古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
整理整頓の極意
私が苦手とする多くの事柄のなかで間違いなくベスト(ワースト?)3に入るだろうものに「掃除」があります。「掃除」っていうか、「整理整頓」ね。まあ、整頓されてない部屋は掃除もできないので同じことだけど。
世の中には掃除ができないことや料理ができないことを「それがなにか?」って感じで開き直る人がいますが、私は男女を問わず家事能力の低い人に対し、不当なほど厳しい評価をくだす人間なので、自分が掃除できないことも許せない汚点なんです。そう思っているとは思われてないようですが。
で、これでも今まで何度も克服しようと努力してきたんですが、掃除ってちゃんとやってないとペナルティーが蓄積されていく一方なので、常にマイナスからのスタートになる。ゼロから勝負しても自信がないのに、マイナスからとなったらもうお手上げ。のっけから戦意喪失です。
でもここで開き直ったらおしまいです。私はオトナなので、「気合いでやる」とか根拠のない手段でつっぱしるのではなく、頭脳を使って考えてみました。
もちろん、整理整頓掃除は体を使ってやるものですが、考えなしにただ闇雲に動いても体力はすぐに尽き、そのわりには見た目も変わらず、達成感も味わえないまま、敗北感だけをかみしめる結果になります。
無尽蔵に気力・体力・清掃意欲があるわけではないので、あらかじめ「自分はなぜいつも掃除に失敗するのか」という敗因を冷静に分析したうえで、目標をさだめて効率的に動かなくてはなりません。
やー、ここまで読むと私ってすごい掃除できそうですよね。理論だけなら。
整理整頓が苦手な人が必ずといっていいほどできないことは、「1)ものを捨てる」「2)使ったものをすぐに元の位置に戻す」「3)ものを重ねて置かない」の3つです。
掃除得意な人に言わせると「これだけのことをやっていれば自然にきれいになるはず」とのことですが、これだけのことが掃除嫌いの人間にとってはどんなにつらいことか…。
2)と3)については、すでに散らかっていて、スペースがないことによって起こる現象なので、根本原因は1)に尽きるでしょう。
ものを捨てられるかどうかは、その人の性格に起因しているので、これを変えるのは容易ではありません。それができれば苦労はしないってやつです。
でもここであきらめては話が先に進まないので、私、考えてみました。
「なぜ捨てるかどうかの判別作業にこんなに時間がかかるのか」
で、わかったんです。
自分が書いた文章を残してはいけない。
ということを。
判別作業で最も時間をくうのは、「昔自分が書いた文章を発見したとき」です。
当然、そこでまず読みふけってしまいます。
「へえー。こんなこと思ってたんだ。私って」などと思いながら、「これを捨てるべきかとっておくべきか」を反芻します。
まあ反芻した時点で負けというか、そのときの答えはあらかた決まっています。
「ま、とりあえずとっておこう」
こうして一度発掘した化石はまた元の位置に埋められ、次の発掘までそこに眠ることになります。
もうおわかりですね。
これは掃除のときにしか人目にふれることはない過去の遺物なのです。
元通り埋められた化石は、次に掘り出されたとき、再び「ん? これ、なんだろう」と読み返されることになります。
で、「へえー。こんなこと思ってたんだ。私って」などと思いながら以下同文…。
早送りにしてみると、じつにバカバカしい図です。
自分で書いたものを掘っては埋め、掘っては埋め、掘り出すたびに同じリアクションして、それに費やされる時間が掃除の中の大半を占めているわけですから。
「なんだろう、これ」って忘れてるくらいのものなら捨てろよ>自分
というつっこみは何百万回してるんですが、無駄でした。
「そこに山があるから登る」と言った登山家がいましたが、「そこに文があるから読む」というのは自然の摂理。
つまり、最初から自分の書いたものを残さなければいいんです。
登山家も山がなければ登るまい。
自分が書いたものでないもの、たとえば領収書のたぐいとか、写真とか、そういうものだったら少なくとも読みふけるという時間は生じないため、整理整頓にかかる時間とエネルギーはぐっと短縮できます。
とはいうものの、私は日々文章を書くのが商売。
自分の書いたものを全部捨てるわけにはいきません(それができたらどんなにすっきりすることか…)。
でも、ものを整理するときに、「自分の書いた文章」を優先的に廃棄物の対象にするようにすれば、少しは事態の効率化を図れるかもしれません。
ひとつ文章を捨てれば、それにまつわる次の発掘時の「ん? これ、なんだろう。へえー。こんなこと思ってたんだ。私って」、次の次の発掘時の「ん? これ、なんだろう。へえー。(以下同文)」、といった未来の長きにわたる無意味なリフレインを避けることができます。
前置きが長くなりましたが、梅雨どきというのは風水上でも「陰」の気がたまりやすいときで、特に部屋をきれいにしなければいけない時期なのだそうです。
そのため、この数年、私は梅雨どきに一番気合いを入れて整理整頓をするようにしているのですが、今年は上記のことを念頭におきつつ、整理整頓を始めてみました。
ところが……なんか今年は違うんですね。
捨てるのがそんなに苦じゃないの。
ていうか、昔の自分の文章読んだら恥ずかしくて片端から捨てたくなった。
なんでこんなものとっておいたんだろう……。
中でもショックだったのは、小学校3年のときに書かれた作文です。
タイトルは「私のお父さん」。まあ、小学生の作文テーマとしては王道ですね。
私の父は音楽関係の教職関係が仕事です。
なので、日曜には家で生徒さんのレッスンがあり、一番忙しい。
他のうちの子供のように、日曜にはお父さんにどこかに遊びに連れていってもらったというような記憶はほとんどありません。
作文ではまずそのことが書かれています。
しかし問題はその次。
私はそのような状況をさびしいなーと思いつつも、「でもね、パパのことも考えてあげなきゃ。パパもいろいろ大変だと思うの。だから私は平気!」みたいなことを語っているんですよ。
なんていやなガキなんだ! おめえはよぉおお
正直、これは絶対本心ではないと思います。本人が言うんだから間違いない。
というのも、子供時代の私は、本好きの頭でっかちの少女で、本さえ与えておけば一昼夜放っておかれても平気なくらいまわりに無関心でいられたからです。
よそのうちの子は遊びに連れていってもらってうらやましいな、なんて、そりゃあちょっとくらいは思ったかもしれないけど、そこまで真剣にうらやましいとは思わなかったし、ましてや父親の仕事の苦労を思いやったことなどあるはずもない。
この作文はあきらかにフィクションです。
自分を悲劇のヒロインにしたてあげ、なおかつ「こう書けば先生にうける」と思って色をつけたフシが見え見えです。
私が思うに、このときの私の心境は「アタックNO.1」。
「♪苦しくったって〜、悲しくったって〜」
と、苦境に耐えるかわいそうな子供を演出してみせて、相手がそのけなげさに同情したところで、
「だけど、涙がでちゃう。女の子だもん」
と、ちょっぴり本音の弱音を吐いてみせる。
子供時代の私の作文は、どれもそういう「やらせ」の匂いがします。
といっても、すごく冷めていて、「ふん。大人なんてこういうふうに書いておけば喜ぶんでしょ」と計算しながら書いたというのとも違う。
自分の作ったストーリーの中に入り込み、その中の論理でのみ書いているから、書いているときは本当にそう思ってると思ってるんですよ。
そこがキモい。
もちろん、この作文は速攻捨てました。あと絵日記も。
ここまで古くなくても、中学時代、高校時代の作文も読んでていやな気分になりました。
どれもこれも「おまえ、何様だよ!」と言いたくなるような内容で。
まあ、今でもそんなに謙虚な文章書いてるとは思わないけど、今はリアルタイムだからいい。
昔のあんたに説教されたくないんだよ!
こうして自分の精神史(?)が目の前に繰り広げられると、「こんなものがこの世にある限り、私は死ぬに死ねない」とか思ってしまいます。
作文の原本を卒業時に返却してくれた学校に心から感謝したいです。
繰り返しますが、なぜ、今までこれを目にしても捨てる気分にならなかったのかが不思議。
と思うと、昨日までの自分も敵のような気がしてきます。
そんなわけで、今回の整理整頓は、けっこう私にしてははかどったほうだと思うのですが、捨てたものの量より、収納のために注文した文房具の量のほうが多いような気が……という問題については……明日考えましょう!
世の中には掃除ができないことや料理ができないことを「それがなにか?」って感じで開き直る人がいますが、私は男女を問わず家事能力の低い人に対し、不当なほど厳しい評価をくだす人間なので、自分が掃除できないことも許せない汚点なんです。そう思っているとは思われてないようですが。
で、これでも今まで何度も克服しようと努力してきたんですが、掃除ってちゃんとやってないとペナルティーが蓄積されていく一方なので、常にマイナスからのスタートになる。ゼロから勝負しても自信がないのに、マイナスからとなったらもうお手上げ。のっけから戦意喪失です。
でもここで開き直ったらおしまいです。私はオトナなので、「気合いでやる」とか根拠のない手段でつっぱしるのではなく、頭脳を使って考えてみました。
もちろん、整理整頓掃除は体を使ってやるものですが、考えなしにただ闇雲に動いても体力はすぐに尽き、そのわりには見た目も変わらず、達成感も味わえないまま、敗北感だけをかみしめる結果になります。
無尽蔵に気力・体力・清掃意欲があるわけではないので、あらかじめ「自分はなぜいつも掃除に失敗するのか」という敗因を冷静に分析したうえで、目標をさだめて効率的に動かなくてはなりません。
やー、ここまで読むと私ってすごい掃除できそうですよね。理論だけなら。
整理整頓が苦手な人が必ずといっていいほどできないことは、「1)ものを捨てる」「2)使ったものをすぐに元の位置に戻す」「3)ものを重ねて置かない」の3つです。
掃除得意な人に言わせると「これだけのことをやっていれば自然にきれいになるはず」とのことですが、これだけのことが掃除嫌いの人間にとってはどんなにつらいことか…。
2)と3)については、すでに散らかっていて、スペースがないことによって起こる現象なので、根本原因は1)に尽きるでしょう。
ものを捨てられるかどうかは、その人の性格に起因しているので、これを変えるのは容易ではありません。それができれば苦労はしないってやつです。
でもここであきらめては話が先に進まないので、私、考えてみました。
「なぜ捨てるかどうかの判別作業にこんなに時間がかかるのか」
で、わかったんです。
自分が書いた文章を残してはいけない。
ということを。
判別作業で最も時間をくうのは、「昔自分が書いた文章を発見したとき」です。
当然、そこでまず読みふけってしまいます。
「へえー。こんなこと思ってたんだ。私って」などと思いながら、「これを捨てるべきかとっておくべきか」を反芻します。
まあ反芻した時点で負けというか、そのときの答えはあらかた決まっています。
「ま、とりあえずとっておこう」
こうして一度発掘した化石はまた元の位置に埋められ、次の発掘までそこに眠ることになります。
もうおわかりですね。
これは掃除のときにしか人目にふれることはない過去の遺物なのです。
元通り埋められた化石は、次に掘り出されたとき、再び「ん? これ、なんだろう」と読み返されることになります。
で、「へえー。こんなこと思ってたんだ。私って」などと思いながら以下同文…。
早送りにしてみると、じつにバカバカしい図です。
自分で書いたものを掘っては埋め、掘っては埋め、掘り出すたびに同じリアクションして、それに費やされる時間が掃除の中の大半を占めているわけですから。
「なんだろう、これ」って忘れてるくらいのものなら捨てろよ>自分
というつっこみは何百万回してるんですが、無駄でした。
「そこに山があるから登る」と言った登山家がいましたが、「そこに文があるから読む」というのは自然の摂理。
つまり、最初から自分の書いたものを残さなければいいんです。
登山家も山がなければ登るまい。
自分が書いたものでないもの、たとえば領収書のたぐいとか、写真とか、そういうものだったら少なくとも読みふけるという時間は生じないため、整理整頓にかかる時間とエネルギーはぐっと短縮できます。
とはいうものの、私は日々文章を書くのが商売。
自分の書いたものを全部捨てるわけにはいきません(それができたらどんなにすっきりすることか…)。
でも、ものを整理するときに、「自分の書いた文章」を優先的に廃棄物の対象にするようにすれば、少しは事態の効率化を図れるかもしれません。
ひとつ文章を捨てれば、それにまつわる次の発掘時の「ん? これ、なんだろう。へえー。こんなこと思ってたんだ。私って」、次の次の発掘時の「ん? これ、なんだろう。へえー。(以下同文)」、といった未来の長きにわたる無意味なリフレインを避けることができます。
前置きが長くなりましたが、梅雨どきというのは風水上でも「陰」の気がたまりやすいときで、特に部屋をきれいにしなければいけない時期なのだそうです。
そのため、この数年、私は梅雨どきに一番気合いを入れて整理整頓をするようにしているのですが、今年は上記のことを念頭におきつつ、整理整頓を始めてみました。
ところが……なんか今年は違うんですね。
捨てるのがそんなに苦じゃないの。
ていうか、昔の自分の文章読んだら恥ずかしくて片端から捨てたくなった。
なんでこんなものとっておいたんだろう……。
中でもショックだったのは、小学校3年のときに書かれた作文です。
タイトルは「私のお父さん」。まあ、小学生の作文テーマとしては王道ですね。
私の父は音楽関係の教職関係が仕事です。
なので、日曜には家で生徒さんのレッスンがあり、一番忙しい。
他のうちの子供のように、日曜にはお父さんにどこかに遊びに連れていってもらったというような記憶はほとんどありません。
作文ではまずそのことが書かれています。
しかし問題はその次。
私はそのような状況をさびしいなーと思いつつも、「でもね、パパのことも考えてあげなきゃ。パパもいろいろ大変だと思うの。だから私は平気!」みたいなことを語っているんですよ。
なんていやなガキなんだ! おめえはよぉおお
正直、これは絶対本心ではないと思います。本人が言うんだから間違いない。
というのも、子供時代の私は、本好きの頭でっかちの少女で、本さえ与えておけば一昼夜放っておかれても平気なくらいまわりに無関心でいられたからです。
よそのうちの子は遊びに連れていってもらってうらやましいな、なんて、そりゃあちょっとくらいは思ったかもしれないけど、そこまで真剣にうらやましいとは思わなかったし、ましてや父親の仕事の苦労を思いやったことなどあるはずもない。
この作文はあきらかにフィクションです。
自分を悲劇のヒロインにしたてあげ、なおかつ「こう書けば先生にうける」と思って色をつけたフシが見え見えです。
私が思うに、このときの私の心境は「アタックNO.1」。
「♪苦しくったって〜、悲しくったって〜」
と、苦境に耐えるかわいそうな子供を演出してみせて、相手がそのけなげさに同情したところで、
「だけど、涙がでちゃう。女の子だもん」
と、ちょっぴり本音の弱音を吐いてみせる。
子供時代の私の作文は、どれもそういう「やらせ」の匂いがします。
といっても、すごく冷めていて、「ふん。大人なんてこういうふうに書いておけば喜ぶんでしょ」と計算しながら書いたというのとも違う。
自分の作ったストーリーの中に入り込み、その中の論理でのみ書いているから、書いているときは本当にそう思ってると思ってるんですよ。
そこがキモい。
もちろん、この作文は速攻捨てました。あと絵日記も。
ここまで古くなくても、中学時代、高校時代の作文も読んでていやな気分になりました。
どれもこれも「おまえ、何様だよ!」と言いたくなるような内容で。
まあ、今でもそんなに謙虚な文章書いてるとは思わないけど、今はリアルタイムだからいい。
昔のあんたに説教されたくないんだよ!
こうして自分の精神史(?)が目の前に繰り広げられると、「こんなものがこの世にある限り、私は死ぬに死ねない」とか思ってしまいます。
作文の原本を卒業時に返却してくれた学校に心から感謝したいです。
繰り返しますが、なぜ、今までこれを目にしても捨てる気分にならなかったのかが不思議。
と思うと、昨日までの自分も敵のような気がしてきます。
そんなわけで、今回の整理整頓は、けっこう私にしてははかどったほうだと思うのですが、捨てたものの量より、収納のために注文した文房具の量のほうが多いような気が……という問題については……明日考えましょう!
PR
この記事へのトラックバック
トラックバックURL
カウンタ
カレンダー
プロフィール
最新記事
(02/28)
(11/19)
(08/28)
(07/23)
(02/03)
最新コメント
(04/23)
(08/29)
(08/28)
(08/28)
(07/24)
(07/24)
(07/24)
(07/24)
(05/27)
(05/26)
カテゴリー
著作
「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
最古記事
(01/01)
(01/01)
(01/02)
(01/03)
(01/05)
この記事へのコメント
芸人の神様?!
でも小学生の頃ってみんなヒロイズム?ヒロインニズム?チックなとこありませんでした?
なんか健気で悲劇な主人公って童話にも多いし。自分のこと可哀相ぶりたい!病。
おたふくと水疱瘡と合わせて子供の三大病でございます。
しかし「ウケ」を狙って書かれているあたりに才能が伺えます。
当時から観客(読み手)を意識して書かれていたとは!
私も昔のらくがき帳・ネタ帳処分は、死ぬまでにしたい10のことのうちの確実にNo1に輝いております。
友人で本棚丸ごと燃やさないと死ねない!という子もいました。何読んでんだあんた。
そいでもって、恥ずかしすぎて逆に鮮明に覚えているので、掃除の時にすら読み返せません。じゃあ捨てろよ!って感じなんですけど。ネタ帳は意外と使えたりもしたり。二年前くらいのネタ帳読み返して、アンガールズと猫ひろしの名前に売れるチェック入ってるの発見した時は、自分は芸人の神様かと思いました。全然役に立たないけどー。。
先生にはスルーされましたが
でも当の先生からはノーコメント。
あまりの「くささ」に「おまえは大映ドラマか。百恵ちゃんか」とひいてしまったのかもしれません。
>自分のこと可哀相ぶりたい!病
ありますね。可哀想ぶりたい病。
あと「私のこと誰もわかってくれない」「私って理解されにくい損な性格?」「私は特別オンリーワン」っていうの、20代前半にピークがあります。
って、ベビ次さんはそこにいるんでしたっけ。すいません。
過ぎてみれば自分が思ってるほどまわりは自分に興味もっちゃいないってことがわかるんですけどね。
>アンガールズと猫ひろしの名前に売れるチェック入ってるの発見
アンガールズって2年前から活動してたんですか?
それすらびっくりっていうくらいお笑いにうとい自分ですが、ベビ次さん、その才能は生かさない手はないですよ。
ぜひ才能発掘のプロデューサー業に点心、いや転身を!
皆、受け狙ってたみたいです
「リング2」(フカキョンが出ているヤツ)を映画館で観て、思わず笑ってしまいました。
怖すぎて笑ったのではなく……。演出効果が音や視覚効果だけでビビらせようとする演出サイドの思惑にまんまと嵌っている子供達の恐がり方が面白かったのです。
あの作品はややハリウッド寄りなのでしょうか。ハリウッド版は観ていません。
私の周囲は客観タイプが主流でした
私のまわりの人の作文は、事実だけを並べて自分の感想とか感情を入れないスタイルが多かったので、「こういうのならあとから見ても恥ずかしくないよな」と正しい作文の書き方を今さらながら学習しました(もう遅いけど)。
ちなみに、私の作文は先生にウケたことはまったくありません。
多分、先生ウケするのは「子供らしさ」のあるものだと思うのですが、私の作文は「どこかで見たような大人の文章のパクリ」が散見されて「子供らしさ」を装いながらも鼻につく部分が多かったようです。
中学・高校に入ってからは一転して自分の書きたいように書くようになりましたが、この時期は本心を書けば書くほど先生にウケないことがわかり、作文コンクールで賞をとる生徒の文章を読んでは「こんな作文とても書けない…」と圧倒されていました。
片づけられない人の行動例
学生時代、友人に「Keep your desk clean!」なんていう張り紙を机に貼られた経験を持つ私。
今でこそ目に見えるところはなんとか片付けてありますが、ひとたび戸棚をあけようものなら雪崩れです。
とくに台所はひどくって、タッパーを収納してある棚は5ミリぐらいあけて、なだれを片手で阻止しないと開けられません。
どうして、こうなんだろう・・って自己嫌悪にかられておりますが、先日なにかの本で「なるほどー!」と思うことがありました。曰く、
「片付けられない人は、ひとつのことに集中できない」
たとえば、自分のことにおきかえてみると;
1.寝るときに読んでいた本を片付けようと、寝室を出る。
2.すると玄関に着払い宅急便をうけとったときの財布が
おきっぱなしになっているのを発見。これはやばいと
とりあえず、本を置いて、財布を片付けようと思う。
3.財布を持ってリビングに向かうと、だーいすきな炭酸飲料が
飲みかけのままほおってあるのを発見。
「いやだー。炭酸抜けちゃうじゃないの」と思ってふたを探す。
(財布はとりあえず食卓の上に置く)
だれがけっとばしたんだか、ソファーの下で発見。
4.ソファーの下は魔窟。いろんなものがひそんでいる。
なくした、と思っていたリップブラシを発見。
「よかったー、新しいの買わなくって」と思いながら鏡台
に向かう。
5.鏡台に向かうとき、廊下の収納からちょろっと紐が出ているのを
発見・・・・・・・・・・・・・・・・。
エンドレス。
どう? 覚えない? 私だけ?
紐の正体が気になるよ
特に「魔窟」は言い得て妙で爆笑です。ありますよねー、「魔窟」。あちこちに。インディ・ジョーンズが出てきそうな(←あれは魔宮)。
なんかほとんど「わらしべ長者」状態ですね。ずっとつなげてったらすごろくが作れちゃいそう。仕掛けがいっぱいあって楽しそうだぞ>萩乃月家
ていうか、冷静に考えれば自分で仕掛けて自分でハマッてるわけでそれも情けないですけど。
でもとりあえず最初のスタートまでさかのぼれるあなたはえらい!
ちなみに「廊下の収納からちょろっと出ていた紐」の正体はなんだったんですか?
気になるところで幕をおろさないでください。。。
完結編
ここで、また私の性格なんですが、ああいう紐って使い始め、どこから出すのかがいつもわからなくて、とりあえず真ん中からやみくもに「えいや!」と引っ張ってみると、なんだか紐の塊がどどっって出てきちゃうって経験ありませんか?
え?私だけ?まあいいや、とにかくそうやって無駄にいっぱいひっぱりだしちゃった紐を無理やり押し込んで、そのまま戸棚にしまっていたところ、いつのまにか、紐が反旗を翻し、「おまえな、引っ張り出したんだからちゃんと使わんかい!」とお外までお出ましになってたんですね。
とにかくその紐が目に付いちゃって
6.あ、そうだ古新聞ずいぶんたまっているなー。ついでにしばっちゃお!
と、玄関につんである新聞へと向かう・・・。
で、玄関に置き去りにされた本に気がつく・・。とつながったわけです。
あ、やっぱり実話ってわかっちゃいました?
これを読んでた萩乃月夫は、最初私が書いているとは気がつかず、「伊万里さんもおまえと同じような性格なんだなー。類友ってよくいったもんだ」と感心していたの。
ごめん、同類にして>伊万里さん。
オチまで読めて安心
ちゃんと振り出しに戻るんだ。輪舞曲(ロンド)形式なのね。
オチまで読めて安心しました。
> ごめん、同類にして>伊万里さん。
えーーー。私、まずは萩乃月さんよりは上位にランクインすることが目標なんだけどなー(笑)。
まー、世の中の人間を大きく2種類に分けたら同類に入るっていうくらいでどうでしょう。
月夫さんにはくれぐれも私の話じゃなくて萩乃月さんの話だと言い訳しておいてくださいよー。
頼みますよ。うちには魔窟なんてありませんからねー(笑)。