古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
向田ドラマの“お母さん”
「冬の運動会」ネタをひっぱります。
視聴率は、裏に人気の「救命病棟」がきたため(しかも菜々子復帰だし)、2桁をかろうじて越えた程度でしたが、今のところ反響はすごいですね。ネットでみたところ。あの2ちゃんねるですら絶賛の嵐でした。
で、あちこちの感想読んでてちょっとひっかかったコメントがありました。
それは「あのよくできたお母さんが最後に『皆、勝手なことやって。いったい私はなんなのよ!』とキレるのかと思ったら、最後までキレなかったのでよけいにこわかった」という感想です。
なるほど。言われてみればそうですね。
私は向田ドラマという前提で見ていたので、そんなこと考えもしなかった。
だって向田ドラマといえば、お父さんは口うるさくて、怒ってばっかりいて、でも意外に小心者で、お母さんはのんきそうに見えて、ちょっと抜けてて、でもいざというときには肝がすわっていて……というスタンダードなイメージがあるじゃないですか。
舞台設定が昭和のお茶の間から平成のリビングルームになり、和装の加藤治子が洋装の樋口可南子になっても、それは形だけのことで、中身はやっぱり向田世界の住人として認識してしまうんですよ、向田ファンとしては。
でも、向田邦子を知らない人にとってはそんなこと通じないし、舞台が現代なら、平成の現代に生きるキャラクターとして認識しますよね、当然。
そう考えると、この樋口可南子演じるお母さんのキャラはたしかにエイリアンっぽい「理解しがたさ」があるかもしれないと思ったんです。
向田ドラマの母は「私ってあなたたちにとってなんなの?」なんてキレたりしません。でも、現代の40代のお母さんなら充分そういう展開は考えられるし、逆にそうならないのは何か裏に含みがあるのでは?と深読みされちゃうんですよね。
だから今の話にリメイクするなら、「お母さんも最後にキレる」あるいは「お母さんもじつは家庭の外に秘密基地をもっていた」といったオチを視聴者が要求してしまうことも考えなくてはいけないと思うんです。
というと、「それじゃ向田ドラマの良さが失われてしまう」「ああいうタイプのお母さんあっての向田ドラマじゃないか」という反論がきそうですが、もしそうなら時代設定も現代に変えるべきではないと思います。
向田ドラマのお母さん像は、「昭和」という時代が生んだ“作品”なのですから、本来「昭和」の空気や匂いなくしては成り立たないものなんですよ。
じゃあ向田ドラマには現代に通じる普遍性がないのか?
もちろん、そんなことはありません。
実際、「冬の運動会」に描かれる家族のありよう、男3代の抑圧の連鎖などは、現代に通じるどころか、これからのあり方まで示唆されたかのような鋭い描写に溢れていて、立派にリメイクに足る普遍的なテーマ性をもっていると思います。
でも、そういう部分と同時に、「その時代との関係性が濃厚な部分(つまり時代とともに変わっていく部分)」もあって、リメイクするときはそのさじ加減が難しいということです。
「冬の運動会」でいうと、唯一そこが目立ってしまったのが「お母さんのキャラ」だったのかもしれません。
お母さん像をそのままにするなら時代設定も変えない。
時代を現代にリメイクするなら、もうひとつ新しい「平成ならでは」の視点を脚色者が入れ込む。
このいずれかの方法をとるべきだったのではないでしょうか。
さらに考えてみました。
“向田ドラマのお母さん”は、なぜキレないんでしょうか。
「男たちが、家庭に息づまったものを感じてそれぞれ秘密基地をつくる」という気持ちは現代人にとっても非常によくわかります。
自分の居場所がほしくて結婚して家庭を作ったのに、いざ家庭をつくるとまた居場所がない気持ちになってよそに居場所を求めてしまう気持ち……。
じゃあお母さんはそういう気持ちにならないんでしょうか?
今のお母さんは、なるかもしれません。
でも“向田ドラマのお母さん”はならないでしょうね。
なぜなら、“向田ドラマのお母さん”にとって、家庭は完璧な「居場所」だから。
今ほど情報がいきわたっていない時代、今ほど女の生き方が多様化していない時代、選択肢が少ない時代の話です。
他を知らなければそこがお母さんにとっての全宇宙になります。
しかもその宇宙を支配しているのは自分一人。
どうして外へ出る必要があるでしょう。
一人暮らしの人がそれ以上孤独になれる場所を探す必要がないのと同じくらい、外に出る必要なんてないと思います。
男たちが外に居場所を求めようとしたのは、べつにこのお母さんが口うるさいとか、うっとうしいとか、この女から逃げたいとか、そういうことではなく、本能的に「ここはこの女の場所だ。俺は間借り人にすぎない」ということを悟ったからだと思うんですよね。
居場所を求めてさまよう男の姿は今も昔も変わらないんだけど、今はさらに女も家庭が居場所とは思えなくなってしまった…というところに、平成の家庭を読み解くキーワードがあるのかもしれません。
視聴率は、裏に人気の「救命病棟」がきたため(しかも菜々子復帰だし)、2桁をかろうじて越えた程度でしたが、今のところ反響はすごいですね。ネットでみたところ。あの2ちゃんねるですら絶賛の嵐でした。
で、あちこちの感想読んでてちょっとひっかかったコメントがありました。
それは「あのよくできたお母さんが最後に『皆、勝手なことやって。いったい私はなんなのよ!』とキレるのかと思ったら、最後までキレなかったのでよけいにこわかった」という感想です。
なるほど。言われてみればそうですね。
私は向田ドラマという前提で見ていたので、そんなこと考えもしなかった。
だって向田ドラマといえば、お父さんは口うるさくて、怒ってばっかりいて、でも意外に小心者で、お母さんはのんきそうに見えて、ちょっと抜けてて、でもいざというときには肝がすわっていて……というスタンダードなイメージがあるじゃないですか。
舞台設定が昭和のお茶の間から平成のリビングルームになり、和装の加藤治子が洋装の樋口可南子になっても、それは形だけのことで、中身はやっぱり向田世界の住人として認識してしまうんですよ、向田ファンとしては。
でも、向田邦子を知らない人にとってはそんなこと通じないし、舞台が現代なら、平成の現代に生きるキャラクターとして認識しますよね、当然。
そう考えると、この樋口可南子演じるお母さんのキャラはたしかにエイリアンっぽい「理解しがたさ」があるかもしれないと思ったんです。
向田ドラマの母は「私ってあなたたちにとってなんなの?」なんてキレたりしません。でも、現代の40代のお母さんなら充分そういう展開は考えられるし、逆にそうならないのは何か裏に含みがあるのでは?と深読みされちゃうんですよね。
だから今の話にリメイクするなら、「お母さんも最後にキレる」あるいは「お母さんもじつは家庭の外に秘密基地をもっていた」といったオチを視聴者が要求してしまうことも考えなくてはいけないと思うんです。
というと、「それじゃ向田ドラマの良さが失われてしまう」「ああいうタイプのお母さんあっての向田ドラマじゃないか」という反論がきそうですが、もしそうなら時代設定も現代に変えるべきではないと思います。
向田ドラマのお母さん像は、「昭和」という時代が生んだ“作品”なのですから、本来「昭和」の空気や匂いなくしては成り立たないものなんですよ。
じゃあ向田ドラマには現代に通じる普遍性がないのか?
もちろん、そんなことはありません。
実際、「冬の運動会」に描かれる家族のありよう、男3代の抑圧の連鎖などは、現代に通じるどころか、これからのあり方まで示唆されたかのような鋭い描写に溢れていて、立派にリメイクに足る普遍的なテーマ性をもっていると思います。
でも、そういう部分と同時に、「その時代との関係性が濃厚な部分(つまり時代とともに変わっていく部分)」もあって、リメイクするときはそのさじ加減が難しいということです。
「冬の運動会」でいうと、唯一そこが目立ってしまったのが「お母さんのキャラ」だったのかもしれません。
お母さん像をそのままにするなら時代設定も変えない。
時代を現代にリメイクするなら、もうひとつ新しい「平成ならでは」の視点を脚色者が入れ込む。
このいずれかの方法をとるべきだったのではないでしょうか。
さらに考えてみました。
“向田ドラマのお母さん”は、なぜキレないんでしょうか。
「男たちが、家庭に息づまったものを感じてそれぞれ秘密基地をつくる」という気持ちは現代人にとっても非常によくわかります。
自分の居場所がほしくて結婚して家庭を作ったのに、いざ家庭をつくるとまた居場所がない気持ちになってよそに居場所を求めてしまう気持ち……。
じゃあお母さんはそういう気持ちにならないんでしょうか?
今のお母さんは、なるかもしれません。
でも“向田ドラマのお母さん”はならないでしょうね。
なぜなら、“向田ドラマのお母さん”にとって、家庭は完璧な「居場所」だから。
今ほど情報がいきわたっていない時代、今ほど女の生き方が多様化していない時代、選択肢が少ない時代の話です。
他を知らなければそこがお母さんにとっての全宇宙になります。
しかもその宇宙を支配しているのは自分一人。
どうして外へ出る必要があるでしょう。
一人暮らしの人がそれ以上孤独になれる場所を探す必要がないのと同じくらい、外に出る必要なんてないと思います。
男たちが外に居場所を求めようとしたのは、べつにこのお母さんが口うるさいとか、うっとうしいとか、この女から逃げたいとか、そういうことではなく、本能的に「ここはこの女の場所だ。俺は間借り人にすぎない」ということを悟ったからだと思うんですよね。
居場所を求めてさまよう男の姿は今も昔も変わらないんだけど、今はさらに女も家庭が居場所とは思えなくなってしまった…というところに、平成の家庭を読み解くキーワードがあるのかもしれません。
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
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