古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
「三婆」を観てきました
ルテアトル銀座で「三婆」を観てきました。
有吉佐和子の原作を昭和48年に東宝が舞台化。以後、何度も再演を重ね、商業演劇の金字塔と言われている傑作喜劇です。
夫が妾の家で突然死。
その事件をきっかけに、平穏な一人暮らしを楽しむ本妻(池内淳子)のもとに、60を過ぎてなお独身の夫の妹(大空眞弓)、さらに妾(沢田亜矢子)までもがころがりこんできて、ありえない組み合わせで同居する羽目になり……というお話。
原作は、かなり陰湿な人間関係で、時代設定も古いらしいのですが、脚色では3人の老女の関係の妙を喜劇的に描いているうえに、時代設定を高度成長期に据えることにより、伸び盛りの日本全体の空気と衰えていく老人たちを対比しながら、老人問題や福祉問題に対する皮肉な視線までをも感じさせます。
なんといっても秀逸なのは、3人の老女のキャラ設定です。
きまじめでちょっと要領の悪いおっとりタイプの本妻、調子のいい妾、プライドが高く口うるさいうえにがめつい小姑。
3人それぞれがソリが合わないのは当然なのですが、その中でもあるときは本妻と妾が、またあるときは本妻と小姑が、ときには妾と小姑が…というように、状況によって2人が結託して2対1になるという図式がおもしろい。
「3」という数字が生み出す妙というか、たしかに3人って2対1になりやすいよなーとか、しかも一瞬のうちに2対1の組み合わせが入れ替わったりするんだよなーとか、そのへんの形勢の変化と利害の動き方が非常にリアリティーあってひきこまれました。
キャラとしては、一番強烈な役柄が小姑、発散できる役柄が妾で、本妻はある意味一番常識人なのでおもしろみがないといえばないのですが、私はこの本妻に一番ドラマを感じました。
本来、妾や小姑と同居する義理などないはずなのに、いすわられているうちに追い出そうとする自分のほうが悪者のような雰囲気になってしまうあたりなど、「そうそう。こういう海千山千の人たちにかかると、なにが常識なのかわけわかんなくなってきて、結局一番まっとうに生きてる人が損するんだよね」と思わず共感。
さらに、いざ2人とも出ていくことが決まると、今度は「追い出される者2名対追い出す者1名」という図式になり、2名に妙な連帯感が生まれて自分が仲間はずれになったような孤独感を感じ、「私が悪かったわ。皆、ここにいてちょうだい」と口走り、2人にすがってしまうという心理も非常によくわかる。
このシーンの本妻の姿からは、いろいろな感情が見えてきます。
広い家に一人残されると考えたとたん、急にさびしくなったというのはまあわかるんですけど、それだけではなく、彼女にとって妾や小姑といがみあう日々は、案外楽しかったんじゃないかと思うんですよね。
彼女の夫は生前から妾宅にいりびたりの生活をしていた。つまり、彼女は今までもずっと孤独だったわけで、さびしさは今に始まったことではないはずです。
本妻という立場に守られてはきたが、常識やまっとうな考えや法律は彼女をどんどんさびしくさせていく。本音をぶつけられる相手もいない。そんな彼女にとって、世間から嘲笑される立場の妾や小姑との間にくりひろげられる人間くさい本音バトルはなんともいえず刺激的でスリリングだったと思うし、その中で、彼女自身楽になれた部分や活力を与えられた部分もいっぱいあったのではないでしょうか。
それまでの彼女は、本当の意味での孤独を知らなかった。そういう価値観しか知らなかったからです。むきだしの感情でぶつかる手応えを知った今となっては、もう昔の自分には戻れない。だから2人を追い出すことができなかったのだと思います。
しかし、その目覚めには大きな代償がついてきたのでした。
最終幕。それから15年後の3人の姿が提示されます。
小姑はますます乙女ババアっぷりを発揮し、現実をまったく見ようとしないマイペース状態。
妾は痴呆(今は認知症というようですが)になり、妄想の世界をさまよっている。
結局、最後までしっかりしている本妻が全員の面倒をみる羽目になるのです。かくして、貧乏クジひく人はどこまでもひくことになるんだなーと、ここでまた実感。
福祉事務所の職員が、都バスのパスやら動物園の無料入園券を大量にもってきて去っていくラストもなんともいえず皮肉でした。
彼女たちには、もはやバスに乗ってどこかへ行く気力も、動物園に行って楽しむ好奇心もない。
それでも、職員は自分はお年寄りに良いことをしているとなんの疑いも感じることなく去っていき、選挙カーからは「福祉対策」「お年寄りが楽しく暮らせる明るい社会に」と連呼する声が空しく響いてくるのです。
こんなふうに書くと、随分救いのない暗い話だと思われそうですが、実際はあくまでも喜劇的に演じられるため、後味の悪さはありません。
とはいうものの、最終幕については疑問がないわけではないです。
この幕があるからこそ、ただの娯楽劇ではない社会派のお芝居になっているのだと思うし、時代性も反映されて作品に深みも与えているのだと思います。
が、やはりそれまでの話のトーンと最終幕は異質な印象を受けることも否めないのです。
それが証拠に、本妻が妾と小姑に「出ていかないでくれ」とすがり、2人が「あんたが心をいれかえるっていうなら出ていかなくもない」といい気になって本妻に恩着せがましいセリフを言って一件落着するという前幕の幕切では、ほとんどのお客が満足して「これでおしまい」だと思いこみ、席をたとうとしていました。
「ただいまより10分間の休憩を…」というアナウンスが流れた瞬間、あちこちから「え、まだあるの?」という戸惑いの声が聞こえてきたのを見て、「ああ。やっぱりこの最終幕は微妙な位置づけかもな」とあらためて思いました。
個人的には、最終幕をなくして、その分、本妻の気持ちが変わるまでの変化をもっとダイナミックに見せるように組み立てて、純粋に3人の女の人間関係の妙を見せる人間喜劇に徹したほうが客層のニーズには合っていたのではないかと思います。
逆に、最終幕を成り立たせたいのなら、老人問題にかかわる伏線をそれまでにもっとちりばめておくべきでしょう。
最終幕の前に大半のお客が満足してしまっていたのは、最終幕につながる「何か」が弱かったからだと思うのですがどうでしょうか。
有吉佐和子の原作を昭和48年に東宝が舞台化。以後、何度も再演を重ね、商業演劇の金字塔と言われている傑作喜劇です。
夫が妾の家で突然死。
その事件をきっかけに、平穏な一人暮らしを楽しむ本妻(池内淳子)のもとに、60を過ぎてなお独身の夫の妹(大空眞弓)、さらに妾(沢田亜矢子)までもがころがりこんできて、ありえない組み合わせで同居する羽目になり……というお話。
原作は、かなり陰湿な人間関係で、時代設定も古いらしいのですが、脚色では3人の老女の関係の妙を喜劇的に描いているうえに、時代設定を高度成長期に据えることにより、伸び盛りの日本全体の空気と衰えていく老人たちを対比しながら、老人問題や福祉問題に対する皮肉な視線までをも感じさせます。
なんといっても秀逸なのは、3人の老女のキャラ設定です。
きまじめでちょっと要領の悪いおっとりタイプの本妻、調子のいい妾、プライドが高く口うるさいうえにがめつい小姑。
3人それぞれがソリが合わないのは当然なのですが、その中でもあるときは本妻と妾が、またあるときは本妻と小姑が、ときには妾と小姑が…というように、状況によって2人が結託して2対1になるという図式がおもしろい。
「3」という数字が生み出す妙というか、たしかに3人って2対1になりやすいよなーとか、しかも一瞬のうちに2対1の組み合わせが入れ替わったりするんだよなーとか、そのへんの形勢の変化と利害の動き方が非常にリアリティーあってひきこまれました。
キャラとしては、一番強烈な役柄が小姑、発散できる役柄が妾で、本妻はある意味一番常識人なのでおもしろみがないといえばないのですが、私はこの本妻に一番ドラマを感じました。
本来、妾や小姑と同居する義理などないはずなのに、いすわられているうちに追い出そうとする自分のほうが悪者のような雰囲気になってしまうあたりなど、「そうそう。こういう海千山千の人たちにかかると、なにが常識なのかわけわかんなくなってきて、結局一番まっとうに生きてる人が損するんだよね」と思わず共感。
さらに、いざ2人とも出ていくことが決まると、今度は「追い出される者2名対追い出す者1名」という図式になり、2名に妙な連帯感が生まれて自分が仲間はずれになったような孤独感を感じ、「私が悪かったわ。皆、ここにいてちょうだい」と口走り、2人にすがってしまうという心理も非常によくわかる。
このシーンの本妻の姿からは、いろいろな感情が見えてきます。
広い家に一人残されると考えたとたん、急にさびしくなったというのはまあわかるんですけど、それだけではなく、彼女にとって妾や小姑といがみあう日々は、案外楽しかったんじゃないかと思うんですよね。
彼女の夫は生前から妾宅にいりびたりの生活をしていた。つまり、彼女は今までもずっと孤独だったわけで、さびしさは今に始まったことではないはずです。
本妻という立場に守られてはきたが、常識やまっとうな考えや法律は彼女をどんどんさびしくさせていく。本音をぶつけられる相手もいない。そんな彼女にとって、世間から嘲笑される立場の妾や小姑との間にくりひろげられる人間くさい本音バトルはなんともいえず刺激的でスリリングだったと思うし、その中で、彼女自身楽になれた部分や活力を与えられた部分もいっぱいあったのではないでしょうか。
それまでの彼女は、本当の意味での孤独を知らなかった。そういう価値観しか知らなかったからです。むきだしの感情でぶつかる手応えを知った今となっては、もう昔の自分には戻れない。だから2人を追い出すことができなかったのだと思います。
しかし、その目覚めには大きな代償がついてきたのでした。
最終幕。それから15年後の3人の姿が提示されます。
小姑はますます乙女ババアっぷりを発揮し、現実をまったく見ようとしないマイペース状態。
妾は痴呆(今は認知症というようですが)になり、妄想の世界をさまよっている。
結局、最後までしっかりしている本妻が全員の面倒をみる羽目になるのです。かくして、貧乏クジひく人はどこまでもひくことになるんだなーと、ここでまた実感。
福祉事務所の職員が、都バスのパスやら動物園の無料入園券を大量にもってきて去っていくラストもなんともいえず皮肉でした。
彼女たちには、もはやバスに乗ってどこかへ行く気力も、動物園に行って楽しむ好奇心もない。
それでも、職員は自分はお年寄りに良いことをしているとなんの疑いも感じることなく去っていき、選挙カーからは「福祉対策」「お年寄りが楽しく暮らせる明るい社会に」と連呼する声が空しく響いてくるのです。
こんなふうに書くと、随分救いのない暗い話だと思われそうですが、実際はあくまでも喜劇的に演じられるため、後味の悪さはありません。
とはいうものの、最終幕については疑問がないわけではないです。
この幕があるからこそ、ただの娯楽劇ではない社会派のお芝居になっているのだと思うし、時代性も反映されて作品に深みも与えているのだと思います。
が、やはりそれまでの話のトーンと最終幕は異質な印象を受けることも否めないのです。
それが証拠に、本妻が妾と小姑に「出ていかないでくれ」とすがり、2人が「あんたが心をいれかえるっていうなら出ていかなくもない」といい気になって本妻に恩着せがましいセリフを言って一件落着するという前幕の幕切では、ほとんどのお客が満足して「これでおしまい」だと思いこみ、席をたとうとしていました。
「ただいまより10分間の休憩を…」というアナウンスが流れた瞬間、あちこちから「え、まだあるの?」という戸惑いの声が聞こえてきたのを見て、「ああ。やっぱりこの最終幕は微妙な位置づけかもな」とあらためて思いました。
個人的には、最終幕をなくして、その分、本妻の気持ちが変わるまでの変化をもっとダイナミックに見せるように組み立てて、純粋に3人の女の人間関係の妙を見せる人間喜劇に徹したほうが客層のニーズには合っていたのではないかと思います。
逆に、最終幕を成り立たせたいのなら、老人問題にかかわる伏線をそれまでにもっとちりばめておくべきでしょう。
最終幕の前に大半のお客が満足してしまっていたのは、最終幕につながる「何か」が弱かったからだと思うのですがどうでしょうか。
「三婆」(小説)
有吉佐和子の原作本。
有吉佐和子の原作本。
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
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“三婆”のその後は…?
2幕の終わりがあまりに無理やり?に見受けられるので、やっぱり3幕をつけるならその15年後ではなく、その後のどうしようもない破綻を書いて欲しかったと思っています。
確かに今のままでも社会的意味や皮肉を描いているとは思うんですが、やはり老人と社会という切り口で最後を締めくくるよりは、「社会的弱者」であるはずの居候(妹、妾)と、「社会的強者」である家主(本妻)との力関係の変容に話を絞った方が、より社会性を増したのではないかと思います。
有吉佐和子といえば、「華岡青洲の妻」のドラマが始まりましたね。
1回目を見ましたけど、田中好子のあまりの怖さに背中がぞっとしました。
個人的には「三婆」ももっとぞっとするところがあってもよかったんじゃないかと思います。
3幕のラストはちょっとぞっとしましたけど、それでもなんとなくカタルシスを感じてしまったりもしたんです。
きっと本妻は他人の面倒を見ているうちは毅然としてて、2人が死んだらぽっくり死ぬんだろうな〜って。
終演後、役の未来を想像できるのはいい戯曲の証ですよね。
というわけで、やっぱり秀逸な作品だと思いました。
「お登勢」も似たような状態に
いらっしゃいませ。
「お登勢」の3幕でもまったく同じ現象が起こっていました。
すなわち、2幕の終わりで「あー、これで終わりね」という雰囲気になったあと、「ただいまより10分間の休憩を」というアナウンスが流れたのを聞いて「えー、まだあるの?」というざわめきが。
これまた3幕だけがドロドロに暗い内容になるもんで、話の印象がすっかり変わってしまってました。
やっぱり芸術座のお客様は、「よかったね!」という明るい拍手を送れるような「和解」の場面で劇場をあとにしたいんだろうなーとあらためて実感しました。
「華岡青洲の妻」、私も一番楽しみにしてました。すごい話ですよ〜。
たしか初めて見たのはTVで、そのときは加恵が十朱幸代で青洲は竹脇無我だったような気が…。於継は誰だったかな。山田五十鈴?
ちょっとうろ覚えです。
そのあと小泉今日子主演でもやってましたね。
今回、姑が田中好子ときいて随分若い印象を持ちました。
でも、若いだけに嫁への対抗心がなまなましくてこわいかも。
何回見てもすごい作品ですので、ぜひお楽しみに。