古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
対面式「キッチン」
最近、観る芝居が貧乏くさいと言われているので(笑)、たまにはブルジョワな芝居にも行かないと!とシアターコクーンに「KITCHEN」を観にいってビンボーの垢を落としてきました。
舞台の中央にはかなりリアルにレストランの厨房を再現。その厨房を挟むように客席が対面式になっています(舞台を挟んで向こう側にもこちら側と同じように客席が作られている)。
蜷川演出は最近この方式が多く、「対面式か搬入口見せるかしか興味ないんか!」とひそかにつっこむ私…。
最初は暗い無人の厨房に、1人、また1人と従業員が集まってきます。人が入って初めて息をし始める「キッチン」。ランチタイムを前に賄いで腹ごしらえをする従業員たち。やがてお客が入り始め、大量のオーダーが入り、厨房はさながら戦場のような狂乱状態になる……。
とにかく、登場する役者の数がメチャクチャ多くてびっくり。最後のカーテンコールで数えたら35人いました。しかも、はっきりとキャラだちしてるのが数人であとはアンサンブルっていうわけじゃなく、群像劇っぽく作られていての35人なのでかなり多く感じました。
群像劇が悪いわけじゃないんだけど、その中でももう少しメインとなる人物を絞って掘り下げてくれないと、観客としてはちょっと観ているのがつらいです。終始大勢の人が出たり入ったりを繰り返す雑然とした空気を出したいのはわかるんだけど、それだけでは演劇として成立しないと思うし。
いろいろな国籍のコックがいて、いろいろな言語がとびかうキッチンという設定はおもしろいと思いますが、はっきり言えば設定だけっていう感じ。人種問題がちょこっと出てくるけど、それもスパイス程度で日本人にはピンときませんでした。
もちろん、演出に関しては「さすが蜷川!」と思いましたよ。
1幕の終わり、ランチタイムに入って徐々に戦場のようになっていく厨房の描写はものすごい迫力で(しかしランチタイム2000人の客っていったいどんなレストランだ?! そんな大量の客をさばくならランチメニューしか出さないようにして、いちいちヒラメとかローストチキンとかオーダーとるなよ!と思ってしまったんですが)、この迫力を出すにはこの人数が必要というのはわからなくもない。役者1人ひとりの精密な動きが織りなすアンサンブルは蜷川ならではのダイナミックさで、ここだけでも見応え充分。が、ここだけかな、みどころは(笑)。
どの人間関係も大味すぎて、ストレートプレイとしては物足りないかなー。
むしろミュージカルだったらもっと虚構性が出せたのでは?と思いました。
というのも、調理器具のガチャガチャいう音に邪魔されてセリフがききづらかったり、誰がどういう状況でしゃべっているのかわかりづらかったりすることが多くて、リアルに厨房を再現したことが仇となって肝心の中身が伝わりにくくなっている気がしたので。
ミュージカルなら、厨房のアクロバティックな動きをダンスに近い形で消化しつつ、メインの人物だけにピンをあててそれぞれの心情を歌で語らせることも可能だし、オーダーが殺到するところなんかも、ミュージカル仕立てにしたら繰り返しがエスカレートしていく感じがおもしろく作れそうな気がする。
もっともそうなるとまったくべつの作品になってしまい、作者の意図とは離れてしまうのかもしれませんが、観客の立場からするとそのほうが観てみたいなーと思いました。
成宮寛貴は、「お気に召すまま」でもそうだったけど、滑舌悪すぎ。
特に今回のように怒鳴るセリフが多いと、まったく何を言っているのかわかりません。しかもお腹から声が出ていないので、常に声がつぶれてしまっているんですよね(「お気に召すまま」のときは、女役なのに声がつぶれてしまっていて悲惨な状況でした)。
今回も対面式の向こう側の客席通路までいって芝居されるともう声が聞こえなくて、これは芝居がどうこういう以前の問題じゃないかと思いました。
杉田かおるは、なんか冷静すぎるっていうか、さっぱりしすぎで、若い男に溺れるようには見えないかな。もうちょっと崩れた魅力があってもいいのでは?と思いますが、日本人はあまり得意じゃないキャラなのかもしれません。
蜷川芝居の常連である高橋洋は唯一安心して見ていられました。
セリフも明瞭だったし、長ゼリフの聞かせ方も心得てるし、何よりも調理のマイムが滑らか。他の人は「マイムだな」とすぐにわかるんだけど、高橋だけは一瞬本当に食材を扱っているように見えたほどうまかったです。
結局、蜷川はこの作品の「演出」に興味をもったんだろうなー。そうとしか思えない。だってこれ、他の演出家がやったら絶対に失敗しそうだもの。まあ、こんなお金かけた舞台、蜷川でなきゃできないってこともあるけど。
もはや蜷川は「自分でなきゃできない演出が要求される演出難易度の高い芝居」にしか興味がないのかも……。
舞台の中央にはかなりリアルにレストランの厨房を再現。その厨房を挟むように客席が対面式になっています(舞台を挟んで向こう側にもこちら側と同じように客席が作られている)。
蜷川演出は最近この方式が多く、「対面式か搬入口見せるかしか興味ないんか!」とひそかにつっこむ私…。
最初は暗い無人の厨房に、1人、また1人と従業員が集まってきます。人が入って初めて息をし始める「キッチン」。ランチタイムを前に賄いで腹ごしらえをする従業員たち。やがてお客が入り始め、大量のオーダーが入り、厨房はさながら戦場のような狂乱状態になる……。
とにかく、登場する役者の数がメチャクチャ多くてびっくり。最後のカーテンコールで数えたら35人いました。しかも、はっきりとキャラだちしてるのが数人であとはアンサンブルっていうわけじゃなく、群像劇っぽく作られていての35人なのでかなり多く感じました。
群像劇が悪いわけじゃないんだけど、その中でももう少しメインとなる人物を絞って掘り下げてくれないと、観客としてはちょっと観ているのがつらいです。終始大勢の人が出たり入ったりを繰り返す雑然とした空気を出したいのはわかるんだけど、それだけでは演劇として成立しないと思うし。
いろいろな国籍のコックがいて、いろいろな言語がとびかうキッチンという設定はおもしろいと思いますが、はっきり言えば設定だけっていう感じ。人種問題がちょこっと出てくるけど、それもスパイス程度で日本人にはピンときませんでした。
もちろん、演出に関しては「さすが蜷川!」と思いましたよ。
1幕の終わり、ランチタイムに入って徐々に戦場のようになっていく厨房の描写はものすごい迫力で(しかしランチタイム2000人の客っていったいどんなレストランだ?! そんな大量の客をさばくならランチメニューしか出さないようにして、いちいちヒラメとかローストチキンとかオーダーとるなよ!と思ってしまったんですが)、この迫力を出すにはこの人数が必要というのはわからなくもない。役者1人ひとりの精密な動きが織りなすアンサンブルは蜷川ならではのダイナミックさで、ここだけでも見応え充分。が、ここだけかな、みどころは(笑)。
どの人間関係も大味すぎて、ストレートプレイとしては物足りないかなー。
むしろミュージカルだったらもっと虚構性が出せたのでは?と思いました。
というのも、調理器具のガチャガチャいう音に邪魔されてセリフがききづらかったり、誰がどういう状況でしゃべっているのかわかりづらかったりすることが多くて、リアルに厨房を再現したことが仇となって肝心の中身が伝わりにくくなっている気がしたので。
ミュージカルなら、厨房のアクロバティックな動きをダンスに近い形で消化しつつ、メインの人物だけにピンをあててそれぞれの心情を歌で語らせることも可能だし、オーダーが殺到するところなんかも、ミュージカル仕立てにしたら繰り返しがエスカレートしていく感じがおもしろく作れそうな気がする。
もっともそうなるとまったくべつの作品になってしまい、作者の意図とは離れてしまうのかもしれませんが、観客の立場からするとそのほうが観てみたいなーと思いました。
成宮寛貴は、「お気に召すまま」でもそうだったけど、滑舌悪すぎ。
特に今回のように怒鳴るセリフが多いと、まったく何を言っているのかわかりません。しかもお腹から声が出ていないので、常に声がつぶれてしまっているんですよね(「お気に召すまま」のときは、女役なのに声がつぶれてしまっていて悲惨な状況でした)。
今回も対面式の向こう側の客席通路までいって芝居されるともう声が聞こえなくて、これは芝居がどうこういう以前の問題じゃないかと思いました。
杉田かおるは、なんか冷静すぎるっていうか、さっぱりしすぎで、若い男に溺れるようには見えないかな。もうちょっと崩れた魅力があってもいいのでは?と思いますが、日本人はあまり得意じゃないキャラなのかもしれません。
蜷川芝居の常連である高橋洋は唯一安心して見ていられました。
セリフも明瞭だったし、長ゼリフの聞かせ方も心得てるし、何よりも調理のマイムが滑らか。他の人は「マイムだな」とすぐにわかるんだけど、高橋だけは一瞬本当に食材を扱っているように見えたほどうまかったです。
結局、蜷川はこの作品の「演出」に興味をもったんだろうなー。そうとしか思えない。だってこれ、他の演出家がやったら絶対に失敗しそうだもの。まあ、こんなお金かけた舞台、蜷川でなきゃできないってこともあるけど。
もはや蜷川は「自分でなきゃできない演出が要求される演出難易度の高い芝居」にしか興味がないのかも……。
「キッチン」(DVD)
2005年の公演を収録したDVD。
演出は蜷川幸雄。
出演は成宮寛貴、杉田かおる、高橋洋他。
2005年の公演を収録したDVD。
演出は蜷川幸雄。
出演は成宮寛貴、杉田かおる、高橋洋他。
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狭い空間に密集する人々
燐光群の「屋根裏」に行ってきました。
燐光群は、坂手洋二という劇作家&演出家が率いる劇団で、いわゆる小劇場芝居をやる劇団です。坂手洋二のお芝居を観るのは、新国立劇場の「2人の女兵士の物語」に続いて2回目で、燐光群のお芝居を観るのは初めてなので、その特徴を一言で語るのは難しいのですが、最近の小劇場群の中ではアングラくさい匂いがあるほうではないでしょうか。
といっても、笑いもあるし、会話も難解というほどではないし、描写も具体的だし、かつてのアングラほどおどろおどろしかったり湿っぽい匂いがあるわけではありません。そこは21世紀の劇団だけあってライトな味です。
じつは私はあんまりこの手のお芝居には興味がなく、「2人の女兵士の物語」も正直ちょっときつかったので、今回も観ようというモチベーションは比較的薄かったのですが、読売演劇大賞の演出部門で賞をとったというのに興味をもって行ってきました。
梅ヶ丘BOX(燐光群の本拠地)は、ギチギチに詰めて60人くらいしか入らない穴蔵のような劇場で、今まで観た中で最小かも。
でも、今回の話は「狭い空間にひきこもる現代人の歪んだ心理」みたいなものがテーマだったので、空間的にはこの狭さがすごくぴったりで、たしかにこれ以上大きい空間でこの芝居をやったら間抜けだなと思いました。
観終わった印象は、一言でいって「演劇的」。
最小限のモノで観客の想像力をどんどん刺激していくテクニックの数々に演劇ならではのおもしろさを堪能しました。
まず、明転すると、舞台の真ん中に「組立式の屋根裏キット」の内部がポッと浮かびあがります。
屋根裏と言っても持ち運びができるものなので、まあいってみれば「箱」です。
天井部分が傾斜しているところが「屋根裏風」な以外は「屋根裏」と呼べる要素はじつはひとつもありません。
この屋根裏の客席側の壁の部分だけをオープンにして、芝居はもっぱらこの箱の中だけで進んでいきます(照明はあくまでも屋根裏の内部にしかあたらなくて、それ以外には暗幕が張ってあるので、屋根裏はまさしく暗闇の中空に浮いているように見える)。
屋根裏自体は最初から最後まで動かないので、この物理的な制約の中でいかに目先の変化をつけるのかが演出の腕の見せどころとなります。
屋根裏の中には一人の中年男が座っています(屋根裏の内部は、人は座るか寝るかしかできない大きさとなっている)。
以後、この屋根裏を舞台にさまざまな人が繰り広げるさまざまなドラマがオムニバス風に大量に重なっていくのですが、うまいのはその“屋根裏の中”という小さな切り取られた空間の使い方です。
最初は外界から遮断された箱に見えるのですが、やがて正面の扉(人一人がかろうじて潜り込めるくらいの大きさ)が開閉して人が出入りするようになり、次は天井にも出入口があることがわかり、水平の出入りだけでなく垂直の移動も加わります。
さらに左右には窓がついていて外を眺めることもできることがわかり、この箱が意外に外界と接触する部分が多いことがわかってくるのです。
箱の中に入ってくる人の数も、最初こそ「1人でも窮屈」に見えるのが、2人入って芝居するばかりか、中で激しく動きまわったり、3人4人と入る人数が増えてくるようになるにつれ、だんだんと狭さに感覚が慣れてくるというか、屋根裏が全宇宙に見えてきて、この切り取られた狭い空間の中ですべてが行われることが当然にように感じられてきます。
だから、初めて役者が屋根裏の外で芝居を始めたとき(キャスターが組立式屋根裏の急速な流行についてのニュースを読み上げる場面)、ただそれだけのことなのに観ている側はギョッとします(実際この場面で後ろのおばちゃんは声に出して「あー、びっくりしたー」と言っていた)。
この効果は大変スリリングでした。大袈裟に言えば、私たちも知らず知らずのうちにこの切り取られた空間に全宇宙を見て、それ以外を「無」とみなすようになっていたということなんですね。同じ大きさの人間なのに、屋根裏の中に入ると小さく見え、外にたつと大きく見えるのも不思議。
そして最後には、屋根裏の周囲の暗幕が取り払われ、屋根裏を作っている工場が出現するのですが、ここでは屋根裏が工場という世界を構成する要素の一部でしかなくなります。
屋根裏自体は最初から最後まで位置を変えないのに、周囲の効果でいかようにも定義づけてしまうというところがいかにも制約を逆手にとった小劇場演劇らしい。
オムニバスっぽく繰り広げられる一つひとつのエピソードも、空間同様切り取り方が見事でした。
まさに先日T宝の授業でやった読み合わせ課題くらいのボリュームの話(10分程度)ばかりなのですが、「短い話を書くときは、無理に起承転結をつけようとしなくていい。人間が描けているほうが大事。そうすれば起承転結は演じられる人間によって自然についてくる」と役者さんに言われたアドバイスを思い出し、なるほどと思う部分がありました。
たとえば、いじめから不登校になり、屋根裏にひきこもったまま出てこなくなった少女のもとを訪ねる女教師の話。
下手な人が書くと、教師がなにかいい話をして少女の心を開き、学校に行かせる気にするまでとかを書いてしまうところですが、ここでは途中で教師が「私だっていじめられてるのよ」と逆ギレし、職場でも教室でも自分が浮いていることに苦しんでいると告白。ここで立場が逆転し、2人の関係性が動きます。
2人芝居は関係性が固定してしまうとどんどん退屈するので、このあたりの切り替えはうまいですね。
そして最後のオチですが、ヒステリーが極限にまできた女教師に対し、なすすべのなくなった少女は、「先生。いいもの見せてあげる」といって部屋の電気を消し、お手製のプラネタリウムを披露します。
目の前に広がる星空を見て教師は落ち着きを取り戻し、最後に暗闇から2人の「さそり座はどれだかわかる?」「あ、あれじゃない?」というようなボソボソした会話が聞こえてきておしまい。
うーん。これは「やられた」と思いましたね。2人の問題はなんにも解決していないのに、ちゃんとカタルシスがあるし、お客も納得してしまう。そして2人の人間性も関係性も伝わってくる。
初心者はどうしても理屈でオチをつけようとして、起承転結に合わせて人物を動かしてしまいがちですが、これはまったく逆。
しかも「狭い空間」から「無限の広がりを感じさせる星空」へ、一瞬にして空間を切り替えることによって得られる解放感の効果も絶大で、これまたライブの演劇にしかできない試みだなと思いました。
エピソードには、他にも「新潟の少女監禁事件」を思わせるエピソードや、今はやりの「ニート」など、「ひきこもる人」をキーワードにしたいろいろなシチュエーションが次々に出現し、飽きさせません。
ただ、一つひとつはおもしろいのですが、さすがに2時間10分休憩なしで続けられるのはきつい。正直、最後の30分は無理やりすべてをまとめようとして急に哲学的になり、ちぐはぐな印象を受けました。
まとめなくていいから、潔く断片的なオムニバスだけでまとめちゃったほうが斬新な演出も生きてよかったのではないでしょうか。そうすれば30分は短縮できたと思います。
また、一つひとつのドラマは関係ないようでいて微妙にリンクしているのですが、その「微妙にリンク」という部分がじつはちょっと観る側にとっては厄介でした。
というのも、全部で13人の役者がいろいろなシチュエーションのいろいろな人物を演じるわけですが、場面ごとに違う役として出てくるわけではなく、前に出てきた役の続きとして同じ役を演じることもあるため、「これは前に演じた役と同じ役という設定? それともまったく関係ない新たな役として出ているの?」といちいち考えてしまい、話に入り込むまでにいまひとつひっかかりを感じてしまうのです。
見た目をすごくわかりやすく変えてくるわけではないので、そのへんの区別は非常に難しい。キーワードになるセリフがあればはっきりわかるんだけど、それが出るまでは変に深読みしちゃったりして、その深読みが逆に邪魔になることがありました。
どちらかというと意味を深読みするよりは、五感に訴えてくる感覚を重視する作品だと思うので、深読みの隙を与えるのは損だと思います。
以上、なんだかんだ言いつつけっこう楽しんだのですが、ひとつとっても謎だったのは客層です。
若い人が多いのかと思いきや、意外にもおばちゃんが多いんですよ。それも大劇場に出没するようなおばさまではなく、地元のおばちゃんって感じの普段着のおばちゃんが。
どう見てもアングラっぽいこの芝居の、いったいどこにひきつけられてこの人たちはやってきたのか……。
失礼ながらおばちゃん好みのイケメンがいるとも思えないんですけど。
演劇界の七不思議です(←そこまで謎なのか?)。
どなたか理由をご存じの方は教えてください。
燐光群は、坂手洋二という劇作家&演出家が率いる劇団で、いわゆる小劇場芝居をやる劇団です。坂手洋二のお芝居を観るのは、新国立劇場の「2人の女兵士の物語」に続いて2回目で、燐光群のお芝居を観るのは初めてなので、その特徴を一言で語るのは難しいのですが、最近の小劇場群の中ではアングラくさい匂いがあるほうではないでしょうか。
といっても、笑いもあるし、会話も難解というほどではないし、描写も具体的だし、かつてのアングラほどおどろおどろしかったり湿っぽい匂いがあるわけではありません。そこは21世紀の劇団だけあってライトな味です。
じつは私はあんまりこの手のお芝居には興味がなく、「2人の女兵士の物語」も正直ちょっときつかったので、今回も観ようというモチベーションは比較的薄かったのですが、読売演劇大賞の演出部門で賞をとったというのに興味をもって行ってきました。
梅ヶ丘BOX(燐光群の本拠地)は、ギチギチに詰めて60人くらいしか入らない穴蔵のような劇場で、今まで観た中で最小かも。
でも、今回の話は「狭い空間にひきこもる現代人の歪んだ心理」みたいなものがテーマだったので、空間的にはこの狭さがすごくぴったりで、たしかにこれ以上大きい空間でこの芝居をやったら間抜けだなと思いました。
観終わった印象は、一言でいって「演劇的」。
最小限のモノで観客の想像力をどんどん刺激していくテクニックの数々に演劇ならではのおもしろさを堪能しました。
まず、明転すると、舞台の真ん中に「組立式の屋根裏キット」の内部がポッと浮かびあがります。
屋根裏と言っても持ち運びができるものなので、まあいってみれば「箱」です。
天井部分が傾斜しているところが「屋根裏風」な以外は「屋根裏」と呼べる要素はじつはひとつもありません。
この屋根裏の客席側の壁の部分だけをオープンにして、芝居はもっぱらこの箱の中だけで進んでいきます(照明はあくまでも屋根裏の内部にしかあたらなくて、それ以外には暗幕が張ってあるので、屋根裏はまさしく暗闇の中空に浮いているように見える)。
屋根裏自体は最初から最後まで動かないので、この物理的な制約の中でいかに目先の変化をつけるのかが演出の腕の見せどころとなります。
屋根裏の中には一人の中年男が座っています(屋根裏の内部は、人は座るか寝るかしかできない大きさとなっている)。
以後、この屋根裏を舞台にさまざまな人が繰り広げるさまざまなドラマがオムニバス風に大量に重なっていくのですが、うまいのはその“屋根裏の中”という小さな切り取られた空間の使い方です。
最初は外界から遮断された箱に見えるのですが、やがて正面の扉(人一人がかろうじて潜り込めるくらいの大きさ)が開閉して人が出入りするようになり、次は天井にも出入口があることがわかり、水平の出入りだけでなく垂直の移動も加わります。
さらに左右には窓がついていて外を眺めることもできることがわかり、この箱が意外に外界と接触する部分が多いことがわかってくるのです。
箱の中に入ってくる人の数も、最初こそ「1人でも窮屈」に見えるのが、2人入って芝居するばかりか、中で激しく動きまわったり、3人4人と入る人数が増えてくるようになるにつれ、だんだんと狭さに感覚が慣れてくるというか、屋根裏が全宇宙に見えてきて、この切り取られた狭い空間の中ですべてが行われることが当然にように感じられてきます。
だから、初めて役者が屋根裏の外で芝居を始めたとき(キャスターが組立式屋根裏の急速な流行についてのニュースを読み上げる場面)、ただそれだけのことなのに観ている側はギョッとします(実際この場面で後ろのおばちゃんは声に出して「あー、びっくりしたー」と言っていた)。
この効果は大変スリリングでした。大袈裟に言えば、私たちも知らず知らずのうちにこの切り取られた空間に全宇宙を見て、それ以外を「無」とみなすようになっていたということなんですね。同じ大きさの人間なのに、屋根裏の中に入ると小さく見え、外にたつと大きく見えるのも不思議。
そして最後には、屋根裏の周囲の暗幕が取り払われ、屋根裏を作っている工場が出現するのですが、ここでは屋根裏が工場という世界を構成する要素の一部でしかなくなります。
屋根裏自体は最初から最後まで位置を変えないのに、周囲の効果でいかようにも定義づけてしまうというところがいかにも制約を逆手にとった小劇場演劇らしい。
オムニバスっぽく繰り広げられる一つひとつのエピソードも、空間同様切り取り方が見事でした。
まさに先日T宝の授業でやった読み合わせ課題くらいのボリュームの話(10分程度)ばかりなのですが、「短い話を書くときは、無理に起承転結をつけようとしなくていい。人間が描けているほうが大事。そうすれば起承転結は演じられる人間によって自然についてくる」と役者さんに言われたアドバイスを思い出し、なるほどと思う部分がありました。
たとえば、いじめから不登校になり、屋根裏にひきこもったまま出てこなくなった少女のもとを訪ねる女教師の話。
下手な人が書くと、教師がなにかいい話をして少女の心を開き、学校に行かせる気にするまでとかを書いてしまうところですが、ここでは途中で教師が「私だっていじめられてるのよ」と逆ギレし、職場でも教室でも自分が浮いていることに苦しんでいると告白。ここで立場が逆転し、2人の関係性が動きます。
2人芝居は関係性が固定してしまうとどんどん退屈するので、このあたりの切り替えはうまいですね。
そして最後のオチですが、ヒステリーが極限にまできた女教師に対し、なすすべのなくなった少女は、「先生。いいもの見せてあげる」といって部屋の電気を消し、お手製のプラネタリウムを披露します。
目の前に広がる星空を見て教師は落ち着きを取り戻し、最後に暗闇から2人の「さそり座はどれだかわかる?」「あ、あれじゃない?」というようなボソボソした会話が聞こえてきておしまい。
うーん。これは「やられた」と思いましたね。2人の問題はなんにも解決していないのに、ちゃんとカタルシスがあるし、お客も納得してしまう。そして2人の人間性も関係性も伝わってくる。
初心者はどうしても理屈でオチをつけようとして、起承転結に合わせて人物を動かしてしまいがちですが、これはまったく逆。
しかも「狭い空間」から「無限の広がりを感じさせる星空」へ、一瞬にして空間を切り替えることによって得られる解放感の効果も絶大で、これまたライブの演劇にしかできない試みだなと思いました。
エピソードには、他にも「新潟の少女監禁事件」を思わせるエピソードや、今はやりの「ニート」など、「ひきこもる人」をキーワードにしたいろいろなシチュエーションが次々に出現し、飽きさせません。
ただ、一つひとつはおもしろいのですが、さすがに2時間10分休憩なしで続けられるのはきつい。正直、最後の30分は無理やりすべてをまとめようとして急に哲学的になり、ちぐはぐな印象を受けました。
まとめなくていいから、潔く断片的なオムニバスだけでまとめちゃったほうが斬新な演出も生きてよかったのではないでしょうか。そうすれば30分は短縮できたと思います。
また、一つひとつのドラマは関係ないようでいて微妙にリンクしているのですが、その「微妙にリンク」という部分がじつはちょっと観る側にとっては厄介でした。
というのも、全部で13人の役者がいろいろなシチュエーションのいろいろな人物を演じるわけですが、場面ごとに違う役として出てくるわけではなく、前に出てきた役の続きとして同じ役を演じることもあるため、「これは前に演じた役と同じ役という設定? それともまったく関係ない新たな役として出ているの?」といちいち考えてしまい、話に入り込むまでにいまひとつひっかかりを感じてしまうのです。
見た目をすごくわかりやすく変えてくるわけではないので、そのへんの区別は非常に難しい。キーワードになるセリフがあればはっきりわかるんだけど、それが出るまでは変に深読みしちゃったりして、その深読みが逆に邪魔になることがありました。
どちらかというと意味を深読みするよりは、五感に訴えてくる感覚を重視する作品だと思うので、深読みの隙を与えるのは損だと思います。
以上、なんだかんだ言いつつけっこう楽しんだのですが、ひとつとっても謎だったのは客層です。
若い人が多いのかと思いきや、意外にもおばちゃんが多いんですよ。それも大劇場に出没するようなおばさまではなく、地元のおばちゃんって感じの普段着のおばちゃんが。
どう見てもアングラっぽいこの芝居の、いったいどこにひきつけられてこの人たちはやってきたのか……。
失礼ながらおばちゃん好みのイケメンがいるとも思えないんですけど。
演劇界の七不思議です(←そこまで謎なのか?)。
どなたか理由をご存じの方は教えてください。
卵酒マイスターへの道
インフルエンザから脱却したのも記憶に新しいのに、最近また風邪をひきかかりました。
風邪の初期症状って自分にだけわかる目安があるじゃないですか。
1)「あー、危ないかな」→2)「このままいくと一両日中にやられる」→3)「今なら薬飲んで寝ればなんとかなるかも」→4)「あー、こりゃもうどうもならんわ」っていう細かなレベルが。
これを敏感に察知してできるだけ下のレベルで食い止められれば風邪も軽く済むか、ひかないで済むのですが、これがなかなか言うは易し、行うは難し。
具体的に言うと、3)と4)の間がくせもの。3)だと思っているとアッという間に4)に移行してしまいます。
私は喉が痛くなってくるともうダメで、「よくないな」と思いつつ結局抗生物質を飲んでしまう。
飲まないで治そうと思うとどんどんひどくなってしまうので、やっぱり科学の力に頼ってしまうんですねー。
で、今回も限りなく4)に近い3)の状態になり、しかもその日は深夜にどうしても出なければならない集まりがあり、なおかつ翌日の夜にも観劇が入っていた。
喉が痛いだけでなく、頭の中がボワーンとしていて、体もだるくて、やたらに疲れて、今にも発熱しそう。
いつもなら絶対抗生物質を飲まないと回復しない段階ですが、今回は趣向を変えて(?)日本古来の民間方法「卵酒」を試してみることにしました。
「風邪には卵酒がよく効く」と昔から言われていますが、正直ホントにそんなに効果があるとは思っていませんでした。
ただ、医者に行く余裕がなかったし、このあいだの誤診事件もあったしで、医者に行くのは気が進まなかった。
一応、葛根湯があったので、それは飲んでみたけど、葛根湯が効く段階は通り越しているように思えたので、卵酒をオプションで加えてみた次第。
まずはネットで「卵酒の作り方」を検索してみたところ、いきなり出てきたのが「卵酒の作り方の失敗例」。
基本的に卵酒は日本酒に卵と砂糖を加えればいいのですが、その人は普通に日本酒を火にかけて熱くしたところに溶き卵をジャッと加えたところ、「かき玉スープ」になってしまい、それが「激まず」だったというのです。
そりゃそうですよね。卵は60度くらいから固り始めるというから、熱いお酒に溶き卵を入れれば、当然かき玉スープになるでしょう。
その失敗例に対するコメントを見たら、「卵酒は卵黄だけを使うのでは?」という意見がありました。
なるほど、たしかに卵は卵白と卵黄で固まり方が違うから(完全に固まる温度は両方同じくらいだけど、卵白は低い温度からゆっくり固まっていき、卵黄は急に固まる)、卵白をまぜるとより早くかき玉状になってしまうわけですね。
そういえば、卵酒には卵黄だけを使うって聞いたような気もしてきた…。
ところが、それに対し、「いや。じつは卵白には殺菌作用があるので、全卵を使うほうがより効果があるのだ」という説もあり、そう言われると卵白も入れたくなる。
とにかく、共通しているのは、「あまり熱くせず、卵は一気に流し込まず、少しずつまぜる」ということ。
というわけで、深夜の台所にフラフラの状態で立ち、挑戦してみました。
……が、肝心の日本酒がなーい!!
うち、日本酒飲まないからなー。
外に買いにいく気はもちろんなし。
しかたなく、料理用日本酒を使って作ってみる。
その結果は………………ま・ず〜い!
いやもうまずいなんてもんじゃないです。
料理用のお酒がおいしいとは思ってなかったけど、ここまでまずいとは。
なんかものすごく変な甘さなの。みりん飲んでるみたいな。
みりんが甘いのはわかるけど、料理用酒もこんなに甘かったのね。
おまけに卵も気をつけてまぜたつもりだったのに案の定一部固まってしまい、どこからみても大失敗。
もったいないけど、とても飲めなくて捨てました。
ええ。こんなもの飲むくらいなら熱出したほうがまし。
で、次に探し出したのがワイン。
瓶の底に残っていたもので、かなり古そうだったけど、それしかないので使いました。
結果は………おいしくはなかったけど、まあ薬と思えば飲めない事はない程度。
とにかくその得体のしれない「卵ワイン」を飲んで寝ました。
そしたらあなた。
これが効いたのなんのって。
寝ているあいだにものすごい汗が出て、翌日起きたら嘘のように頭も体も軽い。
明らかに前日よりも楽になっていました。
薬なしでここまで良くなるなんて信じられない。
日本の民間療法、バカにできません。
侮りがたし、卵酒……いや、卵ワイン。
これに味をしめ、翌日はウィスキーで作ってみました。
結果は……うーん。ワインよりさらに微妙でしたが、まあこれも飲めなくはない。
2日目は1日目ほど具合が悪いわけじゃなかったので、劇的な体調の変化もありませんでした。
そして3日目。
もう飲まなくてもよかったんだけど、いい日本酒が入ってきたので、「よし。最後に本物の“正調・卵酒”を作ってみようではないか」と思い、3度目の卵酒に挑戦。
3度目ともなるとコツもつかめてきます。
要するに、火にかけた鍋に入れたお酒に卵を入れるから固まりやすいんですよ。
逆にちょっとさまし気味にしたお酒をちょっとずつ溶き卵のほうにまぜてみたら、全然固まることなく非常にうまくできあがりました。
ただ、これだと固まらない代わりにかなりぬるくなってしまうので、卵とお酒を完全に混ぜ合わせたところでもう一度鍋に戻し、小さい火ですこーしずつ温めます。
一度混ざってしまえば、ちょっとやそっと熱を加えてもかき玉にはなりません。
こうしてできあがあった“正調・卵酒”の味は……おい・し〜い!
もう、これぞ卵酒、「That′s TAMAGOZAKE!」というおいしさでした。
なんて合うんだ、卵と日本酒。もう問題じゃないです、ワインとウィスキーなんて。
もし私が外国人だったら、風邪のときには「卵ウォッカ」とか、「卵テキーラ」とか、「卵紹興酒」とか飲んでいたんでしょうか。
だとしたら日本人に生まれてよかった〜!!
卵には日本酒。
もう絶対です。憲法に入れてほしいくらい。
ええ。国粋主義者でけっこう。
というわけで、「卵酒マイスターへの道」をお送りしました。
皆様も早く風邪気味になって、おいしい「卵酒」をお試しください♪
風邪の初期症状って自分にだけわかる目安があるじゃないですか。
1)「あー、危ないかな」→2)「このままいくと一両日中にやられる」→3)「今なら薬飲んで寝ればなんとかなるかも」→4)「あー、こりゃもうどうもならんわ」っていう細かなレベルが。
これを敏感に察知してできるだけ下のレベルで食い止められれば風邪も軽く済むか、ひかないで済むのですが、これがなかなか言うは易し、行うは難し。
具体的に言うと、3)と4)の間がくせもの。3)だと思っているとアッという間に4)に移行してしまいます。
私は喉が痛くなってくるともうダメで、「よくないな」と思いつつ結局抗生物質を飲んでしまう。
飲まないで治そうと思うとどんどんひどくなってしまうので、やっぱり科学の力に頼ってしまうんですねー。
で、今回も限りなく4)に近い3)の状態になり、しかもその日は深夜にどうしても出なければならない集まりがあり、なおかつ翌日の夜にも観劇が入っていた。
喉が痛いだけでなく、頭の中がボワーンとしていて、体もだるくて、やたらに疲れて、今にも発熱しそう。
いつもなら絶対抗生物質を飲まないと回復しない段階ですが、今回は趣向を変えて(?)日本古来の民間方法「卵酒」を試してみることにしました。
「風邪には卵酒がよく効く」と昔から言われていますが、正直ホントにそんなに効果があるとは思っていませんでした。
ただ、医者に行く余裕がなかったし、このあいだの誤診事件もあったしで、医者に行くのは気が進まなかった。
一応、葛根湯があったので、それは飲んでみたけど、葛根湯が効く段階は通り越しているように思えたので、卵酒をオプションで加えてみた次第。
まずはネットで「卵酒の作り方」を検索してみたところ、いきなり出てきたのが「卵酒の作り方の失敗例」。
基本的に卵酒は日本酒に卵と砂糖を加えればいいのですが、その人は普通に日本酒を火にかけて熱くしたところに溶き卵をジャッと加えたところ、「かき玉スープ」になってしまい、それが「激まず」だったというのです。
そりゃそうですよね。卵は60度くらいから固り始めるというから、熱いお酒に溶き卵を入れれば、当然かき玉スープになるでしょう。
その失敗例に対するコメントを見たら、「卵酒は卵黄だけを使うのでは?」という意見がありました。
なるほど、たしかに卵は卵白と卵黄で固まり方が違うから(完全に固まる温度は両方同じくらいだけど、卵白は低い温度からゆっくり固まっていき、卵黄は急に固まる)、卵白をまぜるとより早くかき玉状になってしまうわけですね。
そういえば、卵酒には卵黄だけを使うって聞いたような気もしてきた…。
ところが、それに対し、「いや。じつは卵白には殺菌作用があるので、全卵を使うほうがより効果があるのだ」という説もあり、そう言われると卵白も入れたくなる。
とにかく、共通しているのは、「あまり熱くせず、卵は一気に流し込まず、少しずつまぜる」ということ。
というわけで、深夜の台所にフラフラの状態で立ち、挑戦してみました。
……が、肝心の日本酒がなーい!!
うち、日本酒飲まないからなー。
外に買いにいく気はもちろんなし。
しかたなく、料理用日本酒を使って作ってみる。
その結果は………………ま・ず〜い!
いやもうまずいなんてもんじゃないです。
料理用のお酒がおいしいとは思ってなかったけど、ここまでまずいとは。
なんかものすごく変な甘さなの。みりん飲んでるみたいな。
みりんが甘いのはわかるけど、料理用酒もこんなに甘かったのね。
おまけに卵も気をつけてまぜたつもりだったのに案の定一部固まってしまい、どこからみても大失敗。
もったいないけど、とても飲めなくて捨てました。
ええ。こんなもの飲むくらいなら熱出したほうがまし。
で、次に探し出したのがワイン。
瓶の底に残っていたもので、かなり古そうだったけど、それしかないので使いました。
結果は………おいしくはなかったけど、まあ薬と思えば飲めない事はない程度。
とにかくその得体のしれない「卵ワイン」を飲んで寝ました。
そしたらあなた。
これが効いたのなんのって。
寝ているあいだにものすごい汗が出て、翌日起きたら嘘のように頭も体も軽い。
明らかに前日よりも楽になっていました。
薬なしでここまで良くなるなんて信じられない。
日本の民間療法、バカにできません。
侮りがたし、卵酒……いや、卵ワイン。
これに味をしめ、翌日はウィスキーで作ってみました。
結果は……うーん。ワインよりさらに微妙でしたが、まあこれも飲めなくはない。
2日目は1日目ほど具合が悪いわけじゃなかったので、劇的な体調の変化もありませんでした。
そして3日目。
もう飲まなくてもよかったんだけど、いい日本酒が入ってきたので、「よし。最後に本物の“正調・卵酒”を作ってみようではないか」と思い、3度目の卵酒に挑戦。
3度目ともなるとコツもつかめてきます。
要するに、火にかけた鍋に入れたお酒に卵を入れるから固まりやすいんですよ。
逆にちょっとさまし気味にしたお酒をちょっとずつ溶き卵のほうにまぜてみたら、全然固まることなく非常にうまくできあがりました。
ただ、これだと固まらない代わりにかなりぬるくなってしまうので、卵とお酒を完全に混ぜ合わせたところでもう一度鍋に戻し、小さい火ですこーしずつ温めます。
一度混ざってしまえば、ちょっとやそっと熱を加えてもかき玉にはなりません。
こうしてできあがあった“正調・卵酒”の味は……おい・し〜い!
もう、これぞ卵酒、「That′s TAMAGOZAKE!」というおいしさでした。
なんて合うんだ、卵と日本酒。もう問題じゃないです、ワインとウィスキーなんて。
もし私が外国人だったら、風邪のときには「卵ウォッカ」とか、「卵テキーラ」とか、「卵紹興酒」とか飲んでいたんでしょうか。
だとしたら日本人に生まれてよかった〜!!
卵には日本酒。
もう絶対です。憲法に入れてほしいくらい。
ええ。国粋主義者でけっこう。
というわけで、「卵酒マイスターへの道」をお送りしました。
皆様も早く風邪気味になって、おいしい「卵酒」をお試しください♪
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
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