古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
由緒正しい「豆まき」
今日は節分でしたね。
私は今までこういった年中行事を軽視しているところがあって、初詣も形だけという感じでしたし、節分の豆まきも興味なしでした。
が、昨年から風水に興味を持ち始めたのをきっかけに、ちょっとこういうものをまじめにやってみようかなーという気になってきました。年だな。
節分というのは、風水上での1年の始まりということもあって、昔はお正月と同等かそれ以上に重視されていたようです。
節分といえば豆まきですが、最近は恵方巻というのがブームになってきてますね。
恵方巻とは太巻のことで、節分の日にその年の恵方位(毎年変わります)に向かって太巻を丸のままかぶりつくと1年間息災に暮らせると言われています。
おもに関西方面発祥の習慣らしいですが、この数年、東京でもメジャーになってきています。
1月末くらいからコンビニではすでに恵方巻の予約受付を行っていたし(恵方位を測るための磁石付きで!)、恵方巻のプロモーションビデオがエンドレスに流れるなど、その力の入れように驚かされました。
「今年の恵方は南南東〜♪」
という恵方巻のテーマソング(わらべうた風の)が耳について離れないよ。。。。
しかも、気のせいか「南南東」の部分のイントネーションがビミョーに関西風。
この方位の部分は毎年リニューアルされて使い回されるんでしょうか。
たった数分間、店内にいただけでもうるさくて気が狂いそうだったので、店員はよく平気だなーと同情しました。
で、恵方巻食ったのか?…というと、食ってません。
理由→太巻が嫌いだから。
他のものなら丸かぶりしてもいいんだけど。ブッシュ・ド・ノエルとか(←形が似てればいいというわけではありません)。
関東人の誇りにかけて(?)、豆まきをしました。
それもそんじょそこらの豆じゃないですよ。
明治神宮で購入してきた「福豆」です。
「単に煎った大豆だろ。そんなもん、どこで買っても同じじゃん」と思うかもしれません。
いや、私もちょっと前までは似たような考えでした。
でも、風水の本を読んでからは考えが変わりました。
豆をまくのは邪気を払うためなんだから、なるべく良い「気」を吸収している豆をまいたほうが効果があるのではないかと。
風水本によると、特に強力に気が渦巻いている土地をパワースポットといい、全国各地にたくさんあるらしいのですが、東京都内にあるのが「皇居」と「明治神宮」。
他のパワースポットは旅行に行ったついででもなければ立ち寄れませんが、この2つなら散歩気分で出かけられます。
というわけで、今まで一度もちゃんと参拝したことのない明治神宮に1月末にお参りしてきたのですが、そのついでに「福豆」も買ってきたんです。
しかし、なんですね。
子供のいる家庭ならともかく、高齢者世帯での豆まきってかなりこっぱずかしいですよね。一人暮らしで豆まきも寒いものがありますが…。
しかも妙に現実的になっていて、子供のときは惜しげもなくわしづかみにしてまき散らしていたのに、今はまく前から「後かたづけ」のことを考えてしみったれたまき方をしてしまう。変な場所にころがりこまないよう、まくエリアもあたりをつけたりして。
われながら景気悪いなと思いますが、これが大人になるということなんでしょう。
最近は、まいた豆も拾って余さず食べられるように、大豆ではなく落花生をまく習慣も広がってきているようです。
うーん。たしかに合理的だけど、鬼に豆をぶつけて退治するというイメージからいくと、落花生ぶつけられてもあまり参らないかも…という気が。
豆まきのあとの残りは年の数だけ食べるのがならわしだと聞いていましたが、夜中に豆をそんなに大量に(!)食したらおなかを壊してしまう。。。ってことで、今年は初めて福茶を作ってみました。
福茶は「梅干し」「塩昆布」「福豆3粒(←福茶に入れる豆は3粒と決まっているらしい)」に熱湯を注いでかきまぜればできあがり。
「塩昆布」はなかったので「だし用の昆布」を刻んで入れました。
福豆は熱湯に浸かることでいい感じに柔らかくなります。
けっこうおいしいですよ。煎っただけの消化の悪そうな大豆をポリポリかじることを考えたらずっといいです。
ちなみに、なぜ豆まきに使う豆は煎ってあるのか?
答え→生豆だと、厄払いに外にまいたはずの豆から芽が出てきてしまうことがあり、縁起が悪いから。
だそうです。なるほどねー。芽が出るのはちょっといやかも。
皆さんはどんな節分を過ごしましたか?

由緒正しき明治神宮の「福豆」
私は今までこういった年中行事を軽視しているところがあって、初詣も形だけという感じでしたし、節分の豆まきも興味なしでした。
が、昨年から風水に興味を持ち始めたのをきっかけに、ちょっとこういうものをまじめにやってみようかなーという気になってきました。年だな。
節分というのは、風水上での1年の始まりということもあって、昔はお正月と同等かそれ以上に重視されていたようです。
節分といえば豆まきですが、最近は恵方巻というのがブームになってきてますね。
恵方巻とは太巻のことで、節分の日にその年の恵方位(毎年変わります)に向かって太巻を丸のままかぶりつくと1年間息災に暮らせると言われています。
おもに関西方面発祥の習慣らしいですが、この数年、東京でもメジャーになってきています。
1月末くらいからコンビニではすでに恵方巻の予約受付を行っていたし(恵方位を測るための磁石付きで!)、恵方巻のプロモーションビデオがエンドレスに流れるなど、その力の入れように驚かされました。
「今年の恵方は南南東〜♪」
という恵方巻のテーマソング(わらべうた風の)が耳について離れないよ。。。。
しかも、気のせいか「南南東」の部分のイントネーションがビミョーに関西風。
この方位の部分は毎年リニューアルされて使い回されるんでしょうか。
たった数分間、店内にいただけでもうるさくて気が狂いそうだったので、店員はよく平気だなーと同情しました。
で、恵方巻食ったのか?…というと、食ってません。
理由→太巻が嫌いだから。
他のものなら丸かぶりしてもいいんだけど。ブッシュ・ド・ノエルとか(←形が似てればいいというわけではありません)。
関東人の誇りにかけて(?)、豆まきをしました。
それもそんじょそこらの豆じゃないですよ。
明治神宮で購入してきた「福豆」です。
「単に煎った大豆だろ。そんなもん、どこで買っても同じじゃん」と思うかもしれません。
いや、私もちょっと前までは似たような考えでした。
でも、風水の本を読んでからは考えが変わりました。
豆をまくのは邪気を払うためなんだから、なるべく良い「気」を吸収している豆をまいたほうが効果があるのではないかと。
風水本によると、特に強力に気が渦巻いている土地をパワースポットといい、全国各地にたくさんあるらしいのですが、東京都内にあるのが「皇居」と「明治神宮」。
他のパワースポットは旅行に行ったついででもなければ立ち寄れませんが、この2つなら散歩気分で出かけられます。
というわけで、今まで一度もちゃんと参拝したことのない明治神宮に1月末にお参りしてきたのですが、そのついでに「福豆」も買ってきたんです。
しかし、なんですね。
子供のいる家庭ならともかく、高齢者世帯での豆まきってかなりこっぱずかしいですよね。一人暮らしで豆まきも寒いものがありますが…。
しかも妙に現実的になっていて、子供のときは惜しげもなくわしづかみにしてまき散らしていたのに、今はまく前から「後かたづけ」のことを考えてしみったれたまき方をしてしまう。変な場所にころがりこまないよう、まくエリアもあたりをつけたりして。
われながら景気悪いなと思いますが、これが大人になるということなんでしょう。
最近は、まいた豆も拾って余さず食べられるように、大豆ではなく落花生をまく習慣も広がってきているようです。
うーん。たしかに合理的だけど、鬼に豆をぶつけて退治するというイメージからいくと、落花生ぶつけられてもあまり参らないかも…という気が。
豆まきのあとの残りは年の数だけ食べるのがならわしだと聞いていましたが、夜中に豆をそんなに大量に(!)食したらおなかを壊してしまう。。。ってことで、今年は初めて福茶を作ってみました。
福茶は「梅干し」「塩昆布」「福豆3粒(←福茶に入れる豆は3粒と決まっているらしい)」に熱湯を注いでかきまぜればできあがり。
「塩昆布」はなかったので「だし用の昆布」を刻んで入れました。
福豆は熱湯に浸かることでいい感じに柔らかくなります。
けっこうおいしいですよ。煎っただけの消化の悪そうな大豆をポリポリかじることを考えたらずっといいです。
ちなみに、なぜ豆まきに使う豆は煎ってあるのか?
答え→生豆だと、厄払いに外にまいたはずの豆から芽が出てきてしまうことがあり、縁起が悪いから。
だそうです。なるほどねー。芽が出るのはちょっといやかも。
皆さんはどんな節分を過ごしましたか?
由緒正しき明治神宮の「福豆」
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「病院ミシュラン」リーディング公演
この前の日曜日、テアトル・エコーの稽古場において、「病院ミシュラン」のリーディング公演が行われました。
「病院ミシュラン」は、エコーが毎年行っている創作戯曲募集の佳作に入った作品ですが(2004年秋に受賞)、1年以上放置されていたので、もう上演はないのかなと諦めかけていた頃、演出部の平野さんから「リーディング公演をやる」という連絡を受けました。
以下、すでに何回も聞いた話かもしれませんが、初耳な方のためにもう一度説明します。
まず、エコーの賞には入選と佳作がありますが、入選はほとんど出ません(この30年でたしか2回程度。2004年度も入選はありませんでした)。佳作は6回程度出ていますが、入選も佳作も該当者なしという年のほうが多いようです。入選は受賞後の上演が約束されていますが、佳作はされていません。
「ミシュラン」の場合は、かなり前から「上演」の話が動いていたのですが、いろいろな事情があってなかなか決定まで進みませんでした。
そういう状況でのお知らせだったので、「よっしゃぁ〜〜!!」という感じでした。
リーディング公演とは、いわゆる「読み合わせ」と呼ばれる状態を観客に披露することで、欧米などではかなり盛んに行われているようです。
ひとつの舞台をつくりあげるには大変な人手や時間やお金や労力が必要ですが、リーディング公演なら1日スケジュールを合わせるだけで比較的手軽に行うことができます。
衣装や装置も必要ないのでコストもかかりません。
一口にリーディングといっても、台本を持って簡単な動きをつけてイメージをふくらませるといったレベルから、本当に「読むだけ」のリーディングまで、いろいろなレベルがありますが、どういう形にせよ、よけいな装飾がない分、台本の力がストレートに伝わってくるので、本の力を値踏みするために行われることが多いようです。
たとえば、最近で言うと、永井愛がロンドンのブッシュシアターで「時の物置」のリーディング公演を催してもらい、それが大好評だった結果、ブッシュシアターから書き下ろしの依頼があった…なんて話もありました(結局書き下ろした作品は、テーマが先方の意に添わなかったということで、話が頓挫してしまったようですが。ちなみに、その作品は、昨年度の日本のおもだった演劇賞をいくつもとっている「歌わせたい男たち」です)。
そんなわけで、リーディング公演は、上演を決定する前に行われる試演会みたいな意味合いもあるので、役者さんも緊張するでしょうが、作者もかなり緊張でした。
「病院ミシュラン」は、テアトル・エコーにあてて書いたものなので、私が書いた作品の中ではけっこう珍しいタイプの作品だと思います。
いわゆるシチュエーション・コメディというやつで、一言でいうと誤解が誤解を呼ぶドタバタコメディです。
情がからむところはいっさいなく、どちらかというと「ここにコレを投入するとこうなる」みたいな化学反応だけで話を進めていくタイプの数学的なコメディですね。
お手本としたのはレイ・クーニー。日本だと三谷幸喜が近いでしょうか。
私も日頃よく舞台を観ますが、こういうタイプの台本は意外に少ないかも。前半だけならあるかもしれないけど、だいたい後半になると人情話に落ち着くパターンが圧倒的に多い。たとえ前半に誤解の応酬でスピーディーに展開させていっても、最後は誤解が解けてまったり余韻を残すような締めになるのが常。じつは余韻を残さない終わらせ方、誤解を解かせない終わらせ方のほうが数段難しいので、今回も何回も「人情」を投入したい誘惑にかられました。
テアトル・エコーは喜劇専門集団ですが、どちらかというと「人情喜劇」チックなものよりはこういう瞬発力勝負みたいなタイプのコメディのほうがお好みのようです。
普段、声優をしていらっしゃる方が多いせいか、エコーの役者さんは声質が日本人的でない人が多いというか、湿っぽくないんですよ。だから翻訳ものをやっても違和感がない。声だけ聞いてると「洋画劇場」の世界なので。
今回は、現代の日本人の話ではあるんですけど、わりと「現実」と「虚構」の間のギリギリをいく設定なので、そういう意味では変にリアルにならないエコーの役者さんのお芝居はすごく合ってると思います。
多分、この話はリアルに演じるやいなや、観客が冷静になって「こんなことねえよ」とかつっこみを始めるんじゃないかって気がする……。
「病院ミシュラン」のストーリーは、病室の中だけで展開されます。
病院の評価をするために、覆面調査員が入院患者の中に潜入するんですが、その調査員が誰なのかわからず、病院側は戦々恐々としている。そんな状況下で、誤解が複雑にからみあって喜劇が繰り広げられていきます。
けっこうこれ読んだ人は「ほんとにこんなものあるの?」とか聞いてくるんですが、もちろんフィクションです。
ただ、「ミシュラン」を書いてから3年たった今、時代は確実にこの本に書かれているフィクションの世界に近づいてきています。
これには自分でもびっくりしているんですが。
私が唯一他人様に自慢できる(!)「豊富な入院経験」を目一杯生かして書いた渾身の作品──それが「病院ミシュラン」です(周囲には「ほんとにころんでもタダで起きない人だよね」とほめられました)。
ちょっとでも病院にかかわったことのある方なら、皆さん絶対に「そうそうそうそう」と思いあたることがあるはずです。。
前置き長くなりましたが、そんなこんなで待ち望んだ公演がようやく行われました。
いやー、おもしろかったです!
月並みですが、目で読む言葉と、役者が話す言葉を聞くのはこんなにも違うんだなといろいろ勉強になりました。
コメディって書いてるときは全然楽しくなくてつらいばっかりなんですが(悲劇のほうが精神的に楽だし、カタルシスがあります)、笑いのリアクションがあって初めて報われました。
お客は、劇団員の一部と、私がお連れした知りあい10数人だけでしたが、生の反応がその場で返ってくることで、ようやく「ミシュラン」が命を吹き込まれた気がしました。長い間、仮死状態だったけど(笑)。
この先、上演が決まるかどうかはエコー次第ですが、胎児状態の「ミシュラン」をぜひ誕生させてやってほしいです。

右端が今回の企画コーディネーターの平野さん。
その隣りが先輩ナース・桜井役の近藤さん、看護師長・片岡役の高橋さん、
主人公の患者・連城役の川本さん、新米ナース・桐野役のきっかわさん。

右から川本さん、きっかわさん、糖尿病患者・河合役の山崎さん、
院長・村雨役の上間さん、連城の妻・美鈴役の石津さん。
すいません。あと4人いるんですが、写ってませんでした。
藤原さん、山下さん、小宮さん、多田野さん、ごめんなさい!

右から山崎さん、上間さん、石津さん。
望遠にしたら手ブレしちゃってアップの写真はこれ以外は失敗しました。
「病院ミシュラン」は、エコーが毎年行っている創作戯曲募集の佳作に入った作品ですが(2004年秋に受賞)、1年以上放置されていたので、もう上演はないのかなと諦めかけていた頃、演出部の平野さんから「リーディング公演をやる」という連絡を受けました。
以下、すでに何回も聞いた話かもしれませんが、初耳な方のためにもう一度説明します。
まず、エコーの賞には入選と佳作がありますが、入選はほとんど出ません(この30年でたしか2回程度。2004年度も入選はありませんでした)。佳作は6回程度出ていますが、入選も佳作も該当者なしという年のほうが多いようです。入選は受賞後の上演が約束されていますが、佳作はされていません。
「ミシュラン」の場合は、かなり前から「上演」の話が動いていたのですが、いろいろな事情があってなかなか決定まで進みませんでした。
そういう状況でのお知らせだったので、「よっしゃぁ〜〜!!」という感じでした。
リーディング公演とは、いわゆる「読み合わせ」と呼ばれる状態を観客に披露することで、欧米などではかなり盛んに行われているようです。
ひとつの舞台をつくりあげるには大変な人手や時間やお金や労力が必要ですが、リーディング公演なら1日スケジュールを合わせるだけで比較的手軽に行うことができます。
衣装や装置も必要ないのでコストもかかりません。
一口にリーディングといっても、台本を持って簡単な動きをつけてイメージをふくらませるといったレベルから、本当に「読むだけ」のリーディングまで、いろいろなレベルがありますが、どういう形にせよ、よけいな装飾がない分、台本の力がストレートに伝わってくるので、本の力を値踏みするために行われることが多いようです。
たとえば、最近で言うと、永井愛がロンドンのブッシュシアターで「時の物置」のリーディング公演を催してもらい、それが大好評だった結果、ブッシュシアターから書き下ろしの依頼があった…なんて話もありました(結局書き下ろした作品は、テーマが先方の意に添わなかったということで、話が頓挫してしまったようですが。ちなみに、その作品は、昨年度の日本のおもだった演劇賞をいくつもとっている「歌わせたい男たち」です)。
そんなわけで、リーディング公演は、上演を決定する前に行われる試演会みたいな意味合いもあるので、役者さんも緊張するでしょうが、作者もかなり緊張でした。
「病院ミシュラン」は、テアトル・エコーにあてて書いたものなので、私が書いた作品の中ではけっこう珍しいタイプの作品だと思います。
いわゆるシチュエーション・コメディというやつで、一言でいうと誤解が誤解を呼ぶドタバタコメディです。
情がからむところはいっさいなく、どちらかというと「ここにコレを投入するとこうなる」みたいな化学反応だけで話を進めていくタイプの数学的なコメディですね。
お手本としたのはレイ・クーニー。日本だと三谷幸喜が近いでしょうか。
私も日頃よく舞台を観ますが、こういうタイプの台本は意外に少ないかも。前半だけならあるかもしれないけど、だいたい後半になると人情話に落ち着くパターンが圧倒的に多い。たとえ前半に誤解の応酬でスピーディーに展開させていっても、最後は誤解が解けてまったり余韻を残すような締めになるのが常。じつは余韻を残さない終わらせ方、誤解を解かせない終わらせ方のほうが数段難しいので、今回も何回も「人情」を投入したい誘惑にかられました。
テアトル・エコーは喜劇専門集団ですが、どちらかというと「人情喜劇」チックなものよりはこういう瞬発力勝負みたいなタイプのコメディのほうがお好みのようです。
普段、声優をしていらっしゃる方が多いせいか、エコーの役者さんは声質が日本人的でない人が多いというか、湿っぽくないんですよ。だから翻訳ものをやっても違和感がない。声だけ聞いてると「洋画劇場」の世界なので。
今回は、現代の日本人の話ではあるんですけど、わりと「現実」と「虚構」の間のギリギリをいく設定なので、そういう意味では変にリアルにならないエコーの役者さんのお芝居はすごく合ってると思います。
多分、この話はリアルに演じるやいなや、観客が冷静になって「こんなことねえよ」とかつっこみを始めるんじゃないかって気がする……。
「病院ミシュラン」のストーリーは、病室の中だけで展開されます。
病院の評価をするために、覆面調査員が入院患者の中に潜入するんですが、その調査員が誰なのかわからず、病院側は戦々恐々としている。そんな状況下で、誤解が複雑にからみあって喜劇が繰り広げられていきます。
けっこうこれ読んだ人は「ほんとにこんなものあるの?」とか聞いてくるんですが、もちろんフィクションです。
ただ、「ミシュラン」を書いてから3年たった今、時代は確実にこの本に書かれているフィクションの世界に近づいてきています。
これには自分でもびっくりしているんですが。
私が唯一他人様に自慢できる(!)「豊富な入院経験」を目一杯生かして書いた渾身の作品──それが「病院ミシュラン」です(周囲には「ほんとにころんでもタダで起きない人だよね」とほめられました)。
ちょっとでも病院にかかわったことのある方なら、皆さん絶対に「そうそうそうそう」と思いあたることがあるはずです。。
前置き長くなりましたが、そんなこんなで待ち望んだ公演がようやく行われました。
いやー、おもしろかったです!
月並みですが、目で読む言葉と、役者が話す言葉を聞くのはこんなにも違うんだなといろいろ勉強になりました。
コメディって書いてるときは全然楽しくなくてつらいばっかりなんですが(悲劇のほうが精神的に楽だし、カタルシスがあります)、笑いのリアクションがあって初めて報われました。
お客は、劇団員の一部と、私がお連れした知りあい10数人だけでしたが、生の反応がその場で返ってくることで、ようやく「ミシュラン」が命を吹き込まれた気がしました。長い間、仮死状態だったけど(笑)。
この先、上演が決まるかどうかはエコー次第ですが、胎児状態の「ミシュラン」をぜひ誕生させてやってほしいです。
右端が今回の企画コーディネーターの平野さん。
その隣りが先輩ナース・桜井役の近藤さん、看護師長・片岡役の高橋さん、
主人公の患者・連城役の川本さん、新米ナース・桐野役のきっかわさん。
右から川本さん、きっかわさん、糖尿病患者・河合役の山崎さん、
院長・村雨役の上間さん、連城の妻・美鈴役の石津さん。
すいません。あと4人いるんですが、写ってませんでした。
藤原さん、山下さん、小宮さん、多田野さん、ごめんなさい!
右から山崎さん、上間さん、石津さん。
望遠にしたら手ブレしちゃってアップの写真はこれ以外は失敗しました。
ブロードウェイミュージカルの歴史のお勉強
- 2006/01/07 (Sat)
- TV(ドキュメンタリー) |
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早いもので、今日で松がとれますね。
皆さんはどんなお正月をお過ごしでしたでしょうか。
私は今年も細木先生の教えに従い、5日に正しい初詣に行ってまいりました。いつもの近所の氏神様へ。
ホントは初詣は3が日までに済ませるのが望ましいらしいのですが、去年は3日に行ったら混んでてえらい目にあったので、今年は5日までひっぱりました(毎日寒くて外に出るのが億劫だったこともある)。今「全然正しくないじゃん」というつっこみがきこえてきましたが、まあ行かないよりはましということで…。
ずらした甲斐あって神社はガラ空きでした。
これまた細木先生の教えに従い、お賽銭はのし袋に入れて「上 ◯◯」と表書きまで書きましたが、ご大層なのし袋に包んだわりに中身は「小銭」……。開封したときの神様の舌打ちが聞こえてくるようです。
そして恒例の「絵馬」を購入。本当は去年の絵馬をお焚きあげに出さなくてはいけなかったのですが、家に忘れてきて出せませんでした。
最後に滅多にひかないおみくじをひいてみましたが、小銭がなくて家族から借金。「おまえ、もう帰れ!」って感じですね。
おみくじの結果は「吉」。すごくいいこともない代わりにすごく悪いこともない。万事が平穏無事といったところ。
うーーん。平穏無事は望むところなんだけど、今年はすでにいくつかただでは済みそうにない火種を抱えたまま年越ししているので、平穏な一年になるとはとても思えないんだが…。
帰宅後、絵馬に書く内容の参考にしようと、部屋にかけっぱなしにしておいた酉年の絵馬の中身を一年ぶりにチェック。
一昨年の絵馬はたしか「こりゃ標語だよ。願い事じゃないよ」という内容だったので、去年は心を入れ替えて一応お願い事っぽいことを書いたはず。
なに書いたっけ〜。とワクワクしながら見たそこに書いてあった「願い事」とは…。
……………………………………。
負けた。負けたよ>2005年の自分
たしかにお願い事の体裁ではあるんだけど、なんて困難な望みなんだ。
「ジャニーズの若い子を相手役に指名して帝劇の舞台に立てますように」というほうがまだ現実的だよ。
こんな高度な願い事を書かれたら、今年は何書くかプレッシャーじゃん(←べつに去年の自分に張り合わなくてもよろしい)。
考えた結果、今年はシンプルにいきました。
お願い事っつーか、「座右の銘」みたいですが。
こうやって毎年正月に絵馬に望みを書いて一年間部屋に飾っておき、一年後の正月に自分が何書いたのか確認するとおもしろいですよ。他人に見られる心配もないし。本来、願い事は目に見えるところに飾っておいてイメトレするほうが実現率は高くなるような気がしますが、あえて見えないようにしておいて一年前に何書いたのかを確認するのもそれはそれで楽しい。絶対忘れてますから。
話変わって。
お正月はいろいろスペシャル番組をやっているので、普段の連ドラがなくなって楽できるかと思うと意外に拘束されるんですよね。
その中でちょっと珍しかったのが1/1〜6まで、NHKが6夜連続で放送していた「華麗なるミュージカル〜ブロードウェイの100年」という国際共同製作のドキュメンタリー番組。
6夜連続で見るのはけっこうきつかったけど、なんとか頑張って見通しました。ブロードウェイってまだ100年しか歴史がないんですねー。
正直言って知らない作品や知らない曲が続くところは退屈したし、現代でもよく上演されるいわゆるメジャーな作品がつくられるようになった1960年代以降のミュージカルが5回目になってようやく登場するのは構成としてバランスが悪い気もしましたが、通観することによって発見できたこともたくさんあり、全体としては勉強になりました。
ブロードウェイミュージカルの歴史は、日本で言うと大正初期くらいから始まるんですけど、途中何度も外圧によって存亡の危機に見舞われるんですね。「ハリウッド映画の台頭」「戦争」「TVの台頭」「ロックの台頭」「エイズ」「NYテロ」などなど。そのたびに「ブロードウェイはもうおしまい」と言われ、言われながら不死鳥のように蘇ってきました。
最終的にブロードウェイを家族連れで楽しめるような治安のいい町にリニューアルしたのはディズニーなわけですが、ディズニー社の最高経営責任者の◯◯(名前失念)は「映画やTVで何千万の人が見たと言われても正直実感がわかない。しかし、劇場の観客の熱狂をまのあたりにしたときの手応えはなにものにも代え難い。だから舞台はやめられない」というようなことを言っていて、これは非常によくわかる実感だなーと思いました。
映画のほうが簡単に回収できるのに対し、舞台はどんなにお金かけて作っても、評判が悪ければ即座に打ち切り。回収のめどさえつかなくなるというリスクの大きい興行です。なのに、映画やTVで散々儲けてるディズニーが、最終的に舞台に参入したというのはそれだけ「舞台でなきゃ得られないなんらかの魅力」にとりつかれたということなんでしょうね。
6回通して、ミュージカルづくりにかかわった多くの作詞家や作曲家が登場しましたが、中でも抜きんでた才能だなーとつくづく思ったのはガーシュインとバーンスタイン。
普通に「いい曲だな」「この曲好きだな」という曲を書ける才能(←それだけでもすごいことだけど)の作家はいっぱいいるんですけど、この2人はその中でも格が違う。なんというか曲に人間離れしたカリスマを感じますね。
おかしかったのはソンドハイム。彼は、「ウェストサイド・ストーリー」に作詞家としてかかわっていましたが、本当は作曲家志望で、そのあとハロルド・プリンスと組んで何本もミュージカルを書くんですが、なぜか爆発的なヒット作というのが出ない。
知名度はあるし、ステイタスもあるし、評価も高いんですが、大衆受けしないというか、よくある言葉で言うと「技巧派でひねった作品が好きで玄人受けする」というタイプ。
私も何本かソンドハイムの作品は観ましたが、たしかに一般受けはしないかなーと思いましたね。アンドリュー・ロイド・ウェーバーみたいに少々「演歌」っぽいくらいのあざとさがないと多くの人の心はつかめないんでしょう。
でもソンドハイムだって最初から「いいよ、俺は売れなくたって」とか思ってるわけじゃないと思うんですよ。それが証拠に、途中、ある作品が、評判がかんばしくなくて打ち切りになったとき、ショックのあまり「もう書かない。やめる」と言い出したこともあるらしい。結局、べつのプロデューサーと組んでまた復活したんですが。
なのに、ナレーションでは「ソンドハイムは、たとえヒットしなくても価値のある作品を常に提供し続けているアーティストだ」みたいなまとめ方をされてて、なんだかなーと思いました。
まだ生きてるのに、これから先もヒットしないと断言するかのような言い方をされてしまうソンドハイムって…(笑)。
ちなみに、私の知っているソンドハイムの作品は、「カンパニー」「リトル・ナイト・ミュージック」「スウィニー・トッド」「INTO THE WOODS」「太平洋序曲」。
ね。いまいちマイナーでしょ。
ソンドハイムも、お正月の絵馬に「今年こそロイド・ウェーバーに負けないメガヒットを!」とか書いてるかもしれませんねー。
皆さんはどんなお正月をお過ごしでしたでしょうか。
私は今年も細木先生の教えに従い、5日に正しい初詣に行ってまいりました。いつもの近所の氏神様へ。
ホントは初詣は3が日までに済ませるのが望ましいらしいのですが、去年は3日に行ったら混んでてえらい目にあったので、今年は5日までひっぱりました(毎日寒くて外に出るのが億劫だったこともある)。今「全然正しくないじゃん」というつっこみがきこえてきましたが、まあ行かないよりはましということで…。
ずらした甲斐あって神社はガラ空きでした。
これまた細木先生の教えに従い、お賽銭はのし袋に入れて「上 ◯◯」と表書きまで書きましたが、ご大層なのし袋に包んだわりに中身は「小銭」……。開封したときの神様の舌打ちが聞こえてくるようです。
そして恒例の「絵馬」を購入。本当は去年の絵馬をお焚きあげに出さなくてはいけなかったのですが、家に忘れてきて出せませんでした。
最後に滅多にひかないおみくじをひいてみましたが、小銭がなくて家族から借金。「おまえ、もう帰れ!」って感じですね。
おみくじの結果は「吉」。すごくいいこともない代わりにすごく悪いこともない。万事が平穏無事といったところ。
うーーん。平穏無事は望むところなんだけど、今年はすでにいくつかただでは済みそうにない火種を抱えたまま年越ししているので、平穏な一年になるとはとても思えないんだが…。
帰宅後、絵馬に書く内容の参考にしようと、部屋にかけっぱなしにしておいた酉年の絵馬の中身を一年ぶりにチェック。
一昨年の絵馬はたしか「こりゃ標語だよ。願い事じゃないよ」という内容だったので、去年は心を入れ替えて一応お願い事っぽいことを書いたはず。
なに書いたっけ〜。とワクワクしながら見たそこに書いてあった「願い事」とは…。
「つまらないことに腹をたてることなく、『明鏡止水』の心境で過ごせる一年となりますように」
……………………………………。
負けた。負けたよ>2005年の自分
たしかにお願い事の体裁ではあるんだけど、なんて困難な望みなんだ。
「ジャニーズの若い子を相手役に指名して帝劇の舞台に立てますように」というほうがまだ現実的だよ。
こんな高度な願い事を書かれたら、今年は何書くかプレッシャーじゃん(←べつに去年の自分に張り合わなくてもよろしい)。
考えた結果、今年はシンプルにいきました。
お願い事っつーか、「座右の銘」みたいですが。
こうやって毎年正月に絵馬に望みを書いて一年間部屋に飾っておき、一年後の正月に自分が何書いたのか確認するとおもしろいですよ。他人に見られる心配もないし。本来、願い事は目に見えるところに飾っておいてイメトレするほうが実現率は高くなるような気がしますが、あえて見えないようにしておいて一年前に何書いたのかを確認するのもそれはそれで楽しい。絶対忘れてますから。
話変わって。
お正月はいろいろスペシャル番組をやっているので、普段の連ドラがなくなって楽できるかと思うと意外に拘束されるんですよね。
その中でちょっと珍しかったのが1/1〜6まで、NHKが6夜連続で放送していた「華麗なるミュージカル〜ブロードウェイの100年」という国際共同製作のドキュメンタリー番組。
6夜連続で見るのはけっこうきつかったけど、なんとか頑張って見通しました。ブロードウェイってまだ100年しか歴史がないんですねー。
正直言って知らない作品や知らない曲が続くところは退屈したし、現代でもよく上演されるいわゆるメジャーな作品がつくられるようになった1960年代以降のミュージカルが5回目になってようやく登場するのは構成としてバランスが悪い気もしましたが、通観することによって発見できたこともたくさんあり、全体としては勉強になりました。
ブロードウェイミュージカルの歴史は、日本で言うと大正初期くらいから始まるんですけど、途中何度も外圧によって存亡の危機に見舞われるんですね。「ハリウッド映画の台頭」「戦争」「TVの台頭」「ロックの台頭」「エイズ」「NYテロ」などなど。そのたびに「ブロードウェイはもうおしまい」と言われ、言われながら不死鳥のように蘇ってきました。
最終的にブロードウェイを家族連れで楽しめるような治安のいい町にリニューアルしたのはディズニーなわけですが、ディズニー社の最高経営責任者の◯◯(名前失念)は「映画やTVで何千万の人が見たと言われても正直実感がわかない。しかし、劇場の観客の熱狂をまのあたりにしたときの手応えはなにものにも代え難い。だから舞台はやめられない」というようなことを言っていて、これは非常によくわかる実感だなーと思いました。
映画のほうが簡単に回収できるのに対し、舞台はどんなにお金かけて作っても、評判が悪ければ即座に打ち切り。回収のめどさえつかなくなるというリスクの大きい興行です。なのに、映画やTVで散々儲けてるディズニーが、最終的に舞台に参入したというのはそれだけ「舞台でなきゃ得られないなんらかの魅力」にとりつかれたということなんでしょうね。
6回通して、ミュージカルづくりにかかわった多くの作詞家や作曲家が登場しましたが、中でも抜きんでた才能だなーとつくづく思ったのはガーシュインとバーンスタイン。
普通に「いい曲だな」「この曲好きだな」という曲を書ける才能(←それだけでもすごいことだけど)の作家はいっぱいいるんですけど、この2人はその中でも格が違う。なんというか曲に人間離れしたカリスマを感じますね。
おかしかったのはソンドハイム。彼は、「ウェストサイド・ストーリー」に作詞家としてかかわっていましたが、本当は作曲家志望で、そのあとハロルド・プリンスと組んで何本もミュージカルを書くんですが、なぜか爆発的なヒット作というのが出ない。
知名度はあるし、ステイタスもあるし、評価も高いんですが、大衆受けしないというか、よくある言葉で言うと「技巧派でひねった作品が好きで玄人受けする」というタイプ。
私も何本かソンドハイムの作品は観ましたが、たしかに一般受けはしないかなーと思いましたね。アンドリュー・ロイド・ウェーバーみたいに少々「演歌」っぽいくらいのあざとさがないと多くの人の心はつかめないんでしょう。
でもソンドハイムだって最初から「いいよ、俺は売れなくたって」とか思ってるわけじゃないと思うんですよ。それが証拠に、途中、ある作品が、評判がかんばしくなくて打ち切りになったとき、ショックのあまり「もう書かない。やめる」と言い出したこともあるらしい。結局、べつのプロデューサーと組んでまた復活したんですが。
なのに、ナレーションでは「ソンドハイムは、たとえヒットしなくても価値のある作品を常に提供し続けているアーティストだ」みたいなまとめ方をされてて、なんだかなーと思いました。
まだ生きてるのに、これから先もヒットしないと断言するかのような言い方をされてしまうソンドハイムって…(笑)。
ちなみに、私の知っているソンドハイムの作品は、「カンパニー」「リトル・ナイト・ミュージック」「スウィニー・トッド」「INTO THE WOODS」「太平洋序曲」。
ね。いまいちマイナーでしょ。
ソンドハイムも、お正月の絵馬に「今年こそロイド・ウェーバーに負けないメガヒットを!」とか書いてるかもしれませんねー。
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
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