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古伊万里★新伊万里

劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です

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世界一せつないヒーロー

 ドラマ評の連載が終わってしまってから、めっきりドラマを見なくなりました。
 見切るまでの時間がどんどん早くなり、1クール最後まで見通すのはせいぜい2〜3本(前は7〜8本は完走してました)。
 完走するのはそれなりに興味をそそられたからですが、おもしろかったからといってレビューを書きたくなるかというとそういうわけでもなく、気がつけばずっとドラマの話は書いていません。

 そんな中、久々にレビューを書きたいと思えるドラマがあったので、2011年最後の記事は終わったばかりのこのドラマについて書こうと思います。

 秋クールの中で私が一番好きだったドラマ……それは40%を記録した『家政婦のミタ』でもなく、お金のかかった『南極大陸』でもなく、『妖怪人間ベム』でした。

 ご存知の通り、原作は40年以上前に放送されていた子供向けアニメです。
 子供向けといっても決してかわいらしいタッチではなく、絵柄といい、ストーリーといい、人によってはトラウマになるような怪奇趣味満載な内容でした。
 海外アニメではないのに、舞台設定は無国籍な感じですし、キャラの顔立ちもバタくさいし、なんとも風変わりな作品でした。

 私は当時、小学校にあがったばかりくらいの年齢だったので、話の内容は正直あまりよく憶えていませんし、主題歌中の「早く人間になりたい!」というセリフが流行していたことが印象に残っている程度です。
 なので、これから書くレビューはあくまでもまっさらな目で見た実写版『妖怪人間ベム』についてであり、アニメとの比較などはできませんのでご了承ください。

 このドラマの基本は、今まで数えきれないほど作られてきた「正義が悪をこらしめるヒーロー」系譜のお話です。
 普段は人間(に近い)容貌をしているが、悪をこらしめるときには異形の姿に変身し、超人的な力を発揮する……という「変身もの」の要素とセットになっているのもお約束のパターンです。
 にもかかわらず、他の類似ストーリーとは一線を画す斬新な設定がこのドラマにはいくつもあるのです。

 ベム(亀梨和也)、ベラ(杏)、ベロ(鈴木福)の3人は、「人間になりきれなかった人造人間の未完成品」としてこの世に生を受けました。
 「早く人間になりたい!」というセリフは、「完全体」になりたいという叫びであり、人間への強い憧れを表す求愛の言葉でもあります。
 人間になる方法が必ずあるはずと信じ、時代を超えて放浪の旅を続けるベムたちですが、彼らにはとてもつらい秘密がありました。
 それは「感情が激すると妖怪の姿に変わってしまうこと」です。

 ここが一つ目のポイントです。
 普通、「ヒーローの変身もの」は「悪を倒すための特殊能力」を発揮するために、「意図的」に変身しますが、彼らは「はからずも」変身してしまう。
 人間になりたい彼らにとって「変身」はできればしたくない不本意なもの。特に人間が見ている前では。
 なぜなら、その恐ろしい姿ゆえ、変身後は無条件で人間に拒否られてしまうからです。
 助けた相手に感謝されるどころか、手のひらを返したように罵られ石を投げられるという残酷な運命。
 体の傷は一瞬で治癒してしまう彼らですが、裏切られるたびに味わう心の痛みは澱のようにたまっていきす。

 でも人間が大好きな彼らは、困っている人間を助けずにいられない。
 助ける→嫌われる→逃げる
 この繰り返しです。

 また、「変身」のきっかけは「感情が激したとき」なので、「悪への怒り」だけでなく、「裏切られた悲しみ」「受け入れてもらえたときの喜び」すら「変身」の衝動につながってしまいます。
 心置きなく変身できる場所は限られており、彼らは常に「変身」の衝動と戦い、自らの感情をストイックに抑えようとします。
 そういう意味では、「自分の意志で動くと周囲の人間が不幸になる」という呪縛から感情を封印した『家政婦のミタ』の三田さんと妖怪人間はとても似ています。

 二つ目のポイントは、「人間を助けるために闘うその相手もまた人間である」ということ。
 目の前にいる敵は、地球征服を企む巨大な秘密組織でもなく、ましてや同族の妖怪でもなく、さっきまで自分に優しく接してくれたごくありふれた人間たちです。
 人間には、きっかけさえあれば簡単に悪にころび他人を傷つける「弱さ」があるということに気づく彼らですが、それでも人間になりたいという望みは断ちがたく、人間を愛するがゆえに道を踏み外す人間への「人間なのになぜ!」という怒りもいっそう増していきます。

 以上の二点の理由から、相手を倒したあとに元の姿に戻る彼らの姿には毎回なんともいえない寂寥感が漂います。
 悪をこらしめればこらしめるほど募っていく悲しみ、空しさ、やるせなさ。
 これほどカタルシスのない後味の悪いヒーローがこれまでいたでしょうか?

 最後に彼らは「人間を守るため」に「人間になれるチャンス」を永久に失う選択をします。
 この選択は充分予測できるものだったし、妖怪人間である自分を受け入れてくれた初めての人間との別れがラストにくることも、終わってみれば「それしかないよな」と納得できる終わり方でした。

 ただ、終わってからずっと消えなかったのは「彼らはなぜそこまでして人間になりたかったんだろう」という疑問でした。
 人間でなくても受け入れてくれる人に出会えた。
 自分を守ろうとしてくれた人に出会えた。
 それだけじゃダメなのか…と。

 そこで、ハッと気づいたのです。
 「早く人間になりたい!」という言葉は、「人間」こそが完成形であり、人間未満の彼らは不完全であるという意味に一見思えますが、それは違うのかもしれないと。
 そういうふうにミスリードしてるけどそれは逆で、純度の高いイノセントな存在である彼らこそが人間本来の姿であるというメッセージがそこにあるのではないかと。

 彼らは疑似家族のように3人だけで放浪し、どこへ行っても居場所がみつけられません。
 「人間になる」ということはコミュ二ティーに所属するということですが、それは不純で理不尽な要素にまみれていくということを意味します。
 環境に支配され、力関係ができて、そこから邪な心が芽生える。
 「性善説」を体現したかのような彼らの存在は、人間にとって「本来こうありたかった」と思わせてくれる存在なのではないでしょうか。
 人間に近づきたいと願いつつ、寸止め状態をキープしながら永遠に葛藤し続ける道を選ぶってそういうことですよね。

 最初は「人間になれなかったかわいそうな半端な存在」として描かれるのかと思って見始めたのですが、最後まで見たらすっかり視点が変わってしまいました。

 それだけではありません。
 妖怪人間の葛藤にここまで感情移入してしまうのは、彼らに現実世界に生きる自分たちのメタファも見いだせるからだと思います。

 変身後の醜い姿は、誰もが持っている一番「ピュア」な部分。
 そのピュアさはむきだしにすれば人を傷つけるかもしれない。
 目の前にいる愛しい人が眉をひそめて去っていってしまうかもしれない。
 孤立無援になってしまうかもしれない。
 だから絶対に出してはいけない。
 出さなければとりあえず安泰に生きていけるのだから。

 それでも、出さずにはいられないときがある。
 出さなければならないときがある。
 たとえ孤独になっても…。
 大きなものを失っても…。

 そういう気持ちが「うーん、わかるよ。わかる」という人ならば、彼らの変身シーンは涙なしで見られないはずです。

 彼らはずっと変身し続ける道を選びました。
 「(変身)しないで」「人間になってください」と望む大切な人の声をふりきって。
 人間に同化するのではなく、「私たちを拒絶しますか?」というリトマス試験紙であり続ける道を選んだ妖怪人間。
 人間は心してその選択を受け入れなければならないでしょう。

 話の内容もすばらしかったですが、「詩情」という言葉がぴったりな美しい世界観を作り上げたキャスト・スタッフの健闘にも拍手です。

 あと数時間で今年も終わりです。
 来年もレビューが書きたくなるドラマに出会えることを祈って…。

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プロフィール

HN:
伊万里
性別:
女性
職業:
劇作家・ライター
趣味:
旅行 骨董 庭仕事

著作



「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」

Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!

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