古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
みのは紅白を変えられたのか?!
- 2006/01/02 (Mon)
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今年度の紅白の視聴率がどうなったのか、気になったのでチェックしてみました。以下、関東の数字です。
第1部が35.4%(昨年は30.8%)。そして第2部が42.9%(昨年は39.3%)。
第1部・2部ともに上昇したのは7年ぶりだそうです。
今回の紅白は、なんといっても「みのもんた起用」が一番の話題でしょう。数字があがったのも、単純に「みのがどんなことやってるのか」っていう興味の結果だと思います。
NHKは前年度で史上最低視聴率を記録したことに相当危機感を感じたようで、今回はかなり番宣に力を入れていました。
本番前日は、テリー伊藤と室井祐月をゲストに呼んで「紅白のどこがダメなのか」を語らせ、自己批判を延々と繰り広げたうえで、「どんな紅白を期待するか」「われわれはこれからどう変わるべきか」みたいな総括をしていたのですが、こんな学級会の議題みたいに臆面もなく自己批判しちゃうところがNHKらしいというかなんというか…。結論からいうと、その反省の結果誕生した「ニュー紅白」よりも、「反省するNHKの図」のほうがおもしろかったです。
学級会(?)の結果、導き出された「紅白がうけなくなった理由」は大きくわけて4つあります。
その1.楽曲の好みの多様化(ヒット曲が出にくい)
その2.娯楽の多様化(TVだけが娯楽の時代は終わった。全員がひとつの方向に向かう場面がもはやほとんど見られない)
その3.家族団欒の習慣がない(家族団欒と紅白観戦は表裏一体)
まあ、ここまではよく言われていることで、「今さら…」って感じだったんですが、おもしろかったのは4つ目。
その4.あまりにも細かく段取りが決められすぎていて、ライブならではの不確実性、なにが起こるのかわからないというワクワク感がない。これなら録画でいい。
なるほどね。録画でもいいじゃんと言われればそうかもしれない。
ただ、「じゃあ紅白を録画して年明けに見ようと思うか?」って聞かれたら「見ない」だろうと思うけど。やっぱり大晦日のあの時間帯に見るから特別な番組だと感じるわけで。シンデレラと同じで、12時すぎたら魔法もとけちゃう気がしますね。
でも、台本が細かく決められすぎでおもしろくないという意見はなるほどと思いました。
昔の紅白はそのへんもっとおおらかで、たとえば曲が決まってるのに、司会者がその場で「こっちの曲のほうが聞きたい」とわがままを言いだし、指揮者に交渉して無理やり違う曲に変えさせた…なんてこともあったらしい。
今じゃ考えられませんね。
それがこんなに段取り重視になった背景には、やはり「規模が大きくなりすぎた」ことがあるのではないでしょうか。
出場者の数が増え、装置もゴージャスになり、放送枠も拡大され…となれば、かかわる人の数も手間もお金も格段にかかるようになるだろうし、そうなるとゆるい仕切りじゃ番組が成立しないでしょう。
「あれもやろう」「これもやろう」と思えば、スケジュールはどんどんタイトになり、間に入るMCもきっちり決められてよけいなことを言う余裕がなくなるのは当然です。
要するに、紅白という番組が肥大化したことが、こうなった一番の原因ではないでしょうか。
テリー伊藤は「ライブの不確実性」にこだわり、ゲリラ的発想の意見をいくつか述べていて、それはそれでたしかにおもしろかったんですが、この規模を維持しようとする限り、また出場者や視聴者すべてに不公平や失礼があってはならないという気配りを重視する限り、紅白にそんなものを求めるのは無理、というのが私の意見です。
司会者を意外な人に変えたくらいじゃ抜本的改革にはならないです。体質から変えないと(べつに変える必要はないと思うけど)。
で、実際見てみてその思いをますます強くしました。
後半しか見てないので、あまり大きなことは言えないのですが、はっきり言ってもんたは浮いてました。
ていうか、手足縛られてプールに投げ込まれたような感じに見えました。
じつは、「おもいっきりテレビ」を見ているときには、相棒の高橋佳代子アナがあまりにもまともすぎてもんたとつり合わないなーと思ってたんですが、すいません、私の心得違いでした。あれが計算なのか天然なのかはわかりませんが、高橋アナのあの悠然とした懐の深い対応があってこそ、もんた節は自由自在に力を発揮できるのですね。
今回の山根アナともんたとのかみあわなさっぷりを見て初めてそれがわかりました。もんたのやりにくそうなことといったら……。まじめそうという点では高橋アナも山根アナも同じタイプに見えますが、全然違います。山根アナ、反応悪すぎ。進行しか頭にないのがみえみえでした。
さらに「アドリブが超きかない仲間由紀恵」が加わり、山本耕史にいたっては、流す、流す。それはもう見事なソツのない流しようでした。
さすがのもんたもこの3人に取り囲まれてはなすすべなしといった状況。何度も「もんたらしさ」をアピールしようと切り込んでましたが、その都度3人にかわされてしまい、撃沈。
最後はもう憮然としちゃって勝敗よりこっちのほうが気になってしまいましたよ。
やはりもんたには3500人規模のホールは似合わないです。「おもいっきり〜」のスタジオのような規模でお客の顔を間近にみて臨機応変に対応できる“小劇場芝居”でこそその魅力は発揮できるとみました。
今回の抜擢は、100人規模の小劇場でカリスマ的人気を誇っている役者が、いきなり3000人規模の大劇場の商業演劇に出させられたような場違い感がありました。
ところで、ここ数年、私は紅白が終わったところでチャンネルをきりかえ、「ジルベスターコンサート」のフィニッシュを見るようになりました。
ジルベスターコンサートじたいは、いろいろな国で行われているのですが、日本のジルベスターコンサートでは、いつの頃からか大晦日にカウントダウン曲を演奏するのが恒例になってます。
新年を迎える午前0時ぴったりに曲を終わらせるというのが指揮者に課せられた任務で、数分前になると画面にでっかい時計の文字盤が現れ、スリルを煽ります。
今回が11回目ですが、今までに失敗した指揮者は1人もいないそうで、そのことがいっそう初出場の指揮者に大きなプレッシャーを与えるようです。
「ぴったりに終わらせたからってそれがどうだっちゅーねん」と言えばそれまでです。
「音楽は芸術なのよ。そんな曲芸みたいな演奏、間違ってる。邪道だわ」と言われればおっしゃる通り。
それでも、0時ジャストにスコアの最後の音が鳴り響き、その瞬間にくす玉が割れ、色とりどりのテープが舞い、拍手と歓声に会場が包まれるのは見ていてかなりのカタルシスがあるものです。
「時間ぴったりに終わらせられるという日本人独特の段取りの優秀さ」が、片方では「つまらない」と敵視されているのに、こっちではそれを逆手にとって「ライブならではのワクワク感」に転化させている……皮肉といえば皮肉ですが、発想を変えればこういうことも成立するんですね。
第1部が35.4%(昨年は30.8%)。そして第2部が42.9%(昨年は39.3%)。
第1部・2部ともに上昇したのは7年ぶりだそうです。
今回の紅白は、なんといっても「みのもんた起用」が一番の話題でしょう。数字があがったのも、単純に「みのがどんなことやってるのか」っていう興味の結果だと思います。
NHKは前年度で史上最低視聴率を記録したことに相当危機感を感じたようで、今回はかなり番宣に力を入れていました。
本番前日は、テリー伊藤と室井祐月をゲストに呼んで「紅白のどこがダメなのか」を語らせ、自己批判を延々と繰り広げたうえで、「どんな紅白を期待するか」「われわれはこれからどう変わるべきか」みたいな総括をしていたのですが、こんな学級会の議題みたいに臆面もなく自己批判しちゃうところがNHKらしいというかなんというか…。結論からいうと、その反省の結果誕生した「ニュー紅白」よりも、「反省するNHKの図」のほうがおもしろかったです。
学級会(?)の結果、導き出された「紅白がうけなくなった理由」は大きくわけて4つあります。
その1.楽曲の好みの多様化(ヒット曲が出にくい)
その2.娯楽の多様化(TVだけが娯楽の時代は終わった。全員がひとつの方向に向かう場面がもはやほとんど見られない)
その3.家族団欒の習慣がない(家族団欒と紅白観戦は表裏一体)
まあ、ここまではよく言われていることで、「今さら…」って感じだったんですが、おもしろかったのは4つ目。
その4.あまりにも細かく段取りが決められすぎていて、ライブならではの不確実性、なにが起こるのかわからないというワクワク感がない。これなら録画でいい。
なるほどね。録画でもいいじゃんと言われればそうかもしれない。
ただ、「じゃあ紅白を録画して年明けに見ようと思うか?」って聞かれたら「見ない」だろうと思うけど。やっぱり大晦日のあの時間帯に見るから特別な番組だと感じるわけで。シンデレラと同じで、12時すぎたら魔法もとけちゃう気がしますね。
でも、台本が細かく決められすぎでおもしろくないという意見はなるほどと思いました。
昔の紅白はそのへんもっとおおらかで、たとえば曲が決まってるのに、司会者がその場で「こっちの曲のほうが聞きたい」とわがままを言いだし、指揮者に交渉して無理やり違う曲に変えさせた…なんてこともあったらしい。
今じゃ考えられませんね。
それがこんなに段取り重視になった背景には、やはり「規模が大きくなりすぎた」ことがあるのではないでしょうか。
出場者の数が増え、装置もゴージャスになり、放送枠も拡大され…となれば、かかわる人の数も手間もお金も格段にかかるようになるだろうし、そうなるとゆるい仕切りじゃ番組が成立しないでしょう。
「あれもやろう」「これもやろう」と思えば、スケジュールはどんどんタイトになり、間に入るMCもきっちり決められてよけいなことを言う余裕がなくなるのは当然です。
要するに、紅白という番組が肥大化したことが、こうなった一番の原因ではないでしょうか。
テリー伊藤は「ライブの不確実性」にこだわり、ゲリラ的発想の意見をいくつか述べていて、それはそれでたしかにおもしろかったんですが、この規模を維持しようとする限り、また出場者や視聴者すべてに不公平や失礼があってはならないという気配りを重視する限り、紅白にそんなものを求めるのは無理、というのが私の意見です。
司会者を意外な人に変えたくらいじゃ抜本的改革にはならないです。体質から変えないと(べつに変える必要はないと思うけど)。
で、実際見てみてその思いをますます強くしました。
後半しか見てないので、あまり大きなことは言えないのですが、はっきり言ってもんたは浮いてました。
ていうか、手足縛られてプールに投げ込まれたような感じに見えました。
じつは、「おもいっきりテレビ」を見ているときには、相棒の高橋佳代子アナがあまりにもまともすぎてもんたとつり合わないなーと思ってたんですが、すいません、私の心得違いでした。あれが計算なのか天然なのかはわかりませんが、高橋アナのあの悠然とした懐の深い対応があってこそ、もんた節は自由自在に力を発揮できるのですね。
今回の山根アナともんたとのかみあわなさっぷりを見て初めてそれがわかりました。もんたのやりにくそうなことといったら……。まじめそうという点では高橋アナも山根アナも同じタイプに見えますが、全然違います。山根アナ、反応悪すぎ。進行しか頭にないのがみえみえでした。
さらに「アドリブが超きかない仲間由紀恵」が加わり、山本耕史にいたっては、流す、流す。それはもう見事なソツのない流しようでした。
さすがのもんたもこの3人に取り囲まれてはなすすべなしといった状況。何度も「もんたらしさ」をアピールしようと切り込んでましたが、その都度3人にかわされてしまい、撃沈。
最後はもう憮然としちゃって勝敗よりこっちのほうが気になってしまいましたよ。
やはりもんたには3500人規模のホールは似合わないです。「おもいっきり〜」のスタジオのような規模でお客の顔を間近にみて臨機応変に対応できる“小劇場芝居”でこそその魅力は発揮できるとみました。
今回の抜擢は、100人規模の小劇場でカリスマ的人気を誇っている役者が、いきなり3000人規模の大劇場の商業演劇に出させられたような場違い感がありました。
ところで、ここ数年、私は紅白が終わったところでチャンネルをきりかえ、「ジルベスターコンサート」のフィニッシュを見るようになりました。
ジルベスターコンサートじたいは、いろいろな国で行われているのですが、日本のジルベスターコンサートでは、いつの頃からか大晦日にカウントダウン曲を演奏するのが恒例になってます。
新年を迎える午前0時ぴったりに曲を終わらせるというのが指揮者に課せられた任務で、数分前になると画面にでっかい時計の文字盤が現れ、スリルを煽ります。
今回が11回目ですが、今までに失敗した指揮者は1人もいないそうで、そのことがいっそう初出場の指揮者に大きなプレッシャーを与えるようです。
「ぴったりに終わらせたからってそれがどうだっちゅーねん」と言えばそれまでです。
「音楽は芸術なのよ。そんな曲芸みたいな演奏、間違ってる。邪道だわ」と言われればおっしゃる通り。
それでも、0時ジャストにスコアの最後の音が鳴り響き、その瞬間にくす玉が割れ、色とりどりのテープが舞い、拍手と歓声に会場が包まれるのは見ていてかなりのカタルシスがあるものです。
「時間ぴったりに終わらせられるという日本人独特の段取りの優秀さ」が、片方では「つまらない」と敵視されているのに、こっちではそれを逆手にとって「ライブならではのワクワク感」に転化させている……皮肉といえば皮肉ですが、発想を変えればこういうことも成立するんですね。
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
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ジルベスター、ドキドキでした
本年もよろしくお願いします。
このたびはわたくしの、プロフィールの更新をありがとうございます。
こちら、紅白歌合戦の視聴率が51%もあった名古屋から戻ってまいりました。
いやー、ちょっくら初詣でにと思い立ちまして、行ってまいりましたのよ。
暮れのジルベスターコンサートですが、この番組、全国中継してるのかしら。
ほんとに日本と北朝鮮ぐらいにしかできないであろう、面白い企画ですよね。
衛星放送で世界に流したいぐらいです。←意味あるのか?
実は私、去年初めてこの中継番組の存在に気がつきました。
合唱の途中から見まして、最初は「コバケン(指揮者の小林研一郎さん)相変わらず面白い顔やなあ」「男声ソロ、パパイヤ鈴木じゃん」とのんびり見てました。
「カウントダウン」と画面の端に出ているのに気づいても、「演奏が終わってからみんなでカウントダウンするのかな」と思ってたけど、どうもようすが違う。
「ま、まさか、最後の音を0時0分に出そうというのか?」「そういえば第九の第4楽章は確か、ものすごくきっぱりと終わるし…やるのか?」
そりゃもうドキドキしましたよ。で、ほんとにきっぱり終わるんですね!
しかもものすごい盛り上がり。
こんなに面白いものに11年も気づかず生きていたのか私は。
これも一昨年、初めてその存在に気づいた、一年に一度だけテレビが超常現象を徹底否定する「TVタックル」も可笑しいし、世間にはいろんな楽しみがあるのですね。
紅白のほうは前半だけ見たのですが、えーと、そのうちまたね。
私はあの紅白の、「ナマなのに、いろんな事情もあろうにきっちり決めたとおり進行する」ところに、やはりジルベスターと同様のスリルを感じなくもないです。
世界各国でジルベスターを!
本年もよろしくお願いします。
> 面白い企画ですよね。
> 衛星放送で世界に流したいぐらいです。←意味あるのか?
世界各国でやってほしい企画です。
それも「今年の課題曲はこれ」とか決めて共通の曲にするの。
第九なら第九が、一時間ごとにあちこちの国で興奮のカウントダウンを迎え、壮大な輪唱のようになったら楽しいでしょうね(輪唱って最後にゴールする人が間抜けなんですけど)。
意外な国が帳尻合わせるのが得意だったりとか、前半ハラハラさせておいて後半で劇的な追い上げを見せる国とか、国によってドラマがありそうですよね。
個人的には20世紀から21世紀にかけてのカウントダウンをラベルの「ボレロ」で行った2000年の大晦日のジルベスターがもっとも興奮しました。