古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
今期最高傑作の「結婚できない男」
今までずっと「書きたい、書きたい」と思いつつ今日までひっぱってきたネタです。
なぜひっぱってきたのかというと、現在ドラマ評を書いている「TVステーション」で、今度このドラマについて書くことになったからです。
そのコラムはせいぜい800字程度のスペースしかないので、このドラマについて語れるのは語りたいことのほんの一部でしかありません。
なので、そこで書けなかった部分をブログに書こうと思ったのですが、コラムに書くことが決まらないとここで書くことも決まらないので、コラムの締め切り日を待ってここまでひっぱってしまったという次第です。
さてこのドラマ、皆さんのまわりでどのくらい盛り上がっているのかわかりませんが、私のまわりではかなり話題になっています。
ドラマ好きはもちろんのこと、普段あまりドラマを見ないような人も、このドラマはおもしろい!と楽しんでいる人が多いようです。
視聴率はそれほど高いわけじゃないんですが(低いとも言えない微妙な数字)、そのわりには世論(?)は盛り上がってますね。
まず「結婚できない男」というネーミングの心憎さ。
噂によると、最初は「結婚しない男」だったんだけど、阿部ちゃんが「結婚できない男」のほうがおもしろいんじゃないかと提案し、それが通ったとか。
……すごいです。
いや、おっしゃる通り「できない男」のほうが比較にならないほどインパクトがあるし、視聴者の食いつきがいいことも明らかなんですが、阿部ちゃんといえば「ルックスもいいし、女にもてまくりだろうに、なぜか40すぎても独身」という、このドラマの主人公・信介と限りなくイコールに近いイメージが世間に浸透しているだけに、「結婚できない男」ではあまりにもそのまますぎて痛すぎるのではないかと凡人は思うわけです。
作者も「ほんとは『できない』にしたいけど、それじゃ阿部ちゃんに失礼だし…」と気を遣ったのかもしれません。
なのに自ら「できない」案を提出するとは……おそるべし、阿部ちゃんの自己プロデュース能力。
たしかに「結婚しない男」では、なんとなく「できるけどしないんだよ、きみたち庶民とは違って」みたいな、一人だけ高みにたったいやみな感じだけが伝わってくるのに対し、「結婚できない男」というタイトルは、主人公を「なんだよ。いろいろ言ってるけど、結局おまえできないんじゃん!」というレベルに一気にひきずり降ろし、見る人をつっこみ気分満々にさせるパワーを秘めています。
が、このドラマのタイトルのうまさは、タイトル単体だけの問題ではないんですね。
信介はドラマの中で再三「俺は結婚できないんじゃない、しないんだ」と主張しますが、実際、信介のルックスは「結婚しない男」のほうがしっくりくるくらいのレベルにあるので、そこだけ見ると「負け犬の遠吠え」のようには聞こえない説得力があります。
しかし、信介の周囲の人間の評価は逆で、彼のマイペースぶりや頑なっぷりに辟易し、「あれはしないんじゃなく、できないんだ!」と主張します。
つまり、「結婚しない男」というタイトルにすると信介の意識に沿ったものになり、「結婚できない男」にすると信介を見るまわりの人間の意識に沿ったものになるわけですが、もし前者のタイトルにした場合、見た目のまんまということでひっかかるものがありません。一方、信介のルックスで前者を匂わせておいてタイトルは後者を採用した場合、そのギャップに視聴者はおおいにひっかかりを感じて食いついてきます。
逆説的にいえば、「結婚できない男」というタイトルは、見栄えがいまいちの主人公ではデリケートすぎて成立しにくいともいえます。
阿部ちゃんだからこそ「結婚できない」ことにおかしみがあり、安心して「だからできないんだよ」とつっこめるわけ。ここ大きなポイントです。
二枚目は視聴者を優位にたたせるためのしかけがいろいろ必要なのですね。
タイトルの話だけで長くなりました。
私がこのドラマを見て感じたのは、「最近は結婚できない男が増えている。だからそういう社会現象をネタにして風俗劇を作ろう」というコンセプト主導で作られたドラマにしては、あまりコンセプトに流れていないなということです。
普通、そういうコンセプト主導でドラマを作る場合、形から入ることが多いんですよね。
たとえば、「結婚できない男を描くわけだから、まずいろいろなタイプの結婚できない男を3人くらい登場させよう。タイプはなるべくバラバラのほうがいい」「彼らは女っ気がなくて、いつも結婚できない者同士でうだうだつるんでいる」「そこにやっぱり結婚できない女3人が登場し、反発したり、くっついたりを繰り返し、3人の関係も少しずつ変わっていく」「対照として1人くらい結婚している男をまぜても変化が出るかも」……などなど、古いところでは「男女7人夏物語」のような感じで進んでいくパターンが予測できます。
こういう群像劇スタイルは、コンセプトの一つひとつを具現するキャラを登場させるためにテーマを説明しやすく、コンセプト主導型ドラマでは定番ともいえますが、いろいろな立場をまんべんなく描かなくてはならない制約から、一歩間違えるとどのキャラも浅く広くという感じで類型に流れがちになる危険があります。
もし今回そういうスタイルで作っていたとしたら、信介は間違いなく3人の「結婚できない男たち」のうちの1人に格下げされ、しかも色モノっぽいサブキャラになってしまう可能性大です(メインはもう少し普通っぽい男性が据えられ、3人目は見るからに結婚できなさそうな男ってところでしょうか)。
しかし、それでは信介はただの変人キャラという類型にとどまってしまい、彼の生活スタイルや、美意識や、複雑な感情表現その他については充分描ききれなかったことでしょう。
今回のドラマがここまで見応えのあるものになった勝因は、コンセプト主導ドラマの定石に頼らず、あえてひとつのキャラをピンで据えてその世界観を細部まで徹底して描いてみせたことにあると思います。
信介を見ていると、「男って女に比べて変化が嫌いな動物なんだな」としみじみ思ってしまいます。
信介は一人暮らしだし、お金にも不自由していないし、仕事も自営なので比較的自由度の高い職場だし、やろうと思えばなんでもできる身軽な身の上なのですが、彼の行動はひたすら規則に忠実です。まるでなにかの儀式のように。
同じコンビニで同じ食料を同じつかみ方(?)でカゴに入れ、同じビデオ屋で同じ棚の前をウロウロし、同じ行きつけの店で同じ席に座り、同じバーでバーテンに必ず嫌味をいい、橋を渡るときは必ず欄干を触っていかないと気が済まない。
もちろん、女にもそういう習慣やなじみのコースがないとは言いませんが、女の場合、本質的に変化を求める気質があるので、定着しながらも「このままじゃダメだ」とか「なんかもっと他にいいことがあるんじゃないか」といった焦燥感がにじんでくることが多いのではないでしょうか。まあ、もっとも女の求める変化は常にプチリニューアルであり、あくまでも安定ベースは前提なんですが。
男の場合、徹底的に殻にとじこもって自分の美学を追求するか、さもなくば徹底的に自分を壊すか、どちらかにいくのが本質なんじゃないかって気がします。
もちろん、たいていの男性は女性に手綱をとられることで実際はそんな極端な本質を露呈させることなく一生を終えるわけですが…。
そういう意味では、信介は「結婚できない男」を選んだことで、思う存分固まることができたケースだと言えるでしょう。
それが異様な姿に見えるとしたら、「信介が女のコントロールの及ばないところで生きている」からにほかなりません。
「結婚できない男」支持者には(というか信介支持者には)男性が目立つというのもそう考えるとよくわかります。
男も女も、そういう特有の本質が開花する前に結婚しておくものだ。そのタイミングを逃すと、本質の違いがますます強烈になっていき、どんどん結婚は難しくなる。
……という真理をこのドラマから見いだすのは簡単です。
でも「42歳まで『結婚できない男』だった」という作者(尾崎将也氏)は、そういう難易度の高い状況だからこそ結婚するラストを描きたかったのではないでしょうか。
ファンの間では「信介、最後まで結婚しないで」という声も根強いようですが、オープニングの主題歌が「住宅模型の壁をとりはらう信介」の姿で終わっていることを見ても、信介が最後に「心の壁」を自らとりはらうことは間違いないでしょう。
「男と女ってほんとにとことん違うよね」という「呆れの境地」からスタートする結婚というのも、“晩婚”の醍醐味なのかもしれません。
まだまだ語りたいことはあるんですが、皆さんの意見も聞きたいのでこのへんで。
とにかく原作もののドラマや続編ばかりでウンザリしている昨今、「結婚できない男」は「おもしろいオリジナルドラマを見たい」という気持ちに久々にガッツリ応えてくれた傑作です。
9月5日、12日、19日と残り3回になりましたが、未見の方は今からでもぜひチェックしてみてください。
阿部ちゃんの鬼気迫る(?)役作りだけでなく、トウのたった男女の奥の深いユーモアの応酬と人情の機微、リアルな独身ライフなど、みどころ満載です。
ちなみに、「TVステーション」に書いたコラムは13日に発売になります。
なぜひっぱってきたのかというと、現在ドラマ評を書いている「TVステーション」で、今度このドラマについて書くことになったからです。
そのコラムはせいぜい800字程度のスペースしかないので、このドラマについて語れるのは語りたいことのほんの一部でしかありません。
なので、そこで書けなかった部分をブログに書こうと思ったのですが、コラムに書くことが決まらないとここで書くことも決まらないので、コラムの締め切り日を待ってここまでひっぱってしまったという次第です。
さてこのドラマ、皆さんのまわりでどのくらい盛り上がっているのかわかりませんが、私のまわりではかなり話題になっています。
ドラマ好きはもちろんのこと、普段あまりドラマを見ないような人も、このドラマはおもしろい!と楽しんでいる人が多いようです。
視聴率はそれほど高いわけじゃないんですが(低いとも言えない微妙な数字)、そのわりには世論(?)は盛り上がってますね。
まず「結婚できない男」というネーミングの心憎さ。
噂によると、最初は「結婚しない男」だったんだけど、阿部ちゃんが「結婚できない男」のほうがおもしろいんじゃないかと提案し、それが通ったとか。
……すごいです。
いや、おっしゃる通り「できない男」のほうが比較にならないほどインパクトがあるし、視聴者の食いつきがいいことも明らかなんですが、阿部ちゃんといえば「ルックスもいいし、女にもてまくりだろうに、なぜか40すぎても独身」という、このドラマの主人公・信介と限りなくイコールに近いイメージが世間に浸透しているだけに、「結婚できない男」ではあまりにもそのまますぎて痛すぎるのではないかと凡人は思うわけです。
作者も「ほんとは『できない』にしたいけど、それじゃ阿部ちゃんに失礼だし…」と気を遣ったのかもしれません。
なのに自ら「できない」案を提出するとは……おそるべし、阿部ちゃんの自己プロデュース能力。
たしかに「結婚しない男」では、なんとなく「できるけどしないんだよ、きみたち庶民とは違って」みたいな、一人だけ高みにたったいやみな感じだけが伝わってくるのに対し、「結婚できない男」というタイトルは、主人公を「なんだよ。いろいろ言ってるけど、結局おまえできないんじゃん!」というレベルに一気にひきずり降ろし、見る人をつっこみ気分満々にさせるパワーを秘めています。
が、このドラマのタイトルのうまさは、タイトル単体だけの問題ではないんですね。
信介はドラマの中で再三「俺は結婚できないんじゃない、しないんだ」と主張しますが、実際、信介のルックスは「結婚しない男」のほうがしっくりくるくらいのレベルにあるので、そこだけ見ると「負け犬の遠吠え」のようには聞こえない説得力があります。
しかし、信介の周囲の人間の評価は逆で、彼のマイペースぶりや頑なっぷりに辟易し、「あれはしないんじゃなく、できないんだ!」と主張します。
つまり、「結婚しない男」というタイトルにすると信介の意識に沿ったものになり、「結婚できない男」にすると信介を見るまわりの人間の意識に沿ったものになるわけですが、もし前者のタイトルにした場合、見た目のまんまということでひっかかるものがありません。一方、信介のルックスで前者を匂わせておいてタイトルは後者を採用した場合、そのギャップに視聴者はおおいにひっかかりを感じて食いついてきます。
逆説的にいえば、「結婚できない男」というタイトルは、見栄えがいまいちの主人公ではデリケートすぎて成立しにくいともいえます。
阿部ちゃんだからこそ「結婚できない」ことにおかしみがあり、安心して「だからできないんだよ」とつっこめるわけ。ここ大きなポイントです。
二枚目は視聴者を優位にたたせるためのしかけがいろいろ必要なのですね。
タイトルの話だけで長くなりました。
私がこのドラマを見て感じたのは、「最近は結婚できない男が増えている。だからそういう社会現象をネタにして風俗劇を作ろう」というコンセプト主導で作られたドラマにしては、あまりコンセプトに流れていないなということです。
普通、そういうコンセプト主導でドラマを作る場合、形から入ることが多いんですよね。
たとえば、「結婚できない男を描くわけだから、まずいろいろなタイプの結婚できない男を3人くらい登場させよう。タイプはなるべくバラバラのほうがいい」「彼らは女っ気がなくて、いつも結婚できない者同士でうだうだつるんでいる」「そこにやっぱり結婚できない女3人が登場し、反発したり、くっついたりを繰り返し、3人の関係も少しずつ変わっていく」「対照として1人くらい結婚している男をまぜても変化が出るかも」……などなど、古いところでは「男女7人夏物語」のような感じで進んでいくパターンが予測できます。
こういう群像劇スタイルは、コンセプトの一つひとつを具現するキャラを登場させるためにテーマを説明しやすく、コンセプト主導型ドラマでは定番ともいえますが、いろいろな立場をまんべんなく描かなくてはならない制約から、一歩間違えるとどのキャラも浅く広くという感じで類型に流れがちになる危険があります。
もし今回そういうスタイルで作っていたとしたら、信介は間違いなく3人の「結婚できない男たち」のうちの1人に格下げされ、しかも色モノっぽいサブキャラになってしまう可能性大です(メインはもう少し普通っぽい男性が据えられ、3人目は見るからに結婚できなさそうな男ってところでしょうか)。
しかし、それでは信介はただの変人キャラという類型にとどまってしまい、彼の生活スタイルや、美意識や、複雑な感情表現その他については充分描ききれなかったことでしょう。
今回のドラマがここまで見応えのあるものになった勝因は、コンセプト主導ドラマの定石に頼らず、あえてひとつのキャラをピンで据えてその世界観を細部まで徹底して描いてみせたことにあると思います。
信介を見ていると、「男って女に比べて変化が嫌いな動物なんだな」としみじみ思ってしまいます。
信介は一人暮らしだし、お金にも不自由していないし、仕事も自営なので比較的自由度の高い職場だし、やろうと思えばなんでもできる身軽な身の上なのですが、彼の行動はひたすら規則に忠実です。まるでなにかの儀式のように。
同じコンビニで同じ食料を同じつかみ方(?)でカゴに入れ、同じビデオ屋で同じ棚の前をウロウロし、同じ行きつけの店で同じ席に座り、同じバーでバーテンに必ず嫌味をいい、橋を渡るときは必ず欄干を触っていかないと気が済まない。
もちろん、女にもそういう習慣やなじみのコースがないとは言いませんが、女の場合、本質的に変化を求める気質があるので、定着しながらも「このままじゃダメだ」とか「なんかもっと他にいいことがあるんじゃないか」といった焦燥感がにじんでくることが多いのではないでしょうか。まあ、もっとも女の求める変化は常にプチリニューアルであり、あくまでも安定ベースは前提なんですが。
男の場合、徹底的に殻にとじこもって自分の美学を追求するか、さもなくば徹底的に自分を壊すか、どちらかにいくのが本質なんじゃないかって気がします。
もちろん、たいていの男性は女性に手綱をとられることで実際はそんな極端な本質を露呈させることなく一生を終えるわけですが…。
そういう意味では、信介は「結婚できない男」を選んだことで、思う存分固まることができたケースだと言えるでしょう。
それが異様な姿に見えるとしたら、「信介が女のコントロールの及ばないところで生きている」からにほかなりません。
「結婚できない男」支持者には(というか信介支持者には)男性が目立つというのもそう考えるとよくわかります。
男も女も、そういう特有の本質が開花する前に結婚しておくものだ。そのタイミングを逃すと、本質の違いがますます強烈になっていき、どんどん結婚は難しくなる。
……という真理をこのドラマから見いだすのは簡単です。
でも「42歳まで『結婚できない男』だった」という作者(尾崎将也氏)は、そういう難易度の高い状況だからこそ結婚するラストを描きたかったのではないでしょうか。
ファンの間では「信介、最後まで結婚しないで」という声も根強いようですが、オープニングの主題歌が「住宅模型の壁をとりはらう信介」の姿で終わっていることを見ても、信介が最後に「心の壁」を自らとりはらうことは間違いないでしょう。
「男と女ってほんとにとことん違うよね」という「呆れの境地」からスタートする結婚というのも、“晩婚”の醍醐味なのかもしれません。
まだまだ語りたいことはあるんですが、皆さんの意見も聞きたいのでこのへんで。
とにかく原作もののドラマや続編ばかりでウンザリしている昨今、「結婚できない男」は「おもしろいオリジナルドラマを見たい」という気持ちに久々にガッツリ応えてくれた傑作です。
9月5日、12日、19日と残り3回になりましたが、未見の方は今からでもぜひチェックしてみてください。
阿部ちゃんの鬼気迫る(?)役作りだけでなく、トウのたった男女の奥の深いユーモアの応酬と人情の機微、リアルな独身ライフなど、みどころ満載です。
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
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お尻の青い子には…
いつ書くか、いつ書くかと心待ちにしていました。
話題沸騰ですが(私たちだけ?)、案外視聴率は上がって無いんですね。
やはり、若い子には寄り添えないドラマ設定だからでしょうか?
あまりにマニアック過ぎて、私たちの年代にしか分からない心の機微みたいなものが、万人には受け入れられないと言うところでしょうか?
40代集中攻撃ってやつですよね。
阿部寛に目が行きますが、女医役の夏川結衣もなかなか良い味出してます。
普通医者だったら、もう少し気丈でも良いんではないかと思いますが、随所に漏れる泣き言が、なかなか良いところを突いているこの年齢ならではの独白。
そしてなんと言っても花を添えているのは、ケンちゃんです。
添え物を越えた、動物の起用は大きい!!
一個のキャラクターとして描かれているところも見所のひとつです。
今後の展開は、ハッピーエンドなんですか?
ウ~ン、最後がイマイチだと押す気なくなっちゃうな~。
オープニングタイトルの最後の場面、モデルの壁を取るのは阿部ちゃんの心の壁が取れるって意味なんですか?
そこまで考えてなかったナァ~。
「ああ、またこだわって設計変えるんだ~」ぐらいしか思わなかった。
どちらにしても後3回、楽しみであります。
ああ、もちろん伊万里さんのコラムもね。
夏川今昔物語
たしかに私のまわりで盛り上がっているのは中高年(?)ばかりなので、若い世代がどう感じているのかは伺い知れません。
阿部ちゃんの役者魂は、若い世代には「きもく」見えるんでしょうか。取材してみたいところです。
夏川結衣は、「青い鳥」のイメージが強すぎるのか、「太った」とか「オバサンくさい」とか「見る影もない」とか「歳月は無慈悲」とか散々言われてますが、役作りという点では今までで最高のハマリ役なのではないでしょうか。
素地はきれいなんだけど、(仕事以外で)人前に出る機会が減っていって、どんどん身の回りにかまわなくなった中年女性という感じがすごくリアルに出ています。
私は今の夏川のほうが全然いいと思いますが。
もともと外見としゃべった感じにギャップがあった人なので、昔はそれに違和感があって、しゃべらない役ならいいけど……って感じでした。
今はそれがうまく統合されてる感じ。
ケンちゃんは反則ですよ! かわいすぎるしうますぎる。
動物アカデミー賞があったら文句なくオスカーでしょう。
どこから撮っても隙のない演技者(犬)ぶり。
スタッフの携帯の待ち受け画面は全員ケンちゃんらしいですよ(笑)。
パグブームきたーーーーって感じですね。
私も観てます
友人(バツイチ)と阿部ちゃんのアイタタ~な行動を笑いあっています。
「あんたら、人のこと笑っている場合じゃ…」というのは重々承知。
阿部ちゃんの役は「悪い人じゃないんだけどね~」というのがよく出ていると思います。
タイトルはやっぱり『結婚しない男』でなく、『結婚できない男』でないと!
一人焼肉、一人花火、一人ビアガーデンの一人シリーズもツボです。
夏川結衣と国仲涼子のコンビもよいですね。
女同士の年の差友人って、TVドラマで描写されることが少なかった気がします。
夏川さん、以前の硬質な感じも好きでしたが(『青い鳥』ファンだし^^;)、今回の役柄で新たな魅力を感じました。
ケンちゃん、ラブリーすぎ!
あの目にやられてます。
信介の人徳
偏屈もあそこまで徹底すれば「愛される」キャラになるということか?!
「一人シリーズ」は、次に何が出るのかワクワクしましたよね。
どれがより難易度が高いかで盛り上がるのもお約束。
「一人人生ゲーム」もすごかった。。。
人生ゲームでは素直に結婚して子供つくってるのが笑えた。
「ふ……子供か。そんな面倒なものはパスだ」
とか勝手にスルーするのかと思いきや。
みちる@国仲は、若い女の薄っぺらい感じをうまく出してるなと思いました。
「夏美さんにもまだ理想のタイプってあるんですか?」
このセリフをまったくいやみなくさらっと言えるところがすごいです。
小さな変化の醍醐味
これまでの信介の日常や周囲の人間関係がきっちり積み重ねられていたからこそ、この変化(小さく見えるが本人にとっては大きい)がよくわかるのですが、白紙の状態で初めてこの回を見た人は微妙すぎてよくわからなかったかも。
実際、いつものコミカルテイストを楽しんでいた人は、今回の展開が「いつもみたいに笑いが少ない」と物足りなく感じた様子でした。
が、私はものすごく楽しみました。ていうか、今まで全部見ていてよかったと初めて連ドラの醍醐味を感じましたよ。
「行かないで」とか「私をとめて」とか「あの人が好きなの?」とか「あなたにとって私はなに?」とか簡単に言えない大人の男女って厄介でおもしろいなー。
簡単に言えないから、表現がわかりにくくなり、それが深読みの原因になったり誤解を生んだりする。でも伝わったときにはストレートな表現よりも相手に与えるインパクトが強かったりするんですよね。
このドラマでは、一見聞き逃すほどのささいな日常会話も、すべてその回のテーマにかかわってくる伏線になっていて、見たあとに「あそこのあのセリフの意味ってさー」と語り合うのがメチャメチャ楽しいと思う。ほんとに読みがいのあるドラマです。
来週はいきつけの店にも変化が現れてくるようで、信介のシングルライフを成り立たせていたゆるぎない日常が静かに少しずつ崩れていく予感。それが転勤とか病気とか大きな変化じゃなく、こういうささやかな変化で主人公の精神にダメージを与えていくのがうまいなーと。
あと2回と思うさびしさと、信介の変化のさびしさがダブりますが、これが人生というものなんでしょう。
こんにちは
来週が最終回なんですね。私の予想では国仲と結婚かな。それでは面白くないですか。なんかそんなオチのような気がします。大人の女性は分別もあり阿部ちゃんを弟のように大らかに冷静に見ている。その点、国仲は無邪気で子供っぽい感じ。言葉も態度もストレート。若さでしょうか?
だから・・・自分とは正反対の彼女に惹かれ、彼女主導で結婚しちゃうんです。どうでしょう~?
私の周りには、阿部ちゃんが一杯。主人も軽度だけど阿部ちゃん病。次男は中度、長男はヤバイ。
将来の息子の姿を見るようで怖い。今23歳。子供のころからモテたけど超マイペース。バレンタインのお返しも私が用意。手紙は貰っても読まない。もちろん貰ったチョコやクッキーは、長男だけ食べません(笑)
「チョコ食べてくれた?」
「妹と母さんが食べてたなぁ。」なんて言われたら・・・ショックだよね。・゚・(つ∀`)・゚・。
まだ若いので、そこまでは言わないとは思うけど。10年先はわかりません。
10年先は…
信介はじつは若い子好きなんです。ということを示すエピソードの回がありました。
なので、その通り若い子とくっつくという線はないでしょう。
前回は高島姐さんが中心に据えられた作りでしたが、それまではずっと夏川お姉さまとのからみが中心だったので、夏川とくっつくことはほぼ間違いないと思います。
意外な人とくっつけることが目的のドラマには見えないし。
そのきっかけをどう作るかがみどころになるでしょうね、きっと。
楽しみに待ちましょう。
信介の特徴のいくつかを備えた男性はいっぱいいると思いますが、信介そのものって人はそうそういないと思いますよ。
だって「一人人生ゲーム」に「一人焼き肉」に「一人花火大会」ですよ。普通できませんって。
ウンチクもこだわりもすさまじいし、病的な潔癖性だし、あんな人がいたら結婚はおろか、誰とも暮らせないでしょう。
あれはマイペースの領域をはるかに振り切ってます。
もっとも10年先はさらに晩婚化が進み、「信介だらけ」になる可能性もないとは言えないですね。
世の中は「一人焼き肉」や「一人ビヤホール」の独身男で溢れかえり……いや、これ笑えませんね。
そうならないようお子さんには「一人××」の味を憶えさせないように気をつけてください。
後一回か~
今回もやってましたね、一人フォンデュ。
もうこうなると拍手喝采です。
毎回何をひとり料理するのか楽しみになってきます。
そして、お決まりのビデオ屋は本日休業。
やられた~って感じでした。
先日、フジテレビのいわゆるNG集を見ましたら、「結婚できない男」がお決まりのごとく賞を取っていました。
視聴率ってこう言う事なんだと思いました。
撮影押しているようで、大変そうでした。
さて、最終回はいったいどうなるのか、楽しみです。
みちるちゃんが参戦してきましたからね。ふふふ。
みちるちゃん、最高!
今週の爆笑ゼリフは、「そういえば私、痴漢とかにもほとんどあったことがない」という夏美先生に対するみちるちゃんの反応。
「いいなー。その年まで大丈夫だったらもう安心ですよね」
例のごとく1ミリも悪びれず、さらっと。
さらにストーカーにおびえるみちるを送っていくという夏美先生に「夜道ですし、危ないからいいですよ」と遠慮するみちるちゃん。
先ほどのセリフを根にもち、「大丈夫よ。痴漢だって襲うならもっと若い子にするでしょう」とかる〜く皮肉を言う夏美先生。
それにまたまたさらっと「でも暗がりですし」と答えるみちるちゃん。
暗がりですし……ってあんた(笑)。
何回も言うけど、まったく失礼なこと言ってる自覚がなく、しかも適度に目上に対する礼儀をわきまえてる風なのがよけいにおかしい!
普通、もう少し意図的に聞こえちゃうものだけど、国仲ほんとにうまいよ。
弟子の英司くんに告白(?)されて動転した信介が、思わず屋上にダッシュして泣いてたシーンが好きです。
なんだよー、女たちより英司くんのほうがよっぽど素直で勇気があってかわいいじゃないか(笑)。
信介が誰を選ぶのかも楽しみですが、この手のドラマって隅々の人にいたるまでなんらかのオチがつくんじゃないかと思うので、金田はもちろんのこと、コンビニ店員やバーテンダーや棟梁が最後どういう「ひっこみ」を演じるのかがすごく楽しみ。
ああ、最終回がくるのがこんなにさびしいドラマは久しぶりだわ。
信介&夏美の英会話
視聴者のハートをつかんで離さない緩急のつけ方、知と情、笑いと涙、欠点と魅力、そのすべてのバランスが絶妙で、最終回までこんなに満足させられた作品はそうそうあるものじゃありません。
初期の頃に出てきた細かい伏線もすべて律儀に拾って落としてくれたし、ほんとに隅々まで愛情込めて丁寧につくられているのが伝わってくる良質なドラマでした。
ところでこのドラマ、「おしゃれなハリウッド映画みたいなセンスだな」と思ってたら、同じことを思った人が多いみたいで、「阿部ちゃんはまさしく日本のヒュー・グラント」「ハリウッドでリメイクしてくれないかな」などの声をあちこちで聞きました。
それでふと「リメイク版」を想像してみて思ったんですが、信介と夏美って最後まで「ですます調」を崩さないんですよね。だからといって他人行儀っていうわけではなく、かなりきつい皮肉もとばしあってる。こういうニュアンスって英語にあるんでしょうか?
向こうの映画を見ると、字幕にしろ吹き替えにしろ、あまり親しくなくてもくだけた口調が使われることが多いじゃないですか。
字数の関係かなとも思ったんですが、それだけでもないような気がして。
だとすると、信介と夏美のやりとりのニュアンスって意外に翻訳するのが難しいんじゃないですかね。
あの2人が「きみは〜なの?」「あなたって〜ね」というような会話をしてたら全然べつのカップルみたいだなーと思って。
私は外国語にうといので、英語にどのくらいそういったニュアンスのグラデーションがあるのかわからないんですが、なんかそういう「言葉による距離のとり方」って日本語のほうがボキャブラリー豊富な気がします。
どなたか外国語に通じた方、教えてください。
フランス語なら
しかし、「結婚でき無い」というニュアンスが、価値観に無い。
カップルの半数が結婚して無い国ですから。
「結婚しなくて、なんでいけないの?」と聞き返されちゃいます。
アメリカはどうなんでしょうか?
「プリティーウーマン」や「ブリジット・ジョーンズの日記」などがあることから、「結婚神話」は、まだあるようです。
しかしおっしゃるように、夏見と伸介の微妙な間柄は、英語では表現できないかもしれませんね。
下手によそよそしいと、スノッブなのかと思われちゃうかも。
韓国ならきっと通用すると思うけど。
アメリカは、どっちかと言うと「電車男」がリメイクに向いてる気がする。
如何でしょうか?
お一人様文化
ヨーロッパはカップル文化だから「一人焼き肉」とか許されない気がする。そういう国では信介は生きにくいでしょうね。一人での行動が許される土壌がないと、この話は成立しないかな。
「電車男」は逆シンデレラパターンなので、たしかにアメリカ人は好きかも。オタクという概念を表現するのは難しそうだけど、普通にちょっと内向的でコミュニケーション下手な男性に設定すればできそうですね。
ところで話を最終回に戻しますが、あの告白シーンは、創作上かなり難易度の高いシーンだったと思います。
要するに、信介の伝えたかったことは「僕はあなたとずっと一緒に生きていきたいです。あなたの理想の家に僕も一緒に住みたいです。自分や自分の大切な人が住む家は、他人の家と違ってそう簡単に設計はできません。だから今すぐというわけにはいきませんが、頑張って設計しますからできあがるのを楽しみにしていてくださいね」ということ。
一方、夏美の気持ちは「あなたの設計した家に一緒に住めるなんてすごく幸せです。あなたがそう言ってくれるのをずっと待っていました。でもあなたと一緒にいられるなら、本当はどんな家だっていいと思ってます」ということ。これだけ見ると、小泉じゃないけど「なんにも問題ない」です。
なのに、文章や言葉の順番がちょっと入れ替わっただけであんなに破壊力のあるシーンになってしまうとは(笑)。一瞬のうちに涙・驚き・怒り・笑いとすべての感情を凝縮してみせた手腕は本当にすばらしい。ただただ感服しました。
信介が勇気を出して「今までにない行動」を起こすというのは、最初から想定されていたラストだと思いますが、あくまでも「信介らしい」という冠がついた「今までにない行動」だったところがミソ。いやー、完璧にやられましたね。
夏美にキレられて動揺し、「ややこしい女だ」と言いながら帰っていった信介に、あのとき何千万という人々が「ややこしいのはおまえだよ!」とつっこみをいれたことでしょう。