古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
「華岡青洲の妻」に夢中です
冬クールのドラマが始まって1ヶ月たちますが、私が一番ハマッているのは「華岡青洲の妻」(NHK総合/毎週金曜21:15〜22:00)です。
原作は有吉佐和子で、今までにも何度も映画化、舞台化、ドラマ化されている名作です。
私も過去に2回ほどTV版を見ましたが(1回は十朱幸代が主演。もう1回は小泉今日子が主演でした)、いずれもドキドキハラハラしたまま釘付けになってしまいました。
このTV版はいずれもスペシャル枠(おそらくお正月)の単発ドラマでしたが、今回は45分×6回の連続もの。心理描写や周囲の人間関係もより濃厚にじっくり描きだされ、これはこれでまた釘付けになります。
華岡青洲は、江戸時代に和歌山で活躍した外科医(1760〜1835)。世界で初めて全身麻酔による外科手術に成功したこと、その陰には青洲の経済的な支えとなった妹たち、自ら麻酔薬の実験台になった妻と母など、家族の死にもの狂いの献身があったことが知られています。
……と、ここまでは史実に描かれる美談の部分。
「華岡青洲の妻」は、この史実を青洲の妻・加恵の視点から描いたドラマで、競いあうように実験台になろうとする嫁と姑の壮絶な確執が生々しく表現されています。
すでに6回のうち2回がオンエア済みで、明日(2/4)に3回目が放送されるので、今からご覧になる皆様のために簡単に今までのストーリーの紹介を…。
<第1回>
江戸後期の紀州・名手。富裕な庄屋の娘・加恵(和久井映見)は、幼い頃より華岡家の於継(田中好子)の美しさに憧れ続けていた。
その於継が、ある日加恵を息子の雲平(のちの青洲/谷原章介)の嫁にもらいたいと言ってきた。
華岡家は代々医者をつとめる家柄だが、医者を育てるには大変なお金が必要なので、当然ながら家計は火の車。おまけに雲平は現在京都に遊学中で、3年たたないと戻ってこないという。
「娘が苦労することは目にみえている」と両親は縁談に消極的だったが、加恵は憧れの於継に望まれたことに舞い上がり、自らの意志で華岡家に嫁ぐ。
華岡家に入った加恵を於継はじつの娘のようにかわいがり、加恵も於継に認めてもらいたくてはりきって働く。
雲平の遊学費用は、妹の於勝(中島ひろ子)と小陸(小田茜)が機織りで稼いでいたが、加恵もそれに加わることで家族としての一体感と自分の居場所を手に入れるのだった。
しかし、そんな幸せな日々も、雲平の帰郷によって一変する。
<第2回>
初めて対面する夫に胸を躍らせる加恵だったが、雲平の足を拭こうとして手を払いのけられた瞬間から、於継の視線が急に冷たくなったことに気づいて慄然とする。
秀才の雲平は一家の希望の星であり、雲平を中心に家族はがっちりと結束を固める。そこに加恵の居場所はなかった。
当時の外科手術は麻酔なしで行われており、手術に伴う患者の苦痛は並大抵ではなかったし、外科医にできる治療も限られていた。
雲平は麻酔薬を完成させることが医学の大きな発展につながると信じ、動物を使って実験を繰り返した。
しかし、麻酔薬は猛毒をもっているため、調合の微妙な加減で命とりになってしまう。多くの動物が犠牲になったが、雲平は諦めずに実験を繰り返す。
於継の豹変ぶりに傷ついた加恵は、はっきりと於継を敵とみなすようになる。雲平の実験の手伝いをすることであらたな自分の居場所をみつける加恵。
そんな加恵に注がれる於継の視線には憎悪すら漂うようになってくる。
やがて加恵は妊娠する。「夫にとりあげてもらいたい」と希望する加恵に、「実家で産むように」と言う於継。
実家に戻された加恵は、「お義母さんはおそろしい人。私のことを、家計を支える道具としか思っていない。身重になって働けなくなったから、食い扶持を減らそうと実家に帰したのだ」と母・豊(根岸季衣)に泣きながら悔しさを訴えるが、豊は「嫁姑とはそういうもの」ととりあわない。
女の子を出産した加恵は、「雲平さんの子供を産めるのは私だけなのだ」と勝利の感覚に酔い、さらに於継への対抗心を燃やしていく。
以上がだいたいのストーリーの流れです。
実験に使われた犬猫のお墓の数がどんどん増えていく中、今週はいよいよ麻酔薬の実験が人間で行われることに。
「実験には私を使って」と火花を散らしあう於継と加恵。
はたして雲平のとった行動は?
これからが佳境です。皆さん、お見逃しなく!
「華岡〜」を見るのは3回目ですが、今回は一番「現代人」から見ても入り込みやすいドラマになっていると思います。
それぞれの人間性が色濃くにじみでていて感情移入しやすいというか。
まず、於継が加恵の「憧れの人」だったという設定ですが、今まで見た「華岡〜」では於継はかなりベテランの女優さんの役どころだったため、「少女が憧れる美しい女性」というにはややトウがたちすぎている印象がありました。
でも、今回の田中好子はかなり若々しく、また「美しさと賢さ」を強調しているので、加恵が憧れて「この人にほめられたい」「この人みたいになりたい」と一生懸命になるのがわかるし、雲平をはさんでの争いも、「嫁と姑」というよりも「同じ女同士」という側面が強調されてより業が深い感じがしました。
また、加恵の於継に対する感情も、最初からうまくいかなかったわけではなく、むしろ「思慕」からスタートしただけに「かわいさ余って憎さ100倍」になったというあたりが説得力あります。母親が言うように「嫁と姑なんてそんなものなんだから諦めなさい」というふうに割り切れないのは最初の「期待値」が高かったからで、こうなると「期待」をしてしまった自分にも腹が立ってくるのかもしれません。
「思慕」からスタートした「憎しみ」は、ただの「憎しみ」と比べて複雑ですから、パッションも強いけど、相手を否定しきることも無視することもできないので、なにかのきっかけで揺れ動くと、予想もつかない感情が生まれたりするんですよね。
そのあたりが今後のみどころでしょうか…。
あと、過去2作は、雲平の陰が薄くて、なんとなく「研究にしか興味がない冷たいエリート然とした男」という印象しかなかったんですが、今回は雲平のキャラも人間的に描かれているのがいいです。
3年ぶりに京都から雲平が帰ってくるシーンは、まさに「スター登場」という感じで、家族全員が雲平に依存していること、雲平に命をかけていることが、全員の興奮ぶりから明確に伝わってきて、その喜びっぷりが激しければ激しいほど取り残された加恵の孤独が鮮明になります。
雲平がただの二枚目キャラではなく、太陽のような絶対的なカリスマとおおらかな明るさを備えているという設定になっているのが新鮮でした。
冬クールはどれもいまひとつで、「次週が待てない!」というほどの魅力あるドラマはなかなかないのですが、唯一「次週が待てない」ドラマが、すでにストーリーを知っているこのドラマというのはなんとも問題ですね。
原作は有吉佐和子で、今までにも何度も映画化、舞台化、ドラマ化されている名作です。
私も過去に2回ほどTV版を見ましたが(1回は十朱幸代が主演。もう1回は小泉今日子が主演でした)、いずれもドキドキハラハラしたまま釘付けになってしまいました。
このTV版はいずれもスペシャル枠(おそらくお正月)の単発ドラマでしたが、今回は45分×6回の連続もの。心理描写や周囲の人間関係もより濃厚にじっくり描きだされ、これはこれでまた釘付けになります。
華岡青洲は、江戸時代に和歌山で活躍した外科医(1760〜1835)。世界で初めて全身麻酔による外科手術に成功したこと、その陰には青洲の経済的な支えとなった妹たち、自ら麻酔薬の実験台になった妻と母など、家族の死にもの狂いの献身があったことが知られています。
……と、ここまでは史実に描かれる美談の部分。
「華岡青洲の妻」は、この史実を青洲の妻・加恵の視点から描いたドラマで、競いあうように実験台になろうとする嫁と姑の壮絶な確執が生々しく表現されています。
すでに6回のうち2回がオンエア済みで、明日(2/4)に3回目が放送されるので、今からご覧になる皆様のために簡単に今までのストーリーの紹介を…。
<第1回>
江戸後期の紀州・名手。富裕な庄屋の娘・加恵(和久井映見)は、幼い頃より華岡家の於継(田中好子)の美しさに憧れ続けていた。
その於継が、ある日加恵を息子の雲平(のちの青洲/谷原章介)の嫁にもらいたいと言ってきた。
華岡家は代々医者をつとめる家柄だが、医者を育てるには大変なお金が必要なので、当然ながら家計は火の車。おまけに雲平は現在京都に遊学中で、3年たたないと戻ってこないという。
「娘が苦労することは目にみえている」と両親は縁談に消極的だったが、加恵は憧れの於継に望まれたことに舞い上がり、自らの意志で華岡家に嫁ぐ。
華岡家に入った加恵を於継はじつの娘のようにかわいがり、加恵も於継に認めてもらいたくてはりきって働く。
雲平の遊学費用は、妹の於勝(中島ひろ子)と小陸(小田茜)が機織りで稼いでいたが、加恵もそれに加わることで家族としての一体感と自分の居場所を手に入れるのだった。
しかし、そんな幸せな日々も、雲平の帰郷によって一変する。
<第2回>
初めて対面する夫に胸を躍らせる加恵だったが、雲平の足を拭こうとして手を払いのけられた瞬間から、於継の視線が急に冷たくなったことに気づいて慄然とする。
秀才の雲平は一家の希望の星であり、雲平を中心に家族はがっちりと結束を固める。そこに加恵の居場所はなかった。
当時の外科手術は麻酔なしで行われており、手術に伴う患者の苦痛は並大抵ではなかったし、外科医にできる治療も限られていた。
雲平は麻酔薬を完成させることが医学の大きな発展につながると信じ、動物を使って実験を繰り返した。
しかし、麻酔薬は猛毒をもっているため、調合の微妙な加減で命とりになってしまう。多くの動物が犠牲になったが、雲平は諦めずに実験を繰り返す。
於継の豹変ぶりに傷ついた加恵は、はっきりと於継を敵とみなすようになる。雲平の実験の手伝いをすることであらたな自分の居場所をみつける加恵。
そんな加恵に注がれる於継の視線には憎悪すら漂うようになってくる。
やがて加恵は妊娠する。「夫にとりあげてもらいたい」と希望する加恵に、「実家で産むように」と言う於継。
実家に戻された加恵は、「お義母さんはおそろしい人。私のことを、家計を支える道具としか思っていない。身重になって働けなくなったから、食い扶持を減らそうと実家に帰したのだ」と母・豊(根岸季衣)に泣きながら悔しさを訴えるが、豊は「嫁姑とはそういうもの」ととりあわない。
女の子を出産した加恵は、「雲平さんの子供を産めるのは私だけなのだ」と勝利の感覚に酔い、さらに於継への対抗心を燃やしていく。
以上がだいたいのストーリーの流れです。
実験に使われた犬猫のお墓の数がどんどん増えていく中、今週はいよいよ麻酔薬の実験が人間で行われることに。
「実験には私を使って」と火花を散らしあう於継と加恵。
はたして雲平のとった行動は?
これからが佳境です。皆さん、お見逃しなく!
「華岡〜」を見るのは3回目ですが、今回は一番「現代人」から見ても入り込みやすいドラマになっていると思います。
それぞれの人間性が色濃くにじみでていて感情移入しやすいというか。
まず、於継が加恵の「憧れの人」だったという設定ですが、今まで見た「華岡〜」では於継はかなりベテランの女優さんの役どころだったため、「少女が憧れる美しい女性」というにはややトウがたちすぎている印象がありました。
でも、今回の田中好子はかなり若々しく、また「美しさと賢さ」を強調しているので、加恵が憧れて「この人にほめられたい」「この人みたいになりたい」と一生懸命になるのがわかるし、雲平をはさんでの争いも、「嫁と姑」というよりも「同じ女同士」という側面が強調されてより業が深い感じがしました。
また、加恵の於継に対する感情も、最初からうまくいかなかったわけではなく、むしろ「思慕」からスタートしただけに「かわいさ余って憎さ100倍」になったというあたりが説得力あります。母親が言うように「嫁と姑なんてそんなものなんだから諦めなさい」というふうに割り切れないのは最初の「期待値」が高かったからで、こうなると「期待」をしてしまった自分にも腹が立ってくるのかもしれません。
「思慕」からスタートした「憎しみ」は、ただの「憎しみ」と比べて複雑ですから、パッションも強いけど、相手を否定しきることも無視することもできないので、なにかのきっかけで揺れ動くと、予想もつかない感情が生まれたりするんですよね。
そのあたりが今後のみどころでしょうか…。
あと、過去2作は、雲平の陰が薄くて、なんとなく「研究にしか興味がない冷たいエリート然とした男」という印象しかなかったんですが、今回は雲平のキャラも人間的に描かれているのがいいです。
3年ぶりに京都から雲平が帰ってくるシーンは、まさに「スター登場」という感じで、家族全員が雲平に依存していること、雲平に命をかけていることが、全員の興奮ぶりから明確に伝わってきて、その喜びっぷりが激しければ激しいほど取り残された加恵の孤独が鮮明になります。
雲平がただの二枚目キャラではなく、太陽のような絶対的なカリスマとおおらかな明るさを備えているという設定になっているのが新鮮でした。
冬クールはどれもいまひとつで、「次週が待てない!」というほどの魅力あるドラマはなかなかないのですが、唯一「次週が待てない」ドラマが、すでにストーリーを知っているこのドラマというのはなんとも問題ですね。
「華岡青洲の妻」(DVD)
2005年放送分(全6回)を収録したDVD
2005年放送分(全6回)を収録したDVD
「華岡青洲の妻」(小説)
有吉佐和子による原作本。
有吉佐和子による原作本。
この作品については、最終回まで見終わったところで、ホームページのほうにさらに詳しく長々しいレビューを書いていますので、興味のある方は覗いてみてくださいませ。
「唐沢伊万里のデジタルスト見本市」
伊万里式鑑定法 vol.49
『華岡青洲の妻』
〜「於継」という名の猛毒に魅せられた加恵の運命〜
「唐沢伊万里のデジタルスト見本市」
伊万里式鑑定法 vol.49
『華岡青洲の妻』
〜「於継」という名の猛毒に魅せられた加恵の運命〜
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
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肥えた青洲
中3のときに入っていた演劇部で、この物語を戯曲化したものを練習に使ったことがあります。
学校演劇用ですから、美談のところだけ抽出したバージョンで、タイトルは『マンダラゲの眠り』。
配役は、美人の子が加恵ちゃん。ちょっと大人っぽい子が於継さん。
そして、共学で男子部員もいたけどまあいろいろあって、体が大きい私が青洲を!
そしてですね。
手術のあと華岡家の使用人が「だんなさま(青洲)はおやつれでございます」と報告をするシーンがあるのですが。
当時私は思春期でぶくぶくに太っていたので、台本の読み合わせの時点で陰険な笑いが広がり…。
美少女も、大人っぽい子も笑ってる…。
私はその空気に耐えかね、自ら「ここは『だんなさまはお疲れのごようすです』に変えてください」と申し出ました。
ああっだらしないなあ>15歳の私!
ロバート・デ=ニーロみたいに役のためにやせたらどうだ!
あるいは「ここで笑いがとれるね!」と返すとかさ!
↑
15歳の乙女がそんなこと、47歳で何も感じなくなったババァに言われたくないですね。はい。
中学生がそんなものを?!
なんというか、「渡る世間〜」テイスト入ってるというか、「人体実験を申し出るシーン」とか思ったよりもコメディっぽいのに驚きました。
いやー、それにしても、弱い薬を使われたとも知らずに眠りこける姑の姿を冷ややかに眺め、外に出たとたん思わず忍び笑いを漏らす嫁の姿は……こわすぎるよ!>和久井映見
そうそう。そういえば東山さん、華岡青洲をやったんですよね。
その話、聞いたことある、ある。
そうかー。これからは東山さんが谷原章介に見えてしまいそうです(笑)。
それにしてもそんなアバウトな特徴でキャスティングするなんて……なんかつまんないなー。
マヤちゃん=アルディスみたいに意表をついたキャスティングを提案する月影先生みたいな顧問はいなかったのか?!
大柄な加恵とか、美少女の於継とか、老け顔の青洲とか、それもまた一興なのでは?
中学生がやったというのにはびっくりです。他にもっと中学生にふさわしい作品はあるだろうになぜコレ???
美談の部分のみっていうけど、嫁姑の確執を抜いたらこの作品の意味がなくなっちゃいませんかね。
単なる「知ってるつもり?!〜世界初の全身麻酔に成功した外科医」になってしまうのでは?
いや、有吉佐和子のアレじゃなくて
当時、私の母も「中学生がそんなものを!?」と驚いていました。「いや、有吉佐和子のアレじゃなくて…」と説明したけど耳に入らず。
「マンダラゲの眠り』は中学生向きの戯曲集に載っていた作品ですから、まさに単なる「知ってるつもり!?−世界初の全身麻酔に成功した外科医」ですよ。有吉佐和子が『華岡…』を書く前に書かれた戯曲だと思われます。
さらにいえば、私はこの戯曲とは別に華岡青洲の単なる伝記を読んだことがあります。青洲の業績に嫁姑の確執をかぎとったのが有吉作品なのだと思いますが、青洲もそっちのほうで名を残すとは思っていなかったでしょうね。
というか、タイムマシンに乗って青洲にこのことを教えに行っても、たぶんピンとこないんだろうなー。
#昼休みの弁当仲間によると嫁姑の確執を描いた小説は『華岡…』が初めてだとのことですが、ほんとかぁ?
それにしても私たちが受けたのは、確かにアバウトなキャスティングですよね。そこがまさに教育の一環として行われる学校演劇。
納得です>美談ヴァージョン
しかし、中学生当時の東山さんが即座に「いや、有吉佐和子のアレじゃなくて」と答えているということは、チューボーのくせにこの作品を知っていたのか?!
ダメですよ。中学生があんなもの読んじゃ。中学生は美談のヴァージョンを読むように(→だから美談のほうをやったっていってんじゃん)。
ちなみに、「華岡青洲の妻」では、「〜のし」「〜よし」という古き良き紀州弁が効果的に使われていますが、セリフは標準語でしたか?
青洲の役作りで苦労した点は?
私は……青洲!
>この物語を戯曲化したものを
と私が書いてしまったのがいかんのだと思います。
「青洲の実話を」という意味のつもりだったけど、ふつうは「この物語」=『華岡青洲の妻』だと受け取るよ>私。
せりふは…部活用ですから標準語でしたね…。
役作りですか。
「私は…青洲!」ととなえれば仮面が被れました。うそ。
「男子部員もいるのに何で私が、太ってて背が高いからって男役なんだ!」と不平たらたらでしたので、仮面は被りきれていなかったと思います。
ほかに中学校の部活でこのお芝居をやったことのある方はいかがでしたか>いたら怖いよ>私。
予習のお陰で
こちらで前話を把握出来たおかげで、すんなり見れました!!謝謝!しかし脚本家変っていたとのこと、無念。けっこうコミカルに行くんだな〜と思いました。まあシリアスにされたら、犬猫の墓とか悲惨ですよね。それに名前を付けているのが何とも…。 私も忍び笑いの所が一番インパクトありました。こういう「知らぬが仏」の展開って怖いス。
感情を表に出しすぎって気が…
最近ではお正月の10時間ドラマ「壬生義士伝」を書いていらっしゃいます(「壬生義士伝」にいかにハマッたかについてはHPの鑑定法をご覧ください)。
3話を書いたライターさんは知らないんですけど(古田さんのお弟子さん?)、なんとなくとたんに現代劇っぽくなった気が…。
子供を産んで加恵が強くなったと言いたいのはわかるんだけど、キャラ変わりすぎ。於継にしてももっと陰湿なこわさだったのに表に出しすぎ。
時代劇は「簡単には出せない秘めた思い」が不可欠だと思うので、あまりにも気持ちを簡単に表に出しすぎる展開は違和感があります。「現代人にも通じるドラマ」と「現代劇っぽいドラマ」は全然違いますから。
犬猫に名前つけるのは私もどうだろうと思いました(笑)。
情が移っちゃいそうだよね。ここは冷酷に番号で呼ぶとかしたほうが気が楽でいいと思いますけど>青洲様