古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
外科医の…「ズバリ言うわよ!」
お陰様で母は順調に回復しております。
手術の翌日には点滴も導尿もはずされ、トイレにもいけるし、食事も普通食に(昼にはいきなり天ぷらを食べたそうです)。
検査室にも歩いて行ったらしい。
翌々日は、傷口から浸出液を外に出す管もとれてすっかり普通の状態に。
とても全身麻酔の手術をした患者とは思えません。
これって麻酔の進歩でもあるんでしょうね。
外科の先生が「手術で何が進化したって、一番進んだのは麻酔の技術。外科の技術はじつはそれほど変わってない。手術でできる可能性が大きく広がったのは麻酔技術の進歩のお陰」と言っていたのを聞いたことがありますが、なるほどと思いました。
麻酔科医って縁の下の力持ち的存在で、重要な役割のわりに患者との接点ってほとんどないじゃないですか(活躍しているときは患者はずっと眠ってる状態なので)。
変な話、お礼をしようとか思ったときでも、外科の先生にはするけど麻酔科の先生にまでしようと思う人はいないでしょう。
もっと地味なのは病理医。マニアックな職域になればなるほど、患者からは遠い位置にいくような気がします。
それに比べたら外科医は最前線ですから、ある意味「いいとこどり」ですよね。
いや、もちろん失敗したときも一番目立つわけで、いいことばかりじゃないってのはわかってるんですけど、最前線だけにダメだったときに他の科に送り込むという手が使えますから、「つかみ」の部分さえ担当できればOKってところはあると思うんですよね。
会社でいうと「営業職」みたいな感じ?
契約とったらあとは事務のほうでフォローしてね、みたいな。
私は外科→内科と病棟をハシゴしたので、両者のドクターおよびナースのキャラクターの違いをあらゆる面で実感しましたが、総体的に「つかみは外科医」「帳尻合わせは内科医」という印象をもちました。
たとえばこちらが苦しんでいるとき、外科医はあくまでもその現象を「即物的」にしか受け取りませんが、内科医は「共感」の姿勢をとろうとします。
どっちがいいかといえば、後者のほうがいいんでしょうが、実際患者の身になってみると、必ずしもそうとは言えないんですよね。
入院患者っていうのは、自分の体の状態や受ける治療について非常にナーバスになっていて、常に不安でたまらないわけです。
もうなにもかもが不安だから、普通なら気にしなくていいようなことまで神経質になって悩んだりしてしまう。
そんなとき、なまじこっちの気持ちにシンクロして「共感」を示されてしまうと、「やっぱり私の置かれた状況って大変な状況なんだ」といっそう不安が増幅してしまうことがあるんですよね。
こういうときはかえって外科医のノーテンキな一言(ひらたく言うと「相手にしない」「問題視しない」「軽くいなされる」)が救いになったりするんですよ。
「あ、それほどたいしたことじゃないんだ」みたいな。
もちろん、全部がそれで通用するわけではないんですけど、私の場合、たしかに救いになったことは少なからずありました。
今回の担当医も、典型的な外科医タイプで、なんかいつも楽しそうなんですよ。
術後の母の質問にも、
とまあこんな感じで。
文章で書くと感じが悪く見えるかもしれないけど、基本的に明るくフレンドリーな態度で邪気なく言うので、言われたほうは思わず脱力して笑ってしまうんですよね。
そういや私のときもこんなノリだったなー。
痛そうな名前の検査を受けることになり、不安になって「これ、痛いんですか?」と外科のナースに聞いたとき、さわやかな笑顔で「そうですね。ちょっと痛いかも」と言われてビビッたことを思い出しました。
そのときは「えー、いやだー」と騒ぐ私にさらに「しょうがないですよ。病院入ったら痛くなくて済むわけないし」という身も蓋もない言葉が投げつけられたのでした。
でも、はっきり言われたことでかえって覚悟が決まって「まあ一瞬我慢すればいいわけだから」と開き直ることができました。
これ、なまじ曖昧な表情で言葉を濁しつつ「んー。そんなに痛くないと思い…ますけど」なんて言われると、かえって言葉の裏が気になってもっと心配になり、眠れなくなってしまったかも。
医療って奥が深いですね……。
手術の翌日には点滴も導尿もはずされ、トイレにもいけるし、食事も普通食に(昼にはいきなり天ぷらを食べたそうです)。
検査室にも歩いて行ったらしい。
翌々日は、傷口から浸出液を外に出す管もとれてすっかり普通の状態に。
とても全身麻酔の手術をした患者とは思えません。
これって麻酔の進歩でもあるんでしょうね。
外科の先生が「手術で何が進化したって、一番進んだのは麻酔の技術。外科の技術はじつはそれほど変わってない。手術でできる可能性が大きく広がったのは麻酔技術の進歩のお陰」と言っていたのを聞いたことがありますが、なるほどと思いました。
麻酔科医って縁の下の力持ち的存在で、重要な役割のわりに患者との接点ってほとんどないじゃないですか(活躍しているときは患者はずっと眠ってる状態なので)。
変な話、お礼をしようとか思ったときでも、外科の先生にはするけど麻酔科の先生にまでしようと思う人はいないでしょう。
もっと地味なのは病理医。マニアックな職域になればなるほど、患者からは遠い位置にいくような気がします。
それに比べたら外科医は最前線ですから、ある意味「いいとこどり」ですよね。
いや、もちろん失敗したときも一番目立つわけで、いいことばかりじゃないってのはわかってるんですけど、最前線だけにダメだったときに他の科に送り込むという手が使えますから、「つかみ」の部分さえ担当できればOKってところはあると思うんですよね。
会社でいうと「営業職」みたいな感じ?
契約とったらあとは事務のほうでフォローしてね、みたいな。
私は外科→内科と病棟をハシゴしたので、両者のドクターおよびナースのキャラクターの違いをあらゆる面で実感しましたが、総体的に「つかみは外科医」「帳尻合わせは内科医」という印象をもちました。
たとえばこちらが苦しんでいるとき、外科医はあくまでもその現象を「即物的」にしか受け取りませんが、内科医は「共感」の姿勢をとろうとします。
どっちがいいかといえば、後者のほうがいいんでしょうが、実際患者の身になってみると、必ずしもそうとは言えないんですよね。
入院患者っていうのは、自分の体の状態や受ける治療について非常にナーバスになっていて、常に不安でたまらないわけです。
もうなにもかもが不安だから、普通なら気にしなくていいようなことまで神経質になって悩んだりしてしまう。
そんなとき、なまじこっちの気持ちにシンクロして「共感」を示されてしまうと、「やっぱり私の置かれた状況って大変な状況なんだ」といっそう不安が増幅してしまうことがあるんですよね。
こういうときはかえって外科医のノーテンキな一言(ひらたく言うと「相手にしない」「問題視しない」「軽くいなされる」)が救いになったりするんですよ。
「あ、それほどたいしたことじゃないんだ」みたいな。
もちろん、全部がそれで通用するわけではないんですけど、私の場合、たしかに救いになったことは少なからずありました。
今回の担当医も、典型的な外科医タイプで、なんかいつも楽しそうなんですよ。
術後の母の質問にも、
先生「なにか気になることはありますか?」
母「あの…傷口が痛くて…」
先生「そりゃあ痛いでしょう。切りましたから」
母「麻酔が残ってるのか……眠くてたまらないんです」
先生「(きっぱり)寝てください」
とまあこんな感じで。
文章で書くと感じが悪く見えるかもしれないけど、基本的に明るくフレンドリーな態度で邪気なく言うので、言われたほうは思わず脱力して笑ってしまうんですよね。
そういや私のときもこんなノリだったなー。
痛そうな名前の検査を受けることになり、不安になって「これ、痛いんですか?」と外科のナースに聞いたとき、さわやかな笑顔で「そうですね。ちょっと痛いかも」と言われてビビッたことを思い出しました。
そのときは「えー、いやだー」と騒ぐ私にさらに「しょうがないですよ。病院入ったら痛くなくて済むわけないし」という身も蓋もない言葉が投げつけられたのでした。
でも、はっきり言われたことでかえって覚悟が決まって「まあ一瞬我慢すればいいわけだから」と開き直ることができました。
これ、なまじ曖昧な表情で言葉を濁しつつ「んー。そんなに痛くないと思い…ますけど」なんて言われると、かえって言葉の裏が気になってもっと心配になり、眠れなくなってしまったかも。
医療って奥が深いですね……。
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病院今昔物語
今日(1/7)、母が手術を受けました。
もう先月から決まっていたことなんですが、年末年始などが挟まれたこともあって、年明け一番の手術となりました。
本当は数日前から入院するものなんでしょうけど、なにしろ年明け一番の手術なので、入院も前日というあわただしさでした。
手術前に行う検査は年内に外来で一通り済ませたんですけど、それでも術前にやらねばならないノルマのようなものはいろいろあって、手術前ってけっこう忙しいんですよ。
病棟で配られたスケジュール表(やらなければならない事柄がチェックシートになっている)を見たら、「手術の2日前」からすでにカウントダウンが始まっていて、入院した時点で「手術まで24時間をきっていた」私たちは、1日で2日分のノルマを消化せざるをえませんでした。
病棟入りするやいなや、「病棟のルールの説明」「薬や食べ物のアレルギーや既往歴や日ごろの生活習慣についてのインタビュー」「担当看護師の挨拶」「担当医および担当グループの紹介と診察」「麻酔科医によるインタビュー」「病状についての講義と今後の治療方針について」「前日に行わなければならない検査」などが怒濤のように襲ってきたうえ、その合間を縫って「食事」「入浴」「検温や血圧測定や投薬」などが差し挟まれ、朝から晩までベッドを温める暇もない忙しさでした。
さらに、翌日の手術は朝一番だったため、家族は8時までに行かなければならず、朝が苦手な私は正直かなりきつかったです。
午後、手術を終えて病室に戻ってきた母は、全身麻酔がまだ完全に抜けていないため、ずっと半覚醒状態でうつらうつら眠っていましたが、私も父も我慢できずに横で座ったまま爆睡してしまいました(なんて緊張感のない家族)。
おまけに帰りのタクシーの中でも2人揃って寝こんでしまい、運転手に起こされました(最低…)。
手術をしてみなければ詳しいことはわからなかったんですが、お陰様で結果はだいたい事前に予測されていた範囲内での「良いほうの結果」になりました。病気って、結果が出るまでが一番精神的にきついので、これでかなりホッとしました。
先生方もホッとしたのか、手術後に「切り取った病巣」をさながら「とてもすてきなプレゼント」のように箱に入れてもってきて「特別に見せちゃいますね〜」と蓋を開けて嬉しそうに見せてくれました。
それはさておき。
私は以前同じ病院で母の立場だったわけですが、今回20年弱ぶりに「入院&手術」を違う立場から体験し、つくづく「病院は変わった!」と思いました。
もちろん、建て直して病棟がきれいになったとか、個室が増えたとか、備品の性能がよくなったとか、そういうのもあるんですけど、それよりもソフト面ですね、驚いたのは。
以下、昔と違って驚いたことを思いつくままに箇条書きにしてみました。
まず1)。
昔はなんでも大ごとにしたというか、慎重に行う傾向があったみたいですが、最近は必ずしもそれは体の回復にとってプラスにならないという考え方が出てくるようになって(院内感染はむしろICUのほうが起こりやすいとか、導尿も長くやりすぎると感染症を起こしやすいとか)、わりと早め早めに普通の状態にもっていこうというやり方になってきてるようですね。
患者にとってはある意味スパルタですが、外科って本来切ったらあとは自然治癒に任せるものだから、あまり過保護にするのもかえってべつの機能障害が起きやすくなったりしてよくないんでしょうね。
2)については、今回私が一番ショックを受けたことです。
この鼻からチューブ、私のときは麻酔をかける前に入れられたんですよ。
麻酔もなしに、鼻からぶっといチューブをゴリゴリおしこんでそれ喉まで通してあと「飲み込め」って言うんですよ。
飲み込めるわけないじゃないですか。吐きますよ、普通。
でもそれを無理矢理押し込められるの。
そりゃあもう地獄の苦しみでしたよ。
マジで「私はこのまま逝く」と思いましたもん。
全身麻酔の手術でなにが恐怖って、これがダントツで一番恐怖でした。
ところが、これ以降、誰に聞いても「チューブを通すのは全身麻酔で本人の意識がなくなってから」というんですよ。
そんなのってあり?!
で、今回も術前の説明を受けたとき、私は本人でもないのに先生に手を挙げて質問しちゃいましたよ。
「先生。鼻からチュープ入れるのは全麻の前ですか? 後ですか?」
「後です」
「じゃあ、意識がなくなってからやるんですね?」
「そうです」
「それが普通なんですか?」
「まあ消化器系の手術でなければ……それが普通ですね」
「(身を乗り出し)私は18年前、ここでシラフのまま鼻からぐいぐい管を押し込まれて死ぬ思いをしました。これについては先生はいったいどうお考えでしょうか?!」
「うーん。まあ……そういう時代もありましたねー」
………。
時代のせいかよ!
ていうか、遠い目をして語ってるし!
結局、「なぜ昔は意識のあるときにやって、なぜ今は意識のないときにやるのか」「消化器系の手術じゃないのにやられた私はいったいどんな悪いことをしたのか」、明確な答えは返ってきませんでした。
先生の話では、「本当は患者が飲み込んでくれるほうが通しやすい」と言うのですが、実際意識なくても通す方法があるならいいじゃん。
「通しやすい」とか甘えたこと言うな。
患者に頼らず、己の技術を磨けよ。
質問してますます納得できなくなった私ですが、説明会の本筋からみればどうでもいい話だったので、納得できないままこの話題はうち切られてしまいました。
誰か合理的な理由を説明できる人、教えてください。。。
私は納得できるまで、一生このテーマを追求したい思いです。
3)は全般的にそうなんですけど、とにかくなんでも面倒がらずに説明してくれて、これにはびっくりしました。
説明も病室じゃなく、ちゃんとカンファレンスルームを使って画像データやホワイトボードも使ってセミナーのようにたっぷりやってくれるし。
その代わり、患者はそれを納得したらいちいち承諾をとらされるんですよ。
「なんでも話すから、あなたも自分のことなんだからちゃんと勉強して責任もちなさいね」みたいな。
母は、1日でサインする承諾書をどんどん渡され、まるでフランツ・ヨーゼフのような状態に陥っていました(←大げさ)。
4)は些細なことですが、なんか気配りを感じました。
導尿パックって量を確認しなきゃいけないから透明の袋に流れていくのはしょうがないんですけど、患者としてはあまり見せびらかしたくないものですよね。
カバーがついているだけで印象が随分違いました。もちろん、カバーをめくれば量はすぐに確認できるようになっています。
5)は個室だけのサービスなのかもしれませんけど、3食それぞれがAとBから選べるようになっていて、朝はパンかご飯かが選べたり、夜は肉か魚が選べたり、和食のおかずか洋食のおかずが選べたりします。
入院中って食べるしか楽しみなくなるから、選べるだけでも楽しくていいなー。
6)は、ドラマなんかだと、だいたい手術室の前の椅子に座って待ってますけど、私たちは病棟で待っているように言われました。そればかりか「喫茶室にお茶飲みに行っててもいいですよ。場所さえ教えておいてくれれば呼びにいきますから」とまで言ってくれました。これにもびっくり。
ちなみに、ドラマでお決まりの「手術中」と点灯するやつ、あれもなかったです。
7)。これは、全身麻酔時は下半身の血流が悪くなって、エコノミー症候群のようになりやすく、足にできた血栓が肺にいって肺塞栓になる危険があるらしいので、昔は手術中に足を持ち上げたりとかしてたみたいなんですが、今は弾性包帯を足に巻いて血流が滞らないようにする裏技(?)ができたようです。
8)。外科手術といえば抜糸ですが、今は時間がたつと溶ける糸というのを使っているので抜糸も必要ないそうです。
溶ける糸は前からあったけど、もっと小さい手術に使うものだと思ってました。
以上です。
他にも、いろいろありますが、とにかく何を見ても隔世の感ありで、一人で「トリビア状態」でした。
「えー、昔はこうだったのに、今はこんななんだ」だけならまだしも、「あんた、昔はこんなで私のときはもっと全然大変だったのよ」という苦労話や不自由話を得意そうに誰彼かまわずするようになると、もはや立派な老人です。
親が子供にそういう説教するならわかるけど、なんで子供が親にこんな説教しなきゃいけないんだろうか…。
もう先月から決まっていたことなんですが、年末年始などが挟まれたこともあって、年明け一番の手術となりました。
本当は数日前から入院するものなんでしょうけど、なにしろ年明け一番の手術なので、入院も前日というあわただしさでした。
手術前に行う検査は年内に外来で一通り済ませたんですけど、それでも術前にやらねばならないノルマのようなものはいろいろあって、手術前ってけっこう忙しいんですよ。
病棟で配られたスケジュール表(やらなければならない事柄がチェックシートになっている)を見たら、「手術の2日前」からすでにカウントダウンが始まっていて、入院した時点で「手術まで24時間をきっていた」私たちは、1日で2日分のノルマを消化せざるをえませんでした。
病棟入りするやいなや、「病棟のルールの説明」「薬や食べ物のアレルギーや既往歴や日ごろの生活習慣についてのインタビュー」「担当看護師の挨拶」「担当医および担当グループの紹介と診察」「麻酔科医によるインタビュー」「病状についての講義と今後の治療方針について」「前日に行わなければならない検査」などが怒濤のように襲ってきたうえ、その合間を縫って「食事」「入浴」「検温や血圧測定や投薬」などが差し挟まれ、朝から晩までベッドを温める暇もない忙しさでした。
さらに、翌日の手術は朝一番だったため、家族は8時までに行かなければならず、朝が苦手な私は正直かなりきつかったです。
午後、手術を終えて病室に戻ってきた母は、全身麻酔がまだ完全に抜けていないため、ずっと半覚醒状態でうつらうつら眠っていましたが、私も父も我慢できずに横で座ったまま爆睡してしまいました(なんて緊張感のない家族)。
おまけに帰りのタクシーの中でも2人揃って寝こんでしまい、運転手に起こされました(最低…)。
手術をしてみなければ詳しいことはわからなかったんですが、お陰様で結果はだいたい事前に予測されていた範囲内での「良いほうの結果」になりました。病気って、結果が出るまでが一番精神的にきついので、これでかなりホッとしました。
先生方もホッとしたのか、手術後に「切り取った病巣」をさながら「とてもすてきなプレゼント」のように箱に入れてもってきて「特別に見せちゃいますね〜」と蓋を開けて嬉しそうに見せてくれました。
それはさておき。
私は以前同じ病院で母の立場だったわけですが、今回20年弱ぶりに「入院&手術」を違う立場から体験し、つくづく「病院は変わった!」と思いました。
もちろん、建て直して病棟がきれいになったとか、個室が増えたとか、備品の性能がよくなったとか、そういうのもあるんですけど、それよりもソフト面ですね、驚いたのは。
以下、昔と違って驚いたことを思いつくままに箇条書きにしてみました。
1)全身麻酔なのにICU(集中治療室)に入らず、
手術が終わって1時間くらいしたら自分の病室に戻れる。
2)手術中に胃液を吸い出すための“鼻から入れるチューブ”は
麻酔後に入れる。
3)病気に関する説明がとにかく懇切丁寧。
4)導尿パックにかわいい布のカバーがついている。
5)食事が選べる。
6)手術中、家族は病棟で待っている。
7)血栓予防に足に布を巻く。
8)抜糸はない。
まず1)。
昔はなんでも大ごとにしたというか、慎重に行う傾向があったみたいですが、最近は必ずしもそれは体の回復にとってプラスにならないという考え方が出てくるようになって(院内感染はむしろICUのほうが起こりやすいとか、導尿も長くやりすぎると感染症を起こしやすいとか)、わりと早め早めに普通の状態にもっていこうというやり方になってきてるようですね。
患者にとってはある意味スパルタですが、外科って本来切ったらあとは自然治癒に任せるものだから、あまり過保護にするのもかえってべつの機能障害が起きやすくなったりしてよくないんでしょうね。
2)については、今回私が一番ショックを受けたことです。
この鼻からチューブ、私のときは麻酔をかける前に入れられたんですよ。
麻酔もなしに、鼻からぶっといチューブをゴリゴリおしこんでそれ喉まで通してあと「飲み込め」って言うんですよ。
飲み込めるわけないじゃないですか。吐きますよ、普通。
でもそれを無理矢理押し込められるの。
そりゃあもう地獄の苦しみでしたよ。
マジで「私はこのまま逝く」と思いましたもん。
全身麻酔の手術でなにが恐怖って、これがダントツで一番恐怖でした。
ところが、これ以降、誰に聞いても「チューブを通すのは全身麻酔で本人の意識がなくなってから」というんですよ。
そんなのってあり?!
で、今回も術前の説明を受けたとき、私は本人でもないのに先生に手を挙げて質問しちゃいましたよ。
「先生。鼻からチュープ入れるのは全麻の前ですか? 後ですか?」
「後です」
「じゃあ、意識がなくなってからやるんですね?」
「そうです」
「それが普通なんですか?」
「まあ消化器系の手術でなければ……それが普通ですね」
「(身を乗り出し)私は18年前、ここでシラフのまま鼻からぐいぐい管を押し込まれて死ぬ思いをしました。これについては先生はいったいどうお考えでしょうか?!」
「うーん。まあ……そういう時代もありましたねー」
………。
時代のせいかよ!
ていうか、遠い目をして語ってるし!
結局、「なぜ昔は意識のあるときにやって、なぜ今は意識のないときにやるのか」「消化器系の手術じゃないのにやられた私はいったいどんな悪いことをしたのか」、明確な答えは返ってきませんでした。
先生の話では、「本当は患者が飲み込んでくれるほうが通しやすい」と言うのですが、実際意識なくても通す方法があるならいいじゃん。
「通しやすい」とか甘えたこと言うな。
患者に頼らず、己の技術を磨けよ。
質問してますます納得できなくなった私ですが、説明会の本筋からみればどうでもいい話だったので、納得できないままこの話題はうち切られてしまいました。
誰か合理的な理由を説明できる人、教えてください。。。
私は納得できるまで、一生このテーマを追求したい思いです。
3)は全般的にそうなんですけど、とにかくなんでも面倒がらずに説明してくれて、これにはびっくりしました。
説明も病室じゃなく、ちゃんとカンファレンスルームを使って画像データやホワイトボードも使ってセミナーのようにたっぷりやってくれるし。
その代わり、患者はそれを納得したらいちいち承諾をとらされるんですよ。
「なんでも話すから、あなたも自分のことなんだからちゃんと勉強して責任もちなさいね」みたいな。
母は、1日でサインする承諾書をどんどん渡され、まるでフランツ・ヨーゼフのような状態に陥っていました(←大げさ)。
4)は些細なことですが、なんか気配りを感じました。
導尿パックって量を確認しなきゃいけないから透明の袋に流れていくのはしょうがないんですけど、患者としてはあまり見せびらかしたくないものですよね。
カバーがついているだけで印象が随分違いました。もちろん、カバーをめくれば量はすぐに確認できるようになっています。
5)は個室だけのサービスなのかもしれませんけど、3食それぞれがAとBから選べるようになっていて、朝はパンかご飯かが選べたり、夜は肉か魚が選べたり、和食のおかずか洋食のおかずが選べたりします。
入院中って食べるしか楽しみなくなるから、選べるだけでも楽しくていいなー。
6)は、ドラマなんかだと、だいたい手術室の前の椅子に座って待ってますけど、私たちは病棟で待っているように言われました。そればかりか「喫茶室にお茶飲みに行っててもいいですよ。場所さえ教えておいてくれれば呼びにいきますから」とまで言ってくれました。これにもびっくり。
ちなみに、ドラマでお決まりの「手術中」と点灯するやつ、あれもなかったです。
7)。これは、全身麻酔時は下半身の血流が悪くなって、エコノミー症候群のようになりやすく、足にできた血栓が肺にいって肺塞栓になる危険があるらしいので、昔は手術中に足を持ち上げたりとかしてたみたいなんですが、今は弾性包帯を足に巻いて血流が滞らないようにする裏技(?)ができたようです。
8)。外科手術といえば抜糸ですが、今は時間がたつと溶ける糸というのを使っているので抜糸も必要ないそうです。
溶ける糸は前からあったけど、もっと小さい手術に使うものだと思ってました。
以上です。
他にも、いろいろありますが、とにかく何を見ても隔世の感ありで、一人で「トリビア状態」でした。
「えー、昔はこうだったのに、今はこんななんだ」だけならまだしも、「あんた、昔はこんなで私のときはもっと全然大変だったのよ」という苦労話や不自由話を得意そうに誰彼かまわずするようになると、もはや立派な老人です。
親が子供にそういう説教するならわかるけど、なんで子供が親にこんな説教しなきゃいけないんだろうか…。
向田ドラマの“お母さん”
「冬の運動会」ネタをひっぱります。
視聴率は、裏に人気の「救命病棟」がきたため(しかも菜々子復帰だし)、2桁をかろうじて越えた程度でしたが、今のところ反響はすごいですね。ネットでみたところ。あの2ちゃんねるですら絶賛の嵐でした。
で、あちこちの感想読んでてちょっとひっかかったコメントがありました。
それは「あのよくできたお母さんが最後に『皆、勝手なことやって。いったい私はなんなのよ!』とキレるのかと思ったら、最後までキレなかったのでよけいにこわかった」という感想です。
なるほど。言われてみればそうですね。
私は向田ドラマという前提で見ていたので、そんなこと考えもしなかった。
だって向田ドラマといえば、お父さんは口うるさくて、怒ってばっかりいて、でも意外に小心者で、お母さんはのんきそうに見えて、ちょっと抜けてて、でもいざというときには肝がすわっていて……というスタンダードなイメージがあるじゃないですか。
舞台設定が昭和のお茶の間から平成のリビングルームになり、和装の加藤治子が洋装の樋口可南子になっても、それは形だけのことで、中身はやっぱり向田世界の住人として認識してしまうんですよ、向田ファンとしては。
でも、向田邦子を知らない人にとってはそんなこと通じないし、舞台が現代なら、平成の現代に生きるキャラクターとして認識しますよね、当然。
そう考えると、この樋口可南子演じるお母さんのキャラはたしかにエイリアンっぽい「理解しがたさ」があるかもしれないと思ったんです。
向田ドラマの母は「私ってあなたたちにとってなんなの?」なんてキレたりしません。でも、現代の40代のお母さんなら充分そういう展開は考えられるし、逆にそうならないのは何か裏に含みがあるのでは?と深読みされちゃうんですよね。
だから今の話にリメイクするなら、「お母さんも最後にキレる」あるいは「お母さんもじつは家庭の外に秘密基地をもっていた」といったオチを視聴者が要求してしまうことも考えなくてはいけないと思うんです。
というと、「それじゃ向田ドラマの良さが失われてしまう」「ああいうタイプのお母さんあっての向田ドラマじゃないか」という反論がきそうですが、もしそうなら時代設定も現代に変えるべきではないと思います。
向田ドラマのお母さん像は、「昭和」という時代が生んだ“作品”なのですから、本来「昭和」の空気や匂いなくしては成り立たないものなんですよ。
じゃあ向田ドラマには現代に通じる普遍性がないのか?
もちろん、そんなことはありません。
実際、「冬の運動会」に描かれる家族のありよう、男3代の抑圧の連鎖などは、現代に通じるどころか、これからのあり方まで示唆されたかのような鋭い描写に溢れていて、立派にリメイクに足る普遍的なテーマ性をもっていると思います。
でも、そういう部分と同時に、「その時代との関係性が濃厚な部分(つまり時代とともに変わっていく部分)」もあって、リメイクするときはそのさじ加減が難しいということです。
「冬の運動会」でいうと、唯一そこが目立ってしまったのが「お母さんのキャラ」だったのかもしれません。
お母さん像をそのままにするなら時代設定も変えない。
時代を現代にリメイクするなら、もうひとつ新しい「平成ならでは」の視点を脚色者が入れ込む。
このいずれかの方法をとるべきだったのではないでしょうか。
さらに考えてみました。
“向田ドラマのお母さん”は、なぜキレないんでしょうか。
「男たちが、家庭に息づまったものを感じてそれぞれ秘密基地をつくる」という気持ちは現代人にとっても非常によくわかります。
自分の居場所がほしくて結婚して家庭を作ったのに、いざ家庭をつくるとまた居場所がない気持ちになってよそに居場所を求めてしまう気持ち……。
じゃあお母さんはそういう気持ちにならないんでしょうか?
今のお母さんは、なるかもしれません。
でも“向田ドラマのお母さん”はならないでしょうね。
なぜなら、“向田ドラマのお母さん”にとって、家庭は完璧な「居場所」だから。
今ほど情報がいきわたっていない時代、今ほど女の生き方が多様化していない時代、選択肢が少ない時代の話です。
他を知らなければそこがお母さんにとっての全宇宙になります。
しかもその宇宙を支配しているのは自分一人。
どうして外へ出る必要があるでしょう。
一人暮らしの人がそれ以上孤独になれる場所を探す必要がないのと同じくらい、外に出る必要なんてないと思います。
男たちが外に居場所を求めようとしたのは、べつにこのお母さんが口うるさいとか、うっとうしいとか、この女から逃げたいとか、そういうことではなく、本能的に「ここはこの女の場所だ。俺は間借り人にすぎない」ということを悟ったからだと思うんですよね。
居場所を求めてさまよう男の姿は今も昔も変わらないんだけど、今はさらに女も家庭が居場所とは思えなくなってしまった…というところに、平成の家庭を読み解くキーワードがあるのかもしれません。
視聴率は、裏に人気の「救命病棟」がきたため(しかも菜々子復帰だし)、2桁をかろうじて越えた程度でしたが、今のところ反響はすごいですね。ネットでみたところ。あの2ちゃんねるですら絶賛の嵐でした。
で、あちこちの感想読んでてちょっとひっかかったコメントがありました。
それは「あのよくできたお母さんが最後に『皆、勝手なことやって。いったい私はなんなのよ!』とキレるのかと思ったら、最後までキレなかったのでよけいにこわかった」という感想です。
なるほど。言われてみればそうですね。
私は向田ドラマという前提で見ていたので、そんなこと考えもしなかった。
だって向田ドラマといえば、お父さんは口うるさくて、怒ってばっかりいて、でも意外に小心者で、お母さんはのんきそうに見えて、ちょっと抜けてて、でもいざというときには肝がすわっていて……というスタンダードなイメージがあるじゃないですか。
舞台設定が昭和のお茶の間から平成のリビングルームになり、和装の加藤治子が洋装の樋口可南子になっても、それは形だけのことで、中身はやっぱり向田世界の住人として認識してしまうんですよ、向田ファンとしては。
でも、向田邦子を知らない人にとってはそんなこと通じないし、舞台が現代なら、平成の現代に生きるキャラクターとして認識しますよね、当然。
そう考えると、この樋口可南子演じるお母さんのキャラはたしかにエイリアンっぽい「理解しがたさ」があるかもしれないと思ったんです。
向田ドラマの母は「私ってあなたたちにとってなんなの?」なんてキレたりしません。でも、現代の40代のお母さんなら充分そういう展開は考えられるし、逆にそうならないのは何か裏に含みがあるのでは?と深読みされちゃうんですよね。
だから今の話にリメイクするなら、「お母さんも最後にキレる」あるいは「お母さんもじつは家庭の外に秘密基地をもっていた」といったオチを視聴者が要求してしまうことも考えなくてはいけないと思うんです。
というと、「それじゃ向田ドラマの良さが失われてしまう」「ああいうタイプのお母さんあっての向田ドラマじゃないか」という反論がきそうですが、もしそうなら時代設定も現代に変えるべきではないと思います。
向田ドラマのお母さん像は、「昭和」という時代が生んだ“作品”なのですから、本来「昭和」の空気や匂いなくしては成り立たないものなんですよ。
じゃあ向田ドラマには現代に通じる普遍性がないのか?
もちろん、そんなことはありません。
実際、「冬の運動会」に描かれる家族のありよう、男3代の抑圧の連鎖などは、現代に通じるどころか、これからのあり方まで示唆されたかのような鋭い描写に溢れていて、立派にリメイクに足る普遍的なテーマ性をもっていると思います。
でも、そういう部分と同時に、「その時代との関係性が濃厚な部分(つまり時代とともに変わっていく部分)」もあって、リメイクするときはそのさじ加減が難しいということです。
「冬の運動会」でいうと、唯一そこが目立ってしまったのが「お母さんのキャラ」だったのかもしれません。
お母さん像をそのままにするなら時代設定も変えない。
時代を現代にリメイクするなら、もうひとつ新しい「平成ならでは」の視点を脚色者が入れ込む。
このいずれかの方法をとるべきだったのではないでしょうか。
さらに考えてみました。
“向田ドラマのお母さん”は、なぜキレないんでしょうか。
「男たちが、家庭に息づまったものを感じてそれぞれ秘密基地をつくる」という気持ちは現代人にとっても非常によくわかります。
自分の居場所がほしくて結婚して家庭を作ったのに、いざ家庭をつくるとまた居場所がない気持ちになってよそに居場所を求めてしまう気持ち……。
じゃあお母さんはそういう気持ちにならないんでしょうか?
今のお母さんは、なるかもしれません。
でも“向田ドラマのお母さん”はならないでしょうね。
なぜなら、“向田ドラマのお母さん”にとって、家庭は完璧な「居場所」だから。
今ほど情報がいきわたっていない時代、今ほど女の生き方が多様化していない時代、選択肢が少ない時代の話です。
他を知らなければそこがお母さんにとっての全宇宙になります。
しかもその宇宙を支配しているのは自分一人。
どうして外へ出る必要があるでしょう。
一人暮らしの人がそれ以上孤独になれる場所を探す必要がないのと同じくらい、外に出る必要なんてないと思います。
男たちが外に居場所を求めようとしたのは、べつにこのお母さんが口うるさいとか、うっとうしいとか、この女から逃げたいとか、そういうことではなく、本能的に「ここはこの女の場所だ。俺は間借り人にすぎない」ということを悟ったからだと思うんですよね。
居場所を求めてさまよう男の姿は今も昔も変わらないんだけど、今はさらに女も家庭が居場所とは思えなくなってしまった…というところに、平成の家庭を読み解くキーワードがあるのかもしれません。
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
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