古伊万里★新伊万里
劇作家・唐沢伊万里の身辺雑記です
ようやく引っ越し完了
ようやく旧ブログからの引っ越しが終わりました。
旧ブログには告知のために一応「引っ越しました」という記事を1個だけ載せてありますが、9月末日で旧ブログは閉鎖します。
で、気分を一新するためにテンプレートも変えてみました。
忍者ブログではユーザーが提供する「共有テンプレート」というのを大量に公開していて、好きなものを借りられるようになってます。
お気に入りを探し出してストックするのは楽しいんですけど、新作が日々増えていくため、常にチェックするのはけっこう大変です。
まあ気に入ったもの1個でずっと通せばそれはそれで楽なんですが、テンプレ変えるのもブログ運営のひとつの楽しみだったりするわけで(そして多分、訪問者にとっての楽しみでも…)。
このところ急に秋めいてきて、月のきれいな季節になってきたので、こんなテンプレートにしてみました。
え? あんまりムードがない?
んー、じゃあ次回はムードのあるやつを選んでおきますー。
旧ブログには告知のために一応「引っ越しました」という記事を1個だけ載せてありますが、9月末日で旧ブログは閉鎖します。
で、気分を一新するためにテンプレートも変えてみました。
忍者ブログではユーザーが提供する「共有テンプレート」というのを大量に公開していて、好きなものを借りられるようになってます。
お気に入りを探し出してストックするのは楽しいんですけど、新作が日々増えていくため、常にチェックするのはけっこう大変です。
まあ気に入ったもの1個でずっと通せばそれはそれで楽なんですが、テンプレ変えるのもブログ運営のひとつの楽しみだったりするわけで(そして多分、訪問者にとっての楽しみでも…)。
このところ急に秋めいてきて、月のきれいな季節になってきたので、こんなテンプレートにしてみました。
え? あんまりムードがない?
んー、じゃあ次回はムードのあるやつを選んでおきますー。
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森光子@進化中
最近、全日空でチェックインも搭乗券もなしで飛行機に乗れてしまう「SKiP」というシステムが話題になっていますが、そのCMをご覧になりましたか?
伊東美咲が「無理、無理」と携帯でしゃべりながら手にもったカードをヒラヒラさせているうちに機内にたどりついてしまい、「乗れちゃった」と我に返るやつ……のほうではなく、「森光子編」です。
マネージャーとしゃべりながら無意識にカードをかざして次々にゲートを通過してしまう森光子。
「だって私もう86よ。いくらなんでも無理でしょう、小学生の役は」
ここですでに芝居好きの人は噴き出してしまうんですが(森光子ならやりかねん!という説得力があるので)、さらに続く
「そりゃ、でんぐりがえしはできるけど、それとこれとはねぇ…」
というセリフには大爆笑。
ここで爆笑できる人がはたして視聴者の何割くらいなのかわかりませんが、現在帝劇で上演中の「放浪記」では、森光子による「伝説のでんぐりがえし」が毎日披露されています。
「放浪記」(作:菊田一夫)は、この9月4日で前人未踏の1800回を記録した東宝の当たり狂言で、森光子は40年以上前からこの作品の主役・林芙美子を演じ続けています。
でんぐりがえしは、「初めて自分の書いた小説が雑誌に掲載された芙美子が喜びのあまり木賃宿の布団の上ででんぐりがえしをする」というシーンで行われるのですが、森光子はいまだに軽々とこのパフォーマンスを披露し続け、客席もでんぐりがえった瞬間には万雷の拍手がわき起こるのがお約束となっています。
そのためのトレーニングとして、森光子が毎日150回のスクワットを欠かさないのはあまりにも有名です。
「放浪記」については、拙著「RE>PLAY」で詳しく書いたので内容については省略しますが、先日、私は初めて帝劇での「放浪記」を観てきました(この作品は、本来、芸術座というもっと小さい東宝の専用劇場のために書かれたものですが、現在芸術座は取り壊し中のため、今回はイレギュラーで帝劇での上演となったのです)。
多分、ほとんどの方はピンとこないと思いますが、「放浪記」の人気というのはかなりすごくて、決して安い料金ではないにもかかわらず、チケットは常に入手困難です(今回ももちろん1ヶ月間全日程が完売してます)。
私も3年前に芸術座でゲネプロを見せてもらったのが唯一の「放浪記」体験なので、今回が本当の意味での初「放浪記」となりました。
客席はかなり年齢層が高い!
皆、森光子の「若さ」にあやかろうと、お詣りにきた参拝客のようです。。。
たしかに森光子は若い。
舞台から発散されるエネルギーはまぶしいくらいです。
が、観ていてなんか気の毒だなーと思ったのは、あまりにも「86歳と思えない若々しさ」「スクワット150回」「でんぐりがえし」という記号が一人歩きしすぎているように感じられたこと。
ここまでわかりやすいセールスポイントが揃っていると、観るほうはそこでもう満足しちゃうと思うんですよ。
極端な話、とりあえず元気に動きまわって毎日舞台を務めてでんぐりがえしさえすれば「あー、やっぱり森光子若いわ〜。すごいわね〜」でOKになってしまう、みたいな。
年だけで充分価値が出てるというか。
ある意味子供とか動物とかが芸をすると点数が甘くなるのに似た感じになってくるというか。
でも、今回私が本当に「すごい」と思ったのは、「86にしちゃよくやるでしょ」っていう水準にまったく甘んじていない森光子のこの作品に賭ける飽くなき執念です。
3年前のゲネと今回と、たった2回しか観ていない私ですが、その2回を比較しても森光子が演じた芙美子は全然違う。
役の作り方というか、アプローチが明らかに変わってるんです。
だって皆さん、1800回ですよ。
普通、1800回演じたら、「もう目つぶってもできるわ」って気分になりそうだし、まあそこまでいかなくても「今さら前と違うものを作り直そう」という気にはなかなかなれないと思うんですよね。
気持ちの上で新鮮さを保つのだって容易じゃないと思うし、キャリアを積めば積むほど「今までの蓄積」で料理しようと思ってしまいがちです。
ましてや、でんぐりがえしをするだけでお客が喜ぶ境地にまできたら、「あとはどれだけこの状態を長くキープできるか」という守りに入るのが普通でしょう。
でも森光子は1800回越えても進化を続けていました。
もちろん、体力も気力もすごいんですが、それ以上に「毎回壊してもう一度作る」という地味でしんどい作業に挑み続ける勇気こそが真の賞賛に値するものなのではないでしょうか。
「長く続いた」というのは結果論にすぎないのですから。
森光子に遠くおよばないこんなちっぽけなキャリアですら、ちょっと油断すると「次もこの手でいこう」とか「このまま流用しよう」とか楽な方向へ流れてしまいそうになります。
「創造と破壊」の繰り返しに耐えられる強靱な精神力をもちたい…。
森さんをみてあらためてそう思いました。
伊東美咲が「無理、無理」と携帯でしゃべりながら手にもったカードをヒラヒラさせているうちに機内にたどりついてしまい、「乗れちゃった」と我に返るやつ……のほうではなく、「森光子編」です。
マネージャーとしゃべりながら無意識にカードをかざして次々にゲートを通過してしまう森光子。
「だって私もう86よ。いくらなんでも無理でしょう、小学生の役は」
ここですでに芝居好きの人は噴き出してしまうんですが(森光子ならやりかねん!という説得力があるので)、さらに続く
「そりゃ、でんぐりがえしはできるけど、それとこれとはねぇ…」
というセリフには大爆笑。
ここで爆笑できる人がはたして視聴者の何割くらいなのかわかりませんが、現在帝劇で上演中の「放浪記」では、森光子による「伝説のでんぐりがえし」が毎日披露されています。
「放浪記」(作:菊田一夫)は、この9月4日で前人未踏の1800回を記録した東宝の当たり狂言で、森光子は40年以上前からこの作品の主役・林芙美子を演じ続けています。
でんぐりがえしは、「初めて自分の書いた小説が雑誌に掲載された芙美子が喜びのあまり木賃宿の布団の上ででんぐりがえしをする」というシーンで行われるのですが、森光子はいまだに軽々とこのパフォーマンスを披露し続け、客席もでんぐりがえった瞬間には万雷の拍手がわき起こるのがお約束となっています。
そのためのトレーニングとして、森光子が毎日150回のスクワットを欠かさないのはあまりにも有名です。
「放浪記」については、拙著「RE>PLAY」で詳しく書いたので内容については省略しますが、先日、私は初めて帝劇での「放浪記」を観てきました(この作品は、本来、芸術座というもっと小さい東宝の専用劇場のために書かれたものですが、現在芸術座は取り壊し中のため、今回はイレギュラーで帝劇での上演となったのです)。
多分、ほとんどの方はピンとこないと思いますが、「放浪記」の人気というのはかなりすごくて、決して安い料金ではないにもかかわらず、チケットは常に入手困難です(今回ももちろん1ヶ月間全日程が完売してます)。
私も3年前に芸術座でゲネプロを見せてもらったのが唯一の「放浪記」体験なので、今回が本当の意味での初「放浪記」となりました。
客席はかなり年齢層が高い!
皆、森光子の「若さ」にあやかろうと、お詣りにきた参拝客のようです。。。
たしかに森光子は若い。
舞台から発散されるエネルギーはまぶしいくらいです。
が、観ていてなんか気の毒だなーと思ったのは、あまりにも「86歳と思えない若々しさ」「スクワット150回」「でんぐりがえし」という記号が一人歩きしすぎているように感じられたこと。
ここまでわかりやすいセールスポイントが揃っていると、観るほうはそこでもう満足しちゃうと思うんですよ。
極端な話、とりあえず元気に動きまわって毎日舞台を務めてでんぐりがえしさえすれば「あー、やっぱり森光子若いわ〜。すごいわね〜」でOKになってしまう、みたいな。
年だけで充分価値が出てるというか。
ある意味子供とか動物とかが芸をすると点数が甘くなるのに似た感じになってくるというか。
でも、今回私が本当に「すごい」と思ったのは、「86にしちゃよくやるでしょ」っていう水準にまったく甘んじていない森光子のこの作品に賭ける飽くなき執念です。
3年前のゲネと今回と、たった2回しか観ていない私ですが、その2回を比較しても森光子が演じた芙美子は全然違う。
役の作り方というか、アプローチが明らかに変わってるんです。
だって皆さん、1800回ですよ。
普通、1800回演じたら、「もう目つぶってもできるわ」って気分になりそうだし、まあそこまでいかなくても「今さら前と違うものを作り直そう」という気にはなかなかなれないと思うんですよね。
気持ちの上で新鮮さを保つのだって容易じゃないと思うし、キャリアを積めば積むほど「今までの蓄積」で料理しようと思ってしまいがちです。
ましてや、でんぐりがえしをするだけでお客が喜ぶ境地にまできたら、「あとはどれだけこの状態を長くキープできるか」という守りに入るのが普通でしょう。
でも森光子は1800回越えても進化を続けていました。
もちろん、体力も気力もすごいんですが、それ以上に「毎回壊してもう一度作る」という地味でしんどい作業に挑み続ける勇気こそが真の賞賛に値するものなのではないでしょうか。
「長く続いた」というのは結果論にすぎないのですから。
森光子に遠くおよばないこんなちっぽけなキャリアですら、ちょっと油断すると「次もこの手でいこう」とか「このまま流用しよう」とか楽な方向へ流れてしまいそうになります。
「創造と破壊」の繰り返しに耐えられる強靱な精神力をもちたい…。
森さんをみてあらためてそう思いました。
今期最高傑作の「結婚できない男」
今までずっと「書きたい、書きたい」と思いつつ今日までひっぱってきたネタです。
なぜひっぱってきたのかというと、現在ドラマ評を書いている「TVステーション」で、今度このドラマについて書くことになったからです。
そのコラムはせいぜい800字程度のスペースしかないので、このドラマについて語れるのは語りたいことのほんの一部でしかありません。
なので、そこで書けなかった部分をブログに書こうと思ったのですが、コラムに書くことが決まらないとここで書くことも決まらないので、コラムの締め切り日を待ってここまでひっぱってしまったという次第です。
さてこのドラマ、皆さんのまわりでどのくらい盛り上がっているのかわかりませんが、私のまわりではかなり話題になっています。
ドラマ好きはもちろんのこと、普段あまりドラマを見ないような人も、このドラマはおもしろい!と楽しんでいる人が多いようです。
視聴率はそれほど高いわけじゃないんですが(低いとも言えない微妙な数字)、そのわりには世論(?)は盛り上がってますね。
まず「結婚できない男」というネーミングの心憎さ。
噂によると、最初は「結婚しない男」だったんだけど、阿部ちゃんが「結婚できない男」のほうがおもしろいんじゃないかと提案し、それが通ったとか。
……すごいです。
いや、おっしゃる通り「できない男」のほうが比較にならないほどインパクトがあるし、視聴者の食いつきがいいことも明らかなんですが、阿部ちゃんといえば「ルックスもいいし、女にもてまくりだろうに、なぜか40すぎても独身」という、このドラマの主人公・信介と限りなくイコールに近いイメージが世間に浸透しているだけに、「結婚できない男」ではあまりにもそのまますぎて痛すぎるのではないかと凡人は思うわけです。
作者も「ほんとは『できない』にしたいけど、それじゃ阿部ちゃんに失礼だし…」と気を遣ったのかもしれません。
なのに自ら「できない」案を提出するとは……おそるべし、阿部ちゃんの自己プロデュース能力。
たしかに「結婚しない男」では、なんとなく「できるけどしないんだよ、きみたち庶民とは違って」みたいな、一人だけ高みにたったいやみな感じだけが伝わってくるのに対し、「結婚できない男」というタイトルは、主人公を「なんだよ。いろいろ言ってるけど、結局おまえできないんじゃん!」というレベルに一気にひきずり降ろし、見る人をつっこみ気分満々にさせるパワーを秘めています。
が、このドラマのタイトルのうまさは、タイトル単体だけの問題ではないんですね。
信介はドラマの中で再三「俺は結婚できないんじゃない、しないんだ」と主張しますが、実際、信介のルックスは「結婚しない男」のほうがしっくりくるくらいのレベルにあるので、そこだけ見ると「負け犬の遠吠え」のようには聞こえない説得力があります。
しかし、信介の周囲の人間の評価は逆で、彼のマイペースぶりや頑なっぷりに辟易し、「あれはしないんじゃなく、できないんだ!」と主張します。
つまり、「結婚しない男」というタイトルにすると信介の意識に沿ったものになり、「結婚できない男」にすると信介を見るまわりの人間の意識に沿ったものになるわけですが、もし前者のタイトルにした場合、見た目のまんまということでひっかかるものがありません。一方、信介のルックスで前者を匂わせておいてタイトルは後者を採用した場合、そのギャップに視聴者はおおいにひっかかりを感じて食いついてきます。
逆説的にいえば、「結婚できない男」というタイトルは、見栄えがいまいちの主人公ではデリケートすぎて成立しにくいともいえます。
阿部ちゃんだからこそ「結婚できない」ことにおかしみがあり、安心して「だからできないんだよ」とつっこめるわけ。ここ大きなポイントです。
二枚目は視聴者を優位にたたせるためのしかけがいろいろ必要なのですね。
タイトルの話だけで長くなりました。
私がこのドラマを見て感じたのは、「最近は結婚できない男が増えている。だからそういう社会現象をネタにして風俗劇を作ろう」というコンセプト主導で作られたドラマにしては、あまりコンセプトに流れていないなということです。
普通、そういうコンセプト主導でドラマを作る場合、形から入ることが多いんですよね。
たとえば、「結婚できない男を描くわけだから、まずいろいろなタイプの結婚できない男を3人くらい登場させよう。タイプはなるべくバラバラのほうがいい」「彼らは女っ気がなくて、いつも結婚できない者同士でうだうだつるんでいる」「そこにやっぱり結婚できない女3人が登場し、反発したり、くっついたりを繰り返し、3人の関係も少しずつ変わっていく」「対照として1人くらい結婚している男をまぜても変化が出るかも」……などなど、古いところでは「男女7人夏物語」のような感じで進んでいくパターンが予測できます。
こういう群像劇スタイルは、コンセプトの一つひとつを具現するキャラを登場させるためにテーマを説明しやすく、コンセプト主導型ドラマでは定番ともいえますが、いろいろな立場をまんべんなく描かなくてはならない制約から、一歩間違えるとどのキャラも浅く広くという感じで類型に流れがちになる危険があります。
もし今回そういうスタイルで作っていたとしたら、信介は間違いなく3人の「結婚できない男たち」のうちの1人に格下げされ、しかも色モノっぽいサブキャラになってしまう可能性大です(メインはもう少し普通っぽい男性が据えられ、3人目は見るからに結婚できなさそうな男ってところでしょうか)。
しかし、それでは信介はただの変人キャラという類型にとどまってしまい、彼の生活スタイルや、美意識や、複雑な感情表現その他については充分描ききれなかったことでしょう。
今回のドラマがここまで見応えのあるものになった勝因は、コンセプト主導ドラマの定石に頼らず、あえてひとつのキャラをピンで据えてその世界観を細部まで徹底して描いてみせたことにあると思います。
信介を見ていると、「男って女に比べて変化が嫌いな動物なんだな」としみじみ思ってしまいます。
信介は一人暮らしだし、お金にも不自由していないし、仕事も自営なので比較的自由度の高い職場だし、やろうと思えばなんでもできる身軽な身の上なのですが、彼の行動はひたすら規則に忠実です。まるでなにかの儀式のように。
同じコンビニで同じ食料を同じつかみ方(?)でカゴに入れ、同じビデオ屋で同じ棚の前をウロウロし、同じ行きつけの店で同じ席に座り、同じバーでバーテンに必ず嫌味をいい、橋を渡るときは必ず欄干を触っていかないと気が済まない。
もちろん、女にもそういう習慣やなじみのコースがないとは言いませんが、女の場合、本質的に変化を求める気質があるので、定着しながらも「このままじゃダメだ」とか「なんかもっと他にいいことがあるんじゃないか」といった焦燥感がにじんでくることが多いのではないでしょうか。まあ、もっとも女の求める変化は常にプチリニューアルであり、あくまでも安定ベースは前提なんですが。
男の場合、徹底的に殻にとじこもって自分の美学を追求するか、さもなくば徹底的に自分を壊すか、どちらかにいくのが本質なんじゃないかって気がします。
もちろん、たいていの男性は女性に手綱をとられることで実際はそんな極端な本質を露呈させることなく一生を終えるわけですが…。
そういう意味では、信介は「結婚できない男」を選んだことで、思う存分固まることができたケースだと言えるでしょう。
それが異様な姿に見えるとしたら、「信介が女のコントロールの及ばないところで生きている」からにほかなりません。
「結婚できない男」支持者には(というか信介支持者には)男性が目立つというのもそう考えるとよくわかります。
男も女も、そういう特有の本質が開花する前に結婚しておくものだ。そのタイミングを逃すと、本質の違いがますます強烈になっていき、どんどん結婚は難しくなる。
……という真理をこのドラマから見いだすのは簡単です。
でも「42歳まで『結婚できない男』だった」という作者(尾崎将也氏)は、そういう難易度の高い状況だからこそ結婚するラストを描きたかったのではないでしょうか。
ファンの間では「信介、最後まで結婚しないで」という声も根強いようですが、オープニングの主題歌が「住宅模型の壁をとりはらう信介」の姿で終わっていることを見ても、信介が最後に「心の壁」を自らとりはらうことは間違いないでしょう。
「男と女ってほんとにとことん違うよね」という「呆れの境地」からスタートする結婚というのも、“晩婚”の醍醐味なのかもしれません。
まだまだ語りたいことはあるんですが、皆さんの意見も聞きたいのでこのへんで。
とにかく原作もののドラマや続編ばかりでウンザリしている昨今、「結婚できない男」は「おもしろいオリジナルドラマを見たい」という気持ちに久々にガッツリ応えてくれた傑作です。
9月5日、12日、19日と残り3回になりましたが、未見の方は今からでもぜひチェックしてみてください。
阿部ちゃんの鬼気迫る(?)役作りだけでなく、トウのたった男女の奥の深いユーモアの応酬と人情の機微、リアルな独身ライフなど、みどころ満載です。
ちなみに、「TVステーション」に書いたコラムは13日に発売になります。
なぜひっぱってきたのかというと、現在ドラマ評を書いている「TVステーション」で、今度このドラマについて書くことになったからです。
そのコラムはせいぜい800字程度のスペースしかないので、このドラマについて語れるのは語りたいことのほんの一部でしかありません。
なので、そこで書けなかった部分をブログに書こうと思ったのですが、コラムに書くことが決まらないとここで書くことも決まらないので、コラムの締め切り日を待ってここまでひっぱってしまったという次第です。
さてこのドラマ、皆さんのまわりでどのくらい盛り上がっているのかわかりませんが、私のまわりではかなり話題になっています。
ドラマ好きはもちろんのこと、普段あまりドラマを見ないような人も、このドラマはおもしろい!と楽しんでいる人が多いようです。
視聴率はそれほど高いわけじゃないんですが(低いとも言えない微妙な数字)、そのわりには世論(?)は盛り上がってますね。
まず「結婚できない男」というネーミングの心憎さ。
噂によると、最初は「結婚しない男」だったんだけど、阿部ちゃんが「結婚できない男」のほうがおもしろいんじゃないかと提案し、それが通ったとか。
……すごいです。
いや、おっしゃる通り「できない男」のほうが比較にならないほどインパクトがあるし、視聴者の食いつきがいいことも明らかなんですが、阿部ちゃんといえば「ルックスもいいし、女にもてまくりだろうに、なぜか40すぎても独身」という、このドラマの主人公・信介と限りなくイコールに近いイメージが世間に浸透しているだけに、「結婚できない男」ではあまりにもそのまますぎて痛すぎるのではないかと凡人は思うわけです。
作者も「ほんとは『できない』にしたいけど、それじゃ阿部ちゃんに失礼だし…」と気を遣ったのかもしれません。
なのに自ら「できない」案を提出するとは……おそるべし、阿部ちゃんの自己プロデュース能力。
たしかに「結婚しない男」では、なんとなく「できるけどしないんだよ、きみたち庶民とは違って」みたいな、一人だけ高みにたったいやみな感じだけが伝わってくるのに対し、「結婚できない男」というタイトルは、主人公を「なんだよ。いろいろ言ってるけど、結局おまえできないんじゃん!」というレベルに一気にひきずり降ろし、見る人をつっこみ気分満々にさせるパワーを秘めています。
が、このドラマのタイトルのうまさは、タイトル単体だけの問題ではないんですね。
信介はドラマの中で再三「俺は結婚できないんじゃない、しないんだ」と主張しますが、実際、信介のルックスは「結婚しない男」のほうがしっくりくるくらいのレベルにあるので、そこだけ見ると「負け犬の遠吠え」のようには聞こえない説得力があります。
しかし、信介の周囲の人間の評価は逆で、彼のマイペースぶりや頑なっぷりに辟易し、「あれはしないんじゃなく、できないんだ!」と主張します。
つまり、「結婚しない男」というタイトルにすると信介の意識に沿ったものになり、「結婚できない男」にすると信介を見るまわりの人間の意識に沿ったものになるわけですが、もし前者のタイトルにした場合、見た目のまんまということでひっかかるものがありません。一方、信介のルックスで前者を匂わせておいてタイトルは後者を採用した場合、そのギャップに視聴者はおおいにひっかかりを感じて食いついてきます。
逆説的にいえば、「結婚できない男」というタイトルは、見栄えがいまいちの主人公ではデリケートすぎて成立しにくいともいえます。
阿部ちゃんだからこそ「結婚できない」ことにおかしみがあり、安心して「だからできないんだよ」とつっこめるわけ。ここ大きなポイントです。
二枚目は視聴者を優位にたたせるためのしかけがいろいろ必要なのですね。
タイトルの話だけで長くなりました。
私がこのドラマを見て感じたのは、「最近は結婚できない男が増えている。だからそういう社会現象をネタにして風俗劇を作ろう」というコンセプト主導で作られたドラマにしては、あまりコンセプトに流れていないなということです。
普通、そういうコンセプト主導でドラマを作る場合、形から入ることが多いんですよね。
たとえば、「結婚できない男を描くわけだから、まずいろいろなタイプの結婚できない男を3人くらい登場させよう。タイプはなるべくバラバラのほうがいい」「彼らは女っ気がなくて、いつも結婚できない者同士でうだうだつるんでいる」「そこにやっぱり結婚できない女3人が登場し、反発したり、くっついたりを繰り返し、3人の関係も少しずつ変わっていく」「対照として1人くらい結婚している男をまぜても変化が出るかも」……などなど、古いところでは「男女7人夏物語」のような感じで進んでいくパターンが予測できます。
こういう群像劇スタイルは、コンセプトの一つひとつを具現するキャラを登場させるためにテーマを説明しやすく、コンセプト主導型ドラマでは定番ともいえますが、いろいろな立場をまんべんなく描かなくてはならない制約から、一歩間違えるとどのキャラも浅く広くという感じで類型に流れがちになる危険があります。
もし今回そういうスタイルで作っていたとしたら、信介は間違いなく3人の「結婚できない男たち」のうちの1人に格下げされ、しかも色モノっぽいサブキャラになってしまう可能性大です(メインはもう少し普通っぽい男性が据えられ、3人目は見るからに結婚できなさそうな男ってところでしょうか)。
しかし、それでは信介はただの変人キャラという類型にとどまってしまい、彼の生活スタイルや、美意識や、複雑な感情表現その他については充分描ききれなかったことでしょう。
今回のドラマがここまで見応えのあるものになった勝因は、コンセプト主導ドラマの定石に頼らず、あえてひとつのキャラをピンで据えてその世界観を細部まで徹底して描いてみせたことにあると思います。
信介を見ていると、「男って女に比べて変化が嫌いな動物なんだな」としみじみ思ってしまいます。
信介は一人暮らしだし、お金にも不自由していないし、仕事も自営なので比較的自由度の高い職場だし、やろうと思えばなんでもできる身軽な身の上なのですが、彼の行動はひたすら規則に忠実です。まるでなにかの儀式のように。
同じコンビニで同じ食料を同じつかみ方(?)でカゴに入れ、同じビデオ屋で同じ棚の前をウロウロし、同じ行きつけの店で同じ席に座り、同じバーでバーテンに必ず嫌味をいい、橋を渡るときは必ず欄干を触っていかないと気が済まない。
もちろん、女にもそういう習慣やなじみのコースがないとは言いませんが、女の場合、本質的に変化を求める気質があるので、定着しながらも「このままじゃダメだ」とか「なんかもっと他にいいことがあるんじゃないか」といった焦燥感がにじんでくることが多いのではないでしょうか。まあ、もっとも女の求める変化は常にプチリニューアルであり、あくまでも安定ベースは前提なんですが。
男の場合、徹底的に殻にとじこもって自分の美学を追求するか、さもなくば徹底的に自分を壊すか、どちらかにいくのが本質なんじゃないかって気がします。
もちろん、たいていの男性は女性に手綱をとられることで実際はそんな極端な本質を露呈させることなく一生を終えるわけですが…。
そういう意味では、信介は「結婚できない男」を選んだことで、思う存分固まることができたケースだと言えるでしょう。
それが異様な姿に見えるとしたら、「信介が女のコントロールの及ばないところで生きている」からにほかなりません。
「結婚できない男」支持者には(というか信介支持者には)男性が目立つというのもそう考えるとよくわかります。
男も女も、そういう特有の本質が開花する前に結婚しておくものだ。そのタイミングを逃すと、本質の違いがますます強烈になっていき、どんどん結婚は難しくなる。
……という真理をこのドラマから見いだすのは簡単です。
でも「42歳まで『結婚できない男』だった」という作者(尾崎将也氏)は、そういう難易度の高い状況だからこそ結婚するラストを描きたかったのではないでしょうか。
ファンの間では「信介、最後まで結婚しないで」という声も根強いようですが、オープニングの主題歌が「住宅模型の壁をとりはらう信介」の姿で終わっていることを見ても、信介が最後に「心の壁」を自らとりはらうことは間違いないでしょう。
「男と女ってほんとにとことん違うよね」という「呆れの境地」からスタートする結婚というのも、“晩婚”の醍醐味なのかもしれません。
まだまだ語りたいことはあるんですが、皆さんの意見も聞きたいのでこのへんで。
とにかく原作もののドラマや続編ばかりでウンザリしている昨今、「結婚できない男」は「おもしろいオリジナルドラマを見たい」という気持ちに久々にガッツリ応えてくれた傑作です。
9月5日、12日、19日と残り3回になりましたが、未見の方は今からでもぜひチェックしてみてください。
阿部ちゃんの鬼気迫る(?)役作りだけでなく、トウのたった男女の奥の深いユーモアの応酬と人情の機微、リアルな独身ライフなど、みどころ満載です。
ちなみに、「TVステーション」に書いたコラムは13日に発売になります。
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「RE>PLAY〜一度は観たい不滅の定番」
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
Webサイトで連載していた演劇評をまとめて出版したものです。
「演劇って、興味なくはないけど何を選んだらいいのかわからなくて」………ビギナーが感じがちなそんな敷居の高さを取り払うために書きました。
数多い名作の中から「再演されたことのある作品」に絞り、 唐沢がお勧めの25本について熱く語りたおします。ビギナーからオタクまで、全種適用OK!
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