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古伊万里★新伊万里

劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です

カテゴリー「クラシック音楽」の記事一覧

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“あの曲”効果で大盛況の「トゥーランドット」

 まず最初にお詫びです。
 テンプレート変更以来、「『ぷぉ〜』になってから文字が異常に小さくなってしまって、判読できない」というご指摘を何人かの方から頂戴しました。
 Macでは普通に読めるので気がつかなかったのですが、そう言われてWindowsで確認してみたところ……たしかにこれじゃ読めない!というくらいちっちゃ〜〜い文字が…。
 大変失礼しました。が、他人様の作成したフォーマットなので、ちょっと私には直しかねます。一応、設定をいじることはできるらしいのですが、厄介そうだし、それよりは丸ごと変えたほうが簡単なので、他のものと変えてみました。
 今度からは一応Windowsでもチェックしてからあげるようにしますが、もしなにか不備がありましたらお知らせください。

 さて、本題。
 柿右衛門@弟とフィレンツェ歌劇場の「トゥーランドット」を観てきました。
 求婚者に謎かけをして、答えられないと首を斬るという残忍なお姫様のお話です。
 トゥーランドットは“世界中の男を一目で虜にするカリスマ的な美貌の持ち主”のという設定になっていますが、ここにひとつの矛盾が…。
 というのも、トゥーランドットの歌はかーなーりー重い声のソプラノでないと歌いこなせない難曲のため、強靱な喉と体力とパワーが必要で、その結果、必然的に(柿右衛門いわく)「鬼瓦系」のたくましいルックスの歌手が残ってしまうのだとか。
 ちなみに、以前宝塚で「鳳凰伝」という「トゥーランドット」をミュージカル化した作品を上演したことがありましたが、それはもちろんプッチーニの音楽ではないので、トゥーランドットは容姿優先(?)でめっぽう美しいお姫様でした。
 うーん。声と出てくる役者をべつの人にして吹き替えにするとかいう方法はないんだろうか(←ないよ)。

 で、今回のトゥーランドット歌手、アレッサンドラ・マークなんですが、定石通りかなり重量感溢れる体格で、どうも膝を痛めて欠場、いや休演するかと思われたところ、ご本人たっての希望により、車椅子で歌うことに。
 ……………ほんとに最初から最後まで座ったままでした。
 声楽をちょっとやったことがある人ならわかると思いますが、座った状態で歌うのは相当難しいです。マイクもった歌ならべつですが。
 クラシックの発声は、お腹で声を支えるので、座ったままではどうしてもふんばりがきかないし、バランスもとりにくい。ましてやトゥーランドットなんてふんばってナンボの歌です。
 まあ、それを歌い通したのはさすがトゥーランドットを十八番とするだけのことはあるなと思ったんですが、やっぱり最初から最後まで座ったままというのはどう贔屓目に見ても不自然でした。
 しかも、皇帝(トゥーランドットのパパ)役も巨大な背景に埋め込まれたような小林幸子状態で、これまた最初から最後までまったく動かずに歌っていたため、「おい、この国には誰か動けるやつはいないのか」と言いたくなるくらい変でした(皇帝は腰でも痛めてたのか?)。
 なまじ舞台装置が最近のオペラ(前衛的で抽象的な装置が多い)には珍しく具象的で豪華絢爛なものだっただけに、ちょっと異様な感じでしたね。

 今回、フィレンツェ歌劇場ではイタリアの2大巨匠(プッチーニ&ヴェルディ)の遺作ということで、「トゥーランドット」と「ファルスタッフ」を持ってきましたが、売れ行きは俄然「トゥーランドット」のほうがいいらしい。
 なぜって、そうです。もちろん荒川静香効果です。“あの曲”ですっかり有名になった「トゥーランドット」は、今やどこでも大人気。
 今度も、“あの曲”聴きたさに非オペラファンがどっと詰めかけているようでしたが(オークションでもかなりバブリーに値があがっているらしいです)、“あの曲”が登場するのは全3幕中3幕に入ってから。
 そこまで待ってるのはけっこう大変かも。
 待ちくたびれて寝ちゃうかも。
 歌のタイトルは「誰も寝てはならぬ」なんだけど。
 ……というギャグは、トリノオリンピックの開会式のときも書きましたが。

 というわけで、3幕に満を持して“あの曲”が登場した瞬間、NHKホールの場内は今までとは異質な緊張感に包まれました。
 この瞬間だけはいやでも荒川静香&イナバウアーの映像が脳裏に浮かんでしまいます。
 あの冬、日本人が唯一世界の頂点に立つという夢を見られた瞬間。その感動がこの曲には凝縮されているのですから。
 アリアが終わったときの拍手は、それまでのどの曲に送られた拍手よりも熱く、長いものでした。ていうか、後奏まだ終わってないうちから拍手してるし!
 もちろん、指揮者も日本人がこの曲に特別な思い入れがあることは重々承知しているので、本来ならストップさせるような場面ではないこの場面でわざわざいったん曲をとめ、思う存分拍手させてくれてました。
 おそるべし、荒川効果!

 柿右衛門と一緒だと、相撲協会理事長の解説付きで相撲観戦する皇族の方々のように、その場でなんでも解説を受けられてお得な気分です。
 ……と、思っていたら、後ろの席からミョーに甲高い声で柿右衛門と同じようにウンチクを語る男の声が流れてきた。
 「どこで何を観た」だの「誰が歌った」だの、という会話を延々としているんだけど、あまりにもたくさん観すぎて「いつどこで誰が何を歌ったのか」記憶が混濁してんの。
 あとで柿右衛門にその話をしたところ「あの人、オペラ観にいくと行く先々で会うよ。ちなみにあっちにいたあの人もいつも見かける」というではないですか。

 なんて狭いオタクの世界なんだ。。。。

 向こうでも柿右衛門のことを「あの男、またいるよ」とか散々言ってんだろうな。
 柿右衛門に言わせると「オペラオタクの男は声の甲高いやつが多い」のだそうです。
 皆さんのまわりではどうでしょう。  

 「トゥーランドット」の内容については、ものすごく語りたいことがたくさんあるので、そのうちにじっくり書いてHPのほうにアップします。

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・・・追記があります!

「蝶々夫人」妄想キャスティング

 今日、二期会のオペラ「蝶々夫人」(東京文化会館)を観にいってきました。
 「蝶々夫人」については、昨年、新国立劇場で上演されたものについて散々熱く語りましたが(詳細は拙著「RE>PLAY」をご覧ください)、今回は大昔から「蝶々夫人」ばかり演出しているという演出家(栗山昌良)だけあって、新国立劇場のスタイリッシュで洗練されたある意味クールな演出とは対照的。
 こっちが王道なのかもしれないけど、一言でいうと“演歌調”。情に訴えるというか、泣かせが入るというか、すんごくわかりやすい。たしかに芝居としては入り込みやすいと思いますが、1幕の終わりのラブラブデュエットシーンでドライアイスが流れてきたのには「宝塚?」と思ってしまったし、ラストの蝶々さん自害シーンで大量の桜吹雪が舞ってきたのには「風雪流れ旅? それとも近松心中物語?」と思ってしまったし、いやいやそこまでやらんでも……と思わないでもなかった。

 蝶々さんを歌った木下美穂子は、今売出し中のソプラノですが、日本人とは思えないほど迫力のあるパワフルな声で、圧倒されました。蝶々夫人って音域も広いし、表現力の幅も要求されるしで非常に体力いる役のはずなのに、最後までスタミナ切れしてないのには驚きました。まさかこんなソウルフルな蝶々さんに出会おうとは…(笑)。
 また、オケ(東フィル)が「オペラでこんなでかい音出していいの?」っていうくらいバカでかい音でとばしまくるんですが、全然その音に負けてないのにもびっくり(他の役の人は負けてましたが)。ティンパニとか、寝ていた人もとびあがるほどの大音響。ここまで力入れなくても。

 で、なにが一番書きたかったかというと、観ている最中に、脳内で「この人にやってほしい『蝶々夫人』妄想キャスト」を考えていて、我ながら「ナイスなキャスティング」が完成したもので、一言書き残そうと思いまして。
 これはあくまでも役のイメージだけでキャスティングしたものであり、歌が歌えるとか、国籍とかすべて無視です。

 蝶々さん    … 菅野 美穂
 ピンカートン  … 谷原 章介
 スズキ     … 余 貴美子
 シャープレス  … 勝野  洋
 ケイト     … 夏川 結衣
 ゴロー     … 柄本  明
 ヤマドリ    … 中尾  彬
 ボンゾ     … 財津 一郎

 
 どうでしょう。
 ピンカートンは誰がどうやってもひどい役なので、せめてイケメン度合いで相殺してもらおうということで。
 谷原さんは華岡青洲をやったときも見ようによってはひどい男を魅力的に演じていた実績があります。って、天下の華岡先生と軽薄ヤンキー男を一緒にしたら和歌山県民から怒られそうですが。まあ、海軍士官のコスプレを楽しめればとりあえず不実な男でもいいかなと。
 個人的には財津ボンゾはかなりいけてると思うんですけど。財津さんは歌もうたえるので、オペラでもミュージカルでもストレートプレイでもいけます。
 意外に最後まで浮かばなかったのはヒロインの蝶々さん役。
 菅野美穂なら可憐な1幕も悲劇的な2幕もテンション高く演じてくれそう。
 それを脇で支える余貴美子の存在感もおいしい。
 ケイトは出番の少ない辛抱役ですが、夫が異国のよくわからない小娘に産ませた子供をひきとって育てなければならないという理不尽な目に遭いながらも包容力でカバーするという役どころは夏川結衣ならいやみなくできそう。
 ちなみに、この中で一番最初に浮かんだキャスティングは柄本ゴローでした。

 「蝶々夫人」はもともとオペラよりもストレートプレイとして上演されたほうが先だし、とりあえず小説をもとに脚色し、ストレートプレイで映画化してみてはどうでしょう。オール長崎ロケで。
 泥臭く東映とか。いいと思うんだけど。
 東映さん、ご検討ください。

 あ、でも映像だとさすがにアメリカ人役を日本人がやるのは無理があるか…。

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蝶々さん三昧

 ホームページのほうにこのあいだ観たオペラ「蝶々夫人」について書いたレビューをアップしたのですが、そのあとそれを読んだ柿右衛門@弟から「蝶々夫人関連サイト」を紹介され、読んでたらますますハマッてきてしまいました。
 というわけで、ホームページに書けなかった補足を少々。

 「蝶々夫人」が実話をもとにしているという話は有名ですが、もともとはアメリカ人作家が、日本滞在経験がある姉からきいた話をもとに書いた小説を、同じくアメリカ人劇作家が舞台化。この公演が大当たりしてイギリスでも上演され、たまたまそこでそれを観たイタリア人のプッチーニがすっかり気に入って速攻オペラ化の交渉に入ったと言われています。
 つまり、実話→小説→演劇→オペラと進化をとげたわけで、これをたどっていって、どこでどういう改訂&脚色がなされたかを検証していくと、いろいろなことがわかってそりゃあおもしろいんです。

 オペラだけをとってみても、初演が大失敗(一説によると売れすぎたプッチーニに恨みや妬みを持つ者がさくらを雇って舞台を荒しまくったらしい)したことで、その後何回か改訂が重ねられており、現行版と初演版はかなり違う内容になっています。

 その違いについて語ろうと思うと一昼夜かかりそうなんですが、とりあえず一番わかりやすいところで言うと、初演はもっと日本人が醜悪に描かれ、ピンカートンの日本人蔑視もさらに強烈だったそうです。
 私が「蝶々夫人」について漠然と持っていたイメージは、「日本(=東洋人)のことをバカにしている西洋人が、自分たちの論理で勝手に書いた作品」というものだったのですが、どうやらそんな単純な話ではなかったみたいです。
 たしかに日本人はグロテスクに書かれているものの、それは単に日本人を貶めようとしているというよりも、そういう日本人を露骨にバカにして無礼なふるまいをするアメリカ人の野蛮ぶりのほうが書きたかったようなのです。
 つまり、ヨーロッパ人からみた「アメリカ人批判」って感じ?

 たしかにこのピンカートンという男は人間としてひどすぎるし、オペラ歌手の役割としてもいかがなものかという扱いです。
 改訂版でこそ、最後に「私はこの罪(蝶々さんを捨てたこと)に一生苦しむだろう」と苦悩するシーンやその苦悩を歌うアリアが書きたされましたが、初演版では領事に「これでなんとかしろ」とばかりに手切れ金を渡して「時間が解決するだろう」と人ごとのように言って歌もうたわず去っていったそうで、まさに人間失格野郎です。
 さすがに「こんな役やだ」とブーイングがきたのか、「人間最悪ならせめて歌の見せ場をよこせ」と迫られたのかはわかりませんが、しかしこのとってつけた改訂によってピンカートンのイメージがアップしたかというと、それもまた微妙です。

 というのも、口では反省らしき言葉を言っていても、「蝶々さんに顔を合わせる勇気がなくて逃げ出す」という結果的にとる行動は変わらないので、中途半端に言い訳されても「じゃあ会って謝れよ」「そもそも謝って済む問題か」「口先だけじゃないの?」「もっと早く気がつけよ」「おまえが言うな!」などさまざまなつっこみを生じさせるきっかけになっちゃうっていうか、かえって観てるほうはカチンとくると思うんですよね。
 むしろ徹底的に悪びれない人物にして「え。そうなの。ずっと待ってたの? まじで? いや、困るよ。そんなこと言われたって。だってそれルール違反でしょ。最初から日本にいるときだけのゲームだってはっきり言ってあるはずなんだから。コマドリが巣をつくるまでに帰ってくる? えー、俺、そんなこと言ったっけ? まあ言ったとしてもリップサービスだよ。本気にするほうが悪い。とにかく俺のせいじゃないよ。ちゃんと彼女に事情を説明しなかった女衒のゴローが悪い。迷惑なんだよ。今さら子供とか出されても。いや。わかったよ。ひきとるよ。子供はひきとる。育てりゃいいんだろ。うちのやつに育てさせるから。だからもうこの件はこれで勘弁してよ」……って感じで開き直ってくれたほうがまだ人物像として理解できるし、ここまでくるとつっこむ気も失せるのではないでしょうか。たしかにこれはこれで筋は通ってるし。
 もっとも、ピンカートンのキャラはもともとそんなクレバーではなく、つっこみどころ満載の田舎くさい軽薄な男だからこの話が成り立ってるとも言えますが。
 ピンカートンがクールな遊び人だったら、蝶々さんの悲劇のニュアンスもぐっと変わっていたかもしれないですね。

 とにかく、全体的に初演版のほうがよくも悪くも強烈で、異文化の対立や摩擦がくっきり出ていたみたいですね。
 それが改訂を重ねているうちに皆ちょっとずつものわかりのいい人になっていき、対立も薄くなっていったということみたいです。
 そう言われると初演版も観てみたくなっちゃいますよね。
 どんなんだろう。初演版。内館ドラマみたいなのかなー。

 船の入港を知らせる大砲の音を聞いて歓喜し、庭じゅうの花を刈り取って部屋にまき散らす蝶々さん。
 しかし、一晩たっても夫は訪ねてこない。
 花の残骸がその残酷な事実をまざまざと彼女に見せつける。
 花を見ているうちに蝶々さんの中で何かがキレる。
 やにわに花をわしづかみにした蝶々さん、鬼気せまる形相でむしゃむしゃと花にかぶりつき、

 「うふふ。見たくないから食べちゃう…」

 はい。すいません。「汚れた舌」を見ていた人にしかわからない内輪ネタでした。
 最近は、初演版の復活公演も時々あるらしいので、機会があったらぜひそちらも鑑賞しして「内館ワールドヴァージョン」を楽しみたいと思っております。

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プロフィール

HN:
伊万里
性別:
女性
職業:
劇作家・ライター
趣味:
旅行 骨董 庭仕事

著作



「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」

Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!

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