古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
プロの役者による「読み合わせ」授業
プロフィールにも書いてあるように、私は現在劇作家修業中で、某劇作家養成学校に通っています。
現在3年目で、3月には卒業予定なんですが、卒業を前にして、先日、特別企画の授業が行われました。
題して「プロの役者による読み合わせ授業」。
当然のことながら、戯曲というのは小説やエッセイとは違い、書かれただけでは未完成品。上演されて初めて完成されるものです。
とはいうものの、ひとつの作品を上演するには大変な労力と人手と時間とお金が必要で、自分の作品が上演されるまでの道のりは、おそらく一般の方にとっては想像を絶するような険しさだと思います。
そこで、「せめてお金も人手も普通の上演ほどはかからないで済むリーディング公演をしよう」という動きが最近はやり始めています。
リーディングとは「読み合わせ」のことで、文字通り役者が声に出して台本を読むという部分だけを指します。通常の稽古では、「読み合わせ」→「立ち稽古」と進み、最後は本番同様に装置を組んで衣装をつけて通し稽古を行いますが、この「読み合わせ」の部分だけを行い、公開するのがリーディング公演です。
装置も衣装も広い空間もいらないので、役者さえ揃えればすぐにできます。
お金がかからないので、実現させるための敷居もぐっと低くなります。
ロンドンなどではリーディング公演はかなり盛んのようで、永井愛は、ロンドンで自分の作品のリーディング公演を行ってもらったのが評判になり、ブッシュシアターから書き下ろしを依頼されました。
というわけで、うちの学校でも実験的に「プロの役者を招いての読み合わせ」を授業内でやってみようということになったのです。
当日呼ばれたのは、新劇系の男優さんと、商業演劇系の女優さん各1名ずつ(ともに40代のベテラン)。
その日読まれる作品は私の作品も含めて6作品(条件は400字10枚の男女の2人芝居)。
1人にわりあてられている時間は15〜20分程度。10枚の作品を読むとだいたい10分程度はかかるので、読み終わったあとに簡単なコメントをもらうだけでもう時間いっぱいに。
本当は、作者とのディスカッションがほしいところですが、残念ながらそこまでの余裕はありませんでした。
作品については事前に役者さんに郵送されており、役者さんは簡単な動きくらいは考えてきているようで、「読み合わせ」というよりは、「読み合わせ」と「立ち稽古」の間の「粗通し」といった段階になっていました。
ほんの短い時間でしたが、読むのと読まれるのとでは大違いであることを痛感し、自分の作品だけでなく、他人の作品も含めて、活字で読む言葉の印象と生身の人間がセリフとして語る言葉の印象の大きな違いに驚かされました。
普段は、書かれた戯曲を読んで講評するという作業ばかりしているので、力のないセリフや構成の弱さ、人物描写の甘さなどはすぐに目につくのですが、こういうのって生身の人間によって読まれると、ある程度目立たなくなってしまうものなんですね。
読まれた作家のほうは、「あらー。私の書いたぎこちないセリフや人物がこんなにそれらしく演じられるなんて魔法みたい!」と大喜びですが、戯曲の構造的な欠陥は解消されたわけではなく、あくまでも残ってるわけです。
今回は短いからそれほど粗も目立ちませんが、これがもっと長いものになると、「部分部分は泣かされたり笑わせられたりするけど、全体を通してみるとなんかしっくりこない(納得できない)」という印象を与えることになります。
言ってみれば、手書きで書いた文章がタイプ文字になるとそれらしい文章に見えてしまうのと同じで、実際はタイプ文字になっても下手なもんは下手なんですよ。
役者さんが流麗に読めば読むほど、そういう意味で「本当の問題点」がわかりにくくなるような危うさを私は感じました。
同様に、まあこれは役者さんの演技のタイプにもよると思うのですが、生身の人間が演じると、言葉が湿り気を帯びてどんどん重くなるなーという印象を受けました。
世の中には「こういう場面ではこう言う」みたいな類型的お約束ゼリフというものがあり、書き手としてはできるだけそういう類型に流れないように、うわっつらのセリフを避けようと努力するわけですが、そういううわっつらの類型ゼリフも、役者さんがそれなりのテクニックで読むとさまになってしまうんですよ。
読んでるだけで恥ずかしくなるような「くさいセリフ」についても同様。
「衣装つけてメイクして舞台装置の中に立って、スポットライトを浴びて…という状況下ならともかく、こんな狭い教室の中でよく恥ずかしげもなくこんなセリフ言えるよなー」と、自分たちで書いておきながらひいてしまう私たち…。
そんなことにひるんでいるようでは役者はできん!と言われればその通りなのですが、やっぱり役者さんは未知の生物だと思いました。
類型といえば、おかしかったのは、「すいません。大きな声を出して」というセリフについて。
まあ、これって比較的よく使われがちなセリフだと思うんですけど、今回の役者さんはこれがやけにひっかかったらしい。
「大きな声を出したあとに言うセリフなんだから『大きな声を出して』は不要。ハッと我に返った表情をして『あ…すいません』と言えば充分。こういう説明的なセリフはすごく気になる」と言うんですよ。
言われてみればたしかにそうなんだけど、私から見ると他にももっと気になる説明ゼリフはいっぱいあって、それだけにこだわる感覚ってよくわかんないんですよね。
非常によく使われるだけに目立つのかもしれないけど。
その日も、6本中3本にこのセリフが出てきたらしく、「なんで判で押したようにこのセリフが出てくるんだ。学校で使えって教えられてんのか?」と問いつめられ、返答に困る私たち。
たしかにそのあと連続してこのセリフが出てきて、出てくるたびに笑いそうになりました。
ちなみに、制作のKさんがどうしても気になるセリフは「どうしてここに…?」だそうです。
たしかにこれもよく使われますね。いやだと思う人がいるなんて考えたこともなかったけど。
言葉の感覚には個人差があるから、気に入らないとなったらとことん気に入らないんでしょうね。
でも、劇作ってほんとにクリアしなければならない課題が多いから、正直言って「セリフを磨く」などという課題は最も高レベルの枝葉の部分なんですよね。
枝葉っていうのは、どうでもいいっていう意味ではなく、その前にやるべきことをすべてクリアした上でないといくら凝っても機能しないという意味です。
役者さんは一番表面の部分がまず最初に気になるのかもしれませんけど。
これでも見えないところでいろいろ苦労してんだよ! 私たちだってさっ。
はっ……。すいません。大きな声を出して。
おあとがよろしいようで。
現在3年目で、3月には卒業予定なんですが、卒業を前にして、先日、特別企画の授業が行われました。
題して「プロの役者による読み合わせ授業」。
当然のことながら、戯曲というのは小説やエッセイとは違い、書かれただけでは未完成品。上演されて初めて完成されるものです。
とはいうものの、ひとつの作品を上演するには大変な労力と人手と時間とお金が必要で、自分の作品が上演されるまでの道のりは、おそらく一般の方にとっては想像を絶するような険しさだと思います。
そこで、「せめてお金も人手も普通の上演ほどはかからないで済むリーディング公演をしよう」という動きが最近はやり始めています。
リーディングとは「読み合わせ」のことで、文字通り役者が声に出して台本を読むという部分だけを指します。通常の稽古では、「読み合わせ」→「立ち稽古」と進み、最後は本番同様に装置を組んで衣装をつけて通し稽古を行いますが、この「読み合わせ」の部分だけを行い、公開するのがリーディング公演です。
装置も衣装も広い空間もいらないので、役者さえ揃えればすぐにできます。
お金がかからないので、実現させるための敷居もぐっと低くなります。
ロンドンなどではリーディング公演はかなり盛んのようで、永井愛は、ロンドンで自分の作品のリーディング公演を行ってもらったのが評判になり、ブッシュシアターから書き下ろしを依頼されました。
というわけで、うちの学校でも実験的に「プロの役者を招いての読み合わせ」を授業内でやってみようということになったのです。
当日呼ばれたのは、新劇系の男優さんと、商業演劇系の女優さん各1名ずつ(ともに40代のベテラン)。
その日読まれる作品は私の作品も含めて6作品(条件は400字10枚の男女の2人芝居)。
1人にわりあてられている時間は15〜20分程度。10枚の作品を読むとだいたい10分程度はかかるので、読み終わったあとに簡単なコメントをもらうだけでもう時間いっぱいに。
本当は、作者とのディスカッションがほしいところですが、残念ながらそこまでの余裕はありませんでした。
作品については事前に役者さんに郵送されており、役者さんは簡単な動きくらいは考えてきているようで、「読み合わせ」というよりは、「読み合わせ」と「立ち稽古」の間の「粗通し」といった段階になっていました。
ほんの短い時間でしたが、読むのと読まれるのとでは大違いであることを痛感し、自分の作品だけでなく、他人の作品も含めて、活字で読む言葉の印象と生身の人間がセリフとして語る言葉の印象の大きな違いに驚かされました。
普段は、書かれた戯曲を読んで講評するという作業ばかりしているので、力のないセリフや構成の弱さ、人物描写の甘さなどはすぐに目につくのですが、こういうのって生身の人間によって読まれると、ある程度目立たなくなってしまうものなんですね。
読まれた作家のほうは、「あらー。私の書いたぎこちないセリフや人物がこんなにそれらしく演じられるなんて魔法みたい!」と大喜びですが、戯曲の構造的な欠陥は解消されたわけではなく、あくまでも残ってるわけです。
今回は短いからそれほど粗も目立ちませんが、これがもっと長いものになると、「部分部分は泣かされたり笑わせられたりするけど、全体を通してみるとなんかしっくりこない(納得できない)」という印象を与えることになります。
言ってみれば、手書きで書いた文章がタイプ文字になるとそれらしい文章に見えてしまうのと同じで、実際はタイプ文字になっても下手なもんは下手なんですよ。
役者さんが流麗に読めば読むほど、そういう意味で「本当の問題点」がわかりにくくなるような危うさを私は感じました。
同様に、まあこれは役者さんの演技のタイプにもよると思うのですが、生身の人間が演じると、言葉が湿り気を帯びてどんどん重くなるなーという印象を受けました。
世の中には「こういう場面ではこう言う」みたいな類型的お約束ゼリフというものがあり、書き手としてはできるだけそういう類型に流れないように、うわっつらのセリフを避けようと努力するわけですが、そういううわっつらの類型ゼリフも、役者さんがそれなりのテクニックで読むとさまになってしまうんですよ。
読んでるだけで恥ずかしくなるような「くさいセリフ」についても同様。
「衣装つけてメイクして舞台装置の中に立って、スポットライトを浴びて…という状況下ならともかく、こんな狭い教室の中でよく恥ずかしげもなくこんなセリフ言えるよなー」と、自分たちで書いておきながらひいてしまう私たち…。
そんなことにひるんでいるようでは役者はできん!と言われればその通りなのですが、やっぱり役者さんは未知の生物だと思いました。
類型といえば、おかしかったのは、「すいません。大きな声を出して」というセリフについて。
まあ、これって比較的よく使われがちなセリフだと思うんですけど、今回の役者さんはこれがやけにひっかかったらしい。
「大きな声を出したあとに言うセリフなんだから『大きな声を出して』は不要。ハッと我に返った表情をして『あ…すいません』と言えば充分。こういう説明的なセリフはすごく気になる」と言うんですよ。
言われてみればたしかにそうなんだけど、私から見ると他にももっと気になる説明ゼリフはいっぱいあって、それだけにこだわる感覚ってよくわかんないんですよね。
非常によく使われるだけに目立つのかもしれないけど。
その日も、6本中3本にこのセリフが出てきたらしく、「なんで判で押したようにこのセリフが出てくるんだ。学校で使えって教えられてんのか?」と問いつめられ、返答に困る私たち。
たしかにそのあと連続してこのセリフが出てきて、出てくるたびに笑いそうになりました。
ちなみに、制作のKさんがどうしても気になるセリフは「どうしてここに…?」だそうです。
たしかにこれもよく使われますね。いやだと思う人がいるなんて考えたこともなかったけど。
言葉の感覚には個人差があるから、気に入らないとなったらとことん気に入らないんでしょうね。
でも、劇作ってほんとにクリアしなければならない課題が多いから、正直言って「セリフを磨く」などという課題は最も高レベルの枝葉の部分なんですよね。
枝葉っていうのは、どうでもいいっていう意味ではなく、その前にやるべきことをすべてクリアした上でないといくら凝っても機能しないという意味です。
役者さんは一番表面の部分がまず最初に気になるのかもしれませんけど。
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
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「読み合わせ」うらやましいです
当初の予定では、昨年度も役者さんに読み合わせをして頂くというのがあったのですが、いつの間にか無かった事になってましたね。
当日参加されていた方の感想を、もっと伺いたいのですが、皆さんお忙しいのか、あまり書かれていなくて残念です。
ちょっと雑談。
もう5年以上も昔の話です。自分が企画したものを業者さんにシナリオにしてもらい、それを声優さん達に吹き込んでもらうって仕事をした事がありました。
自分が書いたものではないのだけれど、イメージしていたものと違う役作りをされた方もいらして、「悪いな」と思いながら、こちらが持っているイメージを伝えました。
すぐに思い通りの演技に変更して頂き「プロって凄いな。何パターンも事前に用意されているんだろうな」と実感しました。
今思うと、業者の書いたシナリオ、手直ししたいなぁ(苦笑)。
欲をいえば…
今年でも限界って感じでした。
個人的には、もっと少ない本数をじっくりディスカッションしながらやってもらいたかったです。
質問する時間もなかったし。
役者さんは、かえって「こういうふうに」という方向性をはっきりと指示してもらったほうがやりやすいのではないかと思います。
何パターンも用意するのはプロとして当たり前のことだし(同時に、作家も直しを要求されたらすぐにそれを反映させたものを作れないとプロとは言えないと思います)。
下手に遠慮してどこが悪いのかはっきり言ってもらえなかったりするとかえって役者さんの間に不信感が募ったりします。
某売れっ子演出家の方が、「演出家は常に答えを出すことを求められている存在。たとえ自信がなくても曖昧なことを言うのは厳禁」と言っていましたが、たしかにそういう立場も大変かも。
今回の読み合わせも、できれば演出する人にも入ってほしかったです。欲を言い出したらキリがないんだけど…。