古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
「くるみ割り人形」と樫山文枝
なんだか今年の冬は寒いですね。12月っていつもはもっと暖かかった気がするんですけど。
12月といえば、「討ち入り」と「第九」、そして「くるみ割り人形」です。
最初の2つは日本だけの風物詩ですが、「くるみ割り人形」の上演は欧米でもお約束のようです。
というわけで、以前にもこのブログで紹介した熊川哲也率いるKバレエカンパニーによる「くるみ割り人形」を観てきました。
のっけからしょうもない感想で申し訳ないんですが、まずショックを受けたのはプログラムのタイトル。
「くるみ割り人形」の英語のタイトルって「ナット・クラッカー」っていうんですね?!
いや…たしかにナットをクラックするんだけどさ。
あまりにも身も蓋もないタイトルなんで…。
「くるみ割り人形」っていうと、それなりに「人間の形をしたもの」というイメージがわくし、最後に王子の姿に戻るっていうのも納得できるんですが、「ナット・クラッカー」って言われると、それはもはやペンチみたいな「道具」としか認識できないですよね。ここまで変わり果てたら王子に戻るのは不可能なのでは??
「くるみ割り人形」って、日本にはあまりなじみがないじゃないですか。
少なくとも、私が子供の頃は、「くるみ割り人形」と言われて正確に「こういうもの」という形を頭に思い描くことはできませんでした。
バレエの物語ときいていたため、字面だけを見た印象ではチュチュを着たバレエダンサーのような繊細できれいなものを想像していたのですが、挿し絵を見るといかつい兵隊の形でがっかりした憶えがあります。まあ、固いくるみを割るんですから、頑丈でいかつくなきゃ割れないわけですが。
この「どんなものなのかよくわからない」という想像の余地があったからこそ、「くるみ割り人形」というタイトルは、日本人をひきつける適度な異国趣味を漂わせ、魅力を放ち続けてきたのではないでしょうか。
「ナット・クラッカー」と言われてその曖昧なロマンチシズムが一気に崩壊した気分でした。
ここでちょっと思い出話を…。
はるか昔の子供時代、私は毎日のように「くるみ割り人形」のレコードを聴いていました。といっても、子供向けのシリーズだったので、全曲ではなくダイジェスト版で短かったし、前半には樫山文枝のナレーションが入っていました。
もちろん、音楽もよかったんだけど、それだけではここまでのめりこむことはなかったと思います。なんといっても、樫山文枝のナレーションが絶品なの。もう鳥肌たっちゃうほど。
ただ文章をきれいに読むのではなく、一瞬にしてその場の空気を変えてべつの世界に連れていってくれる力があるといったらいいんでしょうか。
とにかく樫山文枝の臨場感あふれる語りのうまさのお陰で、私にとって「くるみ割り人形」は特別に生々しい愛着をもつ作品になったのです。
たしかレコードジャケットには、ケーキにふりかけられた粉砂糖のように、ドイツのメルヘンチックな家々の上に粉雪が降り積もっているイラストが描かれていて、あの有名な序曲を聴きながらこのイラストを見ていると、異様にアドレナリンが放出されまくり、まじで雪降るドイツの街にトリップしそうでした。そのうえに樫山文枝のナレーションがかぶろうものなら効果倍増。子供の私はすっかり樫山の虜でした。
そのレコードの中で、私にトラウマになりそうなほど強烈なインパクトを与えた場面は、ねずみの王様とくるみ割り人形が戦うシーンでした。
樫山文枝は女優ですから、当然セリフの部分は思いっきり演技をするのですが、特にすごかったのがこのねずみの声色。
こわいんです。メチャクチャ。トイレいけなくなっちゃうほど。
あまりの迫力に、子供の私はこのシーンが近づくと心拍数があがるようになってしまいましたが、じゃあ聴かないのかっていうと「こわいもの聴きたさ」で毎回聴くんですねー。
クララがねずみを追い払うと、魔法がとけてくるみ割り人形は王子の姿に戻ります。
ここで前半(片面)が終わり、後半はお菓子の国に招かれたクララを前に、いろいろな踊りが披露されておしまい。
つまり樫山文枝のナレーションは前半だけで、後半は音楽だけなんですね。
「ねずみとの対決」という手に汗握るシーンが終わったあとは、一気に緊張感が途切れてしまい、正直言って後半は退屈でした(音楽は後半のほうが有名でいいものがたくさんあるんですが)。
結局、私はダラダラ続く退屈な平和よりも、一瞬の緊迫感溢れる恐怖のシーンにひかれ、樫山のねずみ聴きたさに、何度も前半部分ばかりをリピートして聴いたのでした。
「こわいこわいってそりゃ子供だったからだろ」と言われそうですが、私もそう思って、大人になってからもう一度聴き返してみたんですけど、やっぱりこわかったです。
「『子供だまし』には子供はだまされない」という言葉がありますが、子供の頃に本気で恐怖を感じたものって、案外本物の力があるんじゃないでしょうか。
で、今回の観劇です。
私は「くるみ割り人形」を三次元で観たのはこれが初めてなので、他の演出や台本(けっこういろいろなバージョンがあるらしい)に比べてどうかっていうのはわからないんですが、意外だったのは、王子に婚約者がいたこと。
ダイジェスト版しか知らないため、私の脳内ではクララと王子が結ばれるようなイメージだったんですが、原作では王子には婚約者の姫がいるんですね。
で、ねずみの呪いによって、姫はねずみに、王子はくるみ割り人形に姿を変えられてしまうのです。
ドロッセルマイヤー(クララにくるみ割り人形をプレゼントするおじさん)は、向こうの国(人形の国)から時計職人に姿を変えてやってきた狂言まわしのような存在で、呪いをとく資格のある人間(純粋無垢な心をもった人間)を探しに人間界にやってくるわけです。
クララはこのドロッセルマイヤーに「こいつはいける」と見込まれ、くるみ割り人形をプレゼントされます。
そのうえで、人形劇の形を借りて「ねずみの呪いで王子と姫が姿を変えられてしまう」というストーリーをクリスマスの余興として披露し、クララに「そのくるみ割り人形でくるみを割ってごらん」と促し、クララがくるみを割ったとたんに人形が元の王子と姫に戻るという仕掛けを見せます。ここで、ドロッセルマイヤーはさりげなく、クララに「呪いを解く方法」を刷り込んだわけです。
パーティーが終わり、深夜になると、クララはねずみの軍隊とくるみ割り人形率いる人形の兵隊の戦いを目撃します。
くるみ割り人形を助けようとしてねずみに果敢に立ち向かうクララ。
その瞬間、一瞬だけねずみの霊力が弱まり、くるみ割り人形は王子の姿に、ねずみの姫は姫の姿に戻りかけます。
私の聴いていたダイジェスト版では、ここでくるみ割り人形はあっさり王子の姿に戻ってしまい、あっという間にハッピーエンドになるのですが、今回の舞台ではこの時点ではまだ完全に魔法はとけないんですね。
魔法をとく方法は、あくまでも「世界一かたいくるみを、純真無垢な心をもった人間が、ねずみの王から奪った武器で割ること」が必要で、そのシーンは2幕に持ち越されます。
考えてみれば、1幕で魔法がとけてハッピーエンドって早すぎですよね。2幕は2幕で音楽とバレエを楽しむ要素がいっぱいあるので退屈することはないのですが、ストーリーは完全に1幕で終わってしまうので、ドラマのバランスとしては偏っている印象は否めません。やはり1幕のラストは2幕への期待を残しつつ「続く」という文字が浮かび上がるような幕切れでないと…。
とはいうものの、2幕早々、クララは魔法を解いてしまうので、休憩時間をおいてひっぱったわりにはやっぱり「解決するのが早すぎ」という印象は残るんですが。
まあ、とにかく、クララが魔法をといたあとは、延々と人形が各国の踊りを披露するシーンが続くんですが(人形はおそらくクララの家にあるあちこちの外国で買い集められた人形なのでしょう。彼らもねずみによって魔法をかけられていたのですが、魔法がとけたことで本来の姿に戻り、クララへの感謝の気持ちを込めて、それぞれ自分の国の踊りを踊ります)、ここは万博みたいな感じでそれなりに楽しいです。「中国の踊り」は東洋人蔑視を感じなくもないですが…。
が、最後のトリを飾るのが王子と姫のラブラブデュエットとなると、なんか微妙なんですよね。
前述したように、ここで王子とクララがデュエットを踊るならクララ主役として素直に受け止められるんですが、クララは終始観客として観ているだけなので、なんか立場が複雑なんですよ。
クララに自己投影する女の子の心理としては、当然王子に憧れると思うので、そうなると姫が邪魔なんですね。
「王子はほしいけど、姫はいらないからねずみのままでいいや」とかクララは思わなかったんでしょうか。
いや、純粋無垢な心の持ち主はそんなこと思わないからOKなのか。
しかしそうすると、クララは純粋無垢であるがゆえに王子と姫にその心を利用されたようにも思えてしまいます。そんなふうに考えるのは私が邪な心をもっているからでしょうか。とにかくそこがどうしても気になってしょうがなかったんですよね。
熊川は、例によって「まだ跳ぶか?! まだまわるか?!」というくらい暴れ回って観客を熱狂させていましたが、今回は相手役が物の怪・ヴィヴィアナではなかったせいか、デュエットはわりと普通でした。「白鳥の湖」のときはハブとマングースか、モスラとキングギドラかっていうくらい、「これでもか」「これでもか」と火花を散らしてやりあってましたからね。
演目としては視覚的な豪華さがある「くるみ割り人形」のほうが純粋に楽しめるんですが、「白鳥の湖」のヴィヴィアナの圧倒的なカリスマを観てしまったあとでは、どのダンサーも「普通」に見えてしまってちょっと物足りなかったかも…。
12月といえば、「討ち入り」と「第九」、そして「くるみ割り人形」です。
最初の2つは日本だけの風物詩ですが、「くるみ割り人形」の上演は欧米でもお約束のようです。
というわけで、以前にもこのブログで紹介した熊川哲也率いるKバレエカンパニーによる「くるみ割り人形」を観てきました。
のっけからしょうもない感想で申し訳ないんですが、まずショックを受けたのはプログラムのタイトル。
「くるみ割り人形」の英語のタイトルって「ナット・クラッカー」っていうんですね?!
いや…たしかにナットをクラックするんだけどさ。
あまりにも身も蓋もないタイトルなんで…。
「くるみ割り人形」っていうと、それなりに「人間の形をしたもの」というイメージがわくし、最後に王子の姿に戻るっていうのも納得できるんですが、「ナット・クラッカー」って言われると、それはもはやペンチみたいな「道具」としか認識できないですよね。ここまで変わり果てたら王子に戻るのは不可能なのでは??
「くるみ割り人形」って、日本にはあまりなじみがないじゃないですか。
少なくとも、私が子供の頃は、「くるみ割り人形」と言われて正確に「こういうもの」という形を頭に思い描くことはできませんでした。
バレエの物語ときいていたため、字面だけを見た印象ではチュチュを着たバレエダンサーのような繊細できれいなものを想像していたのですが、挿し絵を見るといかつい兵隊の形でがっかりした憶えがあります。まあ、固いくるみを割るんですから、頑丈でいかつくなきゃ割れないわけですが。
この「どんなものなのかよくわからない」という想像の余地があったからこそ、「くるみ割り人形」というタイトルは、日本人をひきつける適度な異国趣味を漂わせ、魅力を放ち続けてきたのではないでしょうか。
「ナット・クラッカー」と言われてその曖昧なロマンチシズムが一気に崩壊した気分でした。
ここでちょっと思い出話を…。
はるか昔の子供時代、私は毎日のように「くるみ割り人形」のレコードを聴いていました。といっても、子供向けのシリーズだったので、全曲ではなくダイジェスト版で短かったし、前半には樫山文枝のナレーションが入っていました。
もちろん、音楽もよかったんだけど、それだけではここまでのめりこむことはなかったと思います。なんといっても、樫山文枝のナレーションが絶品なの。もう鳥肌たっちゃうほど。
ただ文章をきれいに読むのではなく、一瞬にしてその場の空気を変えてべつの世界に連れていってくれる力があるといったらいいんでしょうか。
とにかく樫山文枝の臨場感あふれる語りのうまさのお陰で、私にとって「くるみ割り人形」は特別に生々しい愛着をもつ作品になったのです。
たしかレコードジャケットには、ケーキにふりかけられた粉砂糖のように、ドイツのメルヘンチックな家々の上に粉雪が降り積もっているイラストが描かれていて、あの有名な序曲を聴きながらこのイラストを見ていると、異様にアドレナリンが放出されまくり、まじで雪降るドイツの街にトリップしそうでした。そのうえに樫山文枝のナレーションがかぶろうものなら効果倍増。子供の私はすっかり樫山の虜でした。
そのレコードの中で、私にトラウマになりそうなほど強烈なインパクトを与えた場面は、ねずみの王様とくるみ割り人形が戦うシーンでした。
樫山文枝は女優ですから、当然セリフの部分は思いっきり演技をするのですが、特にすごかったのがこのねずみの声色。
こわいんです。メチャクチャ。トイレいけなくなっちゃうほど。
あまりの迫力に、子供の私はこのシーンが近づくと心拍数があがるようになってしまいましたが、じゃあ聴かないのかっていうと「こわいもの聴きたさ」で毎回聴くんですねー。
クララがねずみを追い払うと、魔法がとけてくるみ割り人形は王子の姿に戻ります。
ここで前半(片面)が終わり、後半はお菓子の国に招かれたクララを前に、いろいろな踊りが披露されておしまい。
つまり樫山文枝のナレーションは前半だけで、後半は音楽だけなんですね。
「ねずみとの対決」という手に汗握るシーンが終わったあとは、一気に緊張感が途切れてしまい、正直言って後半は退屈でした(音楽は後半のほうが有名でいいものがたくさんあるんですが)。
結局、私はダラダラ続く退屈な平和よりも、一瞬の緊迫感溢れる恐怖のシーンにひかれ、樫山のねずみ聴きたさに、何度も前半部分ばかりをリピートして聴いたのでした。
「こわいこわいってそりゃ子供だったからだろ」と言われそうですが、私もそう思って、大人になってからもう一度聴き返してみたんですけど、やっぱりこわかったです。
「『子供だまし』には子供はだまされない」という言葉がありますが、子供の頃に本気で恐怖を感じたものって、案外本物の力があるんじゃないでしょうか。
で、今回の観劇です。
私は「くるみ割り人形」を三次元で観たのはこれが初めてなので、他の演出や台本(けっこういろいろなバージョンがあるらしい)に比べてどうかっていうのはわからないんですが、意外だったのは、王子に婚約者がいたこと。
ダイジェスト版しか知らないため、私の脳内ではクララと王子が結ばれるようなイメージだったんですが、原作では王子には婚約者の姫がいるんですね。
で、ねずみの呪いによって、姫はねずみに、王子はくるみ割り人形に姿を変えられてしまうのです。
ドロッセルマイヤー(クララにくるみ割り人形をプレゼントするおじさん)は、向こうの国(人形の国)から時計職人に姿を変えてやってきた狂言まわしのような存在で、呪いをとく資格のある人間(純粋無垢な心をもった人間)を探しに人間界にやってくるわけです。
クララはこのドロッセルマイヤーに「こいつはいける」と見込まれ、くるみ割り人形をプレゼントされます。
そのうえで、人形劇の形を借りて「ねずみの呪いで王子と姫が姿を変えられてしまう」というストーリーをクリスマスの余興として披露し、クララに「そのくるみ割り人形でくるみを割ってごらん」と促し、クララがくるみを割ったとたんに人形が元の王子と姫に戻るという仕掛けを見せます。ここで、ドロッセルマイヤーはさりげなく、クララに「呪いを解く方法」を刷り込んだわけです。
パーティーが終わり、深夜になると、クララはねずみの軍隊とくるみ割り人形率いる人形の兵隊の戦いを目撃します。
くるみ割り人形を助けようとしてねずみに果敢に立ち向かうクララ。
その瞬間、一瞬だけねずみの霊力が弱まり、くるみ割り人形は王子の姿に、ねずみの姫は姫の姿に戻りかけます。
私の聴いていたダイジェスト版では、ここでくるみ割り人形はあっさり王子の姿に戻ってしまい、あっという間にハッピーエンドになるのですが、今回の舞台ではこの時点ではまだ完全に魔法はとけないんですね。
魔法をとく方法は、あくまでも「世界一かたいくるみを、純真無垢な心をもった人間が、ねずみの王から奪った武器で割ること」が必要で、そのシーンは2幕に持ち越されます。
考えてみれば、1幕で魔法がとけてハッピーエンドって早すぎですよね。2幕は2幕で音楽とバレエを楽しむ要素がいっぱいあるので退屈することはないのですが、ストーリーは完全に1幕で終わってしまうので、ドラマのバランスとしては偏っている印象は否めません。やはり1幕のラストは2幕への期待を残しつつ「続く」という文字が浮かび上がるような幕切れでないと…。
とはいうものの、2幕早々、クララは魔法を解いてしまうので、休憩時間をおいてひっぱったわりにはやっぱり「解決するのが早すぎ」という印象は残るんですが。
まあ、とにかく、クララが魔法をといたあとは、延々と人形が各国の踊りを披露するシーンが続くんですが(人形はおそらくクララの家にあるあちこちの外国で買い集められた人形なのでしょう。彼らもねずみによって魔法をかけられていたのですが、魔法がとけたことで本来の姿に戻り、クララへの感謝の気持ちを込めて、それぞれ自分の国の踊りを踊ります)、ここは万博みたいな感じでそれなりに楽しいです。「中国の踊り」は東洋人蔑視を感じなくもないですが…。
が、最後のトリを飾るのが王子と姫のラブラブデュエットとなると、なんか微妙なんですよね。
前述したように、ここで王子とクララがデュエットを踊るならクララ主役として素直に受け止められるんですが、クララは終始観客として観ているだけなので、なんか立場が複雑なんですよ。
クララに自己投影する女の子の心理としては、当然王子に憧れると思うので、そうなると姫が邪魔なんですね。
「王子はほしいけど、姫はいらないからねずみのままでいいや」とかクララは思わなかったんでしょうか。
いや、純粋無垢な心の持ち主はそんなこと思わないからOKなのか。
しかしそうすると、クララは純粋無垢であるがゆえに王子と姫にその心を利用されたようにも思えてしまいます。そんなふうに考えるのは私が邪な心をもっているからでしょうか。とにかくそこがどうしても気になってしょうがなかったんですよね。
熊川は、例によって「まだ跳ぶか?! まだまわるか?!」というくらい暴れ回って観客を熱狂させていましたが、今回は相手役が物の怪・ヴィヴィアナではなかったせいか、デュエットはわりと普通でした。「白鳥の湖」のときはハブとマングースか、モスラとキングギドラかっていうくらい、「これでもか」「これでもか」と火花を散らしてやりあってましたからね。
演目としては視覚的な豪華さがある「くるみ割り人形」のほうが純粋に楽しめるんですが、「白鳥の湖」のヴィヴィアナの圧倒的なカリスマを観てしまったあとでは、どのダンサーも「普通」に見えてしまってちょっと物足りなかったかも…。
「くるみ割り人形」(DVD)
Kバレエの「くるみ割り人形」DVD。
王子=熊川哲也、マリー姫=康村和恵、ドロッセルマイヤー=スチュアート・キャシディ他。
Kバレエの「くるみ割り人形」DVD。
王子=熊川哲也、マリー姫=康村和恵、ドロッセルマイヤー=スチュアート・キャシディ他。
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
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やっぱり兵隊だったのか
プログレには疎い私も、何しろはやったのでよく覚えております。学校の音楽の時間に習った曲が景気よくアレンジしてあるので、日本の中高生は大喜びいたしました。
『ナットクラッカー』といえばエマーソン・レイク&パーマー。40代後半以上にとってはプログレッシブ・ロックの名曲であります。
プログレには疎い私も、何しろはやったのでよく覚えております。学校の音楽の時間に習った曲が景気よくアレンジしてあるので、日本の中高生は大喜びいたしました。
そうか。
唐沢さんはご存知ないか。
…若いのお。
ところで私も、くるみ割り人形はもっと可愛いものをイメージしていましたよ。リスの形とか。
実は子供のときに、まさに兵隊のおっさんの形をした実物を見たことがあるんですが、「これはたまたまこういうデザインのくるみ割りなんだろう」「ふつうはもっとかわいいに違いない」と脳内で勝手に処理していました。
その後1980年代に、確か石川ひとみが人形振りをしながら「くるみ割り♪お人形♪」と歌ったため、あの兵隊はなおいっそう「例外」処理のほうにおしやられていました。
山岸さんのバレエマンガ『舞姫』でも主人公の少女たちが「実物のくるみ割り人形はかわいくない!」と言っていましたが、それも、あくまでもあのマンガの中で、ゴツいデザインのを使わされるはめにあった、という設定になっていたのだろうと思っていました。
でも今回の「鑑定法」でとどめをさされました。
わかったよ、あんたが兵隊だって言い張るならそれであたしも腹をくくるよ。いいよいいよわかったよ。
って勝手に誤解しておいて、だれに言っているのやら。
なぜ姫はネズミに?
なんか他の童話がまじってますか??
でも、呪いによって姿を変えられてしまったわけだから、きれいなものよりは人に忌み嫌われるものに変身させられるほうが説得力はありますよね。
そういう意味では姫がネズミにっていうのがよくわかんない。自分たちと同じ姿に変えていやがらせをするって自虐的じゃないですか?
それとも、ネズミの王は人形の姫に横恋慕し、「ネズミなんか私が相手にするとお思い?」とか袖にされた腹いせでネズミに変えてしまい、「どうだ。これでおまえは私と結ばれるしかないのだ。はっはっはっ」「イヤーーーーッッ」……ってそういう経緯?
皆さんの脳内の「くるみ割り人形」はどういう話なのか聞きたいですね。
異国情緒に弱い私
これがストーリーの前提になっていることは、子供心にわかってはいたのですが、そのことすら私は「クララがもらった人形がたまたまいかつい人形だっただけ」「現実の世の中には、リスの形したようなかわいいくるみ割り人形もある」と勝手に解釈していました。たぶん。
アンタどこまで「日本人を惹きつける適度な異国情緒」に弱いんだよ>私。
王子に婚約者がいた件は、私も忘れていました。
確かにネズミ側は、姫を自分たちレベルにひきずり降ろして楽しんだのだろうと思います。←忘れてたくせに。
松山のくるみがお勧めです
くるみわり人形をこよなく愛し、メールアドレスにまで身も蓋もないnutcrackerをくっつけている“あおによし”でございます。
私の脳内ストーリーは唐沢さんとほぼ同じです。
で、まさにこの脳内ストーリー通りのくるみわり人形を上演してくれるのが松山バレエ団です(ただ、王子はクララにプロポーズはしません。それがせつないんです。泣)。
森下洋子さんと清水哲太郎さんの演じる世界は「これぞくるみわり人形」。
私は17年間、年末これを観ないと年が終わらないんですね。
今年もクリスマスの日、行ってきます。
Kバレエで不完全燃焼の分、しっかり燃焼させていただきます。
他のくるみに興味あります
コメントありがとうございます。
あおによしさんのような方のコメントをお待ちしていました!
なにせ、樫山文枝とKバレエしか知らないという偏った「くるみ割り観」をもった私なので、他の「くるみ割り」がどうなのかすごく知りたい!
そうですか。私の脳内ストーリーはまんざらでたらめではなかったのですね。
そう言われるとまんまと松山バレエ団を観たくなります。。。
具体的にあおによしさんはKバレエ版のどのへんがお気に召さなかったんでしょうか?
>東山さん
新しく入った情報によると、王子に婚約者がいるというのはKバレエオリジナルのストーリーだとか。
もちろん、Kバレエなりの解釈で姫を登場させたのでしょうが、その根拠に興味がありますね。
物の怪・ヴィヴィアナ(笑)
Kバレエの「くるみ」、私も見ました。
imari さんの「物の怪・ヴィヴィアナ」の一言がツボに嵌って一人で大ウケしました。
>あおによしさん
はじめまして。
私も何回か前に松山のくるみを見たことがあります。
「眠れる森の美女」の挿入曲をうまく使って、王子とクララの「別れのパ・ド・ドゥ」があったりしますよね?
あそこの演出も奇をてらいすぎず、それでいて色々とユニークで素敵ですよね。
過去ログに…
コメントありがとうございます。
「ヴィヴィアナ=大竹しのぶ説」「熊川=山口祐一郎説」について書いた投稿(5/28)がありますので、よろしければ過去ログチェックしてください。
バレエは初心者なので、詳しい方の情報はどれも興味深いです。
いろいろ教えてください。
大物ヴィヴィアナ
imari さんの鋭い視点に何度も唸りました。
確かにヴィヴィアナは良く言えば「名女優」ですが、ちょっと悪い言い方をすれば生身の人間を感じさせないような、得体の知れない生物(?)という感じもします。
以前、彼女のジゼルを見たとき、舞台そのものは絶品でした。
でもよせばいいのに、楽屋口で出待ちをしていたら、ヴィヴィアナがおいしそうにプカ〜っと煙草をふかしながら出てきて、そのギャップに戸惑ったものです。
ヴィヴィアナを責めるつもりは毛頭ありません。
夢を壊されたくなければさっさと帰ればよいのですから。
でもそういう姿からも彼女の只者ではない雰囲気を感じました。
ヴィヴィアナ伝説
ひー。あんなにストイックそうなのにタバコすってんだ(笑)。やっぱバケモノですね>ヴィヴィアナ
なんか舞台上でも私生活でもいっぱい伝説がありそうで興味津々です。ヴィヴィアナがらみの情報、これからも教えてくださいね。
バレエ素人ながら、ヴィヴィアナの「ジゼル」はぜひ観てみたいなと思ってます。まだチャンスはあるでしょうか。
日本ものでも可なら「八犬伝」の玉梓とか「源氏物語」の六条とかもやってほしい。もう世界中の「怨霊」をやり尽くしてほしいですね。
玉梓、こわい
「別れのパドドゥ」、曲の使い方がいいですよね。
「眠れる森の美女」の曲をうまく編曲しているので違和感がありませんね。
いい効果をもたらしていると思います。
ヴィヴィアナの煙草プカ〜〜リ、す、すごいっすね。
煙草といえばクマはやめたんですよね。
恋人時代、二人はケンカもよくしたらしいですが、凄まじかったんでしょうね、きっと。
>伊万里さん
その昔、NHKの少年ドラマシリーズの枠だったと思うのですが「新八犬伝」という人形劇が放送されていました。
玉梓、怖かったのなんのって。
ヴィヴィアナ、きっといい演技するに違いありません。
さらにヴィヴィアナ情報
でもその「プカーリ」は1997年のことなので今は禁煙しているかもしれません。
2人がロイヤルで組んでいた頃はケンカのせいでリハーサルが中断したこともよくあったようです(ちなみに「レフリー」は当時の芸術監督、アンソニー・ダウエルだったようです・笑)。
以前、ロイヤルバレエの『マノン』見たさに1週間の休みを取り、一人でロンドンまで行ったことがあります。初日の主役がヴィヴィアナだったのでこれは見に行くしかない!と気合い入れました。
凄かったです。
そのとき隣の席にいたオバチャン(国籍不明。英語が話せることは確か)と休憩時間に話をしたのですが、彼女はかつてABTの裏方で働いていた(ボランティアだったかな?)ことがあって、ヴィヴィアナがABTにゲスト出演したときのことも知っていました。
彼女曰く「ヴィヴィアナはあんなに華奢なのにものすごくたくさん食べるのでびっくりした」そうです。ま、ダンサーは肉体労働者ですからね。
ヴィヴィアナの「ジゼル」はクマさんのところでなら可能性はあると思います。
そうは言っても彼女も年齢的にはそろそろ…ですけど。
「新八犬伝」好きでした
「新八犬伝」大好きでしたよ。
今は亡き坂本九がナレーションを担当し、人形デザインは辻村ジュサブローさんでしたよね。
そういえばお正月ドラマで「八犬伝」が放送されるそうなのでご覧になってみては?
ちなみに玉梓は菅野美穂でした。大竹しのぶでなくてよかったー(笑)。
>tomokovskyさん
ヴィヴィアナ伝説続報ありがとうございます。
もう絶対見たくなりました。ヴィヴィアナの「ジゼル」。
今から「ヴィヴィアナ貯金」しておこうっと(笑)。