古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
みのは紅白を変えられたのか?!
- 2006/01/02 (Mon)
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今年度の紅白の視聴率がどうなったのか、気になったのでチェックしてみました。以下、関東の数字です。
第1部が35.4%(昨年は30.8%)。そして第2部が42.9%(昨年は39.3%)。
第1部・2部ともに上昇したのは7年ぶりだそうです。
今回の紅白は、なんといっても「みのもんた起用」が一番の話題でしょう。数字があがったのも、単純に「みのがどんなことやってるのか」っていう興味の結果だと思います。
NHKは前年度で史上最低視聴率を記録したことに相当危機感を感じたようで、今回はかなり番宣に力を入れていました。
本番前日は、テリー伊藤と室井祐月をゲストに呼んで「紅白のどこがダメなのか」を語らせ、自己批判を延々と繰り広げたうえで、「どんな紅白を期待するか」「われわれはこれからどう変わるべきか」みたいな総括をしていたのですが、こんな学級会の議題みたいに臆面もなく自己批判しちゃうところがNHKらしいというかなんというか…。結論からいうと、その反省の結果誕生した「ニュー紅白」よりも、「反省するNHKの図」のほうがおもしろかったです。
学級会(?)の結果、導き出された「紅白がうけなくなった理由」は大きくわけて4つあります。
その1.楽曲の好みの多様化(ヒット曲が出にくい)
その2.娯楽の多様化(TVだけが娯楽の時代は終わった。全員がひとつの方向に向かう場面がもはやほとんど見られない)
その3.家族団欒の習慣がない(家族団欒と紅白観戦は表裏一体)
まあ、ここまではよく言われていることで、「今さら…」って感じだったんですが、おもしろかったのは4つ目。
その4.あまりにも細かく段取りが決められすぎていて、ライブならではの不確実性、なにが起こるのかわからないというワクワク感がない。これなら録画でいい。
なるほどね。録画でもいいじゃんと言われればそうかもしれない。
ただ、「じゃあ紅白を録画して年明けに見ようと思うか?」って聞かれたら「見ない」だろうと思うけど。やっぱり大晦日のあの時間帯に見るから特別な番組だと感じるわけで。シンデレラと同じで、12時すぎたら魔法もとけちゃう気がしますね。
でも、台本が細かく決められすぎでおもしろくないという意見はなるほどと思いました。
昔の紅白はそのへんもっとおおらかで、たとえば曲が決まってるのに、司会者がその場で「こっちの曲のほうが聞きたい」とわがままを言いだし、指揮者に交渉して無理やり違う曲に変えさせた…なんてこともあったらしい。
今じゃ考えられませんね。
それがこんなに段取り重視になった背景には、やはり「規模が大きくなりすぎた」ことがあるのではないでしょうか。
出場者の数が増え、装置もゴージャスになり、放送枠も拡大され…となれば、かかわる人の数も手間もお金も格段にかかるようになるだろうし、そうなるとゆるい仕切りじゃ番組が成立しないでしょう。
「あれもやろう」「これもやろう」と思えば、スケジュールはどんどんタイトになり、間に入るMCもきっちり決められてよけいなことを言う余裕がなくなるのは当然です。
要するに、紅白という番組が肥大化したことが、こうなった一番の原因ではないでしょうか。
テリー伊藤は「ライブの不確実性」にこだわり、ゲリラ的発想の意見をいくつか述べていて、それはそれでたしかにおもしろかったんですが、この規模を維持しようとする限り、また出場者や視聴者すべてに不公平や失礼があってはならないという気配りを重視する限り、紅白にそんなものを求めるのは無理、というのが私の意見です。
司会者を意外な人に変えたくらいじゃ抜本的改革にはならないです。体質から変えないと(べつに変える必要はないと思うけど)。
で、実際見てみてその思いをますます強くしました。
後半しか見てないので、あまり大きなことは言えないのですが、はっきり言ってもんたは浮いてました。
ていうか、手足縛られてプールに投げ込まれたような感じに見えました。
じつは、「おもいっきりテレビ」を見ているときには、相棒の高橋佳代子アナがあまりにもまともすぎてもんたとつり合わないなーと思ってたんですが、すいません、私の心得違いでした。あれが計算なのか天然なのかはわかりませんが、高橋アナのあの悠然とした懐の深い対応があってこそ、もんた節は自由自在に力を発揮できるのですね。
今回の山根アナともんたとのかみあわなさっぷりを見て初めてそれがわかりました。もんたのやりにくそうなことといったら……。まじめそうという点では高橋アナも山根アナも同じタイプに見えますが、全然違います。山根アナ、反応悪すぎ。進行しか頭にないのがみえみえでした。
さらに「アドリブが超きかない仲間由紀恵」が加わり、山本耕史にいたっては、流す、流す。それはもう見事なソツのない流しようでした。
さすがのもんたもこの3人に取り囲まれてはなすすべなしといった状況。何度も「もんたらしさ」をアピールしようと切り込んでましたが、その都度3人にかわされてしまい、撃沈。
最後はもう憮然としちゃって勝敗よりこっちのほうが気になってしまいましたよ。
やはりもんたには3500人規模のホールは似合わないです。「おもいっきり〜」のスタジオのような規模でお客の顔を間近にみて臨機応変に対応できる“小劇場芝居”でこそその魅力は発揮できるとみました。
今回の抜擢は、100人規模の小劇場でカリスマ的人気を誇っている役者が、いきなり3000人規模の大劇場の商業演劇に出させられたような場違い感がありました。
ところで、ここ数年、私は紅白が終わったところでチャンネルをきりかえ、「ジルベスターコンサート」のフィニッシュを見るようになりました。
ジルベスターコンサートじたいは、いろいろな国で行われているのですが、日本のジルベスターコンサートでは、いつの頃からか大晦日にカウントダウン曲を演奏するのが恒例になってます。
新年を迎える午前0時ぴったりに曲を終わらせるというのが指揮者に課せられた任務で、数分前になると画面にでっかい時計の文字盤が現れ、スリルを煽ります。
今回が11回目ですが、今までに失敗した指揮者は1人もいないそうで、そのことがいっそう初出場の指揮者に大きなプレッシャーを与えるようです。
「ぴったりに終わらせたからってそれがどうだっちゅーねん」と言えばそれまでです。
「音楽は芸術なのよ。そんな曲芸みたいな演奏、間違ってる。邪道だわ」と言われればおっしゃる通り。
それでも、0時ジャストにスコアの最後の音が鳴り響き、その瞬間にくす玉が割れ、色とりどりのテープが舞い、拍手と歓声に会場が包まれるのは見ていてかなりのカタルシスがあるものです。
「時間ぴったりに終わらせられるという日本人独特の段取りの優秀さ」が、片方では「つまらない」と敵視されているのに、こっちではそれを逆手にとって「ライブならではのワクワク感」に転化させている……皮肉といえば皮肉ですが、発想を変えればこういうことも成立するんですね。
第1部が35.4%(昨年は30.8%)。そして第2部が42.9%(昨年は39.3%)。
第1部・2部ともに上昇したのは7年ぶりだそうです。
今回の紅白は、なんといっても「みのもんた起用」が一番の話題でしょう。数字があがったのも、単純に「みのがどんなことやってるのか」っていう興味の結果だと思います。
NHKは前年度で史上最低視聴率を記録したことに相当危機感を感じたようで、今回はかなり番宣に力を入れていました。
本番前日は、テリー伊藤と室井祐月をゲストに呼んで「紅白のどこがダメなのか」を語らせ、自己批判を延々と繰り広げたうえで、「どんな紅白を期待するか」「われわれはこれからどう変わるべきか」みたいな総括をしていたのですが、こんな学級会の議題みたいに臆面もなく自己批判しちゃうところがNHKらしいというかなんというか…。結論からいうと、その反省の結果誕生した「ニュー紅白」よりも、「反省するNHKの図」のほうがおもしろかったです。
学級会(?)の結果、導き出された「紅白がうけなくなった理由」は大きくわけて4つあります。
その1.楽曲の好みの多様化(ヒット曲が出にくい)
その2.娯楽の多様化(TVだけが娯楽の時代は終わった。全員がひとつの方向に向かう場面がもはやほとんど見られない)
その3.家族団欒の習慣がない(家族団欒と紅白観戦は表裏一体)
まあ、ここまではよく言われていることで、「今さら…」って感じだったんですが、おもしろかったのは4つ目。
その4.あまりにも細かく段取りが決められすぎていて、ライブならではの不確実性、なにが起こるのかわからないというワクワク感がない。これなら録画でいい。
なるほどね。録画でもいいじゃんと言われればそうかもしれない。
ただ、「じゃあ紅白を録画して年明けに見ようと思うか?」って聞かれたら「見ない」だろうと思うけど。やっぱり大晦日のあの時間帯に見るから特別な番組だと感じるわけで。シンデレラと同じで、12時すぎたら魔法もとけちゃう気がしますね。
でも、台本が細かく決められすぎでおもしろくないという意見はなるほどと思いました。
昔の紅白はそのへんもっとおおらかで、たとえば曲が決まってるのに、司会者がその場で「こっちの曲のほうが聞きたい」とわがままを言いだし、指揮者に交渉して無理やり違う曲に変えさせた…なんてこともあったらしい。
今じゃ考えられませんね。
それがこんなに段取り重視になった背景には、やはり「規模が大きくなりすぎた」ことがあるのではないでしょうか。
出場者の数が増え、装置もゴージャスになり、放送枠も拡大され…となれば、かかわる人の数も手間もお金も格段にかかるようになるだろうし、そうなるとゆるい仕切りじゃ番組が成立しないでしょう。
「あれもやろう」「これもやろう」と思えば、スケジュールはどんどんタイトになり、間に入るMCもきっちり決められてよけいなことを言う余裕がなくなるのは当然です。
要するに、紅白という番組が肥大化したことが、こうなった一番の原因ではないでしょうか。
テリー伊藤は「ライブの不確実性」にこだわり、ゲリラ的発想の意見をいくつか述べていて、それはそれでたしかにおもしろかったんですが、この規模を維持しようとする限り、また出場者や視聴者すべてに不公平や失礼があってはならないという気配りを重視する限り、紅白にそんなものを求めるのは無理、というのが私の意見です。
司会者を意外な人に変えたくらいじゃ抜本的改革にはならないです。体質から変えないと(べつに変える必要はないと思うけど)。
で、実際見てみてその思いをますます強くしました。
後半しか見てないので、あまり大きなことは言えないのですが、はっきり言ってもんたは浮いてました。
ていうか、手足縛られてプールに投げ込まれたような感じに見えました。
じつは、「おもいっきりテレビ」を見ているときには、相棒の高橋佳代子アナがあまりにもまともすぎてもんたとつり合わないなーと思ってたんですが、すいません、私の心得違いでした。あれが計算なのか天然なのかはわかりませんが、高橋アナのあの悠然とした懐の深い対応があってこそ、もんた節は自由自在に力を発揮できるのですね。
今回の山根アナともんたとのかみあわなさっぷりを見て初めてそれがわかりました。もんたのやりにくそうなことといったら……。まじめそうという点では高橋アナも山根アナも同じタイプに見えますが、全然違います。山根アナ、反応悪すぎ。進行しか頭にないのがみえみえでした。
さらに「アドリブが超きかない仲間由紀恵」が加わり、山本耕史にいたっては、流す、流す。それはもう見事なソツのない流しようでした。
さすがのもんたもこの3人に取り囲まれてはなすすべなしといった状況。何度も「もんたらしさ」をアピールしようと切り込んでましたが、その都度3人にかわされてしまい、撃沈。
最後はもう憮然としちゃって勝敗よりこっちのほうが気になってしまいましたよ。
やはりもんたには3500人規模のホールは似合わないです。「おもいっきり〜」のスタジオのような規模でお客の顔を間近にみて臨機応変に対応できる“小劇場芝居”でこそその魅力は発揮できるとみました。
今回の抜擢は、100人規模の小劇場でカリスマ的人気を誇っている役者が、いきなり3000人規模の大劇場の商業演劇に出させられたような場違い感がありました。
ところで、ここ数年、私は紅白が終わったところでチャンネルをきりかえ、「ジルベスターコンサート」のフィニッシュを見るようになりました。
ジルベスターコンサートじたいは、いろいろな国で行われているのですが、日本のジルベスターコンサートでは、いつの頃からか大晦日にカウントダウン曲を演奏するのが恒例になってます。
新年を迎える午前0時ぴったりに曲を終わらせるというのが指揮者に課せられた任務で、数分前になると画面にでっかい時計の文字盤が現れ、スリルを煽ります。
今回が11回目ですが、今までに失敗した指揮者は1人もいないそうで、そのことがいっそう初出場の指揮者に大きなプレッシャーを与えるようです。
「ぴったりに終わらせたからってそれがどうだっちゅーねん」と言えばそれまでです。
「音楽は芸術なのよ。そんな曲芸みたいな演奏、間違ってる。邪道だわ」と言われればおっしゃる通り。
それでも、0時ジャストにスコアの最後の音が鳴り響き、その瞬間にくす玉が割れ、色とりどりのテープが舞い、拍手と歓声に会場が包まれるのは見ていてかなりのカタルシスがあるものです。
「時間ぴったりに終わらせられるという日本人独特の段取りの優秀さ」が、片方では「つまらない」と敵視されているのに、こっちではそれを逆手にとって「ライブならではのワクワク感」に転化させている……皮肉といえば皮肉ですが、発想を変えればこういうことも成立するんですね。
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今年最後のごあいさつ
今年もあと数時間で終わりです。
ブログを始めたのが今年の元旦なので、ちょうど1年たちますが、決して更新率の高いブログではないので、あまり胸を張ることができません。
他の皆さんのブログを見ると、ホント毎日のように更新していらっしゃいますよね。
「長いから大変なんだよ、もっと短い文章にしろ!」とつっこまれそうですが、ごもっともです。要するに自分がブログ向きじゃないのかも。
さて、大晦日なので一応今年を振り返ってみたりなんかするのですが、いい機会なのでここでお知らせします。
こんなとこで知らせるようなことじゃないのは重々わかってるんですが、なかなか「きっかけ」がなくてね。
うまいこと「きっかけ」があった人にはその場で話してるんですが、「きっかけ」なしで「じつは私さー」ときりだせるような話でもないし。
前置き長いですね。
まあ、今年は「初の出版」があって予想以上に嬉しい反響をいただいたり、「初の書き下ろし公演」があったり、「初の再演」があったり、今まで積み上げてきたものがようやくひとつひとつ実を結び始めてきた良い1年であったことはたしかなんですけど、もうひとつべつなところで、私にとって大きな出来事がありました。
周囲のごく限られた人にしかまだ話してないのですが、今年、私は「障害者手帳」をとりました。
あえて話していないのは、前述したように「きっかけ」がなかったことがひとつと、こういうこと言うと相手はレスポンスに困るだろうなとか、「そんなこと言われても私何も言えないし」と黙ってしまうだろうなとか、いろいろ考えるとめんどうになってしまったということがひとつ。
じゃあなんで今言うかというと、ぶっちゃけ事情を知っておいてもらったほうがいろいろな意味で自分が楽になるからです。
不自由なのは主に左手で、今はもっぱら右でカバーしていますが、右も通常の力に比べると平均は下回るであろう機能で、それで左をかばっているので常にオーバーワーク気味です。
7年前くらいから少しずつ症状は出ていましたが、この1年で急激に状態が悪くなりました。病院へはあらゆる科に通いまくりましたが、「悪くなることはあっても、良くはならない」と言われています。
おそらく、今までに私と会った方は、「なんでこんなことに手間取ってるんだろう」「なんでこんなことができないんだろう」「なんで左手を使わないんだろう」と不思議に思う機会が多々あったと思います。
実際、「変だ」と指摘されたこともありました。
が、私にとっては指摘されるほうが都合がいいのです。それをきっかけに説明できるから。説明されたほうは多少気まずい思いはするかもしれませんが。
でも、大部分の人は変だなと思っても気づかないふりをしますから、こっちから「今の変だと思ったでしょ」ときりだすのはなかなかきりだしにくいんですよ。こうして、「話す機会」はどんどん先送りになっていくわけです。
もっとつらいのは、皆さんが当然のようにサッとできることが私にとっては多大な緊張とストレスとそれなりの苦痛と危険を伴うため、「なんでこいつだけやらないんだ。気がきかねーな」という視線を受けること。
いや、もともと気はきかないほうなので、そういう状態は今に始まったことではなく、「手だけのせいにするな、ボケ」と言われるとうなだれるしかないんですが、「気がきかないと思われることが死ぬほどつらい」というキャラではない私ですら、こういうシチュエーションはけっこうストレスです。
今後はますますこのような場面が増えてくると思いますし、周囲の人に手伝ってもらわなければならないことも増えてくると思います。
そうなると「話してもいいし、話さなくてもいい」という問題ではなく、知っておいてもらうことが「必要」になります。
といっても、知らせたからといって、まわりの皆さんがかゆいところに手が届くようにいきとどいたフォローをしてくれるとはまったく思っていません。
残念ながら、体の機能のほんの一部が失われることでどれだけ多くの行動に支障をきたすか、どれだけ些細なことに苦痛を感じるか、なんてことは絶対に他人には想像できないと思います(「右じゃなくてよかったね」とあっさり片づけられたこともしばしば。その人にとって「左手」ってその程度のものなのか? いや、因縁だってわかって言ってますが)。医療関係者でも似たようなものだということがこの7年間で身にしみてわかりました。
言ってる本人は全然悪気はないと思うんですが、「これだけ説明しても、そんなこともわかんないんだ」と呆然とさせられたことは数知れず…。
もちろん、私よりもっと重度の障害をもつ人は社会に大勢いるし、その人たちの不自由さは私にははかりしれないものだと思います。
人間の想像力なんて、めいっぱい使ってるつもりでもこの程度なのです。
また、「使わない機能」はどんどん低下していきますから、なんでもかんでも人にやってもらうことがいいわけではなく、リハビリという意味でも「時間がかかっても自分でやったほうがいい」こともあるわけで、そのへんの線びきも非常に難しいところです。
もっとも、一歩家の外に出れば、「時間がかかってもいい場面」というのはあまりなく、結局「人に頼んでやってもらう」か「するのを避ける」という選択肢になるわけですが。
正直なところ、自分でもまだ「頭で認識している自分の状態」と「実際の体の状態」にズレがあり、実際はできないのに頭ではできるような気がしてやってしまい、失敗する…ということがよくあります。
そんなわけで、来年からはもう少し「自分にできること」と「できないこと」を冷静にみきわめ、「できないこと」は周囲にうまくアウトソージングできる自分になるために、まずは皆さんにこの状態をご理解していただこうと、今の状態について説明させていただきました。
「自分のことは自分でする」「人に迷惑をかけない」というのは、幼い頃からしつけの一部として刷り込まれてきた一種の倫理観・道徳観であり、たとえ病気であってもこれをくずすのは勇気がいります。
まわりは「しょうがないよ。病気なんだから」と言ってくれますが、そんな言葉で気が楽になるほど簡単な問題ではないのです。
「自分のことを人にしてもらう」って、じつは「自分のことを自分でする」よりも強くならなきゃできないんですよね。
これからだんだん強くなっていかないと。
「もう少しで新しい年を迎えるってときにこんなどよーんとする暗い話、書くな!」と言われそうですが、私はよくなることを諦めていませんし、現在もあらゆる治療法を試し続けています。
来年という年にも希望をもっています。
くれぐれも皆さんが暗くなりませんように。
このようになった原因というか、理由については、さくっと説明できるような簡単な話ではないので、あえてここでは書きません。
必要があれば、直接会ったときに聞いてくれれば腰据えて説明します。
では皆様。
1年間、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
ブログを始めたのが今年の元旦なので、ちょうど1年たちますが、決して更新率の高いブログではないので、あまり胸を張ることができません。
他の皆さんのブログを見ると、ホント毎日のように更新していらっしゃいますよね。
「長いから大変なんだよ、もっと短い文章にしろ!」とつっこまれそうですが、ごもっともです。要するに自分がブログ向きじゃないのかも。
さて、大晦日なので一応今年を振り返ってみたりなんかするのですが、いい機会なのでここでお知らせします。
こんなとこで知らせるようなことじゃないのは重々わかってるんですが、なかなか「きっかけ」がなくてね。
うまいこと「きっかけ」があった人にはその場で話してるんですが、「きっかけ」なしで「じつは私さー」ときりだせるような話でもないし。
前置き長いですね。
まあ、今年は「初の出版」があって予想以上に嬉しい反響をいただいたり、「初の書き下ろし公演」があったり、「初の再演」があったり、今まで積み上げてきたものがようやくひとつひとつ実を結び始めてきた良い1年であったことはたしかなんですけど、もうひとつべつなところで、私にとって大きな出来事がありました。
周囲のごく限られた人にしかまだ話してないのですが、今年、私は「障害者手帳」をとりました。
あえて話していないのは、前述したように「きっかけ」がなかったことがひとつと、こういうこと言うと相手はレスポンスに困るだろうなとか、「そんなこと言われても私何も言えないし」と黙ってしまうだろうなとか、いろいろ考えるとめんどうになってしまったということがひとつ。
じゃあなんで今言うかというと、ぶっちゃけ事情を知っておいてもらったほうがいろいろな意味で自分が楽になるからです。
不自由なのは主に左手で、今はもっぱら右でカバーしていますが、右も通常の力に比べると平均は下回るであろう機能で、それで左をかばっているので常にオーバーワーク気味です。
7年前くらいから少しずつ症状は出ていましたが、この1年で急激に状態が悪くなりました。病院へはあらゆる科に通いまくりましたが、「悪くなることはあっても、良くはならない」と言われています。
おそらく、今までに私と会った方は、「なんでこんなことに手間取ってるんだろう」「なんでこんなことができないんだろう」「なんで左手を使わないんだろう」と不思議に思う機会が多々あったと思います。
実際、「変だ」と指摘されたこともありました。
が、私にとっては指摘されるほうが都合がいいのです。それをきっかけに説明できるから。説明されたほうは多少気まずい思いはするかもしれませんが。
でも、大部分の人は変だなと思っても気づかないふりをしますから、こっちから「今の変だと思ったでしょ」ときりだすのはなかなかきりだしにくいんですよ。こうして、「話す機会」はどんどん先送りになっていくわけです。
もっとつらいのは、皆さんが当然のようにサッとできることが私にとっては多大な緊張とストレスとそれなりの苦痛と危険を伴うため、「なんでこいつだけやらないんだ。気がきかねーな」という視線を受けること。
いや、もともと気はきかないほうなので、そういう状態は今に始まったことではなく、「手だけのせいにするな、ボケ」と言われるとうなだれるしかないんですが、「気がきかないと思われることが死ぬほどつらい」というキャラではない私ですら、こういうシチュエーションはけっこうストレスです。
今後はますますこのような場面が増えてくると思いますし、周囲の人に手伝ってもらわなければならないことも増えてくると思います。
そうなると「話してもいいし、話さなくてもいい」という問題ではなく、知っておいてもらうことが「必要」になります。
といっても、知らせたからといって、まわりの皆さんがかゆいところに手が届くようにいきとどいたフォローをしてくれるとはまったく思っていません。
残念ながら、体の機能のほんの一部が失われることでどれだけ多くの行動に支障をきたすか、どれだけ些細なことに苦痛を感じるか、なんてことは絶対に他人には想像できないと思います(「右じゃなくてよかったね」とあっさり片づけられたこともしばしば。その人にとって「左手」ってその程度のものなのか? いや、因縁だってわかって言ってますが)。医療関係者でも似たようなものだということがこの7年間で身にしみてわかりました。
言ってる本人は全然悪気はないと思うんですが、「これだけ説明しても、そんなこともわかんないんだ」と呆然とさせられたことは数知れず…。
もちろん、私よりもっと重度の障害をもつ人は社会に大勢いるし、その人たちの不自由さは私にははかりしれないものだと思います。
人間の想像力なんて、めいっぱい使ってるつもりでもこの程度なのです。
また、「使わない機能」はどんどん低下していきますから、なんでもかんでも人にやってもらうことがいいわけではなく、リハビリという意味でも「時間がかかっても自分でやったほうがいい」こともあるわけで、そのへんの線びきも非常に難しいところです。
もっとも、一歩家の外に出れば、「時間がかかってもいい場面」というのはあまりなく、結局「人に頼んでやってもらう」か「するのを避ける」という選択肢になるわけですが。
正直なところ、自分でもまだ「頭で認識している自分の状態」と「実際の体の状態」にズレがあり、実際はできないのに頭ではできるような気がしてやってしまい、失敗する…ということがよくあります。
そんなわけで、来年からはもう少し「自分にできること」と「できないこと」を冷静にみきわめ、「できないこと」は周囲にうまくアウトソージングできる自分になるために、まずは皆さんにこの状態をご理解していただこうと、今の状態について説明させていただきました。
「自分のことは自分でする」「人に迷惑をかけない」というのは、幼い頃からしつけの一部として刷り込まれてきた一種の倫理観・道徳観であり、たとえ病気であってもこれをくずすのは勇気がいります。
まわりは「しょうがないよ。病気なんだから」と言ってくれますが、そんな言葉で気が楽になるほど簡単な問題ではないのです。
「自分のことを人にしてもらう」って、じつは「自分のことを自分でする」よりも強くならなきゃできないんですよね。
これからだんだん強くなっていかないと。
「もう少しで新しい年を迎えるってときにこんなどよーんとする暗い話、書くな!」と言われそうですが、私はよくなることを諦めていませんし、現在もあらゆる治療法を試し続けています。
来年という年にも希望をもっています。
くれぐれも皆さんが暗くなりませんように。
このようになった原因というか、理由については、さくっと説明できるような簡単な話ではないので、あえてここでは書きません。
必要があれば、直接会ったときに聞いてくれれば腰据えて説明します。
では皆様。
1年間、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
トリノが待ち遠しいぞ!
女子フィギュアのトリノ代表が決まりましたね。
いやー、全日本すごいよ。トップ6が全員出場して、しかも代表がかかる真剣勝負ときたら、これはもう盛り上がるなというほうが無理です。
この6人は、誰が代表になってもおかしくないレベルなので、それこそ代表選考の場がすでにオリンピックレベルというハイレベルの争いでした。
それにしても、安藤が入ったのには驚きましたね。6位だったのに…。
それ以前の持ち点(貯金)が多かったからというのが理由だそうですが、6位でもトップ通過で代表に決まるくらいの持ち点があるなら、あんなガチガチに緊張する必要なかったのに…。
ある意味「代表選考には関係ないノンプレッシャーな立場」の浅田と同じくらいリラックスできたのでは?
「私はもう決まったも同然だから。皆さんはこれからなのね。お気の毒。私と一緒にトリノに行くのは誰かしら。楽しみに待ってるわ」くらいの態度で臨めば5位以上にいけたかもしれないよ。まあ、所詮は結果論ですが。
個人的には荒川を応援していたので、代表に入ってくれて嬉しいです。
スルツカヤとか、ホルキナとか、姫川亜弓(?)とか、女王然としているタイプが私の好みなので、そういう意味では荒川に頑張ってほしい。
荒川が初めてオリンピックに出たとき(長野)の映像は笑えますよ。
「ちょっと待ってよ」っていうくらいイモっぽくて、ガキっぽくて、ギクシャクしてて、色気もそっけもないの。
それが8年たつとあんな女王様になっちゃうんですからねー。女ってすごい。
真央ちゃんの8年後はどんなお姉さんになっているのか楽しみ。
真央ちゃんといえば、弟の柿右衛門いわく「なんか北朝鮮の天才少女のような匂いがする」。たしかに…(笑)。
女王様キャラには天才少女キャラがつきものなので、荒川と浅田を見ているといろいろ妄想がふくらんで飽きません。
たとえば、真央ちゃんがニコニコ滑ってると、荒川がわざと邪魔をするように前へ出て真央ちゃんがころんでしまう。そこで荒川が一言。
「あーら、ごめんなさい。花束拾ってる子供かと思っちゃったわ」
マンガなんかだと、ここで真央ちゃんは大事な試合前なのにケガをしてしまうんだけど、その逆境をはねのけて優勝しちゃったりするんですよね。
で、それを見た荒川が凍り付いたような表情で言うの。
「なんて子なの……浅田真央……おそろしい……」
すいません。すべて脳内妄想です。
一方、男子は「コンピュータミス」というわけのわからない判定ミスで順位の逆転がありました。信成くん、気の毒でしたね。そのコンピュータソフトの名前は「MITSUNARI」というらしいです。嘘です。
ていうか、もう信長ネタで見出し作るのやめろよ(←自分もやったくせに)。「17代目の天下統一」とか「天下分け目の合戦に敗北」とかさ。信長は関ヶ原の戦いには参加してませんから!
アイスダンスの日本代表があまりにも下手くそだったのを見た父親は「織田と中野を組ませて出場させりゃいいじゃん」と大胆発言。
あまりの場当たり的コメントに「そういう問題じゃないよ!」とつっこもうとしたものの、けっこう見てみたい自分もいて反論できませんでした。
オリンピックのシーズンには、a href=http://www.ne.jp/asahi/imari/dejiteki/ target=_blank>ホームページに毎回期間限定で「Imalympic Board」という掲示板をたてて皆で盛り上がるんですが、トリノもまたやる予定です。皆さん、ぜひ書き込みにきてください。ともに盛り上がりましょう。
<訂正とお詫び>
男子の採点ミスを導いたコンピュータソフトの名は「MITSUNARI」ではなく「MITSUHIDE」でした。年越すまで気がつかなかった私はバカ。
いやー、全日本すごいよ。トップ6が全員出場して、しかも代表がかかる真剣勝負ときたら、これはもう盛り上がるなというほうが無理です。
この6人は、誰が代表になってもおかしくないレベルなので、それこそ代表選考の場がすでにオリンピックレベルというハイレベルの争いでした。
それにしても、安藤が入ったのには驚きましたね。6位だったのに…。
それ以前の持ち点(貯金)が多かったからというのが理由だそうですが、6位でもトップ通過で代表に決まるくらいの持ち点があるなら、あんなガチガチに緊張する必要なかったのに…。
ある意味「代表選考には関係ないノンプレッシャーな立場」の浅田と同じくらいリラックスできたのでは?
「私はもう決まったも同然だから。皆さんはこれからなのね。お気の毒。私と一緒にトリノに行くのは誰かしら。楽しみに待ってるわ」くらいの態度で臨めば5位以上にいけたかもしれないよ。まあ、所詮は結果論ですが。
個人的には荒川を応援していたので、代表に入ってくれて嬉しいです。
スルツカヤとか、ホルキナとか、姫川亜弓(?)とか、女王然としているタイプが私の好みなので、そういう意味では荒川に頑張ってほしい。
荒川が初めてオリンピックに出たとき(長野)の映像は笑えますよ。
「ちょっと待ってよ」っていうくらいイモっぽくて、ガキっぽくて、ギクシャクしてて、色気もそっけもないの。
それが8年たつとあんな女王様になっちゃうんですからねー。女ってすごい。
真央ちゃんの8年後はどんなお姉さんになっているのか楽しみ。
真央ちゃんといえば、弟の柿右衛門いわく「なんか北朝鮮の天才少女のような匂いがする」。たしかに…(笑)。
女王様キャラには天才少女キャラがつきものなので、荒川と浅田を見ているといろいろ妄想がふくらんで飽きません。
たとえば、真央ちゃんがニコニコ滑ってると、荒川がわざと邪魔をするように前へ出て真央ちゃんがころんでしまう。そこで荒川が一言。
「あーら、ごめんなさい。花束拾ってる子供かと思っちゃったわ」
マンガなんかだと、ここで真央ちゃんは大事な試合前なのにケガをしてしまうんだけど、その逆境をはねのけて優勝しちゃったりするんですよね。
で、それを見た荒川が凍り付いたような表情で言うの。
「なんて子なの……浅田真央……おそろしい……」
すいません。すべて脳内妄想です。
一方、男子は「コンピュータミス」というわけのわからない判定ミスで順位の逆転がありました。信成くん、気の毒でしたね。そのコンピュータソフトの名前は「MITSUNARI」というらしいです。嘘です。
ていうか、もう信長ネタで見出し作るのやめろよ(←自分もやったくせに)。「17代目の天下統一」とか「天下分け目の合戦に敗北」とかさ。信長は関ヶ原の戦いには参加してませんから!
アイスダンスの日本代表があまりにも下手くそだったのを見た父親は「織田と中野を組ませて出場させりゃいいじゃん」と大胆発言。
あまりの場当たり的コメントに「そういう問題じゃないよ!」とつっこもうとしたものの、けっこう見てみたい自分もいて反論できませんでした。
オリンピックのシーズンには、a href=http://www.ne.jp/asahi/imari/dejiteki/ target=_blank>ホームページに毎回期間限定で「Imalympic Board」という掲示板をたてて皆で盛り上がるんですが、トリノもまたやる予定です。皆さん、ぜひ書き込みにきてください。ともに盛り上がりましょう。
<訂正とお詫び>
男子の採点ミスを導いたコンピュータソフトの名は「MITSUNARI」ではなく「MITSUHIDE」でした。年越すまで気がつかなかった私はバカ。
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著作
「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
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