古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
母の言葉が届いた日
- 2010/04/19 (Mon)
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長らくのご無沙汰です…という挨拶ももう何度目かという感じですが、またまた久しぶりの更新です。
さる4月10日に、女声合唱団コーロ・ヴィータの演奏会が開催されました。
コーロ・ヴィータは私の両親が作った合唱団で、今年の4月でちょうど設立10周年を迎えます(コーロ・ヴィータの詳細については この記事をご覧ください)。
今回は5回目の演奏会となりますが、10周年ということで、浜離宮朝日ホールで盛大に記念コンサートを行う予定で1年半前から準備を進めてきました。
ところが、団の代表だった母が本番の5ヶ月前に急逝したため、追悼コンサートも兼ねることになってしまいました。
もちろん、私も毎回プログラム制作や当日の現場の仕切りなどで手伝いをしてはいましたが、なんといっても母を中心にまとまっていた合唱団ですし、お客の動員も母に頼っていたところがあるので、母を失ったことは家族にとってはもちろんのこと、合唱団にとっても大きな打撃でした。
一時は「もうとても歌う気になれない」と練習に出てこなくなる方もいらっしゃったりして、「こんな調子で本当に本番を迎えられるのか?」…とかなり不安な状態でした。
それでも、このまま演奏会がつぶれてしまったら誰よりも母が一番悲しむーーそういう思いで、自分が悲しむより先に団員を奮い立たせ、葬儀の1週間後から母の仕事を引き継ぎ、本番を迎える日まで走り続けてきました。
と、言葉で言うのは簡単ですが、この5ヶ月は本当に気が遠くなるほど長くて、何度も何度も「早く終わってほしい」と時間が早く過ぎてくれることを願いました。
最初は張り切っていたものの、やはり無理があったのか、1月から不安発作のようなものが起こり始めました(漠然とした不安がどわーっと押し寄せてきて、胸がつぶれそうに苦しくて身体が緊張で固まってしまう感じ)。
涙は脱水症状を起こしそうなほど出続けるし、あまりのつらさにどうしていいのやら途方に暮れる毎日でしたが、抗うつ剤を飲み始めたら徐々に薬が効いてきて、3月に入った頃からようやく気分も体調も落ち着いてきました。
そんなこんなでお陰さまでなんとか無事に本番を終えることができたのですが、当日は集客9割というびっくりするほどの数のお客様を迎えることができて、ロビースタッフも嬉しい悲鳴をあげていました。
受付まわりを手伝いに来てくださった方々は本当によく働いてくれて、「仕事というだけではここまで一生懸命やってくれないよなー」とあらためて感謝の気持ちでいっぱいになりました。
悲しみは少しも薄れていませんが、悲しみと自分の間に距離をおくことは最近ようやく少しずつできるようになってきた気がします。
今自分が与えられている状態の中で、「あって当然のもの」はひとつもないということ。
どれもこれも、いつ消えてしまっても少しも不思議ではないということ。
そのくらい、生きていくことは不確かなものだらけだということ。
そんなことは、「色即是空」とか「不易流行」とか言われるまでもなく、誰でも頭ではわかっているはずなのに、頭で理解することはどうしても抽象的で、なんだかんだいってもやっぱり普段は「あって当然」だと思っている自分がいます。
今回のようにそれが現実になり、やがてどんなに受け入れがたくてもこれは受け入れざるをえないのだと悟ったとき、感じるたしかな感覚は「自分の崩壊=死」です。
母とともに私も死んだーー。
その言葉に集約されます。
当たり前だと思っていたものを失ったあとに見える世界は、既視感のないものばかりでした。
同じ人に会って、同じような会話をかわしても、どこかが前とは違う。
母のいない世界で起こることは、今の私にとってすべてが未経験なのです。
演奏会の曲の中でこんな歌詞が耳に残りました。
「まだ見ぬ新しい大地へーー」
そうか。
この未経験の光景は「新しい大地」なんだ。
そう思ったとき、自分が再生しつつあることに気づきました。
私は死んで、もう一度生まれたーー。
そのことに気づいたとき、すべてのものが、人が、時間が、空間が、とても愛しく、大切に思えてきました。
いつ消えてもいいと思うほどに。
べつに仏様になったわけではなく、腹の立つことも悲しいこともイライラすることも許せないと思うことも相変わらず怒濤のようにたくさんあるのですが、それらマイナスの要素も含めて「すぐに過ぎ去っていく、とどめておけない大切なもの」なのだと感じられるようになったのです。
そんな自分の変化を認識できるようになった頃、ある出来事が起こりました。
それは演奏会が終わって4日目の夕方のことでした。
舞台に立っている人は幕が下りれば達成感もあるし、緊張から解放もされるでしょうが、裏方は終わってからもだらだらと残務処理が続き、なかなかすっきりと解放感に浸ることができません。
その残務処理もようやく一段落ついて、ちょっと休もうかなとベッドに横になった瞬間、唐突に母の声が聞こえてきたのです。
「声が聞こえた」という表現は適切ではないかもしれません。
正確には、「声が聞こえたあとの状態がいきなりやってきた」という感じです。
それは「よく頑張ったね」といった内容の言葉でした。
今までに何十回も「お母さんが見守ってくれている」「お母さんはそばにいる」といろいろな人から言われ続けてきましたが、正直、そんなふうに思えたことは一度もありませんでした。
遺影にいくら語りかけても母は何も答えてくれません。
返事を想像することはあっても、それは私が頭の中で作り上げたものであって、自問自答しているにすぎません。
語りかければ語りかけるほど、「みんな嘘つき。そんなの気休めだよ。いないよ。どこにもいないじゃん」と哀しみと空しさが増すだけでした。
でもこのときは違いました。
自分の頭で考えるより先に降ってきたんです。
あまりに不意だったので涙が30分間くらいとまりませんでした。
今は「たしかに見ていてくれている」と信じられるようになりました。
相変わらず遺影はなにも語ってくれませんが、今はそう思えます。
さる4月10日に、女声合唱団コーロ・ヴィータの演奏会が開催されました。
コーロ・ヴィータは私の両親が作った合唱団で、今年の4月でちょうど設立10周年を迎えます(コーロ・ヴィータの詳細については この記事をご覧ください)。
今回は5回目の演奏会となりますが、10周年ということで、浜離宮朝日ホールで盛大に記念コンサートを行う予定で1年半前から準備を進めてきました。
ところが、団の代表だった母が本番の5ヶ月前に急逝したため、追悼コンサートも兼ねることになってしまいました。
もちろん、私も毎回プログラム制作や当日の現場の仕切りなどで手伝いをしてはいましたが、なんといっても母を中心にまとまっていた合唱団ですし、お客の動員も母に頼っていたところがあるので、母を失ったことは家族にとってはもちろんのこと、合唱団にとっても大きな打撃でした。
一時は「もうとても歌う気になれない」と練習に出てこなくなる方もいらっしゃったりして、「こんな調子で本当に本番を迎えられるのか?」…とかなり不安な状態でした。
それでも、このまま演奏会がつぶれてしまったら誰よりも母が一番悲しむーーそういう思いで、自分が悲しむより先に団員を奮い立たせ、葬儀の1週間後から母の仕事を引き継ぎ、本番を迎える日まで走り続けてきました。
と、言葉で言うのは簡単ですが、この5ヶ月は本当に気が遠くなるほど長くて、何度も何度も「早く終わってほしい」と時間が早く過ぎてくれることを願いました。
最初は張り切っていたものの、やはり無理があったのか、1月から不安発作のようなものが起こり始めました(漠然とした不安がどわーっと押し寄せてきて、胸がつぶれそうに苦しくて身体が緊張で固まってしまう感じ)。
涙は脱水症状を起こしそうなほど出続けるし、あまりのつらさにどうしていいのやら途方に暮れる毎日でしたが、抗うつ剤を飲み始めたら徐々に薬が効いてきて、3月に入った頃からようやく気分も体調も落ち着いてきました。
そんなこんなでお陰さまでなんとか無事に本番を終えることができたのですが、当日は集客9割というびっくりするほどの数のお客様を迎えることができて、ロビースタッフも嬉しい悲鳴をあげていました。
受付まわりを手伝いに来てくださった方々は本当によく働いてくれて、「仕事というだけではここまで一生懸命やってくれないよなー」とあらためて感謝の気持ちでいっぱいになりました。
悲しみは少しも薄れていませんが、悲しみと自分の間に距離をおくことは最近ようやく少しずつできるようになってきた気がします。
今自分が与えられている状態の中で、「あって当然のもの」はひとつもないということ。
どれもこれも、いつ消えてしまっても少しも不思議ではないということ。
そのくらい、生きていくことは不確かなものだらけだということ。
そんなことは、「色即是空」とか「不易流行」とか言われるまでもなく、誰でも頭ではわかっているはずなのに、頭で理解することはどうしても抽象的で、なんだかんだいってもやっぱり普段は「あって当然」だと思っている自分がいます。
今回のようにそれが現実になり、やがてどんなに受け入れがたくてもこれは受け入れざるをえないのだと悟ったとき、感じるたしかな感覚は「自分の崩壊=死」です。
母とともに私も死んだーー。
その言葉に集約されます。
当たり前だと思っていたものを失ったあとに見える世界は、既視感のないものばかりでした。
同じ人に会って、同じような会話をかわしても、どこかが前とは違う。
母のいない世界で起こることは、今の私にとってすべてが未経験なのです。
演奏会の曲の中でこんな歌詞が耳に残りました。
「まだ見ぬ新しい大地へーー」
そうか。
この未経験の光景は「新しい大地」なんだ。
そう思ったとき、自分が再生しつつあることに気づきました。
私は死んで、もう一度生まれたーー。
そのことに気づいたとき、すべてのものが、人が、時間が、空間が、とても愛しく、大切に思えてきました。
いつ消えてもいいと思うほどに。
べつに仏様になったわけではなく、腹の立つことも悲しいこともイライラすることも許せないと思うことも相変わらず怒濤のようにたくさんあるのですが、それらマイナスの要素も含めて「すぐに過ぎ去っていく、とどめておけない大切なもの」なのだと感じられるようになったのです。
そんな自分の変化を認識できるようになった頃、ある出来事が起こりました。
それは演奏会が終わって4日目の夕方のことでした。
舞台に立っている人は幕が下りれば達成感もあるし、緊張から解放もされるでしょうが、裏方は終わってからもだらだらと残務処理が続き、なかなかすっきりと解放感に浸ることができません。
その残務処理もようやく一段落ついて、ちょっと休もうかなとベッドに横になった瞬間、唐突に母の声が聞こえてきたのです。
「声が聞こえた」という表現は適切ではないかもしれません。
正確には、「声が聞こえたあとの状態がいきなりやってきた」という感じです。
それは「よく頑張ったね」といった内容の言葉でした。
今までに何十回も「お母さんが見守ってくれている」「お母さんはそばにいる」といろいろな人から言われ続けてきましたが、正直、そんなふうに思えたことは一度もありませんでした。
遺影にいくら語りかけても母は何も答えてくれません。
返事を想像することはあっても、それは私が頭の中で作り上げたものであって、自問自答しているにすぎません。
語りかければ語りかけるほど、「みんな嘘つき。そんなの気休めだよ。いないよ。どこにもいないじゃん」と哀しみと空しさが増すだけでした。
でもこのときは違いました。
自分の頭で考えるより先に降ってきたんです。
あまりに不意だったので涙が30分間くらいとまりませんでした。
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
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