒頭。ジュリーは「高い塔の上からどこまでも落ちて行く夢」を見る。
そしてジャンは「太陽の光を目指し、どこまでも木を登っていく夢」を見る。
2人の夢は未完に終わり、そこから物語が始まる。
夏至祭の夜、たわむれにジャンを誘惑しようとするジュリー。
ジャンはジュリーの命令には逆らえず、彼女のわがままに翻弄される。
ところが、ふとしたはずみで肉体関係を結んでしまったことで、2人の立場は逆転する。
高みからひきずりおろされたジュリーはジャンの愛と命令を乞い、ジャンはジュリーの心をいたぶり、支配する。
身分という現実に縛られたこの場所から逃げだそうとする2人だが、伯爵が帰ってくる馬車の音が聞こえてきたとたん、ジャンは現実に戻ってしまい…。
すごくわかりやすく翻訳しちゃうと「令嬢ジュリー」はそんな感じの話です。
今回の笹部博司版「令嬢と召使」は、内容としてはほとんど原作のままなのですが、違うのは令嬢と召使に名前がないこと。最初に男優と女優が登場して夢の話をし、その延長で芝居ごっこのような感じで「令嬢ジュリー」の話を演じ始め、最後はまた現実の役者に戻るという入れ子構造になっていること。原作には2人の他にジャンの婚約者の召使女や村人なども登場するが、「令嬢と召使」では役者は2人しか登場せず、召使女は令嬢と同じ女優が演じること。大きく異なるのはこんなところでしょうか。
以上の相違点はネットに載っているデータから類推したもので、「令嬢ジュリー」のほうもちゃんと観たうえでの比較ではないのですが、今回観た限りでは「うーん。わざわざ改変する意味あったのかなー?」というのが正直な感想。
役者が出てきてある役を演じることで、現実とフィクションの力関係が逆転してしまう…という図式はよくありがちな構造ですが、今回の場合、その構造が浮いているように感じました。
だってわざわざそんな前置き入れなくたって、すべての芝居はそういう要素を持ってるわけじゃないですか。役者が役を演じるってことはそもそもそういうことでしょ?
だったら、まずは役者2人が素っぽい感じで登場し、儀式のようにその場で衣装を着けて小道具を持つ…という始まりから入る程度でも充分その意図は伝わると思うんですが。
なまじ現代の男と女の風景から入って意味ありげなセリフや動きを見せられると、「この2人はどういう関係なんだろう」「どういう設定でしゃべってるんだろう」といったよけいなことに意識がいってしまい、本編の世界に没入する妨げになっちゃうんですよ。
本編には多分に「寓話」的な要素が入ってると思いましたが、それでも「身分差」が絶対的な障害として実感できないと、そこに提示される苦悩も抽象的にしか実感できないと思うんですよね。
今回は稽古場公演ということで、装置もないし、衣装もシンプルだし、それはよく言えば普遍的な話にできるんだけど、逆に言えば「時代性を感じにくい」とも言えるわけで、現代人の目から見ると「そこまで大袈裟に悩むことか?」と思う部分がなくもない。
そう思ってしまうのはきっと2人が現代的に見えてしまうからであり、それは役者のせいというよりは脚本の構造のせいじゃないかと思ったのです。
「芝居ごっこ」からスタートしている以上、本編も「現代人のお遊び(退屈しのぎ)」みたいに見えてしまうというか…。
時々2人が「素」に戻って「もうやめようよ」「いやよ。まだ続けるわ」みたいなセリフをかわすところがあるんですが(ここは脚色部分だと思われ)、これがまたよけいに「この2人、どんな事情があってこんな芝居ごっこやってるの?」と現代パートのほうに関心がいってしまう逆効果をかもしだしていて、結局「本編を通して現代の2人の葛藤を想像する」という本末転倒な結果になってしまってるんです。
「それはそれでいいじゃん」という考え方もあるかもしれませんが、そういう作品として観るには現代パートの情報があまりにも少ないので、やっぱり落ち着かない気分になるんですよね。
ラーメンをおかずにご飯食べたみたいな。
いや、それが好きな人がいるにしてもですよ。
令嬢と召使女を1人の役者で演じるというのも、もともとの原作がそのように書かれているわけではないはずなので、その2役が会話する場面とかが出てきちゃうんですよ。
そのときは女優が落語のように一人で会話を処理するんですが、これまた落ち着かない。
2人の対立は重要な場面なだけに、普通に2人の女優で観たかったと思いました。
じつは、最初はストリンドベリがどこの国の人なのか知らずに観ていたんですが、観ていてなんとなく「イプセンに似てるなー」と思ったんです。
そしたら、同じ北欧の作家(イプセンはノルウェー)で、実際ストリンドベリはかなりイプセンをライバル視していたらしいことがあとで判明。
イプセンの代表作「人形の家」は、「女が無知だとどういう悲劇が起きるか」という啓蒙的な話でしたが、「令嬢ジュリー」は「女が知恵をつけすぎるとどういう悲劇が起きるか」という「人形の家」を裏から見たようなお話。いわば「裏イプセン」ですね。ライバル視という言葉に納得です。
ストリンドベリは何回も結婚に失敗して数々の修羅場をくぐり抜けてきたらしいですが、そのせいなのかなんなのか、「ストリンドベリの作品は女性への憎悪に満ちみちている」と評する人もいます。
なるほど、たしかにジュリーの描写は女から見るとムッとする部分があるかも(笑)。
演じる2人は無名塾の若手俳優(若手といっても30代ですが)。
びっくりしたのは召使役の男優さん(川村進)が超イケメンだったこと。イケメンには興味の薄い私の目をも釘付けにするほどのオーラを放ってました。
写真を見る限りでは涼しげな目元の二枚目(無名塾は濃い顔の人が多いのでこういう顔は珍しい)という印象しかないのですが、ナマで見ると表情にすごく力があって、身のこなしにも色気があります。身長も190近くあってモデル並みのプロポーション!
ただ、あまりにもオーラがありすぎて、前半の召使の卑屈さがあまり感じられなかったのが残念。最初からなんかふてぶてしいというか、腹に一物ありそうで、後半の逆転が思ったほど衝撃的じゃなかったんですよね。
一方、令嬢役の女優さん(渡部晶子)はわりと童顔系のぽちゃっとした顔立ちで、かわいらしいんだけどちょっと令嬢というには違和感が……(ご本人もパンフに書いておられましたが)。
金持ちの娘くらいには見えるけど、高貴な身分というには…うーーん。
2役で「地に足のついた召使女」も演じていたのですが、こちらはピッタリ。
失礼ながら、同行の友人とは「『令嬢と召使』っていうよりは『王子と召使』っていう感じだよね」と話してました(笑)。
でもお2人とも終始緊張感漂う熱いお芝居を見せてくれて、濃密な時間を楽しむことができました。
こういう芝居観ると、やっぱり向こうの人は「肉食」だよなーと実感しますね。
そのエネルギーに感化されたのか、エネルギーを奪われたのかはわかりませんが、終演後は鈴木光司似のこだわりマスターがいるビストロで豚肉と仔牛肉を貪り食い、さらに電車の中でも羊の話をして帰りました。
翌日は体重が1キロ増えてたので、奪われたエネルギーのもとはとったようです。
余談ですが、物語の設定が「夏至祭の夜」となっていますが、これはスウェーデンではかなり重要なイベントらしいです(ある意味、クリスマス以上かも)。
日本では「夏至」と言っても「一年で一番日が長い日」くらいの認識しかないし、特別な思い入れはないけれど、一年を通して太陽を拝める時間が少ない北欧では「一年で一番長く太陽の恵みを受けられる日」である夏至は特別な日。
シェイクスピアの「夏の夜の夢」も最初は「真夏〜」と誤訳されてましたが、原語の「midsummer」は「夏至」のことで、やはり「夏至祭の夜」の出来事を描いたものです。
北欧では、白夜となる夏至祭には、太陽の光を愛おしむように一晩中外でどんちゃん騒ぎをするそうです(気候的にはけっこうまだ夜は寒いと思うのですが)。
太陽のパワーがマックスになる夏至の日だからこそ、こういう非日常の不思議な逆転劇を引き起こすエネルギーが生まれるのだと作者は考えたのでしょうか。
そういえば、このお芝居を観た日はくしくも夏至前日でした。
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春ドラチェック(2)
- 2009/05/23 (Sat)
- TV(ドラマ) |
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ここで間をあけてしまうとそのまま放置になるので、頑張って残りをアップします(ってもう充分空いたか)。
すでに脱落してしまったドラマも多数なんですが、残りのドラマの中でわりと楽しんでいるのは「ザ・クイズショウ」(日本TV/土曜9時〜)。
一度幕が開いたら最後まで中断できないというライブ感といい、スタッフは技術的なフォローはできてもあとはバックヤードで見守ることしかできないという状況といい、ここで繰り広げられるドラマはとても演劇の緊張感に近いです。
「生放送」を見ている人たちというのは、そこになにかしら「予測不可能」な事件が起きることを期待します(スタッフにとっては起きてもらっては困るわけですが)。
昔の「紅白歌合戦」がおもしろかったのはその「不確実性」があったからで(よく言えばおおらか)、今は厳密に段取られすぎててすべてが予定調和になってしまった。だからつまんなくなったんだという意見がありましたが、それは一理あるかもしれません。このドラマはそういう心理をうまくついています。
ちゃんと段取りも決まってるはずのクイズ番組なのに、MCとディレクターのスタンドプレイにより進行が台本通り進まず、クイズという形を借りて容赦なくゲストのプライベートな秘密を暴いていく…という内容のドラマなんですが、まずはその仕掛けが刺激的。
追いつめて行くMCと、追いつめられるゲストの緊迫感溢れる駆け引きは、それこそ手に汗握る心理戦で、最終的にゲストはTVカメラの前ですべての虚飾をはぎとられます。
パターン毎回同じっちゃー同じなんだけど、ゲストによって「破滅にいたる者」あり、「仮面を脱ぎ捨てて再生する者」あり…と若干バリエーションがあり、相対的に見ると女性のほうが同情の余地があるように作られているようです。
櫻井翔は、愛想の良さを保ったまま無礼な物言いを躊躇なく貫き通すという、ある種「人間っぽくない役どころ」がなかなかはまっていますが、彼自身が抱えているらしい秘密(トラウマ?)の部分を表すシーンの表現は、残念ながら手に余っている様子。毎回、頭を押さえて叫ぶだけっていうのもそろそろ飽きてきた。。。
プロデューサー役の真矢みきは、いつものようなクールなバリキャリ役かと思いきや、一番翻弄されるかっこわるい役どころというのがちょっと新鮮。
横山裕は、頑張ってるんだけどいかにも若すぎるよねー。
真矢みきとか、泉谷しげるとか、榎木孝明とか、うるさそうなベテランがスタッフにはいっぱいいるのに、なぜこんなに若い彼がこれほどやりたい放題やって、番組を私物化して、いつもなにもお咎めなしなのか(いつも怒られるのは真矢)。そのへんの説得力がどうにも薄い。
もうちょっと年食ってて、くせがあって、その人の仕事には誰も口を出せないっていう感じの人だったらわかるんだけど。
櫻井くんも若いので、コンビとしてMCは若くて、ディレクターはおっさんっていうほうがバランスいい気もします。
ていうと、また40代女子は「佐藤浩市」と言い出しそうだが(笑)、もうちょっと露出してない感じの人のほうがいいな。なに考えてんのかわかんないみたいなおっさん。
あと素朴な疑問なんだけど、どうしてみんな毎回出演依頼をひき受けちゃうんだろうね。
最初の人だけならともかく、ここまでセンセーショナルな(個人の犯罪をTVの前で暴くような)番組だってことが世の中に知れ渡ったら、当然後ろ暗いところのある人は出演を断るんじゃないかと思うんだけど。それも軽い犯罪ならともかく、暴かれる罪が殺人とかなっちゃうと話が大きすぎ!
その問いに対して横山ディレクターは「夢をつかもうとする人間がいる限り、クイズショウに出る人間はいなくならない」みたいなことを言ってた気がしますが、いくら夢をつかむったって、ここに出てくる人たちはほとんどが成功者ですよね。つかみとるよりも守りたいもののほうが大きいはず。なのに、こんなにリスクの高い番組に出るっていうのがどうしても不思議なんですよね。自分から野獣のいる檻に入るようなものじゃないですか。
いろいろな業界の有名人が毎回出てくるという趣向は「古畑」みたいで楽しいけど、長く続けば続くほどそういう点で無理が出てきてしまう気がします。
「臨場」(テレビ朝日/水曜9時〜)は、前クールで「ヴォイス」があったので、なんとなく既視感があるんですけど、「ヴォイス」は医者の立場、こっちは警察の立場という違いがあります。
内野さんが思ったほど暴走しないのが物足りないけど、松下由樹の大人の安定感がドラマを引き締めています。
この手のドラマには、本筋以外のところでおふざけっぽいやりとりが入りがちですが、このドラマはそういう要素はほとんどなし。地味だけど、手堅く作ってる印象です。さすがテレ朝。
すごくおもしろいとは思わないけど、そこそこ楽しめます。視聴率もけっこういいようですし。
ガーデニングオタクの主人公が、毎朝植物に語りかけてるのが気持ち悪い、あんなことする人いない、と評判悪いらしいですが、私は「わかる、わかる」と思いながら見てたのでショックでした(笑)。
「スマイル」(TBS/金曜10時〜)は、ちょっと脱落寸前です。。。
あまりにも「けなげに生きてる弱者」と「平気で人を傷つける強者」の対比が類型的だし、全員が重い事情背負い過ぎ。
フィリピンハーフと、悪徳新興宗教教祖の父をもつ失語症の少女と、あきらかに在日コリアンらしきフラグ立ちまくりの中年弁護士。
外国人労働者や前科者の面倒をみている町の食品工場の社長は不正の罪を着せられて首つり自殺。
社長に不利な証言をした女性は、結婚詐欺にあってお金をだましとられ、しかも子供できててシングルマザーに。
もういい加減にしてほしい
ここまで重い事情がてんこもりの割には、出てくる人たちがみんなやけくそみたいに能天気で無防備で楽観的なのもなんだかなーという感じ。
それに比して、問題の解決のしかたとか、改心のタイミングとかもだんだんご都合が増えてきた。
最初はどっちでもない中井貴一のスタンスに興味があって、彼の動向に注目してたんだけど、その彼もものすごいスピードで町村フーズの中に入っていっちゃったんで、ますます図式化がつまらなくなりました。
新垣結衣ちゃんは普通にセリフのある役だといつも能面みたいな印象だけど、失語症の役は意外にも表情がきらきらいきいきしてて、魅力的。
しかし、ガッキーはかわいいんだけど、この役のキャラはちょっとひくなー。
「ぼくの妹」(TBS/日曜9時〜)は、これまた脱落寸前。。。
コメディなのか、サスペンスなのか、人情なのか、いったいどういうテイストなのかがいまだにわかりません。
いってみればこの兄妹は突然事件に巻き込まれるわけですが、その巻き込まれっぷりがあまりにも理不尽で、なぜここまでひどい目に遭わなきゃいけないのかわからなくて胸くそ悪い。
逆恨みの千原ジュニアは、不気味とかいう以前に言動すべてにむかつきます。自分の不幸をそこまで正当化されても。。。
オダジョーのナレーションが異様に多いのもだるいし、髪型も変(笑)。あんな髪型の先生が外来にいたらいやだ〜。
「コンカツ・リカツ」(NHK/金曜10時〜)は…ドラマというよりは「トレンド解説再現ドラマ」みたいな感じ。
松坂慶子と桜井幸子が驚異的に大根で、それがかえって「親子っぽさ」をかもしだしてます。松坂、また一段とふくよかに。。。でもお肌は異様に若いです。
ここでは「リ・カツコ」こと離婚調停中の清水美沙(見栄っ張りで計算高い)が同性に嫌われる「困ったちゃん」として描かれていますが、私から見ると「コン・カツコ」こと桜井幸子のほうがずっとデンジャラスゾーンに踏み込んでると思います。
40歳で未婚で親と同居はまあ今の時代珍しくないとして、その年で(友人たちも見ている前で)「お母さん、だ〜い好き!ずっと一緒にいてね。私より先に死んじゃいやだよ」と甘えまくる図にドン引き。
そんな娘に「あらあら」とひたすら甘い母・松坂。
40歳でこれはやばくないか???
結婚するしない以前の問題だよ。
また桜井幸子が、若いときとまったく変わらないたどたどしいしゃべり方で「てへっ」とかやってるんで、ますます薄ら寒い状況に。
娘のあまりののほほんぶりにさすがに不安を感じた母は、意を決して「3ヶ月以内にこの家を売るからそれまでに結婚相手をみつけなさい」と宣言。
それで初めて「今のままじゃいられないんだ」と気づいてコンカツを始める娘…という展開になるんですが、もともとボーッとしている娘は、周囲の友人にたきつけられながらでないと自分一人では何もできない。
それ見てて思ったんですが、この人「結婚」する必要あるんですかね?
本人に確固たる結婚願望がある。あるいはもっと若い年齢である。というならわかるけど、結婚は運任せでいいくらいに思ってて、40歳までお一人様の人生をそれなりにお気楽に楽しく過ごしてしまった彼女にとって、まず必要なのは「一生一人で生きる覚悟」じゃないでしょうか。
3ヶ月後に実家を追い出されるというなら、3ヶ月後から一人暮らしする準備すりゃあいいんですよ。無職ってわけじゃなし。
そうすれば人生や結婚に対する考え方も変わってくるだろうし、人とのつきあい方も親との関わり方も変わってくるでしょう。
そんな中で、「これ」と思う出会いとタイミングがあったらそのときに結婚すりゃあいいんですよ。
家出なきゃいけないからとか、勝手に期限作って、その中で相手みつければいいんだって考え自体がすごく安易だし、選ばれた相手だってそんなその場しのぎみたいな結婚、失礼じゃないですか(まあ相手もそういう考えならそれほど失礼じゃないのかな)。
そう言うと類似したタイトルの別の某ドラマにも同じことが言えるんですが。
作中人物で誰もそういう指摘をする人がいないのが不思議です。
あと「結婚に条件を求めるのは当たり前」という論調が何度も出てくるんですけど、条件っていうのは当然向こう側にもあるわけじゃないですか。
このドラマには女側の条件ばかりが出てきて、自分が採点されるという視点がないので、単なる「雨夜の品定め〜ガールズトークヴァージョン〜」にしかなってない気がします。
本気で結婚したかったら、もっと冷静に相手のニーズと、自分の商品価値(自分が相手にどんなメリットを与えられるか)を検討しますよね。
損得勘定ってそういうことでしょう。
もちろん、損得だけで結婚してない人も世の中にはたくさんいますが、それは「期限をつける」とか「チェック項目に照合する」というやり方の延長線上には出てこないと思うんです。
「コンカツ」って一種の流行語にまでなってるくらいなので、それを通して何を訴えたいのかに興味がいくわけですが、残念ながらただはやりもののキーワードを並べただけで、中に出てくることや言ってることは特に新味のあるものではなかったですね。
こっちは女の「コンカツ」ものですが、男の「コンカツ」を描いたのが「婚カツ!」(フジ/月曜9時〜)。
ジャニーズ主演で、出演者陣も抜かりなく豪華で、しかも天下の月9で、視聴率1桁という不名誉な記録を作ってしまったドラマですが、これはTV雑誌のコラムに書く予定なのでここでは省略します。
同様の理由で「魔女裁判」(フジ/土曜深夜〜)、今日から始まる「MR.BRAIN」(TBS/土曜8時〜)も省略。
最後に。
以下、4本は初回で脱落したものです。
「BOSS」(フジ/木曜10時〜)
「離婚弁護士」の刑事版って感じ?
多くを望まなければそこそこ楽しむことはできそう。と思って初回を見ましたが、いきなり退屈してしまいました。
何を見ても既視感だらけだし、天海のこの手のキャラはもう食傷気味。
今思えば天海の一番のはまり役は「女王の教室」。
彼女には地とかけはなれた役をやらせたほうが魅力が生きると思います(ヅカ時代からそうでした)。
でも初回の猟奇犯の役が武田鉄矢っていうのはびっくりしました。
猟奇犯なんだけどやっぱりどこか説教くさいのが笑えた。
お茶屋をやっても猟奇犯をやってもうんちく好きな金八先生。。。
「夜光の階段」(テレ朝/木曜9時〜)
今時朝ドラでもこんなベタなナレーション入らないよねっていうナレーション付きにびっくり。昭和の匂いプンプンで携帯電話が出てくるのに違和感を感じるほど。
藤木直人がジゴロ的キャラを演じるのに初回から限界を感じました。
藤木って男子校出身ぽい匂いがあって、色恋にマメなタイプにはどーしてみ見えない。言ってみれば(誰とは言わないけど)女子校出身者っぽい人が「男を狂わす魔性の女」をやるくらい無理がある。
強いて言えば、この昭和の世界に無理なくマッチする荻野目慶子が気になりました。初回を見る限りでは色恋に狂う女たち人脈からははずれたポジにいるおばさんでしたが、彼女がこのままで終わるとは思えない(笑)。
もし続けて視聴してる人がいるならば、ぜひその後の荻野目続報をきかせてプリーズ。
「ゴッドハンド輝」(TBS/土曜8時〜)
もう終わっちゃったみたいなんでいいんですけど。。。
とにかく医療ドラマだと思ってみたら腰砕けです。
あまりの荒唐無稽さに唖然。
いくら救急患者の緊急オペとはいえ、なんのキャリアもない研修医があそこまで勝手なふるまいができるか?
ドラマ見てるほうは彼が超人的なパワーの持ち主だって知ってるから「やれやれ!」と思うかもしれないけど、病院の上の人は少なくともリスクを伴う行為はなにがなんでも止めるでしょう。なにかあったら責任とるのは自分たちなんだから。
超人は出てきてもかまわないけど、周囲の対応が現実的でないのがダメ。
先日、友人に「だからね、主人公の死んだおとうさんが天才外科医でね、普段はへたれの新米外科医なんだけど、手術のここぞ!というシーンになるといきなりおとうさんが憑依して凄腕になるのよ」と説明したら、「……それって『ゴッドハンド輝』じゃなくて、『ゴッドハンドおとうさん』じゃないですか」と冷静なつっこみが。。。
ごもっとも
「アタシんちの男子」(フジ/火曜9時〜)
「イケパラ」に「メイちゃん」の路線ですね。
私の周りではこういうのけっこう楽しんでる人が多いんですが、私はイケメンにあまり興味がないため、人海戦術にしか見えません。
「ゴーストフレンズ」(NHK/木曜8時〜)
福田沙紀にブリブリ演技は無理。
「ゴッドハンド輝」「アタシんちの男子」と並んで、大人が集中して毎週見ようという気になれるドラマではないです。
だから8時台なんだよって言われたらそれまでなんですが。
なんとかこれで全部おさえたかな。漏れてるのも数本ありますが、それは最初からはずしてたとお考え下さい。
とりあえず、春クールは最後まで書いたぞ!!\(^0^)/
すでに脱落してしまったドラマも多数なんですが、残りのドラマの中でわりと楽しんでいるのは「ザ・クイズショウ」(日本TV/土曜9時〜)。
一度幕が開いたら最後まで中断できないというライブ感といい、スタッフは技術的なフォローはできてもあとはバックヤードで見守ることしかできないという状況といい、ここで繰り広げられるドラマはとても演劇の緊張感に近いです。
「生放送」を見ている人たちというのは、そこになにかしら「予測不可能」な事件が起きることを期待します(スタッフにとっては起きてもらっては困るわけですが)。
昔の「紅白歌合戦」がおもしろかったのはその「不確実性」があったからで(よく言えばおおらか)、今は厳密に段取られすぎててすべてが予定調和になってしまった。だからつまんなくなったんだという意見がありましたが、それは一理あるかもしれません。このドラマはそういう心理をうまくついています。
ちゃんと段取りも決まってるはずのクイズ番組なのに、MCとディレクターのスタンドプレイにより進行が台本通り進まず、クイズという形を借りて容赦なくゲストのプライベートな秘密を暴いていく…という内容のドラマなんですが、まずはその仕掛けが刺激的。
追いつめて行くMCと、追いつめられるゲストの緊迫感溢れる駆け引きは、それこそ手に汗握る心理戦で、最終的にゲストはTVカメラの前ですべての虚飾をはぎとられます。
パターン毎回同じっちゃー同じなんだけど、ゲストによって「破滅にいたる者」あり、「仮面を脱ぎ捨てて再生する者」あり…と若干バリエーションがあり、相対的に見ると女性のほうが同情の余地があるように作られているようです。
櫻井翔は、愛想の良さを保ったまま無礼な物言いを躊躇なく貫き通すという、ある種「人間っぽくない役どころ」がなかなかはまっていますが、彼自身が抱えているらしい秘密(トラウマ?)の部分を表すシーンの表現は、残念ながら手に余っている様子。毎回、頭を押さえて叫ぶだけっていうのもそろそろ飽きてきた。。。
プロデューサー役の真矢みきは、いつものようなクールなバリキャリ役かと思いきや、一番翻弄されるかっこわるい役どころというのがちょっと新鮮。
横山裕は、頑張ってるんだけどいかにも若すぎるよねー。
真矢みきとか、泉谷しげるとか、榎木孝明とか、うるさそうなベテランがスタッフにはいっぱいいるのに、なぜこんなに若い彼がこれほどやりたい放題やって、番組を私物化して、いつもなにもお咎めなしなのか(いつも怒られるのは真矢)。そのへんの説得力がどうにも薄い。
もうちょっと年食ってて、くせがあって、その人の仕事には誰も口を出せないっていう感じの人だったらわかるんだけど。
櫻井くんも若いので、コンビとしてMCは若くて、ディレクターはおっさんっていうほうがバランスいい気もします。
ていうと、また40代女子は「佐藤浩市」と言い出しそうだが(笑)、もうちょっと露出してない感じの人のほうがいいな。なに考えてんのかわかんないみたいなおっさん。
あと素朴な疑問なんだけど、どうしてみんな毎回出演依頼をひき受けちゃうんだろうね。
最初の人だけならともかく、ここまでセンセーショナルな(個人の犯罪をTVの前で暴くような)番組だってことが世の中に知れ渡ったら、当然後ろ暗いところのある人は出演を断るんじゃないかと思うんだけど。それも軽い犯罪ならともかく、暴かれる罪が殺人とかなっちゃうと話が大きすぎ!
その問いに対して横山ディレクターは「夢をつかもうとする人間がいる限り、クイズショウに出る人間はいなくならない」みたいなことを言ってた気がしますが、いくら夢をつかむったって、ここに出てくる人たちはほとんどが成功者ですよね。つかみとるよりも守りたいもののほうが大きいはず。なのに、こんなにリスクの高い番組に出るっていうのがどうしても不思議なんですよね。自分から野獣のいる檻に入るようなものじゃないですか。
いろいろな業界の有名人が毎回出てくるという趣向は「古畑」みたいで楽しいけど、長く続けば続くほどそういう点で無理が出てきてしまう気がします。
「臨場」(テレビ朝日/水曜9時〜)は、前クールで「ヴォイス」があったので、なんとなく既視感があるんですけど、「ヴォイス」は医者の立場、こっちは警察の立場という違いがあります。
内野さんが思ったほど暴走しないのが物足りないけど、松下由樹の大人の安定感がドラマを引き締めています。
この手のドラマには、本筋以外のところでおふざけっぽいやりとりが入りがちですが、このドラマはそういう要素はほとんどなし。地味だけど、手堅く作ってる印象です。さすがテレ朝。
すごくおもしろいとは思わないけど、そこそこ楽しめます。視聴率もけっこういいようですし。
ガーデニングオタクの主人公が、毎朝植物に語りかけてるのが気持ち悪い、あんなことする人いない、と評判悪いらしいですが、私は「わかる、わかる」と思いながら見てたのでショックでした(笑)。
「スマイル」(TBS/金曜10時〜)は、ちょっと脱落寸前です。。。
あまりにも「けなげに生きてる弱者」と「平気で人を傷つける強者」の対比が類型的だし、全員が重い事情背負い過ぎ。
フィリピンハーフと、悪徳新興宗教教祖の父をもつ失語症の少女と、あきらかに在日コリアンらしきフラグ立ちまくりの中年弁護士。
外国人労働者や前科者の面倒をみている町の食品工場の社長は不正の罪を着せられて首つり自殺。
社長に不利な証言をした女性は、結婚詐欺にあってお金をだましとられ、しかも子供できててシングルマザーに。
もういい加減にしてほしい

ここまで重い事情がてんこもりの割には、出てくる人たちがみんなやけくそみたいに能天気で無防備で楽観的なのもなんだかなーという感じ。
それに比して、問題の解決のしかたとか、改心のタイミングとかもだんだんご都合が増えてきた。
最初はどっちでもない中井貴一のスタンスに興味があって、彼の動向に注目してたんだけど、その彼もものすごいスピードで町村フーズの中に入っていっちゃったんで、ますます図式化がつまらなくなりました。
新垣結衣ちゃんは普通にセリフのある役だといつも能面みたいな印象だけど、失語症の役は意外にも表情がきらきらいきいきしてて、魅力的。
しかし、ガッキーはかわいいんだけど、この役のキャラはちょっとひくなー。
「ぼくの妹」(TBS/日曜9時〜)は、これまた脱落寸前。。。
コメディなのか、サスペンスなのか、人情なのか、いったいどういうテイストなのかがいまだにわかりません。
いってみればこの兄妹は突然事件に巻き込まれるわけですが、その巻き込まれっぷりがあまりにも理不尽で、なぜここまでひどい目に遭わなきゃいけないのかわからなくて胸くそ悪い。
逆恨みの千原ジュニアは、不気味とかいう以前に言動すべてにむかつきます。自分の不幸をそこまで正当化されても。。。
オダジョーのナレーションが異様に多いのもだるいし、髪型も変(笑)。あんな髪型の先生が外来にいたらいやだ〜。
「コンカツ・リカツ」(NHK/金曜10時〜)は…ドラマというよりは「トレンド解説再現ドラマ」みたいな感じ。
松坂慶子と桜井幸子が驚異的に大根で、それがかえって「親子っぽさ」をかもしだしてます。松坂、また一段とふくよかに。。。でもお肌は異様に若いです。
ここでは「リ・カツコ」こと離婚調停中の清水美沙(見栄っ張りで計算高い)が同性に嫌われる「困ったちゃん」として描かれていますが、私から見ると「コン・カツコ」こと桜井幸子のほうがずっとデンジャラスゾーンに踏み込んでると思います。
40歳で未婚で親と同居はまあ今の時代珍しくないとして、その年で(友人たちも見ている前で)「お母さん、だ〜い好き!ずっと一緒にいてね。私より先に死んじゃいやだよ」と甘えまくる図にドン引き。
そんな娘に「あらあら」とひたすら甘い母・松坂。
40歳でこれはやばくないか???
結婚するしない以前の問題だよ。
また桜井幸子が、若いときとまったく変わらないたどたどしいしゃべり方で「てへっ」とかやってるんで、ますます薄ら寒い状況に。
娘のあまりののほほんぶりにさすがに不安を感じた母は、意を決して「3ヶ月以内にこの家を売るからそれまでに結婚相手をみつけなさい」と宣言。
それで初めて「今のままじゃいられないんだ」と気づいてコンカツを始める娘…という展開になるんですが、もともとボーッとしている娘は、周囲の友人にたきつけられながらでないと自分一人では何もできない。
それ見てて思ったんですが、この人「結婚」する必要あるんですかね?
本人に確固たる結婚願望がある。あるいはもっと若い年齢である。というならわかるけど、結婚は運任せでいいくらいに思ってて、40歳までお一人様の人生をそれなりにお気楽に楽しく過ごしてしまった彼女にとって、まず必要なのは「一生一人で生きる覚悟」じゃないでしょうか。
3ヶ月後に実家を追い出されるというなら、3ヶ月後から一人暮らしする準備すりゃあいいんですよ。無職ってわけじゃなし。
そうすれば人生や結婚に対する考え方も変わってくるだろうし、人とのつきあい方も親との関わり方も変わってくるでしょう。
そんな中で、「これ」と思う出会いとタイミングがあったらそのときに結婚すりゃあいいんですよ。
家出なきゃいけないからとか、勝手に期限作って、その中で相手みつければいいんだって考え自体がすごく安易だし、選ばれた相手だってそんなその場しのぎみたいな結婚、失礼じゃないですか(まあ相手もそういう考えならそれほど失礼じゃないのかな)。
そう言うと類似したタイトルの別の某ドラマにも同じことが言えるんですが。
作中人物で誰もそういう指摘をする人がいないのが不思議です。
あと「結婚に条件を求めるのは当たり前」という論調が何度も出てくるんですけど、条件っていうのは当然向こう側にもあるわけじゃないですか。
このドラマには女側の条件ばかりが出てきて、自分が採点されるという視点がないので、単なる「雨夜の品定め〜ガールズトークヴァージョン〜」にしかなってない気がします。
本気で結婚したかったら、もっと冷静に相手のニーズと、自分の商品価値(自分が相手にどんなメリットを与えられるか)を検討しますよね。
損得勘定ってそういうことでしょう。
もちろん、損得だけで結婚してない人も世の中にはたくさんいますが、それは「期限をつける」とか「チェック項目に照合する」というやり方の延長線上には出てこないと思うんです。
「コンカツ」って一種の流行語にまでなってるくらいなので、それを通して何を訴えたいのかに興味がいくわけですが、残念ながらただはやりもののキーワードを並べただけで、中に出てくることや言ってることは特に新味のあるものではなかったですね。
こっちは女の「コンカツ」ものですが、男の「コンカツ」を描いたのが「婚カツ!」(フジ/月曜9時〜)。
ジャニーズ主演で、出演者陣も抜かりなく豪華で、しかも天下の月9で、視聴率1桁という不名誉な記録を作ってしまったドラマですが、これはTV雑誌のコラムに書く予定なのでここでは省略します。
同様の理由で「魔女裁判」(フジ/土曜深夜〜)、今日から始まる「MR.BRAIN」(TBS/土曜8時〜)も省略。
最後に。
以下、4本は初回で脱落したものです。
「BOSS」(フジ/木曜10時〜)
「離婚弁護士」の刑事版って感じ?
多くを望まなければそこそこ楽しむことはできそう。と思って初回を見ましたが、いきなり退屈してしまいました。
何を見ても既視感だらけだし、天海のこの手のキャラはもう食傷気味。
今思えば天海の一番のはまり役は「女王の教室」。
彼女には地とかけはなれた役をやらせたほうが魅力が生きると思います(ヅカ時代からそうでした)。
でも初回の猟奇犯の役が武田鉄矢っていうのはびっくりしました。
猟奇犯なんだけどやっぱりどこか説教くさいのが笑えた。
お茶屋をやっても猟奇犯をやってもうんちく好きな金八先生。。。
「夜光の階段」(テレ朝/木曜9時〜)
今時朝ドラでもこんなベタなナレーション入らないよねっていうナレーション付きにびっくり。昭和の匂いプンプンで携帯電話が出てくるのに違和感を感じるほど。
藤木直人がジゴロ的キャラを演じるのに初回から限界を感じました。
藤木って男子校出身ぽい匂いがあって、色恋にマメなタイプにはどーしてみ見えない。言ってみれば(誰とは言わないけど)女子校出身者っぽい人が「男を狂わす魔性の女」をやるくらい無理がある。
強いて言えば、この昭和の世界に無理なくマッチする荻野目慶子が気になりました。初回を見る限りでは色恋に狂う女たち人脈からははずれたポジにいるおばさんでしたが、彼女がこのままで終わるとは思えない(笑)。
もし続けて視聴してる人がいるならば、ぜひその後の荻野目続報をきかせてプリーズ。
「ゴッドハンド輝」(TBS/土曜8時〜)
もう終わっちゃったみたいなんでいいんですけど。。。
とにかく医療ドラマだと思ってみたら腰砕けです。
あまりの荒唐無稽さに唖然。
いくら救急患者の緊急オペとはいえ、なんのキャリアもない研修医があそこまで勝手なふるまいができるか?
ドラマ見てるほうは彼が超人的なパワーの持ち主だって知ってるから「やれやれ!」と思うかもしれないけど、病院の上の人は少なくともリスクを伴う行為はなにがなんでも止めるでしょう。なにかあったら責任とるのは自分たちなんだから。
超人は出てきてもかまわないけど、周囲の対応が現実的でないのがダメ。
先日、友人に「だからね、主人公の死んだおとうさんが天才外科医でね、普段はへたれの新米外科医なんだけど、手術のここぞ!というシーンになるといきなりおとうさんが憑依して凄腕になるのよ」と説明したら、「……それって『ゴッドハンド輝』じゃなくて、『ゴッドハンドおとうさん』じゃないですか」と冷静なつっこみが。。。
ごもっとも

「アタシんちの男子」(フジ/火曜9時〜)
「イケパラ」に「メイちゃん」の路線ですね。
私の周りではこういうのけっこう楽しんでる人が多いんですが、私はイケメンにあまり興味がないため、人海戦術にしか見えません。
「ゴーストフレンズ」(NHK/木曜8時〜)
福田沙紀にブリブリ演技は無理。
「ゴッドハンド輝」「アタシんちの男子」と並んで、大人が集中して毎週見ようという気になれるドラマではないです。
だから8時台なんだよって言われたらそれまでなんですが。
なんとかこれで全部おさえたかな。漏れてるのも数本ありますが、それは最初からはずしてたとお考え下さい。
とりあえず、春クールは最後まで書いたぞ!!\(^0^)/
春ドラチェック(1)
- 2009/05/14 (Thu)
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快適な庭仕事が楽しめたのもつかの間、あっという間に屋外作業には暑すぎる気候になってしまいました。
うちの花壇の中心には、「ミントブッシュ」というミントの匂いがする常緑低木が鎮座しているのですが、今年の春は花がよくつきました。
ちなみに上の写真は4月のピーク時に撮ったもので、今はもう花期は終わってしまい、さっぱりと刈り込まれています。
植えたのはちょうど1年前ですが、そのときの画像がこれ。
こんなに大きくなったんだ!とあらためてびっくりです。
ミントブッシュに限らず、どの植物も最初はちっちゃくて花壇はスカスカだったんですが、今ではすっかり密集状態。時々は思い切って散髪(?)してやらないといけないんですが、刈り込むのって素人にはなかなか難しいですね。
こちらは前回お花をアップしたソラマメ。
実がつきました!
ソラマメってなんでソラマメっていうのかご存知ですか?
最初はこのように天に向かってさやがつくので「ソラマメ」。中の豆が徐々に太って、さやが重くなってくるにつれて下へ垂れていき、完全に下がったら「収穫どき」なんだそうです。
この写真はまだ上向きですが、今はもっと大きく太ってほぼ下がってます。そろそろ収穫かな。
さて、ここからが本題。
恒例の新ドラマチェックです。
気がつけばもうすでに1ヶ月。今さらやってもどうかと思わなくもないんですが、せっかくなのでやってみます。
今期、私が一番楽しんでるのは「白い春」(フジ/火曜10時〜)です。
基本シリアス+人情ベタ系なんだけど、「結婚できない男」チームが作ってるだけあって、随所にいい感じでペーソス入ってます。
大人げないいやがらせが日本一似合う男、阿部ちゃん(笑)。
今回は、恋人のために殺人を犯して9年間服役した元ヤクザという役どころ。
出所したての阿部ちゃんが、遠藤憲一(パン屋。すごくいい人の設定)にいやがらせするのに、毎朝町の中にある重いもの(バス停やらお地蔵様)をひきずってきてパン屋の扉の前に置くというエピソードには爆笑しました。
で、その都度エンケンが律儀にそれを元の場所に返しにいくんだけど、ひきずるのが重くて、ゴロゴロ回転させたところ「あ、こっちのが楽」と気がついて、お地蔵様を回転させながら「すいません…すいません…」って何度も謝ってるのにまた爆笑。
どっかに「阿部ちゃん、一文無しで空腹で倒れそうなはずなのに、パン屋より早起きして、あんな体力使って地味ないやがらせするなんて…」と書かれてたけど、私も同じこと思った。
警戒心むきだしのおっかない元ヤクザという設定ですが、エネルギーのつかいどころが変というか、どっか抜けてる。だから子供にもつけいれられるというのがおかしい。
阿部ちゃんの娘を演じるのが大橋のぞみちゃん。
阿部ちゃんが服役してすぐに生まれた子なので、お互い親子だとは知らないのですが、屈託なくなつかれて戸惑いを隠せない阿部ちゃん。
最初は「ぽにょ、演技できんの?」と不安でしたが、予想通りかなりたどたどしかったです。でも慣れてくると、変に達者すぎる子役よりも、無垢な感じが出ていていいように思えてきました。
今後は、「恋人の病気治療のために命をかけてつくった800万はどこへ消えたのか?」あたりを謎として残しつつ、吉高演じる若い女が横糸でからみ、ぽにょを巡って阿部ちゃんとパン屋が男同士の人情をガッツリ見せていくという展開になりそう。
思いがけない展開があるようなタイプのドラマではないけれど、作中人物の魅力をしっかり描くことによって視聴者をひきつける手腕は「結婚できない男」に続いて健在。
阿部ちゃんの役どころも「結婚できない男」とはまったく違うようでどこかテイストが似ています。
空腹にじっと耐えているところに、ぽにょから「はい。食べる?」とパンを差し出され、苦い顔をする阿部ちゃんを見て、「『あなたがどうしてもというなら』と言って受け取るんじゃないか」と思ったのは私だけではないはず(笑)。
眼光するどくバナナを貪り食う阿部ちゃん(どう見ても目張り入れてる…)、炊き出しの列に並ぶ頭一つ飛び出ている阿部ちゃん、子供に向かって「明日もパンもってこい。親には言うなよ」とすごむ阿部ちゃん、小学生を脅してチビらせる阿部ちゃん、おいしすぎる絵柄連発でたまりません。
次に楽しんでるのは「名探偵の掟」(テレビ朝日/金曜深夜〜)です。
賛否あるようですが、私は予想以上に楽しんでます。
ジャンルとしては、「トリック」とか、「33分探偵」とか、その流れを汲むタイプの深夜ドラマですが、私はこの2つより好きです。
センスという点では「トリック」に軍配が上がるのかもしれないし、バカバカしさという点では「33分探偵」のほうが徹底してるのかもしれませんが、この2作にはない「名探偵の掟」のおもしろさは、作者のアイロニーが目一杯にじみでている点でしょう。
ご存知の通り、この作品は、今では超売れっ子の東野圭吾が、何をやっても売れなかった時期に、半ば「やけくそ」になって書いたというもの。
いわば、推理ものに毎度現れる「お約束」を、売れない推理作家が自虐的におちゃらかしてみせたのがこの作品誕生のきっかけというわけ。
言っちゃあなんですけど、これは売れてない作家でなきゃやろうと思わないでしょう。さらに言えばほんとにその作家が売れないまま終わったらその作品も世に出ることはないわけだから、「売れなくて→売れた」作家にしかできない仕事だったと言えるでしょう。そこがおもしろいんですよ。
私は推理ドラマ好きでもなんでもないけれど、そんな私でも、このドラマを見ているとあらためて「そういえばこういうパターンあるある。見たことある」という既視感に襲われてニヤリとしてしまいます。
それは「こんなの都合よすぎるよ」とか「この人が気づかないのってありえないでしょ」などつっこんではいけないものばかりで、それこそが「推理ドラマの掟」(作る側ではなく見てる側の)なわけですが、このドラマではその掟に縛られるのが登場人物自身というところがミソ。
普通、登場人物の感情は作者の手の中に握られていて、作者が作り出す物語進行に沿って役割を果たしていくわけですが、それがいきすぎると登場人物はトリックを説明するための単なる「駒」になってしまい、読者の興味も人物よりも謎解きにシフトしていってしまいます。
ここに出てくる主要登場人物3名(名探偵・間抜けな警部・その部下の若い女刑事)は、そんな自分たちの「駒」としての役割をはっきりと自覚していて、かなり状況に無理があっても、自分的には不本意であっても、作者の意図通り動こうと努力するのですが、そんな努力をあざ笑うかのように事態が「お約束」とは違う方向に動いていく。
自分たちに課せられた掟と、思うようにならない物語展開の間で板挟みになる彼らの姿は、シチュエーションコメディとして立派に成立しています。
3人以外の登場人物は、自分たちが「物語の登場人物」であり、作者(=神)に与えられた役割を生きていることを知らない。
でも3人は自分たちが「登場人物の掟」から逃れられないことを知っており、作者(=神)が自分たちに何を求めているのか知っている。
この2つの異なる視点が混在しているところが一番おもしろい。
登場人物であって登場人物の枠を越えている3人が、自分の役割について愚痴を言い合うシーンは、まさに推理作家への逆襲であり、東野圭吾は登場人物の口を借りて古今東西の売れてる推理作家に復讐(というと言葉きついので「揶揄」でもいい)したかったのかなと思ったりして。
同時に登場人物に対する作者の愛情も見えたりして、それが見ていて楽しいのかもしれません。
名探偵の松田翔太は、さすがのオーラだし、香椎由宇は今まで見た中で一番生き生きしていてツッコミキャラがお似合い。ビジュアル的にも松田とは相性がいい。
木村祐一は、演技と呼べるレベルではないんだけど、それが「役割をまっとうするために決められたセリフを必死に言う」というシチュエーションにマッチしていてかえって好印象。
思い通りにいかないとすぐにすねて「僕、もう帰っていいですか」とわがままをいう名探偵、それをあの手この手でなだめて主役としての自覚を促そうとする警部、それを冷ややかにみつめ、しばしば掟に反する行動をとろうとする女刑事。
この図式もすっかり定着してきて、キャラのバランスにも隙がない。
深夜に見るドラマとしてはなかなかいい線いってると思います。
この2本の他はそれほど熱心に見てないんですが、一応他のドラマにも軽く触れておきます。
まったくノーマークだったんだけど前田司郎が脚本ときいてびっくらこいて見ることにした「漂流ネットカフェ」(TBS/水曜深夜〜)。
前田司郎といっても一般の人にはほとんど知名度がないと思いますが、彼は五反田団という超マイナーな劇団の主宰者で、おそらくはTVとは真逆の世界で生きている人です。
私は前田さんの作品を観たことはないんですが、とにかくすさまじく「わけわかんない」シュールな話を書くことで有名らしいです。
以前、シアタートークで前田さんがお話するのを聞いたんですが、「演劇なんて努力して人に受けるもの書いたって動員できる数はたかだかしれてるし、それで儲かるわけではない。だったら100人未満の人が気に入ればOKという話を書いたっていいじゃないか」とすがすがしいほど「マイナーで悪いか!」という気分全開で開き直ってました(笑)。まあ、そう言われればたしかにその通りなんですけどね〜。
その前田さんが深夜とはいえTVを書く!
たしか「より多くの人を満足させる作品を書けと言われて、それがお金になる仕事ならもちろんそういうものを書きますよ」とも言っていたので、「前田司郎、公約通り万人受けするもの見せてくれるんだろうな!」という野次馬的根性で見始めました。
まあ、オリジナルじゃないので100%前田ワールドではないでしょうが、そうはいってもフツーの脚色で終わるような人ではないでしょう。と思ってたら、聞くところによると原作に忠実なのは初回だけで、2回目以降はまったく変えてしまってるとのこと。
タイトルからわかる通り、話の内容は「漂流教室」のパロディみたいな感じ。
「漂流教室」は残されたのが高校生中心で、ほぼ全員が顔見知りだったのに対し、こちらはネットカフェにたまたま居合わせた他人同士というところがポイント。
異世界に漂流となると、まず食べ物と水の奪い合いが起こり、弱者がふみにじられる(代表的なものとしては女性がレイプされるなど)という展開が容易に想像できますが、正直そういうシビアな展開は「漂流教室」でおなかいっぱいで、あんまり見たくないなーと思ってたら、こちらの「漂流ネットカフェ」はきわめてまったり平和に進んでいくので、前田司郎もそういう展開にはしたくなかったんでしょうか。
食べ物が限られてるわりには、皆さんそれほど危機感持ってないようだし、一応近くの川に水汲みくらいは行ってるけれど、あとはリゾートに来たように思い思いにくつろいでいる。
そのうちに、どうやらこの異世界はある人物が頭の中で想像した世界(夢)で、彼らはその中に迷い込んでしまったらしいことが明らかになってくる。
つまり、彼らは気がついたら物語の中の登場人物になっていたって感じかな。
だからその人物(創造者)が必要だと思えば、適当なタイミングで食べ物もみつかるようになってる。
でもその人物が死んだら彼らもみんな消えてしまうというわけ。
こういう設定ってすごく演劇くさい気がする。思えば「名探偵の掟」も「気がついたら物語の登場人物になっていた」という設定なので、もしかすると構造の系統としては同じなのかもしれません。
毎回30分で終わってしまうからしょうがないのかもしれないけど、なんか展開が遅く感じられるのが今のところやや不満。
1回目はこういう話、2回目はこういう話っていう目玉がないっていうか、少しずつ進んではいるんだろうけど、いつ見ても話が進んでるように見えないのが連ドラとしては厳しいかな。
モデルのKIKIとかいう女の子が、あまりにも超絶に素人くさい演技で、そのインパクトが今のところ一番強い。あの顔を見てると朝ドラのヒロイン(多部未華子)を思い出す。
「アイシテル」(日本TV/水曜10時〜)は、小学生が小学生を殺すというショッキングな事件を巡って、それぞれの家族の苦悩を描くという重苦しいドラマ。
原作を読んでないのでドラマだけの印象ですが、なんだか薄っぺらいなという印象。まじめに取り組もうとしているのはわかるんですが、あまりにも繰り出されるセリフがどれもこれもストレートすぎるというか、表相的というか、説明的すぎて、いくら熱演されても「作り物」っぽいんですよね。
もちろん、こんなに特異な状況に陥った人の気持ちなんて他人はそうそう想像できるものではないと思いますよ。思うけど、そこを想像力で凌駕するのが作家でしょう。今のところ、一般人が思いつくようなセリフしか出てきてないなというのが正直な感想。
ていうか、みんなしゃべりすぎだよね。5歳の子供を殺された母親があんなにわかりやすい整理された言葉を発するかな、とか思っちゃうんですよ(落ち着いてきた頃ならともかく、事件の直後に)。
言葉にならない思いだけがたまっていって、一見奇妙に思えるような言動をしてしまうとか、いくらでも表現方法はあると思うんですが。
ちょっと厳しい評価かもしれませんが、ここまで難しい題材に取り組むのなら、通り一遍ではなく、そこまでのレベルで引き込んでくれるものを見せてほしいです。
まだまだあるけど、全部書いてるといつまでたってもアップできないので今回はとりあえずここまで!
うちの花壇の中心には、「ミントブッシュ」というミントの匂いがする常緑低木が鎮座しているのですが、今年の春は花がよくつきました。
ちなみに上の写真は4月のピーク時に撮ったもので、今はもう花期は終わってしまい、さっぱりと刈り込まれています。
植えたのはちょうど1年前ですが、そのときの画像がこれ。
こんなに大きくなったんだ!とあらためてびっくりです。
ミントブッシュに限らず、どの植物も最初はちっちゃくて花壇はスカスカだったんですが、今ではすっかり密集状態。時々は思い切って散髪(?)してやらないといけないんですが、刈り込むのって素人にはなかなか難しいですね。
こちらは前回お花をアップしたソラマメ。
実がつきました!
ソラマメってなんでソラマメっていうのかご存知ですか?
最初はこのように天に向かってさやがつくので「ソラマメ」。中の豆が徐々に太って、さやが重くなってくるにつれて下へ垂れていき、完全に下がったら「収穫どき」なんだそうです。
この写真はまだ上向きですが、今はもっと大きく太ってほぼ下がってます。そろそろ収穫かな。
さて、ここからが本題。
恒例の新ドラマチェックです。
気がつけばもうすでに1ヶ月。今さらやってもどうかと思わなくもないんですが、せっかくなのでやってみます。
今期、私が一番楽しんでるのは「白い春」(フジ/火曜10時〜)です。
基本シリアス+人情ベタ系なんだけど、「結婚できない男」チームが作ってるだけあって、随所にいい感じでペーソス入ってます。
大人げないいやがらせが日本一似合う男、阿部ちゃん(笑)。
今回は、恋人のために殺人を犯して9年間服役した元ヤクザという役どころ。
出所したての阿部ちゃんが、遠藤憲一(パン屋。すごくいい人の設定)にいやがらせするのに、毎朝町の中にある重いもの(バス停やらお地蔵様)をひきずってきてパン屋の扉の前に置くというエピソードには爆笑しました。
で、その都度エンケンが律儀にそれを元の場所に返しにいくんだけど、ひきずるのが重くて、ゴロゴロ回転させたところ「あ、こっちのが楽」と気がついて、お地蔵様を回転させながら「すいません…すいません…」って何度も謝ってるのにまた爆笑。
どっかに「阿部ちゃん、一文無しで空腹で倒れそうなはずなのに、パン屋より早起きして、あんな体力使って地味ないやがらせするなんて…」と書かれてたけど、私も同じこと思った。
警戒心むきだしのおっかない元ヤクザという設定ですが、エネルギーのつかいどころが変というか、どっか抜けてる。だから子供にもつけいれられるというのがおかしい。
阿部ちゃんの娘を演じるのが大橋のぞみちゃん。
阿部ちゃんが服役してすぐに生まれた子なので、お互い親子だとは知らないのですが、屈託なくなつかれて戸惑いを隠せない阿部ちゃん。
最初は「ぽにょ、演技できんの?」と不安でしたが、予想通りかなりたどたどしかったです。でも慣れてくると、変に達者すぎる子役よりも、無垢な感じが出ていていいように思えてきました。
今後は、「恋人の病気治療のために命をかけてつくった800万はどこへ消えたのか?」あたりを謎として残しつつ、吉高演じる若い女が横糸でからみ、ぽにょを巡って阿部ちゃんとパン屋が男同士の人情をガッツリ見せていくという展開になりそう。
思いがけない展開があるようなタイプのドラマではないけれど、作中人物の魅力をしっかり描くことによって視聴者をひきつける手腕は「結婚できない男」に続いて健在。
阿部ちゃんの役どころも「結婚できない男」とはまったく違うようでどこかテイストが似ています。
空腹にじっと耐えているところに、ぽにょから「はい。食べる?」とパンを差し出され、苦い顔をする阿部ちゃんを見て、「『あなたがどうしてもというなら』と言って受け取るんじゃないか」と思ったのは私だけではないはず(笑)。
眼光するどくバナナを貪り食う阿部ちゃん(どう見ても目張り入れてる…)、炊き出しの列に並ぶ頭一つ飛び出ている阿部ちゃん、子供に向かって「明日もパンもってこい。親には言うなよ」とすごむ阿部ちゃん、小学生を脅してチビらせる阿部ちゃん、おいしすぎる絵柄連発でたまりません。
次に楽しんでるのは「名探偵の掟」(テレビ朝日/金曜深夜〜)です。
賛否あるようですが、私は予想以上に楽しんでます。
ジャンルとしては、「トリック」とか、「33分探偵」とか、その流れを汲むタイプの深夜ドラマですが、私はこの2つより好きです。
センスという点では「トリック」に軍配が上がるのかもしれないし、バカバカしさという点では「33分探偵」のほうが徹底してるのかもしれませんが、この2作にはない「名探偵の掟」のおもしろさは、作者のアイロニーが目一杯にじみでている点でしょう。
ご存知の通り、この作品は、今では超売れっ子の東野圭吾が、何をやっても売れなかった時期に、半ば「やけくそ」になって書いたというもの。
いわば、推理ものに毎度現れる「お約束」を、売れない推理作家が自虐的におちゃらかしてみせたのがこの作品誕生のきっかけというわけ。
言っちゃあなんですけど、これは売れてない作家でなきゃやろうと思わないでしょう。さらに言えばほんとにその作家が売れないまま終わったらその作品も世に出ることはないわけだから、「売れなくて→売れた」作家にしかできない仕事だったと言えるでしょう。そこがおもしろいんですよ。
私は推理ドラマ好きでもなんでもないけれど、そんな私でも、このドラマを見ているとあらためて「そういえばこういうパターンあるある。見たことある」という既視感に襲われてニヤリとしてしまいます。
それは「こんなの都合よすぎるよ」とか「この人が気づかないのってありえないでしょ」などつっこんではいけないものばかりで、それこそが「推理ドラマの掟」(作る側ではなく見てる側の)なわけですが、このドラマではその掟に縛られるのが登場人物自身というところがミソ。
普通、登場人物の感情は作者の手の中に握られていて、作者が作り出す物語進行に沿って役割を果たしていくわけですが、それがいきすぎると登場人物はトリックを説明するための単なる「駒」になってしまい、読者の興味も人物よりも謎解きにシフトしていってしまいます。
ここに出てくる主要登場人物3名(名探偵・間抜けな警部・その部下の若い女刑事)は、そんな自分たちの「駒」としての役割をはっきりと自覚していて、かなり状況に無理があっても、自分的には不本意であっても、作者の意図通り動こうと努力するのですが、そんな努力をあざ笑うかのように事態が「お約束」とは違う方向に動いていく。
自分たちに課せられた掟と、思うようにならない物語展開の間で板挟みになる彼らの姿は、シチュエーションコメディとして立派に成立しています。
3人以外の登場人物は、自分たちが「物語の登場人物」であり、作者(=神)に与えられた役割を生きていることを知らない。
でも3人は自分たちが「登場人物の掟」から逃れられないことを知っており、作者(=神)が自分たちに何を求めているのか知っている。
この2つの異なる視点が混在しているところが一番おもしろい。
登場人物であって登場人物の枠を越えている3人が、自分の役割について愚痴を言い合うシーンは、まさに推理作家への逆襲であり、東野圭吾は登場人物の口を借りて古今東西の売れてる推理作家に復讐(というと言葉きついので「揶揄」でもいい)したかったのかなと思ったりして。
同時に登場人物に対する作者の愛情も見えたりして、それが見ていて楽しいのかもしれません。
名探偵の松田翔太は、さすがのオーラだし、香椎由宇は今まで見た中で一番生き生きしていてツッコミキャラがお似合い。ビジュアル的にも松田とは相性がいい。
木村祐一は、演技と呼べるレベルではないんだけど、それが「役割をまっとうするために決められたセリフを必死に言う」というシチュエーションにマッチしていてかえって好印象。
思い通りにいかないとすぐにすねて「僕、もう帰っていいですか」とわがままをいう名探偵、それをあの手この手でなだめて主役としての自覚を促そうとする警部、それを冷ややかにみつめ、しばしば掟に反する行動をとろうとする女刑事。
この図式もすっかり定着してきて、キャラのバランスにも隙がない。
深夜に見るドラマとしてはなかなかいい線いってると思います。
この2本の他はそれほど熱心に見てないんですが、一応他のドラマにも軽く触れておきます。
まったくノーマークだったんだけど前田司郎が脚本ときいてびっくらこいて見ることにした「漂流ネットカフェ」(TBS/水曜深夜〜)。
前田司郎といっても一般の人にはほとんど知名度がないと思いますが、彼は五反田団という超マイナーな劇団の主宰者で、おそらくはTVとは真逆の世界で生きている人です。
私は前田さんの作品を観たことはないんですが、とにかくすさまじく「わけわかんない」シュールな話を書くことで有名らしいです。
以前、シアタートークで前田さんがお話するのを聞いたんですが、「演劇なんて努力して人に受けるもの書いたって動員できる数はたかだかしれてるし、それで儲かるわけではない。だったら100人未満の人が気に入ればOKという話を書いたっていいじゃないか」とすがすがしいほど「マイナーで悪いか!」という気分全開で開き直ってました(笑)。まあ、そう言われればたしかにその通りなんですけどね〜。
その前田さんが深夜とはいえTVを書く!
たしか「より多くの人を満足させる作品を書けと言われて、それがお金になる仕事ならもちろんそういうものを書きますよ」とも言っていたので、「前田司郎、公約通り万人受けするもの見せてくれるんだろうな!」という野次馬的根性で見始めました。
まあ、オリジナルじゃないので100%前田ワールドではないでしょうが、そうはいってもフツーの脚色で終わるような人ではないでしょう。と思ってたら、聞くところによると原作に忠実なのは初回だけで、2回目以降はまったく変えてしまってるとのこと。
タイトルからわかる通り、話の内容は「漂流教室」のパロディみたいな感じ。
「漂流教室」は残されたのが高校生中心で、ほぼ全員が顔見知りだったのに対し、こちらはネットカフェにたまたま居合わせた他人同士というところがポイント。
異世界に漂流となると、まず食べ物と水の奪い合いが起こり、弱者がふみにじられる(代表的なものとしては女性がレイプされるなど)という展開が容易に想像できますが、正直そういうシビアな展開は「漂流教室」でおなかいっぱいで、あんまり見たくないなーと思ってたら、こちらの「漂流ネットカフェ」はきわめてまったり平和に進んでいくので、前田司郎もそういう展開にはしたくなかったんでしょうか。
食べ物が限られてるわりには、皆さんそれほど危機感持ってないようだし、一応近くの川に水汲みくらいは行ってるけれど、あとはリゾートに来たように思い思いにくつろいでいる。
そのうちに、どうやらこの異世界はある人物が頭の中で想像した世界(夢)で、彼らはその中に迷い込んでしまったらしいことが明らかになってくる。
つまり、彼らは気がついたら物語の中の登場人物になっていたって感じかな。
だからその人物(創造者)が必要だと思えば、適当なタイミングで食べ物もみつかるようになってる。
でもその人物が死んだら彼らもみんな消えてしまうというわけ。
こういう設定ってすごく演劇くさい気がする。思えば「名探偵の掟」も「気がついたら物語の登場人物になっていた」という設定なので、もしかすると構造の系統としては同じなのかもしれません。
毎回30分で終わってしまうからしょうがないのかもしれないけど、なんか展開が遅く感じられるのが今のところやや不満。
1回目はこういう話、2回目はこういう話っていう目玉がないっていうか、少しずつ進んではいるんだろうけど、いつ見ても話が進んでるように見えないのが連ドラとしては厳しいかな。
モデルのKIKIとかいう女の子が、あまりにも超絶に素人くさい演技で、そのインパクトが今のところ一番強い。あの顔を見てると朝ドラのヒロイン(多部未華子)を思い出す。
「アイシテル」(日本TV/水曜10時〜)は、小学生が小学生を殺すというショッキングな事件を巡って、それぞれの家族の苦悩を描くという重苦しいドラマ。
原作を読んでないのでドラマだけの印象ですが、なんだか薄っぺらいなという印象。まじめに取り組もうとしているのはわかるんですが、あまりにも繰り出されるセリフがどれもこれもストレートすぎるというか、表相的というか、説明的すぎて、いくら熱演されても「作り物」っぽいんですよね。
もちろん、こんなに特異な状況に陥った人の気持ちなんて他人はそうそう想像できるものではないと思いますよ。思うけど、そこを想像力で凌駕するのが作家でしょう。今のところ、一般人が思いつくようなセリフしか出てきてないなというのが正直な感想。
ていうか、みんなしゃべりすぎだよね。5歳の子供を殺された母親があんなにわかりやすい整理された言葉を発するかな、とか思っちゃうんですよ(落ち着いてきた頃ならともかく、事件の直後に)。
言葉にならない思いだけがたまっていって、一見奇妙に思えるような言動をしてしまうとか、いくらでも表現方法はあると思うんですが。
ちょっと厳しい評価かもしれませんが、ここまで難しい題材に取り組むのなら、通り一遍ではなく、そこまでのレベルで引き込んでくれるものを見せてほしいです。
まだまだあるけど、全部書いてるといつまでたってもアップできないので今回はとりあえずここまで!
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
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