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古伊万里★新伊万里

劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です

カテゴリー「劇作家修業」の記事一覧

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硬派な劇作家集団誕生?!

 3年間通った戯曲科の学校も今月でいよいよ卒業となります。
 この3年間は、「他人の書いた戯曲を読んで問題点について考える」「締切を設定され、書くモチベーションを与えられる」「志を同じくし、刺激を与え合う仲間がいる」といった環境を当たり前のように享受していましたが、卒業後は自分から求めない限りはどれも手に入らなくなります。
 仕事でもないのに書き続けるのは本当につらい作業ですから(書きたい気持ちがあっても、思うように書けないこともだんだんわかってくるので、技術があがるほどつらくなってきます)、自分一人だけでモチベーションを維持するのはかなり厳しいものがあります。

 なので、半年ほど前から、卒業後に定期的に自主勉強会を開くという企画を考え、少しずつ実行に移してきました。
 今までの授業では、人数が多いために講評も表面的なものに終わってしまい、作者が作品についてしゃべる時間も充分にはとってもらえませんでしたが、今度はそれを解消すべく、少人数で作品についてもっとつっこんだディスカッションをするような形の勉強会を目指そうと考えています。

 また、これまでの授業では、年に2〜3回のペースで講評会担当がまわってきたのですが、毎回新作を提出しなくてはならないため、未熟な状態の第1稿を出して皆に叩かれ、そのあとはその講評がフィードバックされる暇もなく次の作品にとりかかり、結局出した作品は未熟なまま放置されて終わる……という繰り返しになっているのが実情でした。
 たしかに最初のうちは「講評を自分の中で消化」して「適切な直し」をするというテクニックがまだないので、下手に書き直しを重ねるよりは、感覚をつかむために新作をどんどん書いたほうがいいのかもしれませんが、3年もたつと「新しいものを数多く書くよりも、一つの作品を練り上げて完成度を高めていく」という修業が必要になってきます。
 そんなわけで、今回の勉強会では、1年かけて1本の作品を書き上げることを目標とし、その代わり途中で4回の講評会を設けてその都度なんらかの形にして提出するという方式をとることにしました。
 新しい試みなので、吉と出るか凶と出るかわかりませんが、賛同する仲間も得られたので、とりあえず4月から1年間、頑張ってみようと思います。

 で、昨日、勉強会のオリエンテーションとメンバー親睦会を兼ねた発足式を行ってきました。
 メンバーは私を含めて4名。
 うち、1名は、このブログのコメントですでに登場している「ノリ・タケ子」さん。
 残る2名は、一見“ベジタリアン”のような風貌で、じつは野菜がまったく食べられないという「かきつばた」さん(←このハンドルは今私が決めました。最新作のタイトルから)と、1期上の「ヤギ」さん。

 まずは勉強会の運営方法の詳細についてオリエンテーションを行ったあと、場所を移して中華を囲みながらの親睦会を。
 その席上で、「勉強会の名称をどうするか?」という議題が出ました。
 これについてはあらかじめ各自に候補を考えてきてもらうことになっていたので、一人ずつ「案」を披露していったのですが…。

 まずは最年少のノリ・タケ子さんから。
 ノリ「私はですねー、『作家集団』みたいな名称がいいと思って、昨日辞書で調べてきたんですよ。で、ちょっとイメージとして『ボヘミアン』みたいな感じがいいなーと思ってみてたら、ちょうどフランス語で『エクリバン』というのがありまして」
 伊万里「それ『作家』っていう意味なの?」
 ノリ「そうです。正確に言うと女性形は『エクリバンヌ』なんですが、言いにくいので『エクリバン』がいいかなと」
 全員「なるほど」

 そして次はかきつばたさん。
 かき「えー、なんかそんなかっこいい名前のあとにアレなんだけどー」
 しきりに恥ずかしがるかきつばたさん。皆に促されて披露された名前は…。
 かき「うーんとねー、私は『〜会』みたいなのがいいと思ったの。で、考えたのが……(言う前から笑っていて)……『劇新会』っていうんだけど」

 一瞬の沈黙のあと、全員爆笑。
 「なにそれ〜」
 「政治家の後援会みたい」
 「こわすぎる」
 「どんな人が集まってるんだって感じだよね」
 「会議室予約するときも『劇新会』で予約するの?」
 「慰安旅行に行くと『劇新会ご一行様』とか看板が出ちゃうの?」
 ……などなど、一斉に激しい反発が。

 しかし、インパクトは強烈で、もう皆その名前以外うけつけなくなってしまった。
 そのあとに出された候補名も、「劇新会」の存在感の前では記憶に残らない始末。
 10分もたたないうちに、すっかりその名前に慣れてしまった私たち。
 「でも厳しそうな感じはするよね」
 「うん。締切落とすと指詰めなきゃいけない感じ(笑)」
 「『エクリバン』だと締切落としても気にしなさそうだよね。『だって私たちエクリバーンだも〜ん』とかわけわかんないこと言って(笑)」
 「局中法度とかありそう。『ひとつ締切を破るべからず』『局を脱するを許さず』とか」
 「破ると血の粛清があるの?」
 などなど、「劇新会」ネタだけでどこまでも盛り上がり、とどまるところを知らない。
 命名者のかきつばたさんもこんなに反応されるとは思わなかったようで、戸惑いを隠せない様子。
 ノリ・タケ子さんなどは、「劇新会」のインパクトにやられてついに最後には自分の出した候補名も忘れてしまってました(笑)。

 というわけで、今のところ「劇新会」が有力候補です。
 まだ「仮称」ですけど。
 皆さん、なにか良い案がありましたら教えてください。
 でないと、本当に「劇新会」になってしまいそうです(笑)。

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プロの役者による「読み合わせ」授業

 プロフィールにも書いてあるように、私は現在劇作家修業中で、某劇作家養成学校に通っています。
 現在3年目で、3月には卒業予定なんですが、卒業を前にして、先日、特別企画の授業が行われました。

 題して「プロの役者による読み合わせ授業」。
 当然のことながら、戯曲というのは小説やエッセイとは違い、書かれただけでは未完成品。上演されて初めて完成されるものです。
 とはいうものの、ひとつの作品を上演するには大変な労力と人手と時間とお金が必要で、自分の作品が上演されるまでの道のりは、おそらく一般の方にとっては想像を絶するような険しさだと思います。

 そこで、「せめてお金も人手も普通の上演ほどはかからないで済むリーディング公演をしよう」という動きが最近はやり始めています。
 リーディングとは「読み合わせ」のことで、文字通り役者が声に出して台本を読むという部分だけを指します。通常の稽古では、「読み合わせ」→「立ち稽古」と進み、最後は本番同様に装置を組んで衣装をつけて通し稽古を行いますが、この「読み合わせ」の部分だけを行い、公開するのがリーディング公演です。
 装置も衣装も広い空間もいらないので、役者さえ揃えればすぐにできます。
 お金がかからないので、実現させるための敷居もぐっと低くなります。
 ロンドンなどではリーディング公演はかなり盛んのようで、永井愛は、ロンドンで自分の作品のリーディング公演を行ってもらったのが評判になり、ブッシュシアターから書き下ろしを依頼されました。

 というわけで、うちの学校でも実験的に「プロの役者を招いての読み合わせ」を授業内でやってみようということになったのです。
 当日呼ばれたのは、新劇系の男優さんと、商業演劇系の女優さん各1名ずつ(ともに40代のベテラン)。
 その日読まれる作品は私の作品も含めて6作品(条件は400字10枚の男女の2人芝居)。
 1人にわりあてられている時間は15〜20分程度。10枚の作品を読むとだいたい10分程度はかかるので、読み終わったあとに簡単なコメントをもらうだけでもう時間いっぱいに。
 本当は、作者とのディスカッションがほしいところですが、残念ながらそこまでの余裕はありませんでした。

 作品については事前に役者さんに郵送されており、役者さんは簡単な動きくらいは考えてきているようで、「読み合わせ」というよりは、「読み合わせ」と「立ち稽古」の間の「粗通し」といった段階になっていました。
 ほんの短い時間でしたが、読むのと読まれるのとでは大違いであることを痛感し、自分の作品だけでなく、他人の作品も含めて、活字で読む言葉の印象と生身の人間がセリフとして語る言葉の印象の大きな違いに驚かされました。

 普段は、書かれた戯曲を読んで講評するという作業ばかりしているので、力のないセリフや構成の弱さ、人物描写の甘さなどはすぐに目につくのですが、こういうのって生身の人間によって読まれると、ある程度目立たなくなってしまうものなんですね。
 読まれた作家のほうは、「あらー。私の書いたぎこちないセリフや人物がこんなにそれらしく演じられるなんて魔法みたい!」と大喜びですが、戯曲の構造的な欠陥は解消されたわけではなく、あくまでも残ってるわけです。
 今回は短いからそれほど粗も目立ちませんが、これがもっと長いものになると、「部分部分は泣かされたり笑わせられたりするけど、全体を通してみるとなんかしっくりこない(納得できない)」という印象を与えることになります。
 言ってみれば、手書きで書いた文章がタイプ文字になるとそれらしい文章に見えてしまうのと同じで、実際はタイプ文字になっても下手なもんは下手なんですよ。
 役者さんが流麗に読めば読むほど、そういう意味で「本当の問題点」がわかりにくくなるような危うさを私は感じました。

 同様に、まあこれは役者さんの演技のタイプにもよると思うのですが、生身の人間が演じると、言葉が湿り気を帯びてどんどん重くなるなーという印象を受けました。
 世の中には「こういう場面ではこう言う」みたいな類型的お約束ゼリフというものがあり、書き手としてはできるだけそういう類型に流れないように、うわっつらのセリフを避けようと努力するわけですが、そういううわっつらの類型ゼリフも、役者さんがそれなりのテクニックで読むとさまになってしまうんですよ。

 読んでるだけで恥ずかしくなるような「くさいセリフ」についても同様。
 「衣装つけてメイクして舞台装置の中に立って、スポットライトを浴びて…という状況下ならともかく、こんな狭い教室の中でよく恥ずかしげもなくこんなセリフ言えるよなー」と、自分たちで書いておきながらひいてしまう私たち…。
 そんなことにひるんでいるようでは役者はできん!と言われればその通りなのですが、やっぱり役者さんは未知の生物だと思いました。

 類型といえば、おかしかったのは、「すいません。大きな声を出して」というセリフについて。
 まあ、これって比較的よく使われがちなセリフだと思うんですけど、今回の役者さんはこれがやけにひっかかったらしい。
 「大きな声を出したあとに言うセリフなんだから『大きな声を出して』は不要。ハッと我に返った表情をして『あ…すいません』と言えば充分。こういう説明的なセリフはすごく気になる」と言うんですよ。
 言われてみればたしかにそうなんだけど、私から見ると他にももっと気になる説明ゼリフはいっぱいあって、それだけにこだわる感覚ってよくわかんないんですよね。
 非常によく使われるだけに目立つのかもしれないけど。
 その日も、6本中3本にこのセリフが出てきたらしく、「なんで判で押したようにこのセリフが出てくるんだ。学校で使えって教えられてんのか?」と問いつめられ、返答に困る私たち。
 たしかにそのあと連続してこのセリフが出てきて、出てくるたびに笑いそうになりました。
 ちなみに、制作のKさんがどうしても気になるセリフは「どうしてここに…?」だそうです。
 たしかにこれもよく使われますね。いやだと思う人がいるなんて考えたこともなかったけど。

 言葉の感覚には個人差があるから、気に入らないとなったらとことん気に入らないんでしょうね。
 でも、劇作ってほんとにクリアしなければならない課題が多いから、正直言って「セリフを磨く」などという課題は最も高レベルの枝葉の部分なんですよね。
 枝葉っていうのは、どうでもいいっていう意味ではなく、その前にやるべきことをすべてクリアした上でないといくら凝っても機能しないという意味です。
 役者さんは一番表面の部分がまず最初に気になるのかもしれませんけど。

 これでも見えないところでいろいろ苦労してんだよ! 私たちだってさっ。

 はっ……。すいません。大きな声を出して。
 おあとがよろしいようで。

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プロフィール

HN:
伊万里
性別:
女性
職業:
劇作家・ライター
趣味:
旅行 骨董 庭仕事

著作



「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」

Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!

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