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古伊万里★新伊万里

劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です

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イランのちびまる子ちゃん

 私は「語学が苦手」というのがコンプレックスなのですが、まわりの友人には語学力に長けた人がたくさんいます。
 中でも「翻訳家」という職業についている人が多い。
 そのうちの1人、マルちゃんは、中学・高校・大学を同じ場所で過ごした友人です(正確に言うと、高校の1年間はフランスに留学していましたが)。
 そういうとすごくつきあいの深い友人のように思われるかもしれませんが、実際はクラスや学科がほとんど別々だったためか、それほど親しくつきあっていたわけではありませんでした。
 卒業して随分たってから、「マルちゃんは今、フランス語の字幕翻訳の仕事をしているらしい。『仕立屋の恋』とかもマルちゃんが翻訳したらしいよ」という噂を聞き、なにかのきっかけで再会したときに「私もねー、翻訳家の養成機関で働いてたことがあるんだよ。運営するほうのスタッフだから語学はできないんだけどね。あはは」みたいな話をして、それからなんとなく連絡をとりあうようになりました。
 とはいうものの、普段から映画というもの自体をあまり見ない私は、「今度こういうのやったんだー」と言われても、「そうなんだー。行けたら見にいくね」と言っているうちに終わってしまう…という連続で、今まで映画館でちゃんと彼女の作品を観たことがありませんでした。マルちゃん、ごめんね。

 そんな私が、最近ようやくマルちゃん翻訳作品デビューしました。
 「これなんだけどー。もし興味があったら見にきて」
 と彼女から渡されたチラシは『ペルセポリス』というアニメーション映画。
 監督はマルジャン・サトラピというフランス在住のイラン人女性で、自分の自伝を自ら映画化したそうです。
 内容は、マルちゃんいわく「えーとね、イランの『ちびまる子ちゃん』みたいな感じ」。
 イランの『ちびまる子ちゃん』!
 マルちゃん、うまいぞ。つかみがうますぎる。
 そのフレーズきいただけで「どんなんだよ、それ」と興味がわくじゃありませんか。
 それだけじゃありません。
 主人公の少女は当然作者なんですが、愛称はなんと「マルジ」というそうです。
 マルちゃんが翻訳した作品が「イランのちびまる子ちゃん」で、主人公の名前は「マルジ」って「まるまる尽くし」じゃん。チョー受ける。
 これはもう見るしかない。絶対見る!

 と決意した私ですが、ここではたと誰を誘って行こうかと考えました。
 べつに一人で行ってもいいんですが、一人ってのは「いつでも行ける」と思ってしまうため、逆になかなか行かないものなんですよね。
 で、こーいう映画に興味ありげな人をダーーーッと思い浮かべてみたんですが、急にふっと今までは浮かばなかったような人の名前が浮かびました。

 その人とは……有名な方なので、皆さん、ご存じの方も多いかもしれませんが、翻訳家の河野万里子さんです。
 河野さんとの出会いはかれこれ20年近く前になります。
 駆け出しのライターだった私が、新人翻訳家として賞をとって売り出し中だった彼女を取材したのがなれそめでした。
 じつはそのときに1回お会いしただけで、その後一度も会ったことがないんですが、そのインタビューがとても楽しくて盛り上がったことと、年賀状などのやりとりがマメに続いていたこともあって、心理的にはすっかり「お友達モード」だったんです。

 私は昔から、自分の知り合いの中で「この人とこの人を会わせたら楽しいだろうな」という夢の(?)カードを作っては実際にひきあわせるという「お見合いおばさん」みたいなことをする趣味があって、このときも「フランス語翻訳つながりでマルちゃんと河野さんを会わせる」というカードを思いついて勝手に盛り上がりました。
 語学はできないけれど、翻訳の話をきくのは大好きなので、この2人を会わせたら、字幕と出版、両方の話が聞き放題ですごく楽しそうだと思ったのです。
 で、さっそく双方に打診してみたところ、お2人ともかなり乗り気だったため、計画を遂行することになりました。

 まず、河野さんと『ペルセポリス』を見て、その後近くのお店でマルちゃんと待ち合わせて3人でご飯を食べながら映画についておしゃべりをする。場合によっては裏話なども聞けるかもしれない。
 ……と、ここまででも充分楽しい計画だったんですが、話を進めるうちにさらに楽しい偶然が発覚しました。
 『ペルセポリス』は渋谷のシネマライズという小屋での単館上映だったんですが、なんと『ペルセポリス』のあとに上映される『潜水服は蝶の夢を見る』は、河野さんが10年前に原作を翻訳したものだというのです。
 というわけで、計画はさらに「マルちゃんと『潜水服は蝶の夢を見る』を見て、その後近くのお店で河野さんと待ち合わせて3人でご飯を食べながら映画についておしゃべりをする」という続編がつけくわえられることになりました。

 で、まずは行ってきました。『ペルセポリス』。
 いやー、びっくりしました。いろいろな意味で。
 まず、視覚的なことから言うと、モノクロアニメへのこだわりに圧倒されました。
 作者いわく、「ハリウッドから『実写で映画化したい』という申し出もあったが、リアルにエキゾチックな顔立ちの俳優が演じると、『どこか関係ない国の人の話』という距離感をもたれてしまうので、これは絶対アニメーションでしかやるつもりはなかった」とのこと。
 アニメーションというと、日本は今や「先進国」なので、正直なところ、見るまでは「フランスのアニメーションってどの程度のものなの?」というようなお手並み拝見的な“上から目線”がありました。
 が、見てみてわかりました。これは比べても意味がないです。まったく違うものとして認識するのが正しい。
 宮崎アニメにしても、ディズニーアニメにしても、最近は技術も進化していて、実写に近い繊細な動きがどんどん表現できるようになっていますが、グラフィック・アニメーションと呼ばれるこの『ペルセポリス』は、逆に無駄なものをそぎおとしてどんどん抽象化している感じでした。限りなく記号に近くなってるっていうのかな。
 絵も動きも平面的で一見稚拙に見えるんだけど、黒と白だけでなく、中間調(グレー)の取り入れ方への執念が半端じゃなく、「こんなにシンプルな絵なのに、こんなに微妙な階調まできっちり表現するのってすげー」と感服しました。
 しかも、写実的じゃないからこそ、デフォルメした表現も違和感なく受け入れられるし、生々しさがない分、普遍的な部分のみがうまく伝わってくるし、なるほど、作者が実写をいやがった意味はわかるわと思いましたね。

 ストーリーを簡単に紹介しますと……。
 1978年、テヘランで大きな革命が起きます。
 この革命がどういうものなのか、説明するのはなかなか難しいです。
 なぜなら、日本人はあまりにもイスラムの歴史になじみがなさすぎるので。
 実際、原作本(グラフィックノベルと呼ばれる絵で表現するエッセイみたいな感じ)を読むとかなり詳しく政治的な背景がかかれているんですが、私にはついていけませんでした。
 わかったのは、一口にイスラム圏といっても、国によってかなりカラーが違うこと、私たちにとっては(少なくとも私にとっては)イランもイラクも同じカテゴリーの中に入っていて明確な違いを説明するのは難しいんですが、当人たちにしてみるとお互いが「全然違う国」なわけです。そんなの当たり前といえば当たり前なんですけど、あらためて「そうか。違うんだな」と思いました。 
 「だからその違いを説明しろよ」とつっこまないでください。「思った」だけで、「説明」できるほど「わかった」わけではないので。
 まあ、あえて言うならば、イランのルーツがもともとササン朝ペルシャという帝国にあり(タイトルのペルセポリスは「ペルシャの都」という意味)、そこの宗教はゾロアスター教で、イスラムの支配を受けたのはずっとあとだという話は目ウロコでした(←世界史とってた者の発言とは思えません)。

 ただ、作者が映画を通して語りたかったのは、あくまでも「ひとりの少女の人間的成長」という普遍的な部分で、政治的な問題はそれほど詳しく説明する気はなかったように見えました。
 というのも、原作の「政治状況についての説明部分」が、映画では最小限にカットされていたので。
 最初はあまりにも説明が少ないので、「原作読めばもっとわかるのかな」と思ったんですが、実際は読んでもよくわからなかったし、その情報がわからなくても映画を楽しむ支障にはならないと思います。

 とにかく、その革命の様子は中国の「文化大革命」を想像していただければ近いかと思います。
 「自由思想」「西洋かぶれ」「ブルジョワ」は激しく糾弾され、紅衛兵みたいな風紀取り締まり委員が常に市民の生活を監視しているという感じ。
 主人公のマルジは、そういう意味でいうとかなり「危険視」されるような家庭環境で育った子供で、そのせいか危ない目に何度も遭うんですね。
 このままではいけない。この子には自由に行動できる環境で教育を受け、好きなことを思い切りやってほしい。
 そう思った両親は、わずか13歳のマルジを一人でウィーンに留学させます。

 ところが、イランでは先進的思想を持ったはみ出し者だったマルジが、ウィーンにくると今度は「イスラム圏からきた子」としてさまざまな偏見をもたれてしまいます。
 最初は背伸びしてみんなに合わせようとしたマルジですが、そうすればするほど自分のアイデンティティがどこにあるのかわからなくなり、最後には心身ともにボロボロになって故郷に帰ります。
 故郷に帰れば帰ったで、イランから一歩も外に出たことのない人たちとの間に距離感を感じ、やっぱり自分の居場所がどこなのかわからなくなるんですが、その後紆余曲折あって今度は自らの意思でフランスに旅立ちます。

 原作ではこれらのエピソードが時系列でダーッと並んでいるだけなんですが、映画では、「現在のマルジ」が、パリの空港を訪れ、「テヘラン行きの便」の表示を見ながらぼんやりと今までの自分を回想し、最後はまたパリの空港の場面に戻り、空港からタクシーに乗る場面で終わるんですよ。
 で、運転手に「お客さん、どちらから?」と聞かれて「イラン」と答える。そのセリフでEND。
 要するに、「彼女は今でも時々故郷に帰りたくなって空港に行ってしまうんだけど、最後はやっぱり飛行機には乗らずに家に帰る」という行為を繰り返しているという設定なんだと思いますが、最後のやりとりに「アイデンティティをみつけたマルジ」の姿が表れていて、とてもしゃれた構成になっていると思います。

 マルジは決して「いい子」ではなく、どちらかというと「弱さ」とか「ずるさ」とか欠点もいっぱいあるんですが、そういうトホホな部分も正直に書いているところが好感もてます。
 中でも最高におもしろかったのは、失恋シーン。
 つきあっていたマルクスくんという恋人に裏切られ、最初はメソメソ落ち込むんですが、そのうちに「今になって冷静に考えてみれば、あの男は最初からひどいやつだったのかもしれない…」と思い直し、あらためて頭の中で今までの彼の言動をリプレイしていくんですが、思い返しているうちに「そういえばあんなこともあった」「こんなこともあった」といやだった面がどんどん出てきて、それにつれて「妄想」の中のマルクスくんの端正な顔がどんどん崩れていって、最後はバケモノのようになっちゃうの(笑)。
 恋愛中は「甘い思い出」だったことが、妄想の中で身も蓋もない「醜い現実」に変換されていき、それに対する嫌悪と憤りでパワーをとりもどす。
 こういうのって女はあるよなーと思って大笑いしました。だいたい男は「いいこと」しか思い出さないからいつまでもひきずるんだけど、女は現実的だから、自分の都合で簡単に視点を変えられるんだよね。

 声の出演がかなり豪華で、マルジのお母さんはカトリーヌ・ドヌーヴ、マルジはドヌーヴの娘のキアラ・マストロヤンニ、マルジの祖母はドヌーヴの母親役を何度もやっているダニエル・ダリュー……という布陣。
 どの人も声の存在感ありすぎという気もしないではなかったけど。
 関係ないけど、マルちゃんが「吹き替えならもっと情報がたくさん入れられるから、できれば日本の吹き替えヴァージョンを作ってもらってもっと多くの人に見てもらいたいな」と言っていたので、勝手にやってもらいたい人を考えてみました。
 そっちがドヌーヴとキアラでくるなら……うーん、こっちは富司純子と寺島しのぶでどうでしょう。祖母は佐々木すみ江で。いや、単にダニエル・ダリューの声が佐々木すみ江と似ているのが気になっただけなんですけど(お陰で祖母のセリフは私の脳内でいちいち薩摩弁に自動変換されてました)。

 『潜水服は蝶の夢を見る』の話についてはまたあらためてお送りします。

 

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プロフィール

HN:
伊万里
性別:
女性
職業:
劇作家・ライター
趣味:
旅行 骨董 庭仕事

著作



「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」

Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!

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