古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
今年最後のごあいさつ
今年もあと数時間で終わりです。
ブログを始めたのが今年の元旦なので、ちょうど1年たちますが、決して更新率の高いブログではないので、あまり胸を張ることができません。
他の皆さんのブログを見ると、ホント毎日のように更新していらっしゃいますよね。
「長いから大変なんだよ、もっと短い文章にしろ!」とつっこまれそうですが、ごもっともです。要するに自分がブログ向きじゃないのかも。
さて、大晦日なので一応今年を振り返ってみたりなんかするのですが、いい機会なのでここでお知らせします。
こんなとこで知らせるようなことじゃないのは重々わかってるんですが、なかなか「きっかけ」がなくてね。
うまいこと「きっかけ」があった人にはその場で話してるんですが、「きっかけ」なしで「じつは私さー」ときりだせるような話でもないし。
前置き長いですね。
まあ、今年は「初の出版」があって予想以上に嬉しい反響をいただいたり、「初の書き下ろし公演」があったり、「初の再演」があったり、今まで積み上げてきたものがようやくひとつひとつ実を結び始めてきた良い1年であったことはたしかなんですけど、もうひとつべつなところで、私にとって大きな出来事がありました。
周囲のごく限られた人にしかまだ話してないのですが、今年、私は「障害者手帳」をとりました。
あえて話していないのは、前述したように「きっかけ」がなかったことがひとつと、こういうこと言うと相手はレスポンスに困るだろうなとか、「そんなこと言われても私何も言えないし」と黙ってしまうだろうなとか、いろいろ考えるとめんどうになってしまったということがひとつ。
じゃあなんで今言うかというと、ぶっちゃけ事情を知っておいてもらったほうがいろいろな意味で自分が楽になるからです。
不自由なのは主に左手で、今はもっぱら右でカバーしていますが、右も通常の力に比べると平均は下回るであろう機能で、それで左をかばっているので常にオーバーワーク気味です。
7年前くらいから少しずつ症状は出ていましたが、この1年で急激に状態が悪くなりました。病院へはあらゆる科に通いまくりましたが、「悪くなることはあっても、良くはならない」と言われています。
おそらく、今までに私と会った方は、「なんでこんなことに手間取ってるんだろう」「なんでこんなことができないんだろう」「なんで左手を使わないんだろう」と不思議に思う機会が多々あったと思います。
実際、「変だ」と指摘されたこともありました。
が、私にとっては指摘されるほうが都合がいいのです。それをきっかけに説明できるから。説明されたほうは多少気まずい思いはするかもしれませんが。
でも、大部分の人は変だなと思っても気づかないふりをしますから、こっちから「今の変だと思ったでしょ」ときりだすのはなかなかきりだしにくいんですよ。こうして、「話す機会」はどんどん先送りになっていくわけです。
もっとつらいのは、皆さんが当然のようにサッとできることが私にとっては多大な緊張とストレスとそれなりの苦痛と危険を伴うため、「なんでこいつだけやらないんだ。気がきかねーな」という視線を受けること。
いや、もともと気はきかないほうなので、そういう状態は今に始まったことではなく、「手だけのせいにするな、ボケ」と言われるとうなだれるしかないんですが、「気がきかないと思われることが死ぬほどつらい」というキャラではない私ですら、こういうシチュエーションはけっこうストレスです。
今後はますますこのような場面が増えてくると思いますし、周囲の人に手伝ってもらわなければならないことも増えてくると思います。
そうなると「話してもいいし、話さなくてもいい」という問題ではなく、知っておいてもらうことが「必要」になります。
といっても、知らせたからといって、まわりの皆さんがかゆいところに手が届くようにいきとどいたフォローをしてくれるとはまったく思っていません。
残念ながら、体の機能のほんの一部が失われることでどれだけ多くの行動に支障をきたすか、どれだけ些細なことに苦痛を感じるか、なんてことは絶対に他人には想像できないと思います(「右じゃなくてよかったね」とあっさり片づけられたこともしばしば。その人にとって「左手」ってその程度のものなのか? いや、因縁だってわかって言ってますが)。医療関係者でも似たようなものだということがこの7年間で身にしみてわかりました。
言ってる本人は全然悪気はないと思うんですが、「これだけ説明しても、そんなこともわかんないんだ」と呆然とさせられたことは数知れず…。
もちろん、私よりもっと重度の障害をもつ人は社会に大勢いるし、その人たちの不自由さは私にははかりしれないものだと思います。
人間の想像力なんて、めいっぱい使ってるつもりでもこの程度なのです。
また、「使わない機能」はどんどん低下していきますから、なんでもかんでも人にやってもらうことがいいわけではなく、リハビリという意味でも「時間がかかっても自分でやったほうがいい」こともあるわけで、そのへんの線びきも非常に難しいところです。
もっとも、一歩家の外に出れば、「時間がかかってもいい場面」というのはあまりなく、結局「人に頼んでやってもらう」か「するのを避ける」という選択肢になるわけですが。
正直なところ、自分でもまだ「頭で認識している自分の状態」と「実際の体の状態」にズレがあり、実際はできないのに頭ではできるような気がしてやってしまい、失敗する…ということがよくあります。
そんなわけで、来年からはもう少し「自分にできること」と「できないこと」を冷静にみきわめ、「できないこと」は周囲にうまくアウトソージングできる自分になるために、まずは皆さんにこの状態をご理解していただこうと、今の状態について説明させていただきました。
「自分のことは自分でする」「人に迷惑をかけない」というのは、幼い頃からしつけの一部として刷り込まれてきた一種の倫理観・道徳観であり、たとえ病気であってもこれをくずすのは勇気がいります。
まわりは「しょうがないよ。病気なんだから」と言ってくれますが、そんな言葉で気が楽になるほど簡単な問題ではないのです。
「自分のことを人にしてもらう」って、じつは「自分のことを自分でする」よりも強くならなきゃできないんですよね。
これからだんだん強くなっていかないと。
「もう少しで新しい年を迎えるってときにこんなどよーんとする暗い話、書くな!」と言われそうですが、私はよくなることを諦めていませんし、現在もあらゆる治療法を試し続けています。
来年という年にも希望をもっています。
くれぐれも皆さんが暗くなりませんように。
このようになった原因というか、理由については、さくっと説明できるような簡単な話ではないので、あえてここでは書きません。
必要があれば、直接会ったときに聞いてくれれば腰据えて説明します。
では皆様。
1年間、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
ブログを始めたのが今年の元旦なので、ちょうど1年たちますが、決して更新率の高いブログではないので、あまり胸を張ることができません。
他の皆さんのブログを見ると、ホント毎日のように更新していらっしゃいますよね。
「長いから大変なんだよ、もっと短い文章にしろ!」とつっこまれそうですが、ごもっともです。要するに自分がブログ向きじゃないのかも。
さて、大晦日なので一応今年を振り返ってみたりなんかするのですが、いい機会なのでここでお知らせします。
こんなとこで知らせるようなことじゃないのは重々わかってるんですが、なかなか「きっかけ」がなくてね。
うまいこと「きっかけ」があった人にはその場で話してるんですが、「きっかけ」なしで「じつは私さー」ときりだせるような話でもないし。
前置き長いですね。
まあ、今年は「初の出版」があって予想以上に嬉しい反響をいただいたり、「初の書き下ろし公演」があったり、「初の再演」があったり、今まで積み上げてきたものがようやくひとつひとつ実を結び始めてきた良い1年であったことはたしかなんですけど、もうひとつべつなところで、私にとって大きな出来事がありました。
周囲のごく限られた人にしかまだ話してないのですが、今年、私は「障害者手帳」をとりました。
あえて話していないのは、前述したように「きっかけ」がなかったことがひとつと、こういうこと言うと相手はレスポンスに困るだろうなとか、「そんなこと言われても私何も言えないし」と黙ってしまうだろうなとか、いろいろ考えるとめんどうになってしまったということがひとつ。
じゃあなんで今言うかというと、ぶっちゃけ事情を知っておいてもらったほうがいろいろな意味で自分が楽になるからです。
不自由なのは主に左手で、今はもっぱら右でカバーしていますが、右も通常の力に比べると平均は下回るであろう機能で、それで左をかばっているので常にオーバーワーク気味です。
7年前くらいから少しずつ症状は出ていましたが、この1年で急激に状態が悪くなりました。病院へはあらゆる科に通いまくりましたが、「悪くなることはあっても、良くはならない」と言われています。
おそらく、今までに私と会った方は、「なんでこんなことに手間取ってるんだろう」「なんでこんなことができないんだろう」「なんで左手を使わないんだろう」と不思議に思う機会が多々あったと思います。
実際、「変だ」と指摘されたこともありました。
が、私にとっては指摘されるほうが都合がいいのです。それをきっかけに説明できるから。説明されたほうは多少気まずい思いはするかもしれませんが。
でも、大部分の人は変だなと思っても気づかないふりをしますから、こっちから「今の変だと思ったでしょ」ときりだすのはなかなかきりだしにくいんですよ。こうして、「話す機会」はどんどん先送りになっていくわけです。
もっとつらいのは、皆さんが当然のようにサッとできることが私にとっては多大な緊張とストレスとそれなりの苦痛と危険を伴うため、「なんでこいつだけやらないんだ。気がきかねーな」という視線を受けること。
いや、もともと気はきかないほうなので、そういう状態は今に始まったことではなく、「手だけのせいにするな、ボケ」と言われるとうなだれるしかないんですが、「気がきかないと思われることが死ぬほどつらい」というキャラではない私ですら、こういうシチュエーションはけっこうストレスです。
今後はますますこのような場面が増えてくると思いますし、周囲の人に手伝ってもらわなければならないことも増えてくると思います。
そうなると「話してもいいし、話さなくてもいい」という問題ではなく、知っておいてもらうことが「必要」になります。
といっても、知らせたからといって、まわりの皆さんがかゆいところに手が届くようにいきとどいたフォローをしてくれるとはまったく思っていません。
残念ながら、体の機能のほんの一部が失われることでどれだけ多くの行動に支障をきたすか、どれだけ些細なことに苦痛を感じるか、なんてことは絶対に他人には想像できないと思います(「右じゃなくてよかったね」とあっさり片づけられたこともしばしば。その人にとって「左手」ってその程度のものなのか? いや、因縁だってわかって言ってますが)。医療関係者でも似たようなものだということがこの7年間で身にしみてわかりました。
言ってる本人は全然悪気はないと思うんですが、「これだけ説明しても、そんなこともわかんないんだ」と呆然とさせられたことは数知れず…。
もちろん、私よりもっと重度の障害をもつ人は社会に大勢いるし、その人たちの不自由さは私にははかりしれないものだと思います。
人間の想像力なんて、めいっぱい使ってるつもりでもこの程度なのです。
また、「使わない機能」はどんどん低下していきますから、なんでもかんでも人にやってもらうことがいいわけではなく、リハビリという意味でも「時間がかかっても自分でやったほうがいい」こともあるわけで、そのへんの線びきも非常に難しいところです。
もっとも、一歩家の外に出れば、「時間がかかってもいい場面」というのはあまりなく、結局「人に頼んでやってもらう」か「するのを避ける」という選択肢になるわけですが。
正直なところ、自分でもまだ「頭で認識している自分の状態」と「実際の体の状態」にズレがあり、実際はできないのに頭ではできるような気がしてやってしまい、失敗する…ということがよくあります。
そんなわけで、来年からはもう少し「自分にできること」と「できないこと」を冷静にみきわめ、「できないこと」は周囲にうまくアウトソージングできる自分になるために、まずは皆さんにこの状態をご理解していただこうと、今の状態について説明させていただきました。
「自分のことは自分でする」「人に迷惑をかけない」というのは、幼い頃からしつけの一部として刷り込まれてきた一種の倫理観・道徳観であり、たとえ病気であってもこれをくずすのは勇気がいります。
まわりは「しょうがないよ。病気なんだから」と言ってくれますが、そんな言葉で気が楽になるほど簡単な問題ではないのです。
「自分のことを人にしてもらう」って、じつは「自分のことを自分でする」よりも強くならなきゃできないんですよね。
これからだんだん強くなっていかないと。
「もう少しで新しい年を迎えるってときにこんなどよーんとする暗い話、書くな!」と言われそうですが、私はよくなることを諦めていませんし、現在もあらゆる治療法を試し続けています。
来年という年にも希望をもっています。
くれぐれも皆さんが暗くなりませんように。
このようになった原因というか、理由については、さくっと説明できるような簡単な話ではないので、あえてここでは書きません。
必要があれば、直接会ったときに聞いてくれれば腰据えて説明します。
では皆様。
1年間、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
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前向きだと思います
もう正月七日は過ぎちゃいましたが、今年もよろしくお願いします。
>「もう少しで新しい年を迎えるってときに
> こんなどよーんとする暗い話、書くな!」
> と言われそうですが、
いえ、なんというか、前向きな試みだと・・
ええと、私が職場をかわるときなどになんとなく心がけているのは、「仕事ができるふりをしない」「ばてるときは素直にばてる」ということです。
胸はっていうことじゃないけど(苦笑)。
はじめのうちに、自分の弱点というか、体力ない、仕事できない、優しくないところを見せておくと、あとあと強いふりや優しいふりをしなくていいので、そのほうが自分が疲れない、というのが理由です。
なんだか若いころと正反対やってますが。多分それだけ弱くもなり、強くもなったのかなと。
なのでそういう自己情報の開示というのも、たくましく生きるための一歩に見えます。はい。
そうだ、私は長い文章が大好きですので、これからもセーブせずにがんがん長いのを書いてくださいまし(勝手な要望)。
それでは。
よく見られたいのは人情
こちらこそ、今年もよろしくお願いします。
そうなんですよね。「自分はいい子ぶってない」「できる人ぶってなんかない」と思いこんでる人でも、けっこういい顔見せたり見栄張ったりしているものなんですよ。
やはり周囲に嫌われたり、劣っていると見られたり、無視されたりするのは誰でもつらいことですから。
おっしゃる通り、若い頃にはなかなかできないことかもしれません。経験値が低いと、受け入れられる状況のパターンも狭くなるので、「覚悟」が決まらないんですよね。
「甘える」っていうのともちょっと違いますし、難しいですね。
うまくしたもので、人間、どこかが弱くなるとべつの部分が強くなって帳尻が合ったりするものです。なにからなにまで強い(弱い)人なんていないということなんでしょう。
ちょっとずれるけど、悪役専門の役者さんとかがよく「ドラマではすごく悪いイメージなので、普段は普通にふるまってるだけで実際以上に『いい人』に見られたりする」と言ってますよね。逆に「いい人の役」しかやらない人は普段きついだろうなーと。
> 私は長い文章が大好きですので、これからもセーブせずに
ありがとうございます。まあ「長い文章嫌いな人」は自然淘汰されていって、ここにはこなくなると思いますので、来てくださる方のために今年も長文を貫きます!