古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
蝶々さん三昧
ホームページのほうにこのあいだ観たオペラ「蝶々夫人」について書いたレビューをアップしたのですが、そのあとそれを読んだ柿右衛門@弟から「蝶々夫人関連サイト」を紹介され、読んでたらますますハマッてきてしまいました。
というわけで、ホームページに書けなかった補足を少々。
「蝶々夫人」が実話をもとにしているという話は有名ですが、もともとはアメリカ人作家が、日本滞在経験がある姉からきいた話をもとに書いた小説を、同じくアメリカ人劇作家が舞台化。この公演が大当たりしてイギリスでも上演され、たまたまそこでそれを観たイタリア人のプッチーニがすっかり気に入って速攻オペラ化の交渉に入ったと言われています。
つまり、実話→小説→演劇→オペラと進化をとげたわけで、これをたどっていって、どこでどういう改訂&脚色がなされたかを検証していくと、いろいろなことがわかってそりゃあおもしろいんです。
オペラだけをとってみても、初演が大失敗(一説によると売れすぎたプッチーニに恨みや妬みを持つ者がさくらを雇って舞台を荒しまくったらしい)したことで、その後何回か改訂が重ねられており、現行版と初演版はかなり違う内容になっています。
その違いについて語ろうと思うと一昼夜かかりそうなんですが、とりあえず一番わかりやすいところで言うと、初演はもっと日本人が醜悪に描かれ、ピンカートンの日本人蔑視もさらに強烈だったそうです。
私が「蝶々夫人」について漠然と持っていたイメージは、「日本(=東洋人)のことをバカにしている西洋人が、自分たちの論理で勝手に書いた作品」というものだったのですが、どうやらそんな単純な話ではなかったみたいです。
たしかに日本人はグロテスクに書かれているものの、それは単に日本人を貶めようとしているというよりも、そういう日本人を露骨にバカにして無礼なふるまいをするアメリカ人の野蛮ぶりのほうが書きたかったようなのです。
つまり、ヨーロッパ人からみた「アメリカ人批判」って感じ?
たしかにこのピンカートンという男は人間としてひどすぎるし、オペラ歌手の役割としてもいかがなものかという扱いです。
改訂版でこそ、最後に「私はこの罪(蝶々さんを捨てたこと)に一生苦しむだろう」と苦悩するシーンやその苦悩を歌うアリアが書きたされましたが、初演版では領事に「これでなんとかしろ」とばかりに手切れ金を渡して「時間が解決するだろう」と人ごとのように言って歌もうたわず去っていったそうで、まさに人間失格野郎です。
さすがに「こんな役やだ」とブーイングがきたのか、「人間最悪ならせめて歌の見せ場をよこせ」と迫られたのかはわかりませんが、しかしこのとってつけた改訂によってピンカートンのイメージがアップしたかというと、それもまた微妙です。
というのも、口では反省らしき言葉を言っていても、「蝶々さんに顔を合わせる勇気がなくて逃げ出す」という結果的にとる行動は変わらないので、中途半端に言い訳されても「じゃあ会って謝れよ」「そもそも謝って済む問題か」「口先だけじゃないの?」「もっと早く気がつけよ」「おまえが言うな!」などさまざまなつっこみを生じさせるきっかけになっちゃうっていうか、かえって観てるほうはカチンとくると思うんですよね。
むしろ徹底的に悪びれない人物にして「え。そうなの。ずっと待ってたの? まじで? いや、困るよ。そんなこと言われたって。だってそれルール違反でしょ。最初から日本にいるときだけのゲームだってはっきり言ってあるはずなんだから。コマドリが巣をつくるまでに帰ってくる? えー、俺、そんなこと言ったっけ? まあ言ったとしてもリップサービスだよ。本気にするほうが悪い。とにかく俺のせいじゃないよ。ちゃんと彼女に事情を説明しなかった女衒のゴローが悪い。迷惑なんだよ。今さら子供とか出されても。いや。わかったよ。ひきとるよ。子供はひきとる。育てりゃいいんだろ。うちのやつに育てさせるから。だからもうこの件はこれで勘弁してよ」……って感じで開き直ってくれたほうがまだ人物像として理解できるし、ここまでくるとつっこむ気も失せるのではないでしょうか。たしかにこれはこれで筋は通ってるし。
もっとも、ピンカートンのキャラはもともとそんなクレバーではなく、つっこみどころ満載の田舎くさい軽薄な男だからこの話が成り立ってるとも言えますが。
ピンカートンがクールな遊び人だったら、蝶々さんの悲劇のニュアンスもぐっと変わっていたかもしれないですね。
とにかく、全体的に初演版のほうがよくも悪くも強烈で、異文化の対立や摩擦がくっきり出ていたみたいですね。
それが改訂を重ねているうちに皆ちょっとずつものわかりのいい人になっていき、対立も薄くなっていったということみたいです。
そう言われると初演版も観てみたくなっちゃいますよね。
どんなんだろう。初演版。内館ドラマみたいなのかなー。
船の入港を知らせる大砲の音を聞いて歓喜し、庭じゅうの花を刈り取って部屋にまき散らす蝶々さん。
しかし、一晩たっても夫は訪ねてこない。
花の残骸がその残酷な事実をまざまざと彼女に見せつける。
花を見ているうちに蝶々さんの中で何かがキレる。
やにわに花をわしづかみにした蝶々さん、鬼気せまる形相でむしゃむしゃと花にかぶりつき、
「うふふ。見たくないから食べちゃう…」
はい。すいません。「汚れた舌」を見ていた人にしかわからない内輪ネタでした。
最近は、初演版の復活公演も時々あるらしいので、機会があったらぜひそちらも鑑賞しして「内館ワールドヴァージョン」を楽しみたいと思っております。
というわけで、ホームページに書けなかった補足を少々。
「蝶々夫人」が実話をもとにしているという話は有名ですが、もともとはアメリカ人作家が、日本滞在経験がある姉からきいた話をもとに書いた小説を、同じくアメリカ人劇作家が舞台化。この公演が大当たりしてイギリスでも上演され、たまたまそこでそれを観たイタリア人のプッチーニがすっかり気に入って速攻オペラ化の交渉に入ったと言われています。
つまり、実話→小説→演劇→オペラと進化をとげたわけで、これをたどっていって、どこでどういう改訂&脚色がなされたかを検証していくと、いろいろなことがわかってそりゃあおもしろいんです。
オペラだけをとってみても、初演が大失敗(一説によると売れすぎたプッチーニに恨みや妬みを持つ者がさくらを雇って舞台を荒しまくったらしい)したことで、その後何回か改訂が重ねられており、現行版と初演版はかなり違う内容になっています。
その違いについて語ろうと思うと一昼夜かかりそうなんですが、とりあえず一番わかりやすいところで言うと、初演はもっと日本人が醜悪に描かれ、ピンカートンの日本人蔑視もさらに強烈だったそうです。
私が「蝶々夫人」について漠然と持っていたイメージは、「日本(=東洋人)のことをバカにしている西洋人が、自分たちの論理で勝手に書いた作品」というものだったのですが、どうやらそんな単純な話ではなかったみたいです。
たしかに日本人はグロテスクに書かれているものの、それは単に日本人を貶めようとしているというよりも、そういう日本人を露骨にバカにして無礼なふるまいをするアメリカ人の野蛮ぶりのほうが書きたかったようなのです。
つまり、ヨーロッパ人からみた「アメリカ人批判」って感じ?
たしかにこのピンカートンという男は人間としてひどすぎるし、オペラ歌手の役割としてもいかがなものかという扱いです。
改訂版でこそ、最後に「私はこの罪(蝶々さんを捨てたこと)に一生苦しむだろう」と苦悩するシーンやその苦悩を歌うアリアが書きたされましたが、初演版では領事に「これでなんとかしろ」とばかりに手切れ金を渡して「時間が解決するだろう」と人ごとのように言って歌もうたわず去っていったそうで、まさに人間失格野郎です。
さすがに「こんな役やだ」とブーイングがきたのか、「人間最悪ならせめて歌の見せ場をよこせ」と迫られたのかはわかりませんが、しかしこのとってつけた改訂によってピンカートンのイメージがアップしたかというと、それもまた微妙です。
というのも、口では反省らしき言葉を言っていても、「蝶々さんに顔を合わせる勇気がなくて逃げ出す」という結果的にとる行動は変わらないので、中途半端に言い訳されても「じゃあ会って謝れよ」「そもそも謝って済む問題か」「口先だけじゃないの?」「もっと早く気がつけよ」「おまえが言うな!」などさまざまなつっこみを生じさせるきっかけになっちゃうっていうか、かえって観てるほうはカチンとくると思うんですよね。
むしろ徹底的に悪びれない人物にして「え。そうなの。ずっと待ってたの? まじで? いや、困るよ。そんなこと言われたって。だってそれルール違反でしょ。最初から日本にいるときだけのゲームだってはっきり言ってあるはずなんだから。コマドリが巣をつくるまでに帰ってくる? えー、俺、そんなこと言ったっけ? まあ言ったとしてもリップサービスだよ。本気にするほうが悪い。とにかく俺のせいじゃないよ。ちゃんと彼女に事情を説明しなかった女衒のゴローが悪い。迷惑なんだよ。今さら子供とか出されても。いや。わかったよ。ひきとるよ。子供はひきとる。育てりゃいいんだろ。うちのやつに育てさせるから。だからもうこの件はこれで勘弁してよ」……って感じで開き直ってくれたほうがまだ人物像として理解できるし、ここまでくるとつっこむ気も失せるのではないでしょうか。たしかにこれはこれで筋は通ってるし。
もっとも、ピンカートンのキャラはもともとそんなクレバーではなく、つっこみどころ満載の田舎くさい軽薄な男だからこの話が成り立ってるとも言えますが。
ピンカートンがクールな遊び人だったら、蝶々さんの悲劇のニュアンスもぐっと変わっていたかもしれないですね。
とにかく、全体的に初演版のほうがよくも悪くも強烈で、異文化の対立や摩擦がくっきり出ていたみたいですね。
それが改訂を重ねているうちに皆ちょっとずつものわかりのいい人になっていき、対立も薄くなっていったということみたいです。
そう言われると初演版も観てみたくなっちゃいますよね。
どんなんだろう。初演版。内館ドラマみたいなのかなー。
船の入港を知らせる大砲の音を聞いて歓喜し、庭じゅうの花を刈り取って部屋にまき散らす蝶々さん。
しかし、一晩たっても夫は訪ねてこない。
花の残骸がその残酷な事実をまざまざと彼女に見せつける。
花を見ているうちに蝶々さんの中で何かがキレる。
やにわに花をわしづかみにした蝶々さん、鬼気せまる形相でむしゃむしゃと花にかぶりつき、
「うふふ。見たくないから食べちゃう…」
はい。すいません。「汚れた舌」を見ていた人にしかわからない内輪ネタでした。
最近は、初演版の復活公演も時々あるらしいので、機会があったらぜひそちらも鑑賞しして「内館ワールドヴァージョン」を楽しみたいと思っております。
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
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